ヤンクス航空博物館の続き。古典機を軽く見終えたら今度は見覚えのある第二次世界大戦期の機体たちが見えてきます。
こちらは欧米の航空博物館ではおなじみのV-1飛行爆弾(41機目)。大戦後半のドイツのビックリドッキリメカ軍団の一角です。
爆弾に翼とパルスジェットエンジンと自動航法装置を載っけてロンドンへ向かってバカスカ撃ち込まれた巡航ミサイルのご先祖様のようなやつです。
この後巡る博物館でも何度か再登場することになるんですが、V-1を始めとしたドイツのビックリドッキリメカは物珍しい兵器だったので、連合軍がやたら本国に持ち帰っていて、その生き残りがこのような形で今も見られるわけです。なので当時ありふれていた兵器のほうが逆に今では貴重になっていたりするのです・・・。
V-1の後ろ。
大気圏外から超高速でほぼ真下に突っ込んでくる弾道ミサイルのご先祖様V-2と違って、V-1は600km/hを水平飛行して爆撃していたので一応戦闘機でも撃墜可能でした。
戦闘機の機銃で撃墜するのが定石のように思えますが、これだと撃墜時の爆風を自分も食らってしまい道連れにされる・・・なんてこともあり得ます。
なのでこれを避けるために採られた方法が、自機の主翼の端とV-1の主翼を接触させて安定性を崩し、自動航法装置のジャイロを制御不能にして墜落させるというものでした。ただこれも墜落させる以上、地上の何処かが被害を被る可能性もあるわけですが。
V-1の速度に追いつく高速性が必要なので、これの迎撃にはイギリスのテンペスト、モスキート、スピットファイアMk XIV、アメリカからはP-51、P-47といった高速機が当たりました。P-47に至ってはV-1やジェット戦闘機Me-262に対抗するため高速性能を高めたM型を新しく設計しています(この後出てくる
あれまこれは珍しい、オートジャイロですね。ケレットKD-1A (YG-1B)(1934年・42機目)です。初めて見ました。
オートジャイロはヘリコプターにも見えますが、直接回転翼を駆動させて飛行するそれと違って、回転翼に動力は付いておりませぬ。機体の正面についているエンジンを回してプロペラを駆動させて前進させるとその風を受けて回転翼が回りだして揚力を生み、浮き上がるというわけです。
そういうわけなのでヘリコプターと違い無風状態からの垂直離陸や空中でのホバリングは出来ないのです。
ただしこのKD.1はエンジン動力で回転翼を回す機構が備わっていたので、対気速度ゼロでも垂直離陸が出来たそうな。よく見るとエンジンと回転翼の間にドカンと棒が通っているのに注目です。あれが回転翼に動力を伝えるドライブシャフトなのでしょう。
ただ、テールローターを持っていないKD-1は回転翼を回すと作用反作用の法則で機体側も回ってしまうと思われます。操作性は非常に敏感との評だった辺り、これは解決できていなかったような気もします。
ここのKD-1Aは、A型で唯一の現存機だそうです。後はスミソニアンに軍用観測機のXO-60が残っているくらいじゃないでしょうか?オートジャイロ自体ニッチなジャンルですし、結構貴重じゃないかと。
真っ黄色のアメリカ海軍の水上機、海軍航空工場N3N-3イエローペリル(1935年・43機目)。これも知らんです・・・。
海軍航空工場 Naval Aircraft Factoryというのはフィラデルフィアにあったアメリカ海軍直属の航空機製造工場です。独自の航空機製造の他に民間メーカーの機体の評価なども行っていた模様。
N3N-3とNと3が連続する型式ですが、N3Nまでが型式名、-3が派生型(サブタイプ)です。Nナンバーなのでこれは練習機ということになります。練習機ならTrainerでTでガショ。でもこれは雷撃機Torpedoで使われていました・・・。
愛称のイエローペリル Yellow Perilは黄色い危険という意味。・・・ちょっと意味不明。
展示されているフロート付きの水上機型と車輪の付いた陸上機型の2種類がありました。軍用の複葉機としては最後発の部類であり、実際これがアメリカ軍最後の複葉機だったそうな。それでもその後第二次世界大戦もあったりしたんで1942年までに1,000機弱も造られたんだそうよ。
水上機はゲタが付いている分背が高くなるなぁと。
それと、エンジンが丸裸になっていますが、水上機にこれでは海水を被って劣化してしまうと思うんですが、案外大丈夫だったんですかね?
N3Nは1961年までアメリカ海軍で使われましたが、第二次世界大戦後は余った機体が500ドルで民間に放出されまして農薬を噴霧する農業機に改造されて余生を送りました。低速性能の良い複葉機で頑丈な練習機であるN3Nは最適だったのかもしれません。
次。これも知らない機体だなぁ・・・でも見覚えのある形状だし、ムスタングっぽいかも・・・?と思ったところで、急に閃いてこれカーキ色だしバブルキャノピーじゃないし、もしやウワサのムスタングのB/C型ってやつですかい!?ヒャーすごい!と勝手に喜んでいました。
しかし直後に、あれ、でもプロペラって3枚だっけ・・・?と再び違和感を持ったまま解説板を読んでみると・・・え、エ、えA型だぁ!!うひゃー、まさかこんなところにいるとは!
このノースアメリカンP-51Aムスタング(1940年・44機目)こそ、ムスタングの初期量産型なのだ(残念ながら最初の量産型ではないのだがややこしいので割愛
よく第二次世界大戦の最優秀戦闘機と言われるP-51ですが、それはB/C型やD型のことでして、A型や無印P-51、その派生型のA-36なんかはそれには当てはまりませぬ。というのも搭載しているエンジンが違う故に性能がだいぶ異なっていたからです。
B/C型以降がイギリスの至宝マーリンエンジンを搭載していたのに対して、A型まではアリソンV-1710エンジンを積んでいました。俗に前者をマーリンムスタング、後者をアリソンムスタングと呼ぶ場合も有りにけり。
でまあこのアリソンエンジンがダメでして(涙)、高高度性能がカラッキシでした。戦闘機としては平凡で使い物にならんので、低空で運用するだけで済む攻撃機のA-36や写真偵察型のF-6、あとは高高度性能が低くても相手になる日本軍相手に戦闘機型のP-51が細々と使われていたに過ぎませんでした。
チーム10,000機軍団の一員であるP-51ですがその数の殆どは後期型のD型でして、このA型はたったの310機しか造られておりませぬ。しかも大戦初期の機体で現存数も低いので、掃いて捨てるほど残存しているD型と比べるとその数は貴重といえるほど少ないのです。
この機体もオハイオ州で民間で使われていたのを購入したようで。ファストバックの形状を復元したとのことですから、民間機時代は大改造を受けてたっぽいですね・・・。他にも色々と部品を探すのに手間取って(恐らくオリジナルの部品を手に入れたかったのだろう)、復元し切るまでに12年を費やしたとか。ちなみにこれの型式は細かいところまで言うとP-51A-10-NAだそうで。だから何だとしか私は思わないですが、なにかすごい意味かもしれない。
胴体後部。ファストバック(風防後部と胴体上面が一体化してツライチになっている形状、元々は自動車用語)のコックピットが特徴ですかね。
バブルキャノピーは凹凸が出るので、ファストバックの方が空力的には有利です。後のD型でバブルキャノピーになったのは、エンジン出力の増大で不利を帳消しに出来たからですね。パワーは大事ですよ。
あとは、胴体下部にあるラジエーターグリルの形状も後のD型とは大きく異なっているのですが、フラップが下げられているせいでよく写せませんでした。南無。
コックピットのアップ。
ファストバックだとバブルキャノピーと較べて後方視界が利きにくいのが欠点なのですが、それでも少しはどうにかしようとして座席の後ろにも風防を貼って後方視界が利くようになっています。
その風防の一番後部のところに注目。カメラが覗いているのが分かるでしょうか?これは35機のP-51Aを改造した写真偵察機F-6Bに装備されていた偵察カメラです。地面に対して水平に据えられていますので、撮影する時は機体を左にロールさせて傾けて地上を写します。
主翼には12.7mm機銃が2門ずつ。そのさらに付け根にある穴はガンカメラだと思います。戦果確認なんかで使うやつですね。
機首部。B/C型との識別点は大体ここに集中しています。まずプロペラの枚数が違います。A型:3枚、B/C型:4枚です。
でもプロペラが回っている時は数えられないので、その時はエアインテークの位置を見ましょう。A型は機首上面に出っ張るように配置されています。一方B/C型以降は機首下面に機種の形状と一体化するように配置されています。一見インテークが無いようにも見える形状で、同時期の液冷機には無いセンスの良さを感じます。
あとは、エンジン排気管の形状で、A型は三角形のような形状に対してB/C型以降はただの管です。
以上こんな感じです。これであなたもムスタングキング。
いやはや、いいもの見させてもらった。
隣にもう1機ムスタングがいました。こっちは掃いて捨てるほどいるD型のP-51D(45機目)。
こっちの説明の方は・・・まあ無くてもいいでしょ(手抜き
やっぱりかっこいいですよ、P-51。
あれ、何だか機銃が塞がれてますやん・・・。もしやと思い解説板を読んでみると、やはりレース機でした。
このミス・ジュディ号はベンディックス杯というエアレースでの優勝経験も持つ機体だそうな(いつ優勝したのかまでは調べられませんでした
P-51はなまじ100機以上も飛行可能な機体が残っていてそのうえ速いだけあってエアレース用に改造された機体が多く、そのほぼ全てはレースで優勝するために手を加えられているため原型を失っていると来ています。なので原型を留めていて資料的価値の高いP-51というのは実は意外と少ないのだ・・・というのがアメリカのP-51の保存状態なのです。
というかエアレースに限らず、いわゆる飛行可能な機体というのは外板から桁に至るまで弄り倒されているという場合が多いです。飛ばすからには現在の法令や安全性に配慮する必要はありましょう。なので飛行可能な機体にも資料性を求めるのは難しいと言えます。雰囲気を楽しむに留めておいたほうが良いかと。私の場合意識低いので、それで足りてしまうんですが・・・。
とにかく原型を留めることを第一にするか(静態保存)、それとも今もこれからも機械として稼働し続けることが一番なのか(動態保存)・・・というのはその先に求めるものが違うのでどっちが良い悪いという問題ではないです。最善なのはそれぞれ別々に残して両立させることなんでしょうけど。
ただ戦後レース機として余生を送るというのもP-51の歴史の1ページであることには違いなく、このミス・ジュディもヤンクスがレース機としての経歴に敬意を表してこの状態で展示されているのだと思います。
例え部品が全て新品に交換され尽くしたとしてもその機体が積み重ねてきた歴史はその機体だけのもので、替えはできないのです。
言いたいことを全部言えたか分かりませんが(たぶん言えてない)今回はここまでとしときます。
その20へ→