黒鉄重工

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【ギャラリー】居酒屋ジオラマ【1/60】

2016-11-27 21:16:25 | 模型ギャラリー

■使用キット:1/60 マイクロエース(旧河合商会) 風物詩シリーズ「居酒屋」

風情あるジオラマということでこんなものを作りました。



現在はマイクロエースから発売されている河合商会の風物詩シリーズ。
東方Projectのミスティア・ローレライというキャラクターにちなんで、八目鰻屋のような居酒屋を作りました。
古ぼけた感じの建物をイメージしました。なかなかうまく行ったんじゃないかなと思います。







基本的にキットを組み立てただけですが、屋号や軒桁など一部は自分なりの工作を加えています。



田舎によくあるキリスト看板なんかはまあまあ受けてもらえましたね。



井戸。










電飾を施していて、店内と軒先、ついでに井戸を点灯化させることが出来ます。
電飾はトミーテックの電飾セットを転用したお気軽工作ですが、私にしてはがんばった。



以上、居酒屋でした。

【1/60】風物詩シリーズ 居酒屋 製作【マイクロエース】

2016-11-26 23:19:15 | スケール模型製作記
今回はマイクロエースの風物詩シリーズ「居酒屋」を作りました。
元々は河合商会というメーカーが発売していた製品でしたが、同社は2012年に倒産。倒産後、製品が絶版にならないか心配されていましたが、プラモデルについてはマイクロエースが製品を引き継いで現在も発売しています。
風物詩シリーズは主体となる建物と数点の小物から成るジオラマのキットで、色々な製品を出しています。作るのが楽しそうなキットでかなり前から挑戦してみたかったもののひとつです。
この度ZBS絡みで作る機会を得られたので作ってみることとしました。書くのがだるいのでそこんところについては割愛で・・・。


とりあえず箱組みしてみます。意外と奥行きが薄いんだな・・・っていう。


キットにはジオラマの台もついているのですが、私はダイソーで売っている展示ケースを購入して使うことにしました。フタが付いているのでホコリから保護できるのがいいですね。
大きさも問題なしでした。


塗ります。
あえて塗りムラを残すことでそれっぽい質感を表現。
さらにこげ茶色に塗って年月が経って風化した状態としました。


屋根は灰色に。スレと苔の生えた感じにしました。


店舗の後ろに立てる塀も風化した表現にしました。


仮置き。ええんやないの?
あれこれ考えながら作るのが楽しいです。


この後壁の一部は土壁風に塗り替えました。木目の入ったモールドは木工用ボンドで埋めて平らにしました。


小物を作っていきます。
井戸は何だか物足りなく感じたので、プラ棒で井桁を組んで力強くしました。


出来上がるとこう。木目表現は適当にやった割にはまあまあかな?


ここからはネタ。
田舎によくあるキリストの標語が書かれた看板。この標語は自分で考えたやつで実際には無い・・・はず。


狸の置物。なんか生えてるけど狸なのでモザイクは無しで(面倒くさい


ひと通り置くとこう。なかなか賑やかになってきたじゃん。


ここで軒下が寂しいと思い、軒桁を組むことに。
構造的には間違ってるような気がしますが、賑やかになればいいのでそこは深く考えず。


その後軒下を塗って建物と合わせてみると・・・ええやん!苦労したかいがあった。


内壁も塗って、そしたら居酒屋なのでお品書きを貼ります。これも自作ですけど、完成するとほとんど見えない・・・。


店先にも屋号と障子に装飾。
みすてぃあで八目鰻とくれば東方のミスティア・ローレライですね。そうです、東方絡みの作品です。だからなんだって言う程度のささやかな主張ですが。


これで店舗は完成!ええやん!


もうひと仕掛けというわけで、電飾に挑戦してみます。
現代は便利なもので、電飾セットが発売されています。トミーテックから発売されている電飾セットA2(電球色)。元々は同社の展開するジオラマコレクション用の製品ですが、これを転用します。


まず天井裏をメッキシールで目張りして光の漏れを塞ぎます。そしたらLEDとそのコードを配線していきます。電飾というと面倒なイメージがありますがこのセットだと配線するだけでいいので楽ちんです。LEDは天井と軒先に配置。
目張りや配線は正面から見えるように気を使います。コードはマスキングテープで仮止めしながらボンドでちまちまと固定していきます。


配線をまとめるのにプラ棒を使いましたが、無理やりな感じになりました。


配線完了。ええやん!


LEDは2つ使いましたがセットには6つあって、なんだか勿体無いので井戸の中にもう1つ配置しました。
井戸の中で皿を数えやすいようにね。溶鉱炉に見えるという意見もちらほら・・・。井戸から親指を立てた腕でも置くか?(置かない


最後に地面を作ります。キットに付属しているカラーパウダーを使います。
まずベースを霧吹きで湿らせてその後粉を撒きます。そしたらボンドを水で溶かしたボンド水をスポイトから垂らします。ボンド水が乾くと粉が固着するという仕組みなのですが、スポイトから垂らした時にクレーターが出来てしまうので、それはまたクレーターに粉を撒いて誤魔化していきます。
この手の地面は鉄道模型レイアウトを作った時に散々やったのでお手の物です。


出来上がるとこう!
これも付属している緑の粉を使って地面に変化をつけるのも大事。店舗内に入り込んだ粉は払っておきます。


建物と小物をベースに接着させたら完成!
いい感じに風情が出てるんじゃないでしょうか?いいぞこれ(自画自賛


電飾もいいな。
あれこれどう弄るのかを考えながら作るのが楽しいキットでした。こういう風に楽しんで作ったキットも久々だったので良かったです。また別の建物を作ってみたいと思います。




 
 

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その49 【2015/07/08~18】

2016-11-20 17:42:32 | 海外旅行記

ヘリテージパーク3回目。引き続き車庫を見ていきます。
扇形車庫は前回見終えたのですが、実は車庫はもう1棟あったのです・・・。
その名も車両工場 Railway car shopで、1992年に新築されたもの。従来屋外保存されていた車両を天候による劣化から守るために建築されました。19世紀後半~20世紀初頭のカナディアンパシフィック鉄道(CP)の車両工場を再現しているとのことです。
屋外に野ざらしで保存というのは劣化が早いものでして、割りと頻繁な整備が必要です。屋根を付けるだけでもだいぶ違うと言われています。この中に保存されている車両は木造車なので屋内に保存する必要があったのでしょう。



ちょうどCP2023号機がやってきたので撮影。こちらもなかなかええ感じに。
前照灯がシールドビームっぽかったり煙室扉がやけに小さかったり、他にも色々気づくところがありますね。



カナディアンパシフィックジョルダン式除雪車CP402829。1912年製。
ジョルダン除雪車というのは幅の広い翼を持ち、展開することで複数の線路の雪かきが出来る除雪車です。主にヤードなど線路が密集しているところで使われます。一度に吸う本文の除雪が出来るので効率が良いですが、翼に掛かる雪の抵抗が大きいので積雪量の多い雪かきは苦手です。



屋内に侵入してみます。めちゃくちゃ古そうな客車ばかりが置かれています。本当なんなんだ。



復元中と思われる謎客車。恐らくCP2658植民客車。
移民客車、英語で書くとコロニストカー Colonist carです。西部開拓時代に使用された北米独自の客車で、名前通りヨーロッパからの移民用に19世紀中頃より造られた客車です。
数千kmを旅するため車内は583系のようなプルマン寝台になっています。移民客車の設計の特徴は、寝台車としては質素な設計であることです。どこらへんが質素なの?と聞かれてもちと分からんのですが、1両にできるだけ多くの乗客(72人乗り説、50人乗りを100人まで乗せた説など)を乗せられるように設計されているのだと思われます。
なぜ詰め込みが効くようにしているかと思ったかというと、移民列車の運賃は格安で採算を取るにはとにかく詰め込む必要があるから・・・と考えた次第です。どのくらい格安かというと、ひと家族全員乗って7ドルで大陸横断できるくらい格安でした。モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ。
なんでこんなに安いかというと、まずはそもそも移民はだいたい身一つでやって来たような貧乏人ばかりだったので、そんな彼らでも乗れるような運賃設定にしたことというのが考えられます。さらに、鉄道会社としては自分ちの沿線に根を下ろしてもらって、ゆくゆくは乗客になってもらったり生産物を輸送するようになってもらったりして自社に利益をもたらして欲しいと考えるわけで、将来の金の成る木をみすみす競合他社に取られるわけにはイカンと価格競争に陥った、という可能性も無きにしろあらず。例によって確証なしですが。
なお、格安運賃7ドルの中には食事や寝具は入っていません。本当に人を運ぶだけの料金です。なので食事と寝具は乗客が用意する必要があります。
寝具はともかく食料を用意するのが大変だったと思います。日持ちする食料がどれだけあるか分かりませんし途中駅で調達するのは難しそうだし・・・。ちなみに簡単なキッチンが車内にあるのでそこで調理して食べていたそうです。なんていうか衛生的にヤバそうな列車ですね。人権が無い。移民するのも命懸けだ・・・。
移民客車の需要は第一次世界大戦の直前あたりでピークに達します。しかし1920年代には移民制限が始まり世界恐慌も起こるわで減少しました。余剰車は他の車両へと改造されていきました。
第二次世界大戦では詰め込みが効くのを利用して兵員輸送に使われ、大戦後も再び始まった移民ブームによりにわかに需要を取り戻します。しかし、1960年代には移動手段が陸から空へと移り変わり、これをもって移民客車は完全に表舞台から消え去ります。
残存車は他車種へ改造されたため、現存する植民客車は数えられるほどしか残っておらず貴重な存在になっています。これもその1台です。くたびれていますが、今後復元されていくかもしれません。



カナディアンパシフィックCP76号客車。1882年製。ここにある車両の中では一番古いのでは?
クリームの塗装や窓の意匠がおしゃれな客車ですが、これは要人輸送用の客車なのです。故に豪華。



車内のベッド。枕こんなにいらへんやろ。



座席もあり。
それにしても内装の造りが客車とは思えないほど凝っていて、走る家と呼びたくなります。



ウィニペグ軌道 馬車鉄道客車8号。1880年代の時代を再現したレプリカです。
蒸気機関車ではなく馬に客車を牽かせて走っていた鉄道です。形態的には路面電車の先駆けみたいな感じです。馬の世話が大変なので電車や機関車が登場するとあっという間に姿を消しましたが。
ウィニペグの馬車鉄道は、夏期は街に敷かれた軌道の上を走り、雪の積もる冬期には車輪ではなくソリを履かせて運行していました。
現在は廃止されているようですが、園内で実際に馬車鉄道を運行していた時期もあったようです。



CP141号客車。1907年アンガス工場製。分類としては行楽用座席車とでも言うべきでしょうか。
1900年頃の昔より都会の人々は都会特有の忙しい日々に辟易としており、休日くらいはそこから逃避したいと思うようになっていました。
そこでCPは夏季に行楽列車を運行することを決め、141号はそれ用に製造された車両の一つです。
外装はマホガニー材のニス塗りで、現存するニス塗りマホガニー材客車はほぼこれだけみたいな書かれ方をしています。ちなみに一等車です。



車内。ニス塗りの外装もそうでしたが、いかにも夏向けに作られたような爽やかな趣を感じます。



座席はなんと転換クロスシート。こんな時代から存在していたとは。
生地はバスケットのようなアレになっています。



カナディアンパシフィックCP100号「ヨーク」。
英国コーンウォール州の公爵ヨーク公とその公爵夫人(後のキングジョージ5世とメアリー)がカナダを周遊する際にCPが1901年に製造した9両の特別車両の1台。日本の御料車と似たような客車かと。
CP100「ヨーク号」は王室寝台車として製造され、電気、電話、スイートバス、召使い部屋が備えられています。自分の名前の付いた客車に乗るのってどうなんだろうな。やんごとなき人には特に感じることはないのかな?
1906年に御料車として運用され、その後実施年は不明ですがウィリアム・リヨン・マッケンジー総督が自身の公用車に使えるように改造しました。


個室寝台。元御料車なわけですから、そら豪華よ。



厨房。



ダイニング。

こんなところで今日はここまで。


その50へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その48 【2015/07/08~18】

2016-11-18 23:47:23 | 海外旅行記

ヘリテージパークことカルガリーにある遺産公園歴史村の2回目です。
第1目標のSL列車を見た後は第2目標の鉄道関連施設にカチコミます。扇形車庫、転車台、工場、小さなヤードなど一通りの施設が揃っています。

写真の建物は扇形車庫 Railway roundhouseです。蒸気機関車を置いておくための車庫です。転車台と合わせて運用される車庫で、転車台から延びる線路に合わせて車庫を建てたので建物が扇状になったから扇形車庫と呼ばれているわけです。
この扇形車庫は1981年に新築されたものですが、1915年に建てられたカナディアンパシフィック鉄道(CP)の扇形車庫を再現しているとのことで、実際に機関車の整備をこの中で行っているようです。SL列車は季節運行なのでオフシーズン時に整備しているんでしょう。
ちなみに当時の整備士は週6日、12時間/日労働だったらしく、SLや石炭のごとくなかなか真っ黒な職場だったようです。



ちょっとしたヤード。
台車や貨車が転がっていて、それっぽい雰囲気。



タンク貨車CGTX6010。貨車のリース会社カナディアン・ゼネラル・トランジットが1935年に製造しました。
容積は5180英ガロンあるいは6100米ガロンもしくは23㎥。ガロンは英国式と米国式で単位が異なるので気をつけないととんでもないことになるかもしれませんぞ。何を運んでいたのかは分かりませんが、石油系じゃないかなぁ?
それと日本ではほぼほぼ見かけない業種なんですけど、鉄道車両のリースで経営しているって会社がこっちにはそこそこあります。リースはアメリカで発展してきたということもあり、カナダでもこんなところにまで浸透しているようです。



カナディアンパシフィックラッセル除雪車CP400884。1911年CPアンガス工場製。アンガス工場はモントリオールにあるカナダ東部の一大整備工場でしたが1992年に閉鎖されて現在は住宅地になって跡形も残っていないとか。
日本でもおなじみの雪かき車です。日本のものと較べて返しが大きいので厳つい印象です。雪かきの先端は「トング」と呼ばれていて、実は可動するようになっています。車体側面には翼が収納されていて、広範囲の雪かきが出来ます。
2人で運用され、1人は空気圧の監視員、もう1人はトングと側面ウィングの操作員です。



モリッシー,ファーニー&マイケル鉄道長物車MF&M53。車歴に関しては不明です。製造年も不明。
荷台に色々乗っているのがらしくていいです。



扇形車庫の中に入っていきましょう。
扉が開いているところから機関車が見えます。その姿からあれ、コレって電気機関車?と一瞬と思い不思議に感じましたが・・・。



奥に行ってみると普通の蒸気機関車でしたとさ。そらそうよな。
これはカナディアンパシフィックU3c形CP2018号機です。軸配置は0-6-0、お察しの通りこれも入換機です。大きさとしては日本のC56形に近いと思います。
1905年にアンガス工場で製造され、当初の番号は2144号機、1912年に6144号機に改番されました。U3系のロードナンバーは一般的にはこの6000番台で呼ばれることが多いようです。
U3系はa~e番台が存在し、195機が製造されました。中でもU3c形は6143~6208号機の66機が製造されました。これはU3系の中でも最多グループになります。
U3c形は1950年代頃まで使われていたようです(確証なし)。CP6144は1943年に廃車となり、その後アルバータ州キャンモアにあるキャンモア炭鉱株式会社へ売却されました。
キャンモアはついこの間まで観光していたバンフの隣町です。今はバンフに収まりきらない観光客を収容する町のようになっていますが、元々は炭鉱で発展してきた町だったんですね。

で、そこの4号機として炭鉱から専用線を経てCPの本線まで石炭を運ぶのに使われていました。
周りの人たちは愛情を込めて「オールドゴート」と呼んでいました。これ、直訳すると「老ヤギ」ですが、本当は「クソジジイ」という意味です。クソジジイ・・・。扱いにくかったのかな?
動力はもちろん石炭・・・と言いたいところですが、なぜか1964年にディーゼルエンジンに換装されたそうです。お前もうSLじゃないよ・・・。ここらへんの時期はあいまいなのですが、1963年に炭鉱鉄道を引退してヘリテージパークに寄贈後の1964年にエンジンを改造されたっぽいです。なんでそんなことを、と言うところまで突っ込んだ記述は見つからなかったので理由は不明。
1992年に部分的な復元をされたようですが、これが動いている動画を観る限り、エンジンは相変わらずディーゼルのままな感じです。なんなんだ一体。
それと、2018号機というのはCPでは未使用の番号ということで、こいつも架空機みたいなものです。普通に6144号機じゃイカンのか?



まさかこいつがディーゼル駆動だとは思いもしなかったので、細部観察はしていないです。動かない分には完全に騙せていると言えます。
ディーゼル機関車だからなのか他の動態機と違って予備機扱いになっているため、動くことは滅多に無いんだそうです。



キャブ内も普通の蒸気機関車っていう感じでした。



カナディアンパシフィック有蓋車CP197529。1913年製の木造の貨車ですな。なんかもう平気で100歳超えの車ばかりでてきて頭がクラクラするぞ・・・。
何せ狭いので車両全体が入らないです。
このように貨車もそこそこ所有しているので、貨物列車を編成して園内の線路を走ってくれそうな気もします。貨物列車を走らせる保存鉄道というのは何箇所か見たことがあるんで、たぶんその気になれば出来そうです。当然チャーター代かかるんでしょうけどね。



カナディアンパシフィック控車CP40482。1923年製。
長物車と有蓋車を半分ずつ合わせたような格好ですが、これは後に出てくる操重車とペアになって運用される控車です。操重車のクレーンブームが他の車両と当たらないようにするためにこれで長さを稼いでいるのです。



車体の部分は作業用の道具が収められています。保線に必要な道具でしょうね。他にも事務机もあります。



ディスパッチボード。
今日は2023号機を18時まで使うぜってことでいいのかな?1400の意味がわからなかったけど。



カナディアンパシフィックCP6209カブース。1912年アンガス工場製です。
カブースというのは日本だと車掌車とか緩急車とかいうやつで、まだ貨物列車の運転台から貨車に一斉にブレーキを掛けることができなかった時代に、ここからブレーキを掛けていました。全車にブレーキを掛けられないのはカブースも同じなので、機関車とカブースだけがブレーキをかけるという感じでした。
他には、カブースに乗務している制動手が貨車の屋根を渡りながら1台ずつブレーキを掛けていく、なんて方法も採られていたようです。この時代の貨車の屋根には人が歩けるようなランボードがあって、そこから手ブレーキを掛けられるような構造になっていたのですな。
カブースの特徴は、屋根にキューポラという監視窓が付いていたこと。乗務員はあのキューポラによじ登り、前方に連結されている貨物列車を監視していたのです。
制動手の他に車掌も同乗していて、彼は通常デスクワークを行っています。

乗務は長時間に渡るため、車内には信号炎管、予備の道具、机、ベンチ、戸棚、ベッドといった業務に必要なものに加え、氷箱、鉄ストーブといった快適装置もあります。また業務が数日に渡ることもあるため、食事、休憩、睡眠が取れるような構造にもなっています。
たまに鉄道車両に住むなんて話を聞きますが、カブースなら1人暮らし程度は出来そうな設備を備えています。



車内に入ることが出来ます。車内に入れるカブースというのは意外と多くないものでして、実は貴重というふうになります。
車内を見てみると、家の部屋みたいな内装になっているのがわかります。車掌車というと寒々しいものを思い浮かべますが、これは床や内張りもしっかりとされていて鉄道車両離れした車内になっています。
なんだか居心地が良さそうな感じです。これは意外でした。



奥にはキューポラがあって、そこへ登るためのはしごがあります。登ったところにある椅子に座って列車監視を行います。
現在は機関車に乗務して貨車を見ずとも貨車にあるセンサーで全て読み取れるのですから、便利な時代になったものです。
カブースも1980年代頃までに姿を消してしまい、基本的に本線上で連結されている姿を見ることは出来ません。ごくごく稀に工事列車などに連結されているという場合もあるらしいですが・・・。



トロッコ。2人でレバーを上げ下げして走らせるおなじみのアレです。ぼっちには扱えない車。



カナディアンパシフィック操重車CP414328。1920年ビューサイラス製。
蒸気式のクレーン車です。重さは50トンとも75トンとも100トンとも言われていて、正直分からん。
それ以外の他のこともよく分からなかったです。



後ろ姿。

はい今日はここまで。


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北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その47 【2015/07/08~18】

2016-11-11 23:05:05 | 海外旅行記

2015年7月18日(土)11時24分
アルバータ州カルガリー 遺産公園歴史村

7月8日から長々と続けてきた北米P3も今日で残念ながら最終日。両親は早々に日本へ帰ってしまいますが、私の帰りの飛行機は17時とまだまだ余裕があります。
そこで、ホテルをチェックアウトして両親を空港でおろして別れを告げた後、私は一人カルガリー市街地へと戻ってそのまま通り過ぎて、ダウンタウンの南側の近郊にある「遺産公園歴史村 Heritage Park Historical Village」というよさげなテーマパークへ。この和訳はどうも頭が悪い感じに聞こえますが、他にどうしようもない感じもするしで、アレです。素直にヘリテージパークと書いた方がいいかも。
どんな施設なのかを一言で表せば、カナダ版の博物館明治村というのが一番しっくり来ます。敷地は約51万㎡、保存されているアトラクションと展示物は約180個となっています。その上時代はおよそ1860~1950年代ごろを設定していて明治村とおおよそ同様、さらに蒸気機関車や路面電車、蒸気船なども動態保存されていて、おいおい本当に明治村だなって感じです。

カルガリーのダウンタウンでもLRTやバスを見たかったということもあり、滞在時間は2時間でした。
しかしまあ、時間が全然足りませんでした。建物全部を回ることは出来ませんでしたね。1日余裕で滞在できる施設です。

で、この建物はカナディアンパシフィック鉄道(CP)のカルガリー駅の駅舎だった建物です。1893年に建てられました。
ここの地方特有の砂岩で建築され、屋根の隅棟に張り出した窓がやはりこの地方特有の建築様式とのことです。
CPのことにも少し触れられていて、1885年の大西洋~太平洋横断鉄道の建設完了以降、観光業に参入して一流ホテルの開業や内陸部や公海での蒸気船の運行をしたり、大陸西部での農業事業の基盤作りのために拓殖企業を運営して酪農業や灌漑の指導をしたりと、まあ手広くやっていたようです。
これ行く行くは自分ちの鉄道で物資輸送させるための算段でしょうからね。需要がある所に鉄道を敷くのでなく鉄道を敷いた所に需要を作るという発想です。



まあ全部を見て回れないだろうなというのは初めから気づいていたので、見たいものを優先的に見ていきます。というわけで最初に見に行ったのは蒸気機関車です。
先述したとおり、ここでは蒸気機関車が動態保存されていて来園者のアトラクションとして使われています。列車だけでなく関連施設も保存されているのがここの良いところ。
これはミッドナポール駅 Midnapore station。カルガリーの南にあったCPの駅で1910年に建てられました。旅客の待合室の他に貨物の保管所、事務室も備えた複合施設の駅でした。
この駅のある土地は元々フィッシュクリーク(魚川)だったのですが、ここの郵便局長がインドのミッドナポール宛の手紙を見つけたのがきっかけで地名の名前を変えたといいます。なんだそりゃ・・・。
ミッドナポール駅は、カルガリーとフォートマクラウドを結ぶ路線の途中駅の1つとして1912年に開業しましたが、戦争だなんだで乗客が伸びず、1918年にソッコーで廃止されます。諦め早すぎぃ!その後CPは1964年に駅舎を寄贈しますが、売値は1ドルだった模様。
室内を見ている余裕はなかったぞい・・・。



建物がギュウギュウに詰まっているかというとそういうわけではなく、芝生の広場もあります。普通にピクニックとかにも良さそうなんですよね。



蒸気機関車を見つけたので近づいてみます。ちょうど駅に停車しているところでした。



というわけで蒸気機関車列車です。客車は3両編成で内2両は木造オープンデッキ、ダブルルーフ客車とよさみのある代物。
機関車はなんだか日本でも走っていそうな大きさで、カナダにしては小ぢんまりとしています。やっぱりこのくらいのほうが維持しやすいのかな?



CP2023蒸気機関車。
日本のテンダー機並の大きさ(C11にテンダーをくっつけたみたいな大きさ?)をしているんで親しみが湧きやすい機体なんですが、動輪を見てみると0-6-0(0C0)配置。この大きさで先輪と従輪がないという親しみもクソもない見たことのない配置でした。
いやいや、本線用機関車でこれは無いでしょ、入換用じゃあるまいし・・・と思ったところで、もしやこいつって入換機(スイッチャー)なのでは?と疑りに入って調べたところ、マジで入換機でした。マジか、この規模でか。末期の9600形じゃあるまいし。

なおこの機体の番号CP2023は架空の番号で、そもそもこの機体がCPに所属したことは無いという経歴詐称カマです・・・。
本当は1944年1月にリマ・ロコモーティブ・ワークスがアメリカ陸軍向けに製造した機体(S/N 8140)で、USAX4076号機としてバンクーバーの操車場で入換をしていたと言われています。そして色々あって現在はここにいるということです。
CP2023の他にもここにはCP2024がいて、やはり経歴詐称車。この番号になった根拠は、U-2-a形の未使用の番号を割り当てたから、とのこと。このU-2-a形は恐らくこのCP2023/2024と同系列の機関車だった可能性が高いです。



モリッシー,ファーニー&マイケル鉄道 Morrissey, Fernie & Michel Railway; MF&M62号客車。
客車についてはよく分からないです。乗ってみれば車内に経歴の書かれた解説もあったやもしれませんが・・・。
<2016年11月16日追記>
ネットの海からサルベージした謎資料によると1885年製とのこと。130年前とかクソ古いゾ・・・。(追記終わり)

木造、ダブルルーフ、オープンデッキ、台枠トラスバーと、アメリカン全開の客車で非常に好ましいです。窓も天地方向が大きくて車窓が良さそうですね。
MF&MはBC州東部にあった炭坑鉄道です。カナディアンパシフィックとアメリカのグレートノーザン鉄道と接続していて、採掘してきた石炭を輸送していました。貨物列車の他に炭鉱の町ファーニーから炭坑まで坑夫を輸送するための列車も運行していて、それに使われていたのがこの客車なのではないかなぁと踏んでいます(確証はない)。



MF&M63号客車。同型車ですね。製造年も同じ。
乗ってみたかったぞい・・・。



3両目はカナディアンナショナル鉄道の15097号客車。
これだけ鋼製でシングルルーフで全長も長い。ややよさみに欠けますが、窓ガラスを取り払ったオープンカーなのが魅力。それと地味にセミクロスシート車になっているんですけど、もしかして元々は近郊輸送客車とかそういうの?(いわゆるコミューターコーチは実際に存在していた)
<2016年11月16日追記>
謎資料によると、製造は1892年でワグナー・パレス車輌製。上記木造車とそう大差ない年齢だったぞ・・・。
元々は寝台客車だったらしく、その後1954年にマウンテンオブザベーションカーという展望車に改造されました。これどういう車両かというと、わたらせ渓谷鐵道や嵯峨野観光鉄道のような窓ガラスのない解放展望車のようなものです。山の空気を感じられるということでこういう名前になったんだと思います。
車両中央はガラス付きの密閉客室で、風雨も凌げられる構造になっています。
そんな昔からこういう観光用車両があったとは驚きですね。(追記終わり)



時刻表は黒板で手書きしていくスタイル。味がありますね。
現役時の本数は、こんな書き方で済む程度の本数だったってことでお察し。
なおここの線路は鉄道模型よろしく環状に敷かれています。大抵は折り返し運転をするところが多い中で、これって意外と贅沢な土地の使い方をしていると思いますよ。



列車がもうすぐ発車なので、駅から離れて沿線撮りすることにします。さっき書いたとおり意外と開けているので撮りやすいのです。
場所を決めあぐねている間にも来てしまいました。



これはV。
スイッチャーと言えども機体が大きいので迫力は十分です。



ちょっとカッコつけた撮り方を。



列車が行ったところで、少し鉄道から離れて。
園内には遊園地もあります。遊具も骨董品ばかりを集めたような内容になっていましてね。よく揃えたもんだと。
これはみんな大好き空中ブランコで、なんと1920年製。しかも独フリッツクライス社製のワンオフ遊具。出力は7.5馬力。
1984年に寄贈されて4年後に復元、以来ここで子供たちを回し続けています。よく維持し続けているよなと思います。



19世紀カナダの町並み。こうもテンプレじみた町並みなのかと思うほど頭の中の町並みと合致します。あと道が広い。



(一応)馬車に乗っている人々。牧歌的だ。19世紀の格好で訪れたらめちゃくちゃ楽しいだろうな。

今日はここまで。これも結構長引くと思うのでみなさんもそのつもりで・・・。


その48へ→

今年もソドー島の鉄道を撮る 後編【2016/7/24】

2016-11-10 22:48:47 | 鉄道撮影記

狭い道を通り抜けてどうにかこうにかで奥大井湖上駅に繋がる遊歩道の入口まで来ました。此処から先は歩いていきます。駅へ直接乗り込むには歩いていくしか無いのです・・・。



遊歩道というか山道を少々歩いて(尾根を歩くのは気持ちよかった)接岨湖の上に架かるレインボーブリッジの端っこまで来ました。ここのレインボーブリッジの方がお台場のアレよりも先に建設されたんだぞ、と起源を主張しているのは有名な話。



背中を振り向けば22号隧道が。
このトンネルを抜けた先で旧線と合流するはずです。



ちょうどいい頃合いに列車が来ました。せっかくなので撮影していくことに。
団体客が降車していたのか、やけに停車が長かったです。



こんな感じで。よく見るとさっき千頭駅の踏切で見た編成でした。
それにしてもよくこんな立派な橋を架けたよなと月並みな言葉が出ました。走ってる列車に対して不釣り合い。今こんな工事するよ!って言っても出来なさそう。



駅に着きました。実はここに降り立つのは初めてです。
これだけ見るとごく普通の無人駅って感じもしますね。遠くから見ないとここの迫力は中々伝わらないのかもしれないです。



風が呼んでいるの姉妹サイトみたいな名前の風の忘れものという鐘。何十年も忘れられっぱなし。はよ取りに来い。



カップル向けのアトラクションもありました。こんなところ誰が来るんや・・・って思いましたけど、そこそこ鍵が掛けられていました。



ポケモンジム。
本当はロッジか何かだったかな?



で、本来の目的の廃線跡観察。まずはホームから見えるところから。
これは廃橋。駅からよく見える上に目立つ構造物なので、割りと井川線旧線の中でも有名。



駅ホームの千頭側の端っこまで来ました。ココらへんがウワサの水位が下がっていつもは見えないものが見えるところです。
右手から橋を渡って蛇行しながら旧22号隧道へと向かう路盤が分かります。



そういえばZeBonくんは前にもここに来たことがあると言っていたのを思い出して、なんか写真でもありそうと家探ししてみたらドンピシャでありましたね。これは今年の1月に撮られた写真です。
実は水位が下がっていると言ってもたいしたことないやろ~と思っていたんですが、これ見たらガッツリ下がっていましたね。この写真よりも水位が上がる日もあるんだそうで。



奥の旧22号隧道。
坑口や路盤がはっきりと視認できます。隧道は中にも入れそうです。よく見ると軌道もまるまる残っています。なんで剥がさなかったんや?



比較用のZBSデータベースの写真。ほとんど水没してますね・・・。



ダム湖の萌えポイントは、湖面へ沈んでいく道路だと思うんですけど、どうでしょうか?
これはちょうどヘアピンカーブになっているところで沈んでいるのでポイント高めです。

と、こんな感じです。いいものが見られました。
この後は新金谷駅まで戻ります。



新金谷に着きました。最近置かれたというSLポスト。なかなかいい雰囲気で。
ここで、実はトーマスに乗っていたいぶき君とぞーなさんを回収。



最後にウワサの14系客車を見ていたところでカメラのバッテリーが切れて終戦。
島田のさわやかでハンバーグ食べて帰りました。おしまい。

今年もソドー島の鉄道を撮る 中編【2016/7/24】

2016-11-08 21:16:51 | 鉄道撮影記

千頭駅に着きました。ちなみに途中で下泉駅でぼけっとベンチに座っていたいぶき君を拉致任意同行しています。
このエアロスター乗って寸又峡温泉行ってみたいですね。あの狭い道をどう攻めるのか・・・。



千頭駅にバーティが停まっていたので撮影。
中古の小型バス日野ポンチョを赤く塗ってお面を取り付けた簡単工作。
元ネタはフロントエンジン配置なのでボンネットが見えているんですが(運転席がめりこんでいるので箱型に見えるけども)、そこに目を瞑れば丸っこいポンチョということもあってまあ似てないってことはない、と言う感じです。
来年はハロルドを飛ばしてトーマスを追いながら遊覧飛行とかいいと思うんですけど、どうでしょう?



ドンドコ太鼓を叩いている横にある井川線のスハフ7。休憩所として使われています。
元オープンカーの「かわかぜ号」という観光用車両でした。塗装は水色に塗られていましたが、原型に復元されました。窓は改造されたままです。
車内の内張りは所々新品に置き換えられているような気もしましたが本当のところは分からないです。



cト100g・・・もといいたずら貨車。機関車たちにいたずらするかと思ったらよく自爆もしてるよく分からん貨車です。
元ネタは黒塗りの2軸無蓋車なので、大鉄のトーマス軍団の中でも一二を争う再現度です。
他にいじわる貨車もいますがこちらは有蓋車なので微妙に異なるキャラです。井川線には有蓋車もいるし、出そうと思えば出せますね。

ラスティの遊覧列車の演出として横に置かれているだけで、乗ることはできなかった模様。乗ったらいたずらされるからね、仕方ないね。



千頭駅構内に入場して、トーマス大集合を撮影。トーマスとジェームスはもちろん、ヒロとパーシーも並んでいます。
これは壮観、ここ本当はイギリスなんじゃないか?と思うほどの力の入れようです。
そしてこれだけの事やっても激パでないのもいいですね。人はたくさんいるんですけどね、平和なんですな。



遠くからも撮影。強い並びだ。



黒SLこと普通のSL急行も到着しました。C11形190号機です。実家のような安心感。



車を停めた駐車場に戻るべく再び駅の外へ。
大鉄バスの三菱ふそうエアロバス。見れる時には見れるバス。



踏切を渡る時にちょうど井川線の列車がやって来ました。
ラック式鉄道に切り換えてから25周年のヘッドマークが掲げられていました。



機関車は復刻塗装のDD20形3号機でした。赤ってすぐに退色するから手入れが大変そうね・・・。
車に戻った後は、奥大井湖上駅にある接岨湖へ向かいます。降水量不足でダム湖の水位が下がっていたため、水没した井川線の旧線が出現したとのウワサが出ていたので、それを見に行くことにしました。



が、この道である。またこれか。
道に迷ったよ、これ。轍はまだ残っているけど半分死んでる道だよ。寸又峡~接阻峡を移動する地元民くらいしか使わないんだろうな。



こんな経路やで。
県道388号線を通って行くのが定石なんですが、間違えて県道77号線に乗ってしまったんですね。
引き返そうと思ったんですが、そういえば途中に横道があったよね、あそこから抜けられるんじゃないの?と地図を見てみたら抜けられるんですね。行くわけですね。
で、この道だったんですな・・・。狭い道で車のすれ違いはムリです。たぶん元々は千頭から接阻峡へ向かう道路の旧道だった道だと思います。



ただしこの道路のいいところは、時々絶景が拝めるところ。このように井川線のラックレール区間が一望できます。これは素直にすごい。
わざわざお立ち台が整備されている箇所が3つあり、にわかに信じがたいですが昔は観光客も通行していた道だったようです。勘弁してくれよな。



はい絶景。
長島ダムを上から見られます。いやはやこんなところがあるとは・・・。



ほい絶景。
長島ダムを横から眺めます。



運命の分かれ道、みたいな。右が正解です。
面白かったですがまた行こうとは思いませんね。

今日はここまで。


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今年もソドー島の鉄道を撮る 前編【2016/7/24】

2016-11-03 23:16:42 | 鉄道撮影記

一応前回からの続きになってますけど、読まなくても大丈夫よ。
前日に泊めさせてもらった磐田にあるぞーなハウスで迎えた次の日の2016年7月24日の朝。
この日は朝からソドー島・・・もとい大井川鉄道へ。今年もあの青いアイツを見に来たのだ(2年ぶり3度目)。

ド定番の川根温泉ふれあいの泉にある第一橋梁から撮影することにしました。
SLが来るまで電車で練習。最初は16000系の千頭行き。混雑すると立ち客が死ぬ電車。掴まるところがないので立ち客にとっては苦痛の乗車時間です。元々そういう設計ではないんで残当っちゃそうなんですが。



7200系の金谷行き。元はTOKYOの通勤電車だっただけに混雑にはめっぽう強いですが、SL乗りに来た観光客には座席が少ないと不評。そらそうよ。私は好きですが。
これの持ち味は1両で運転できることなんですが、なぜかやらないので、まあなんだ持て余してんじゃないの?って感じです。
E31形電気機関車といいこれといいこの時期に購入した車両って、使えるか分からないけどとりあえず買っておいた、みたいなケース多いですね。本当は私の知るに及ばない素敵な算段があるのかもしれませんが。
とはいえ7200系そのものは好きなので、永く活躍してほしいです。



21001系の急行千頭行き。ものの30分で電車全てを抑えることが出来ました。
電車3形式の中では一番使いやすいともっぱらのウワサなので、まだ当面の間現役に留まると思います。



!?
なんだあいつは・・・。



去年からトーマスとともに大井川鉄道へ出向してきたジェームス。たまにジェームと書かれてる。
去年の運転時はカナダ人やってて見れなかったんで、今日が初めてということになります。
もうもうと黒い煙を上げてますが、トーマスの劇中だと白い煙を上げているので黒いと何だか事故りそうだとか不穏な空気を感じます・・・。



編成はジェームス、電気機関車、座席客車4両、お座敷車2両、展望車1両。
ジェームスの客車はオレンジじゃないですが、展望車・お座敷車を連結することでトーマスに負けない見栄えを保っています。というか支線運用でアニーとクララベルを牽くことが多いトーマスと違って、ジェームスは本線で茶色い急行客車を牽いてるイメージなのでこれはこれで全然アリです。



ジェームス。赤いぞ。トーマスよりも見た目の収まりがいい感じがしていいですね。
そういえばトーマスと入れ替わりでC56が姿を消しましたが、どこいったんでしょうね(すっとぼけ



動いているSL見ると無性に乗りたくなってきますな。



その後は車で大井川を北上して塩郷の吊り橋へ。ここでトーマスを上から狙います。
それと今年は人面バスことバーディが登場してそれが所々トーマスと並走しながら走るのですが、その並走地点がこの塩郷の吊り橋辺りということでここを選びましたぞ。
塩郷に向かっている途中でジェームスが見えました。無理せずとも簡単に追いつけますね。



この吊橋を歩くのも何年振りってくらいに久々です。



16000系の金谷行き。



こんな風に大井川を背景にトーマスとバーディが並走するはずやで。
背景が川っていうかほとんど砂利だけど。



そして青いアイツが来ました!
その少し前にバーディが先行して道路を走ってきましたが、路肩で停車してトーマスを待つというあんまり見てはいけないものを見ました。一応、どっちが先に着くか競争しているって設定だったような?
トーマスがカーブに差し掛かる辺りでバーディも再発進します。が、



あっ(察し)
オレンジのデミオがトーマスと並走してるじゃん。お前じゃねぇよ。
デミオがトーマスの速度に合わせて走るお陰で道路は詰まってバーディは遥か後方を走る羽目に・・・。



並走大失敗。
まあこうなることもあるよな、と思いつつこのデミオは後でダム湖に沈めておきました(



ポンty・・・もといバーディ。
この後、トーマスとバーティを追うべく千頭へと向かいます。


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