黒鉄重工

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北方project ~Welcome to Hokkaido. その5【2017/5/3~7】

2018-11-27 23:58:25 | 旅行・イベント記
小樽市総合博物館の屋外展示車両を見ています。どんどん見てきましょう。


DD51形615号機
ナンバープレートが欠けてるんでちょっと間抜けなことになってますが、堂々の幹線用ディーゼル機関車です。なのでここに保存されているディーゼル機関車の中では最大です。
蒸気機関車の置き換えのために登場したもんですから、デビューした頃は鉄道オタクからそれはもうひどい言われようだったようです。今はもうオタクの世代も変わってきているんでそういうこともないどころか人気者なわけですが。

今までの保存車両同様これも機関車の後ろに車両を繋げてひとつの列車に仕立てている展示をしています。DD51の場合救援列車をやっています。


オエ61形309号
救援車というお客を乗せない事業用の車両です。線路上で脱線事故や災害が発生した際にその復旧用の機材を載せた車両を前もって備えておくことで、迅速な復旧作業に取り掛かれるようにするための車両です。
現代では問題が発生しても沿線の道路から取り付けるようになったとかそもそも鉄道の重要度が低下してるとかの理由で減少傾向です。ていうかもう絶滅したんじゃないかと。

いざという時のための車両で普段は使うことがないという性格上、イチから救援車が造られるということはまず無く、使われなくなった客車を改造して再利用することが一般的でした。オエ61形もそのクチで、マニ36形という要らなくなった荷物車から改造された車両です。
改造にあんまりお金を掛けられない事情もあったのでしょう、原型から大きく姿を変えているわけではありません。車体は妻面貫通路と右側の荷物用扉を塞いだ以外は原型のままと思われ。車内も作業用機材を積み込むにはうってつけの荷物車なので大きな改造は必要なさそうですがそこら辺はよく知りませぬ。


車内も見れます。
車内の半分くらいは人が乗る部屋になっています。機材といっしょにそれを動かす作業員も運ぶのです。さらに救援車は現場の前線基地の役割もありますので、作業員が休憩や食事を摂るための設備も持っているのです。


もう半分が機材置き場です。枕木とかが載っています。


スエ78形5号
これも救援車で、70系客車の荷物車から改造されたもの。70系って聞いたことのない名前なんですが(自分の記憶では35系か60系あたりまでしか遡れない、それより前だと一気にナハ22000やハ1005あたりまで行ってしまう)、戦争で被災して損傷した客車の台車や台枠を再利用して車体だけ新製してできた「戦災復旧車」と呼ばれる客車群です。
戦後混乱期に造られた客車で簡易・急造・応急処置・間に合わせといった設計や改造がなされたので、その種類は混沌を極めることは想像に難くないです。
外観の特徴は色々あるようですが、窓が他の客車と異なり2段窓になっているのがポイント。大きい窓ガラスが手に入らなかったでしょうからね・・・。

スエ78-5はマユニ78形から改造されました。さらにマユニ78はオハ78からの改造なので、迷宮ですね。普通の座席車からの改造だからなのか知りませんが、荷物車の扉にしては扉の幅が狭いように見えます。


救援車らしく床下には替えのレールを装備しています。こういうの好き。
なお70系の現存車はこれだけです。まあ品質の悪い戦災復旧車なので喉元を過ぎればもう用済みでしょうし、どれもあっさり解体されたんだろうなと。


注目は台車で、なんと3軸台車を履いています。たぶんTR71だと思います。
荷物車時代から履いていたようですが、荷物車にこれが選定された理由はよく分かりません。わざわざ3軸を使う必要はないと思うんだけれども。


チキ6000形チキ6141
平たい荷台を持つ長物車。コキ5500を改造したやつだそうな。ちなみにコキ5500はチキ5500を改造したやつなんで、先祖返りしてますねコレ。
後ろに連結されている操重車の控車として使われるやつもいました。クレーンのブームが長いんで張り出た部分を収めるために連結してます。
他にも作業で使う道具も置いてますね。何に使うのか分かりませぬが。右側の道具ってあんなブームから離れたところに置いて取り付けが大変だろうなと思いましたが、荷台の上に台車とレールが敷かれているんで簡単に荷台の上を移動できるんですね。うまいこと考えるもんだ。


ソ30形ソ34
操重車、つまりクレーン車です。事故の復旧用に造られたものです。めちゃくちゃインパクトのある車両ですが、保存車はあんまないです。元々弾数が少ないしね。
ソ30は元々蒸気機関で動く蒸気クレーンなのです。なのですが1970年代にディーゼルエンジンに換装されてしまって当時の姿は見るまでもなく・・・。


暗くてあんまり中が分かりませんでしたが、蒸気機関ではないのは確かっす。
機関部の形状は全く変わってしまっていて、どっちかというとソ80に近い形状になっていますかね。


ヨ6000形ヨ7904
貨物列車の一番後ろに連結する車掌車です。1960年代、これだけで900台造られたっていうんで、当時の貨物列車よほど多かったのかなぁって。
北海道の極寒に対応した車両は7900番台に区分されているんだそうで、なので番号が7900まで飛んでるんですねぇ。

救援列車は以上。


屋外展示車の一部はプラットホームを模した土台の横に展示されていますが、これって京都鉄道博物館で見るやつですね。この手法はここが先でしたのね。
光線が逆光アンド逆光なんでちょっと撮影条件厳しめ・・・。


ED76形509号機
函館本線の電化に合わせて1968~1969年に投入された電気機関車です。ED76は九州向けの0番台が先行して投入されてましたが、それとこの500番台は外観も中身も性能もガラッと変わってます。車軸配置と蒸気暖房搭載くらいしか共通点がないので型式を変えてもいいくらいですが、新形式を起こすと労働組合との折衝がアレを極めることから、当時の国鉄は機関車の形式数をむやみに増やさない方針を採っていたので、ムリヤリ同形式に収めたんだと思います。なんか1950年代のアメリカ空軍みたいだ。
D級機関車なんですが、動力台車の間に軸重軽減用の無動力台車を挟んでいるんで車体は意外と長め。
意外にも旅客列車専門だったんですが客車列車は早々に消滅してしまい、貨物列車への転用も非電化区間からディーゼル機関車を直通させてきたほうが楽だ、となっているんで30年経たずにすべて廃車になってしまいました。以降津軽海峡線を除いて北海道に電気機関車が走ることも無くなっちゃいました。

ED76の後ろには客車が3両繋がっていてさながら現役時の旅客列車です。


スユニ50形500番台スユニ50-501
国鉄の一般型客車の50系客車の形式のひとつ。電車みたいな車体が特徴。地方の通勤列車のための開発が主ですが、荷物車/郵便車も新たに起こされまして、スユニ50もそれのひとつで、郵便荷物合造車です。500番台は北海道専用です。
1978~1983年にかけて製造されましたが、1986年に荷物/郵便列車が廃止されてしまったので登場から十年経たずソッコーで要らない子になってしまい、ほとんど廃車になりました。国鉄ホントそうゆうとこだぞ。

スユニ50では、旧型客車がよく履いていた旧式のTR47を履いているのに注目です。通常の50系は新しく開発された台車を履きます。
まあ、旧型客車からの廃車発生品です。ところがスユニ50の場合、台車を提供した旧型客車からの改造で出来上がった車両という名目になっているのが面白いところ。車体も台枠も新造しているんですけど台車を以て改造扱いするとは、これもう分からないです。まあむやみに車両新製できなかったんだろうという事情は察せますけども・・・。


車内にも入れます。中では郵便局員の敏郎(仮名・左)と恒造(仮名・右)が業務に邁進しています。
この仕事、楽ではないと思うんですけど、何か手当とかは付いてたんでしょうかね?


オハ36形オハ36-125
旧型客車オハ35系一門の門下生の一人。同じく門下生のスハ42が修繕工事を受けたところダイエット効果があったので軽量化したのだが、客車は重さで格付けが変わるので「ごく重い」の「ス級」から「ってたより重い」の「オ級」へと改名したのだ。ついでに数字も変えた。
北海道形は500番台なのだがこれは125番。内地の客車を持ってきたかもしれないけどそこら辺はよく分からず。


オハフ33形オハフ33-364
旧型客車オハ35系一門の門下生の一人。緩急座席車として600台くらいがジャカジャカ造られた、オハ35系を代表する門下生だ。大井川鐵道でも現役だぞ。


今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その67【2016/03/04~10】

2018-11-10 23:28:41 | 海外旅行記
グラマンF-14Aトムキャット(1日ぶり4機目・292機目)
今回4機目のトムキャット。いい加減飽きたぞ。
アメリカ海軍がF-111の計画から一抜けした後にちゃっかり開発した戦闘機。F-111はアメリカ空軍・海軍の共通の戦闘機として開発が始まったものの両者の異なる要求を合わせた結果、肥大化の一途をたどり海軍は一抜けして後始末を空軍に押し付けたのです・・・。
就役は1974年からで、ギリギリですがベトナム戦争にも参戦しています。

この機体の塗装はVF-111サンダウナーズのものです。シャークマウスが特徴的。


ゼネラルモーターズ(イースタン)TBM-3Eアベンジャー(1日ぶり3機目・293機目)
元はグラマンのTBFアベンジャーを自動車のビッグ3の一角ゼネラルモーターズがライセンス生産したものです。この時代のアメリカ海軍機は製造メーカーごとに型番が振られていたので、機体は基本的に同一ながらグラマン製はTBF、GM製はTBMと違う型番が振られていたのです。
3型はエンジンの強化、主翼に増槽や爆弾用のハードポイントの追加などの改良をした型式で、さらにE型は対潜水艦用の哨戒レーダーを搭載しています。

見る度にデカイ機体だなぁと思うわけですが、これでよく単発の艦上機として運用できたもんだと。強力なエンジンは正義だね。
特に胴体がデカイわけですが、胴体内に魚雷を収納する爆弾倉を持っているためです。これのおかげで空間に余裕ができたんで胴体下部にも機銃座があります。
まあでも主翼が折り畳まれてるんでちょっと観察しにくいんですけどね。


B61核爆弾
前回のB57同様これも航空核爆弾で威力の調整が可能なやつです。地表爆発はもちろん、地中を貫通して地下施設も破壊できます。
ちなみに核爆弾の弱点は地中を攻撃できんことで、衝撃波も放射線も地面で遮断されてしまうので地中に潜ってしまえば案外耐えれてしまうとされています。なので核シェルターが有効なのですねー。

これのサブタイプは不明ですが、後期に開発された爆弾は今も現役やってます。
冷戦期の狂気は鳴りを潜めたとはいえ末恐ろしい。


AIM-7スパロー
レーダー誘導式の空対空ミサイルですね。ベトナム戦争でデビューしましたが、当時の電子技術の低さからほとんど命中しないものでした。現代の改良型では改善されてるんでしょうけど。


ロッキードS-3Bバイキング(1972年・294機目)
S-2トラッカーの後継機として開発されたアメリカ海軍の艦上哨戒機です。ベトナム戦争には間に合わんかったので、実戦は1991年の湾岸戦争まで待つことになります。ずいぶん待たされたもんで。
ロッキードって今まで艦上機の設計やったこと無いのにやるなと思ったんですが(離着艦や運用に制約の多い艦上機の方が陸上機より設計が難しいのだ)、ロッキードは電子装備の設計だけやって、機体自体は艦上機開発の経験が多いヴォート社に依頼したのでした。

B型はA型の電子装備の近代化改修を行った型式です。
さらに冷戦終結後はソ連の潜水艦の脅威が無くなったことと他の対潜哨戒機で任務を賄えることから対潜装備が外されて、空中給油機兼攻撃機に転職しました。この時はサブタイプの変更はなかった模様。


ベルAH-1Sコブラ(1日ぶり3機目・295機目)
前回見たガンシップのUH-1の攻撃性を尖らせるとこうなるよ、という攻撃ヘリ。
しかしながら航空戦は出来ないので航空優勢の地域でないと活動できない使い勝手の悪さと、ガチの対空陣地はもちろん人間が携行できるような地対空ミサイルでも撃墜されてしまう脆弱性があるんで、近年は新規機種は開発されてませんね。
そのうち攻撃ヘリというジャンルは消滅してしまうかもしれませぬ。


スチンソンL-5Bセンチネル(1日ぶり4機目・296機目)
ここで時代がさかのぼってWWIIの連絡機L-5です。キミもどこにでも保存されてるんだねぇ。なんというか3~4機くらいの遭遇ではもう驚かないぞ。
雑用機として使われたL-5ですが戦後は民間に放出されました。元々は民間用軽飛行機ボイジャーでしたので、民間機として再就職したものも多し。
この機体はアリゾナ州の民間航空警備(Civil Air Patrol)という組織で働いていて、その塗装で展示されています。機首のプロペラのようなマークがそれの組織章です。災害救助・救難救助から犯罪取締やアメリカ空軍の支援まで手広くやっています。


ジャイロダインQH-50C(DSN-3)ダッシュ(1959年・297機目)
機体サイズ的な意味でふざけた機体ですが、これでもちゃんとしたアメリカ海軍の制式ヘリコプターですよ。ちゃんとアメリカ軍の国籍章も貼ってあるでしょう?

DASHというのはDrone Anti-Submarine Helicopterの頭文字で、名前通り対潜水艦用ドローンヘリコプターなのです。DSN-3というのは型番の統合以前の海軍での型番です。
WWII後ヘリコプターは対潜哨戒機として普及してきましたが、それなりの大きさがある以上、小型艦への搭載は出来ませぬ。それを埋めるためにドローンサイズの遠隔操縦式のヘリコプターを採用して対潜能力を補うことにしたのです。

潜水艦用ソナーはもちろん航空機用レーダーも備えています。潜水艦を見つけたら、装備しているMk.43単魚雷(蛍光オレンジのアレ)を発射して撃沈することも出来ました。その上このC型は魚雷の他に核爆雷も装備できたといいますから、なんかもうドン引きですよね・・・。
機体はローターを二重反転式にしているのでテールブームが無くとても小型に納まっています。エンジンは初期型ではピストンエンジンでしたがC型からはターボシャフトエンジンにしています。

発想は良かったと思いますが、実際に使ってみると割と頻繁に故障していたようです。故障して操縦不能になると落ちる先は大海原しか無いですから、回収困難なわけです・・・。
全部で760機くらい造られましたがそのうちの半数が喪失したと言うんですから、F-105張りの損耗率です。
いくらなんでも無駄に使ってるでしょ、というところを例のマクナマラ国防長官に目をつけられて予算を凍結されて退役に追い込まれてしまいましたとさ。
軍用ドローンはここに来て普及の芽が出ているので、時代を先取りしすぎた兵器だったのかも。


カマンSH-2Fシースプライト(1959年・298機目)
これも対潜ヘリですが初めて見る機体です。今見たQH-50の後継機として導入されました。駆逐艦やフリゲートでも運用できるようQH-50の設備を活用できるというのが売りでしたので、それなりに小型です。特に幅が細いなと。
F型は対潜ヘリの初期型であるD型の改良型。


グラマンF9F-8P(RF-9J)クーガー(2日ぶり2機目・299機目)
グラマンの地味戦闘機のひとつ。元は直線翼のパンサーという名前の戦闘機でしたけど、後退翼に設計変更された時に名前もクーガーになったやつです。名前だけじゃなくて型番も変えたっていい変更ですけど。空軍のF-84みたいなやつです。
これは写真偵察機なので機首側面にカメラが搭載されています。一方で非武装です。カメラは側面に付けられているんで、撮影するときは機体を傾けながら撮影します。真下に付けるのはなんで出来なかったのか気になるところですが。


ダグラスB-18Bボロ(1935年・300機目
ついに300機目に突入ですよ。まだ終りが見えないんですけどね・・・ふふふ。

これも初めて見る爆撃機ですが、名前で損してる機体だと思います。生まれた時からボロい機体、なんつって。
英語だとBoloと書き、そういう名前の大きいナイフの意味なんですが、「射撃の下手なやつ」という隠語もありまして、お前それさぁ、爆撃機に付ける名前か?

B-18は主翼やエンジンにDC-3の原型となったDC-2の設計を流用しています。胴体は爆弾搭載のために新しく設計していますが尾部はDC-2と同じです。
このため開発費や製造費を安く抑えることが出来、これが後に効いてきます。

型番や初飛行の時期から分かる通りB-17と同世代機で両者は競作機でした。性能はB-17の方がずっと上でした。B-17が排気タービン付き4発エンジンに爆弾搭載量約4.5tに対して、双発で搭載量は半分以下という性能でした。さらに速度も遅くて防弾装備も持っていません。実は本当にボロなのよ・・・。
B-17はその後のWWII開戦から終結まで、実に10年間第一線を張れるほど先進性に優れいていたんですが、その高性能から価格も高価なものになりました。一方B-18ならまだ戦争が始まる前で貧乏だったアメリカ陸軍のお財布でも数を揃えられることから、陸軍はB-18を採用しました。
つまりB-18は性能では完敗しながらも安価なことから採用を勝ち取った機体です。ちょっと変わっていますよね。

WWIIが開戦してアメリカも参戦しそうな気配が出てきた1941年からは主力機をB-17に譲って生産もそっちに移行したので、生産数は300機くらいに留まりました。
なおB-17は1941年生産のE型だけで500機造られているんで、あっという間に数の上でも逆転されています。
すでに爆撃機としては物足りない性能になっていたんで、対潜哨戒機や観測機に転職して活躍しました。


確かにエンジンや主翼はDC-2にそっくりです。機首はさすがに別物になっていますの。
B型は対潜哨戒型で爆撃型から改造されたものです。機首の爆撃手の窓を潰してそこにレーダーを取り付けたので多少顔つきが変わっています。


降着装置やこの時期のダグラスの設計でよく用いられていた分割できる主翼の接合部など。


爆弾倉とか。
B型の尾部には潜水艦を検知するMADブームが付いてるんですが、これにはありませぬ。戦争後半には対潜哨戒任務も外されて練習機に使われいたようなので、その時に外されてしまったのかも知れません。


MAD (magnetic anomaly detector) という潜水艦を探知する磁気探知機。
鉄の塊である潜水艦は磁場を乱す作用があるので、それを探知して潜水艦を見つけるのです。
P-3のように胴体尾部に固定されるMADブームとヘリコプターから曳航されるMADバードの2種類があります。これはMADバードの方です。


AN/AQS-13ソナー
ヘリコプターから海中へ吊り下げて使うディッピングソナーです。


AN/SSQ-53FソノブイAN/SSQ-36Bソノブイ
ソナーとブイを合体させてソノブイ。MADやディッピングソナーと違ってソノブイは使い捨てのソナーです。
1機につき数十個搭載して一気に海中へばらまきます。

ここらへんでそろそろ飛行機の墓場ツアーの集合時刻が近いことに気付き、館内見学は一時切り上げて博物館の入り口へ戻ります。
というとこで今日はここまで。次回からは飛行機の墓場ツアーです。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その66【2016/03/04~10】

2018-11-08 22:38:42 | 海外旅行記
マクドネル・ダグラスF-4EファントムII(1日ぶり4機目・278機目)
なんかもう毎日見ている気がするF-4クン。
アメリカ空軍の曲技飛行隊サンダーバーズの塗装がされています。この手の塗装はだいたい縁もゆかりもない機体に塗られていることが多いのですが、この機体は実際にサンダーバーズで使われていたものでした。
ていうかこの時のワイ、なんで横からの写真撮ってなかったんだろう。たぶんF-4に飽きてたんだろうけど。


ロッキードT-33Aシューティングスター(1日ぶり5機目・279機目)
またお前か。いい加減にしろよ。
御存知ジェット練習機ですが、これは映画の小道具として使用された時の塗装で展示されています。1957年公開「ジェット・パイロット」という映画で使用されたそうな。ただしT-33ではなくYak-12というソ連の戦闘機として描かれました。映画自体はビミョーなものだったそうで・・・。
当時のソ連のジェット戦闘機がホイホイと入手できるはずもなく自国の機体で代用した格好で、後の「トップガン」におけるF-5演じるMiG-28みたいなもんでしょう。

しかしMiG-28がミグの命名規則上存在しない数字を当てたことで架空の機体になったのに対してYak-12は実在する機体と被っています。
架空のYak-12は写真のようなジェット戦闘機ですが実在のYak-12は単発レシプロエンジンの多用途機であり、その性格は正反対なのが面白いところ。実在の方は公開の10年前の1947年に初飛行しているんですが、鉄のカーテンで知り得なかったんですかね。

あとは、当時既にソ連製ジェット戦闘機の主流はミグだったんですが、映画ではヤクを使ったんですね。
WWII時の主流だったヤク戦闘機の名前を使ったのも時代なのかなぁと感じる次第。


ベルUH-1Mイロコイ(1日ぶり4機目・280機目)
あなたもよく見ますねぇ・・・。
御存知ベトナムで馬車馬のように働いた汎用ヘリコプターです。その汎用ぶりは連絡、偵察、輸送に留まらず、武装して対地攻撃や近接航空支援といった攻撃にも使えるものでした。こういうヘリコプター(除く攻撃ヘリ)や輸送機を改造して武装した機体をガンシップと呼ぶのです。
M型はそのガンシップ型で、C型の改良型になります。


武装の一例としてロケット弾とガトリング砲です。あとは機内にM60機関銃くらいはあるでしょう。
UH-1のガンシップは現地改修的に生まれたものですが、攻撃性を更に尖らせたものが生まれた時から攻撃に特化した攻撃ヘリのAH-1に繋がるのです。


ヒューズOH-6Aカイユース(1日ぶり2機目・281機目)
アメリカ陸軍の観測ヘリです。小型ゆえに低速で高度も低くしか飛べなかったため、対空能力のある敵陣地ではカモにしかならなかった模様・・・。


フラッグラー スカイスクーター(1967年・282機目)
変な形状をした軽飛行機です。これもお家で造ることのできるホームビルド機です。簡単に作れることを念頭に置いているので、機体の材質は合板と羽布で出来ています。エンジンはフォルクスワーゲンの1600ccエンジン、つまり自動車用エンジンの改造です。


ビーチクラフト モデルN35ボナンザ(1945年・283機目)
ビーチクラフトといえばこれ(個人差があります)という感じの軽飛行機です。ボナンザというのはアメリカの地名のようです。元はインディアンの言葉だったのかしらね?
初飛行は1945年12月と終戦直後であり、いくら当時の飛行機といえども終戦してから開発を始めていては間に合わんと思います。なので「この戦争勝ったな、飛行機設計してくる」と思って戦時中から開発してたんでしょう。さすが余裕っすね。なおその頃日本は。
なんと言っても水平尾翼と垂直尾翼を統合したV字尾翼が特徴の機体です。狙いはよく分からないのですが、(軽量化とか斬新さとか辺り?)こんな設計やるなんてずいぶん余裕だったんだなと。なおその頃日本は。

N35はサブタイプ付きで、系列名はモデル35です。ビーチクラフトはほぼ毎年のように改良を加えてその度に「ビーチがお好き? 結構。ではますます好きになりますよ。さあさどうぞ。ビーチのニューモデルです」と言って発表していたのでサブタイプがやたら多いです。
A型から始まってV型まで開発しています。いくつかの文字は飛ばされているんですけどもね(IとかOとか数字と混同しそうな文字が多い)
N型は1961年式で、エンジンの換装、後部窓の大型化などの改良がされました。

なおボナンザは21世紀に入ってからも生産されていますが(現在もG36型が生産されているらしい)、これはV字尾翼をやめて通常の垂直尾翼に設計変更したモデル33およびモデル36なので、モデル35とはやや別物です。モデル35は1982年に生産終了しています。


ロッキードL-10エレクトラ(1934年・284機目)
エレクトラってP-3哨戒機の母体となった4発機は2代目で、この戦前製の双発機の初代がいたのね。
同時期に開発されたボーイング247型およびそれに対抗して開発されたダグラスDC-2に対抗するために開発されたのがエレクトラです。エレクトラというのは星の名前ですね。

ロッキードの設計士クラレンス"ケリー"ジョンソンが最初に設計に関わったのがこのエレクトラと言われとります。
上記3機の中では後発だったので当初は有利な販売を展開できたようですが、当時最強の旅客機ダグラスDC-3が登場するとそれに市場を席巻されてしまい、軍用型のC-36輸送機を入れて150機程度の製造に終わりました。

この機体は製造後ノースウェスト航空に納入され、展示中の形態もこの時代のものです。WWII中はアメリカ陸軍に徴用されてC-36として兵役しました。終戦後は放出されましたがノースウェスト航空には戻らずに個人の手に渡ったようです。この時点でエレクトラは時代遅れになっていたのでノースウェスト航空としても別に要らなかったというところでしょうか?

どうでもいいですが風防がシールで保護されていて、少し前まで屋外に展示されてたんじゃないかなぁと思います。


ペンテコストE-IIIホッピコプター(1945年・285機目)
「♪空を自由に飛びたいな」
 「はい、ホッピコプター!」

・・・。
・・・・・・。
某タケコプターの元ネタになっているのか定かではありませんが、発想としては同じ個人用ヘリコプターです。ということはタケコプターも軍事兵器だった可能性が・・・?

酔狂ではなくちゃんと軍用で使うよう開発されたものです。真面目なんだぞ!
パラシュートに代わるものとして売り込もうとしたのが発端だそうな。パラシュートと言っても色々あるんですがそこら辺の記述はなし。でも戦闘機の脱出用パラシュートにはとても使えないんで、空挺部隊の降下用パラシュートを想定して作ったのかしら?
いやでもこんなんどうやって操縦すんの?なんか右手で棒を持ってるけどあれで動かすのかな?
まあ実際、飛ぶのはともかく飛行を制御するのは無理ゲーだったみたいで、それじゃだめじゃん。

一番の問題は降着装置が無くて自分の足を使うしか無いことだったそうな。要は離着陸時、特に着陸時だと思いますけど、躓いたりよろけたりするとヘリコプターのブレードが地面と接触してしまい、それはもう大変なことに・・・。
兵士は直立不動で離着陸せねばならないです。自衛隊のパラシュート降下の様子を見ていると案外きれいな姿勢で着陸してますが、まあパラシュートとタケコプターじゃ挙動が違うだろうし実戦ではどうなるか分からんしな。
これが危険とされてこの人間ヘリコプターは即却下されてしまいました。ちょっと登場する時代が早すぎたんですね。


これってトルクの反作用とかどうしてんの?と思って寄ってみたらブレードが二重反転式でした。よく見るとブレードの根本が上下2本になっています。それぞれを反対の向きに回転させることで反作用を打ち消すのです。
で、銀色の物体がエンジンです。どのくらいの時間飛べるのか知りませんが、パラシュート代わりだったことを考えるとそんなに飛べないでしょう。


マカロック スーパーJ-2(1962年・286機目)
またふざけた飛行機が出てきたけども、いくらなんでもこれでは揚力を稼げないのでは・・・ん?上になんか付いてませんかねぇ。ヘリコプターのブレードですねぇ。なるほどオートジャイロですねこれ。
ヘリコプターとは似て非なるもので、上の回転翼はエンジンとは繋がっていないのであれは自力で回転しません。推進力は胴体後部双胴のテールブームの間にあるエンジンのプロペラで得ています。あれで滑走路を進むと回転翼が回り始めて次第に揚力を得ますので、そうすると飛び上がるのです。
通常の飛行機よりも離陸距離が少なく済むのと飛行安定性が高いのが特徴です。

商業的には成功しませんでしたが、現在アメリカで飛行できる数少ないオートジャイロなのだそうな。


Scheibe III-B ツーボーゲル(287機目)
1950年代西ドイツで開発された競技用グライダーなんだそうな。あとはよく知らん(手抜き


ビーチクラフト モデルS18D(1日ぶり3機目・288機目)
ビーチクラフトといえばこれ(個人差があります)という感じの軽輸送機。アメリカの航空博物館では割とよく見る戦前に開発された双発軽輸送機です。モデル18は民間用のビジネス機や軍用輸送機として多く導入されたこともありこの時代の双発機としては異例の8,000機以上が生産されています。
この機体は18D型でジェイコブスL-6エンジンを搭載した仕様。さらに頭のSはフロート/スキー板を装備していた仕様なんですが、ここのは普通の車輪ですね。たぶん簡単に換装できるんでしょう。


リアジェット モデル23(1963年・289機目)
普通の小型ビジネスジェットの外観ですが、これこそビジネスジェット機の草分け的存在です。
発明家兼起業家のウィリアム・リアが構想した飛行機で、なので会社名もリアジェット。この社名、エンジンを後ろ(rear)に積んでるからリアジェットって会社なんでしょ?ってずっと思っていたんですが、本当はリアさん(Lear)が興した会社だからなのでした。綴りが違うんですよ。この機体を調べるまで知らなかった・・・。
開発費を抑えるために、開発が頓挫していたスイスの戦闘機の主翼と足回りの設計を流用したりその設計を入手するために初めはスイスに会社を設立したり、面白いことをやってます。
はじめに書いたとおりビジネスジェットの元祖ですので、当時周りのビジネス機はみんなプロペラ機という時代の中ではとても先進的に写っていたようです。


B57核爆弾
唐突に爆弾が置かれていたんで撮影。割と平気でこういう核爆弾をしれっと置いてます。見た目は普通の爆弾と同じですしね。
1960~1990年代に運用されていた航空用戦術核爆弾でして、威力は5kt~20ktまで5kt刻みで用意されていたようです。たぶん威力ごとに異なる爆弾が揃えられていて、その場で弾頭の威力調整とかは出来なかったんじゃないかなぁ・・・と思います。
ちょっと大きい爆弾くらいの大きさに収まっていて重さも230kgくらい、アメリカ軍のほとんどの戦闘用航空機に搭載可能だったそうな。

ちなみに航空核爆弾は基本的に無誘導爆弾です。攻撃範囲がクソ広いのでピンポイントで当てなくても問題ないんだそうな・・・。なおもうちょい脱線すると広島に投下されたリトルボーイの威力が15ktなので、B57一発で都市をひとつ壊滅させることが出来ます。リトルボーイは重量が5t、全長3mでして、20年でずいぶんと小型化したもんです。


ミコヤン・グレビッチMiG-15UTI (Lim-2SB)(1日ぶり5機目・290機目)
おなじみのソ連のジェット戦闘機。複座練習機のUTI型です。
MiG-15はソ連以外のポーランドや中国でもライセンス生産されていました(この頃の中国製はまだパクリではなかったはず)
これはどうもポーランド製らしいです。ポーランド製はLim-2という型番が付けられていましたが、MiG-15のほうが圧倒的に通りがいいのであんまり使われてないです。
なおLim-2SBという型番は純正の機体では与えられる番号では無いようで、通常の単座戦闘機型のMiG-15相当のLim-1を複座型に改造してLim-1SBに改番したものを、さらにエンジン換装などの改造を施してLim-2(MiG-15bis)相当に更新してLim-2SBに再改番した機体なんだそうな。中々複雑なのよ。


カナディアCL-13セイバーMk.5(1日ぶり4機目・291機目)
だいたいMiG-15とセットで置かれていることが多いですよね。
要はカナダ版F-86です。CL-13はカナディアがライセンス生産したやつで、Mk.5はF-86F相当の機体です。ただしエンジンは自国製のアブロ・カナダ オレンダを採用しています。本家J47エンジンよりも一部で性能を上回っていたようです。
こんなところでカナダ要素を出会うとは。とはいえ、下でも書きますがカナディアセイバーは退役後アメリカで無人標的機に使われていたので、運よく破壊されなかった機体が博物館入りしていることがあって、アメリカでもたまに見かけることが出来ます。

冷戦期のカナダ軍はNATO加盟国として欧州に派遣されていた時期があって、このセイバーも1954年の就役とほぼ同時期にドイツとフランスに派遣されていました。
欧州派遣機の塗装はNATO迷彩とでも言うべきか濃緑色系の迷彩が施されていました(一方カナダ本土の機体は金属地のまま)。なので銀色のイメージの強いセイバーの中でも異彩を放つ地味塗装なのです。
カナダ空軍退役後はアメリカ軍に買われて無人標的機に使われていましたが色々あって破壊されずに博物館に収蔵されました。

というところで今日はここまで。



【告知】コミックマーケット95サークル参加(3日目西え28b)のお知らせ

2018-11-06 21:33:57 | 日常記

黒鉄重工は前回に引き続きコミックマーケット95にサークル参加します!

配置場所は12月31日月曜日 西地区“え”ブロック-28bです。
前回同様鉄道島への配置です。

夏コミは仕事の都合で現地にいることが出来ませんでしたが、今回はスペースにいれる予定です。
前回会うことが出来なかった人は今度こそ僕と握手!



さてお題ですが申込み時点では的をカナダの現役の客車までしか絞れてませんでしたが、VIA鉄道で現役を続けるバッド製ステンレス客車にすることにしました。
1950年代にカナディアンパシフィック鉄道が発注した大陸横断列車用の客車は現在はVIA鉄道に引き継がれ更新を重ねながら今も第一線で活躍を続けています。
一度まとめてみたいと思っていた題材でしたので、今回書いてみようと思います。ご興味のある方はスペースまでお越しくださいませ。

さてそういうわけで新刊の原稿執筆期間に突入するわけでして、遅延拡大中のブログの執筆は休まざるを得ません。とはいえ全く更新しないのもイヤなので、頻度は落ちますが更新は続けます。
ただし執筆にハイカロリーが必要で時間もかかる北米Pは、次回更新の2回分の投稿から入稿までだいたい1ヶ月くらい休載します。すみません。あれ1つ書くのに休日丸1日とか平日の夜2日間とか使うんですよ・・・。やめりゃいいのにいろいろググりだすから始末に負えん。
一方であんまり頭を使わないでいい北方Pは頻度を下げながらも更新を続けるつもりです。プラモデルの記事もたまに書きます。


そんな感じですので、よろしくおねがいします。

【1/72】スホーイSu-47ビェールクト【ギャラリー】

2018-11-02 23:23:17 | 模型ギャラリー

■キット:ホビーボス 1/72 Su-47(S-37)ベルクート
[製作記はこちら]

ロシアの航空機メーカー、スホーイが開発した実験戦闘機です。高機動を狙ったとされる前進翼とその前方にあるカナード翼が特徴です。
試作止まりで終わってしまいましたが、異形の姿が人気の機体です。

日本語の呼び方は表記ゆれが激しいです。ベルクート、ベールクト、ベルクト、ビェールクト等々・・・。発音的にベルクートはありえんだろうという見解ですが、なぜかこの呼び方が日本では浸透しています。P-51ムスタングといい、たまに間違った発音が浸透しているのありますね・・・。
ここではビェールクトと呼ぶことにします。


脱線しますが、私がこれを知ったのはアニメ「トータル・イクリプス」に登場する実機を下敷きにした設定の人型兵器(戦術機)のSu-47が初めてでした。ていうかSu-47に限らず軍用機に関心を持った入り口はTEです、マジで。なのでTEに出てこない戦術機の元ネタになった戦闘機は初めは知らんかったのです。
その戦術機の方のSu-47がまたカッコいいんですね。というかあの世界のスホーイ機はどれもかっこいいのだ。
そんなわけで実機にも関心が出てプラモデルを買った次第。なお戦術機の方のSu-47もプラモデルは出てますが、そっちは買わんかった模様。



実験機なんですが塗装はほぼ黒一色で地味です。なので作品では色を変えて濃黒灰色にしました。これは戦術機の方のSu-47に合わせた色です。こっちのほうがカッコいいなと自画自賛。



カナード翼、主翼、水平尾翼の3対の翼を持つ「スリーサーフェース」が特徴。
カナード翼である程度水平尾翼の仕事ができるためか、水平尾翼がやけに小さいなという印象です。



胴体というか主翼より前の部分がやけに長い。カナードを配置するためというのと胴体内に兵装を内蔵する空間を確保するためというのもあるでしょうね。実験機ですが武装できるんですよ、これ。
なおキットでは兵装格納部の内部や開閉は再現されてませんので。



エンジンノズル横のコーンの長さが左右で違うので実は左右非対称機なのだ。



デカールに注意書きなどの細かいものがないので寄って見るとちょっと間延び感は否めないです。なんか余ってるデカールで補ってやるといいかも知れません。















以上、「スホーイSu-47ビェールクト」でした。