黒鉄重工

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北方project ~Welcome to Hokkaido. その16【2017/5/3~7】

2019-02-19 21:15:29 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)16時10分
 北海道美唄市 旧東明駅
幾春別の炭鉱跡を後にして、一行は一路旭川へと向かいますが、まだ日が高いので道中寄り道しながら行くことにします。
まずは通り道の美唄市にある旧東明駅に寄りました。

旧東明駅は、三菱の美唄鉄道(1914~1972年)という石炭輸送のための鉄道の駅です。運炭用の専用線が発端ですが旅客輸送もやっていた鉄道で、東明駅はその途中駅のひとつでした。
このとおり、駅舎が現存しています。かなり手入れが行き届いています。通常は室内の公開はされていないようで、駅舎の扉は施錠されていました。


こちらはホーム側。改札の舟まで残っていて、状態は良いのです。


プラットホームも残っています。さすがに線路はありませぬが。
手前にある舗装路はサイクリングロードです。美唄市は地形が平坦なので自転車を漕ぐのに適したところだそうです。
ただしところどころ舗装が剥がれていて、通行止めになっている区間があるとのことで・・・。ここもそうなってるらしい。財政が厳しいのだろうなぁ・・・と。


ホームはどうやら1面2線だったようですが片方はもう茂みに飲み込まれつつあります。


旧東明駅で注目すべきは、美唄鉄道2号蒸気機関車が静態保存されていることでしょう。駅舎とSLが保存されているところは間々ありますが、中でもこの2号機は極めて貴重な機関車です。
2号機は、1914(大正3)~1918(大正7)年に製作された鉄道院4110形の同型機なのです。鉄道院時代設計の機関車が現存しているというだけで貴重です。さらに、現存する4110形系統は2機ありますが、一般に公開されているのは2号機だけ。もう片方は非公開の場所で保存されています。


2号機の原型になった4110形は、ドイツから輸入された4100形のコピーして国産化した機関車です。
車輪配置は0-10-0、つまり動輪5軸のE配置で、自重の全てを動輪に掛けられる重量級の貨物用機関車なのです。代わりに先輪も従輪も無いので速度面は犠牲になっていますが、4110形が投入されたのは奥羽本線板谷峠や肥薩線人吉~吉松の峠区間などの急勾配区間だったのでもともと速度の出る路線ではなかったので、問題にはならなかったでしょう。

とにかく無骨で飾り気のない機体であります。加えて先輪も従輪も無いので車体長が短く、寸詰まり感があります。そこに載せられるだけ部品を載せたので、とても窮屈に見える機関車でもあります。こういう印象の機体は見たことが無く、面白い機体です。


露天で保存されているのですが、状態は良く見えます。目立った欠損も見当たらず、素晴らしい状態だと思います。


後ろ。タンク機なのです。峠区間だけ走れればよいという割り切りでしょう。
美唄鉄道も延長10kmしかない路線だったので、問題なかったと思います。


5つの動輪。
低重心化のために水槽が低い高さにあるのも特徴です。


露天保存なのですが運転室の中にも入れてしまいます。
こちらも悪くない状態だと思います。

良いものが見られました。
では次へ。


道中の車窓。北海道ですねぇ。


2017年5月4日(木)18時12分
 北海道深川市 桜山公園
旧東明駅から下道を走ること1時間半、深川市へとやってきました。ここにも蒸気機関車の静態保存機があるとのことで寄ってみました。
既に18時を回っているのですが、薄暗いもののまだ明るいです。緯度が高いですからね。

やけに空間があるな、さすが北海道・・・と思っていたんですが、実は桜山遊園地というところの跡地を公園化した施設。なんだかバブルの夢のあとという臭いがしますが、ネットにはあまり資料が無かったので詳しくは不明。
北海道、結構こういうところがあるのです。明日も似たような生い立ちのところ行くし・・・。


まず1機目、D51形312号機。最後は北海道で使われていた機体だそうな。廃車後は桜山遊園地の前身桜山レジャーランドの施設のひとつとして譲り受けた模様。
再塗装などの整備は受けているようで、見た目は悪くないです。配管やコックがなぜか赤く塗られているのが惜しい。
あと、デフや窓のひさしが折れ曲がっているのですが、まあ直すのも難しいんだろうなと。


炭水車にはタイヤが山積みされています。たぶん、石炭の代用として乗せたんだろうなぁという気がします。可能な範囲で気を使っているのかなと。


もう1機います、C58形98号機。これも晩年を北海道で過ごした機体。デフ間を煙突をまたいで繋がっているつらら切りが特徴ですね。
これは桜山温泉という昔あった温泉施設で使われていました。C58の後ろに寝台車3両を繋いでいた、昔流行ったSLホテルというやつでした。温泉が潰れた後は客車は解体されてしまいましたね。
これも再塗装は受けているようで、D51と同程度の状態になってます。

遊園地の設備が軒並み解体されて跡形もなくなったのに対して、蒸気機関車だけが解体を免れたのは幸いでした。放置されずに手入れされているのも良い材料です。


公園から日没を眺めたところで、切り上げて旭川の宿へ東進します。


泊まるのはここ。市街地のビジネスホテルではなく、周りは真っ暗で畑の中にぽつんと建ったピーダッシュガーデンというゲストハウスです。ゲストハウス泊まるのは初めてだなぁ。
ちなみに旭川市でなくて東川町にあります。


4人用の大部屋に通されました。うなぎの寝床みたいなベッドがステキ。他にも家の中を探検しましたが結構面白いところでした。たまにはこういうのもいいね。


夕飯は寿司。
北海道は地元の回転寿司屋が安くて美味いと評判でしたから行ってみたのですが、GWなのでひどい混雑でした。チェックインの時間も迫っているし、持ち帰り寿司にして部屋で食べました。
とても美味しかった・・・。次はちゃんと店で食べたいと思いました。

といったところで2日目は終了。翌日へ続きます。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その15【2017/5/3~7】

2019-02-17 22:46:40 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)14時30分
 北海道三笠市
三笠鉄道村を後にして、次は幾春別に行きましょう。三笠市立博物館に車を停めて、歩いて川を渡ります。この川は幾春別川。なんか濁っているけど、雪解けの時期はこうなるんだったかね?


川岸にはこんな感じのウェスタンリバー鉄道っぽい客車が。鉱山で使っていた人車でしょうね。


今歩いているところは三笠ジオパークというところ。というか、三笠市全体がジオパークに指定されてます。雑かな。
いまいるところは幾春別・奔別地区となっています。かつての三笠市の主要産業だった鉱山関連の史跡が残っているのです。
ちなみにさっきまでいた三笠鉄道村は幌内地区に指定されています。


今歩いている歩道には炭鉱への線路が伸びていました。ここは鉄橋が架かっていた場所で、コンクリートの橋台跡が残っています。
ひとつ上の写真を見ると、線路の築堤が残っているのも分かると思います。


山火事注意の看板。いつ立てられたやつやら。
末尾に書いてある岩見沢林務署という組織は今は無いようですね。


地層が露出したところ。幾春別層という5000万年前の地層です。でも雑草と苔だらけで素人にはよく分からず。
この幾春別層にあった石炭を産出していたのです。


そして着きました、幾春別炭鉱錦立坑櫓。1885(明治18)年開坑、1957(昭和32年)閉坑。
ただし当初は立坑の対岸に坑口を開けてそこから露天掘りしてました。次第にどんどん坑道が深くなっていったので、効率化のために1919(大正8)年に立坑が建造されました。
高さは10m、深さは215m。北海道に現存する立坑では最古のものです。


鉱山系だと前に足尾銅山に行ったことがありましたが、立坑櫓を見たのは初めてですね。
竪坑櫓は要は垂直に掘られた坑の上に建てられた、巨大な巻揚機です。算出された石炭はもちろん、鉱夫も運んでいました。

現在は当時物の鉄骨の柱と滑車が残っています。ただ、ベルトなどの小物類は外されているので、意外と竪坑櫓の動き方が分からん。


竪坑櫓の横にある鉄筋コンクリート造の建物は、巻揚機を動かすための機械室です。外壁はレンガ、内壁はモルタルですかね。


巻揚機の機械そのものは無くなっていたのでやはり動き方が分からず。
完全に廃墟。


もう1軒建物がありましたが、こっちは何の説明もなくて謎。事務所だったんですかねぇ?

これ以上はなにもないので撤収。


もどり道に小さな川が流れてたんで見てみる。
水が白濁してるし、臭いがなんかやばいし、飲んだら具合が悪くなるやつです。なるほど炭鉱なのだ、という感じ。


上流の方を見てみると坑口がありました。錦抗というのだそうな。
今見てきた立坑から伸びる横坑で、現役時にはここからトロッコの線路が延びていて、産出した石炭をここから運び出していました。
今は入口が蓋をされてるんで入れませんよ。


歩道の脇道に露出した石炭。これが黒いダイヤ。
なんでこんな浅いところで石炭が出てくるかと言うと。


地層が垂直に立っているからなのだ!とのこと。
なるほど黒い石炭層が地表から地下にまで分布しているのね、という感じ。


川岸にあった謎建物。倉庫っぽかったです。
これにてジオパークからは撤収。


次に来たのがここ。すぐ近くにある旧住友奔別炭鉱です。1900(明治33)年開坑、1971(昭和46)年閉坑した炭鉱です。
巨大な立坑櫓が目を引きます。この辺りで現存する竪坑櫓では一番大きいです。
この竪坑櫓は1960(昭和35)年に建造、櫓は高さ50m、立坑の深さは750m、内径6.4m、莫大な投資で東洋一という規模でしたが、11年で閉坑に追い込まれてしまいました。南無。

閉山後は廃墟化しつつも建物が現存しています。100年は運用できると言われてたそうなんで、造りがしっかりしてたんでしょう。ただし私有地なので通常は敷地内に入ることはできません。
しかしこの日は大型連休ということで建物に近づくことの出来る催しが行われていま・・・した。受付時間が15時までで、我々がここに着いたのが15時20分。時既にお寿司。
外から建物を見るだけで終わりました。まあ、通常だったらここまで近づくこともできないので、これだけでも収穫です。


もう1棟別の建物があります。あれは、石炭を積載するためのホッパー施設だったと思います。


最後にもう1箇所、旧幌内炭鉱立坑櫓です。高さ40m、深さ1,070mあります。今までで一番深いですな・・・。
ここも私有地なので遠くから眺めるだけです。


ちなみに櫓の手前にはSLの動輪が置いてありました。ボックス動輪で直径もそこそこなので、D51系統の動輪でしょうかね?知らんけど。

では次回から今日の宿泊地旭川市へと向かいますが、道中寄り道しながら行きます。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その77【2016/03/04~10】

2019-02-15 23:42:48 | 海外旅行記
コンベアC-131Fサマリタン(1分ぶり3機目・361機目)
今見たばっか。前回も書きましたがコンベアのCV240旅客機の軍用版です。これも海軍機。
F型はCV340を原型にした44人乗り人員輸送機です。貨物ドアもぶち抜いたので貨物輸送もできます。元は旧名R4Y-1で、命名規則統一時にC-131Fに改名しました。
なんだか鼻が太くでかくなってるんですけど、なんか特別なレーダーを積んでたんでしょうかね?


ダグラスC-133Bカーゴマスター(1956年・362機目)
ターボプロップエンジン4発による大型輸送機です。同様のエンジン方式だと構造も似ているC-130がありますが、あれよりも大きいし、C-130みたいに前線にカチコミに行く輸送機ではないです。胴体が前後に長いんで、弾道ミサイルの運搬に使われてました。B型は胴体延長型なので余計に長く感じるのね。
外版に線がいくつも入っているのでしわかと思ったら、細長い鉄板がいくつも巻かれているのでした。補強ですかね?


ダグラスC-117D/R4D-8(1日ぶり4機目・363機目)
ダグラスの旅客機DC-3の軍用機版・・・というとC-47ですが、C-117というのがいるのね、知らんかった。C-117Dは、打ち捨てられたDC-3を大改造してDC-3S(スーパーDC-3)相当に改造したものだそうな。同じC-117でもA~C型は普通のDC-3が原型になってるのでややこしいぞ。
DC-3Sは1949年に登場したDC-3の近代改修型で、胴体延長、エンジン強化、主翼と尾翼の形状変更(翼端が切断されて角っぽくなった)などがされたんですが、いかんせんこの頃だと軍から放出された中古で買うにはともかく新品で買うにはDC-3は陳腐化していたので、試作機が造られただけで終わりました。普通のDC-3と比べてみてね。
で、これも旧名R4D-8というのがあって、後にC-117Dに改名されてます。


フェアチャイルドC-123Bプロバイダー(1日ぶり2機目・364機目)
フェアチャイルドの輸送機、パケットとかプロバイダーとか、ケータイ屋みたいな名前が多いね。
前線にカチコミに行けるようなタフな輸送機。同様のコンセプトにC-130がありますが、あれよりも小型です。
元々他社で全金製強襲用グライダーとして開発されていたものをフェアチャイルドが買い取って、それにエンジンを付けて輸送機にしたもの。これは前期型のB型なので、追加のジェットエンジンは付いてませぬ。
これは沿岸警備隊の塗装で、現役時は8機が使われていました。主に物流に使われていたそうな。


ダグラスC-124CグローブマスターII(1949年・365機目)
でーかっ・・・。でかい。
朝鮮戦争とベトナム戦争で使われていた大型輸送機ですね。この大きさは、戦車やヘリコプターを直接搬入して空輸できることを求められて設計されたもの。朝鮮戦争で既にこんな巨人機が飛んでいたとは驚き。約450機も生産されてますし、まあデカイは正義のアメリカらしいかな。
C型は、エンジン強化、気象レーダー搭載、除氷装置改良などが施されたマイナーチェンジ版。

なお、グローブマスター2世を名乗るからには初代グローブマスターもいたんですが、これはダグラスC-74というやつです。WWII中に開発が進んでいたんですが初飛行は終戦後で、部隊配備の頃には軍縮により14機しか生産されませんでした。ゆえに知名度はかなり低いです。
ちなみに現代では3代目のC-17グローブマスターIIIが現役をやっています。横田基地にも居るんで日本でもある程度馴染みがあるでしょう。


これの特徴は、機首に観音開き式の貨物扉が付いていること。ここがガバチョと開くとリフトが降りてきて、貨物や戦車や人員を迅速に搬出入できるのです。画期的な方法ではありますが、ドイツの大型輸送機Me323ギガントが元ネタと思われ。

窓が3列並んでるのも面白いもので、なんだか風の谷のナウシカに出てきそうなSFっぽい雰囲気がします。
なお、機内には折りたたみ式の中床兼天井が付いていて、これを展開すると2階建て構造の輸送機になります。そうすると、完全武装の兵員200名を一度に輸送することができたのだそうな。
マンモス機ですなぁ。


ロッキードAP-2Hネプチューン(1945年・366機目)
アメリカ海軍用の対潜哨戒機です。アメリカの他にも輸出されていて、海上自衛隊でも使われていたので馴染みのある人もいるでしょう。



AP-2Hは対地攻撃仕様のガンシップ型で、対潜哨戒機から完全にジョブチェンジしてしまったやつです。
対地レーダー付けたりジェットエンジン載せたり、いろいろ変わっている模様。


B-29の派生型軍団が待ち構えてます。バカみたいな数の4発機が収蔵されているんですが、どれも余裕のある置き方で、撮影時も画角が悪くなければ他の機体の一部が写り込むことはありません。こんなにゆったりと置いているところもそうないですよ。


ボーイングC-97Gストラトフレイター(1日ぶり2機目・367機目)
B-29爆撃機の胴体を上下に2つつなげてた輸送機。断面がだるまみたいになってかなり愉快なことになっています。
C-97は、これを空中給油機に改修したKC-97のほうが有名で、輸送機型のC-97は80機も造られていないマイナー機です。
ただしG型は、このあと見るKC-97G空中給油機から空中給油装置を取り外して純粋な輸送機としたもので、これは135機が改造されました。

この機体はアメリカ空軍で使われていたんですが、国際赤十字に長期リースされていたそうな。尾翼に赤十字のマークが描かれてますし。


ボーイングKC-97Gストラトフレイター(1分ぶり3機目・368機目)
今見たC-97を空中給油機にしたもの。こっちは800機以上が生産される大ヒットになりました。


グラマンS2F-1(S-2)トラッカー(1952年・369機目)
アメリカ海軍の対潜哨戒機です。AP-2Hの母体となったP-2(P2V)は陸上基地からの運用が前提でしたが、S2Fは空母で離着陸できる艦上機なのです。海上自衛隊でも使っていたはず。
空母に載せられるようめちゃくちゃ小さいしコンパクトで窮屈。


グラマンE-1(WF-2)トレーサー(1956年・370機目)
S2Fの派生型で、背中にでかいお椀を載せた早期警戒機です。レドームは楕円形で、これ自体は回転しませんが中にあるレーダー本体はくるくる回るんだそうで。
こんな抵抗の塊みたいなものを背負っているんで、尾翼周りは双垂直尾翼化されたり、主翼は長さが延長されたり、本体にも結構形状変更が加えられています。
機体の大きさがめちゃくちゃ小さかったので運用に無理があったようで、しばらくすると大型化した新型のE-2ホークアイが登場して、E-1は姿を消していきました。

なお、S2Fの派生型としてもうひとつ、艦上輸送機のC-1トレーダーがいて、トラッカー、トレーダー、トレーサーの3姉妹になってます。


ボーイングKB-50Jスーパーフォートレス(1947年・371機目)
B-29の泣き所だったエンジンを換装して、信頼性と出力を向上させた機体。登場は割と遅く、型番で言えばB-36やジェット爆撃機のB-47よりも遅いのです。今更なんでと思うんですが、B-36を補完するための機体として採用されたんじゃないかなと。
なお、WWIIの時は大型機としてブイブイいわせてたB-29(=B-50)は、より大型の爆撃機B-36の登場により中型爆撃機へとランクが下がっています。

が、爆撃機として実戦投入されることは一度もされること無く終わりました。朝鮮戦争時には部隊配備されていていたのでその気になればB-29と共に戦列を張れたはずですが、なぜか温存されていたようです。B-50はB-36とセットで使うつもりだったから?


しかし、爆撃機以外の用途に使うにはまだ余地があったので、その後色々な職種へ転職しました。そのうちのひとつがこの空中給油機KB-50でした。
武装は全て取っ払い、胴体の爆弾倉は燃料タンクにしました。さらにJ型は、高速のジェット戦闘機との速度差を埋めるためにジェットエンジンを主翼に追加しています。

KB-50は空軍の空中給油機としては珍しくフライングブーム式ではなくプローブ&ドローグ式を採用しています。なんでだかはよく知りませんが、KC-97みたいにフライングブーム式にする構造的余裕がなかったのか、KC-97との棲み分けなのか・・・?
胴体尾部と左右の主翼端の計3箇所にあります。ジェットエンジンの外側にある燃料タンクみたいなものが燃料ホースみたいなドローグが展開されるやつです。

ガバメントエアクラフトN22Sノマド(1971年・371機目)
全く知りもしなかった飛行機。政府航空機とかすごい名前の会社っすね。オーストラリアの国策企業でしょうね。
ターボプロップ双発の軽輸送機として開発されたそうな。基本的に軍用ですが、民間用にも販売されていました。輸出も視野に入れていて、オセアニアや東南アジアでも採用実績があります。

N22Sは海上監視用の機体で、機首の下に黒いレドームが追加されています。で、これのレジはアメリカ国籍のNナンバーでして、どうもアメリカの税関が購入したもののようです。この程度の大きさなら自国の機体がいくらでもありそうなものですが、入札の関係ですかね?


フェアリーAEW.3ガネット(1949年・372機目)
「世界で最も醜い飛行機」として太陽系にその名を轟かせる英国面を代表するの飛行機のひとつ。いやはや、ここでこれを見れるとは、恐れ入った。
英国海軍の艦上哨戒/攻撃機ですが、このAEW.3は早期警戒型。
製造元のフェアリーといえば「買い物かご」の称号で太陽系にその名を轟かせたソードフィッシュを拵えたところです。

縦長のデブな胴体から逆ガル翼を生やし、二重反転プロペラは双発のターボプロップエンジンでぶんまわし、機体には3名が搭乗する、とにかくアクとクセの強い飛行機。部品単位では理にかなった設計をしているのに、そのまとめ方が下手くそで、お世辞にも美しいとはいえんでしょ、という形で見たものに強烈な印象を残します。


正面から。うーんなんだこの。
早期警戒型は、胴体下面にレーダーを追加しています。なのでお腹が出てしまいまして、醜さに拍車をかけてますね、はい。


ターボプロップエンジン双発なんですが、一見そうには見えないものです。
小型のターボプロップエンジンの恩恵なのか、機首からコックピットまでの距離がかなり短いのは利点ですね。ただあのキャノピーはクソ狭いだろと。
ちなみにこれは3人乗りなのですが、残り2名は胴体内にぶち込まれます。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その76【2016/03/04~10】

2019-02-13 23:31:20 | 海外旅行記
セスナ モデル120(1946年・346機目)
説明不要のセスナの軽飛行機、モデル172っぽいですが、実は車輪が尾輪式になっているのが識別点。
1945年初飛行のモデル140の廉価版で、フラップ、D形の客室窓、前照灯等が省略されています。


ロッキードL-049コンステレーション(1943年・347機目)
コニーのあだ名のほうが有名かもしれない、ロッキードのレシプロ4発旅客機。ロッキード製旅客機の代表作です。この時期としては大型機で、予圧キャビンに北米大陸無着陸横断能力を持ちます。
開発は飛行機大好き大富豪のハワード・ヒューズの指揮により、自分の持つ航空会社のトランスワールド航空向けに1939年から行われました。その年に世界は第二次世界大戦に突入していくんですが、その後も開発は続けられていたようで、1943年に初飛行します。ただしその時はアメリカも戦時中なので、量産型は戦後まで待つことになりました。
生産数は派生形や軍用機を合わせて約850機。大陸横断路線はもちろん、大西洋・太平洋横断路線にも使用されて、縦横無尽の活躍をしました。

細長い機首と3枚の垂直尾翼が特徴的で、これが美しく見えることから航続距離延長型のスーパーコニーともども、保存機がそこそこ残っているようです。
これの塗装は、ローンチカスタマー(?)のトランスワールド航空のもの。


エアフォースワン的な塗装の飛行機がいます。


ロッキードVC-140Bジェットスター(1957年・348機目)
LCC的な名前の飛行機ですが、当然ロッキードのほうが先。ロッキードのビジネスジェット機L-349の軍用版。エアフォースワン的な塗装なので、アメリカ大統領などのVIP輸送に使われる機体です。
乗客10名乗りの小型ジェット機なんですが、エンジンが4発ついてる変わった機体。


ロッキードC-141Bスターリフター(1日ぶり2機目・349機目)
ロッキードの軍用輸送機です。4発ジェット輸送機はこれが初めてだったかな。
細長い胴体が特徴なのですが容積不足で使い勝手が悪く、積載重量より先に積載容積がいっぱいになってしまい、十分な量を積めないのでした。
そこで、主翼の前後で胴体を合計7.11m(23ft)延長する大改造を実施して容積不足を解決しました。これによりただでさえ長い胴体がさらに長くなることに。さらに空中給油能力も付与されました。この改造を受けた機体はB型のサブタイプが与えられています。


ダグラスC-54Dスカイマスター(1日ぶり2機目・350機目)
ダグラスのレシプロ4発旅客機DC-4の軍用機版です。これも当時の大型旅客機で、大西洋横断と太平洋横断を行った最初の機体です。D型は量産型のA型からエンジン換装をしたやつです。

機首に書かれているMATS(1948~1966年)というのは、Military Air Transport Service; 軍事航空輸送部隊のことで、WWII中に航空輸送司令部(Air Transport Command; ATC)が構築した世界中に広がる米軍の航空輸送網を使って色んな所に物資を運んでいた部隊。
有名な話としては、WWII後に東西分割割譲されていたドイツ ベルリン市の西ベルリンがソ連によって陸路と海路が封鎖された時に空輸のみで西ベルリンの物資を賄った「ベルリン大空輸作戦(糧食作戦)」での実行部隊だったこと。その時の主力機がC-54でした。
ちなみにその作戦の立案と指揮をしたのがあのカーチス・ルメイ大将というのはなんともはや。ルメイも有能っちゃ有能なのよね、と思わせる話です。


グラマンF7F-3タイガーキャット(2日ぶり2機目・351機目)
グラマンの地味な猫シリーズのひとつ。虎猫。アメリカ海軍/海兵隊の機体です。
エンジンを2発付けて戦闘機、爆撃機、雷撃機のどれにも使える多用途機を作れば最強じゃね?みたいな感じで開発されました。戦間期に流行ったBf110や月光に屠龍みたいな双発戦闘機ですね。ですが、エンジンを倍にした割には戦闘機としてはたいした性能ではなく、夜間戦闘機とか高速偵察機とか別の任務を与えてお茶を濁すことになったのがほとんどです。
F7Fもそういう結末を辿ったんですが、これの初飛行は双発戦闘機はオワコンということは十分分かっていたはずの1943年で、なんでまた・・・という印象は拭えないです。実際、こんなの生産してるならF6FやTBFを造ってろと、F7Fの生産は後回しにされてしまい、250機というハナクソみたいな数しか造られませんでした。

そういう地味で球数も少ない戦闘機ですので、現存機も少数になります。しかもこれ、貴重な純粋な戦闘機型の3型です。現存機の大半は偵察型の3P型か、レーダーを追加した夜間戦闘型の3N型なのです。


ダグラスB-26K/A-26Kカウンターインベーダー(1日ぶり2機目・352機目)
機首に12.7mm機銃を8門も備えているので「おいおい人でも殺す気か?」と思わせるおっかない機体。WWII世代の機体ながらその後の朝鮮戦争とベトナム戦争も戦ったクソ長寿なヤツです。
元々はA-26インベーダーという攻撃機を示すAナンバーの機体でした。が、WWII後に空軍が独立すると「攻撃機なんて機体はウチにはいない、いいね?」と言わんばかりに攻撃機から爆撃機にジョブチェンジ。型番も爆撃機のBナンバーになります。
朝鮮戦争後に一度退役したんですが、ベトナム戦争が始まると手頃な地上攻撃機が無いことに気づいた空軍が、砂漠でモスボール化されて寝ていたB-26を叩き起こして再就役させます。
その際にエンジン交換、主翼構造強化、翼下ハードポイント追加、電子装備搭載と、まるでサイボーグみたいな大改造を受けて前線に向かいました。それのサブタイプがK型で、型番も再度攻撃機のAナンバーに戻されました。
ついでに名前もインベーダー(侵略者)からカウンターインベーダー(侵略を阻む者)に180度意味を変えました。サイボーグ化された時に改心でもしたんでしょうか。


フェアチャイルドC-82Aパケット(1944年・353機目)
地上から直接大型車両を搬出入できるような輸送機を造って、とアメリカ陸軍から言われて開発した輸送機です。WWII中に初飛行していますが、量産に入ったのは戦後です。
後に開発されるC-119やC-123のご先祖です。

時間がなかったので後ろからの写真は無いんですが、胴体後部はツインブーム式で、その先に尾翼が生えているというもの。胴体後部には観音開き式の貨物扉がガバチョと開くようになっています。胴体の床面が低くて地面から近いので、特別な器具を使わずとも車両を出し入れできる点が画期的。
これは前回のRBコネストガが元祖だと私は思ってますが、あれは影が薄いので巷ではC-82が元祖といわれてます。


正面から見ると潔い四角四面の断面型。四角いのは円形よりも抵抗が多いので、それよりも輸送効率重視ということでしょうね。
胴体とエンジンの間の主翼が下反角なのにも注目。下反角付けてやらないと、脚が長くなりすぎて強度面で不安があったんですかねぇ。


ロッキード・ベガPV-2ハープーン(1943年・354機目)
知らん機体。アメリカ海軍の哨戒機だそうな。見つけた潜水艦や船は、機体内爆弾倉に装備した爆弾や魚雷で撃沈することも出来るのだ。


上からジェットエンジンの音が聞こえたかと思ったら、デイビスモンサン基地の方角から何か離陸上昇していくのが見えました。ロッテを組んだF-16でした。その後も時折飛んでいるのが確認できました。


ロッキードC-130Aハーキュリーズ(1954年・355機目)
バッドやフェアチャイルドが色々こねくり回した末の軍用輸送機の完成形と言える機体です。搬出入の容易な合理的な構造の他に、未舗装の滑走路でも運用できる頑丈な造りと汎用性が好評で、2,000機を超える大量の機体が世界各国で購入されました。現代ではさすがに積載能力や速度で新機種と比較して見劣りするようですが、今も生産されている長生きなやつです。

A型は最初の量産型です。プロペラが3枚なのが特徴なんですが、これは後に改良されたのか4枚翅になってます。


グラマンHU-16Aアルバトロス(1日ぶり3機目・356機目)
不時着水したパイロットなんかを救助するための救難飛行艇。
もう何度か見てるんで、これ以上書くことないでしょ(手抜き)


ライアンAQM-34Lファイヤビー
遠隔操作式の無人標的機ファイヤビーの偵察機版だそうな。
ミサイルっぽい見た目ですがジェットエンジンを積んでます。なのでドローンに近いんですかね。


ロッキードC-130Dハーキュリーズ(1分ぶり2機目・357機目)
今見たばかりのA型の寒冷地仕様です。C-130は北極や南極でも運用できるタフさが売りとよく説明されるんですが、その実例がこのD型です。
新しくサブタイプを降られていますが、雪氷原でも離着陸できるように脚にスキー板を装着しているくらいしか違いはないです。飛行機にスキー板というのは冗談みたいですが、割と昔から採用されている実績ある方式です。ただしこんなデカイ飛行機に付けた例は今まで無かったようです。
新規製造は無くて、12機すべてがA型からの改造です。このD型はA型の特徴の3枚翅のプロペラを持っているので、A型の名残を強く感じます。


主脚のスキー板。雪のない普通の滑走路でも離着陸できるように、ホイールの部分は板が貫通しています。
スキー板を履いているので飛行中脚を胴体に仕舞うことはできず、常に出しっぱなしです。なので脚カバーにも独特の覆いが追加されています。


ビーチUC-45Jエクスペディター(3時間ぶり4機目・358機目)
ビーチクラフトの代表作モデル18の軍用機版です。館内でも見たけど、案外どこにでも保存されてるのね。
J型は海軍版のSNB-5の、命名規則統一後の型番です。


コンベアT-29Bフライングクラスルーム(1日ぶり2機目・359機目)
空飛ぶ教室というのは日本語で書くとちょっとアレだなぁという名前。コンベアCV240旅客機の海軍版。同じ派生形の空軍C-131を昨日見ています。
これは航法士とレーダー士の練習機でした。胴体下部にでかいレドームが付いています。1機の飛行で航法士は10人、レーダー士は4人の教育を行えたとかで。


ノースアメリカンT-39Aセイバーライナー(1日ぶり2機目・360機目)
ノースアメリカン製の練習機で、同社製のF-86セイバーの主翼や尾翼に形が似てるのでセイバーライナー。後に民間のビジネスジェットとしても販売されます。
客室窓がおむすび型をしているんですねぇ。コメット空中分解事故の教訓を活かした角の丸い形状の窓、ということでしょう。

今日はここまで。



【1/144】ZGMF-1017 ジンD装備【ギャラリー】

2019-02-10 21:53:19 | 模型ギャラリー

キット:バンダイ HGモビルジン ミゲル機
仕 様:D装備
[製作記]

夏休み時期に行われるガンプラを買うとおまけの武器がもらえるキャンペーンがあります。
その中にジンのミサイルランチャーを模した武器があったのでそれを使って、前からやってみたかったD装備のジンを作りました。



正面。
実はミサイルの大きさが設定画や劇中のものより小さいのです。なのでまあ、迫力は少し欠けます。ですが独特の形態を味わうには十分です。



横。



背面。
戦闘機に使われるような灰色で塗装したので渋めに仕上がっていると思います。



意外とポーズの幅が狭かったです。











ミサイル打ち切ったら丸腰というのもアレなんで、マシンガンも装備してあげました。







以上、ジンD装備でした。

【HG】モビルジンD装備 製作【バンダイ】

2019-02-09 22:18:30 | ガンプラ(アナザー)製作記

ガンダムSEEDに出てくるジンを作りました。ジン系統は派生形を入れるとこれで5体目の製作になり、結構たくさんこしらえてきたのね...と。
もうこれ以上はいいでしょ、ってなりますが、前から温めていたD装備をやってみたかったのです。
なお、キットはオレンジのミゲル機を使っていますが、色は塗り替えて量産型の灰色に塗ります。量産型のキットは一般流通では見かけず、駿河屋でもプレミアが付いていたのですね。



D装備は大型ミサイルランチャーを両腕に持った装備です。しかしジンのキットには付いていません。
昔はBクラブからレジンキットが発売されていたのですが、値段が高いので買えませんでした。今は普通に絶版なので手に入れるのも難しいと思います。
で、今回使ったのは、2014年夏に行った販促キャンペーンでついてくるおまけ。ガンプラを買うとおまけで武器が1つもらえるというやつでした。この年のおまけ武器は、どれもガンダムの劇中に出てきた武器をモチーフにしたやつなので、どこか見覚えのあるものばかりでした。そのうちのひとつがミサイルランチャーでした。どうみてもジンのD装備のアレなのです。
ただし、おまけには片腕分のランチャーしか付いていなかったので、ガンプラ2つ分購入する必要がありました。
2014年のキャンペーン時に予め買って取っておいたのですが、今までずっと寝かしていたわけです。



ジン本体はいつも通り素組しますが、塗装しやすいよう後ハメ加工だけしてやります。
胸と腹の部品ははめ殺しなので、胸の部分の孔の下半分を切り取ってしまいます。



あとは肩の装甲も後ハメなので、これもはめ殺しになる部分の孔の壁を半分より少し足りないくらい切り取ってしまいます。

ジンは塗装派にやさしいキットで、後ハメはこれだけ。楽ちんな方。



前掛けも左右を繋いでいる軸を真ん中で切って、左右で独立可動できるようにしておきます。



ミサイルランチャーの方ですが、なんと左腕で持つようには対応していないのでした・・・。左腕用に改造してやらないといけません。

ちなみにこのミサイルランチャーは、劇中の大きさよりもだいぶ小ぶりにできています。ちょっと迫力に欠けます。



これが原型。



まずランチャーとミサイルに付いているボスを取ります。



次にグリップの向きを左右逆にします。
あとはミサイルとグリップを接着して完了。少々強引ですが、これでできました。



ミサイルのノズルは板でふさがってるだけでだいぶ味気なかったので、開口して別の部品を付けます。



開口した部品。板の裏に合わせのボスと孔もあってそれも削らないとならないとあって、意外と面倒でした。



スラスターノズルはコトブキヤの市販パーツを使いました。
で、加工後の写真を撮ってなかった・・・。



で、塗装しました。ジン本体にはマスキングしなくてよいのでめちゃ楽。ミサイルの方は3色いるのでマスキングがいりました。



デカール貼ってトップコートして完成しました。
長年寝かしておいたものがようやく作れました。満足。やっぱかっこいいのよね。



一応マシンガンも作りました。普段飾る時は腰に付けてます。

<使用塗料>
本体灰色:Mr.カラー C305グレーFS36118
本体白色:Mr.カラー C338ライトグレーFS36495
とさか:Mr.カラー GX1クールホワイト
オレンジ部:水性カラー H14オレンジ
関節:水性カラー H32ダークグレー
武器:水性カラー H68 RLM74グレーグリーン


完成品はギャラリーにて。

北方project ~Welcome to Hokkaido. その14【2017/5/3~7】

2019-02-07 23:46:04 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)13時43分
 北海道三笠市 クロフォード公園
三笠鉄道記念館から移動してクロフォード公園に来ました。記念館から車で数分。旧幌内線の廃線跡沿いを歩いていくこともできます。
クロフォード公園と名前だけは普通の公園っぽいですが、三笠鉄道村の施設のひとつできちんとした鉄道博物館です。クロフォードというのは、幌内鉄道建設に携わった鉄道技師のジョセフ・U・クロフォードから。

この建物は旧三笠駅の旧名の旧幌内太駅時代の駅舎を再現したもの。移築じゃなくて新築だそうだ。


室内は売店になってました。昔の土産屋という感じでグッド。


これがクロフォードさん。氏はアメリカ人です。なるほど北海道の鉄道はアメリカ系の技術が投入されたのだなと分かる人物です。


駅舎を抜けるとプラットホームに出て、そこにも保存車両が展示されています。
このホームと跨線橋は当時から残るものだそうな。


跨線橋から線路を眺めるおなじみの構図。普通に駅ですね。北海道やはり土地が広いのか、土地の使い方がアメリカっぽい。


跨線橋は1901(明治34)年築ですが、改築を重ねているので当時そのままというわけではないですね。


ホームにはDD51形548号機の貨物列車がいます。非常に実感的。


貨車2両と車掌車1両が連結されています。
これはホキ2200形ホキ2341。小麦やとうもろこしなどの穀物を運ぶためのグレインホッパーです。


ホキ700形ホキ746。
線路のバラスト散布用のホッパ車で、事実上事業用車輌です。これの改良型がホキ800形で、一部のJRや私鉄で今も現役を続けています。


車掌車のヨ8000形ヨ8006。
短距離乗務だったからこの広さで済んでたのかも分かりませんが、北米のカブースと比べると日本の車掌車は居住性が悪いねぇ、と。

そしてホームより先にいるアイツです。


いた!ようやくその姿を拝むことができた!

クロフォード公園の目玉は、6両編成で保存されているキハ82系気動車。編成単位で静態保存されている鉄道車両は日本ではそうそう見当たらず、極めて貴重な例です。EMU/DMU方式の列車が極めて普及している日本だからこそこの方式には大きい意義があると思うんですが、ほとんどは先頭車1両だけの保存例です。まあ土地の問題とか文化的事情とか、チーム事情もありましょう。


このキハ82系には特別な思い入れがあります。7年前の2010年に訪れた際は再塗装中のため車体の周りに足場が組まれてしまい、何も見られなかったのです。北海道まで来てこんなことありますか...と当時はえらくショックでした。
以来ここの再履修の機会を伺っていましたが、今まで中々そういう機会も無く・・・。そうしているうちに月日ばかり経ってしまい、そして2017年ついに再履修を果たしたのです!
今回の三笠鉄道村での最大の目的はこのキハ82系なのでした。7年越しのこの光景は感激しますね。


しかし7年というのは時間がかかりすぎた・・・。さすがに塗装がくたびれてサビが垂れていました。近い内にまた再塗装をするかもしれませぬ。


中間車のキハ80-100。中間車が保存されるってことがもうすごいぞ。


ここに保存されている6両編成、ただの6両ではなくて食堂車キシ80-27とグリーン車キロ80-52も保存されている点も特筆されます。
本当素晴らしいことをしたと思います。


グリーン車。
その先は中間車と先頭車です。編成はキハ82+キハ80+キシ80+キロ80+キハ80+キハ82という具合です。


車両が置かれているところも、旧幌内線の本線のような具合に線路が敷かれています。カーブを描いているのが良く、まるで本線を走る編成写真のようなものが撮影できます。


三笠鉄道記念館とクロフォード公園、どちらも極上の保存車両が揃っているので、一見の価値はありますぜ。

三笠鉄道村からはこれにて撤退。次の場所へ向かいます。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その13【2017/5/3~7】

2019-02-06 22:00:27 | 旅行・イベント記
三笠鉄道記念館の目玉となるのが、蒸気機関車の動態保存とそれの遊覧運行です。
記念館の敷地となった旧幌内駅構内から旧幌内線の本線の一部までの約400mを往復します。
これも前回来た時は平日だったのでSLは車庫で休んでいて乗れずじまい見れずじまいでした。再履修科目の内の第2目標です(第1目標は次回)


蒸気機関車はS-304という機体。日本車輌製の0-6-0T配置の機関車です。室蘭市の鐵原コークスの専用線で入換に使われていた産業用蒸気機関車です。産業用機関車とはなかなかマニアックなものを持っています。
国鉄から蒸気機関車が完全に消え去った後も働いていた、日本で最後まで現役をやっていた蒸気機関車です。


産業用蒸気機関車なのですが、だいぶ垢抜けた姿をしています。1939年製ということですが、その頃だとC12形が量産されている時期なので、そこら辺の設計が取り込まれてるんだと思います。なんとなくC11やC12に似てますし。


社紋、ナンバープレート、性能諸元。


水槽にデカデカと書かれたテツゲンの文字。社名を大きく書くのは日本では珍しいですね。アメリカやイギリスだとよく見るんですけどね。


うーむ、そそりますね。


乗車料金を支払っていざ乗車。
乗客が乗るのは、無蓋車を改造したトロッコ客車。ロングシートのベンチがあるだけです。
乗り心地なんて知らぬ存ぜぬの貨車ですから、線路からの揺れや振動が直に伝わってくるのが新鮮です。貨車の車輪は2軸なので、二軸客車の乗り心地はこんな感じなのかなぁと想像しながら乗ってきました。


乗車したあとは、他の静態保存車を見聞しながら、SLの走る時刻を見計らって今度は撮影に興じます。
最大で20~30km/hは出してるんじゃないかという速度なので、意外に迫力があります。
貨車を牽いているので様になっていますね~。


やはり見物客が多いし子供に大人気。


一本の線路を往復するだけなので、復路は推進運転で乗り場まで戻ってきます。煙の流れに注目。


今度は反対側からローアングルで。


ス ク ー コ は 房 暖
S-304名物の謳い文句。逆から書かれているのがミソ。
産業用蒸気機関車特有の前輪も従輪もないややアンバランスな外観がよきかな。牽引力を上げるために軸重を下げる前輪と従輪は持っていないのですね。


これを見終えたところで次のクロフォード公園に移動します。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その12【2017/5/3~7】

2019-02-05 23:49:08 | 旅行・イベント記
三笠鉄道記念館の続きです。
記念館の本館にも機関車が4機保存されています。ここ、毎日見られるわけでは無いようで、前回2010年に来た時は閉まっていて見れませんでした。ここの機関車も再履修科目だったのです。


DD13形353号機
日本のディーゼル機関車初期の中型入換用機関車です。ここに来れば、DD13、DD51、DE10、DD16と、国鉄の基本的なディーゼル機関車を一度に見ることが出来るので、なかなかこういうところは無いぞと。


運転室の中にも入れます。
運転台が前後ではなく左右についている、つまり枕木方向ではなくてレール方向に平行にあるのが特徴。前進と後進を頻繁に繰り返す入換用機関車なので、前後の運転台を行き来しなくてもいいようにこういう配置になっているのです。


ED76形505号機
函館本線電化時に投入された旅客用電気機関車。


これも運転室に入れます。
注目は車両中央にある機械室で、機械類が残されたまま保存されています。往々にして機械類は外されることもあるので、貴重な例でしょう。


ED76の運転台はこんな感じ。


9600形59609号機
8620形と並んで、外国機のコピー国産から脱却した初めての純国産蒸気機関車です。大正時代に設計された古典SLなんですが、妙に垢抜けた姿なんでそんなに古ぼけて見えないです。
9600とかいう半端な数字を付けておきながら800機弱も造ったもんで機番がしっちゃかめっちゃかしてしまった機関車。それでも8620形に比べるとまだましな方。ちなみにこれは510機目の機体です。


C12形2号機
ローカル線用のタンク式蒸気機関車です。1号機は現存しないのでこの2号機が一番若番号ということになります。


園内の保存車は一通り回ったんですが、そういえば炭鉱用の細長い電気機関車がいない・・・と思ってあたりを歩いていると、道路の反対側の駐車場の奥にいました。いつの間にかこちらへ移動されてきたようです。


キシ80形食堂車の横に連結されていたスハ42系もこっちに移動していました。キシ80で調理した料理をここで食べていたんでしょうけど、どういうわけか切り離されてしまいましたね。


キシ80を挟んで反対側に連結されていたスハ42系。キシ80と同じ一般気動車色に塗られてます。隣のスハ42とは塗り分けが違うのだ。


キロ26形キロ26-104
キハ56系のグリーン車。急行形気動車なのに以前は国鉄特急色に塗られていましたが、再塗装時に正しい色に直されたんですね。


鉱山用電気機関車。トロッコも一緒に連結されています。


とにかく幅が細いのがかわいい。
太平洋炭礦で使われていたそうな。


これはなんでしょうねぇ。蓄電池機関車っぽいです。火気厳禁な区画もある鉱山の坑内線路ではこういう蓄電池が最適な動力源でした。
後ろに連結されているのは鉱夫を運ぶための簡易的な客車でしょう。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その75【2016/03/04~10】

2019-02-03 20:45:25 | 海外旅行記
ピマ航空宇宙博物館怒涛の屋外展示編。後何回で終わるのか見当がつかん。
今回は比較的どうでもいい機体が続くので軽く流していきましょう。でないと終わらない。


グラマンF9F-4パンサー(2日ぶり2機目・326機目)
前回見たF9F-8(F-9J)クーガーの改良前のやつです。パンサーは主翼が直線翼になっているのです。対して改良型のクーガーは速度向上を狙って後退翼になっています。空軍のF-84みたいなもんです。
海軍のジェット艦上戦闘機の初期の機体で、朝鮮戦争時の機体です。4型は尾部と胴体が大型化したもの。


マクドネルF-101Bブードゥー(1日ぶり2機目・327機目)
クルセイダー(十字軍)と並んでその名前はどうだろう...、と思わせる戦闘機。
B型は複座の迎撃機です。防空用の迎撃機はF-102およびF-106がすでにいるんですが、あれこれ理由をつけて運用しています。空軍が予算獲得のために採用したんじゃねーのという気がしないでもなく。

ちなみにF-101のT字尾翼は最悪で、飛行中迎え角を取るとつられて急激なピッチアップを起こして次いで失速するという欠陥を持っていました。それの対策は「機動せずにまっすぐ飛べ」というものでした。一応戦闘機なんだけど・・・。
そういう事情もあって、F-101はまっすぐ飛んでりゃいい迎撃機と偵察機にしか使えなかった説あり。そこまでして使うことないでしょって感じですが、きっと空軍も予算が欲しかったんでしょう。


ブッシュビーMM IIミジェットマスタング(328機目)
軽飛行機メーカーのパイパーの技師が個人で1948年に発表した飛行機でしたが、反応が悪く、終わってしまいました。
が、ロバート・ブッシュビーが1959年にこの飛行機の製造権を買い取り、開発を続行。1965年に販売を開始しました。現在までに400機以上が生産されたそうな。

マスタングっていうのはP-51を意識しているんですかねぇ。言われればそれっぽく見えるとは思います。


グラマンOV-1Cモホーク(2日ぶり2機目・329機目)
アメリカ陸軍が運用していた観測機です。陸軍というところがミソで、陸軍機としては珍しい固定翼機です。1959年初飛行ですから、この頃はまだ固定翼機の運用がギリ出来ていた時期だったと思います。
現場の地上部隊を管制するような役割を主に求められていました(直接協同と言うそうな)。なので前線での運用に耐えられる設計がされていて、不整地滑走路での離着陸が出来るのは当たり前。エンジンが片方やられても急激に姿勢を崩さない生存性の高さなどが挙げられます。
他に近接航空支援(CAS)を含めたCOIN機としても使っていたようですが、人の仕事を分捕るなと空軍から横槍が入ったのでこの運用はされなくなってしまいました。とか言いつつ空軍はCAS機を持たずに地上支援する気なんてサラサラ無いですから、厄介です。仕事を取るな、と言うより予算を取るな、といったほうが正確でしょう。


バッドRB-1コネストガ(1943年・330機目)
見学時は欠損部品の多いブサイクな輸送機だと思って軽くスルーしてしまいましたが、帰ってから調べてみるやとても面白い機体だと分かりました。間違いなくこれは珍品です。

製造メーカーがバッド(Budd)というところから興味深いです。バッドは鉄道オタクならご存知でしょう、ステンレス車両の製造メーカーとして名を馳せたあのバッド社です。この会社、飛行機も造っていたんですよ。

普段飛行機を造らないような会社が飛行機を造るというのは第二次世界大戦中のアメリカではそこかしこで見られたものです。例えば自動車メーカー フォードのB-24爆撃機、同じく自動車メーカーのGMのF4F戦闘機やTBF雷撃機、変わったところではタイヤメーカーのグッドイヤーのF4U戦闘機等々・・・。
飛行機に限らなければ、戦車や野砲なんかは自動車メーカーはもちろん、鉄道工場なんかでもバカスカ造ってました。
ただし、上記のような異業種が兵器生産をしたというのは、他社製品のライセンス生産である場合がほとんどです。その点で、バッドが飛行機を独自開発したというのは珍しいでしょう(ただし機体設計は外部が関与してると思われ)

なんでバッドが飛行機開発したのかというと、バッドがステンレス鋼の加工に自信ニキだったからです。
・・・・・・そうです、この飛行機は銀ピカですが、素材はアルミ合金とかジュラルミンとかではなく、ステンレス鋼なのです。オールステンレス飛行機というのは前代未聞でしょう。
この輸送機の開発はアメリカが日本に横っ面を引っ叩かれてWWIIに本格的に参戦した直後辺りに始まりました。当初アメリカ軍は、戦争が進むに連れて飛行機の素材であるアルミ合金が不足するだろう、という予想を立てていました。
そこで、輸送機や練習機という後方で使われるような、アルミ合金による軽量化の恩恵を受ける必要が比較的無い機種に関しては、アルミ合金以外の素材で飛行機を作ってみようという話が進んでいきました。日本やドイツが大戦末期に資材不足に悩んだ末に木製戦闘機を造ったように大半は木製で開発するつもりだったそうですが、バッドだけは自慢のステンレス鋼を用いて海軍向けにステンレス輸送機が開発することになりました。


開発は順調に進んだようです。機体は骨格となるフレームの上にステンレスの板をスポット溶接したもので、ステンレス客車での技術が活かされていました。なので胴体がしわしわになっているのに注目してください。モノコック構造と違って外板が強度を負担していないのです。
その後試作機17機が海軍に納品されました。そして海軍はRBの名前で200機、さらに陸軍からもC-93の名前で600機の発注を得ました。こうしてRB/C-93は資源不足を救う輸送機として名を・・・轟かせられませんでした。

まず、予想されていたアルミ合金の不足が起きなかったこと。もうこれだけでRBの存在意義はほとんど失ったようなものです。ステンレス鋼はアルミ合金よりも重く、軽さが命の飛行機の素材としては適してないので、使わないんだったらそれに越したことはありません。
次に、生産コストが意外と高かったこと。コスト高騰の詳しい理由は分からないので推測になりますが、ステンレス鋼は曲げ加工がムズいんで、曲面だらけのRBでは生産に時間がかかったこと。あとはバッド自体が飛行機の製造に不慣れだったこと、ですかね?
結局、試作機17機が造られただけで開発中止となってしまいました。南無。

残念な結果になりましたが、実はRBは機体構造が当時としては実に先進的です。太い胴体、主翼を高翼配置、車輪は前輪式、胴体後部にカーゴランプを配置、コックピットは一段高いところに置いてその分荷室をできるだけ前方まで広く配置・・・と、C-130から始まる軍用輸送機の基本構造をほぼ抑えているのです。
現代の軍用輸送機の基本構造のルーツはC-130ですが、それより何十年も前にRBがやっていたというのは特筆すべきことでしょう。ただ、RBが制式採用されずに消えていったドマイナー機になってしまったからか、RBの後に続く構造の輸送機が現れなかったのは惜しいことです。


・・・というような感じで、流し見しただけなのをとても悔しく思っている飛行機です。再履修したら舐めるように見てやる。
なお現存機はこれだけで、大変貴重です。不採用機がよくもまあ残っていたものだこと。
欠損部品が多く、ほとんど胴体だけの姿ですが、ステンレス製という特殊性が災いしているのか、復元は進んでいないようです。


パイパーU-11Aアズテック(1952年・331機目)
アメリカ海軍の連絡機です。旧名はUO-1。パイパーの民間用軽飛行機PA-23を流用したものです。
パイパーでは初めての双発機で、4人乗りの前期型と6人乗りの後期型があります。名前も違っていて、前期型はアパッチ、後期型がアズテックです。
海軍では基地間の連絡の他に、デスクワークの多いパイロットが技能維持のために飛ばしていたようです。技能維持というよりも、確かパイロットには年間飛行時間が決まっていて最低でもその時間以上飛んでいないといけなかったはずなので、それの消化でしょう。


セスナU-3Aブルーカヌー(1953年・332機目)
これもセスナの民間機モデル310を空軍が軍用に転用したもの。やはり連絡機として使ってました。


ノースロップYC-125Aレイダー(1949年・333機目)
ノースロップ、輸送機もやってたのか。3発エンジンって戦前かいな、という感じですが1949年初飛行です。これは短距離離着陸機が目的だったようです。襲撃者(Raider)という名前から、前線で使うように造られてそうです。
もともと民間用でして、これで一山当てようと思ってましたが、戦後間もない頃だと大量のC-47輸送機が格安で民間に放出されてた時期でして、誰も買う人なんていないのでした。
一応、空軍が興味を持ってくれましたがそれでも試作程度に20機造っただけで終わってしまいました。ノースロップくん、ここでも当たりを引けず・・・。
それでも飛行学校の教材になったり中南米の航空会社に売却されたりして、現在は2機が現存しています。

これもRB同様の構造でいい線いってたんですが、やはり誰からも覚えてもらえなかったので後に続くものがいなかったという。
あと脚の構造がすごいな、と。着地したとき折れそうだぞ。


マーティン モデル404 スカイライナー(334機目)
空港アクセス特急みたいな名前ですが・・・当然飛行機のほうが先。
マーティンの旅客機です。モデル202の改良型で、予圧客室を採用して快適性が上がりました。100機程度造られて、イースタン航空とトランスワールド航空に大半が引き渡されたそうな。
この塗装は個人が持ってた払下げの機体の塗装っぽいです。


エルコ415Cエルクーペ(1937年・335機目)
現代の軽飛行機のような姿ですが戦前に設計された古い飛行機です。前輪式、低翼、全金モノコック構造と、当時としては先進的な構造を持っていました。それでも双尾翼なところは戦前らしいかな。
あとは、機体にラダーはあるもののコックピットにはラダーペダルが付いていない変わった設計です。ラダー操作はエルロン操作と連動して行うんだそうな。
しかし、直後に第二次世界大戦が始まり販売しているような状況ではありませんでした。
販売再開は大戦終結後の1946年から。その年だけで4,300機以上を生産しました。軍から放出された軽飛行機が強力なライバルとなる中でこの数は、機体の性能は結構良かったということでしょうか?
エルコは1950年に生産を中止しますが、製造権を他社に売却して1970年代まで生産は続けられてたようです。


セスナ モデル150L(1957年・336機目)
説明不要のセスナの軽飛行機。なので説明しません(手抜き)
ただし、いわゆる「セスナ」と呼ばれているモデル172は4人乗りなのに対して、モデル150は2人乗りで一回り胴体が小さいのです。


ベイドBD-4(1968年・337機目)
普通の軽飛行機という感じですが、世界初のホームビルド機という肩書を持っています。
初めての飛行機キットということで造りやすさははじめから考えられていて、胴体は直線と平面で構成されています。唯一曲面の部材であるエンジンカウリングとタイヤのスリッパは炭素繊維製の部品で成形されています。主要部品はボルトで締結するだけという組み立てやすさも特徴。組み立ても一部選択式になっていて、車輪を前輪式/尾輪式、胴体を2人乗り/4人乗りで選択できました。初のキットながら完成度は高かったと思います。
数千機分のキットが販売され、そのうち数百機が完成したと言われています。キットはもう絶版ですが、中古市場ではまだ人気があるとかで。


ヴィッカース モデル744バイカウント(1948年・338機目)
WWII後増大する航空需要を見越して「ワイらが旅客機製造の派遣を取るんや!」としてブラバゾン委員会で開発された旅客機です。機体サイズや航続距離に応じて5種類の旅客機が開発されまして、バイカウントはDC-3相当の大きさの短距離機です。ブラバゾン委員会で開発された旅客機はほとんど鳴かず飛ばずだったんですが、その中でバイカウントは最も成功した機体と言われていて、400機以上が生産されました。全日空も使ってましたね。

機体サイズは現在で言うところの小型リージョナルジェット級の約50席で、ターボプロップエンジン4発を搭載しています。なお世界初のターボプロップエンジン搭載旅客機です。胴体の形状が美しく、私は結構好きな機体です。
右主翼の手前に置かれているのがバイカウントのエンジンのロールスロイス ダートエンジンです。

これはおそらく1955年製で、北米初のバイカウントです。トランスカナダ航空に納品されて1963年まで運用してました。退役後は個人や民間会社を渡り歩いていたそうな。


ライアン・テムコ ツインナビオン(1953年・339機目)
もともとノースアメリカンが開発していたナビオンという単発の軽飛行機ですが、F-86セイバーの生産でいっぱいいっぱいになってしまい、ライアンに製造権を売却することに。
ライアンでナビオンを生産していましたが、その後これを双発機に改造してしまおうと考えました。胴体はそのままに、主翼にエンジンを搭載し、エンジンの無くなった機首は荷物室にしました。100機くらいが単発のナビオンから改造されたと言われてます。新造機はいないらしい。


スノーS-2A(340機目)
初飛行時期はよくわかりませんでしたが、1950~1960年代の飛行機なのだということ。1930年代前半の飛行機にしか見えないけれども。
上空から農薬を散布する農業機として造られたのだそうな。


ビーチU-8Dセミノール(1949年・341機目)
モデル50ツインボナンザの軍用版です。陸軍の連絡機として使っていた模様。単発機のボナンザの双発版みたいな名前ですが、設計は完全に新規のようです。


シュドSE-210カラベル(1955年・342機目)
フランス製のリアエンジンと十字尾翼を採用したはじめてのジェット旅客機です。特にリアエンジンは現在のジェット旅客機にまで影響を与えている革新的方式です。他にもつるんとした機首や角の丸い三角形の窓も特徴的。
画期的な飛行機のはずですが、あんま知名度高くないような。

これはテキサスのエアロサービスという会社の塗装だそうな。胴体の下についている観測ポッドみたいなのは何なのかしら。


ビーチクラフト モデル2000Aスターシップ(1986年・343機目)
オイルショックの時に流行った低燃費ターボプロップビジネス機。後退角を可変できる先尾翼、推進式プロペラ、炭素繊維製胴体、グラスコックピットなど、低燃費を狙った先進的技術が採用されています。ただし価格が上昇してしまい、従来機や競合機に対して優位に立てず、鳴かず飛ばずで販売終了してしまいました。
この時期の低燃費ビジネス機は特徴的で面白いので好きです。


シコルスキーJRS-1ベビークリッパー(1935年・344機目)
古そうな飛行艇だと思ったら案の定戦前の設計でしたね。こんな外に置いておいておくものじゃないでしょ。
JRS-1はアメリカ海軍とアメリカ海兵隊で使われていたものの型番で、他に民間用にもS-43として製造しました。民間ではパンナムなんかが使っていました。最大25人乗りです。
"ベビー"クリッパーというくらいですから、大人なクリッパーもあるってことで、これはS-42クリッパーとして存在しています。最大37人乗り、4発エンジンのでかい飛行艇で、これもパンナムが運用していました。アメリカ西海岸~中国とかカリフォルニア~ハワイとか、長距離路線に充てられていた模様。


敷地の奥にいるB-52(1日ぶり2機目・345機目)。あそこは立入禁止で、どうも修復区画っぽいです。B-52も整備中なんでしょう。
ちゃんと整備用の格納庫を持っているのがすごいよなぁと思うわけで。どんだけデカイんだこの博物館。


少し違う方を向いてみると、展示前の飛行機がずらずらと・・・。ハリアー、C-27、B-52、他によく分からない機体もたくさん。
まだまだ増やす気満々だからすげーわここ。これ以上増やしてどないすんねん。そのうち全部見るのに3日掛かるぞ。

今回はここまで。