黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
同人誌通販始めましたhttps://603kurogane.booth.pm/

京都鉄道博物館を見て回る その1【2017/8/16】

2019-09-30 22:45:41 | 旅行・イベント記
2017年8月16日。
関西にある鉄道むすめのスタンプラリーを制覇した翌日。この日は京都市にある「京都鉄道博物館」へ行きます。もともとあった梅小路蒸気機関車館を拡張したような鉄道博物館で、2016年に開館。一度は行ってみたいと思っていましたので、今回ちょうど良いので行くことに。
昨日泊まった江坂のホテルを出発して、JRの225系の新快速で京都駅へ。


京都駅からは京都市営バスで鉄道博物館へ。駅の案内やバスの方向幕に鉄道博物館と書かれているので、路線数の多い京都のバスでも迷いにくいです。


はい着きました。
博物館のロゴマークは、本棟と扇形車庫を図案化したものだと思いますが、中国の謝謝の手振りに見えなくもなく・・・・・・(右手をグーにして左手で包み込むようなかんじ)。



入り口で入館料を払います。1,200円しました。近年開館したJR系の鉄道博物館はこのくらいが相場ですね。まあそんなもんでしょう。その代わり募金とかしないし、そも募金箱見たこと無いし。日本は博物館への募金文化無いですよねぇ・・・。
いきなり本館に入るわけではなくて、まずは屋根のついた屋外展示から。いわゆるプロムナードと呼ばれとるやつです。これフランス語なんですね。なんでフランス語使った?

今も書いたように梅小路蒸気機関車館を拡張してできた博物館で、収蔵車両も大幅に増えています。どこから持ってきたかというと、増えた分の大半は大阪市の弁天町駅にあった交通科学博物館から引っ越してきたもの。なのでなんか見覚えあるなって顔ぶれが多いです。いま並んでるこの3台もすべて交通科学博物館出身です。


日本最大の蒸気機関車C62形26号機。4-6-4ハドソンで、旅客用の機関車ですな。
カナダの博物館ならいざしらず、日本の鉄道車両についてつらつら書いても皆さんすでにご存知のことしか書けませんから、中身は軽く触れるにしときますよ、また長引いてしまいますから・・・。


80系の最初の制御車のクハ86形1号。東海道線の東京口で走り始めた湘南電車です。
これを見ると、正面2枚窓のいわゆる湘南顔の制御車が現存していないことが返す返すも惜しい・・・という決まり文句が反射的に出てしまいます。


内装は長距離用客車みたいなかんじです。電動自走化した客車というところか。


電車の保存車にしては珍しく中間車も残っているのです。これはモハ80形1号なので、電動車なわけです。ただし車体から下は完全に覆い隠されてしまっているので、単に運転台の付いていない中間車なんだね、という感想しか出てきません。


ご存知0系新幹線。説明不要。
小さい頃はよく乗っていましたね。


先頭車しか保存されない0系にしては珍しく中間車も残っています。こちらグリーン車の16形1号


さらにビュッフェ車の35形1号。他に先頭車が2台(21形1号と22形1号)両端に連結されているのでここだけで4両の0系が保存されとります。JR東海だってこれだけのものは持ってないぞ。
特に中間車はよく引っ越しの時に解体されずに済んだね。良かった・・・。


変わってC62の後ろに連結されている客車をば。これはスシ28形301号。系列的にはスハ32系に属するようで。
もともと2等座席食堂合造車スロシ38000形として1933(昭和8)年に製造されたので、乗り心地を良くするために3軸台車を履いています。日本では貴重な現存例です。
何度か改造を経て最終的にスシ28形へ。ただしこれは、交通科学博物館への収蔵の際に全室食堂車へ改造された時に付けられた架空の形式というなんじゃそりゃというもの。内装の改造も含めてちょっとよくわからない。正確にはスハシ38形といったところでしょう。


TR73三軸ボギー台車。TR23系列っぽいな~と思ったら案の定でした。
やっぱり台車は見れたほうが絶対楽しめるよなぁ。



内装はこう。


その隣に連結されているマロネフ59形1号。1938(昭和13)年にマイロネフ37290形37292号 として製造されました。皇族・貴賓用の寝台車で、準御料車みたいなものでした。その後GHQに接収されたり返還されたりしてマロネフ59に落ち着きました。これもTR73を履いています。


内装はこう。あー、プルマン寝台ですね。アメリカで見たことあるから知ってるんだ。


寝台を展開途中の図。


ナシ20形24号。20系ブルートレインの食堂車ですね。交通科学博物館時代は食堂として使われていて、食堂車で食事が体験できる設備として名物になっていました。京都にやってきてからも同じように使われています。昼時になると行列ができますね。人気が高いからなのか席が少ないからなのかは議論の余地あり。
それよりも車体との隙間を絶対になくしてやるぞという意気込みのこもった床の施工ぶりに目が行きますよ。これじゃまるでダルマですな。他の車両でも感じるところですが、ほんと徹底的だ。


20系と連結しているDD54形33号機
ドイツのエンジンと変速機を三菱がライセンス生産して製造したディーゼル機関車です。立ち位置は本線用のDD51の軽量型みたいなところで、DD51が1,000馬力エンジン2基なところをDD54は2,000馬力エンジン1基で走らせてました。
でもエンジンの推進軸が脱落して脱線したりエンジンや変速機も問題を抱えたりで性能が安定せず、長続きせずに10年経たずに廃車になってしまいました。三菱・・・。


現存機はこれ1機だけ。失敗作だったにも関わらずよく残したと思います。
この33号機は風防の窓枠がHゴム支持のロットですね。前期型の窓枠はステンレス枠だったんですが、そっちの方が精悍な顔つきで好きですね。


外観は日本のディーゼル機関車の中でも特に好きだなと思える機体です。造形村のHOゲージの模型が出た時は買おうか悩みました。結局買いませんでしたけど。
当時のヨーロッパ系の機関車に影響を受けていると思いますが、日本っぽさも出ているのが素敵。


みんな大好き103系クハ103形1号。国鉄時代に大量に製造された通勤電車です。
これは今回新たに収蔵されたものです。103系が丸車で保存されたのはこれが初事例です。そして、これが唯一の事例になりそうな匂いがしまっせ(諦め)
博物館建設時にちょうど103系のトップナンバー車が廃車になったので、保存されたというところでしょう。このタイミングが合わなければクハ103-1も他と同様に解体されてたと思うし、トップナンバー車が残っていなければ103系の保存はなかったかもしれません。・・・個人的にはたぶんそうなってたと思いますが(諦め)
鉄道車両の保存は運要素が結構絡んでくるのです。


103系の台車のTR201。


内装は末期に運用されていた阪和線の姿のまま。つまり体質改善工事で改装された内装です。
電車の保存車はたいてい廃車時の姿のままのことが多いので別に目くじら立てることないですけどね。むしろ、中途半端に環状線の橙色に塗り替えた方がアレだと思いますけども。阪和線のままじゃイカンのか。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その102【2016/03/04~10】

2019-09-28 23:54:33 | 海外旅行記
USSミッドウェイの飛行甲板へ出てました。うーむ、空母の飛行甲板だ、感激ですね。
発艦と着艦の甲板を分けていて、屋外駐機も出来るような構造なので、まあ広いのです。
飛行甲板には航空機が展示されていて、空母の面目躍如といったところ。甲板がまた広いので下手な航空博物館よりも内容も充実しています。


ダグラスEKA-3Bスカイウォーリア(2日ぶり2機目・486機目)
アメリカ海軍の艦上核爆撃機です。1950年代だと核爆弾がまだ大型の時代なので必然的にそれを載せる爆撃機も大型化してしまうのです。艦上機としてはかなりの大型。
そこまでして核爆撃機を造らんでもという気もしますが、当時は核開発競争が盛んでしたし、核戦力を持っていない軍隊は存在意義が薄くなるし、空軍との予算獲得競争も激化してましたし・・・そんな事情があったのです。
1960年代頭になると後継機のA-5が就役したので核爆撃機としてはお役御免になりました。ただし大きな機体を活かして電子戦や空中給油に再活用することになりました。このEKA-3Bは電子戦と空中給油の両方に対応した機体です。


海軍も核攻撃できるんだよ!だから空軍にばっか予算回さないでこっちにも寄越してよね!というアピールのために造られたとしか思えず・・・。しらんけど。でもそう思うとちょっと哀れ。


グラマンF-14Aトムキャット(2日ぶり5機目・487機目)
もう見た。もう書くこともないでしょ・・・。


バルカン砲部分の外板が透けて見えるようになっています。
トップガンのバルカン砲のチープな描写を思い出す。


弾倉部分はこんな感じよ。


これを入れて今回5機のF-14を見てるわけですけど、フェニックスミサイルを見たことは一度もないな・・・。


マクドネル・ダグラスF/A-18Aホーネット(2日ぶり3機目・488機目)
アメリカ海軍の戦闘攻撃機。改良型のC/D型はまだ一部で現役ですけど、初期のA型はもう博物館入りするような機体になっているのです。


この機体は迷彩柄に塗られていて、垂直尾翼にはソ連の国籍章もあります。これはトップガンでの戦闘訓練の時に仮想敵役を務める機体なのです。一般にアグレッサー機と呼ばれますが、海軍ではアドバーサリーと呼んでいます。


主翼を折り畳んだ状態。
その脇にいるぴょん吉状態の彼はパイロットのヒル(仮名)です。


地面においてあるミサイル。たぶんハープーン空対艦ミサイル。


アメリカ海軍では所属に加えて機番と型番を書きます。現実でこうなんだから、ガンプラに型番のデカールを貼っても別に問題はないのだ。


マクドネル・ダグラスF-4SファントムII(2日ぶり7機目・489機目)
これも何回も見たファントムおじいちゃん。でもS型は初見です。
J型の近代化改修型で、アメリカ海軍のF-4の最終型と言っていいと思います。


グラマンF9F-3パンサー(2日ぶり3機目・490機目)
初期のジェット艦上戦闘機。風防に布が被されてますけど、何か整備中ですかね?


ノースアメリカンT-2Cバックアイ(2日ぶり3機目・491機目)
艦上練習機。結構好きな形よ。


ノースアメリカンRA-5Cビジランティ(2日ぶり2機目・492機目)
A-3の後継機の艦上核爆撃機。超音速飛行が要求されたので空力的に洗練されてかっこよくなってます。くさび形の空気取入口がいいですね。後のF-15やMiG-25にも同じような形が採用されてるわけですけど、A-5が元祖でしょうね。
就役した時は超音速爆撃機での核攻撃は時代遅れになっていたので、持ち前の高速性を活かした偵察機に活路を見出します。


偵察カメラっぽいの。



尾部。

グラマンF9F-8Pパンサー(2日ぶり3機目・493機目)
F9F戦闘機の写真偵察機版ですね。
機首の武装を取り払って、代わりに偵察用カメラを仕込んでいます。機首の左右にある四角いガラスの内側にカメラが入っています。
撮影する時は機体を左右に傾けてカメラを下に向けてから撮影します。戦闘機型の写真偵察機だとだいたいこんな撮影方法を取りますね。


ダグラスA-1Hスカイレイダー(2日ぶり4機目・494機目)
強い攻撃機。これも好きなんですよねぇ。


殺す気でいるよね、っていう搭載量です。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その101【2016/03/04~10】

2019-09-25 23:00:51 | 海外旅行記
USSミッドウェイ博物館の続き。
これは空母のスケルトン模型。骨格がよく分かりますね。


これは格納庫甲板の下層にある資材置き場へ通じるハッチ。


エンジンのような大きい部品でも通せるようですね。これはF-14のエンジンかな?しらんけど。


これは格納庫と飛行甲板を結ぶエレベーター。飛行甲板の外側に付いています。
WWIIの頃の空母は飛行甲板の中心線上にエレベーターが付いていましたが、飛行甲板の出し入れが面倒なのと、中心線上にあると格納庫の面積を食って搭載機数が減ってしまうのを嫌がりました。なので飛行甲板と格納庫の左右にエレベーターを付けることにしました。


エレベーターの隅に置かれているダグラスA-4Fスカイホーク(2日ぶり7機目・485機目)。
アメリカ海軍の傑作攻撃機ですね。F型はE型のエンジン出力向上型で、電子装備も増やしたので背中にラクダのこぶみたいなのが追加されてます。


前縁スラットとか爆弾とかロケットランチャーとか。
あの緑色の爆弾(Mk.80シリーズ)はA-4がきっかけで開発されたものです。小型のA-4は爆弾を機内搭載できず機外に吊るさざるを得ないのですが、だったらせめて爆弾の形状を低抵抗にしてみない?とエド・ハイネマンが提案したもの。


そういえば機銃が付いていましたね。


エレベーターから艦首方向を見る。飛行甲板がめっちゃ張り出しているのが分かります。


こんなに張り出てても倒れないもんなのだなぁ。右舷とのバランスが取れてるのだろうね。


エレベーターはワイヤーで上げ下げするそうな。





右舷の通路を進みます。


飛行甲板への階段。ううん、こんな広くて登りやすい階段あるのかなぁ。博物館になった時の後付っぽいけど。


これはMk.6救命イカダ。これひとつで25人分助かります。USSミッドウェイには167個付いていたので、しめて4,175人分。ウィキペディアによると船の乗員は全部で約4,700人らしいので、ちょっと足りないですね・・・。足りない分は織り込み済み、ということ?
普段は飛行甲板の縁に房状にくっついています。いざという時にはもちろん手動でも外せますが、水を被るか海面20ft以下になると自動で外れるようです。


このようにイカダと水、食料なんかが入ってます。
イカダは長さ約5.4m、幅約2.7m。もちろん25人乗り出し雨風も凌げるぞ。


こんなふうに付いています。プラモデルでピンセットで摘んでる時に弾き飛んで紛失しがちな部品。どんなに気をつけていても無くすときは無くしてしまうんで、予備を少し付けてくれたってバチは当たらないでしょ。

今日はここまで。次回から飛行甲板です。



【1/100】RGM-79Gジムコマンド【ギャラリー】

2019-09-21 23:19:59 | 模型ギャラリー

キット:バンダイ MGジムコマンド
仕 様:トリントン基地配備機
製作記はありません

最新のMGキットを作りたくなったので、最近出たジムコマンドをば。最新と言っても内部フレームは昔に出たジムのものですけど。
作ったのは一般販売の方。コロニー戦向けですが地上にだって配備されてたでしょ、と思ってジム改でおなじみのデザートカラーに塗り替えて作りました。他は特にいじらずに素組しました。


この塗装だとトリントン基地の機体しか思い浮かびませんので、肩にはトリントン基地の部隊章を貼っておきました。


いいですね。久々に作りましたけどジムですよジム。


ジムコマンドは腰を持ったときにサーベルラックのピンを折りやすいのが欠点なので持つ時は気を使いますね。








以上、ジムコマンドでした。

関西の鉄道むすめスタンプラリーをめぐる 最終回【2017/8/14~15】

2019-09-18 23:31:11 | 鉄道撮影記
第37走者:泉北高速鉄道準急難波行(5000系)和泉中央13:57→新今宮14:29
和泉中央駅は行き止まりなので、難波方面へと戻ります。乗るのは来たときと同じ5000系。


隣には到着した7000系。これはかっこいい電車。京王8000系みたい。


新今宮駅でJRに乗り換え。乗り換え待ちの時にやってきた201系を撮影。まだいなくなる気配は見せませんが、できるうちに記録しておくものです。この頃はまだおおさか東線の主力になるとは思いもせず。

第38走者:JR大和路線「大和路快速」加茂行(221系)新今宮14:42→加茂15:34
大和路線に乗り換え。この221系、更新工事は受けてるけど先頭の転落防止幌が付いてないわけですが、この先頭車には増結しないから必要ないってことですかね?
221系更新車は座席が少し減っているのが残念ポイントですが空いていたので無問題。


加茂駅到着。駅に着く前、右手の車窓に蒸気機関車の静態保存車が見えるんですが、いつも見に行けずじまい。

第39走者:JR関西本線普通亀山行(キハ120形)加茂15:42→柘植16:36
おなじみのキハ120に乗り換え。関西本線のキハ120は親の顔より見たことのある気動車です。2両編成だったので座れました。


柘植駅で下車。ここで反対の列車とすれ違いです。見た目は貧相だけど悪くない車両だよねというのが何回か乗ってみての印象。


後追い。関西本線はローカル線に成り下がってますけど、その設備にはかつての幹線・・・というか関西鉄道の残滓を感じられます。


レンガ造りの油庫。昔ながらの駅にはおなじみの設備。屋根が波形ストレートになって入り口はシャッターになってるけど、今も物置くらいには使ってるんでしょうかね?


自分はバレてないと思ってニンニンしてるんだろうけど、バレバレだぞ。まだまだ修行が足らぬな。


第40走者:JR草津線普通京都行(113系)柘植16:46→貴生川17:06
草津線の乗り換え。みんな大好き113系に乗ります。
乗っていると走行中びよんびよんと跳ねながら走りましてですね。これ、軌道がしょぼいと言うより電車の台車のバネが悪さしているように思えまして。
自分はたまにしか乗らないからいいですけど、毎日通勤通学で乗るとなったら結構疲れるんじゃないかな・・・?やはり古い電車なのだなと。


第41走者:近江鉄道本線高宮行(800系)貴生川17:11→八日市17:59
近江鉄道に乗り換え。貴生川から乗るのは初めてだし、そうでなくたってここから乗ることはそんなになさそう。

途中、日野駅で10分弱の停車。外に出てみます。中線を挟んだ対向式ホーム、構内踏切、そして経年の経っていそうな駅舎。なかなか面白い駅です。
駅舎については自治体の日野町も価値があると認めていて、資金を集めて立て直しの上で使用を続けています。いい話だ。


いいですね、ほんと。趣深い。


800系も撮影。健診に行けよ!という広告でした。


反対方向からも800系が到着。こっちは標準塗装。
絵になりますね。ホームも当初からだいぶ嵩上げしたのだなと。


八日市駅に着きました。留置線には820系の赤電塗装車が停まっていました。820系は元西武鉄道車なのでそれにちなんだ復刻塗装です。


反対には100形貴生川行が停まっていました。これも西武の中古電車ですが、ほぼ西武時代のまんまです。かつては中古電車に大改造をしてから運用を始めていた近江鉄道も今ではそういった技術も経済的余裕もないのかも知れませぬ。


八日市駅で9人目の鉄道むすめ、豊郷あかねをゲット。この人も電車にイラストがバーンと貼られたりグッズがたくさん出てたりして露出が多いです。


跨線橋からの眺め。ここでも長い時間停まっていますが、これは近江八幡方面からやって来る電車の接続待ちをしているため。


第42走者:近江鉄道八日市線近江八幡行(800系)八日市18:10→近江八幡18:29
その近江八幡からやって来た電車の折返しに乗ります。


近江八幡駅に着きました。乗換通路に不動産会社(?)の広告があったんですけど、右に書かれてるコイツ。
お前、球団をクビになった後ここに再就職してたのか・・・。


第43走者:JR琵琶湖線新快速播州赤穂行(223系)近江八幡18:36→大阪19:42
これで関西地区の鉄道むすめは制覇しました。ということでこれにて終了。ZBSとはお別れ。また会おうメイトリクス。
私は新快速に乗って大阪へ戻ります。


梅田では少し前に架かったという大阪駅とヨドバシカメラをかけるいわゆるヨドバシ橋を見に来ました。ちょっと頼りないかな・・・という感じ。工期が短かったのかも。


夕飯は地下街で明石やk・・・もとい卵焼き。おいちい。


でも足りなかったので焼きスパゲッティも食べてしいました。コスパが良い。


最終走者:大阪市営地下鉄御堂筋線千里中央行 梅田→江坂
昨日と同じホテルに戻って2日目終了。その途中にあった信号機ですけど、もしかして「止まれ」と文字で指示されないと止まれない人たちが運転しているんですか?

スタンプラリーはひとまず終わりですが、明日はまた違う目的を果たしに行きます。
というところで今日はここまで。

翌日へ続く→

関西の鉄道むすめスタンプラリーをめぐる その4【2017/8/14~15】

2019-09-16 22:13:39 | 鉄道撮影記
第27走者:北大阪急行千里中央行(9000形)江坂9:05→千里中央9:14
2017年8月15日。関西に点在する鉄道むすめのスタンプラリーを全部回る旅行の2日目。大阪市営地下鉄と北大阪急行の境界駅の江坂駅から開始です。
乗ったのは北大阪急行の新型車9000形でした。今どきにしては珍しくステンレス車体を強調しているのが好ましいです。前面窓の上はほとんどの会社は黒塗り処理していると思います。ただし後の増備車からは全面塗装(ラッピング?)してしまったので、個人的には残念・・・。


千里中央駅に到着。駅と直結しているショッピングモールを歩いて大阪モノレールに乗り換えます。このモールは大阪の都市計画で建てられたものだろうなというのが感じられて好きです。


第28走者:大阪モノレール門真市行(1000系)千里中央9:25→万博記念公園9:30
大阪モノレールに乗りにけり。モノレールなんですが、車体は至って普通の鉄道車両・・・要はモノレールっぽくないなと。


万博記念公園駅で6箇所目のスタンプを押します。鉄道むすめの割におっぱいが大きいことで私に知られる豊川まどかでした。



第29走者:大阪モノレール大阪空港行 万博記念公園9:41→蛍池9:55
折り返します。


第29走者:大阪モノレール大阪空港行 万博記念公園9:41→蛍池9:55
第30走者:阪急宝塚本線急行宝塚行(6000系)蛍池10:03→宝塚10:23
阪急電車に乗り換えて終点の宝塚まで。梅田~蛍池は前に乗ったことがあるので宝塚線はこれで完乗ですね。



宝塚は阪急の縄張りだけあって大きいですよ。一度ちゃんと散策してみたいです。


宝塚駅でJRに乗り換えます。これは当駅止まりの快速なので乗れぬ。207系です。


289系特急「こうのとり」5号も来ました。683系改造のやつですね。まともに見たのは初めてかな?


窓下の帯の色が変わるだけでだいぶ印象も変わるものですね。


第31走者:JR宝塚線丹波路快速篠山口行(225系)宝塚10:46→三田10:59
225系6000番台の快速に乗って三田まで。


三田で神戸電鉄に乗り換えます。初めて乗りますねぇ。


第32走者:神戸電鉄三田線普通新開地行(3000系)三田11:08→谷上11:39
これに乗ります。準大手私鉄だったかと思いましたが、どことなく地方私鉄っぽさが醸し出ています。



だらだらと乗って谷上駅まで。ここが次の目的地。北神急行との乗換駅です。悲しいかな人はそんなにいないけど駅の設備は立派。
谷上に行くなら蛍池から梅田経由で行くほうが早いんですが、あえて遠回りした次第。



ここで7人目の北神弓子をば。彼女は北神急行のキャラクターでトミーテックの鉄道むすめじゃないですが、積極的に活動しているので今回の企画に乗っかっています。


ホームに上ると一寸間に合わず電車が行ってしまった。電車は神戸市営地下鉄1000形。北神急行は神戸市営地下鉄の延長上にあって相互乗り入れしているので、神戸市営地下鉄の電車もやってくるのです。でも北神急行は谷上~新神戸の一区間7.5kmしかないので、電車の数も見かける機会も少ないです。
1000形は開業時から走っている電車ですが、後に新型車導入の発表が出たんでこれもいよいよいなくなります。


第33走者:北神急行西神中央行(1000形)谷上11:56→三宮12:06
第34走者:JR神戸線新快速野洲行 三ノ宮12:22→大阪12:43
北神急行に乗って三宮まで。北神急行線内はず~っとトンネルの中を走ります。その先は地下鉄なのでほぼ全て地下区間なのでした。
三ノ宮でJRに乗り換えて大阪まで戻ります。


第35走者:JR大阪環状線普通(323系)大阪12:48→新今宮13:05
環状線に乗り換え。新型の323系でした。初めてみたぞ。


下車した新今宮で後追い。かっこいいですね。



新今宮駅のトイレに米原はるかがいました。清掃員という裏方仕事なので駅員や運転士の鉄道むすめよりも圧倒的に露出が少ないわけですが(スタンプラリーも一度も出ていません)、こんなところでよろしくやっていたのです。
目立ちにくいですが、下手な鉄道会社よりもよっぽど実用的に活用していると思います。


第36走者:南海高野線・泉北高速鉄道準急和泉中央行(5000系)新今宮13:11→和泉中央13:44
南海電車に乗り換えて泉北高速鉄道直通の準急に乗って終点まで。


和泉中央駅に着きました。ホームには6000系がいました。大変クラシックな電車ですから、見かけた際には記録をば。


和泉中央駅で8人目の和泉こうみをゲット。人気らしい。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その100【2016/03/04~10】

2019-09-14 20:48:49 | 海外旅行記
飛行格納庫内を進んでいきます。屋根付きのドンガラの空間なのでいろいろな展示をできるのは記念艦の中でも空母だけですね。


セスナL-19バードドッグ(1949年・481機目)
この手の観測機や連絡機は今までの博物館で何機も見てきたのですが、L-19はこれが初めてでした。いかにもセスナ機という感じの機体です。
L-19はアメリカ陸軍の機体で、なんでここにあるのかというと、これがUSSミッドウェイに着艦したという逸話が残っているからです。

1975年4月30日、ベトナム戦争の最中のこと、サイゴンが北ベトナムの手に陥落して南ベトナムが消滅した日のこと。数千人のベトナム人難民がヘリコプターに乗って沖合のアメリカ空母へ避難してきたのです。その数、UH-1ヒューイが45機、CH-47チヌークが3機。空母に収容しきれないので、載せきれない分のヘリは海中破棄した時の写真は有名。
そんな大混雑した飛行甲板にこのL-19がUSSミッドウェイの上空に飛来してきました。中にはパイロットとその妻と子供5人が乗っていて、これを着艦させるために大急ぎで飛行甲板を片付けて無事着艦できたというお話なのです。
USSミッドウェイで最も有名な着艦劇という逸話として残っているのです。


飛行機がたくさん展示されている区画へ来ました。第二次世界大戦期のレシプロ機が主です。


チャンス・ヴォートF4U-4コルセア(2日ぶり4機目・482機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機ですが、空母では使いづらかったので海兵隊に押し付けられたやつ。


長い機首とか逆ガル翼とか大きいプロペラとか、割と変な見た目をしているんですけど、飛んでいるところを見るとすごくかっこいいなと思えます。


横から見るとこの通り。パイロットの目線だと、地面にいる時は前方視界が全く効かないのです。尾輪式の単発レシプロ機は多かれ少なかれこの体勢だと前方視界が効かないですが、F4Uは悪すぎたみたいで狭くて距離のない空母の飛行甲板でははじめはムリでした。
なので空母運用のない海兵隊に機体が回されることになったのです。


設計者の意見だけで纏められた飛行機だろうなーという。現場のことなんて知るかという感じ。


主翼の反っている部分はフラップが細かく分割されているのだ。


つよい。プラモデル作りたい。


脚は後ろに向かって折りたたむ構造です。ただしホイールは折りたたみながら向きを90度変えて主翼の中にすっぽり収まるようにします。手間がかかるし構造が複雑なので強度をもたせるのにも気を使います。
前後方向じゃなくて左右方向に折り畳むのが楽なんですが、F4Uは主翼折り畳み機構があるので、前後方向に折り畳んだほうが主翼を折り畳める面積が増えてお得なのです。


F-8Jのコックピットだけ。座ることができるぞ。


E-2の機首。これも乗ることができるぞ。


イースタンTBM-3Eアベンジャー(2日ぶり4機目・483機目)
アメリカ海軍の雷撃機ですね。横にいるおっちゃんと比べてみると分かりますが、クソでかいやつです。単発機としてはかなり大型だと思うぞ。
たぶんもう何回も書いていることと思いますが、TBMはもともとグラマンが開発製造していたTBFが原型。しかしグラマンは意外と生産能力が低くて、F6F戦闘機の生産で手一杯になってしまいました。そこで、自動車メーカーのゼネラルモーターズの航空機部局「イースタン航空機」でライセンス生産することにしました。
イースタンはこの頃同じグラマンのF4F戦闘機の生産も請け負っていました。他にも軍用車や戦車の部品なんかも造っていたので、さすがはGMの大量生産能力です。


うしろ。


クソデカイ機体になったのは太くて長い魚雷を機内の爆弾倉に収めるという設計を採ったから。爆弾も積めるぞ。


爆弾倉。爆弾倉に魚雷を収めればそれだけ空気抵抗が減るわけですが、これはTBF/TBMの前任者のTBDデバステーターの航続距離が短すぎて使えないことからの反動じゃないかなぁと思いますががが。



ノースアメリカンSNJテキサン(2日ぶり6機目・484機目)
ありとあらゆる航空博物館に出現する練習機T-6の海軍版。あとはいまさら特に書くことないです。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その99【2016/03/04~10】

2019-09-12 23:00:00 | 海外旅行記
2016年3月9日(水)13時00分
カリフォルニア州サンディエゴ USSミッドウェイ博物館
渡し船に乗ってまずは空母の全体を観察したところで、いよいよUSSミッドウェイの艦内へと入ります。
なお入館料は大人$22.00といい値段を取ります。まあ、記念艦の維持には莫大なお金が毎年必要になるのでこれは必要なことだと思いますし、喜捨の気持ちで払いました。ただ、オンラインで事前購入すると数ドル割引になるのでこれは利用しましたが。こっちも無限に金があるわけじゃなし。
もう3年前の話なのでみんな忘れてると思いますが初日に見たUSSアイオワは毎年600万ドルの維持費が必要になると聞いたことがあります。USSミッドウェイだと戦艦よりもデカイ正規空母ですし、艦内に展示している航空機の維持費ものしかかってくるので、USSアイオワ以上に掛かってるんじゃないかなと想像します。


階段を登って乗艦。


入ると飛行格納庫に出ます。普段空母の艦載機を収納しておく場所です。
空母というのはつまるところ、戦艦が砲弾を主砲で放つのに対して爆弾やミサイルを航空機で投射するというものですんで(実際そんな単純な役割ではないですけど)、ここにどれだけ航空機を詰め込めるかが空母の攻撃力につながるので勝負どころでござんす。
就役直後(1945年9月就役)のUSSミッドウェイには一時期142機のレシプロ航空機が配備されてたそうなんで、こりゃ勝てんと。


格納庫内で浮いた状態で展示されている2機のレシプロ機。F4FとSBDでつね。
就役時期的にこの2機種が搭載されていた実績はないはずですが、艦名の由来となったミッドウェイ海戦の資料として展示されています。いや贅沢だよな。
アメリカ海軍はかつての激戦地に因んだ艦名をつけることもありにけり。同じような名前は同じミッドウェイ級空母のUSSコーラルシー(珊瑚海海戦)やアメリカ海兵隊の強襲揚陸艦USSイオージマ(硫黄島の戦い)なんかがあります。


ミッドウェイ海戦についてはみんなご存知だろうから流すとして(手抜き)飛行機の方を見ましょうね。
これはダグラスSBDドーントレス(4日ぶり2機目・479機目)です。航空機カウンターも久々に計測を再開しましたよ。でも意外にもこれが2機目でした。もっと見てきたと思ったけど(2日前に見た陸軍版SBDのA-24も入れると3機目)
博物館の展示ではサブタイプは書かれていませんでしたが、ウィキペディアによれば6型、つまりSBD-6だそうな。6型はエンジンを1350馬力のものに換装したもの。


機体の展示状態としては今まさに日本の空母に爆弾を叩き込もうと急降下爆撃しているところ。
なので、主翼のダイブブレーキを全開にしています。機体を水平に飛びながら爆弾を落とすよりも降下しながらの方が命中率が上がるのです。でも急降下して速度が出すぎると機体制御が効かなくなるんで、この制動板を展開して速度上昇を防ぐのです。SBDのこれはフラップとして使うことも出来ました。


胴体にもダイブブレーキがあるのです。この角度から見れることは少ないですから、なかなか良いですな。


照準器でたぶん赤城あたりを眼前に捉えている操縦士のトム(仮名)と追ってくるゼロ戦を後部機銃で追い払ってるジャック(仮名)。
飛行してるなら操縦士の人形は欠かせませぬ。よく分かってらっしゃる。


尾輪は機内へ収納できる構造のようですが、展示では出っぱなし。
一方で着艦フックは丸出しなんですね。


爆弾が胴体から離れかかっていて、まさに投下する瞬間というところ。


前も書きましたが、胴体にくっついたまま爆弾を切り離すと爆弾がプロペラと接触してしまいますので、二股に分かれたアームでプロペラの回転範囲の外にびよよ~んと出してやる必要があります。そういう状況を説明するには分かりやすい状況です。素晴らしい。


この角度から見るのが超かっこいい。プラモデルの箱絵みたいだ。
この時気づいたんですけど、主翼前縁の端の方に四角い細長い穴が3つ並んで空いているんですが、なんでしょうねあれ。


中々おっかないですよ。


我らがクソジャップの搭乗員の貞吉(仮名)。馴染みの格好です。


一方こちら鬼畜米帝のパイロットのビル(仮名)。


なんの穴だ?と思ったらなんか映像を流す部屋でした。無視します。


次がグラマンF4Fワイルドキャット(2日ぶり3機目・480機目)。これもサブタイプ不明ですがウィキペディアによると3型のF4F-3とのこと。ライセンス生産のFMではなくてグラマン純正のF4Fは少ないのでラッキーです。今回の旅行でも今まで見てきたのはFMばかりでしたし。
これは腹を向けて展示されていて、中翼構造というのがよく分かるなぁと。


エンジンの排ガス汚れや主翼の機銃の硝煙汚れが再現されているんですね。


脚カバーがあって、収納時は胴体と一体化するんだなぁ。
主翼の真下の胴体には窓があるのも初めて気が付きました。カメラ偵察用の窓?かと思いましたが、標準装備だそうなので、下方視界用の覗き窓なのかしらね?


右旋回中のようで、エルロンが下がってるところが好印象。右主翼もちゃんとエルロンが上がっています。
3型は初期の量産型で、まだ主翼折り畳み機構が備わっていないやつです(次の4型で折り畳めるようになる)。だから一体化した形状で問題なし。あと機銃が片側2丁なのも識別点。
3型はミッドウェイ海戦までには4型に置き換えられているはずなので、ミッドウェイ海戦の展示としては実はちょっと合わないのですが、こまけえことはいいんだよ。実は珊瑚海海戦なのかもしれん。
というように3型は、割とすぐに前線から退場させられた上に生産数は300機以下ととても少ないので、よく残っていましたね。出どころは分かりませんでしたが、ジャングルに落ちてたとか湖に沈んでたとかそういうところじゃないでしょうかね。


後ろから。良き角度。
このF4Fはところによっては復元中と書かれているところがあって、最近になって展示が行われたというところでしょう。


柵は最低限しか置いてなくて、割と近づき放題潜り込み放題なのは素晴らしい。
エアショーでもないとこの角度から見ることはないです。


胴体は割と短いのだ。



パイロットのウェイド(仮名)。



最後に全身を。
今日はここまで。

3桁突入ですか・・・。

関西の鉄道むすめスタンプラリーをめぐる その3【2017/8/14~15】

2019-09-09 23:03:38 | 鉄道撮影記
第18走者:和歌山電鐵貴志川線伊太祈曽行(2270系)和歌山16:49→伊太祈曽17:09
和歌山線の耐久戦を辛くも制し、和歌山駅へ到着。ここから和歌山電鐵へ乗り換えます。2010年以来、久々に乗りますよ。
前回来た時から新しい電車が増えていて、その名も「うめ☆電車」。・・・・・・なるほど、梅干しか。らき☆すたみたいな、そういうのではないのか。


例によって改造の設計は水戸岡鋭治ですので、内装はこんな感じです。最近は窓に組木細工をはめ込むのが好きですよね。


うめ☆グッズ。



終点に着きました。


この先貴志まで行きますが、今日はここまで。



ここで4箇所目のスタンプ設置箇所、神前みーこです。彼女ももう十分ベテランの域です。


伊太祈曽駅駅舎。変わらんね。


スタンプを押したら折り返します。貴志駅まで行ってももう猫ちゃんは定時退勤してるし、我々もこの先まだ動きますからね。
和歌山行の電車を待っていると、先に貴志行のほうが先に来ました。この2270系は南海時代のまま残されています。


第19走者:和歌山電鐵貴志川線和歌山行(2270系)伊太祈曽17:32→和歌山17:53
和歌山行は猫耳を付けた「たま電車」でした。


並びも撮っておきます。


JR和歌山駅へ戻ってきました。


第20走者:JR紀勢本線和歌山市行(105系)和歌山18:13→和歌山市18:19
南海電車に乗るために和歌山市駅まで行きます。
なおこれにて紀勢本線完乗です。サイコロの旅で一気に消化して、あとはこの区間だけでしたからね。


103系顔でした。やっぱり好きなんだなぁ。GMの板キットを作るくらいには好き。
脱線ですが、紀勢本線の和歌山~新宮間はきのくに線の愛称がついているんですが、残りの和歌山~和歌山市間はそれがなくて単に紀勢本線と呼ばれています。系統を分けるためだと思いますが、関西本線のJR東海区間くらい、路線名と運行実態が乖離しているなと。


第21走者:南海電鉄南海本線特急「サザン」52号難波行(7000系)和歌山市18:30→泉佐野18:58
第22走者:南海電鉄南海本線空港急行難波行 泉佐野19:06→貝塚19:11
貝塚まで乗ります。


第23走者:水間鉄道水間観音行(1000形)貝塚19:25→水間観音19:39
2度目の水間鉄道。中古の東急7000系を使っていることで私に有名。しかも更新工事したので当面はまだ走り続けるでしょうというところ。


終点水間観音駅。ぼや~っと駅名標だけ浮かび上がっていて怖いぞ。昔は水間駅だったのだ、ということを語りかけてくれます。


駅横に保存されている501形。


静寂。


こっちは先頭車化改造した1000形。


水間鉄道に乗ったのはここにもスタンプがあるからで、ここで5箇所目の水間みつまのスタンプをば。この人は派手な制服着てますが車内アテンダントなのです。なお非正規雇用。世知辛い。


第24走者:水間鉄道貝塚行(1000形)水間観音20:07→貝塚20:22
水間観音は今行ったら盆に帰ってきた幽霊が大宴会を開いてそうなのでまた明るい時に来ます。
右の電車は回送なので左のに乗ります。

おやこれは弘南鉄道。いつの間に弘前に・・・・・・。
社名も書かれてるからめちゃくちゃ再現度高いな。スカートもわざわざ黒く塗って目立たなくしてるし、本気ですよ。
後に弘南鉄道でも水間鉄道の塗装で走らせていることを知るのだった。


第25走者:南海電鉄南海本線急行 貝塚→新今宮
水間鉄道を回ったところで今日はここまで。新世界のあたりまで出ます。
とちあえず通天閣を拝みます。


夕飯は串揚げ。おいしいですね。


第26走者:大阪市営地下鉄御堂筋線千里中央行(30000系)動物園前→江坂
あとはホテルに行くだけです。30000系はこのギラギラしたステンレスが好き。


ジーアールホテル江坂で宿泊。これにて1日目終了。翌日へ続く。



関西の鉄道むすめスタンプラリーをめぐる その2【2017/8/14~15】

2019-09-08 20:57:39 | 鉄道撮影記
第12走者:JR嵯峨野線普通亀岡行(221系)京都10:42→嵯峨嵐山10:59
今朝ぶりの京都駅に戻ってきました。ここからは山陰本線に乗り換えます。


嵯峨嵐山駅で降りてみると、嵯峨野観光鉄道の列車が停まっていました。DE10形1104号機とどこの馬の骨とも知れない客車。一度は乗ってみたいけれども混んでるからなぁ・・・。


嵯峨野観光鉄道にも鉄道むすめのスタンプラリーが設置されているので、ここで下車します。
名物のD51形51号機もいます。煙突から蒸気溜めまでを一体化した覆いで覆ったナメクジと呼ばれとるやつです。51号機という機番は狙って確保したんだと思いますけど、よく欲しいと思った時に残っていましたね。


19世紀ホールという建物にも何機か保存機があるのでみてみませう。


C58形48号機。中型SLですね。「つばめ」ヘッドマーク付き。


D51形603号機。


これはSLのカットモデルという珍しい個体です。
ただし切断されたボイラーは断面がそのまま残されていて、ボイラー構造を知る良い資料であったりします。


C56形98号機。タンク機のC12に炭水車を追加して航続距離を伸ばした機関車です。こっちは「はと」ヘッドマーク付き。


若鷹号。経歴を遡ると1921(大正10)年にコッペルで製造された阿波鉄道向けの4形となります。阿波鉄道が国有化されて4形も鉄道省に移籍すると入換機として使われましたがそのうち廃車に。
解体はされずに車庫でホコリを被ってましたが、車両改造の実習用教材としてあちこちいじられて今の形態になっています。
運転台をイチから起こして水槽もサイドタンク式に作り直されたので、当時のコッペルにしては垢抜けてると思います。


人車軌道客車のレプリカ。陸蒸気や馬が客車を引っ張るのではなく人間が押して運行する簡易的な鉄道です。
敏三(仮名)が客車を押している様子が再現されています。
どこの鉄道のレプリカなのかは分からないです。ちなみに京都市には人車軌道無かったです。

という具合に、19世紀製のSLは1台もないのでした。SLは19世紀に発明されたから、というのが由来だそうです。



そいでは、2箇所目は嵯峨野観光鉄道の嵯峨ほづきでした。嵯峨野観光鉄道はタブレット通票を使っているのね。


19世紀ホールからは徒歩で嵐電嵐山駅へ。ここもチェックポイントです。


3箇所目は京福電鉄の福王子ひかるでした。厳密には彼女は鉄道むすめじゃない自社キャラクターです。
京福電鉄の「福」は福井県のことで現在のえちぜん鉄道の路線なんですが、散々やらかしてしまい最終的に福井の鉄道運営からは撤退しています。なので最近はもっぱら嵐電という名前で売り出してますね。


嵐山駅からは嵐電に乗ります。これはモボ105のパト電。


第13走者:京福電鉄嵐山本線四条大宮行(モボ100形)嵐山→嵐電天神川
第14走者:京都市営地下鉄東西線浜大津行(800系)太秦天神川→烏丸御池
第15走者:京都市営地下鉄烏丸線竹田行(3220系)烏丸御池→京都
電車は2両編成で、先頭はこの紫色のモボ100。くどいと思うけどなぁ、続けるんだなぁ。
嵐山駅からこのようにして本日3度目の京都駅を目指します。
この乗車で東西線は完乗です。



京都駅に着いたらJR奈良線乗り場へ。
103系はまだまだ元気。


第16走者:JR奈良線みやこ路快速奈良行(221系)京都12:33→奈良13:18
奈良線のみやこ路快速の乗って奈良まで。東福寺の殺人的混雑も東福寺に停まらない快速なら楽ちん。
奈良も今日みたいな感じに乗り換えで立ち寄ることはあるんですけど、降りて辺りを散策したりすることってこの10年間ほぼ皆無ですので、どこかの機会で・・・と思ってます。が、執筆時点でも奈良観光とかそういうのはやれてないです。京都ほど外国人で混んでるってこともなさそうだから良いと思うんだけどね。


第17走者:JR桜井線・和歌山線和歌山行(105系)奈良11:39→和歌山14:36
奈良からは桜井線と和歌山線を直通で乗り継いで一気に和歌山まで。3時間の持久戦です。
3時間と言うとアレですからね、同じ鈍行で静岡から東京か名古屋まで行けてしまえますからね。これはもうロングシートだろうがクロスシートだろうが関係ないです。きつい。



105系もじきに消えてしまいそうと思っていましたが、その後新車に置き換えられてしまうことが決まりました。思っていたよりも早かった。常磐緩行線の103系を流用した車両が好きでした。



奈良~高田の桜井線を完乗し、和歌山線の五条駅で列車交換。この光景も2019年までだよ。


良さそうな駅。


ローカル線らしいだらだら加減で順調に南下。橋本駅まで来ました。ここまで来れば和歌山駅までもうひと踏ん張りです。

というところで今日はここまで。