黒鉄重工

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那珂川清流鉄道を訪問する その2 【2014/02/16】

2014-02-28 23:36:50 | 鉄道撮影記
引き続き保存車両を掲載。



10トン半キャブ-2。協三工業製。



加藤3トン。これは軌間610mmのガソリン機関車です。
前の所属は鳶屋建設となっていますが、台車に彫られている帝国海軍のマークから、元々は帝国海軍の従軍機関車であったことが察せます。元霞ヶ浦航空隊の機体だったと言われています。



加藤6トン。軌間610mmで建設省所属だったもの。



100号蒸気機関車。協三工業が製造した蒸気機関車で、むさしの村鉄道に所属していました。
むさしの村は埼玉県加須市にある遊園地で、農協が経営しているためか園内に体験用の農地もある珍しい遊園地です。
その中に「むさしの村鉄道」という園内鉄道があり、そこで実際に走っていた本物の蒸気機関車です。ちなみに100号引退後の現在は、蒸気機関車風のバッテリーカーが走っているようです。



TD-2。日立製作所製の25トンディーゼル機関車。ここに保存してある機関車の中では大きめの機体です。ナンバープレートにはDD102と書かれているのですが、どちらが正しいかはわからないです。
前所属は高崎製紙ですが、塗装が国鉄ディーゼル機関車風なので、DE10を小型化したかのような可愛らしい印象です。



協三工業5t半キャブロッド式。前所属は秋田県北通運。



TD-3。先ほどのTD-2の同型機・・・だと思う。これを解説しているページがないの。



10トン半キャブ-1。協三工業製。



ヨ8000形8099。川崎重工製。国鉄の緩急車です。



こんなかんじでぎっしりところ狭しと保存されています。



こっちにも。



見学していると、10トン半キャブ-1とTD-3が始動して屋根の外へと出てきました。この後体験運転に使うのだそうです。
ただ詰めんこでるだけかと思いきや、自走できるというのがここのすごいところですね・・・。



資料館もあるのでそちらも見学。昔のメーカー銘板が展示されていました。
珍しいところで言うと富士車輌、輸送機工業あたりでしょうか。どちらも知らないメーカーです。



東急横浜というのもレア。今の総合車両製作所ですね。この時はまだ関西に工場があった頃のものか?



101号蒸気機関車。2013年1月に新造された日本で一番新しい蒸気機関車です。ニュースにもなりましたね。SLの新造は22年ぶりなのだそうです。
当然ながら自走できるのだそうです。見れば見るほどすごい施設ですねぇ。



クラウス17号。明治22年にドイツのクラウスマッファイで製造された古典蒸気機関車。
最初に九州鉄道(後に国有化)→東京横浜電鉄(東急の前身の一つ)の建設用→留萌鉄道→明治工業→(略)→大井川鉄道→遠野・万世の里、という風に幾つもの鉄道を渡り歩いてきた経歴を持ちます。



謎のスイッチャー。



松山 保線用機関車。昭和54年12月、松山重車両工業製。近鉄の保線モーターカーとして使用されていた。
体験運転用の車両が外に出たので隠れていた別の車両を撮影することが出来ました。



前回も紹介したC4酒井。1エンド側はこんな感じ。これも始動していました。



関電4トン。こちらも自走していました。


まだ続きます。


その3へ→

四国project ~Conquest of Japan~ 最終回

2014-02-25 21:33:53 | 旅行・イベント記

第50走者:伊賀鉄道(200系) 伊賀神戸13:35→上野市14:00
上野市に戻ってきました。ここで降ります。忍者がお出迎え。



駅の裏側にある上野城へとやってきました。これは松尾芭蕉を祀る俳聖殿。



上野城は、1608(慶長13)年に藤堂和泉守高虎が大阪城の豊臣秀吉に対する拠点として築城しました。
慶長17年には台風により天守閣が倒壊、その後再建されることはありませんでしたが、城自体は存続しました。現在の天守閣は1935(昭和10)年に地元の名士により復興しました。



例によって天守閣の内部はスルー。見ると意外と時間がかかるのよね。



上野城の特徴は日本一高いとされる石垣。打込はぎ工法で、高さは29.7m、延長は368mです。



第51走者:伊賀鉄道(200系) 上野市14:46→伊賀上野14:53
上野城をささっと見学したら、伊賀上野まで乗って関西本線に復帰します。



伊賀上野の駅舎はこんな感じ。



それっぽく撮ってみたけどうーん微妙。



第52走者:関西本線(キハ120形) 伊賀上野15:21→亀山16:05
キハ120に乗って亀山方面へ。



亀山に着いたら211系0番台が留置されていました。初めて見ました。



キハ120も撮影。



第53走者:関西本線快速(313系) 亀山16:23→名古屋17:34
亀山からはJR東海エリア。313系の天下です。
四日市からは快速運転になって駅を飛ばすのですが、列車交換でよく止まるのであまり快速感を感じませんでした・・・。



第54走者:東海道本線特別快速(313系) 名古屋17:45→豊橋18:38
名古屋駅できしめんを食べて東海道線にの乗り換え。5000番台じゃなかった・・・。
あとはもう帰るだけです。



第55走者:東海道本線(313系) 豊橋18:48→浜松19:23
豊橋からはJR静岡エリアへ。



第56走者:東海道本線「ホームライナー静岡」6号(373系) 浜松19:29→静岡20:28
ラストランナーはホームライナーに乗って快適に。



これで無事に47都道府県を回りきったわけですが、広島や岡山、大分などほぼ足をつけただけという県がいくつかあるので、今後はこれらを重点的に回っていこうと思います。

というわけでこれにて四国project完結!!

次回からは東北projectをお送りします。

那珂川清流鉄道を訪問する その1 【2014/02/16】

2014-02-23 23:26:13 | 鉄道撮影記
鉄道の保存車両に明るい蒼風くんに栃木県にある那珂川清流鉄道に行かないかと誘われました。前々から気になっていた場所だったので、他にもぞろぞろと引き連れて行ってみることにしました。



ちなみに当日は大雪の影響で交通機関に乱れが。本来ならば在来線で行くつもりが大宮から宇都宮まで新幹線を使うことになりました。
ダイヤ乱れは新幹線にも影響していて、E6系+E5系による「はやて」103号盛岡行が。E6系による盛岡はやてがミソですね。でも探せばあるかも。
ちなみに所定では「はやて(盛岡)+こまち(秋田)」で、仙台で列車を切り離してこまちが先行し、はやては仙台以北は各駅停車というなんだかアクロバティックなダイヤ。



さらに、「つばさ」用のE3系2000番台による「やまびこ」127号仙台行。所定だと当然E3系は「つばさ」に充当されるのですが、山形新幹線が不通だったため仙台行になっていました。これはレアでしょう。
この仙台つばさに乗って宇都宮まで。



宇都宮からは烏山線に乗り換え。車両はキハ40系ですが、運良く国鉄色をした車両に当たりました。撮影出来てよかったです。なかなか似合っていますよね。



終点の烏山駅に到着。反対側の車両は首都圏色でした。たらこですね。
足回りまで含めた編成写真が撮れなかったのが残念でしたが・・・。



線路の上には、3月から烏山線に投入される新型の蓄電池車両EV-301系「ACCUM」用の充電設備が建造されていました。架線柱の間隔が狭くてゴツイぞ。



東北本線内の強風の影響で烏山着が遅れたため、駅から接続するバスに乗り遅れてしまいました・・・。なので、タクシーに乗って移動します。
駅前には使われなくなったバス停留所のポールが。こういうの欲しがる人もいるんだろうなぁ。



そして那珂川清流鉄道保存会に到着。斎場の裏の敷地を使っているようです。
那珂川清流鉄道保存会は、栃木県那須烏山市にある鉄道車両の保存施設です。大小50両もの車両を保存しており、しかもそのほとんどは自走することが可能とのこと。
車両も有名所から超カルト級のものまで様々。並みの鉄オタでは知らないものがほとんどだと思います。

で、我々を出迎えてくれたのが千葉都市モノレールの1000形(1002+1015)。千葉県のポッポの丘にも保存されていますが、こちらは現役と同じように上から吊るして保存してあり、来た人の度肝を抜かせてくれます。これにはビックリ・・・!



とりあえず、載せられるだけ載せていこうと思います。
これは関電4トン。加藤製作所製の関西電力向けのスイッチャーです。軌間は762mmということで、黒部ダム関連で使われていたのではないかと。



C4酒井(DBT10tDL)。酒井工作所製の長野営林局植松運輸営材所向けスイッチャー。軌間762mm。
第2エンド(?)の窓が湘南顔風になっているのが可愛らしい。



14系客車。寝台特急「北陸」に使用されていた寝台客車です。スハネフ14-35、オロネ14-703、スハネ14-703の3両が保存されています。
保存車がひしめき合っているので1両ずつの撮影は不可能。



アルナ工機製連接式ディーゼルカーSLタイプ。
川越聖地霊園向けのSLの皮を被ったDL。霊園の遊具か何かだったのか?



25トンB型液体式ディーゼル機関車。
どっかで見たことある形だなぁと思って調べたら一昨年の伏木ヤード祭りで見たやつでした。思わぬ再開。



金沢市内線2302号。
1961年に製造されるも1967年に市内線の廃止に伴い豊橋鉄道へ譲渡。2000年に廃車となりますが、鉄道総研に譲渡され、架線・バッテリーのハイブリッド路面電車の実験車として使用されました。



D15-1。日本車輛製の15トンスイッチャー。関西フレートサービス→昭和産業を経ています。自走可能だそうです。



加藤5トン。その名の通り加藤製作所製の5トンスイッチャー。軌間は610mm。金子組に所属していたようです。



土井酒井。酒井工作所製の4トンガソリン機関車。軌間は610mm。修復中のようですね。



ライブスチーム用とみられるC56-160のような何か。すんごいゲテモノ感がする・・・。



海軍加藤3トン。加藤製作所の3トンスイッチャー。軌間610mm。旧帝国海軍の霞ヶ浦航空隊で使用されていたとのこと。従軍スイッチャーもいたのか・・・。


続きます。


その2へ→

欧州project~2012年ヨーロッパの旅~ パリ編 その14

2014-02-22 23:13:33 | 海外旅行記
9月4日(月) パリ3日目(通算14日目)


海外旅行もついに丸2週間。明日には帰国になるので、実質最終日となります。



昨日に引き続き、今日もベタなところを回ります。
最初に来たのは、パリ・リヨン駅。



趣がある・・・(小並)。



時計塔。



日本人が思い浮かべる典型的頭端式ホーム。やはり壮観。



ズラッと並ぶ列車。



BB36000型電気機関車。1996年から製造された1500Vと3000V直流、25kV交流(50Hz)に対応した電気機関車で、フランスの他にベルギーやイタリアにも直通できます。
この36007号機はフランスとイタリアを結ぶ夜行列車「テロ(Thello)」の塗装がされていることから専用の牽引機のようです。それとも単なる広告塗装なのか。



TGV-Duplex。2階建てのTGVです。肝心の客車は白飛びしてますが。



で、私の行く駅はリヨン駅ではないことが判明。正しくはオステルリッツ駅。フランス南西部方面の列車が発着します。
リヨン駅に比べると小さな駅ですが、やはり芸術的な印象を感じさせる駅舎です。



X72500型。2両編成の気動車です。複数編成をつなげることは可能なようですが、それでも非貫通型の流線型にするのですねぇ。



別のホームにはBB7200型電気機関車。直流電化区間用の機関車で、日本では「ゲンコツ機関車」としてある程度は知られている模様。兄弟系列として交流用のBB15000型、交直流用のBB22200型が存在し、大量に製造されました。
少し張り出したボンネットが特徴で、まさにゲンコツ。格好いいスタイルをしています。
ちなみに形式の「BB」は軸数を表しています(2-2軸)。



BB26000型。先ほどのゲンコツ機関車の直系の後継機です。電源方式を3つに分けていたゲンコツと違って交直流のみに絞っています。
車体は前面を傾斜させた箱型で、車体側面の上部を内側に絞っておりそのラインが先頭にまで伸びているそのスタイルは、ドイツ製電気機関車を彷彿とさせます。



BB26000が牽引してきた客車。

なお、このホームから出る列車でもなかったので、さらに移動します。


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四国project ~Conquest of Japan~ その20

2014-02-21 22:32:35 | 旅行・イベント記

第45走者:関西本線快速(201系) JR難波10:27→王寺10:56
南海電車のなんば駅からJR西日本のJR難波駅へ乗り換え。同じ難波駅ですが、位置は正反対にあり、乗換に手間取りました。
南海電車から関西本線(大和路線)に乗り換えるならば先ほど南海を撮影していた新今宮で乗り換えるのが楽ちんなのですが、関西本線の未乗区間を乗りつぶすためにわざわざ難波まで来た次第。
乗ったのは201系です。



終点の王寺駅に到着。じつはこれで関西本線は全線走破。4年前の北陸旅行で王寺~名古屋は乗っていたんですねぇ。
221系が更新工事されて外観が変化しているようなので、未更新の姿を今のうちに記録。



第46走者:関西本線大和路快速(221系) 王寺11:03→加茂11:34
後続の221系「大和路快速」に乗り換えます。



第47走者:関西本線(キハ120形) 加茂11:42→伊賀上野12:17
終点の加茂で乗り換え。ここからは非電化区間なのでキハ120になります。



第48走者:伊賀鉄道(200系) 伊賀上野12:21→上野市12:28
途中の伊賀上野で伊賀鉄道に乗り換えます。
伊賀鉄道は、近鉄伊賀線を引き継いだ鉄道で、伊賀上野~伊賀神戸16.6kmの伊賀線を運営しています。
車両は、発足当初は近鉄時代のものを使用していましたが現在は東急1000系の中古車である200系を主力としています。全編成がフルラッピングされていて、ラッピングも編成ごとに異なっています。これは「ふくにん列車」ラッピングです。



終点の上野市に到着。反対側の先頭車は、中間車から先頭車か改造されたものでした。
東急8000系を彷彿とさせるデザインで、非貫通ながら貫通扉があるかのようなデザインもされています(ラッピングでほとんど隠れてしまっていますが・・・)。



車両基地も併設されていて、覗いてみると緑の忍者ラッピングがされた200系がいました。これも先頭車化改造車ですね。



第49走者:伊賀鉄道(200系) 上野市12:36→伊賀神戸13:06
上野市で接続しているピンクの忍者の200系で伊賀神戸を目指します。



200系の車内は一部がクロスシートに改造されています。これは京阪電車の廃棄された座席を転用したものだとか。



のんのんした景色が広がります。



終点の伊賀神戸に到着。
200系の先頭部にはパンタグラフが増設されていたんですね。東急車で下枠交差型パンタグラフを搭載しているのは珍しいです。



駅舎。



伊賀神戸は近鉄との接続駅です。元々は近鉄の路線だったので、ホームも隣同士。
特に見るべきものもなかったので、同じ電車で引き返します。


最終回へ→

欧州project~2012年ヨーロッパの旅~ パリ編 その13

2014-02-17 23:27:21 | 海外旅行記

いよいよ、本命の絵画部門に入ります。ここまでに来るのに滞在時間の半分以上を使ってしまったので、手早く見ていきます。最低でもモナリザは見ておかなければ。



こんな感じで絵が展示されています。



1848年、ポール・ドラローシュ作、「アルプス越えのナポレオン」。
ナポレオンの肖像画で思い浮かぶのは前脚を上げた馬にまたがって右手をかざしているアクロバティックなアレですが、こっちはおとなしめで構図というかポーズに現実味があります。



1719年、テオドール・ジェリコー作「メデューズ号の筏」。
19世紀フランスを代表する作品で、1816年に150人を乗せた軍艦が難破したという実際の事件をもとに描かれたものです。
この写真だと見えないかもしれませんが、黒人男性が手を振っている先の水平線には救助に来た船の船影があります。
その黒人の下には死体があります。最終的に助かったのは10名ほどだったといいます。



天井画もすごいです。



扉の上にも絵画。



そしてたどり着いた超人気サークル。絵の前には長蛇の列が(・・・列にはなってないな)。
壁とかシャッターなんてものじゃない、完全にほかの絵が展示されている部屋とは隔離された専用の部屋で展示されています。



1503-1506年、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ作「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」。正式名だとなんのこっちゃですが、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「モナ・リザ」です。
世界で最も有名な絵と言われていて、いろいろな謎や構図や雰囲気が人々を魅了し続けています。

この目でモナ・リザを見れるなんて・・・という感じです。



キリスト的な絵(適当)



1748年、ジャック=ルイ・ダヴィッド作「サビニの女たち」。
隣国のローマ人によってサビニの女たちが掠奪された後、サビニの男たちは女たちを奪回しようとしたというエピソードを描いたもの。
サビニの女たちが戦う男達の間に割って入り、仲介しようとしている姿が描かれています。



きらびやかな廊下。



整備や修復が大変そう(こなみ)



ルーブル美術館退館。とても3時間程度じゃ見れる量じゃなかったので、またパリに来た時も訪問したいと思います。



表で見たルーブルピラミッドは地下にも伸びています。



なんか電流が流れてそうなアレ。



地上に出てきました。
美術館の向かいにあるのは、カルーゼル凱旋門。凱旋門というと前日に見たエトワール凱旋門が有名ですが、それのパチモンというわけではなく、1806年から1808年にかけてナポレオンの勝利を祝するために建設されたれっきとした凱旋門です。
着工年もエトワール凱旋門と同じですが、いかんせん大きさが小さいので知名度は劣ります。



ナポレオンかな?



デパートでお土産やら何やらを購入。



メトロでホテルに戻ります。きれいに流し撮りできた。



ホテルの近くのカフェレストランで夕ご飯。トマトソースベースの海鮮スパゲティです。うまいですなぁ。

これでパリ2日目終了。明日はパリ滞在実質最終日です~。


その14へ→

四国project ~Conquest of Japan~ その19

2014-02-15 23:03:25 | 旅行・イベント記

第40走者:南海本線急行(7100系) 貝塚8:17→羽衣8:32
第41走者:南海本線普通(7100系) 羽衣8:37→浜寺公園8:39

貝塚から再び難波方面を目指します。



ですが、再び途中下車します。降りたのは浜寺公園駅。
辰野金吾が1907(明治40)年に設計した駅舎です。辰野金吾といえば、東京駅や日本銀行などの近代建築を設計した人物です。
1998年には国の登録有形文化財に指定されました。

これを一度見ておきたかったんですねぇ。



ちなみに駅前からほんの少し歩いたところには、阪堺電車の終点である浜寺駅前駅があります。
路面電車タイプの路線には珍しく駅舎がありますが、これもまたぼろいというか趣のあるというか。



古い電車が来ないかと少し撮影していきましたが、来たのはこのモ701形だけでした。
非冷房なので夏は稼働率が低いらしいですね。



第42走者:南海本線普通(8000系) 浜寺公園→堺
E231系8000番台8000系の普通に乗ります。
外観はそれほどE231系っぽくないじゃないかと思うんですが、車内に入るとあっ・・・(察し)となりました。
座席端の大きな袖仕切りは関西の人には不評みたいですが、個人的には座っているときにはもたれかかることができますし、ドアの前で立っている人が袖仕切りに寄りかかってきてもお尻に触れずに済みますし、結構役立っているんですけどねぇ。



第43走者:南海本線急行(9000系) 堺→新今宮
堺駅で急行に乗り換えて新今宮まで。



新今宮で、南海電車の撮影をすることにしました。ここだと本線と高野線の2路線の電車を同時に撮影できるので効率が良いです。
まずは、6200系。6000系の製造コスト削減版です。東急8000系かな?という感じ。



30000系。高野線の特急「こうや」用の特急車両。「高野線のクイーン」と呼ばれているそう。高野山も行ってみたいんですよね。
直後に高野線の上り列車と被ったのでこんなお写真に・・・。



6300系。6000系のマイナーチェンジ版である6100系を更新したもの。



そして、6000系。東急7000系や京王井の頭線3000系と同時期に登場したオールステンレス車両の草分けで、20m級車としては初。
従来の南海電車の車両をそのままステンレス化したという印象の電車です。メタルマリオ的な。
この丸い前面をよく成形できたものです。結局それが高くついたのか、前面デザインを簡略化した6200系が登場しているわけですが。
なお側扉は片開き。登場からすでに50年が経過していながらも1両も廃車が出ていないというとても稀有な電車です。置き換えの話も出てないらしいです。なんなんやこいつ。



9000系。南海本線初のステンレス車両です。いわゆる額縁骸骨スタイル。



1000系。本線用、高野線用で分けられていた在来車と異なり、そのどちらも走行できる汎用性の高い車両です。



泉北高速鉄道5000系。高野線から分岐する第3セクター鉄道の電車です。



7000系+10000系の特急「サザン」。実は6000系より7000系のほうが登場が遅いです。ステンレス車は高野線、鋼製車は本線というお約束が以前はあったようです。



座席指定の特急仕様の10000系。窓がでこぼこ。これも最新鋭の12000系に置き換えられる見込みです。でも12000系は撮影できませんでした。



2000系。高野線の山岳区間を走れる「ズームカー」です。でも、余剰が発生して最近では本線でも運用しているようです。



6000系と31000系。31000系は「こうや」の増結と冬季の運休解消を目的に1編成だけ造られたレア車。



50000系。おなじみの関空特急「ラピート」ですね。



高野線の1000系。



第44走者:南海高野線(泉北高速3000系) 新今宮→なんば
泉北高速鉄道3000系。南海6200系をベースにしたセミステンレス車です。
これに乗ってそのまま難波へ向かいます。


その20へ→

欧州project~2012年ヨーロッパの旅~ パリ編 その12

2014-02-13 22:30:09 | 海外旅行記

ルーブル美術館編その2。
これはChapiteau d'une colonne de la salleで、柱です。部屋の中に同じものがたくさん立てられていたんだそうです。



牡牛ですね。



古代メソポタミアの割とどうでもいい収蔵品に結構時間をかけてみてしまったので、ここからは駆け足で見ていきます。ていうかこれ、全部回るの無理じゃない?



次に見たのは古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部門。
彫刻とかのあれが見れそう。



ローマの宮殿みたいな神聖な感じのする内装。






「刑罰に処せられたマルシュアス」。紀元前3-1世紀ごろ、ヘレニズム時代のギリシア美術作品です。
このセイレノスは、アポロンよりも優れた演奏家であると自負していましたが、音楽コンクールで敗れたため、スキタイ人の奴隷により生皮をはがされる刑を宣告されてしまいました。彼は木の幹に吊るされ、恐ろしい刑罰を受けるのを待っています。

最初見たときは「縛りプレイ?ドMかな?」とか思ってたんですが、皮をひん剥かれるとかヤバい(小並感)。



「アルテミスと雌鹿」。紀元前1世紀~2世紀ごろ、ローマ皇帝時代の作品。
アルテミスとは、アポロンの双子の兄弟、気の強い処女、疲れを知らない狩人であり、その特徴は、男性の陵辱を罰する事にあるとか。ローマ人にはディアナを呼ばれたそう。ターンAかな?
教皇パウロ4世よりアンリ2世に贈られたこの作品は、フランスに渡った初の古代彫像のうちの一つです。



で、言わずと知れた「ミロのヴィーナス」。紀元前2世紀ごろの作品です。
モデルはギリシア神話のアフロディーテとされています。プリキュアかな?初代主神であるウラノスの切り落とされた男根が吹いた泡から生まれた絶世の美女です。なんの泡なんでしょうね? 愛と性を司り、奔放で浮気性な性格で、どんな神であろうと彼女の愛を一身に受けることはないとされています。ビッチか?

両腕が紛失しているため全体像はつかめませんが、却ってそれが見る人の想像を刺激するともいえます。
あと、結構がたいがいいよね。お腹周りとか。






ウホッ!いい男。
右側の男の石像は「マルケルスの全身像」で、紀元前20年ごろのローマでの作品です。
オクタウィアヌス・アウグストゥスの甥で、娘婿でもある、前23年に若くして死去したマルケルスの死後の肖像です。



天井画。美しいです。



天井の下はこう。



「アモルの接吻で蘇るプシュケ」。イタリアのアントニオ・カノーヴァの作品。
プシュケという乙女は、ヴィーナスから冥界から瓶を持ち帰るように言われましたが、「瓶のふた絶対に開けるんじゃないぞ!絶対だぞ!!」と注意されます。しかし、好奇心旺盛()なプシュケは瓶を開けてしまい、瓶の中身のものすごい臭い臭気を吸って瀕死になってしまいます。だから開けるなって言ったのに・・・。
それを見たかの有名な愛の神エロスという青年は、プシュケに接吻をして蘇らせましたとさ。
以上、ケツのかゆくなるような話。



さらに上へと続きます。


その13へ→

四国project ~Conquest of Japan~ その18

2014-02-11 21:35:52 | 旅行・イベント記
8月16日(金) 4日目(最終日)


第35走者:南海フェリー第3便 徳島港3:00→和歌山港5:10
いよいよ南海フェリーに乗船です。南海フェリーは初めて乗ります。
スピード乗船しコンセントを確保、いろいろ充電します。乗船時間は2時間ちょっとと短いですが、少しでも寝ておきます。カーペットで寝るのには慣れています。



早朝5時に和歌山港へ到着。本土へと戻ってきました。
船体にも阿波野さんと高野さんが描かれていたとは。



和歌山港のフェリーターミナル。ここからは南海電車が発着していてフェリーとの接続が図られていますが、第3便はそれが無く1時間ほど待たされます。
待っていても時間の無駄なので、ひと駅先の和歌山市駅まで歩いて移動します。



50分くらい歩いて和歌山市駅に到着。遠い・・・。
和歌山市駅は南海本線の終着駅とあって規模が大きいです。ここから和歌山港駅まで伸びているのは和歌山港線という支線。
ちなみに南海電車の他にJR紀勢本線も乗り入れています。ただし影が薄いので乗りつぶしでも疎かにされがちらしいです。



第36走者:南海本線特急「サザン」2号(7000系+10000系) 和歌山市6:06→泉佐野6:33
和歌山市駅からは南海電車の特急「サザン」に乗って大阪方面を目指します。
「サザン」はクロスシートの座席指定車とロングシートの自由座席車を連結している珍しい列車です。他には名鉄の特急が該当しますね。
乗ったのは自由席車両の7000系です。古いもので1963年製と50年現役を続けている塩害魔王古参車両です。関東ではここまで使い込みませんねぇ。



第37走者:南海本線普通(1000系) 泉佐野6:35→貝塚6:42
泉佐野駅で普通電車に乗り換え。



貝塚駅でまた乗り換えます。



第38走者:水間鉄道(1000形) 貝塚6:50→水間観音7:04
乗り換えたのは水間鉄道です。貝塚~水間観音5.5kmを運営する小さな鉄道です。一時は水間観音への参詣鉄道としてにぎわいましたが、色々あって会社更生法を適用、新生水間鉄道として再出発しました。



乗ったのは1000形で、元東急7000系の改造車です。当初は東急時代と同じ7000系を名乗っていましたが、更新工事を行い今の形式に改められました。今乗った編成は先頭車化改造車です。他社の譲渡車でもおなじみですね。
車内はほぼ原型っぽいですね。



終点の水間観音駅に到着しました。距離は短いですが、駅が多いのでそこそこ時間はかかりました。
車両基地も併設されていて、原型顔の1000形もいました。更新工事でスカートがついたり窓ガラスが金属支持になったりで結構異端。



水間観音駅の駅舎はこのような感じ。駅名の由来になった水間観音をイメージしたものになっています。
駅名標が「水間駅」になっていますが、以前はそのような名前だったのです。



駅の横には1000形の一世代前の車両である501形が保存されています。
元南海1201系で、赤とクリームの塗装のまま保存されています(以前はクリームに三色帯の末期の姿だったようです)。



501形の奥にある車両基地をのぞいてみると、1000形に改造されなかった休車状態の7000系がいました。
貫通扉のロゴマークを除けばほぼオリジナルに近い印象。



せっかくなので歩いて10分くらいのところにある水間観音まで足を運んでみました。ちょうど縁日があったらしく、ごちゃごちゃしていました。水間観音は正しくは水間寺と言うそうです。

聖武天皇(当時42歳)が病気になったとき、「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」という夢のお告げをたよりに仏像を探すことにしました。
その時勅命が下ったのが生き仏として庶民から信頼されていた行基菩薩でした。奈良を出発して水間に着いた行基菩薩は、約6cmの閻浮陀金の聖観世音菩薩を見つけて天皇に捧げたところ、病は全快したといいます。
そして、この仏様を現地で祀るよう行基菩薩に勅命をだし、堂宇を建立し厄除け観音として信仰されるようになり現在の水間寺に至ります。



こちらは本堂。天正13年(1585年)に建立されるもその後全焼し、現在の本堂は文政10年(1827年)に再建されたもの。聖観世音菩薩が祀られていますが、通常は非公開です。



三重塔は、天保5年(1834年)に再建されたもので、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重の塔である。釈迦仏像が祀られているとのこと。
まだ朝だったので中は見ないで境内をふらふらするに留めておきました。



第39走者:水間鉄道(1000形) 水間観音7:32→貝塚7:47
貝塚駅へと戻ります。行きで乗ったのとは別の編成です。


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欧州project~2012年ヨーロッパの旅~ パリ編 その11

2014-02-07 22:38:45 | 海外旅行記

ノートルダム大聖堂の次にやってきたのは、ルーブル美術館。有名な美術館ですね。

ルーブル美術館はもともと12世紀にフィリップ2世が要塞として建造したもの。その後、増改築が繰り返され現在のルーブル宮殿の建物になっています。
本来はフランス王家の王宮として使われていましたが、17世紀にルイ14世が王宮にベルサイユ宮殿に移し、ルーブル宮殿は王家が収集した美術品の収蔵・展示場所になり、1793年に美術館として正式に開通しました。



ルーブル美術館の建物自体が巨大な史跡になっています。12世紀の建物だからね。



中庭にあるルーブルピラミッド。1989年のリニューアルの際にできたそう。



おなじみ、日本語ネタ。言おうとしてることはわかる。
なお、3DSを使った日本語ガイドで美術品の解説や館内での位置なんかが分かるようになっています。解説板には日本語の案内はないので使った方がいいと思います。



3DSで館内マップが見れるとはいえ美術館の中は迷路のようになっていて、初見ではどこに行けばいいのかわかりません。
最初に迷い込んだのは古代エジプト美術部門。割とどうでもいい部門・・・。



うーん・・・。
ちなみに館内は撮影し放題。うれしい。



Gudea, prince de Lagash Statue assise dédiée au dien Ningishzida。王子の石像ですね。



Stèle de victoire du roi Naram-Sin。
紀元前2254-2213年くらいにNaram-Sin王が勝利した際に建てられた石碑です。



バビロンの王のハンムラビ法典。紀元前1792-1750年。
紀元前18世紀にバビロン王によって建てられた玄武岩製の石碑。ハンムラビ法典は、聖書以前に作られた古代の歴史的著作と法令集で、メソポタミア文明の象徴です。
死んだ言語をよく読めるよなぁ・・・すごいわ。


Mésopotamie Assyria Khorsabad。メソポタミアの壁画(適当)。



有翼人面牡牛。紀元前721-705年。アッシリアのサルゴン2世によってコルサバードに
建設された宮殿の門とのこと。



脚が5本あるようにみえるのですが、これは横から見たときに4本、正面から見たときに2本見えるように設計されているためです。



実際の使用例がこちら。



おっかない。



鎮守するための石像(のはず)なんだから歩かせる必要はあったのかと。



壁画。



タイル画。



獅子の石像。やっぱ5本ある。



だるま落としみたいな石像。


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