黒鉄重工

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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その13 【2015/06/24~26】

2016-04-28 22:44:47 | 海外旅行記

2015年6月25日(木)12時27分
ワシントン州エバレット フューチャー・オブ・フライト

強敵フライング・ヘリテージ・コレクションを倒した私は、次の目標であるフューチャーオブフライト Future of Flightへ向かったのでした。
ここは例のボーイング大帝国の旅客機製造工場の隣りにあって、秘密の工場見学ができちゃうよという施設です。
FHCからエバレット空港を挟んでおおよそ反対側にありますので、2つ合わせて攻略することも出来ます。ただし路線バスだとクソ不便なのでレンタカーで行くのをおすすめします。

予定が30分押しているんで、とっとと入館して工場見学のチケットを購入します。
事前購入も出来るんですが、予定が押すことが考えられたのと(実際押した)平日やし大したことないやろと高をくくってたのがあって当日購入にしたんですが、一番早い時刻で14時から。13時のツアーで行くつもりだったんで、おっとこれは遅いぞ。
まあしゃあないんでそれにします。ちなみに値段は$20と結構いいお値段します。



暇が出来てしまいましたがせっかくなんで館内を見ていきます。ついでに昼飯も食べます。今日は飯食えないと思ってたからね。なお館内のカフェにはろくなものが残ってなかった模様。悲しい。
FHCがミリオタ向けの博物館だとするならこっちは飛行機とはなんぞや旅客機とはなんぞやという飛行機初心者でも楽しめる内容という感じでした。かくいう私も飛行機初心者なので色々参考になりました。



飛行機の首。ボーイング707か727か737のノーズだと思いますよ。少なくともエアバスではないでしょう(
・・・いやぁ、707~737はノーズの形がどれも同じなので首だけ置かれても判断がつきにくいです。とはいえボーイングのノーズといえばこの角ばったやつですね。
奥の首はイースタン航空の機材で、同社は737を運航してなかったようなのでたぶん727。でも適当に塗り替えた可能性もあるし、やっぱ知らん。手前のシャチみたいなのが描かれた奴はそもそもキャリアが分からないです。



謎飛行機。しまったことに説明板を撮り忘れていたので、後から見たらこいつ誰やねんと困ってしまいました。
やべぇ、この角度じゃ調べようがないぞ、特徴がない・・・特徴・・・特徴・・・あ、こいつカナード付いてんぞ。
ボーイングって前翼機なんて造ってたっけ・・・そもそもこんな小型機扱ってたっけ・・・と思いながら前翼機から切り込んでみたらあっさり見つかりました。
ビーチクラフトのスターシップというビジネス機でした。なんでビーチの機体がボーイングの中枢に・・・。特に宇宙に行けるとかそういう機能は持ってないらしい。

機首に前翼(カナード翼)が付いているのが特徴でこの手の機体は前翼機と呼ばれます。日本だと戦闘機の震電あたりが知られてるんじゃないかな?
カナード翼は、抵抗の低減とかエンジンを後方に配置できるので騒音が低下できるとか、メリットはあるんですが、現代の飛行機がどれもこれもカナード翼付けてるかというと全然そうじゃないんで、設計者の趣味なんだろうなぁと。
設計者誰やねんと調べてみたら、バート・ルータンでした。あっ(察し)ってなりました。こいつ、前回出てきたスペースシップワン(とその母機のホワイトナイト)のデザイナーでもあります。
この写真の角度からだと見えないので気が付かなかったんですが、この星船には胴体に垂直尾翼が無く、代わりに主翼端にあります。あれウィングチップじゃなくて垂直尾翼だったのかっていう。おそらくウィングチップの役目も狙っているんだと思いますが。
この垂直尾翼を翼端に付けるという設計はスペースシップワンと同様で(スペースシップワンはブームを介しているが)、ああこれはルータンの趣味なのか、となんとなくそう思いました。
これには水平尾翼もついてないですが、カナード翼とデルタ翼の主翼で代替しているんだと思います。ちなみにカナード翼は可変翼らしい。またよう分からん機構を付けたな・・・。
なお10年間で53機しか製造されず商業的には大失敗だったということで、ここに置いてあるのは中々貴重なことなのだな。

脱線が過ぎたんで話を戻します。



787の胴体の輪切り。ちょうどいい具合におっちゃんが解説を読んでいるので比較しやすいです。
3-3-3列なので当然ですが、意外とデカイもんですね。
胴体の下半分は貨物スペース、我々がいつも乗る客室は上半分という風になっています。さらに客室の天井裏には客室乗務員の隠し休憩室があります。



ゼネラルエレクトリックGE90-115Bエンジン。115B型は現行のエンジンかな?
ボーイング777用に開発された史上最大のエンジンで、実質777専用エンジンになっています。エンジンナセルを含めた直径は737の胴体より少し小さいくらいの大きさになっていて、エンジンの前に6人横に並べられるということに。
ただしデカイのはエンジン前方のファンで、その後ろの本体は意外とそんなにデカくないんだなと。



後ろから。いやぁ構造については全く分からんね。



ロールスロイス トレント1000エンジン。787のエンジンです。

今のジェットエンジンの主流はターボファンエンジンなので、前方にデカいファンが付いております。ターボジェットエンジンにプロペラを付けたような感じです。
旅客機のエンジンとして、ターボジェットじゃ速すぎるしターボプロップじゃ遅すぎるし、ということでその中間として開発されました。ジェット噴流の他にもプロペラで掻き回した空気流も推力に利用しています。
旅客機のターボファンエンジンは全推力のうちプロペラの空気流の割合が多い「高バイパス比ターボファンエンジン」というものが主流です。これもうほとんどプロペラ機だろ、とか言われてるそうです。



後ろから。配管がうじゃうじゃしていて気持ち悪い。
エンジン本体とプロペラのスキマが結構空いているんですねぇ。ここから空気流を流します。



館内の見学はそこそこに、屋上へ出てみました。FOFはペインフィールド空港の滑走路の横に建てられていて、屋上から空港の様子を見ることが出来ます。
滑走路の奥のエプロンにはできたてホヤホヤの機材が並べられています。ボーイングの旅客機工場は737以外はエバレットに集中しているので、ここにいれば世界中の機材を一度に拝めるわけなんですなぁ。737の工場もシアトル南部にあるそうなんで試験がてらここにやってくるらしいです。



サウディア。たぶん777。



ジェットスターの787。
787なんて発注してたんだ。A320のイメージしか無いよ、あそこ。


塗装前で保護シートが貼られたままの747。747-8Fかな?今や747は貨物型でしか生き残る道ないような気がしないでもないですね。
その奥にいるのは777。サブタイプはわからない。垂直尾翼を見ると納入先は大韓航空のようです。この緑の保護シート貼るのだって大変だろうな・・・。
さらにその奥にはビジネスジェットと、727がいました。727、汎用性が高いのか未だにいますね。



あとは、ボーイングのデブことB747-400LCF「ドリームリフター」(N780BA)がいました。ただし頭は隠れていました。頭隠して尻隠さず。
世界各地で製造された787の部品をここまで運ぶためだけの機体です。日本でもセントレアに飛来するのでよく知られた機体です。なお新造機ではなく中古の747からの改造だそうで、ようやるわという感じ。
これが見られるとは思わなかったので良い収穫でした。頭が見えなかったけど・・・。これはセントレアで再履修。



遠くの山もうっすらと見えます。何て山なのか分かりませんが、結構標高高そうですね。



ビーチクラフト95「トラベルエア」。なんかの会社の所有機らしいです。1956年に初飛行して1967年には生産終了したんで、結構古い飛行機です。



セスナ152。個人所有機です。ボーイング専用の飛行場ってわけじゃないんですな。
その奥には塗装前の787が。



その後急にデカいのが!大韓航空貨物のB747-8F(HL7629)です。
当然大韓航空がここにやってきたというわけではなく、工場で完成した機体を納入する前に試運転しているというわけですね。果たして試運転機が来るかも分かりませんでしたが、大物を見ることが出来て満足です。やっぱり4発機はロマンだね。ゴミがついてるけどそこは目をつむるんじゃ。
大韓航空、貨物輸送に力を入れていて、輸送量は世界2位とかなんとか。なんだか意外ですね。



横から。おお、でけぇぇ!
747-8は787の技術を一部転用して開発された747シリーズの現行モデルです。GEnxエンジンを積んでいて、787同様にエンジンナセルにギザギザが付いているので既存の747-400との見分けはつけやすいです。747-8Fはそれの貨物型というわけです。



フェデックスのB767-300F(N124FE)。。今日の試運転はもうおしまいのようです。

今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その12 【2015/06/24~26】

2016-04-27 01:02:58 | 海外旅行記

FHC編も今日でオシマイですよ!長かったですね、本当に!
というわけで、27機目はアメリカ陸軍のデブことリパブリックP-47D「サンダーボルト」。初飛行1941年5月。総生産数約15,600機。
見た目はトロそうですが第二次世界大戦時最強の戦闘機のひとつに挙げられるほど性能は良いです。零戦じゃ相手にならないでしょうなぁ。
その秘密は、アメリカの至宝R-2800ダブルワスプエンジンを搭載し、単発単座戦闘機のくせに排気タービン(ターボチャージャー)を搭載していたことでエンジンの高出力化と高高度性能を確保していたこと。
当時ターボチャージャーを実用化し大量投入していたのはアメリカだけで、他の国はスーパーチャージャー(機械式過給器)を装備していました。エンジン出力の一部を拝借して過給器を動かすスーパーチャージャーと異なり、ターボチャージャーはエンジン排気を利用してタービンを動かし過給器を動かすのでメカニカルロスが少なく、より効率的です。
このターボチャージャー、現在の自動車エンジンに積まれているのと比べると巨大なサイズでした。単発戦闘機に積もうとは思わない大きさなので普通はB-17のような爆撃機か双発戦闘機P-38のような大型機に装備されていました。ところがこれを単発戦闘機に載せちゃおうと思いつくのはアメリカらしいマッチョな考えだと思います。
放熱のためにB-17やP-38ではターボチャージャーは機外にむき出しに配置されていたんですが、P-47の場合は機内に埋め込んでしまいました。なので放熱のためのエアダクト、さらにエンジン排気を伝えるためのダクトも機内に流れています。これがP-47デブ化の原因です。



反対側から。威圧感がすごいですね、こいつは。プロペラもデカイし。零戦が小魚に見えるよ。
ただし厚みがあるのは縦方向なのでデブなのは横から見た時で、上から見ると意外に細い体つきをしています。人間を限られた一面からしか見ないのは良くない、ということですかね。
固定武装は12.7mm機銃8門というマッチョなもの。米軍機は12.7mmの多連装装備が好きですが、これは弾をばら撒いて命中率を上げる、それと機銃が一部ジャムっても大丈夫なような冗長性確保が目的・・・だったはず。20~30mmを好んでいた枢軸国側とは対照的ですが、少なくとも紙装甲の日本機相手なら12.7mmでも余裕だったでしょうね。ドイツ機は知らん。
あとは爆弾やロケット弾もたくさん搭載でき、対地攻撃にも使ってました。主翼下にハードポイントがたくさんついてますでしょう?リパブリックの戦闘爆撃機の伝統はここから始まっていたのですな。



このP-47は1945年6月にアメリカ陸軍に納入され、1950年代にブラジル空軍へ売却。1980年代にアメリカへ返還されて1998年にFHCが取得。
第9空軍第150戦闘飛行隊指揮官だったシアトル出身のパイロット、ラルフ・C・ジェンキンス大佐搭乗機の塗装に塗られています。
ちなみに彼が乗ったP-47には「タラハシー・ラッシー」という固有の愛称が付けられていました。タラハシーの少女という意味です、犬の名前じゃないよ。タラハシーはフロリダ州の都市で、彼の妻シエロの出身地だそうな。
どうもアメリカ人はこの手の妻か母親にちなんだ名前をつけることが間々ありますな。



28機目、三菱 零式艦上戦闘機二二型。P-47を見た後だと本当に小魚・・・。
ところで、二二型は初めて見ましたなぁ。というか残骸含めて日本機を4機も持ってるってFHCすごい。日本顔負け・・・。
サブタイプから見て二一型の派生型に見えますが、実は三二型の系列。ややこしい・・・。
そも三二型は、エンジンを五二型でもお馴染みの栄二一型に換装して、主翼長さを短縮したタイプ。アメリカ機よろしく主翼形状が角ばっているアレです。速度やロール性能向上を狙ったとか。
ところが主翼設計変更に伴う燃料タンク容積減少により(エンジン出力増加による燃費悪化とも)航続距離が短縮されてしまいました。そこで二一型と同様の主翼に再設計することでこれを解消したというのが二二型です。
この再設計、たぶん場当たり的に行われたと思われ、三二型も二二型も型式番号は同じA6M3になってます。外観も性能も全然違うのに・・・。FHCでの表記ではA6M3-22と書かれとりました。
あとこれ、二一型との違いが分からないんで、「これ実は二一型なんやで」って言われても信じてしまいますな。エンジンは異なりますが、んなところ見ても分からないし、推力式単排気管は五二型以降に付けられるし。



正面から。何やら整備中だったので撮影する気がなかったのかろくな写真撮ってなかったですね。うーん・・・再履修。
この零戦はニューギニアで撃墜されたものを普段はどんな仕事をしているのか知りたいアイツらことウォーバードハンターが1990年代に発見しました。
撃墜機でその後も長期間放置されてたということで損傷が激しかったらしく新造部品が多いらしいです。エンジンも別物。それでもロシア人の手により無事フライアブルにまで復元されました。
ちなみに復元時に複座型に改造されています。複座改造機は確かにいましたけど(上野で展示されてる)、なんでそんなことしたんだ?



29機目、アメリカ海軍のデブことグラマンF6F-5「ヘルキャット」。初飛行1942年6月。総生産数約12,200機。
直訳すると地獄ネコですが、本当のところは性悪女とかあばずれとかです。ネコ縛りとはいえ変な名前つけるよなぁ。三菱チンピラ艦上戦闘機みたいなもんですよ。嫌でしょう、そんなの。
F4F直径の後継機で、F4Fをそのままでかくしたような感じです。
エンジンはP-47も装備しているR-2800。ただしF6Fにはターボチャージャーではなくスーパーチャージャーを装備しています。なので過給器のサイズや配管周りにはそんなに困らないと思うんで、そんなにデブになること無いはずですけど・・・。
そもそもR-2800がでかいからと思いましたが、F4Uコルセアも同じエンジンを積んでいて、なおかつコルセアは胴体を限界まで絞っているのであのくらいの細さにまでいけるはずなんですよ。なんでこんなにデブになったのかはよく知らんです。ただしこれもP-47と同じで縦にデブなので上から見ると、いやん意外とスリムだわとなるのです。



コックピット辺り。硬そうなんだよなぁ。
撃墜マーク5個が書かれていて、エースパイロットということに。零戦のライバルと言われることもありますが、基本的に零戦が一方的にやられてたのでライバルと呼ぶには恐れ多い気がします、はい。



脚周り。
海軍機の特徴として主脚は前後方向に収納する形を採っています。これは、空母に格納する際に主翼は折り畳んで省スペース化を図れるように、少しでも多くの面積を折りたたむためです。機構としては複雑になってしまうので、主翼にそういった制限のない空軍/陸軍機はより単純な左右方向に収納する形を採用しています。ただしP-40はなぜか前後方向に収納してるんだよなぁ・・・。
余談ですが前任者のF4Fの主脚は、胴体に直接主脚を収納するという他では見られない方法でした。個人的にあの脚はかなりかわいいと思います。



後ろから。
この機体の出自はよくわからないです。F6F、アメリカだと人気無いんであまり調べてないのかも。あとは、アイスランド経由で大西洋横断をしたことがあるようです。



30機目、スケールド・コンポジッツ スペースシップワン。ただしレプリカ。実物大模型だったかなぁ、確か。
2004年6月に民間機として史上初めて宇宙空間に到達した機体です。大気圏外とされている高度100kmまで到達しただけで、あとは落ちただけ、地球周回をしたわけではないです。それでも航空宇宙史にその名を残しました。宇宙開発が国家主導で行われてきた中で、初めて民間機が宇宙へ飛んだというのがミソなのですな。
元々は、「一番最初に宇宙飛行をした民間団体に1000万ドルあげちゃうよ」という懸賞をその名もX懸賞財団という団体が設けたのが始まりでした。変わった財団もあるもんだ。
無人ロケットを打ち上げればいいわけではなく、乗員1名+2名(もしくはそれ相当の死重)を乗せて高度100kmまで到達、その後2週間以内に同一の機体でもう1回高度100kmを突破するというものでした。
スペースシップワンはその懸賞を獲得するために造られた機体で、初めは母機「ホワイトナイト」に吊り下げられて離陸し、空中で母機から切り離されロケットモーターで上昇、上昇後はグライダーのように滑空していくという方法を採っています。
で、2004年6月21日に高度100kmに到達。その後少し間を置いて、9月29日と10月4日にそれぞれ高度100kmを突破、X懸賞を手に入れたのでした。10月の飛行では高度112kmまで到達したんだそうです。
とにかく変わったデザインなのが特徴で、主翼端からブームが伸びてそこから水平尾翼と垂直尾翼が目立ちます。SFの世界な感じです。

この機体は前述のとおり6機造られたレプリカのうちの1機です。X懸賞財団が子供への教育目的のために造らせたとか。なお本物はスミソニアンが抑えています。
ちなみに垂直尾翼に書かれている文字、スペースシップワンの下に書かれているのはポール・アレンの文字で、なるほどこの計画に出資してた経緯でこのレプリカを取得したのか。それでもさすがに天下のスミソニアンには敵わず(?)本物は無理だったらしい。
現在は宇宙旅行向けのスペースシップツーを開発運用しているようですが、どうもなかなか実用化できていないようです。
ていうか、ネーミングセンスが壊滅的に安直なんだよなぁ。前任機がスペースシップワンだったんだから、その次はスペースシップニャンにするくらいのジョークを見せて欲しい。
あとそれと、正面からの写真一枚も撮ってなかったのでこれしかないです。いい加減スギぃ!(一応、ハンガーを見渡した写真に前から写った宇宙船犬がいるけど



31機目、スケールド・コンポジッツ ホワイトナイト。スペースシップワンの母機だった機体です。
これもスペースシップワン同様双ブーム双垂直尾翼で、これの設計者はこういうデザインが好きなのかしらん。
スペースシップワンはレプリカでしたが、ホワイトナイトは本物です。ポール・アレン繋がりということなんでしょうな。思ったよりデカくないなという印象ですね。



32台目、Flak37。ここにもあったか。
特にさっき見たのと同タイプなようなので解説省略(手抜き



33台目、アメリカ陸軍M1A1エイブラムズ訓練用砲塔。名前通りアメリカの主力戦車M1A1の訓練用砲塔です。
戦車の砲塔というのはよく知りませんが、車体に埋め込む部分も含めて高さはこんなもんなのか。この中に車長、装填手、砲手の3人が乗り込むんだそうな。



34台目、Flak37。またお前か!ポールおじさんはFlakマニアか何かか?
この個体は何やら防盾っぽいのが付いてます。それ以外は今までと同じっぽいのでやはり省略(手抜き

以降、見たことも聞いたこともないシリーズが続きます。



35台目、ドイツ陸軍Sd. Kfz.7 8トンハーフトラック
ドイツ機甲部隊の電撃戦を影で支えていた車両の一つ。見ての通り兵員輸送車(乗員11名+運転手)でもありますが、本来のところで言えば牽引車なんだそうな。これの隣においてある88mm砲だとか100mm砲、150mm砲も運んでいました。対空砲を積んだ自走砲だとかV-2ロケットの発射制御車だとか派生型も色々生み出されたようです。
駆動輪は無限軌道とすることで不整地走破能力を高めています。戦車が走れるところはほとんど走れたようです。後部には折りたたみ式の幌が装備されていて、悪天候時に威力を発揮します。
ふ~ん、よう知らんわ、としか・・・。



36台目、ドイツ陸軍Sd. kfz.2 ケッテンクラート
バイクと履帯車両を組み合わせた感じの小型車両。「ケッテン Ketten」は無限軌道、「クラート Krad」はクラフトラート Kraftradの省略形で二輪車と言う意味で、2つ合わせると無限軌道バイクとでもいうところかしら。
兵員、軽野砲、通信ケーブルなど軽量物の牽引に使われていました。履帯なのでやはり走破性は高いです。変わったところではトーイングカーのように地上にいる飛行機の移動にも利用されました。
8300両以上が生産されたらしく、結構な数がいたようです。トラクターとして使うのに適していたので戦後も約500両が新規生産されたり他にも既存車から改造されました。



これがラスト、37台目はアメリカ陸軍M55 203mm自走榴弾砲
1950年代前半に開発された自走榴弾砲。最大射程は約17km。
パットン中戦車の車体をベースに設計されていますが、エンジンを後部から前部へ配置変更していたりしているのであまり面影は感じません。
装甲厚は最大25mmで、小火器程度なら防御可能なほか、放射性物質にもある程度耐えられた模様。
陸軍の他に海兵隊でも運用され、ベトナム戦争で実戦投入されたようです。
出自に関しては不明。まだレストアしてないようで、くたびれてますね。


はい、これで全て見終わりました。あとはMiG-29があるんですけど、デカイんでいつもは公開してないみたいです。残念。
ええ、書くのに時間かかりましたねぇ・・・。滞在時間はものの90分間だったんですけどねぇ。
ここも夏にエアショーを開催して珠玉のコレクションを飛行させているので、また行ってみたいです。

はい、今日はここまで。次の襲撃先に向かいますよ。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その11 【2015/06/24~26】

2016-04-22 23:10:26 | 海外旅行記

前回までにメインハンガーの展示機は全て見終わったのですが、FHCには小さいハンガーがもうひとつあって、そこにもまだ機体が展示してあります。
メインハンガーが欧州戦線の機体を置いてあったのに対して、こちらは太平洋戦線で活躍した機体がメインとなっています。あとは置き場所に困ったと思われるものも一部。



23機目、日本海軍の三菱 零式艦上戦闘機五二型。ついに日本機の登場。まあ機体に関しては説明不要ですよね。
やけにボロボロで、これはまたジャングルの奥地で見つかった機体なのかなと思ったんですが違っていて、1944年サイパン島で鹵獲されて性能評価のために護衛空母USSコパピーでアメリカへ送られました。
戦後、海軍基地で事故って廃棄されてしまい、その後は骨董品としていろいろな所有者の元を渡り歩いたんですが、最終的に2000年にFHCが取得するまでの間に風雨に曝されて朽ちていました。今後はレストアするらしいです。
アメリカにいてもダメになる機体ってのはいるもんなんですね。アメリカでは零戦ってあまり関心がないのかもしれないぞ。
ちなみに博物館の説明書きには、五二型はアメリカの新型戦闘機に対抗するために開発された機体だけど、ヘルキャット、コルセア、ムスタングには敵わなかったぜ、それからもう少し改良をしたけどそれでも頑丈なフレームと高い火力と硬い装甲を持つ俺たちには勝てなかったぜ、と結構けちょんけちょんに言われてました。でも事実だから仕方ないね。
もうひとつ脱線すると、これのテールコードは61-121となんだか聞き覚えのある番号だったんですが、これはプレーンズ・オブ・フェームが持ってる零戦のテールコードが61-120のひとつ後の番号なのでした。あんたら出身地同じだったのね。



というわけなんで、まだレストアされてない故に実は意外と原型度の高い機体・・・なのかもしれません、これ。
ただし、塗装はオリジナルでないと思います。アメリカ軍が鹵獲機の性能評価をするときには必ず塗装を塗り替えると言われているので、この緑はその後塗られた可能性が高いです。
緑塗装の下に黄色い塗装が見え隠れしているんですが、これがアメリカ軍が塗った塗料なのかもしれません。カラー写真がないんだよなぁ・・・。ただ、評価試験をした航空技術情報部(TAIC)は無塗装でやったらしいんで、これに関しては不明としておきます。ただのプライマーの可能性もあるし・・・。

主翼なんですが、右側だけ残っていて左側は全損しています。事故った時に左側を損傷したんだと思います。無くなった左主翼の部分には機体観察のための台が設けられていて、こんなふうに上から見ることが出来ます。
あとは、エルロンが骨組みだけになっていますね。これは、零戦のエルロンが羽布張りだったことから年月が経つにつれて消えていったんだと思います。
余談ですがエルロンが羽布張りだと高速時に舵の効きが悪くなってしまい戦闘において致命的な弱点になってしまいます。エルロンだとロール性能ですね。これは大戦後半に出てきたアメリカ戦闘機に大きく水を開けられていて、他の速度や高高度性能といったものも含めて零戦は相当不利だったと思います。



変な方向に刺さってるなぁということで知られる零戦のアンテナ線支柱。
なんと木製でして、これ誰かが適当なレストアしたんじゃないのと思ったんですがマジでオリジナルも木製だったゾ。無駄に凝った断面形状してるし、職人芸だったのかなこれ?



コックピット。これは鹵獲機なので誰かが憑いてるとかはないはずよ。
フレームと操縦桿とぐちゃぐちゃの配管くらいしか残ってないですな。計器類は盗難防止のために予め取り外したのかもしれないですけど。



五二型のエンジン、中島 栄二一型。事故った時に損傷したかと思いきや状態いいですねこれ。
エンジン排気を推力に利用しようとした単排気管が特徴。アメリカ機の前じゃ焼け石に水だったんですけどね。
出力は、離陸時1130馬力、高度6000m時980馬力。えぇウソでしょ、1000馬力切っちゃうの・・・。
ヘルキャットなんかに積まれてたアメリカのR-2800ダブルワスプエンジンだと離陸時2000馬力、高度6700m時1550馬力。うーんこの。
日本機の場合過給器がダメだったんで、うんまぁ、そうね(悲



続いて日本の至宝()中島 栄一二型。上の二一型よりも先に開発されたエンジンで、零戦二一型や隼なんかに積まれていました。栄シリーズでは一番多く生産されたタイプだったはず。
プラット&ホイットニーのR-1830「ツインワスプ」エンジンを改良したものだというのはなんとなく知っていましたが、ここの解説にはノームエノール14K「ミストラルメジャー」の特徴も盛り込んでいると書かれていました。これは知らなかったです。



24機目、日本海軍の三菱 零式艦上戦闘機五二型。初飛行1939年4月。総生産数約10,400機。
零戦は陸海軍通じて日本勢唯一の1万機軍団のメンバーで、残りは総じて1万機未満。連合軍が戦闘機や爆撃機を軒並み1万機以上作ってる状況でよく戦争4年間も持ったな。
五二型もおなじみ。零戦の現存機の大半がこれなのでよく見かけますね。
1943年製で1944年就役。終戦時はトラック島に配備されていました。同年9月時点でトラック島で作戦可能状態だった6機の航空機のうちの1機だったそうです。6機だけなのかい。残りの内訳は不明です。
その後1947年に戦利品としてアメリカがかっぱらっていき、ロサンゼルスの博物館で展示。1950年代にプレーンズ・オブ・フェームに移された後、いつだか知らないですけどFHCにやってきました。

この機体、塗装が厚ぼったかったり、20mm機銃が無かったり(ヘタすると7mmも無いかも)、アンテナ線が張られてなかったり、やけにいい加減な状態で展示されていました。あと、エンジンの下にパンが置かれてなかったのでたぶん静態保存機だと思います。




25機目、日本陸軍の中島 一式戦闘機一型丙「隼」。初飛行1938年12月。総生産数約5700機。これが日本陸軍最多の戦闘機だから泣けてくる。
キ43-I丙とも。英語だとKi43-Ibって書くようだ。これも説明不要だよね(手抜き
一型はハ25エンジン(栄一二型)搭載でプロペラが2枚羽根だったのが外観上の特徴です(つーか2枚羽根の隼なんていたんだ)。あとはプロペラスピナーの周りについているオイルクーラーもこれ独特の配置ですね。Fw190Dと同じような感じ。で、エンジンの下にある穴がラジエーターです。
このエンジンはオリジナルというのがウリで、他の機体の部品も原型度が高いらしいです。というか現存唯一の一型です。



横から。
日本機はパッと見がどれも似ているのがややこしい点で、「これがあの零戦なんやで」と言っても信じこむ人は絶対にいるでしょう。
あと、アンテナ線の支柱、なんであんなところに付けたんだろうな・・・。邪魔じゃねぇのかな。

この機体は戦後にラバウルのジャングルで見つかったもの。現存する日本機は大抵アメリカに鹵獲された機体かジャングルの奥地で見つかった機体かのどちらかなんですが、今回は後者でした。
不時着機だったようですが日本の整備兵により修理されていたらしいです。ということはほぼ完品で発見されたのね。その後オーストラリアで復元されて1999年にFHCが入手しました。唯一の一型なので、フライアブルですが飛行することはないようです。



後ろから。意外とスマート。



B-17爆撃機のお尻の機銃。



中身はこうなっています。任務中はずっとここに座ってるんだから、ぼっち向きの任務ですね。



さらにB-17のボールターレット。これもぼっち向き。
機体の腹に装備される機銃座で、ボール状になっているので旋回することが可能。このボールの中に人が入って操作します。人を無理な体勢で押し込むんで、任務は過酷です。これはキツいですよ。
戦闘時までは機体胴体で過ごしたという記述もあれば任務中5~10時間はずっとこの球状の棺桶で過ごしたという記述もありますが、どっちにしろここは嫌だなぁ。
まあ詳しくはロサンゼルスで書くと思うんでここは一旦終了。



26機目、アメリカ陸軍のアゴことカーチスP-40C「トマホーク」。初飛行1938年。総生産数約13,700機。最近はP-40というと某重戦車を連想する人が増えていて影が薄くなっているかもしれない。
実は空冷エンジンを積んだ戦闘機P-36ホークを液冷エンジンに載せ替えただけの機体。例のFw190Dと同じなんですがデザインは破綻していないどころか上手くまとまっています、アゴ以外は。ちなみにエンジンは過給器に恵まれないアイツことアリソンV-1710です。
陸の偉大なる凡作がM4シャーマンだとしたら空はP-40だと思います。性能はそこそこながら頑丈性と信頼性が高かったことから大戦を通じて運用されていました。特に他国への供与がよく行われていました。この機体もアメリカが製造し、イギリスが購入し、ソ連が運用したというややこしい経歴を持っています。
P-40はサブタイプにより名前が変わるという珍しい命名がされていて、無印~C型はトマホーク、D~E型はキティホーク、F型以降はウォーホークとなってます。
これはC型なのでトマホークとなるわけです。C型は主翼に7.7mm機銃4門と機首に12.7mm機銃2門を装備したタイプ。アメリカ機にしては珍しく機首に機銃を付けた機体です。



横から。うーん、なんか無難。
先に書いたように、これはソ連で運用された機体で、ルンマスク防衛のためのカレリア戦線で運用されていて、1942年9月に燃料タンクをやられて胴体着陸、そのまま放棄されました。その後1990年代に発見されて、カリフォルニア州チノで修復され1999年にFHCが取得しました。
というわけでソ連機だったわけですが、写真ではこのように中華民国をこっそり支援したアメリカ義勇軍「フライングタイガース」塗装になっています。よほど好きなんですねぇ。



胴体後部。
羽根の生えた虎、フライングタイガーが描かれています。以前見たP-40には無かったのでこれは収穫でした。
コックピットの後ろのハイバックの胴体に、後方視界用のスキマがあるのにも注目です。さらに、スキマで気流を乱さないようにカバーがしてあるのも特徴です。



P-40と言えばシャークマウス、シャークマウスと言えばP-40というくらい、P-40にはシャークマウスが付き物です。
口の描かれてないP-40はアゴがすごいという感じの戦闘機なのですが、シャークマウスがあると途端にかっこ良く見えるので不思議なものですな。シャークマウスが一番似合う戦闘機でしょう。

今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その10 【2015/06/24~26】

2016-04-20 23:26:20 | 海外旅行記

書く前は4回くらいで終わると思ってたFHC編だけどようやく半分過ぎたくらいですよ。今回は箸休めに陸戦兵器を見ていきましょう。
17台目はサンダース大学付属高校アメリカ陸軍の偉大なる凡作ことM4A1シャーマン中戦車。アメリカ戦車といえばこれ。
他国の後塵を拝していたアメリカ戦車の水準を一気に第一線にまで持ち上げた戦車です。量産開始は1942年からで、意外と遅い。第二次世界大戦序盤まではウサギさんチームのアレことM3リー中戦車で凌いでいました。
アメリカの工業力を端的に表した兵器のひとつと言え、様々な工場で同時に生産されました。なお生産数は約5万両。比較にドイツのティーガーが1300両、ソ連のT-34が8万両でごわす。ついでに日本の九七式中戦車(チハたん)が2100両(悲
また、各工場の長所を活かすため車体の製造法(鋳造/溶接)やエンジンの種類(星型エンジン/ディーゼルエンジン/ガソリンエンジンなど)がそれぞれ異なっているのが特徴。こうなると部品があべこべで現場での運用に支障が出そうですが、機体構成は同一とし部品にも互換性を持たせることで、信頼性を高めています。たぶん前線ではニコイチとか普通にやっていたと思います。
このように生産性と信頼性はピカイチだったんですが、性能はそこそこといったところで、1対1ではパンターやティーガーなんかにはまるで歯が立ちませんでした。ただ、戦車道ならともかくこれは戦争なので、ティーガー1両に対しシャーマン5両で食い破るというアメリカらしいマッチョな物量作戦で押し切りました。戦いは数だよ兄貴。
アメリカはやっぱり飛行機が強い国なんだなとか思ったり。



これはM4A1という最も早く量産・実戦投入されたタイプ。なのですが、1945年まで生産は続けられています。
M4のサブタイプは色々あるんですが、その付け方は他の戦車と異なっています。普通なら、例えばドイツのIV号戦車なら最初の量産型のA型、それを改良したB型、それをまた改良したC型・・・という風に仕様変更ごとに1つずつ増えていきます。
ところがM4は多数のサブタイプが並行して造られていました。各工場での製造法や搭載エンジンの違いごとに細かくサブタイプが付けられてたんですね、はい。さすがアメリカ。
で、M4A1はどういう奴なのかというと、車体は鋳造、エンジンは航空機用星型エンジンというもの。鋳造車体のM4はこのM4A1だけなのですよ。あとは現存するM4の大半がイージーエイトことM4A3E8なのも相まって、なかなかレアだと思いますよ。なので、これ見たさにここに来たってのはあります。
丸っこい鋳造車体が可愛くて、私の中で行われた「好きなM4ランキング」堂々の1位を獲得しています。ちなみに2位がファイアフライ、3位がイージーエイトで、以下同率。



後部。この車高の高さは戦車としては不利なのですが(ただシャーマンだけ特別背が高いわけでもないのだが)、私個人としては好きな形状。正面から見た時のスタイルは美しいです。
戦車といえばスコップ、ロープ、予備履帯などといった付属品を車体に取り付けていることが多いのですが、この個体にはそれを再現してあってそれっぽいです。屋外展示とかだと付属品がついてない場合が多いんでこれは嬉しい。

この個体はプレスドスチール製で1943年アメリカ陸軍に配備、米本土での訓練用に使われますが、1945年初頭にオランダ陸軍へリース、退役後はマニアに取得されました。
2011~2012年にアメリカ陸軍第7機甲師団第31戦車隊の塗装に復元されました。リアの7△31△はそういうことなのね。



18台目、カメさんチームドイツ陸軍のヘッツァー駆逐戦車。通称へったん。超重戦車マウスを持ち上げたことは一部ではあまりに有名。
1943年11月にIII号突撃砲の生産工場が連合軍に爆撃されたため急遽開発された駆逐戦車。本当はIII突を生産させるつもりだったものの生産を打診されたBMM社にIII突を造る能力はなかったため、BMM社が製造していた38(t)軽戦車をベースにしたもの。1944年3月に試作車が完成し、以降約2800両が量産されました。
戦車砲は75mm砲で、車体は傾斜装甲を採用、おかげで車内は超狭かったらしい。シャーシや足回りは75mm砲搭載のために再設計しているので、38(t)とは似て非なる者。ガルパン劇中で38(t)からヘッツァーに改造していたけどあれは本当にムリヤリなのだ。まあツッコむだけ野暮なんだけど。
生産性と稼働率は良かったものの性能と運用性はどうもいまいちだったらしい。熟練搭乗員なら距離1000mから初撃命中出来たというけど、この頃それだけの射撃手はどれだけ残ってたんだかという感じであります。



後ろから。お尻もかわいい。へったん∩(・ω・)∩ばんじゃーい。
駆逐戦車なので旋回砲塔は付いていません。砲塔を無くした分軽くなった重量を大型の戦車砲に回して火力を上げるという方法を採っています。
この個体は戦後にチェコスロバキアで造られたもの(いわゆるST-Iか?)で、バラバラだったパーツを組み合わせて造り上げたらしい。



19台目、イギリス陸軍の17ポンド対戦車砲Mk.I (Aust.)。文字通り戦車をぶっ潰すための大砲。初速・貫徹力に重きを置いた設計になっている、対戦車道の主力兵装のひとつです。
2ポンド砲と6ポンド砲で戦争を始めたイギリスでしたが、ドイツ戦車の硬さに歯が立たず、イギリスの兵器選定委員会は800ヤード(約730m)先から120~150mm厚の正面装甲を破壊できる初速2700ft(約820m)/秒の17ポンド弾を発射するための対戦車砲の取得を決定、1942年から製造が始まりました。
イギリス最強の対戦車砲で、上記のM4戦車の派生型のひとつシャーマン・ファイアフライにも搭載されたのは有名ですな。



後ろから。射撃時には後ろ脚を展開するんですね。
対戦車砲は射角をほぼ水平にして射撃するので仰角を取るための余裕は無いです。これは高さを抑えることで敵戦車からの低視認性にも繋がります。
この個体はイギリスではなくオーストラリア製。オーストラリアでは128門製造され、一部は朝鮮戦争で実戦投入されました。これがそれのひとつなのかは分かりませぬ。



20台目、ドイツ軍88mm Flak37対空砲。あ、アハトアハトだぁ!
日本ではたぶんあまり知られてないと思うけど、欧米じゃ有名らしいよ。連合軍の爆撃機を撃墜するための対空砲です。他にも、写真では水平状態で展示されていますが、これ水平射撃も可能で対戦車砲としても使われていました。とあるオーストリア兵は「88は対空砲だとか対戦車砲だとかそんなチャチなもんじゃねぇ、対全兵器(原文はanti-everythingなんだけど上手い訳が・・・)だぜ」と証言しており、連合国は相当ビビッてたそうな。
発射間隔は15発/分で、これを大量に配置してバカスカ撃って爆撃機を落としていました。高高度を飛ぶ爆撃機相手に狙って当てられるようなものではないので、数撃ちゃ当たる戦法ですね。それでも射撃管制レーダーを駆使したことで、命中率はイギリスよりもかなり高かったそうです。確か対空砲4~6門合わせた1ユニットで3000発くらい撃ってようやく1機。イギリスはこれの数倍以上弾を消費するんですから、どちらも途方も無い数字よの。



21台目、ドイツ軍150cmサーチライト&24kW発電機。日本語だと探照灯(海軍)とか照空灯(陸軍)とかいうやつです。150cmというと戦艦「大和」に搭載してあったのと同じ大きさです。
上記の88mm対空砲の支援装備のひとつで、サーチライト、可搬式発電機、聴音機、運搬用トラック3台、要員13名から成る「サーチライト部隊」により運用されていました。さらに1ユニット対空砲4基の部隊に対してサーチライト9基を運用していたとのこと。
夜間爆撃してくるイギリス空軍を見つけるために聴音機と光学照準器で目標の位置を見つけ追跡しサーチライトで照らして対空砲で叩き落とすという算段のようです。
光度は9.7億カンデラで、これは高度1.3万~1.5万ftで7300m先を照らせるというもの。消費電力は77ボルトで200アンペアなので15kW/h。多いのか少ないのか分からないですけど。
ドイツ軍は昼夜問わずレーダーを使って対空砲を運用していたはずなんですが、レーダーのカバーできない地域はこういうのを使っていたのかもしれませんね。



こっちが発電機。8気筒51馬力エンジンで、1500rpmで直流200A150Vを発電していました。



22台目、プラウダ高校ソ連軍のT-34/85。第二次世界大戦時の傑作戦車のひとつです。これも有名どころですね。
接地圧の少ない幅広の履帯(見きれいているシャーマンと較べてみよう)、強力な76mm戦車砲(後に85mm砲搭載車も出現)、車体の装甲を斜めに取り付けることで見かけ上の装甲厚を増す傾斜装甲と、走攻守に優れたバランスの良い戦車です。生産性もずば抜けて高く、1945年までに約5.7万両、最終的には約8.4万両が造られました。戦車としては史上最多です。今でも軍で現役の車両があるとかないとか。
ただ、それを動かす人間に対しては配慮が疎かだったり、生産性を上げるために質を妥協するなど、工業製品としては今ひとつといったところだったらしい。その点はシャーマンには及びませんな。
あとは正面に設けられたハッチが特徴的ですかね。他の戦車ではあまり見ない構造だと思います確か。こんなん弱点になるに決まってんやんって思うんですがどうなんですかこれ。ちなみにハッチが開いているのはT-34の展示ではおなじみの方法らしい。



横から。これはT-34/85なので85mm砲を搭載したタイプ。ケレン味があって好きです。
ティーガーやパンターといった例のドイツ戦車への対抗策として造られましたが、それでも敵わなかった模様。なので物量で押し切りました。
この個体は第二次世界大戦末期に生産されたもの。復元に際し足回りの走行ギアはチェコスロバキア製のVT-34戦車回収車に置き換えられています。アメリカでT-34が見られるところは少ないのでなかなか貴重。私があとアメリカで知っているところは今営業しているのかしてないのかよく分からないアバディーンくらいです。逆に欧州ではそこら中にあるとか。
白一色の冬季迷彩に塗られています。ガルパンでも出てきた塗装ですな。ロシア語はさっぱりなので砲塔になんて書いてあるのかは知りません。



後ろから。
目を引くのが燃料タンクと思しきタンクですが、これ本当に燃料タンクです。なんて危ないことを、と思うんですが、実はT-34のエンジンはディーゼルエンジンなのです。これの燃料は軽油なので被弾しても燃えにくいのです。まあそれでも機外燃料なんて怖いと思いますけど。
T-34は航続距離が長いのが特徴ですが、それはこの燃料搭載量の多さとディーゼルエンジンの燃費の良さから来ています。
それから、同世代の戦車は極一部を除いて揃い揃ってガソリンエンジンを採用していて、T-34のディーゼルエンジンはかなり先進的と言っていいです。その後の戦車設計の手本になったとかいうT-34ショックというのは伊達ではないのだなぁ。ちなみに、私の知る限りディーゼルエンジンを搭載したその極一部の戦車はあのチハたんとはっきゅんです。目の付け所は良かったんだねぇ。なお工業力。

以上です。ガルパンに出てきた戦車ばかりで行った当時は盛り上がりましたね。
はい、今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その9 【2015/06/24~26】

2016-04-14 23:53:30 | 海外旅行記

再びメインハンガーへ。13機目はアメリカ陸軍カーチスJN-4D「ジェニー Jenny
第一次世界大戦時のアメリカの航空機といえばコレ、という機体だそうです。私は全く知りませんでしたが。
1917年、アメリカは第一次世界大戦への参戦を決めたものの、当時アメリカにあった飛行機はスポーツ用ばかりで、「これじゃ戦争に行ってもすぐにやられちゃうよ」となったのかはよく分かりませんが、戦闘用の練習機としてJN-4は開発されました。当時のアメリカ人とカナダ人パイロットのほとんどはこれに乗って練習したと言われています。
生産数は約6000機とされ、当時としては結構造っていた方なんじゃないんでしょうか。ドイツのフォッカーD.VIIが約3300機、イギリスのRAF S.E.5が約5200機くらい。
大戦終結後は1000機のJN-4が民間に払い下げられました。曲芸飛行用に使われた機体もあるそうで、低速飛行できる特性からマジキチ曲芸飛行ことウィングウォーキングに適しているとかなんとか・・・。あれってそんな昔からやってたのか。



この機体は、1918年製でカリフォルニア州マーチフィールド基地(9ヶ月後行くところだ...)で250時間以上の飛行訓練を行ったとされています。
なんと1919年には製造元のカーチスに売り戻されてしまい、その後は個人に再売却され以降何人かの手を渡り歩きながら俳優としてテレビや映画に出演したとか。
1999年にFHCは入手したときはボロボロになっていて、入手後にフライアブルにまで復元されました。
ボロボロだったものを飛行可能にまで復元したってことはこれほとんどレプリカに近いようなものなんだろうかね。フライアブル機は飛行時の負荷や安全性に耐えなくてはいけないので、多かれ少なかれ機体の構造部に至るまで新品に取り替えているということがあります。安全性のため、これのエンジンはオリジナルの種類とは全く別物が積んでいるとのことです。まあ書くと長くなるんで突っ込むのはこのくらいにしておきます。



14機目、ソ連赤軍のポリカルポフU-2/Po-2。制式時はU-2だったけど航空機命名規則が変わった時にPo-2に名前が変わりました、という経緯があります。
1927年6月初飛行の練習機です。かなり安定性があり練習機としては最適という機体だったそう。農薬散布機としても使われたそうな。
第二次世界大戦にも参戦していて、さすがにドイツ空軍と正面切って張り合えはしませんでしたが、偵察・連絡・補給といった裏方で活躍。
私は知りませんでしたが(泣)中でもドイツ軍から「夜の魔女」と呼ばれた第46親衛夜間爆撃航空連隊の活躍は有名だそうで。その異名通り部隊のパイロットはなんと全員女性でした。ここら辺の男女同権はソビエトって感じします。で、彼女らの任務は夜間にこっそり超低空で侵入してイモ野郎どもに爆弾をプレゼントすること。部隊名は大層なものですがその狙うところは撹乱や士気の低下といった嫌がらせってところでしょうかね。
Po-2、最高速度は150km/hと第二次世界大戦時に爆撃任務に就く機体としては遅すぎって話じゃ済まないくらい遅いんですが、意外と相手にとっては撃墜しにくい機体だったようです。あんまり遅いんで、例えば高速バカのBf109だとPo-2に速度を合わせると失速寸前の速度になってしまいヘタすると墜落してしまうんだそうな。あとは、爆弾投下前にはエンジンを切って滑空しながら爆弾を落としていました。エンジン切るのは消音対策ですね。機体が木製でさらに低空飛行するので、レーダーにも映らなかったというのも成功の要因とされています。夜は寝れねぇわ、あんな旧型機相手に手玉に取られるわで、ドイツ兵相当「ぐぬぬ~」としていたそうで。
同様の嫌がらせは朝鮮戦争でも行われていて、アメリカ軍国連軍相手に実行されました。爆弾1発でF-86を9機破壊したなんて言う奇跡みたいな戦果も挙げたとか。



後ろから。暗いな・・・。
本機は1944年製で、たぶん第二次世界大戦時に再生産されたグループだと思います。ベラルーシで放棄され、その後ポーランドで復元、2000年にFHCが入手。塗装は件の第46(中略)連隊のものです。
ちなみに生産数は4万機で、複葉機としては世界最多。



FHCでは最大の展示物15機目、アメリカ陸軍ノースアメリカンB-25J「ミッチェル」。初飛行は1940年8月。生産機数はギリギリ1万機に届かず、9816機とも9984機とも。実に惜しいので、お情けで1万機軍団に入れてもいいと思いますよ。
大型の戦略爆撃機B-29やB-17ほど有名ではないにしろ、ドゥーリットル空襲というキラリと光るエピソードがあるのでB-18やB-26みたいな聞いたことも見たこともない爆撃機ほど埋没しているわけでもない中型爆撃機です。

ドゥーリットル空襲は、負け続けだったアメリカが「日本本土を爆撃してクソジャップに一泡吹かせちゃるウシシ」という作戦で、それに使われたのがこのB-25なのです。ただ、アメリカ領から日本へB-25を飛ばすとトランスフォームしたって航続距離が足りないので、近くまで航空母艦USSホーネット(CV-8)に運んでもらいその甲板から発艦したのです。ちなみにB-25は艦載爆撃機としては設計されてない陸軍の爆撃機なので、かなりアレしてます。この作戦が無茶とか無謀とか言われるのはだいたいここです。
少しでも軽くして短い空母の甲板から発艦できるようにするために機銃から爆撃照準器まで余分なものは何から何まで下ろして出撃したとされています。照準器まで外したらマズいと思うんですが、嫌がらせが目的で精密爆撃は重要でなかったのと、照準器が結構な軍事機密だったんで万が一鹵獲されたら堪らんとあえて外したらしいです。そもそも、たかが16機のB-25が爆撃したところでその直接的な戦果は殆ど無いのです。
で、着艦はどうしたかというと、結論から言うとUSSホーネットへは戻ってきませんでした。発艦はともかく着艦は無理だったようで、着陸先は当時同盟を結んでいた中華民国の飛行場、つまり爆撃後は日本列島を横切って中国大陸へと向かっていったのでした。本当に無謀だと思いますよ、これ。
爆撃は東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸に対して行われました。アメリカ側は80名の搭乗員に対して戦死者は3名、捕虜8名とその無謀さからすると軽微な損害で済みました。大成功と言っていいでしょう。
この戦果はアメリカで大きく宣伝され国民の士気を上げることに成功し、日本は泡吹いて倒れてミッドウェイ海戦にマジで取り組み始めることになったのです。Po-2の夜間嫌がらせ爆撃といい、戦争において心理戦は大事よのう。

余談ですが、この作戦の立案者ジミー・ドゥーリットル、どうも結構人気者らしい。北米P4で訪れた航空博物館では彼の胸像をやけに見かけたのです。そ、そんなに大好きなのかしら?
もっと他にも誰かいるだろう怪しいぞってことで彼の経歴を少し調べてみると、元はパイロットで、MITの博士、初のアメリカ横断飛行を達成、シュナイダー・トロフィー・レースなど3つのエアレースで優勝となっておりました。おおう、これ結構な有名人じゃないか。
となると、この作戦の宣伝するところは「トーキョーを空襲してやったぜ」ではなく「あのみんな知ってる超有名人ドゥーリットル中佐が率いて成功させた作戦」だったのかもしれません。作戦名が東京空襲大作戦とかじゃなくてドゥーリットル空襲っていう人名から取ったというのが前から引っかかってたんですが、そういうことなのかな?



後ろから。
デカイんで展示スペースから主翼や尾翼がはみ出ます。
当時はこんなに大きい機体を持っているなんてすごいなと思ったもんですが、後で調べると割りと手頃なサイズなせいかB-25は大きい博物館にならどこにでもある機体と思うくらい保存されているんですね・・・。フライアブル機も多いですよ、ええ。アメリカすげー。
ちなみにこの機体は最終生産型のJ型ですが、これが保存機のほとんどを占めるサブタイプです。逆にJ型以外だったらB-25でも珍しいB-25よ、ということに。



胴体後部側面の機銃。こんなところにも付けるかい?



主翼の付け根にも機銃。というかこの機銃は防御用ではなく攻撃用だよね。
というのもJ型はH型の仕様変更型で、変更点は機首の75mm砲を撤去したこと。な、75mm砲!?
戦車砲か対空砲クラスの75mm砲を敵戦闘機からの防御に使うわけもなく、これは対地対艦攻撃用に使われました。他にも攻撃用の12.7mm機銃が8門・・・。爆撃機を攻撃機に使ったわけか。たまげたなぁ。まああまり効果なかったようです。
ちなみに日本陸軍にも四式重爆撃機に75mm高射砲を取り付けたトンデモ飛行機キ109がいました。

この機体の経緯ですが、1944年製で、戦後は世界初の射撃管制装置(FCS)ヒューズ社E-1の訓練用を積むために改造されました。
どういうわけかカナダ空軍で運用され、1961年に余剰機になり売却。その後カナダ・カルガリーの民間企業が購入し、今度は消防爆撃機に改造されます。
1990年にFHCが取得し、カリフォルニア州チノで大戦時に復元されました。
めちゃくちゃ改造されてんやん、おまえさん。傍目にはそう見えないというのはすごいですな。
B-25は戦後も練習機、輸送機、レーダープラットフォーム機として使うために残存しています(となると、原型のB-25って意外と少ないのかもしれないですね)。B-25がやたら、しかもJ型ばかり残っているのと関連性がありそうです。J型以前はほとんど潰してしまったんだろうね。



機首。機銃、多いなぁ。全部合わせて12門あるんですって。



16機目、イギリス空軍スーパーマリン「スピットファイア Mk.Vc」。初飛行1936年3月。総生産数約23,000機。イギリス戦闘機といえばこれですな。
エアレース「シュナイダー・トロフィー・レース」用に設計したレース機が設計の元になっていて、主翼が楕円翼という独特な形状なのが特徴。まあ地上から実機を見てもあんまり分かんないんですけど・・・。そんな基本設計の良い機体に、過給器が改良されるごとにパワーアップしていくイギリスの至宝マーリンエンジン(後期型はグリフォンエンジンに替えられたそうよ)が合わさったことで、Mk.IXが出てきた辺りにはドイツ軍機をけちょんけちょんにしてやったとかしなかったとか。
バトル・オブ・ブリテンで最強のルフトバッフェ相手にブリテン島を守りぬいたってことで、イギリス人はこれが超好きらしい。

スピットファイアはマークナンバーがとてもややこしいことで有名で、1938年量産開始のMk.Iから始まりMk.24まで派生型をこさえやがりました。これ、欠番無いからな。さらに海軍型のシーファイアや偵察型なんかも入れると30種類は余裕で越すと思うしもしかすると40いくかも(もう数えるのをやめてる
スピットファイアさんのめんどっちいところは同じマークナンバーでも主翼の形と武装が異なるということで、A~Eの各タイプがあります。ややこしいな。さらにさらに高高度型と低高度型もあって、それぞれHF型、LF型と分けられているのだ(通常型はF型)。翼端の形状が異なっていて、通常型と比べてHFは翼端が伸びていてLFは翼端がカットされているのだ。あとはエンジンもチューンされているらしい。ああもうややこしいな(ただし、翼端形状は前線でも簡単に交換できるせいか、高度の分類まではマークナンバーに書かれないからこれは無視してもいいと思う、ていうか無視したほうがいろいろ楽だ)。
なんて底の深い沼だ、スピットファイア!にわかの僕では手に負えん。スピットファイアのバリエーションを完璧に空で言えるのはイギリス人だけだろう。



この機体はMk.Vc(5c)で、Mk.Vは最初期の量産型であるMk.Iの改良型となっています。生産数が最も多いタイプなので保存機は多い・・・はず(大戦前半の機体だからあまり残存してないかもしれない)。ちなみにMk.IIは失敗で、Mk.IIとMk.IVは試作機止まりになっています。
大戦前半はスピットファイアといえどもドイツ機に圧倒されていて、「Mk.Iだと性能足りないし、かといってMk.IIは失敗したしIIIとIVも上手くいかねーし、これじゃやべーよ」とヤケクソ気味になって新しく改良されたマーリン45エンジンをはめ込んだ結果、なんかうまくいったらしい。
なので改良型と言ってもMk.Iの機体のエンジンを換えただけ。まあ戦況は逼迫してたし仕方ないね。性能もドイツ相手に打開できるほどでもなかったらしい。それをするには後に出てくるMk.IXを待たなければならなかったのでした。

その次、Mk.VcのCはC翼(C wing)のCで、主翼によって主翼内に収まっている武装が異なるというのは今書きました。で、C翼というのは20mmイスパノスイザ機関砲4門あるいは20mmイスパノスイザ機関砲2門、7.7mmブローニング機関銃4門の選択式。同じC翼でも武装が異なるというアレさです。プラモデルじゃないんだから・・・。ただこの拡張性や翼端の換装はロボット物みたいでロマンありますね。
ここの機体はどうかというと後者です・・・んー、上の写真見ると銃口片側4つあるなぁこれ・・・(汗)。主翼前縁から飛び出ているのが20mmで、その脇のはガンカメラだろう、きっと。その外側に7.7mmが2門あります。赤いシールが貼られているところです。当時の飛行場は舗装されていない滑走路が一般的でしたので、地上駐機中や離陸時にホコリを巻き込まないようにシールを貼るのです。離陸後に機銃を撃ってシールを外します(そうなるとさっきガンカメラと言った部分の説明がつかなくなるけどもう考えるのをやめた

この機体は1942年9月11日にイギリス空軍第312飛行隊に配備された機体。第312飛行隊はチェコ人で構成された舞台です。あくまでイギリス空軍なのですが、コックピットの辺りにチェコの国籍マークがあるのが分かると思います。他にもカナダ人部隊や亡命ポーランド人部隊で編成された部隊もあり、同様に胴体の何処かにそれぞれの国籍マークが小さく書かれています。
この機体は同部隊隊長トーマス・バイビラルの機体(だと思う)で、英仏海峡のガーンジー島で戦闘で被弾し撃墜、パイロットは脱出しましたが機体は大規模修復が必要でした。
戦列復帰後は別部隊で運用されていたそうで、終戦後は教材、展示用に使われました。1964年に用途廃止となりカナダの博物館へ売却、1999年にFHCが入手しました。



後ろから。やっぱり上から見ないと楕円翼って分からないなぁ。
20mm機関砲の根元から出ている主翼上面のコブは、内側に機関砲が収まっています。スピットファイアの主翼は薄いので大口径機関砲は収まらず、コブを付けることで無理やりねじ込んでいます。
他にもキャノピーとかオイルクーラーとか見るところあるんですけど、ちょうどいい写真がないのともう書くの疲れたんで、今日はこのくらいにしてやります。調べるほどドツボにはまっていく。



17機目、アメリカ陸軍のノースアメリカンP-51D「ムスタング Mustang。初飛行1940年10月。生産機数約16,000機。
強い、安い、カッコいいと、ムカつくくらい非の打ち所が無いと言われる第二次世界大戦最優秀戦闘機。真打ち登場って感じ。

1939年、ドイツがハッスルして戦争が始まると、イギリスが「P-40ライセンス生産してちょ」とノースアメリカンに頼むんですが、「あんなアゴ戦闘機なんて言わずに俺たちが超イケイケの戦闘機を新しく開発してやんよ」と今日にでも戦闘機がほしいというくらいのイギリスの要求を拒否し、後にイギリスで「ムスタング」と呼ばれるようになる(アメリカではP-51A)原型機を102日で完成させます(初号機ロールアウトまでは117日とも)。元々はイギリス用戦闘機だったんですよ、これ。
ところがこれに積まれていたエンジンは、あんまり大したことないエンジン(除くP-38)ことアリソンV-1710エンジンだったのだ。これによりなんだか平凡な機体に仕上がってしまい、世界線が違えば戦場の影で対地攻撃や写真偵察を行っていた地味地味な機体に終わっていたのかもしれません。
が、今我々がいる世界線にはマーリンエンジンがあったのでした。イギリスの技術士がエンジンをマーリンに換装させて飛ばせてみるとあら不思議、性能が段違いに良くなったのです。魔法かいな。このマーリンを積んだムスタングは、アメリカではP-51B/C、イギリスではムスタングMk.IIIと呼ばれるようになりました。
そして、みんなも知ってるキャノピーを全周が見えるようにしたバブルキャノピーと6門に増やした12.7mm機銃を装備したP-51D/ムスタングMk.IVが完成したのです。あとP-51Hってのがあるけど無視します。



横から。胴体は意外と短いんだなぁって思います。これで爆撃機並みの航続距離を持つんだからどこに燃料載せてんだっていうアレ。
最初はパッとしない奴だったけどその後超絶パワーアップして敵国をボコボコにしてやったという、なんだかアメリカ人が好きそうな機体なのか知らないですけど結構な数が現存していて、いるところにはいる機種です。速いところに目をつけられてエアレース機に魔改造された機体もいるそうですよ。贅沢なことするなぁ。

この機体はアメリカ陸軍第8空軍第353戦闘航空団所属だった機体。第8空軍はドイツへの戦略爆撃を行っていた部隊で、第353戦闘航空団はその爆撃機の護衛隊ですな。
ハリソン・ブド・ルドルフ大尉の搭乗機で、Me262ジェット戦闘機も撃墜したんだそうな。戦後はスウェーデン空軍とドミニカ共和国空軍を渡り歩きます。ドミニカ共和国はP-51を最後まで運用していた国で、1984年に退役するまでその状態は良好であったと思います。その後1998年にFHCが入手し、1945年の状態に復元。2003年にはルドルフと再会しました。



後ろから。いやぁ、これはカッコいいでしょ。



スピットファイアの横に置いてあった、イギリスの至宝ロールスロイス マーリンMk.25 V型12気筒エンジン
スピットファイアを常に一線級の戦闘機にパワーアップさせ続け、P-51を超優秀戦闘機の押し上げた傑作エンジンというのはさっきも書きました。実は戦闘機以外にも使われていて、ランカスターやモスキートのような爆撃機、果てはコメットやセンチュリオンといった戦車に加えてモーターボートにも搭載されてしまい、その枠は航空機用エンジンを超えています。なんだこいつ。
生産数も16万台となんじゃそりゃという数で、これは本家ロールスロイス製の他にも、大量生産の権化アメリカでもバカスカとライセンス生産されていたからです。
アメリカではパッカードという自動車メーカーが造っていました。パッカード製エンジンはパッカード・マーリンとかV-1650とかと呼ばれています。なおP-51に載せられていたのはパッカード・マーリンの方です。他にイギリス用にも輸出されとりました。

このMk.25はロールスロイス製で、モスキートに搭載されました。戦闘機用と爆撃機用ではチューンが異なるのかしら。
高度2000ftで1640馬力、高度9500ftで1500馬力となっております。
カットモデルになっていて中身が見えますが、まあ、よく分かんねぇです。写真手前側が前です。



後ろ側。エンジンの後ろに出っ張ってゴチャゴチャと付いている部品は、機械式過給器(スーパーチャージャー)です。
マーリンはエンジン本体も優れていましたが(どう優れてたかと聞かれると分からないけど)、過給器も優れていました(どう優れてたかとry)。過給器の改良によりマーリンはパワーアップを続けてきました。過給器が良いとエンジンの出力は上がるし高高度でも性能を発揮できるんで結構大事な部品。
このMk.25は1段2速。まあ、よく分かんねぇわな(手抜き
最終的にMk.61以降の2段2速の発展していきました。

今回はここまで。


その10へ→

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その8 【2015/06/24~26】

2016-04-09 23:34:12 | 海外旅行記

FHC編3回目。今回はドイツの世界一の科学力の粋を集めたビックリドッキリメカを見ていきますよ。
今更ながら館内はこうなってるんです。格納庫を利用した展示館というのは、収蔵機体を詰めるだけ詰めてしまった結果機体全体が超見づらいということが間々あるんですが、ここは仕切りに遮られて機体に寄ることは出来ないもののゆとりを持って機体が配置されていて、いろいろな角度から観察できて好印象です。



9機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその1、報復兵器2号ことV-2ロケット。ズゴゴゴと大気圏外まで上昇していってその後は自由落下してロンドンとベルギーを叩き潰しにいく、要は人類初の弾道ミサイルです。
人類史上初めて大気圏外へこんにちはした人工物でしょう。基礎研究は戦前から進んでいたとはいえ大戦中にこんなの開発するなんてドイツすごすぎ。そりゃあシュトロハイムも「我がナチスの科学力はァァァァァァァアアア世界一ィィィイイイイ」と言いたくなるわな。
ちなみにこれの開発者はヴェルナー・フォン・ブラウン、アポロ計画のサターンロケットを造った人だすな。あとはガンダム知ってる人なら月面都市に同じ名前が付けられています。私が最初にフォン・ブラウンを知ったのは後者からでした。
今の弾道ミサイルがそうであるように自由落下して地上に激突するとなると迎撃はもう無理ですから、撃ちだされたらオシマイということで連合軍は血眼になってこれの発射基地を潰しに行きました。ドイツもこりゃイカンとなって発射台を移動式にしてました。
ただ当時は精密誘導装置なんてないですから、3000発発射して命中率は4%程度しかありませんでした。命中したとしても炸薬量は980kgとこの後出てくるV-1より少し多いくらいですから図体の割には・・・とも取れます。ただ軍人や市民への心理的効果はV-1よりも大きかったと思います。こんなのが前触れ無く降ってくると思うと怖いものな。
報復兵器2号の運用もむなしくドイツの旗色がますます悪くなってくると、アメリカやソ連はこれらドイツの秘密兵器やその技術者たちの獲得競争に出ます。V-2を始めとしたビックリドッキリメカはその時に結構な数が鹵獲されているのです。フォン・ブラウンもその時に米軍に投降してそのままアメリカに連れてかれたのでした。
ただしFHCのV-2はアメリカが持ち帰ったものではなく、1990年代にノルトハウゼンの地下工場から見つけ出したもの。
このV-2は外板の一部が外されていて内部構造の見られるようになっていますが、「V-2?それなんてガンダム?」程度の認識だった当時の私には関心がなく、こんな写真しか撮ってないのよという有様。しくしく。



ハンガーからはみ出て建てられた空間にドイツ秘密兵器軍団が鎮座しています。まずは軍団の先鋒V-1飛行爆弾シリーズ。2つ置いてありますが、右と左で少し異なっています。
ちなみにこれら秘密兵器軍団、なにせ先端技術の固まりなんで、上でも書きましたが大戦末期から戦後にかけて連合国が研究のために片っ端からかっぱらっていったため、その後それらを譲り受けたものが今でも結構な数残存しています。V-1はその筆頭で欧米のあちこちの博物館で見ることが出来ます。
なんというか調べていくうちに、ドイツの科学力すごいしってなるし、工業力でそれに対抗する連合軍もすごいしってなるし、翻って我が日本は・・・・・・となると、段々情けなくなってきますな。チーン。



10機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその2、報復兵器1号ことV-1飛行爆弾。V-1のVとは報復 Vergeltungswaffe(読めない・・・)のVです。V-2も同じ。V-2が弾道ミサイルの元祖だとしたらV-1は巡航ミサイルの元祖と言えます。
占領下のフランスにある発射台からシュゴーッと発射されてドーバー海峡を渡ってロンドンを火の海にしてやるぜという兵器。動力は当時最先端のパルスジェットエンジン(胴体後ろについている筒)を用い、ジャイロコンパスで方角を、気圧高度計で高度を、先端についているプロペラの回転数で飛行距離を割り出し、設定した距離に到達するとエンジンが停止し目標に向かって落下するという自動操縦装置を持っていました。
パルスジェットエンジンの出す音は数km先からも聞こえるやかましい特徴的な音で、イギリス軍からは「バズボム(ブンブン爆弾)」と呼ばれてました。その音が聞こえなくなった時はつまりV-1が落下する合図ということなので、市民へ恐怖心を与えました。ただし後期型はエンジンを切らずに落下していったそうな。
ただこれも精密誘導出来ないんでやはり命中率が良くなく、ロンドンへは約9000発発射されて命中したのは約2400発。大部分は外れたり敵機に撃墜されたそうな。なお全体では約2万2000発発射されたそうで、V-2に比べるとやはり生産性は高いですね。命中率も良くないとはいえV-2と比べると高いです。さらに炸薬量は850kgとV-2と大差ない数字です。100kgそこらの違いで威力にそう差がでるとも思えませんし、V-2って見た目は派手ですけどコストの割には微妙なのかも。
で、V-1も例に漏れず連合軍に鹵獲されまくり、アメリカなんかは戦後にこれのコピーを造りまくったりもしたんですが、このV-1は1990年代にノルトハウゼンの地下工場から発見されたもの。ノルトハウゼンには報復兵器軍団を製造するための地下工場があったんで、たぶん上のV-2と同じ場所でしょう。ていうか戦後半世紀にもなって見つかるというのはちょっと遅すぎない?という気がしないでもない・・・と思ったら、ノルトハウゼンは東ドイツだったので、なんとなく腑に落ちたような。東西統一までは調査されなかったんだろうなきっと。
地下工場だと保存性高そうだから意外と原型を保っている個体なのかも知れません。それを見分ける術は持ってないんですけど。



11機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその3、人間爆弾ことFi103R。V-1の有人型ですがV-1とは呼ばれずに区別されています。Rとはチェコの都市リベレツのドイツ語読みライヒェンベルク ReichenbergのR。ちなみにV-1はドイツ宣伝省が付けた通称で、正式名称はFi103なんですけどV-1の方が有名すぎてみんな覚えてくれない。
大陸反攻を図る連合軍艦艇への対艦兵器として設計されたもの。無人機のV-1は目標が大きくかつ移動しない都市や基地を標的としていたものの、それに比べると点のように小さくかつ避けられてしまう艦艇では全く使えないじゃんチクショーメ!となってしまうので、現時点で揃えられる最強の誘導装置ゲルマン民族を載せることで対艦攻撃でも有効性を出しました。
人間はどこに乗るかというとエンジンの手前です。風防があるのが分かるでしょうか。これにより自動操縦装置は外されています。V-1には付けられていた機首のプロペラが無いのが風防の有無と並ぶ両者の識別点です。
こんなの特攻やんと思うんですが、敵艦に向けてのコースを決めた後は脱出するように一応言われていたとのこと。でも、あんな窮屈な操縦席から脱出するの見るからに難しいし、身体を乗り出せたとしてもコックピットの真後ろにはジェットエンジンの吸入口がありまして、頭か手か脚が吸い込まれてミンチにされるのは火を見るより明らかでして。脱出できるよなんてのはまあ建前で、本質的には日本の神風兵器と同じでしょう。軍隊、追い込まれるともう何でもありになってきますね・・・。
ただ、幸いにも実戦投入はされませんでした。パイロット養成にかかるガソリンの量が確保できなくなったから(1人養成するのにガソリン5トン)という身も蓋もない理由なんですが・・・。
このFi103RもV-1やV-2と同じ場所で発見されています。やたら残っているV-1と違ってFi103Rは6機しか現存しておらず、貴重な1機のひとつと言えましょうぞ。そもそも生産数150機くらいですしね。



12機目、ドイツ軍の秘密兵器シリーズその4、ロケット戦闘機ことメッサーシュミットMe163B「コメート Komet。何だお前ナメてんのかといった格好をしてますが、今のところ唯一のロケットモーターを動力にした戦闘機なのです。次に現れるのはガミラス星人が地球を攻めてくる辺りか人類がスペースコロニーに移住する辺りでしょう。
彗星の名に違わぬ超速い上昇力と高速性を持ち30mm機関砲2門を装備し、こりゃ手の届かないところを飛んでるB-17もイチコロだぜ!となったのです。但しエンジン点火から8分まで。
エンジンの燃焼時間はたったの8分間なため航続距離は極めて短く、攻撃のチャンスは多くて2回程度。燃焼後はグライダーとなって滑空するだけで、敵戦闘機にとってはいいカモ。で、「あいつ足短すぎね?」ということに気づいた連合軍は、爆撃機の飛行経路をMe163がやって来れないようなルートに変更してしまい、たちまち無力化されてしまいましたとさ(悲
ちなみに機体についている車輪ですが、軽量化のために離陸後はなんと外してしまいます。着陸する時は胴体下面についているソリ(黒い部分)を使うという豪快な設計。こんな狭いソリで着陸できるわけないやん・・・。



横から。やっぱ戦闘機としてはふざけた形してるよなぁ。アニメかよ。
主翼は後退翼になっているのね。
ついでに機首のプロペラも何で付いているのかが長年の謎だったんですが、機内の発電機発電用なんですってね。



後ろから。
あれ、こいつ尾翼無いでやんの。
あのお尻の穴から燃焼させた燃料を飛ばすのじゃ。意外とあっさりしたものね。これに搭載していた燃料はえらく爆発しやすく、飛ばす時はもちろん普段地上においている時も危険で大変だったそうな。
この機体は完成前に工場間をグライダーとして使っていたそうな。連絡機だったのかな?その後1945年5月8日、つまりヨーロッパ終戦記念日にイギリス軍によりやはり珍しかったんでしょう、例によって鹵獲され評価試験のためファーンボロ王立航空機関へ移送。1961年にダックスフォードの帝国戦争博物館に寄贈されたんですが、どういうわけか2005年にFHCが取得。
帝国戦争博物館って今もバリバリやってる博物館なんですけど、よく手放したなぁって感じです。なんだか金の匂いがするぜ。ていうかここの収蔵品、ポール・アレンの資金に物を言わせてかき集めたって感じがしないでもない。マネー・イズ・パワーだね。



Me163のエンジンHWK 109-509。ちっせぇな。これで高度1万mまで飛ぶもんなんですね。
写真の殆どが潰れてるし、仕組みに関してはスルーで(手抜き

ドイツの超兵器軍団はこれでおしまい。Me262やHe162といったジェット戦闘機はありませんでしたが、一箇所にこれだけ集めたのは大したもんだと思います。



ロケットエンジン繋がりってことでここに展示されてるのかしらというXLR99ロケットエンジン。これも意外と小さいなという印象。ただ、エンジン自体は小さくても燃料の搭載スペースを食うんだろうな、ロケットエンジンは。
超超音速と超高高度での飛行、さらには宇宙空間に近いところまでの飛行性能を調査するための実験機X-15の搭載エンジンです。宇宙空間となるともう飛行機じゃなくて宇宙船だね・・・。
推力は2万6000kgで、最大出力で83秒間の燃焼が可能。地上から燃焼すると燃料が持たないからか、B-52に運ばれて高度4万5000フィート上空から射出され、燃料を使いきった後は滑空しながら地上へ着陸という方式でした。航空機の最高速度マッハ6.7、高度35万4200フィートという世界記録を未だ持っています。
このエンジンの出処は不明です。新しい物に交換されて用済みになったエンジンか、墜落した3号機のエンジンか、というところですかね。X-15は3機造られていて、1号機と2号機はそれぞれスミソニアンとアメリカ空軍博物館に収蔵されています。



んー、じゃあついでにこれも置いとくかという感じで吊り下げられてるベルX-1の模型。スケールは書いてなかったんで不明。
今は56種類くらいあるXプレーンズの最初の1機種目で、1947年10月14日に史上初の音速を突破した航空機として知られています。この時のパイロットはチャック・イェーガーで、X-1ともども某ストパン界隈では有名な・・・はずよね?
これも動力はロケットエンジンで、プロペラじゃあまず無理、ジェットエンジンもまだ怪しいってことでロケットエンジンになったそうな。
この模型は映画の撮影かなんかで使われたらしい。で、肝心の実機はスミソニアンが持ってます。いつか行きたいなぁ、スミソニアン。

今回はここまで。


その9へ→

【ギャラリー】 海上自衛隊むらさめ型護衛艦 DD-108 あけぼの

2016-04-07 23:59:23 | 模型ギャラリー

「あけぼの」は2002年3月19日に就役した汎用護衛艦。
就役後は第4護衛隊群第4護衛隊に編入され、呉に配備された。2011年には第1護衛隊群第5護衛隊に転属し、母港も佐世保へと移った。
インド洋やソマリア沖などへの海外派遣が多いほか、2010年6月にはカナダ海軍100週年記念観艦式に参列するためカナダ ブリティッシュコロンビア州のエスクイモルト基地に「あたご」と共に寄港した。



海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」です。以前に作った「あたご」同様、カナダへの来訪歴がある艦ということで製作しました。「あたご」と並べられるよう1/700スケール、フルハル形態としています。
製作途中でダレてしまいましたが、どうにかどうにかという感じです。



横から。分類は駆逐艦ですが、大きさは太平洋戦争時の軽巡洋艦クラスですかね。
こんごう型での設計が取り入れられていて、レーダー波をあさっての方向へ飛ばすために傾斜しつつ角ばったステルス性を持った外板、アスロックやシースパローのランチャーを垂直発射装置(VLS)に収めている点は代表的です。



後ろから。



艦首。



中央部。
後部VLSは蓋が付いていないというのは意外で、知りませんでした。実物を上から見る機会なんてそうないですからね。そもそもむらさめ型は生で見たこと無いんですけどね・・・。
短魚雷は失くしました(



ヘリコプター甲板。



最後に「あけぼの」と「あたご」を並べます。我ながら様になってると思いますw艦船模型は数を揃えてなんぼなんだなと。
思ってたより時間がかかってしまいましたが、やってみたいことを実現できてひとまず満足です。



【1/700】 護衛艦「あけぼの」製作 【ピットロード】

2016-04-04 00:25:23 | 艦船模型製作記

前回の作品からちょっと間が空いてしまいましたけどね、また作りました。
なんだか極東の島国では戦車プラモがまた流行っているようですがカナダでは相変わらず自動車プラモが人気ですよ。次は航空機でその次が戦車かな。船はやっぱり人気無いらしいぞ・・・(涙
私の興味ももっぱら航空機なので戦車プラモはまだ作る気はないですねぇ。

今回はカナダ訪問艦シリーズ第2弾、海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」です。2010年6月に「あたご」と共にビクトリアのエスクイモルト基地に訪問しています。
カナダ訪問艦はこの2隻だけだと思ってたんですが、帝国海軍時代に戦艦「霧島」が1918(大正7)年に、装甲巡洋艦「出雲」が1914(大正3)年にそれぞれエスクイモルト基地を訪問しています。「霧島」は御召艦運用の代打、「出雲」は第一次世界大戦時の北米西海岸防衛のための航海でした。調べたり訊いてみるもんですね。この2隻もいずれ作らねば。あ、でも霧島はたぶん近代化改装前だろうな。



スケールは1/700、キットはピットロード製で、フルハル形態を選択。キット名は「さみだれ」ですが「あけぼの」と同じむらさめ型で、「あけぼの」を含めた他の艦のデカールも付属しているのでこれで「あけぼの」が作れます。
先に作った「あたご」とは船体の分割の仕方が異なっていて少し戸惑う。
船体の一部は盛大にヒケていますが・・・・・・無視します。



船体と上部構造物を組み立てた進水状態。



ミサイルのVLS化と船体のステルス化はむらさめ型が最初だったのかな?中央のVLSは露天むき出しなんですねぇ。



マストは組立ててから塗装すると楽ですね。



護衛艦には喫水線辺りに黒い帯があってこれを塗らなきゃならないんですが、まあマスキングして塗るじゃないですか。で、テープ剥がすじゃないですか。この有様ですよ。
「あたご」でも同じ目にあったんで今回は慎重を期したんですけどダメでしたね。ていうか前より重症だぞこれ。やっぱりサーフェイサー吹かないと食い付きが極端に悪くなるんだなー。何度も言いますけど、カナダだとサーフェイサーは値段が2倍以上するのでケチっています。
結構ショックだったので、1ヶ月間ほど作業が停滞する。



1ヶ月後どうにか立ち直って制作再開。で、完成しました。うむ、いいんじゃないか?
ピットロードのキットは重りが入っていないので自力調達する必要があります。ジェット戦闘機プラモの重りのように絶対必要な部品ではないですが、あった方が特にフルハルで作る場合は安定性が上がるんで仕込んでおいたほうがいいです。私はホームセンターで売っているバラ売りのナットを入れました。



レーダー類は超適当に処理してるんであらが目立つゾ。あんま近くで見ないでくれよな。
ヘリコプターは作りこむ気が起きないのでグレーで塗っただけ。どうせ作るなら1/72くらいの大きさで作りたい。



艦首。
護衛艦の艦橋って他国と比べて背が高いよね。



カナダ訪問組同士で。あー、いいですね。やっぱり「あたご」の方が一回り大きいですな。

というわけでサクサクと作りました。続きはギャラリーで。

北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その7 【2015/06/24~26】

2016-04-02 23:48:03 | 海外旅行記

FHC編の2回目。4機目はイギリス空軍のホーカー・ハリケーンMk. XIIA
スピットファイアと並ぶ第二次世界大戦時のイギリスの主力戦闘機のひとつなんですが、スピットファイアと比べるといまいち影が薄い。というのも性能が平凡だったらしい。スピットと同じマーリンエンジン積んでるくせに。バトル・オブ・ブリテンの時もスピットファイアは戦闘機の、ハリケーンは爆撃機の迎撃を担当していたとのことですが、要はドイツ戦闘機じゃ性能低くて相手にならないからノロマの爆撃機を相手にしてたってことじゃんね。

この機体Mk.XIIA、つまりMk.12Aはカナダ自動車鋳造社製でエンジンはアメリカでライセンス生産されたパッカード・マーリンXXIX(29)を搭載。Mk. X以降の機体はカナダ製と見て問題無いです。ただしMk. Iにはカナダ製もいるのでそこだけ注意。
製造日は不明ながらおそらく1941年製、元々は艦上戦闘機型のシーハリケーンとして製造され1942年1月22日にカナダ空軍に配備されるも実戦は経験せず。
空軍が艦上戦闘機?怪しいと思ったんですが、シーハリケーンは元々商船にカタパルトを付けただけの船CAMシップで運用するための機体だったようで。ドイツの通商破壊対策に急遽改造されたCAMシップですが、これ空母じゃないので、シーハリケーンは一度発艦すると着艦ができなくなってしまい、機体は近くの陸地の基地に着陸するかそれかもう海上に不時着して機体を放棄、乗員は救助(必ず救助されるとは言ってない)という使い方をしていたそうな。なんじゃそりゃ。
これじゃイカンでしょ、ってことになって今度は商船に飛行甲板を乗っけた軽空母というべきMACシップを改造していったそうな。ただし日本の商船改造空母「飛鷹」などのように改造後は軍に徴用されるということはなく、あくまで商船として運用されていた模様。

話を戻して、それでもMACシップなどを運用していたのは海軍のはずですから、海軍型として造ったけどいらないらしいから空軍に回しとくわって感じだったのかも知れません。艦上戦闘機を陸上戦闘機として使う分には問題無いですからね。でもやっぱり不都合があったのか後に艦上戦闘機の機能を削いで普通のハリケーンMk. XIIAに改造されました。
その後着陸に失敗して損傷し、そのまま廃棄。それからイギリスで復元されて2006年3月15日にフライアブルになるまでになりました。



横から。なんだか無難、無難、アンド無難といった印象を受けるのは気のせいかしら。
ハリケーンの特徴としては胴体後部が羽布張り、つまり外板が鋼管の骨組みと布で出来ているのです。胴体前半の外板はなめらかな表面なのに対して後半部分は横にスジが通っていてカクカクしているというのが分かるでしょうか。これが羽布張りの部分です。こんなナリしてずいぶんと古い技術を使っているのね・・・。後期型のこのMk. XIIAはまだいい方で、初期型は主翼一部も羽布張りでした。なお初飛行は1935年11月。これの半年前にドイツのBf109が初飛行しているんですから、古いと言われても仕方ないよね。
あと、主翼が厚いのね。主翼が厚いというのは揚力を稼ぐのには都合がいいんですが、その分抵抗が大きいんで高速性は犠牲になります。主翼を薄くすればその逆です。ここら辺は設計者のさじ加減ですね。でもこれ、同時期の戦闘機の中でも厚い方でしょう。他の戦闘機はなんとも思いませんでしたがこれだけは「厚いよなぁ」って感じさせますし・・・。
それでも必要なときに必要な数を揃えられるという面では優秀でした。何せ造るのが簡単。イギリス最多戦闘機はこれですし、大戦序盤では中々数の揃わないスピットファイアに代わりイギリスを守っていたのです。



尾翼の付け根辺りのアップ。
布と言っても布目は塗料の厚塗りで埋めているので一見すると布だと分からないですが、まあ布です。他の博物館で羽布張りの資料を触ったんですが、障子の紙を丈夫にしたくらいの感じで、割と簡単に穴を開けれそうな感じでした。
機体には、フライアブル機の証とでも言うべきレジ番号が書かれています。このハリケーンはNX54FHです。ただ、歴史考証的には邪魔なものに他ならないので、普通はこれのようにとても小さい文字でしかも水平尾翼の下という目立たない位置に書かれます。
あとは、Fw190では埋められていた整備器具の差し込み穴がハリケーンには残っていて、注意書きも書かれています。この考証の差というのはレストア業者によりけりということでしょうかね。



5機目、再びドイツ空軍でフォッケウルフFw190D-13ドーラ。前回見たFw190A-5とは別の機体ですよ。
Fw190はおおまかに3つのサブタイプがあります。ひとつは空冷エンジン搭載の戦闘機型であるA型、もうひとつはA型から派生した戦闘爆撃機型のF/G型、で最後が空冷エンジンを液冷エンジンに換装して(!)高高度性能を確保した後期戦闘機型であるD型です。
Fw190は第一級の性能を持つ戦闘機でした。ですがそれは「高度6000m以下でなら」という但し書きが付きます。高高度性能の優れる連合軍の戦闘機が出てくると対抗するのが難しくなってきます。
「じゃあ高高度に対応したエンジンに載せ換えればええやん」って感じに改造されて1944年8月からD-9型が量産されることになります。それでも高高度性能は満足行くものではなく、結局はジェット戦闘機Me262の実用化を待たねばなりませんでした。ドーラという名前はサブタイプのDから取られています。なおサブタイプの数字は9から始まります。試作機は1と2で、3~8は何故かすっ飛ばされたようです。このD-13型はエンジンにユモ213Fを、武装に20mm機関砲4門を搭載したものです。D-13型としては唯一の現存機だそうな。
で、そのエンジン換装なんですが、A型のBMW801空冷エンジンからユモ213液冷エンジンに換装したんです。空冷エンジンの形状は前面投影面積が大きいけど奥行きが薄い、液冷エンジンの形状はその逆と対照的なわけです。空冷エンジンを載せるように設計されたFw190に液冷エンジンを載せてしまったので、機首部の形状が別物みたいに変わってしまいました。特に長さが120cmくらい伸びてしまい、なんかもうえらく不格好に・・・。
こんなに鼻の長い戦闘機もそういないでしょうし、あんまりにアレなんで長鼻とかデブとか豚とか言われてたらしい。ツラいンゴね。



前から。
お前のような液冷エンジン機がいるか!ってスタイルしてますね。普通は上のハリケーンみたいな形を想像するんですが・・・。エンジンカウルが付いている戦闘機は空冷エンジンだよって前に説明しましたが、これは例外ですw
このエンジンカウルのようなものの内側には実はラジエーターとオイルクーラーが収まっています。豚みたいな見た目の割には、胴体下面に装着していた他の液冷エンジン機と比べて空気抵抗を抑えることが出来て効率的だったそうな。
D-13のプロペラスピナーにはちゃんとグルグル目玉の塗装がされていますね。敵パイロットの目を回して墜落させちゃるというものではなく、敵味方識別用のマーカーです。日本軍機の主翼前縁の黄帯、連合軍機の主翼の白黒の縞模様と同様です。あとプロペラ太いなぁこれ。
機関砲は主翼と胴体に2門ずつ・・・って思ったら博物館の資料には3門と書いてありにけり、おや・・・?胴体の機関砲は1門だけなのかな?
主翼の機関砲の外側についている穴はガンカメラらしい。この時代にガンカメラなんてあったのね。よく分からないのでスルー。

製造時期は不明ですが1945年3月に第26戦闘航空団に配属、その2ヶ月後に連合軍に鹵獲されアメリカのインディアナ州で性能評価試験に供されます。試験後は大学や個人の手を渡り歩いて2001年に復元、2007年にFHCが購入とのこと。唯一のD-13型の現存機なので、万一の損失を考慮して飛行させるつもりはないとのこと。
というかD-9型を入れてもD型の現存機は4機しかなく、大戦後期に登場した機体でありながらその数は少ないです。D型の総生産数は700~800機らしいんでそう考えると妥当なのかな。あとはまあ敗戦国の宿命かしらん。



後ろから。
機首の長さが前に伸びたFw190Dですが、実は胴体も後ろ側に伸びています。
飛行機は揚力さえあれば飛べるというものでもなく、主翼を重心にやじろべえのようにバランスを取る必要があります。左右はともかく前後、つまり胴体の重量バランスを取ってやらんといかんのです。なのでエンジンという重量物が胴体の先っちょにあるレシプロ戦闘機は主翼が胴体の前側にあります。対してジェット戦闘機はエンジンが胴体の中央辺りにあるので主翼がレシプロ機よりも後ろ側にあります。
以上を踏まえて、Fw190Aよりも機首の長さが伸びたD型はバランスが崩れてしまうのです。A型のサイズで最適化するよう設計されているので当たり前です。じゃあどうしようかなとなると「後ろにも伸ばしてバランス取りゃええやん」となるわけです。でまあFw190の場合、延長の仕方が雑というかなんというかって感じで・・・。



比較用に前回のFw190A-5の写真を載せておきましょう。改めて見ると、なんかもう別物やん・・・。
どこを延長したかというと、またひとつ上に戻ってもらって、胴体後部と垂直尾翼の付け根あたりの間。なんか伸びてるなぁっていうのが分かるでしょうか。この伸ばした部分、再設計したのではなく延長用のパーツをはめ込んでくっつけただけで元の機体の構造や外観はいじっていないという簡単さというか豪快さ。
A-5型の胴体上面から垂直尾翼までのラインがなだらかな曲線を描いているのに対し、D-13型の方は間にストンと直線のラインがあるのが分かるでしょうか。もっと言うと胴体の白い部分、ここが延長用パーツをくっつけたところです。
プラモデルじゃないんだから・・・というくらいの雑さです、はい。当時はもう連合軍に押され気味だったのでもはや設計に時間をかけること出来なかったんでしょうかね?
それと、胴体の他に垂直尾翼も拡大されているんですってよ。確かに気持ち大きくなっている気がします。



続いて6機目、赤軍(ソ連)のポリカルポフI-16 Type 24「ラタ Rata。ひと目でわかる、こいつはイロモノだ!
存在はなんかプラモデルで見たような覚えがあって知っていましたが、まさかこんなところで見られるとは。いやぁかわいいですな。
初飛行は1933年12月。引込脚、単葉機、モノコック構造と当時としては意欲的で、特に引込脚はI-16が初めて採用した機構です。
んなことが霞んでしまうくらいにインパクトの大きいのが何と言っても胴体の短さでしょう。I-16以前にも死に急いでいるレース機ことジービーというよく似た飛行機がいますが、ポリカルポフがこれを参考にしたって話は聞きませんね。どちらも速さを求めるならどうしようってことで「胴体を短くして重量を軽くしたほうがいいんじゃね?」という同じ結論に達したのかも。
スペイン戦争や冬戦争、日本で有名なところで言うとノモンハン事件など戦間期から第二次世界大戦序盤まで活躍。性能は悪くなく、特に高速性はその寸詰まりの胴体のおかげで他国の戦闘機に優っていたんですが、この時期の航空機の進化の早さは目覚ましくあっという間に陳腐化してしまいまいました。ノモンハン事件なんかだと日本軍のやられ役ですし・・・。
この機体は1940年製でフィンランドとの冬戦争に投入されてフィンランドの砲撃(対空砲なのか駐機中にゲリラにやられたのかは分かりませぬ)にやられたそうな。1991年に残骸が発見され、当時と同じ製造所で復元。最初はニュージーランドのアルパイン戦闘機コレクションが保有ていたのを1998年にFHCが購入したそうな。このアルパイン、6機のI-16と3機のI-153(I-16の兄弟機)を初め他にも色々復元したそうで、なるほど金持ちかという。



もうちょい横から見ます。うわぁ短っ。
コックピットのキャノピー、ちょっと小さ過ぎなんじゃ・・・。首回せるかいこれ?コックピットも狭いし脱出しづらそうね。なお胴体は木製だそうで、あと垂直尾翼はたぶん羽布張りなのかな?というふうに先進技術の固まりとはイマイチいかなかった模様。
胴体こそ短いですが主翼や尾翼は割りと常識的な大きさになっていますかね。
エンジンカウルの横から出ている穴はエンジンの排気管で、どうも排気を推力として利用していたみたい。零戦五二型と同じですな。



正面から。
エンジンカウルが特徴的な形をしています。正面のエンジン冷却口は普通なら開口部が全周に空いているんですが、I-16は半分が塞がれている格好に。これは寒冷地でのエンジンの過冷却を防止するためのものです。さらにシャッターが付いていて空気の流入量を調整できたとか。こいつカウルフラップが無いなぁと思ってたんですが、これがカウルフラップの役割を持っていたんだなぁと。
カウル下側の四角い穴はオイルクーラーかしら?上の三角の穴かもしれない。
世界初という引込脚にも面白いところがあって、車輪からワイヤーが伸びてるんですね。あー、ワイヤーを引っ張って脚をしまうのか、これ・・・。え、油圧は?



7機目、ドイツ空軍Bf109E-3。ドイツ空軍戦闘機の本命の方。戦闘機としては史上最多の3万機超えが生産されました。開発はバイエルン社だけど生産は途中からメッサーシュミット社に変わったのでMe109と呼ばれる場合もありにけり。
ところで、こいつ・・・。



げっ、首なしだ!ドイツの至宝DB601エンジンが外されとるやんけ。そういえば工房で何かいじってたっけな・・・DB601だったのかな?
これもフライアブルなわけでだから何か整備していたんでしょうけど、配管類は現用品に置き換えられてるんでしょうねこれ。まあ動態保存だし多少はね?



特徴的な主脚。脚自体は普通なんですが、取り付け位置がだいぶ異なります。他の機体は通常主翼側に取り付けるもんなんですが、Bf109は胴体側に取り付けていて、脚の展開する方向が左右逆になっているというのが分かると思います。
どうも機体を一撃離脱バカに仕上げるために主翼を薄く設計してしまい、結果主脚を持ち上げる油圧装置を胴体にしか配置できなかったからとか。あとは胴体に降着装置を付けるとその分主翼の構造を簡略化、つまり軽量化できるようになるので、これも速度向上に繋がるのです。ただ代償として離着陸時の操縦がえらく難しくなってしまい、よく事故ってたそうな。
ちなみにスピットファイアの主脚も同様の原因で同様の配置になっています。



8機目、イギリス空軍アブロ・ランカスターB.I (FE)のノーズ。
アメリカ爆撃機の印象が強すぎてなんだか影の薄い他国の爆撃機ですが、ランカスターはイギリス重爆の傑作機です。
性能は悪くないけどなんかイマイチだったアブロ・マンチェスターから発展した機体で、イギリスの至宝マーリンエンジンを贅沢に4発搭載しているのです。
この時代の爆撃機といえばやたら窓が多いことですが、一番手前は航法士か爆撃手の窓、その上に自衛用の機銃、その後ろに操縦室と3段構えになっています。
このB.I型通称FE型は1945年にビルマから日本本土を爆撃するための機体。FEとは極東 Far Eastの意味なのです。まあ実戦には間に合わなかったようです。
使い道がなくなった後は新型エンジンのテストベッドになって、それも終わった後は首だけ残されたそうな。首はイギリスの博物館で保存されていたものの閉鎖されてしまい、売りにかけられていたものをFHCが購入したとのこと。



後ろ側から中に見られるようになってます。が、覗けるだけで機内には入れなかった・・・はず。よう分からんです。

今日はここまで。


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