石部隧道というトンネルを御存知だろうか?
東海道本線の用宗駅と焼津駅(ともに静岡県)の間に掘られた東海道本線の開通時から使われている隧道だ。開通当時は石部隧道の西側に磯浜隧道というのもあった。
位置関係的には、焼津駅~~~磯浜隧道(970m)~明かり区間(数百m)~石部隧道(910m)~~~用宗駅 という具合だ。
1962年には線路改良の為、石部隧道と磯浜隧道を結合する工事が行われ、石部隧道の途中から違う方向へ山の中を掘り進み磯浜隧道の途中へ合流するものだった。これにより用宗~焼津は1本の隧道で結ばれることになった。隧道の名称は石部隧道に統一された。
石部隧道の用宗側坑門と磯浜隧道の焼津側坑門は引き続き使用される一方で、用途を失った石部隧道の焼津側坑門と磯浜隧道の用宗側坑門は解体されるわけでもなく放置され、廃線跡となったのだ。
石部隧道のある大崩海岸という場所は土砂崩れや海岸の侵食の激しい土地であり、本当に文字通り危なっかしい場所なのだ。坑門のすぐ脇が海岸という立地においては激しい風雨に曝されることは避けられず、現在に至るまで坑門の大部分が崩壊している。
それでも明治時代に建造された単線並列隧道の坑門という大型地上施設が現存しており、また風化して崩壊へと進んでいるその姿もまた魅入られるものがある。
そのため廃線跡としては古くから知られた有名な物件である。到達もそれほど難しくないので現在も訪れる人がちらほら観測される。
・・・という具合に触りだけ書きましたが、この物件はやはり有名なので詳細な先行研究がかなりあります。
気になる人は各自調べてみてください。
2017年3月25日。
確か自動車の点検をしに出かけたんですが、思ったより早く終わってしまったのでどうしようと思ったところに、石部隧道を思い出したので帰りに遠回りしてドライブがてら寄ってみることに。
まずは用宗から県道416号線を走って例の渡らずの石部海上橋の脇にある駐車場に車を駐めて石部海上橋を眺める。ここが大崩海岸のハイライトのひとつなのだ。
416号線は大崩海岸の断崖絶壁をへばりつくように敷かれています。これがかつては国道150号線で大型バスやトラックがガンガン行き交っていたんですから、いやはやすごいなと。ですがここだけは敢えて海上に橋を架けて陸地を回避しています。
その理由はこれ。旧国道150号線の廃道です。ここを避けるように海上橋は架けられているのです。
この区間は1971年に発生した土砂崩れにより一発で通行止めに。さらに通行人も巻き込まれ死者も出ています。ここは土砂崩れの発生を見越して洞門で覆っていたのですが、それを貫通してきたことは衝撃的だったようです。
結局、この道路を復旧することを諦め、土砂や落石が届かない距離に海上橋を新たに建設することで対策としました。橋は1972年に開通しました。災害発生から1年足らずで開通しており、早いなという他ありませぬ。
土砂崩れからもうすぐ半世紀経とうという廃道は、洞門の屋根に相当の土砂が溜まっており、既に山の一部と化しています。洞門の柱もひしゃげているものが多くあり、いずれこの洞門は・・・とその未来を少し案じたのでした。廃道とそれのその後をこれほど近くでまざまざと見せつけてくる場所はあまり聞きません。
反対側を向いてみると、海外線沿いに石部隧道のレンガ積みの坑門の崩壊した部分がゴロンと横たわっています。
丸で囲んだ部分が磯浜隧道のあったと思われるところです。今は産業廃棄物の埋立地にされてしまったので坑門はその中に埋もれてしまいました。純粋に疑問ですが、なんでこんなところに処理場作ったんだ。
プロはここから海岸を伝って坑門までたどり着くそうですが、私はいやなので車を少し焼津側へ走らせます。
海上橋脇の駐車場を出て焼津側を向くとすぐに上り坂のトンネルに入ります。トンネルを出て右カーブを抜けたところに山側に空き地が見えます。過ぎてしまうとしばらく転回できる場所がないので見逃さないようにしましょう。
誰がやっているのか分かりませんが駐車場なようで、車を駐めることが出来ます。有料駐車場なので、ありがたく集金箱にお金を入れていきましょう。
実は石部隧道に来るのは2回目です。初回はまだ高校生だった頃に自転車を漕いでやってきました。416号線の道幅は狭い上に車の往来は多いので、海上橋の上やその先のトンネルの中を車が追い抜いていく中自転車で走るのはなかなか怖かった記憶があります。トンネルは上り坂のだったのでチョー辛かった。
なので、前回となにか変わっているところはあるのかを探すのも目的のひとつでした。それが、入り口でいきなりこんな立て看板が。これは前来た時は無かったですね・・・。
英文まで書かれていて、なんか観光地化しようとしてる?まあ運転中に気づく人ってほとんどいないと思いますが。
茂みの中をかき分けて進んでいきます。
たしかこの先水路に降りて、木にくくりつけられた頼りないロープを伝って下っていって、最後は頼りないはしごを降りて海岸までたどり着いたんだったな、結構面倒なのだよな・・・と思い出しながら歩いていたのですが、それらしきものが出てこないぞ。
あれっ!?
なんか着いちゃったぞ?なんで?
あれっ!?
いきなり隧道と同じ高さまで来たぞ?前はこんなんじゃなかった・・・。このまま上り線の隧道へ入ることができますよ。
というかなんか階段が整備されてるんですよ。ベンチもありましたかね。どうやら看板にも記載されていた石部地区鉄道愛好会という団体がここまでの道のりを整備してくれたと見ていいでしょう。道を開拓したのね。
めちゃくちゃ到達しやすくなったぞ。こんなに様変わりしていたとは。
とりあえず、上り線の中を覗いてみましょうか。
隧道の中は昔人が住んでいたという噂が立っていて、その人の生活ゴミが散乱している状態でした。前回もそういうとてつもなく汚い場所でしたので、数歩足を踏み入れただけで退散してしまいました。
なのでちょっと気がひけるんですね・・・。
あれっ!?めっちゃキレイになってるじゃん!!
あんなにとっ散らかって路盤も見えない状態だった隧道内はきれいに片付いていて、隧道の奥までキレイに見渡せます。少し右カーブしているのが分かりました。ゴミは端に寄せられてかごの中に仕舞われています。元の持ち主に配慮しているのか、捨てることはしていないようですね。
いやしかしこれは本当に驚いた。今日一番驚いたよ。
これなら奥の閉塞部まで進むこともできそうなのですが、何せ急な思いつきなのとまさか整備されているとは思っていなかったので入り口だけ見て終わりだねという想定しかしていませんでした。
なので探検用の装備や格好を何一つ持ち合わせていないのです。懐中電灯ひとつすら無いのはさすがに心もとなく、また大崩という場所で1人探検するのはさすがにビビるので、今回も入り口だけ見て退散しました。
なお下り線は覗きませんでした。あまり覚えていませんが、取り付くのがちと難しかったような記憶です。
隧道の壁にはこんな額縁が。石部隧道の資料をこの喫茶店に預けているようで、探索後に行ってみました。
冊子の頒布はしてないですが、閲覧はさせてもらえたので、コーヒーを飲みながらパラパラと読んでいました。興味深い記事からオカルトじみた言い伝えのようなものまでありました。
カーバイトカンテラという灯り。明治期のものではなく線路付替え時の昭和中期のもの。
坑門から崩れた構造物を見る。
赤いレンガは隧道の内壁。白い石材は隧道の坑門。その奥にある石材の塊はなんでしょうね・・・、路盤の石垣だったのかも知れません。
海上橋から見えたレンガの残骸。
海が時化た時は一番に波を被るでしょう。
白かった坑門の石材も波をかぶって苔っぽくなってしまっています。
奥には海上橋と静岡市の街、日本平が見えます。
隧道の延長線上を見ているのですが、路盤があった痕跡が残っていないのが、不思議でしょうがない。全て侵食されてしまったのでしょうか。
海岸から坑門を見る。
坑門が崩壊したとよく言われますが、よく見てみると下り線の坑門はまだ残っているように見えます。ただし下り線の坑門が崩壊したのも事実なわけです。
つまり、石部隧道の坑門は二層構造だったのではないかと思うわけです。崩壊した坑門は後付けで施工されたもので、今表に現れているのが開通当時の、明治時代の坑門なのではないでしょうか。
・・・というところで探索を終了して撤収します。
高校生以来の探索になりましたが、坑門の持つ凄みは相変わらずです、ゾクゾクと興奮します。
振り返ってみるとあんまり良い写真撮れてないなぁと少し後悔しています。やっぱり1人だとビビっちゃいますね。
これ書いているうちにまた行きたくなってきたので、今度行くときは誰かを連れ出そう。
さて実はもうひとつ目的がありました。それは先日開通した浜当目トンネルを走ることです。2013年10月の台風26号接近で、大崩海岸は久しぶりに牙をむきました。416号線の當目隧道の北側で道路の陥没が発生して一撃で通行止めにしたのです。改めてちょっと調べてみたけど、こりゃどーしようもないゾ、というくらいの陥没・・・というか欠落でした。
先の石部洞門の区間と同様、現状復旧を諦めて新道を建設することにしました。今回は新たにトンネルを掘り、2017年3月13日「浜当目トンネル」が開通して、4年ぶりに416号線が全線復旧したのでした。そして被災した当該区間の旧道は復旧すること無く廃道となったのです・・・。
先述の喫茶店「かいざん」で休憩がてら資料を読みふけった後、焼津方面へ走っていくと浜当目トンネルが見えてきて、そこを通過。車載動画とか無いし同乗者もいないので写真も無しです。写真や動画は各自ググってケロ。
くぐり抜けた先は松風閣や焼津グランドホテルへ繋がる交差点があるので、そこのそばの空き地に車を駐めてトンネルを見てみます。
用宗側の坑門は、正面に現道、左カーブが続く形で左側(海側)に廃道が見えるという構図で、山中の県道を走っているとよく見るものです。
一方焼津側は現道の浜当目トンネルと廃道と化した旧當目隧道が隣り合う形でそこにあるというむせる配置・・・!
浜当目トンネルの焼津側坑門。用宗側も基本的に同じ。コンクリートの打ちっぱなしに石の扁額があるだけの最低限でシンプルなものです。隧道内は緩やかなカーブになっていて、大崩とは思えないとても走りやすい設計です。
こちらが廃道の旧當目隧道。装飾がなされた重厚な坑門は健在なのが嬉しい。廃道となった隧道の先も見えています。また、未だに明かりがついているのが健気です。お疲れ様でした、もう休んで良いんだよ、というお気持ちになります。
今回廃道となった区間は416号の焼津側の中でも屈指の絶景を楽しめる区間だったので、あの景色がもう二度と見れなくなってしまったのは惜しいことです。というか、416号はいつか全線トンネルと海上橋に付け替えるんじゃないのかという気がしないでもなく・・・。
しかしながら、416号は150号線時代から何度も大崩海岸の猛威を受けて被災しては土木の技術をもってそれを克服してきた、自然と土木の戦いの歴史なのだなというのを改めて感じた1日でした。
おしまい