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武豊線貨物列車リベンジ【2017/4/1】

2018-08-30 22:03:52 | 鉄道撮影記
2017年4月1日。
なんかの用事で日帰りで名古屋まで行くことになりました。まだ18きっぷシーズンですので、鈍行列車に乗っていきます。
静岡駅の一番列車、普通岐阜行に乗車。大垣所属の313系が充てられるので座席は転換クロスシートなのが特徴で、静岡では乗り得列車なのです。
2017年の改正以前では0番代のY編成が使われていたはずですが、改正後は1100番代のJ編成も使われるようになりました。


名古屋までの途中にある大府駅で下車。ここから武豊線に乗り換えて、武豊線の貨物列車を撮影するのです。
以前にも撮影に来たことがあったのですが、その時は機関車の回送だけでスカしてしまいました。今日はそのリベンジです。
ホームに降りてみると衣浦臨海鉄道KE-65形ディーゼル機関車が2機待機していました。独自の型式番号を与えられていますが、国鉄のDE10形と同型機の機関車です。


別の方を見てみると、留置線に貨車が止められていました。貨車がいるということは今日は貨物列車が走りそうですね。とりあえず一安心。


白い塗装が特徴のホキ1000形。35t積みのホッパ車で、中身は炭酸カルシウムやフライアッシュ。
三岐鉄道東藤原駅から衣浦臨海鉄道碧南市駅までを走る貨物列車です。名古屋にはこういう変わった貨物列車がちょくちょく走っていて面白いのです。


貨物列車の運転を確認したところで武豊線乗り場に移動して、次の列車を待ちます。
その間東海道線の電車を撮っておきます。313系5000番台の普通岐阜行。


313系0番台の新快速豊橋行。


実は大府駅始発の今度の武豊行は311系でした。前回来たときは電化直前の非電化路線でしたが、今は電化されているのです。


石浜駅で下車します。駅の外に出て田んぼ沿いから撮影するのが定番ですが、この日は雨が降っていた上に傘を持っていなかったので、駅のホームから撮影することにしました。
そして時刻どおりに貨物列車が通過してきました。天気は残念でしたがちゃんと撮影できたと思います。
機関車は1号機と3号機でした。先頭が1号機なのでうれしい。DE10形は前はボンネットの長い1エンド側が先頭になる方が好きでしたが、今は短い2エンド側の方が好きですね。だいたいアメリカ型ディーゼル機関車を見てきたせいです。


貨車も12両連結されているので長さも十分でした。


貨物列車の撮影は成功裏に終わりましたがまだ約束まで時間があるので、このまま武豊線を完乗してしまうことに。
写真は313系0番台の区間快速名古屋行ですが、この後来た区間快速武豊行に乗ります。


終点の武豊駅に着きました。駅舎を見てみると「あれ、意外と新しい建物だな・・・」と疑問でしたが、有名な古い木造駅舎はもっと手前の亀崎駅にあるのでした。うーん再履修。


日本酒の樽が積まれてました。近くに酒蔵があるんでしょうか?


武豊市のマンホール蓋。見返してみると、雨粒や砂で見にくいなこれ・・・。


駅の周りには特に何も無いなと思って折返しの区間快速名古屋行に乗って名古屋へ。
ところが、駅から少し歩いたところにある旧武豊港駅に転車台が残っているのを後で知ったのでした。まあ天気が悪いのでどっちにしろ行けなかったんですが、やはり武豊線は再履修しないとなりません。

名古屋でぱぱっと用事を済ませて午後には解放されました。
この後は、当時はまだやる気に満ち溢れていた鉄道むすめスタンプラリーを周ることに。


名古屋圏の鉄道むすめは意外と少なく、リニモの八草みずきしかいません。なのでスタンプがあるのもリニモだけ。
そういうわけでリニモに乗りに行きます。名古屋から地下鉄東山線に乗って藤が丘駅でリニモに乗り換え。
久々に乗りましたけど、やはり不思議な電車ですね。確かに浮いているような感じがします。


左が八草みずき、右がリニモたんとかいうご当地キャラっぽいやつ。
スタンプは愛・地球博記念公園駅にあるので、そこで降りてスタンプを押します。
駅の外に出て万博公園も少し覗こうと思いましたが、既に閉園間際でしたので何も出来ませんでした。


そのまま終点の八草駅まで乗って、そこから愛知環状鉄道に乗り換え。高蔵寺まで行って中央線経由で矢場町あたりで買い物とかしました。


なんだかんだで静岡への終電まで名古屋に居残りました。終電ですので、静岡まで乗った電車は転換クロスシートの313系でした。

以上、おしまい。

旧石部隧道の廃線跡と浜当目トンネルを辿る【2017/3/25】

2018-08-29 20:50:42 | 日常記
石部隧道というトンネルを御存知だろうか?
東海道本線の用宗駅と焼津駅(ともに静岡県)の間に掘られた東海道本線の開通時から使われている隧道だ。開通当時は石部隧道の西側に磯浜隧道というのもあった。
位置関係的には、焼津駅~~~磯浜隧道(970m)~明かり区間(数百m)~石部隧道(910m)~~~用宗駅 という具合だ。
1962年には線路改良の為、石部隧道と磯浜隧道を結合する工事が行われ、石部隧道の途中から違う方向へ山の中を掘り進み磯浜隧道の途中へ合流するものだった。これにより用宗~焼津は1本の隧道で結ばれることになった。隧道の名称は石部隧道に統一された。
石部隧道の用宗側坑門と磯浜隧道の焼津側坑門は引き続き使用される一方で、用途を失った石部隧道の焼津側坑門と磯浜隧道の用宗側坑門は解体されるわけでもなく放置され、廃線跡となったのだ。

石部隧道のある大崩海岸という場所は土砂崩れや海岸の侵食の激しい土地であり、本当に文字通り危なっかしい場所なのだ。坑門のすぐ脇が海岸という立地においては激しい風雨に曝されることは避けられず、現在に至るまで坑門の大部分が崩壊している。

それでも明治時代に建造された単線並列隧道の坑門という大型地上施設が現存しており、また風化して崩壊へと進んでいるその姿もまた魅入られるものがある。
そのため廃線跡としては古くから知られた有名な物件である。到達もそれほど難しくないので現在も訪れる人がちらほら観測される。

・・・という具合に触りだけ書きましたが、この物件はやはり有名なので詳細な先行研究がかなりあります。
気になる人は各自調べてみてください。



2017年3月25日。
確か自動車の点検をしに出かけたんですが、思ったより早く終わってしまったのでどうしようと思ったところに、石部隧道を思い出したので帰りに遠回りしてドライブがてら寄ってみることに。
まずは用宗から県道416号線を走って例の渡らずの石部海上橋の脇にある駐車場に車を駐めて石部海上橋を眺める。ここが大崩海岸のハイライトのひとつなのだ。
416号線は大崩海岸の断崖絶壁をへばりつくように敷かれています。これがかつては国道150号線で大型バスやトラックがガンガン行き交っていたんですから、いやはやすごいなと。ですがここだけは敢えて海上に橋を架けて陸地を回避しています。



その理由はこれ。旧国道150号線の廃道です。ここを避けるように海上橋は架けられているのです。
この区間は1971年に発生した土砂崩れにより一発で通行止めに。さらに通行人も巻き込まれ死者も出ています。ここは土砂崩れの発生を見越して洞門で覆っていたのですが、それを貫通してきたことは衝撃的だったようです。
結局、この道路を復旧することを諦め、土砂や落石が届かない距離に海上橋を新たに建設することで対策としました。橋は1972年に開通しました。災害発生から1年足らずで開通しており、早いなという他ありませぬ。
土砂崩れからもうすぐ半世紀経とうという廃道は、洞門の屋根に相当の土砂が溜まっており、既に山の一部と化しています。洞門の柱もひしゃげているものが多くあり、いずれこの洞門は・・・とその未来を少し案じたのでした。廃道とそれのその後をこれほど近くでまざまざと見せつけてくる場所はあまり聞きません。



反対側を向いてみると、海外線沿いに石部隧道のレンガ積みの坑門の崩壊した部分がゴロンと横たわっています。
丸で囲んだ部分が磯浜隧道のあったと思われるところです。今は産業廃棄物の埋立地にされてしまったので坑門はその中に埋もれてしまいました。純粋に疑問ですが、なんでこんなところに処理場作ったんだ。
プロはここから海岸を伝って坑門までたどり着くそうですが、私はいやなので車を少し焼津側へ走らせます。
海上橋脇の駐車場を出て焼津側を向くとすぐに上り坂のトンネルに入ります。トンネルを出て右カーブを抜けたところに山側に空き地が見えます。過ぎてしまうとしばらく転回できる場所がないので見逃さないようにしましょう。
誰がやっているのか分かりませんが駐車場なようで、車を駐めることが出来ます。有料駐車場なので、ありがたく集金箱にお金を入れていきましょう。



実は石部隧道に来るのは2回目です。初回はまだ高校生だった頃に自転車を漕いでやってきました。416号線の道幅は狭い上に車の往来は多いので、海上橋の上やその先のトンネルの中を車が追い抜いていく中自転車で走るのはなかなか怖かった記憶があります。トンネルは上り坂のだったのでチョー辛かった。

なので、前回となにか変わっているところはあるのかを探すのも目的のひとつでした。それが、入り口でいきなりこんな立て看板が。これは前来た時は無かったですね・・・。
英文まで書かれていて、なんか観光地化しようとしてる?まあ運転中に気づく人ってほとんどいないと思いますが。



茂みの中をかき分けて進んでいきます。
たしかこの先水路に降りて、木にくくりつけられた頼りないロープを伝って下っていって、最後は頼りないはしごを降りて海岸までたどり着いたんだったな、結構面倒なのだよな・・・と思い出しながら歩いていたのですが、それらしきものが出てこないぞ。



あれっ!?
なんか着いちゃったぞ?なんで?



あれっ!?
いきなり隧道と同じ高さまで来たぞ?前はこんなんじゃなかった・・・。このまま上り線の隧道へ入ることができますよ。
というかなんか階段が整備されてるんですよ。ベンチもありましたかね。どうやら看板にも記載されていた石部地区鉄道愛好会という団体がここまでの道のりを整備してくれたと見ていいでしょう。道を開拓したのね。
めちゃくちゃ到達しやすくなったぞ。こんなに様変わりしていたとは。

とりあえず、上り線の中を覗いてみましょうか。
隧道の中は昔人が住んでいたという噂が立っていて、その人の生活ゴミが散乱している状態でした。前回もそういうとてつもなく汚い場所でしたので、数歩足を踏み入れただけで退散してしまいました。
なのでちょっと気がひけるんですね・・・。



あれっ!?めっちゃキレイになってるじゃん!!
あんなにとっ散らかって路盤も見えない状態だった隧道内はきれいに片付いていて、隧道の奥までキレイに見渡せます。少し右カーブしているのが分かりました。ゴミは端に寄せられてかごの中に仕舞われています。元の持ち主に配慮しているのか、捨てることはしていないようですね。
いやしかしこれは本当に驚いた。今日一番驚いたよ。

これなら奥の閉塞部まで進むこともできそうなのですが、何せ急な思いつきなのとまさか整備されているとは思っていなかったので入り口だけ見て終わりだねという想定しかしていませんでした。
なので探検用の装備や格好を何一つ持ち合わせていないのです。懐中電灯ひとつすら無いのはさすがに心もとなく、また大崩という場所で1人探検するのはさすがにビビるので、今回も入り口だけ見て退散しました。

なお下り線は覗きませんでした。あまり覚えていませんが、取り付くのがちと難しかったような記憶です。



隧道の壁にはこんな額縁が。石部隧道の資料をこの喫茶店に預けているようで、探索後に行ってみました。
冊子の頒布はしてないですが、閲覧はさせてもらえたので、コーヒーを飲みながらパラパラと読んでいました。興味深い記事からオカルトじみた言い伝えのようなものまでありました。




カーバイトカンテラという灯り。明治期のものではなく線路付替え時の昭和中期のもの。



坑門から崩れた構造物を見る。
赤いレンガは隧道の内壁。白い石材は隧道の坑門。その奥にある石材の塊はなんでしょうね・・・、路盤の石垣だったのかも知れません。



海上橋から見えたレンガの残骸。
海が時化た時は一番に波を被るでしょう。



白かった坑門の石材も波をかぶって苔っぽくなってしまっています。
奥には海上橋と静岡市の街、日本平が見えます。



隧道の延長線上を見ているのですが、路盤があった痕跡が残っていないのが、不思議でしょうがない。全て侵食されてしまったのでしょうか。



海岸から坑門を見る。
坑門が崩壊したとよく言われますが、よく見てみると下り線の坑門はまだ残っているように見えます。ただし下り線の坑門が崩壊したのも事実なわけです。
つまり、石部隧道の坑門は二層構造だったのではないかと思うわけです。崩壊した坑門は後付けで施工されたもので、今表に現れているのが開通当時の、明治時代の坑門なのではないでしょうか。

・・・というところで探索を終了して撤収します。
高校生以来の探索になりましたが、坑門の持つ凄みは相変わらずです、ゾクゾクと興奮します。
振り返ってみるとあんまり良い写真撮れてないなぁと少し後悔しています。やっぱり1人だとビビっちゃいますね。
これ書いているうちにまた行きたくなってきたので、今度行くときは誰かを連れ出そう。


さて実はもうひとつ目的がありました。それは先日開通した浜当目トンネルを走ることです。2013年10月の台風26号接近で、大崩海岸は久しぶりに牙をむきました。416号線の當目隧道の北側で道路の陥没が発生して一撃で通行止めにしたのです。改めてちょっと調べてみたけど、こりゃどーしようもないゾ、というくらいの陥没・・・というか欠落でした。
先の石部洞門の区間と同様、現状復旧を諦めて新道を建設することにしました。今回は新たにトンネルを掘り、2017年3月13日「浜当目トンネル」が開通して、4年ぶりに416号線が全線復旧したのでした。そして被災した当該区間の旧道は復旧すること無く廃道となったのです・・・。



先述の喫茶店「かいざん」で休憩がてら資料を読みふけった後、焼津方面へ走っていくと浜当目トンネルが見えてきて、そこを通過。車載動画とか無いし同乗者もいないので写真も無しです。写真や動画は各自ググってケロ。
くぐり抜けた先は松風閣や焼津グランドホテルへ繋がる交差点があるので、そこのそばの空き地に車を駐めてトンネルを見てみます。

用宗側の坑門は、正面に現道、左カーブが続く形で左側(海側)に廃道が見えるという構図で、山中の県道を走っているとよく見るものです。
一方焼津側は現道の浜当目トンネルと廃道と化した旧當目隧道が隣り合う形でそこにあるというむせる配置・・・!



浜当目トンネルの焼津側坑門。用宗側も基本的に同じ。コンクリートの打ちっぱなしに石の扁額があるだけの最低限でシンプルなものです。隧道内は緩やかなカーブになっていて、大崩とは思えないとても走りやすい設計です。



こちらが廃道の旧當目隧道。装飾がなされた重厚な坑門は健在なのが嬉しい。廃道となった隧道の先も見えています。また、未だに明かりがついているのが健気です。お疲れ様でした、もう休んで良いんだよ、というお気持ちになります。

今回廃道となった区間は416号の焼津側の中でも屈指の絶景を楽しめる区間だったので、あの景色がもう二度と見れなくなってしまったのは惜しいことです。というか、416号はいつか全線トンネルと海上橋に付け替えるんじゃないのかという気がしないでもなく・・・。
しかしながら、416号は150号線時代から何度も大崩海岸の猛威を受けて被災しては土木の技術をもってそれを克服してきた、自然と土木の戦いの歴史なのだなというのを改めて感じた1日でした。


おしまい

【ノンスケール】日本帝国斯衛軍 武御雷Type-00R【ギャラリー】

2018-08-27 22:24:20 | 模型ギャラリー

キット:コトブキヤ 武御雷 Type-00R
製作記はありません

「マブラヴオルタネイティヴ」に登場する戦術歩行戦闘機、武御雷です。なんといってもかっこよくて強いので一度は作ってみたい機体。
製作は消化試合感があったので写真もあまり撮っていないし、製作記は無しです。たいしたこともしてないしね。
紫の機体色は劇中より暗めにしました。暗めと言うか濁った色になってしまった感じもするのでっこは反省点です。色を混ぜすぎて彩度が下がったかな・・・。
劇中の桜花作戦をイメージしてBETAの返り血を浴びせてみましたが、暗い紫なのであまり目立たなかったのは残念。



コトブキヤの戦術機キットは関節がはめ殺しの箇所が多いので、加工に苦労します。腕は先に関節を塗装した後に組み立てて関節をマスキングしてその上に機体色を塗る方法を採りました。面倒・・・。
機体各所にある赤いセンサーみたいな部分は裏側に赤のラピーテープを貼って光を反射するようにしました。面積が広いので割とちゃんと発光しているように見えてくれて満足。ただし肝心の目のセンサーには何も出来なかったのはどうにかしたかったです。



後ろの情報量もまた多いのが戦術機なのだ。返り血の付いた長刀は別のデラックス版武御雷から拝借してきたもの。つまりもうひとつ武御雷が積んであるということですね。
エンジンの焼付きもキャラ物だったら少しやりすぎくらいでちょうどいいですね。



あんまりガシガシ動かして撮影する気分でなかったので、撮影魔数少しだけですし、格好もテキトーです。すまぬ。



以上、武御雷でした。

北米project 4 ~Is the order a warbird? その54【2016/03/04~10】

2018-08-25 23:50:03 | 海外旅行記

前回から始まった新章、マーチフィールド航空博物館編。どうでもいいですが、日本語だとマーチ野外航空博物館と訳されてる場合もあり。博物館の隣がマーチ空軍基地なので、フィールドは野外と訳したんでしょう。ただ、マーチフィールドという地名はあるっぽいんでここでは上記のように表記しますゆえ。

で、建物内展示の主、ロッキードSR-71Aブラックバード(1964年・通算196機目)ですぞ。高高度を超高速で飛行する戦略偵察機です。その任務内容は相手国の領内に堂々と領空侵犯して機体に備え付けられたカメラで堂々と盗撮していってお家に帰るというもの。インテリみたいな外見してますけどやってることは意外と力技なんですよ。CIAって意外と脳筋・・・。
んなことやってたら迎撃戦闘機か対空ミサイルで撃墜されちゃうんですが、そうされないよう開発されたのがSR-71なので。戦闘機やミサイルが届かない高高度を、よしんばその高度に到達してもそれらが追っつけない速度で振り切ってしまえばよいのだろう?という考えで設計されています。やっぱり脳筋じゃないか。
色々と特殊すぎる機体でしたので運用にはお金の掛かる機体でした。冷戦が終わったり偵察人工衛星が実用化したりして状況が変わってくると金食い虫のSR-71は不要とされてしまい、1998年にすべて退役してしまいました。SR-71一番の敵は財布の紐を握る連邦議会だったのだ。
強烈な個性で人気のある機体ですので、退役後も32機中ほとんどが博物館で保存されています。この#61-7975は26番目の機体で、82回の飛行任務を行ったそうな。



正面から。薄い機体だな・・・。確かにブラックバードよりハブの方が的を得ている気がする。
ステルス性も一応考慮されて設計されているようで、電波吸着塗料とか薄い機体とかがそうです。特に機首から主翼の根本にかけての胴体の横に張り出した部分や傾斜した垂直尾翼(傾ける向きが違うけど)なんかは現代のステルス機にも取り入れられてるものですから、ロッキードは早い段階からステルス形状の正解を掴んでいたことでしょう。なのにF-117では若干迷走気味に・・・。



SR-71の主武装の偵察カメラです。搭載カメラは何種類かあったようですが、これはTEOC(Technical Objective Camera)です。
レンズ36inch、焦点距離48inch、解像度110・・・だそうで、相当高性能だったようです。よく分からんのですが・・・。
これを胴体中央部の左右に1つずつ機内に埋め込んでいました。
地面に対して水平に装着されるので、飛行中に地上の様子を撮影できるよう、カメラの先端には斜めに傾いた鏡を使って反射させています。



もうひとつはケース内にありました。まあ、クソでかいんですよ。
真鍮の部分がカメラのヘッドで、その右の出っ張った部分がレンズマウント、さらにレンズ管、一番右側の黒い部分がフィルムなどの収納部です。



これがエンジン。P&WのJ58エンジンを使っていました。これによりSR-71は航空機最速のマッハ3の超音速まで速度を出すことが出来たのです。
エンジン本体の展示もあったんですが、なぜか写真を撮ってなかった。なぜだ・・・。
注目すべきはエンジンの前についているショックコーンという円錐状の物体。高速飛行中にあれの先端に空気が当たると衝撃波が発生します。衝撃波となった空気は圧縮されています。しかもその圧縮空気はエンジン内に効率的に流入するよう設計されています。圧縮空気を効率よく取り入れるための大事な装置なのです。特に超音速時はほとんどショックコーンの圧縮空気の燃焼で飛んでいるようなもんだとされていて、これだともうほとんどラムジェットエンジンだよね、と言われとります。
さらにショックコーンは機体の速度域によって位置が前後に動いて最適な空気を取り入れるという素敵ギミックも持っているのです。超音速を超えると後ろに下がります。もっともこれはショックコーンを持っている機体なら大抵は備えてる機能だそうで。



ちなみにショックコーンの先端は真正面を向いておらず、やや内側と下側を向いています。固定できないまま部品が垂れたプラモデルみたいになってますが、これは機首から発生した衝撃波をうまく取り入れるためなんだそうな。機首の衝撃波で既に圧縮された空気をショックコーンでさらに圧縮するんですから、効率はすごそう。



後ろ側。エンジンはガランドウです。なんかそれっぽい輪が見えますがあれはLEDのネオンです。




内側に傾いた垂直尾翼。横からやってくる相手のレーダー波をお空へ反射させてしまうのだ。



お腹。真っ平らだ。
SR-71は何種類かの姉妹機がいて、A-12とかYF-12とかがいます。全部まとめてブラックバード大家族とされることもあります。姉妹機含めると実はM-21というのをシアトルで見たことがあるんですが、実はその頃はブラックバードなんて知らんかったので、なんかやたらデカくて黒い飛行機だネ、くらいの認識しか無かったですね。そういえば同じ構図の写真だなと思い出しましたが。

車輪が3つ並列になっているんですね。あまり見ない構造ですかね。やっぱり重いんだ。



コックピットはこうなっています。視界なんて捨ててきたという感じがして。予め任務で決められた経路以外を飛行するのは難しかったようですし、マッハ3の速度では機動なんて取れそうもないので(機体強度も低い)、視界の良さとかはあんまり考えられてないんでしょう。



後席は偵察任務のオペレーターですな。一応窓は付いていて良心的。たまに後席は窓なしってやつあるからな・・・。



長~い胴体。胴体はほとんど燃料タンクだったはず。



SR-71ってロマン兵器だと思うんですけど、ちゃんと実用化したし任務では1機も撃墜されなかったし(離着陸の事故では損失してるけど)、ロマンのある兵器は失敗するの数少ない例外なのかなと。
一見の価値はありますね。なので私は明日もう1機見ることになります。



実は建物内展示は別館にもう数機あるんですが、大昔の複葉機なので初めは無視してしまうことに。まずは屋外展示をやっつけてからにしてもよかろうと。
というわけで外に出ました。うわすっげぇ・・・。

というところで今日はここまで。次回からが本番だ。


その55へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その53【2016/03/04~10】

2018-08-24 21:19:47 | 海外旅行記

オレンジエンパイア鉄道博物館を後にした私は、レンタカーを運転して次の博物館へ。その名はマーチフィールド航空博物館。そう、また飛行機の博物館だ・・・。
オレンジエンパイアからは車で20分くらいで行ける近い距離なのではしごすることも可能。ただし公共交通機関で直接乗り付けることは出来ない。周りは住宅街が広がっているがマイカー前提の生活環境なので交通機関僻地だ。
一応、博物館から2km歩いた先にバス停があって、そこからバスに乗るとメトロリンクという近郊通勤鉄道の駅にたどり着けるので、行けん事はないという感じ。やろうとは思わんからその先は各自調べてくれちょ。

なお、オレンジエンパイア撤収が12時過ぎと存外時間を食ったので、昼飯を食べる時間を昨日に続きまたしても失うことに。



2016年3月6日(日)13時17分
カリフォルニア州リバーサイド マーチフィールド航空博物館 入り口

着いたぞ!でも既に13時回ってるぞ!この後の予定的に16時には出ないとまずいから(ここ伏線だぞ)2時間半で全部見て回れってか。無茶だろ・・・。

さて、マーチフィールド航空博物館 March Field Air Museum とは、先刻承知の通り航空博物館です。航空博物館と言ってもその中身は色々なのだ、というのは長々とこの旅行記に付き合ってくださってる読者諸氏にはご理解のことと思いますが、ここは静態保存されている主に米空軍の第二次大戦後の航空機を屋外の展示場にやたらめったら展示しまくっている系博物館です。
その数は100機くらいはいるんじゃないか(まだ数えてない、これから執筆しながら数える)っていう物量戦で、まともに見ようと思うとその日の開館時間をすべて使い切ってしまうでしょう。その数もそうですが、こんだけの種類の軍用機をアメリカ一国で開発してきたんか・・・という意味でもひっくり返る場所です。まあ翌日、そのさらに上を行くピマってところに行ってもう1回すっ転ぶんですけど、どっちにしろ半端ねぇって。



ちらっと左を見てみるとおびただしい数の飛行機が見え隠れしてやべーぞ。戦闘機、練習機、輸送機、爆撃機、なんでもござれ。
ちなみに、博物館の奥というか左というか、東側には米空軍のマーチ空軍予備役基地 March Air Reserve Base がありにけり。一応、第4空軍の司令基地なのだ。輸送機の離着陸なんかも見れますぞ。



あれが博物館の本館。ちっちゃい格納庫の流用っぽい風貌をしています。建物内にも少数ですが機体が展示されています。その多くは第二次大戦とそれ以前に活躍した機体たちで、カリフォルニアの熱と乾燥にやられないよう大事大事にされています。



ゲートガード的に置かれている2機の戦闘機から見ていきましょう。2機とも館内の屋外展示場でまた出てくるのでここでは軽く触れておくだけにしましょう。
マクドネル・ダグラスRF-4CファントムII(1958年・191機目)
御存知ファントムおじいちゃん。偵察型なので機首にカメラが追加搭載されております。カメラ自体は外されていましたが・・・。
たぶんそのうちどっかで出てくると思いますが(適当)、RF-101の後継機として造られたもの。光学カメラ以外にも側方監視レーダー、赤外線監視システム、レーザー偵察システムなんかを積んでいます。第二次大戦の頃の偵察機とは色々違っているんだね。



リパブリックF-105Dサンダーチーフ(1955年・192機目)
出た!センチュリーシリーズだ!センチュリーシリーズもF-100~F-106までなんだかんだ大半の機種を見てきましたが、F-105はこの機体が初めて。でかいね・・・。
一応、戦闘機という括りで開発されてんですが、機内に設けた爆弾倉の中に核爆弾を抱え込んで敵地を火の海にすることを主眼にして開発された機体です。それ、爆撃機っていうんちゃうんか。ただし結局核爆撃することは一度もありませんでした。あってたまるか。
ベトナム戦争ではアメリカ空軍の事実上の主力機としてあっちゃこっちゃ爆撃していました。おかげで損耗率は総生産数の約半数の400機近くに達しており、えげつねぇ数字を叩き出しています。
F-105というと敵レーダー陣地を叩き潰すワイルドウィーゼル任務なんかが知られていますが、あれ用の機体は少数で、ほとんどの機体はこのD型です。



ジミー・ドゥーリットル(1896~1993・1日ぶり2体目)
またあんたか。よっぽど人気なんだなぁこの人。石板に彫られてる15の数字は、彼の指揮した第15空軍のことです。

では館内に入りましょう。入館料は大人$10です。
まずは建物内の機体を見ましょうか。



ベルP-59Aエアラコメット(1日ぶり2機目・通算193機目)
わっ!これがあるんか!とひっくり返った戦闘機。第二次世界大戦中に開発されたアメリカ初のジェット戦闘機なのです。初飛行は1942年10月で結構早い段階で実用化へ向けて進んでいたわけです。なお日本。
ところがP-59はジェットエンジンに恵まれませんでした。これに搭載されたゼネラルエレクトリックJ-31ターボジェットエンジンは低出力で性能不十分でした。P-59はこれを2基搭載しているんですがそれでも当時の最新鋭レシプロ戦闘機に速度で及びませんでしたジェット機だからってプロペラ機より強いわけじゃないのよ、というのが極初期のジェット戦闘機の特徴だったりします。
そういうわけなので機体は失敗作となってしまったのですが、どういうわけかアメリカ陸軍航空軍はこれを制式採用して量産化。全部で60機くらいが造られてしまいました。たぶん見栄を張って採用したんじゃないでしょうかね。こうして晴れて「アメリカ初のジェット戦闘機」の称号を得たのでした。
でもこれを初のジェット戦闘機とするのは後になってみたら恥ずかしくなってしまったので、P-59は影に追いやり、後に出てきたロッキードP-80を「アメリカで初めて大量生産されたジェット戦闘機」と妙に苦しい称号と共に宣伝し始めたのです。



ジェット戦闘機はレシプロ戦闘機みたいにエンジンを機首に配置しなくて済むので、機首に機銃をガン積みできます。アメリカ軍の戦闘機は主翼内に機銃を配置するのが好きですが、好きでやってるわけじゃなく機首に空間ができればそこに武装をねじ込むのだ、ということでしょうかね。
アメリカ初のジェット戦闘機であるP-59の段階でそれは採用されていて、向かって右側に大きく飛び出てる37mm機関砲*1、左側には12.7mm機銃*3で固めています。37mm砲はベル社の前作、P-39でも採用されてたんで、好きなんですねぇ。なんか配置の仕方がテキトーに見えますが、何かしら意味があるんでしょう。でも銃口が機体から飛び出してるのは、空力とか整流とかあんま考えてなさそうだな、これ。



P-59最大の特徴はエンジンの配置でしょう。重量物であるエンジンを動態の機体中心位置に持ってくることで重心位置を安定させるという発想は現在の戦闘機でも採用されているまさに正解の配置で、当時でも10年は先を進んでいたと思います。同世代機であるドイツのMe262やイギリスのミーティアが主翼上にエンジンを配置するレシプロ機の延長上のような配置と比べると先進的だったことが分かります。まあそれでも肝心のエンジンがダメだったのでアレでしたが。
この発想の源流はベル社の前作P-39エアラコブラなんだと思います。あれはレシプロ機ですが、エンジンをミッドシップ配置にした独特な機体なのです。



スチンソンL-5センチネル(1日ぶり3機目・通算194機目)
基地間連絡、地上偵察、着弾観測、救急搬送、補給などに使われた連絡機です。これで3機目です。意外と残っとるのかしらん。
宙吊りで展示されていて、なるほど下方視界が良いのだなと。



ベル社のアレな戦闘機ことベルP-39Qエアラコブラ(1日ぶり3機目・通算195機目)
単発プロペラ機でありながらエンジンを胴体中央のコックピット後ろに配置するミッドシップ機。重量物を重心位置に置くことで機動性が良くなるのです。さらにガランドウになった機首には大型機関砲を装備することで攻撃力も上げました。
このように発想は良かったんですが、いろいろ致命的な欠陥も多く・・・。特に高高度性能の不足は深刻でした。ただしこれは機体のせいではなくて、満足な過給器(排気タービンを搭載予定だった)を付けてもらえなかったところが大きく、この点は気の毒です。P-59のJ31エンジンと言い、エンジンに恵まれない会社だな・・・。
アメリカはもちろんレンドリースで貸与されたイギリスでも使い物にならんと判断されて失敗作になるところでしたが、同じく貸与されたソ連では大活躍した模様。高火力を生かしてドイツ戦車を上から叩いていたようです。近接航空支援(CAS)みたいなことをやっていたのです。これだと低高度の任務になるので高高度性能がダメでも問題化しませんね。



機首の37mm砲はプロペラ軸の中心上に装備。マン真ん中に取り付けることで狙いがつけやすいのだ。ちなみにプロペラは、エンジンからコックピットの下を通るプロペラシャフトを介して回しています。
エンジンの空気取り入れ口が主翼前縁の根元部分に配置されているのにも注目です。P-40やスピットファイアみたいに余計な突起が無いので空力的に良いのです。



エンジンが胴体と主翼が交差するところに置いてあるので、宙吊りだと見えないですね。P-39一番の特徴なのに。
Q型はほとんどソ連に貸与されたんですが、これはアメリカ陸軍に配備されたもの。ニューギニアのジャングルから回収して復元したものだそう。
となると同じくジャングルから回収されて復元されたゼロ戦のように、資料性はあんま無いのかも。降着装置とか、実は外板の覆いだけで中身は無いんじゃないかというようにも見えます。



シュワイザーTG-2(1938年・196機目)
シュワイザーという聞いたこと無いメーカーが作ったSGS2-8という機体を軍用版にしたグライダーです。シュワイザーは現存するメーカーで、グライダーとヘリコプターを製造する会社です。特に創業時からグライダーで有名だそうな。
全く知らなかった機体ですが、グライダーの初等練習機で座席はタンデム複座になっています。これで修行を積んだグライダーパイロットはゆくゆくは例の使い捨て空挺グライダーCG-4を操縦するのです。

というところで今日はここまで。次回は奥に写ってる黒い怪鳥を見てみましょう。ついでに、その奥の複葉戦闘機は撮り忘れてました(泣)


その54へ→

吉原の保存車両を見聞する 最終回【2017/03/19】

2018-08-22 22:33:25 | 鉄道撮影記
もう1箇所保存車両を見に行くべく、吉原駅から富士駅で身延線に乗り換え。


入山瀬駅で降ります。身延線も富士宮あたりまでは田舎の通勤路線という感じなので入山瀬もそこそこ立派。


そこから線路沿いに富士宮方面へ歩いていくと入山瀬公園が見えてきます。


ここに保存車両が置かれているのです。蒸気機関車と旧型客車が横並びにあります。なんで連結しなかったんだろう。土地とか搬入とかで制約あったのかな?


D51形943号機が保存されとります。
近年交換されたんだろう説明板。ところどころ突っ込みどころもありますが、よくできてるんじゃないでしょうか。機関車の経歴がもっと詳しく載ってると良かったんですが。


部品図。意外とこれを説明している町の保存機は少ないので、これも良く出来てるなと。


D51形943号機から見分。いい感じの状態ですね。


943号機は北海道型なので、前後を切り詰めたデフレクターが特徴。スノープラウや旋回窓も残っています。


動輪のロッド類は塗装ではなくて油を塗っているので金属の地肌が見えます。
塗装してしまったほうが手間はかからないので、マメに手入れされているということかと。



機体に書かれていたメモ書き(?)によれば、ここに来たのは1977年5月のことで、最後の全面塗装は2003年11月だそうです。


キャブ周り。北海道型だから扉がついているのか。


炭水車。前照灯がないですね。台座ごと無いのが不自然なような。


やはりロッド類が印象的な機体でした。実感的で素晴らしい。


もうひとつがオハ35形441号。旧型客車の保存車は全国的には珍しいわけですが、何せ近所に動態保存されてる車がごろごろ走ってるんで、まあその・・・。
車内は「でごいち文庫」と称した図書館になっています。この時は閉まっていたので中には入れず。

これにて保存車巡りはおしまい。
どの車両も大切に扱われていて、今後にも期待が持てました。


おうちに帰ります。入山瀬駅で電車待ちの間、313系3000番代の西富士宮行きを撮影。


313系3000番代の富士行きに乗って静岡まで。


静岡駅で降りたらすぐに貨物列車が来そうだったので、5095レを撮影。EF66形122号機でした。


北口を歩いてみると、しずてつジャストラインのいすゞガーラがいました。
通常とは塗装が異なりますが、これは貸切バス事業のしずてつジョイステップバスの塗装です。でも運用に入っているのは静岡空港からの路線バスです。ジョイステップからジャストラインに転籍してきた車両だと思われ。
いても数台でしょうから、珍しいものが見れたなと。

といったところでおしまいです。

吉原の保存車両を見聞する その3【2017/03/19】

2018-08-19 19:32:22 | 鉄道撮影記
岳南富士岡駅を出て、次に降りたのはジヤトコ前駅です。やっぱり日中に8000形動いているのは珍しいなと思います。
そこから1kmくらい西に歩いていくと・・・。


新通町公園に着きました。ここには0系新幹線が保存されているのです。近所故に今まで見に行ったことがなかったのです。
保存されているのは先頭車の21-57。説明板にはK-11号と書かれていますけど、これは編成番号がK-11だったということなんじゃ。
長い間造られた0系の中でも初期型なので大窓だったり非常口が付いていたり。というか現存する0系の殆どは初期型なんですけどもね。
屋根付きで保存されているのに加えて整備も行われているので状態は良いです。屋根の柱を車体に合わせて塗り分けているので、美観が良いのが好印象です。


現役時に「こだま」でよく乗っていた新幹線なので、やっぱり懐かしい気分になります。
塗料を調達するのも大変だと思いますが、アイボリーの色がちょっと濃い気もします。


土休日の10時~15時は車内に入ることができるのだ。
座席は3~4列だけ残して、残りは取り払って遊び場とか鉄道模型のレイアウトとかに改造されています。原型維持も大事ですが、市民に永く親しまれるよう活用することもまた大事です。広く市民に親しまれることは往々にして車両の存続に関わることがあるので馬鹿にできません。ここのさじ加減は悩ましいところでしょう。


座席はおなじみ、銀色の転換クロスシート。3列席は回転式シートに出来ないから2列席も含めて全部転換式しちゃえという後退的発想。これもチーム事情というものがありましょう。


客室の一部をデンと占拠しているレイアウト。車内公開中毎日運転しているわけではないそうで。
レイアウトの出来はと言うと・・・うーん。


1982(昭和57)年冬ダイヤの時刻表。まだ「のぞみ」がない時代。複製なのかわかりませんが、退色がほとんど無くてびっくりだなと。
赤い「ひかり」が速達系で青い「ひかり」が停車系ですか。ていうかこの時はまだ静岡に停まる「ひかり」は1本も無かったのか。
荷物を背負った0系は、新幹線を使った荷物輸送サービスのやつでしたかね?昔はそういうのもあったかと。


運転室にも入れるのだ。


運転台。ムダに広いな。全部物理スイッチなのも良い。ワイパーだって手動だ。
座ってみたかったけど小さい子供もいたので長居せずにとっとと撤収。


次に外に出てみると唐突に台車が置いてありました。説明書きが見当たらないんでアレですが、DT13だそうです。旧型国電なんかに使われてた古い台車なんですが、なんでまた・・・。


他にも転轍機のてことか、


密着連結器が地べたに置かれていました。
本当に単に置いてあるだけなんで、もうちょいなんか無いのかと。手入れはされているんですけどね。


公園から撤収して歩いて吉原本町駅へ。吉原行きに乗ります。

今日はここまで。



吉原の保存車両を見聞する その2【2017/03/19】

2018-08-18 20:51:11 | 鉄道撮影記
元吉原小学校から吉原駅へ戻ります。ここで蒼風クン達とは別れます。
吉原駅からは岳南電車に乗ります。今日は岳南電車まつりが開催される日なのです。


切符を買って構内へ。ちょうど電車がやってくるところでした。
今は使われなくなった貨車用の留置線が空虚的な・・・。


来たのは8000形でした。休日は動かないはずですが、岳南電車まつりで輸送力が必要だからでしょうか。
それと、緑色のペンキがまた変わりましたね。前はもっと青っぽい緑でしたが、今回のは導入当初の色味に戻ったような感じです。


イベント会場は終点の岳南江尾駅なのでそこまで乗り通します。
会場は思っていたより賑わっていて、なかなかやるなと。賑やかな方が楽しいですね。


物販は食べ物や工芸品など。鉄道部品も売っていましたね。


ED40形2号機がいました。これはまだ走行できるのか。それとも電車に運ばれてきたのか。
旧来のデッキ付き形態ながら端正な顔立ちなのが好印象な機関車です。


反対側には7000形が連結されています。井の頭線の復刻塗装車もいます。これは電車の乗り方教室に使われていました。


サラッと会場を見て回ったら吉原行きの電車に乗って戻ります。
乗るのは7000形ですね。


岳南富士岡駅で下車します。8000形にHISのクソでかいヘッドマークが付いてますけど、ツアー旅行で来ている集団がいるのかしら。

ここでは留置されている電気機関車を見ます。前回来た時はマスキングテープのイベント会場だったので、見れない機体が一部あったのでそれの補完です。





ED40形3号機。2号機は走行できるようですが3号機は貨物輸送の廃止直前に故障を起こして以来動いておらず、既に廃車扱いだとかで。
車体は艶を失っていてちょっとこの先怪しいです。岳南電車としても何時までも取っておくつもりは無いようで、買い手を募集しているところです。

ちなみにED40形は元々松本電鉄が導入した機関車なんですが、最初から1号機が欠番になっている変わった機関車です。


ED50形1号機。1929年製の超古い電気機関車。これが5年前まで現役だったのだ。
角型の小さいボンネットが好ましい機体。これも結構好き。今はもう廃車になったそうな。


ED29形1号機。こっちはさらに古く1927年製。ただし近年は全く動いていない状態だったそうな。もちろん廃車済み。


ワムが2両。
何かに使うつもりでJR貨物から買ったのかもしれないですけど、今の所活用法が見いだせないところでしょうか。マスキングテープのイベントの時はテント小屋代わりに使っていましたね。


貴重な古典電気機関車たちなのでもうちょい良い扱いがされるといいんですけど、これもチーム事情というものがありましょう。

今日はここまで。



吉原の保存車両を見聞する その1【2017/03/19】

2018-08-17 22:40:20 | 鉄道撮影記
2017年3月19日。
確かツイッターあたりから情報を見つけてきたんだと思いますが、富士市の元吉原小学校に保存されている蒸気機関車と路面電車を一般公開するという話を聞きつけました。
この小学校にはC57蒸気機関車と都電7000形が保存されているのですが、屋内保存という環境の良さに加えて児童や国鉄OBの手により定期的な手入れが行われているので車両の状態は極上と言えるものです。
難点は小学校の敷地内にあるためいつでも見られるものではないということ。それがこの日は誰でも見学できるということなので保存車に自信ニキ蒼風君と他数名と行ってみることに。

SL博物館と名付けられている収蔵庫は木造。中に入ると案内してくれる小学生たちがいました。なんかいきなり変な連中が来たぞと思いながら機関車の説明を始めてくれました。説明はちゃんとしたもので、よく勉強しているね、と感心しました。私よりも詳しい。


C57形30号機。1938年製造、1969年廃車。金沢、富山、名古屋等に配属されていたそうな。
元吉原小学校に保存された理由は、この小学校の当時のPTA会長が元国鉄マンだったこともあり寄贈に向けて動いたんだとか。
最初に書いたとおり状態はとても良いのです。部品の欠損も見当たらず、塗装も錆びついていません。引退してここに保存されてからずっとこの状態を維持されてきたのではないでしょうか。


後ろ側。いやほんときれいだな。惚れ惚れする。


配管類も揃ってますね。


煙室扉も開けさせていただき、中を見せてもらいました。部品が可動するというのは状態の良さを表しています。実際に動かせるのもこういう屋内展示系の車両ならではです。


ボイラー上。
ややホコリが溜まっているようにも見えましたが、逆にその程度が気になるほど機体がきれいなのです。


動輪など走行装置の部分には名札が振られています。こういう部品の名前、意外と知らないのでありがたいなぁ。


従輪等。


キャブのナンバープレート。その横には竣工日(昭和45年4月11日)と協賛(高木産業=現パーパス)、施工主(中村組)の銘板。
パーパスがこれの寄贈に協賛したというのは何というか意外ですが、上記のPTA会長がパーパスの創業者という繋がりを知るとなるほどね、と納得。


ピンぼけしてるけど火室。公園に保存されている機関車のように石が投げ込まれていることは無く、内部構造がよく分かります。



キャブの計器や弁のハンドルも良好です。


JRの鉄道博物館に保存されているような状態の機体でした。想像以上の良さです。


もう1台保存されているのが東京都交通局7000形7024号。都電で使われていた路面電車です。
上野~池袋系統で使われていたそうですが、方向幕(模造品だろうが)では品川~上野系統ですな。

7000形も色々あるようですが、7024号は1954年製の電車で1000形の車体更新車だそうな。1968年3月に廃車になりました。以降ここへ持ってこられるまでの経緯は不明です。ここに都電を保存した理由もいまいちわかっていません。
車体や足回りがすべて揃った7000形はここくらいのようで、貴重な現存例ということになります。

ちなみに7000形は現在も延命工事を受けた7700形として都電荒川線を走っていますが、あれは元々この7000形の一部を車体更新したものです。ただし完全新造車の1956年製の後期型だけが更新工事を受けています。
7700形に改造された時点で元の7000形の部品は全く残ってないんだと思いますが、長生きな電車なんですね。


台車は今書いたように1000形の流用品です。1932年製だそうで。


サボも差さっていました。これは本物っぽいです。


車内にも入れます。結構埃っぽいかな。


運転台。
部品は一通り揃っていると思われますが、全体的に劣化が進んでいます。C57ほど手は掛けられていないようです。


車体の車番表記は消されているんですが、車内の銘板に番号が書かれています。1954年3月製造、定員96名。


収蔵庫の壁にはC57のレリーフがあります。これがまた精密なのです。

以上で見学終了。今回の機会を設けてくれた小学校の関係者や児童に感謝です。
これの翌年、2018年3月にも一般公開が行われたようなので、2019年もひょっとすると行われるかもしれません。気になる人はアンテナを張っておこう。

今日はここまで。



【1/24】トヨタ ヴェルファイア30系【ギャラリー】

2018-08-15 21:23:31 | 模型ギャラリー

■キット:フジミ 車NEXT トヨタヴェルファイア
■仕 様:ZA G Edition(素組)
[製作記はこちら]

昨今はスナップフィットと多色成形によるプラモデルを各社とも開発して新規顧客の確保に努めていて、接着剤と塗装が不要なキットが隆盛を極めております。
フジミもこの流れに乗ってそういう自動車のキットを出しました。同じく接着剤/塗装不要の艦船模型と同様、あくまで自動車のプラモデルなのだという姿勢は崩しておらず、普段普通のプラモデルを作る人でも満足できる構成と仕上がりです。低年齢向けに舵を切ったアオシマのスナップキットとは狙うところが違ってるんだろうなというところです。

私は自動車のボディの塗装ってクッソ面倒だなと思っているフシがあるので、フジミの魂胆にズカズカと乗って素組無塗装で作りました。トップコートすら掛けてませんが、それでもテカテカの光沢塗装になっているのは特に何もやってないのにしてやったりという気分になります。

少しだけ手を加えまして、ナンバープレートを香港と中国越境用のものを装着しました。ナンバー自体は自作です。香港なら右ハンドルだから無改造でも違和感ないのだ。ナンバープレートを替えるだけでなんとなく外車っぽくなりますね。



前から。こりゃかっこいいすわ。



オラついてる顔。マイチェンしてオラつきがマシマシになりましたけど、あれはやりすぎ・・・。
オラついてない方の顔が好き。



横。



後ろ。コンビネーションランプの風防がおもちゃっぽくてダサいのでどうにかしたかったなぁ、と。







ホコリと指紋がめっちゃ目立つ車なので持ち運びに気を使いますね。寄せて撮ると保管が雑なのが明らかに・・・。



以上、ヴェルファイアでした。