黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
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「たにぐみナナゴーゴ」お疲れさまでした

2022-03-30 22:02:18 | 日常記
2022年3月20日に開催された交通系の同人誌即売会「たにぐみナナゴーゴ」にサークル参加してきました。主催者、サークル参加者、来場者の皆様、当日はありがとうございました!
鉄道の廃駅を会場にした変わった即売会で、楽しんで参加することができました。



当日の動きを簡単に書いていこうと思います。
朝6時に同行してくれた蒼風さんと合流して静岡を出発、自動車で岐阜県揖斐郡方面へ向かいました。移動は順調で、9時過ぎには揖斐郡大野町へ到着しました。早めに着いたので、大野町内にある「黒野駅レールパーク」というところへ寄り道しました。


ここは、2005(平成17)年に廃線になった旧名鉄揖斐線黒野駅の跡地を活用して2013(平成25)年に公園として整備されたものです。駅舎、プラットホーム、線路1線が残されていて、駅舎は喫茶店などに活用されています。
黒野駅には駅の他に車庫の設備も備えていたため敷地面積が広く、遊具、公衆トイレ、駐車場を持つ設備の充実した公園になっています。


島式ホームが残っていますが、線路は片側の2番線だけ残っています。線路は当時物だと思いますが、枕木は取り替えられていると見られます。


線路とホームという地上設備が残されているものの、意外なことに車両がありません。一応、小さいモ510形があります。
旧美濃駅に保存されているモ512号を2015(平成17)年に1年間借りて公園に置いていましたが、最終的に返却して現在に至ります。車両保存する舞台としては優れていると思うのでもったいないという気はします。


ホームの周りには柵が囲んであって、中に立ち入ることはできませんでした。もったいないと見るか設備の保全的には良いと見るか。


旧駅舎が現存しています。改装工事が入っていると思いますが、それにしてもきれいな建物で、本当は建て替えたんじゃないかと疑いました。なのでいつ建築された建物なのか調べずじまいでした。これは宿題です。


駅前はいい感じの街道です。途中で少し折れ曲がっているところが古くから残る道らしくて好きです。
旧駅舎の1階は喫茶店「レールパークカフェくろの」が入っています。1日中モーニングを出しているらしく、よそ者からすれば???となります。ここらへんの喫茶店では普通らしいですけど。



駅舎の間取りは現役時代のままじゃないかと思います。出札窓口が残っていて、当時の時刻表や運賃表もあります。雰囲気は伝わってきますね。出札口の内側、つまり事務室だった部屋が喫茶店になっています。
建物の2階にはNゲージのジオラマが複数展示してあります。


再びホーム。立ち入り制限されているおかげか、ホームの保存状態は良好なんじゃないかと素人目には思えます。


こういう乗客案内用?の行灯もあります。こういう小物が残っていると嬉しいですね。


なぜかトヨタ・クイックデリバリーを改造したクレープ屋がありました。クレープの移動販売でもする機会があるのかしら。


公園の敷地は鉄道用地を転用したこともあって細長いです。駅の旧本揖斐/旧谷汲方面は面影を感じる遊歩道が整備されています。


旧黒野駅は揖斐線本揖斐方面と谷汲線谷汲方面の分岐点でした。駅を出るとすぐ分岐点に差し掛かって線路が分かれます。遊歩道でもそれは歩道が2本に分かれる形であからさまに残されています。
左側の歩道が旧揖斐線、右側のが旧谷汲線の廃線跡です。


旧揖斐線の遊歩道は川を渡る手前ですぐに途切れます。途切れた先にあるのが旧三水川橋梁です。廃線後もそのまま残されています。撤去する理由もないでしょうしね・・・。


塗装記録表が廃線後の2008(平成20)年になっています。廃線後に何かしら活用するつもりだったのでしょうか?遊歩道に転用するつもりだった?


隣の道路橋から。電車の撮影にはいいところだったかも。


一方こちらは旧谷汲線の廃線跡。いかにもな曲線を描く遊歩道です。それにしたって曲線が急だなと思いました。線路を跨いでいた高架道路は国道303号線です。
旧谷汲線の遊歩道はこのさきも続いていますが、後で航空写真で調べてみると一駅隣りの黒野北口駅の手前で途切れていました。妙に中途半端なので、予算が付かずに力尽きたかと推測します。


あまり深追いすることもないので、黒野駅レールパークに戻ります。


戻ると9:30を回っていました。喫茶店が開く時刻を過ぎたので、入って例のモーニングを頼みます。ドリンクに150円課金すると注文できます。私はホットコーヒー350円にしたので、合わせて500円。
たぶんドリンクにトーストとゆで卵が付いてくるくらいだと思って待っていたら、トーストは入っているのは当然として、ゆで卵じゃなくて卵焼きだし(しかも2切れもある!)、サラダ、焼きそば、ゼリーも付いてくる立派な朝定食でした。ドリンク込みのこの内容で500円は安い!中京地区の喫茶店文化はすごいな。

廃線跡を転用したありがちな公園・・・と思って寄ってみたんですが、予想に反するものでした。確かに鉄道公園と決め込んで来るとしょぼいかもしれないです。でも公園としては充実してキレイな施設ですし、地域のコミュニティが形成されているのも好印象でした。地元民で活用されているのは良いことです。
例えば余所者がここに鉄道車両を持ってきて保存しようなんて思ったら、そのハードルは高いかも知れません。変にボロい電車をきれいな公園に持ってこれないでしょうし、地元コミュニティとの関係醸成もうまくやらないといけないでしょうし。
意外にも得ることの多い公園でした。


公園の隣りに郷社八幡神社がありますんで、ついでに参拝していきました。


狛犬1号。




狛犬2号。


10:30過ぎに「たにぐみナナゴーゴ」会場である旧谷汲駅に現着。すぐにスペース設営を始めて11時の開幕が過ぎたあたりで設営完了。間に合ってないじゃん。
会場の立地上、屋外でやったわけですが、気温は暖かかったものの時折吹いてくる風が冷たかったです。伊吹山から吹いてくる伊吹おろしがここまでくるんですね。これが地味に辛かった・・・。


昼ごはんは運営が手配してくれた飛騨牛すきやき弁当です!飛騨牛の味わい深い旨味と甘辛いタレでご飯がすすむ!


旧谷汲駅っていうそもそも公共交通機関では行きづらい場所を会場にしている時点で一般来場者の人数には正直期待していなかったのですが、新刊、既刊ともにそれなりに頒布することはできました。
見本誌だけ残っていた「みすちーあーきてくちゃー」と「VIA鉄道のステンレス客車」は今回で完売しました。ありがとうございました。ZBS先生のみすちー本次回作にご期待ください。知らんけど。


車両の方は去年散々撮影したんで(ブログ未掲載)この日はあんまり興味なかったです。それよりも風が寒いが勝った。
あっという間に閉幕の15時になりました。同人誌即売会のリハビリのつもりで来たのもありますが、屋内の展示場即売会を飛び出してこういう田舎の屋外会場で即売会するのも楽しいね。伊吹おろしが吹かなければより良かったがこれはどうしようもないね・・・。

今度は同年5月(すぐだな)に旧美濃駅で似たような即売会をやるみたいなんで、興味ある人はご検討をば。ツイート貼っておきますね。あっしは参加しないと思います。




撤収後、伊吹おろしで冷やされた体を温め直すために日帰り温泉へ直行。旧谷汲駅のすぐそばにある谷汲温泉はなぜか休館していたので、次に近い「おおの温泉」に行きました。
体を温め直すにはちとぬるかったものの長湯するにはこのくらいの温度がいいよね。
最後に道の駅パレットピアおおのに寄ってお土産購入。


そこからはまっすぐ帰りました。静岡~谷汲に行くときは、東海環状経由より名神高速経由のほうが楽だという知見を得ました。
写真は、遠州森町PAで見つけた現場猫クリアファイル・・・。つい買ってしまったが、現場猫が運転する車には乗りたくないなぁ。今日"こそ"じゃあないんだよ。
で、無事に自宅に帰還することができたところでこの日の話はおしまいです。
蒼風さんも1日付き合ってもらってありがとうございました。

おしまい。





北米project 5 ~How do you like Canada? その12【2016/6/15~22】

2022-03-23 23:40:23 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。
これは、フェアリー・ファイアフライMk.VI(1941年初飛行)です。イギリスの艦上戦闘機なんだよ、ということくらいしか知らないのですが、初めて見ることなのと現存機の少ない機種なこともあって楽しみにしていました。だがしかし、整備中のためバラされていたのでした、残念!
カナダには他に数箇所にしかいないし、あとは本家イギリスか同じイギリス系のオーストラリアの博物館に行かないと見れないんだ、よよよ。


艦上戦闘機、ということでもちろん空母で運用することを想定して設計されています。一応ね。なので主翼は折り畳んで省スペース化が図られています。ファイアフライの場合やたら図体のでかい機体なのでこれは効果があったでしょう。その代わり構造を強化せにゃならずすなわち重量が増えるというデメリットあり。
んで、この通り主翼の折り畳まるところで分解されていたのでした。おかげで組立時では見れない部分が見られるのはラッキーと捉えておく方が健康上良いでしょう。しかしこれ、戦闘機の主翼の厚みには見えんのだが。


機首です。エンジンはロールスロイス・グリフォン74型を搭載しています。ちなみにこれ、ファイアフライとしては唯一の動態保存機です。なのでこのグリフォンもちゃんと動くんですねえ。
やっぱり戦闘機としてはでかい機体で、そうと知らずに見たら爆撃機か攻撃機じゃないかと見間違えると思います。なぜか複座機だし・・・。ファイアフライの前身であるフルマーも重くて鈍い複座機だし、イギリス海軍は何かひどい勘違いをしていたんじゃないでしょうかし。


プロペラですねえ。


このファイアフライは後期生産型のMk.VIという型式です。Mk.IからMk.IIIまでは機首に顎が付いていて、そこにラジエーターの空気取入口があったんですが、Mk.IV以降は空気取入口を主翼前縁に移設しています。顎が無くなったのでその分空気抵抗が減ったわけです。移設した空気取入口というのが、主翼前縁の根本にある四角い穴ですね。



なおエンジンの空気取入口は、機首前方、プロペラ軸の直下にあります。機体形状と一体的に成形されてて、これは空気抵抗の増大を極限にしたとても良くできた形状になっています。ただこれ、ノースアメリカンP-51の形状をパクったんじゃないかという気もしますが・・・。


主翼が折り畳む部分の断面。こんな感じなのよ。


反対側の主翼。


ファイアフライの謎の部分、後部座席です。艦上戦闘機なのになんで2人も乗せる必要があるのよ。目標物が何もない海上で飛行したらパイロットが迷子になっちゃうという理由で航法士を乗せるために付けたみたいです。でも、日本もアメリカも単座機で問題なく運用しているしなあ。イギリス海軍の航空隊ってよっぽどヘボだったんじゃ?
この後部座席には銃座など付いておらず、戦闘中なんかはマジで重しでしかなかったんだと思います。この形状だと後方視界も効かないし。

結局これを艦上戦闘機に使うのは無理があろうと思いますとイギリス海軍も気づいたのか、偵察やUボートの哨戒や爆撃なんかに使い道を見出していたみたいです。そらそうだろうな。
カナダ海軍は第二次世界大戦後の1946年にファイアフライMk.Vを空母の艦載機として装備しました。初めから対潜水艦用の機体AS Mk.5としての採用でした。64機導入しましたが1950年代末までにグラマン・アベンジャーに置き換えられたそうな。
なおこの個体はオーストラリアで運用されていたMk.VIで、カナダ海軍の塗装に塗られていますがそことは何も縁のない機体です。


セスナ・クレインMk.I(1939年初飛行)です。カナダ空軍が採用した双発高等練習機です。
元々はセスナT-50という民間機として開発された機体でした。第二次世界大戦が始まると、アメリカ軍がAT-17ボブキャットの名前で双発機以上の操縦士訓練用の練習機として採用されました。あとはUC-78/JRCの型番で小型輸送機としても使っていました。それをカナダ空軍でも1940年にクレインという名前で採用したということです。全体で5,000機以上が生産されて、セスナ社の躍進に一役買いました。
ちなみにボブキャットというのは北米では一般的な野生動物である山猫のこと。日本語だとねこ太郎みたいな語感ですが。なおグラマンにはボブキャットという名前の飛行機はいませんよ。
クレインというのはよく分かりませぬ(適当)


かわいらしい双発機です。カナダ空軍の双発練習機はすでにアブロ・アンソンを運用していましたが、クレインはこれを更新する機体です。どうやら木造の機体らしいです。
この個体は、1941年8月にカナダ空軍に納品されて、第4飛行隊と第11飛行隊で運用されました。1945年11月に民間に払い下げられて、いくつかの所有者を渡り歩いた後1976年に博物館へやってきました。その後10年掛けて飛行可能状態に復元されましたが、今は地上展示のみだそうです。


南昌CJ-6A(1958年初飛行)です。
中国がソ連のYak-18を原型にして開発した人民解放空軍の初等練習機です。原型機とは似ても似つかぬ姿に再設計されています。
ベストセラー機で、生産数は2,000機とも1万機とも。開きがすごい。2007年の話では、農薬散布用のG型が未だ生産されているとかで。
人民解放軍からは退役していると思いますが、退役機が国外へ払い下げられてアメリカやカナダでは個人所有となっている機体が数百機単位で存在するんだそうです。


これは中国空軍で使われていた機体の中でも、曲技飛行部隊で運用されていた機体です。ふざけた塗装をしていると思いましたが、これはその曲技飛行部隊の塗装なのだそうな。


飛行ゴーグルを付けたパンダ。中国ってこの頃からパンダ推しなのよね。


エンジンにはシャッター付き。寒冷地向けの装備です。エンジンとプロペラは新品に換装してあるんで、はやーいんだそうな。


主翼に上反角が付いているのが特徴。


ここにもフリート・フォートがいました。さっき見たものとは別の機体です。
この個体は、飛行機の復元作業の教材として使われています。機体の右舷側は復元前の状態で、左舷側は復元後の美しい状態という、あしゅら男爵みたいな姿です。
収蔵当初の塗装が色あせて剥げ落ち、部品も欠損した状態から、優れた博物館の整備士たちが長い年月を費やして法令上問題ないレベルまで飛行できる状態に復元していくのです。


復元後の状態。美しいですね~。
飛行機の復元作業も斯くの如く大変な道のりなのだ。


ビーチクラフトCT-134マスケティア(1963年初飛行)です。いや、これは知らない飛行機ですね。
1960年代初頭のカナダ空軍の練習機課程は、初等練習機にDHC-1チップマンク、高等練習機にCT-114チューターを使っていました。CT-114は操縦性が良かったので「これもう初等練習機要らないんちゃう?」と考えて実際にDHC-1を後継機不在のまま退役させました。しかし、その後訓練生の6割から9割が落伍してしまう大惨事になり、これは大失敗。1967年に退役したDHC-1を呼び戻して復活させて、次の初等練習機を採用するまでの繋ぎにしました。
そしてDHC-1の真の後継機となったのがこのCT-134なのでした。ビーチクラフト・マスケティアという民間の小型機を採用しました。軍用に改修されているみたいですが、ようわからん。


CT-134は機体の疲労が蓄積していたので民間に払い下げはされず、博物館への寄贈がされるのみでした。これもそのひとつ。
この個体は10年間カナダ空軍の練習部隊に配置されていました。退役後は解体されて保管されていて、その後2012年に博物館が手に入れたそうな。

というところで今日はここまで。


その13へ→


 

 
 

【再参戦】3月20日同人誌即売会「たにぐみナナゴーゴ」にサークル参加いたします

2022-03-18 22:45:44 | 日常記
2022/3/18頒布情報を追記しました!



再度同人誌即売会にサークル参加します! 

2022年3月20日(日)に開催される鉄道オンリー同人誌即売会「たにぐみナナゴーゴ」に黒鉄重工が参加いたします!
このイベントは昨年9月に開催するはずで弊サークルも参加予定だったものの社会情勢により中止となりましたが、来月開催する形で復活いたしました。今度こそ無事開催されることを祈っております。

昨年の告知でも書きましたが、会場は岐阜県にある旧名鉄揖斐線谷汲駅です。
交通アクセスはイベントのホームページを御覧ください。いまのところシャトルバス運行の通知は来ていません。



配置スペースは7番「黒鉄重工」です。
頒布物は、とりあえず既刊は持っていきます。あとは、コピー本ですが新刊を考えています。内容はまとまりつつありますが書くのはこれからです。
頒布内容は開催日が近くなったらまたご連絡いたします。



開催まであと2日になりました。どうやら無事開催されそうです。
ここからは頒布品情報をお伝えします。



新刊:「カナディアンパシフィック鉄道の蒸気機関車分類~初級編~」頒布価格300円
頒布形態は、コピー本、B5判、表紙込16頁、本文白黒印刷です。
今回の新刊となります。2020年1月のこみトレ35以来の新刊執筆です。2年ぶりですので、リハビリがてらにコピー本とさせてもらいました。
内容ですが、カナダの蒸気機関車の機体番号を見ていると3桁か4桁の数字だけ書かれていることが多いですが、実はちゃんとした命名規則による形式が振られています。
今回はカナディアンパシフィック鉄道の蒸気機関車の形式を簡単にまとめました。これであなたも近所のCPR博士です。


既刊「荒野の大陸横断鉄道~アメリカ大陸横断鉄道開通150周年~」頒布価格1,000円
あとは既刊です。
アメリカの大陸横断鉄道に関する内容です。
B5サイズ、本文白黒印刷、52頁(表紙含む)です。
約150年前の1869年5月10日にオマハ~サクラメント間にアメリカで最初の大陸横断鉄道が開通しました。アメリカ史の中でも大きな転換点となっているこの大陸横断鉄道開通の鉄道建設の構想や計画から開通までの流れについて概説しています。



既刊「北アメリカの路線バス車両 2014年~2016年」頒布価格2,000円
北米のバス車両に焦点を当てました。大別して路線バス、高速/観光バス、スクールバスに分けることが出来ますが、今回は路線バスについてまとめました。例によって、カナダ在住時に撮りためたバスの写真を体系的にまとめたものです。
内容は、B5判、68頁(表紙含)、フルカラー印刷です。 


それでは、当日参加される方々、よろしくお願いいたします!

北米project 5 ~How do you like Canada? その11【2016/6/15~22】

2022-03-11 22:01:00 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。ここからは地味めな練習機が何機か続きます。これは、フェアチャイルド・コーネルMk.II(1939年初飛行)です。アメリカ陸軍でもPT-19コーネル初等練習機として使われていた機体です。
コーネルMk.IIは、PT-19のカナダ版であるPT-26Aのカナダでの呼称です。PT-19と比較してPT-26は風防が密閉式になっています。カナダは寒いから?わざわざ型番を新しく起こしているのもそこらへんが関係していそうです。
カナダ空軍とイギリス空軍用に生産されたコーネルは約2,800機で、そのうち2,000機はカナダのフリート社でライセンス生産されました。フリート・フィンチやデ・ハビランド・タイガーモスのような複葉練習機を置き換えました。


エンジンは空冷のレンジャーL-440を搭載していますが、このエンジンは直6なので機種の形状は液冷機のような細長いものになっています。なおこの個体は動態保存機です。


リトルノルウェー魂号のマーキングです。これは、1940年にドイツに占領されたノルウェーから脱出したノルウェー人によりトロントで編成されたカナダの飛行学校なのが由来です。


カナダ由来の機体ですが、機体塗装はノルウェー空軍のコーネルに合わせたものになっています。


デ・ハビランドDH.82Cタイガーモス(1931年初飛行)。イギリスを始めカナダやオーストラリアなどのイギリス系の国でやたら運用された複葉練習機です。生産数は1万機を超えているため、運用国の博物館に行くとだいたい見ることができるでしょ、というくらいたくさんいる印象です。


このC型はカナダ向けに生産されたものです。操縦席には風防と暖房が付き、尾部のソリは車輪になるなど、寒冷地のカナダに合わせた仕様変更がされています。カナダ空軍では1,500機くらい使ったんだとか。
この個体は1942年にオンタリオ州の工場で造られたカナダ産の機体です。1945年まで空軍の練習機に使われていました。退役後は25年間以上保管されていたものを博物館が1972年に開館した直後寄贈を受けて、5年以上の歳月をかけてレストアし、動態保存化しました。


デ・ハビランド・カナダDHC-1チップマンク(1946年初飛行)です。
デ・ハビランド・カナダは元々イギリスのデ・ハビランドのタイガーモスなどをカナダで生産するための現地企業だったのですが、第二次世界大戦後に独立。独自の機体を設計開発するようになりました。DHC-1はそんなデ・ハビランド・カナダ社のデビュー作です。
DHC-1はタイガーモスの後継機として開発された軍用の練習機です。つまり初等練習機に当たるわけですが、さすがにこの時期に複葉練習機とはならんかったようです。しかし初等練習機にしては結構細身に見えます。どちらかといえば曲技飛行用のスポーツ機のように見えます。


1,200機が生産されたので大ヒットと言えると思います。ただしカナダ製はそのうち200機ちょっと。その他の大部分はイギリスの本家デ・ハビランド製です。というのもイギリス空軍が大量採用したからだそうな。
なおカナダ製とイギリス製の判別は風防を見れば意外と簡単です。カナダ製はこの個体のような涙滴型風防なのに対してイギリス製は古臭い枠の多い風防をしています。



デ・ハビランド製ジプシー・メジャー直列4気筒エンジンを搭載しているので液冷機みたいな細長い機首をしています。この末期色真黄色の塗装は当時のカナダ空軍の初等練習機の標準塗装なのでした。
この個体は1956年に製造されて1971年に空軍を退役。その後1973年に博物館へ寄贈されています。これも動態保存機です。空軍退役から博物館寄贈まで年月が経っていないので、もしかするとずっと動態状態のまま現在に至っているかもしれません。だとしたら長寿な飛行機です。


ノースアメリカン・ミッチェルMk.III(1940年初飛行)です。いわゆるB-25Jという爆撃機です。
本来陸上用の爆撃機なのを空母に乗せてそこから発艦させて日本の本土を嫌がらせのように爆撃してから中国へ抜けて着陸する、というドゥーリットル空襲で有名な機体です。作戦は成功したからよかったものの普通に考えると「んなアホな」っていう。
イギリスとその家来にも配備されて、そこでは単にミッチェルという名前で運用されていました。カナダ空軍でも同様です。程よい大きさなので爆撃任務はもちろんのこと航法訓練、写真偵察、輸送任務にも活躍する多才なやつでした。


んで、これはアメリカ式でいうところのJ型、イギリス式でいうところのMk.IIIなわけですが、10,000機以上造られたB-25の4~5割がこのJ型です。博物館なんかで現存する機体もだいたいこれ。
J型といえばこの機首にガン積みされた8丁の12.7mm機銃。人でも殺す気か!?という殺意の塊です。他に機首側面にも4丁、上部回転銃座に2丁あるんで、最大18丁の機銃を前方に向かって射撃できるのです。
代わりに、本来あった爆撃手の座る空間と爆撃手が外を見るための風防を潰してしまっているので、爆撃機としての能力は数段落ちてるんじゃないのと思いにけり。


ノーズアートですねえ。


機首側面の機銃が無いじゃん、と変に思っていました。ですが、中にはこういう機体もいたみたいで、必ずしも間違いということではないみたいです。
あとはエンジンとか足回りとか。B-25は操縦が素直だったということもあって戦後も使われ続けたそうな。
この個体もそうでして、1945年初頭に製造されたものの軍用には使われずじまいでした。戦地にも行かなかったんじゃないかな。で、たぶんその後放出されて、民間の輸送機として25年間働いていました。クビになった後デラウェア州の空港で放置プレイされているところをたまたま通りがかった人が見つけてこの博物館に運び込んで動態保存されるまでに修復されたそうな。


爆弾庫はこんなかんじ。


第二次世界大戦機ですが戦争を経験していない機体ということになりますので、この塗装もなにか縁があるわけではないです。一応1944~1945年のヨーロッパ戦線で活躍した第98飛行隊のマーキングということになっています。


フリート・60Kフォート(1940年初飛行)です。カナダにあるフリート社が開発した軍用の練習機です。
中間練習機としてカナダ空軍から200機の発注を受けたものの、後に空軍は中間練習機を廃止してしまったので発注数を101機に減らしてしまいました。飛行特性にも若干難があった模様。
1942年には教官用の後部座席を無線機器で埋め尽くして無線訓練機として再利用しましたがこれも1944年に他機種に置き換えられてしまい、同年中に退役してしまいます。まだ戦争中なのに。


生産数は少ない、活躍もパッとしない、という地味でどちらかといえば駄作機寄りな飛行機です。よく現存機がいるなというところ。
フォートはフリートが初めて開発した全金単葉機なんですが、それゆえ設計がまだ未熟だったのかもしれないです。楕円形の主翼と飛び出た後部座席の風防が特徴です。風防に関してはなんで張り出た形状にしたのかよう分からんのですが・・・。


エンジンはヤコブスR-915を単発搭載。機首には蓋がされていて見えませぬが。エンジンの過冷却を防止するためのシャッターだと思いますゆえ。
これも動態保存機です。ただ現存数の少ない機体なためか飛行頻度は低いみたいです。

といったところで今日はここまで。