黒鉄重工

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初めての岐阜基地航空祭へ その2【2016/10/30】

2017-10-31 21:32:23 | 旅行・イベント記

岐阜基地航空祭の2回目。基地に討ち入りしてまず最初に実験機X-2を拝みに行列に並びます。そしてついに私の番に・・・!

・・・本当にちっちゃめの機体なんですね。T-4と同じくらいか?
ていうかこれ、「X-2を見せます(全部見せるとは言っていない)」って感じでちょっといやらしいな。特にエンジンノズル部は隠れて何も見えないのはちょっと。
機体の周りに誰も人がいないことから分かる通り、手前に写っているお兄さんたちより奥には立ち入れないのです。
今更何か隠さなきゃいけないことでもあるんでしょうか?



私が今更何かを書くってことは必要ないと思うのでさらりといきますよ。
機体はステルス性能を取り入れているので、胴体や機首の側面に垂直な部分が無いです。機体へ向けてやってきたレーダー波を明後日の方向に反射させて敵さんに見つからないようにするためですね。ここら辺はもうステルス機なら取り入れて当然という感じです。
空気取入口は境界層分離板のある従来のもの。流行りのDSIではなかったんですね。
実験機ならではの先端の大型ピトー管はやや下を向いています。プラモデルを組み立てる時にうまく位置決めが決まらないとこんな風になってしまいがちですが、これで正解なのか。

X-2は開発予算を抑えるために風防や降着装置にT-4の部品を流用しています。なので、X-2は単座にも関わらず風防が大きめです。後席に当たる部分には何かの機械が乗っているのが見えます。



胴体中央部。特に書くことないかな・・・?



尾翼など。
垂直尾翼は外側に傾けてあります。これもステルス機では必須の要素ですね。
水平尾翼は上を向いていて、おかげでノズル部が隠れています。これわざとこの位置で固定してないかしら?



とはいえスッキリと撮れるのは良いですね。



別角度から。
なんだかんだ今回の公開で見られて良かったです。初飛行はしたもののそれ以降ほとんど飛行していないようで、今のところこれ以降一般公開もされていないようですし。
ちなみに、私はおおよそ30~40分ほどでありつけましたが、この後数時間待ちの行列にまで膨れ上がったようです。一番に見ておいてよかったぜ。



地上展示機でも見るかと歩いているとC-130Hの展示飛行をしていました。小牧基地の第401飛行隊のやつですかね。
緑迷彩なんているのかと思いましたが、どうもこれが空自での標準塗装だそうな。



あれ、岐阜基地は比較的低空を飛んでくれるのか?
他の基地よりも大きく写っている・・・。



X-2に次ぐ目玉展示、川崎C-2輸送機です。現行のC-1輸送機を更新するための機体で、開発は国産となっております。P-1哨戒機ともども、日本の情勢にあったちょうどいい機体が世界にないから、ならいっそのこと国産しちゃおうってことで造られたらしいです。
輸送機ということなのでそれなりに大きいです。C-130以上C-17未満といったところでしょうか。米軍機ともソ連軍機とも違う独特の形状は結構好きですので、プラモデルで欲しいですね。日本機なのでそのうちどこかが製品化するでしょう。
#203は量産型の1号機ということだそうで。塗装も正式な量産型の塗装なんですが、迷彩柄がやや複雑かなぁ?と。



RF-4ファントムII。前にも紹介したと思うんで説明は割愛(手抜き
今回やたらF-4を見れたので、もう空自から退役するまで見なくても平気かな・・・とか思っています。空自から退役したらあとはもう韓国くらいしか残っていないんじゃないでしょうか。



真正面ドーン!
素直にかっこいいと思える。



AH-1Sコブラ。これも前に紹介済み。



T-400。これも紹k(ry



米空軍も招かれていて、F-16Cを展示。この後飛行展示もします。
しかし午前中は逆光なので、この後光線の向きが変わるのを待ちますか・・・。



展示飛行の合間に突如離陸したやつ。ありゃ、XC-2じゃないですか。こんなの予定表にはなかったぞ?
XC-2というのは上記のC-2のプロトタイプでごわす。これは初号機の#201です。なのでこれにも白地に赤帯という試験機塗装がされています。



場内放送曰く、たまたまこの日飛行試験を行う予定だったので・・・ということ。ところが事情通のミリオタ曰く、通常日曜日には飛行試験は行わないのでこれは航空祭にわざわざ合わせて日程を組んだ・・・とのこと。



離陸後反転して会場を航過。チェイサーのT-4も引き連れて飛行試験に赴いていったのでした。
まさかXC-2初号機が見られるとは思わず。嬉しいドッキリでした。

今日はここまで。


その3へ→

初めての岐阜基地航空祭へ その1【2016/10/30】

2017-10-29 22:24:33 | 旅行・イベント記

2016年10月30日。
2016年航空祭行脚最終章。この日は航空自衛隊岐阜基地の航空祭の日です。この年の目玉はなんといっても実験機X-2の一般公開でして、これだけでわざわざ行く理由になりました。他に、岐阜基地は装備品の試験を行う部隊がいる関係で、空自の持つ航空機の殆どが集結しているので一度に多くの機種を見られるお得な航空祭というのも魅力でした。

そんなわけで、静岡駅を朝一番の新幹線で名古屋駅まで乗ります。



名古屋駅で名鉄に乗り換えます。
犬山線の特急に乗るのですが、乗車位置を間違えててんやわんや。やっぱこの駅は難易度が高いわ。



あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
「おれは鵜沼行きの特急に乗っていたと思ったらいつのまにか三柿野行きに乗っていた」
な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…
頭がどうにか(以下略

名古屋駅では確かに鵜沼行きだったんですが、知らない内に三柿野行きに化けていました。今日の航空祭に合わせて鵜沼から延長運転されて各務原線の三柿野まで走った臨時列車だったのです。
三柿野駅が岐阜基地の最寄り駅だったのでこれはラッキーでした。年に1回しか見れない行先だろうから、一応記録もしておきました。表示器の寸法が窓よりも小さいのですが、やはり規格品のLED表示器を採用したからでしょうか?



電車の駅から歩いてすぐというのが岐阜基地の特徴でして、シャトルバスというまこと面倒な乗り物が無いのが嬉しいです。この点だけでも評価が高いです。
なお駅からは川崎重工の敷地内を通るというちょっとめずらしい体験が出来ます。敷地内撮影禁止なので写真はないですけれど。特にヤバそうなブツもありませんでしたし、そもそも見せないでしょうし。



入場した時は8時40分でして、既に開幕飛行展示が始まっていました。F-4EJが飛んでいますねぇ。



他にもF-15Jも飛んでいました。岐阜基地は飛行開発実験団という部隊の拠点になっています。この部隊は航空機やそれの装備品の試験や開発を行うという特性上、部隊内に複数機種の機体を運用しています。それをいいことにここの航空祭では異機種展示飛行が名物になっています。



まずは人が増えてしまう前にX-2を拝みに行かにゃならんので、X-2の展示場へ向かいます。



途中で格納庫の中のF-4EJを見かけたので寄り道。朝っぱらから行くとこんなに空いてるもんかとちょっと感動。
治具でわずかに地面から浮かされているのを抜きにしても、F-4の脚って意外と長いんですね。



再び格納庫を目指し、X-2の行列に並びます。死ぬほど混雑しているわけじゃなさそうなので、意外と早くに見れそう。
待機していると、滑走路の方から発煙筒が焚かれていました。



U-125Aが救難救助の飛行展示をしている最中でした。以前浜松基地で見たやつとおんなじです。



U-125が発煙筒の地点に救助物資を投下。



救難ヘリのUH-60が現着。




浜松基地の時はヘリから縄を伝って降りて救助していましたが、今回はパラシュート降下でした。



うーんこの逆光・・・。
岐阜基地でも逆行側になるんですね、とほほ。



行列の途中で見ることのできた川崎/ユーロコプターBK-117。両社が共同開発した民間用の多用途ヘリコプターで、救急や消防などに使われているそうな。
この6001号機は装備品の試験を空中から計測するための機体。空自の実験機やプロトタイプ機特有の白地に赤帯がかっこいい。



そしてX-2が段々と近づいてきました。

今日はここまで。


その2へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その27【2016/03/04~10】

2017-10-27 23:56:36 | 海外旅行記

レストアハンガー見学後は再びスターファイターハンガーに戻って、まだ見ていない残り半分の収蔵機を見ていきます。
ところで写真を見返していて気がつきまして、この写真はFMを被写体として写しているんですが、その左手前に写っているエンジン、これP-39かP-63のアリソンエンジンだったんじゃないですかねぇ・・・?ていうかエンジンの右にあるやつはP-39の減速機とドライブシャフトですから、やはりP-39/63の部品でしょう。
それと、中央下の見切れているやつは37mm砲だったんじゃないか疑惑が・・・。
うーん、なんでちゃんと撮ってなかったんだ当時の俺。



星戦士の格納庫の今まで見た半分は第二次世界大戦期の機体でしたが、残り半分はその後のジェット機で占められています。
これはA-10サンダーボルトIIのモックアップか何かですかね?名前が書かれているから分かりましたが、形状だけ見ても意外と分からないかな。



やけに占有スペースを広く取って展示されているノースロップF-5EタイガーII(1972年・81機目)2機目。
隠れた傑作機F-5A/Bフリーダムファイターの改良型です。F-5A/Bは東側陣営に対抗するために西側のアメリカのお友達にバラ撒かれた戦闘機で、途上国でも運用できる簡便さとタフさが売りの機体です。なにせ超音速戦闘機が200万ドルで買えるんですよ奥さん。
ところが時間の経過とともに東側はMiG-21戦闘機を装備し始めます。在来のMiG-17,MiG-19よりも能力が高い上にこれにはレーダーが搭載されていたので、F-5A/Bでは見劣りしてきました。そこで西側でもこれに対抗しようとなってF-5E/Fが開発されましたとさ。

まずは簡素ながらも空対空レーダーを搭載。それとエンジンも強化して、主翼も大型化。機動性と整備性の良さはそのままに性能向上を果たしたので、F-5A/B運用国がそれの後継機として運用したことが多かったとか。

この改良で型式のサブタイプが新しく付与された他、愛称もフリーダムファイターからタイガーIIに変わりました。なんでまた自由の戦士から虎二世と全く関連のない名前に変えたのか分からないですが・・・。スコシタイガー作戦が由来だったりするのかしら?
それと、タイガーIIということは初代タイガーがいるはずですでして、でもそんなのいたかな?と思ってましたが、その答えは意外とすぐ近くにいたのでした(次回)。

運用国は色々ありますが、この機体は台湾で使われていた機体。2010年に台湾から寄贈されたそうで、本物の台湾育ち。台湾では中正号と呼ばれていたそうな。これは蒋介石初代総統の名前「中正」から取られたものです。経国号も総統の名前が由来でしたね。

今も書きましたが、他の機体が格納庫の壁沿いにぎゅうぎゅうに展示されているのに対して、F-5Eは通路の中央に360度から見渡せるようにゆとり持って置かれていて、やけに扱いが良いのです。どうも2015年に台湾の馬英九総統(当時)がここを訪問したんだそうで、その影響だろうなと。
でもヤンクスの格納庫の機体配置は頻繁に変わるようなので、今はどうなっているのか分かりませぬが。



機首。注意書きが漢字なので妙な親近感を覚えます。
改良後も仮にも超音速戦闘機のくせに機首にバカ正直にドカンと装備された機関砲2門は健在でして、ここら辺は芋っぽさが抜けない感じであります。機関砲の衝撃でレーダーが故障とかはしなかったのかなと要らぬ心配をしてしまいます。



ここで台湾の国籍マークを見るとは思わず。
F-5の特徴と言える主翼付け根前縁のLERXはE/F型でも引き継がれています。それどころか、LERXの効果に味をしめてこれを大型化して性能向上を狙っています。



こっちがA/B型のLERX。形状が変わっていて、横幅が広がっているのが分かるかと。



後ろ。
ただの筒みたいな排気口がやはり芋っぽくて好き。



エンジン。たぶんF-5EのJ85-GE-21じゃないかな?少なくともペガサスエンジンではない。



F-5と向い合せで置かれているホーカー・シドレーAV-8A(Gr3)ハリアー(1969年・82機目)
垂直離着陸のできるイギリス生まれの戦闘機です。これもイギリス空軍の機体だったものです。
ハリアーについては前に書いたような気がするので、改めて書くこともないかなということで割愛(手抜き)



機首。おめーさては最初はレーダー積むつもり無かっただろ、という後付感溢れるレーダードーム。レーダー無しの純正(?)の機首はなんだか架空メカっぽくて好きです。
イギリスではGR.3型のサブタイプを持つこの機体。GR.1型ではレーダーがなかったのをやっぱり必要なのでは?と思い直して追加搭載したもの、だそうで。



中央部。
ペガサスエンジンの可変推力ノズルが見えますね。ノズルはこれが片側に2つずつあるだけです。なので、ジェット機のくせに尾部にエンジンノズルがないという変わった機体になっています。

また、胴体側面にエンジンノズルを持ってきて胴体横に降着装置を配置できなくなっているため、胴体中心線上に降着装置を前後に配置するタンデム式という戦闘機としては変わった配置をしています。
ただしこれだけだと安定性が悪くコケてしまうことが考えられるので、主翼から補助輪を展開できるようになっています。
色々と見どころのあるやつなんです。



時代は遡って、黎明期のジェット戦闘機であるところのリパブリックF-84Eサンダージェット(1946年・83機目)
リパブリック製の戦闘機なのでP-47サンダーボルトから名前を引き継いでサンダージェット。同社のサンダーシリーズの2代目でございます。
特に目立ったこともないので影が薄めのやつです。初飛行が1946年なのでF-86セイバーよりも先発しているのですが、それ故に主翼は後退翼ではなく普通の直線翼でして、朝鮮戦争の頃には時代遅れになってしまい対地攻撃に使われていた模様・・・。でもサンダーボルト譲りで中々頑丈だったらしい。
F-84はやたら派生型が多いのが特徴で、直線翼型、後退翼型、偵察型、核爆撃型などなど・・・。後々出てくるのでお楽しみに。

E型は直線翼を持つ初期型でして、B型から続く改良型。レーダー照準器や燃料容量拡大なんかがされたそうな。



天蓋は涙滴型ですが、なんだこの窓枠の多さは・・・零戦かいな。先代のP-47ではそんなことなかったのに、ここは退化してしまったのでは。



あーもう辛抱たまらーん!とでも言われながら磨かれたんじゃないかっていうノースアメリカンF-86セイバー(84機目)。
ではなくて、実はカナダでライセンス生産されたカナディアCL-13BセイバーMk.6です。昨日のF-86から数えて2回目の登場です。
Mk.6はカナディアンセイバーの最終型で、主翼が6-3翼(主翼前縁を付け根で6inch、翼端で3inch幅を伸ばしたもの)で、廃止された前縁スラットを復活させています。廃止になった前縁スラットですが、やっぱり付けたほうが運動性がいいってことだそうです。

米空軍の塗装をしていますが真っ赤なウソで、1951年に製造されてからカナダ空軍に配置、その後1957~1979年まで南アフリカ空軍で使われていました。退役後はフライトシステムズという飛行試験を行う会社で追随機として活躍したそうです。同社は複数のカナディアセイバーを使っていたそうで。
追随機に転職するに当たり改造を受けて機銃は撤去されたそうですから、火器面ではこの機体の原型度は微妙だ、ということになります。内部まで復元したのか分かりませぬが。



その隣りに置かれているノースアメリカンF-100Cスーパーセイバー(1953年・85機目)これもめちゃくちゃ磨かれてるなぁ・・・よほど好きなのか暇なのかのどっちかですね。
傑作戦闘機F-86セイバーの後継機として開発された戦闘機で、だから超刀。ちょっと安直じゃないかなぁ・・・。
それでも世界初の超音速戦闘機です。アメリカ空軍狂気の戦闘機軍団「センチュリーシリーズ」の第1弾でもあります。でもそれだけで、あとはあまりパッとしないんだなこれが。
制空戦闘機として開発されたはずなんですが、当時の米空軍は戦略空軍に牛耳られていたので制空戦闘機という機種は存在せず、戦闘爆撃機か迎撃機しか許さないという有様でした。なので制空戦闘機のF-100は戦闘爆撃機としてその存在意義を見出しました。それでもベトナム戦争では目立った活躍はなく、MiG-21はおろか自分より旧式のMiG-17やMiG-19にもやられる始末。
P-51やF-86といった傑作機を生み出したノースアメリカンも最早ここまでで衰退していき、最後に断末魔と言えるF-107(いずれ出てくることになる)を開発して消えてしまいました。ショッギョムッジョ。



この時期の米軍機はミサイル万能論がはびこって機銃が装備されていないんだよ、という話を聞きますが、まあデタラメでして、このように20mm機関砲を4門も装備しています。でも、ここに装備していたのは知らなかったので、あれまこんなところに・・・という。



制動板が展開されています。これもこんなところに。
C型は主翼にハードポイントを追加して、増槽や爆弾を取り付けられるようになっています。本格的な戦闘爆撃機はD型からなのですが、C型でも使えるには使えたようです。それと、空中給油もできました。



超刀と刀。こういう並べ方は好きですよ。



奥にはエンジンもありました。F-100のJ57じゃないかな・・・?

こんなところで今日はここまで。


その28へ→

UVICでバス撮影【2015/10/16】

2017-10-25 23:53:15 | バス・航空機撮影記

何かの用事でUVICことビクトリア大学に来たと思うんですが、そのついでにバスでも見るかとなったわけです。
ビクトリア大学のバス停「UVICエクスチェンジ」は様々な系統が乗り入れてくるジャンクションになっていて、ダウンタウンに次いでバスが頻繁にやってくる場所です。

ついでなので特に目的はなかったわけですが、折り返し待ちで停車しているNova LFSを見つけてその後部を撮影。
BCトランジットの主力車両であるLFSは製造時期によって細かい部分が異なります。BCトランジットには第3世代(2009~2013年式)と第4世代(2013年式以降)が在籍しています。
第4世代からはエンジンが環境基準を満たしたものに変わっていて、それに伴いエンジン周りの外装も形状が変わっています。他の部分で変わった点はなかったはずです。地味な違いなんですよ。



これが第3世代車。
屋根後部にドカンと乗った冷却装置が他社のバスでは見られない特徴ですかね。この屋根上機器は第3世代からの特徴で、それ以前は客室最後部にオフセット配置されていました。



こっちが第4世代車。
冷却装置のグリル形状が変わった、テールランプ上のスリットが消えた、冷却装置キセ側面にスリット追加、キセの形状が車体と一体感を持ったものに・・・といったところですかね。
第3世代と比べて全体的にさっぱりしたような印象です。
そのうち役立つだろうと思って記録したんですが今のところその様子はないですねぇ。



他のバスもいるので見てみましょうか。NFI D40LFのリアはこんな感じ。潔い!という他ありませぬ。
ちなみに後部行先表示器は系統番号だけを表示します。どこのバスを見てもこんなものです。その左にある"Yield"つまり「道を譲って」という表示もあります。必要な時はあれが光ったり躍ったりするんだったはず。



ハイブリッドバスのDE40LF。窓の部分には何かの機器が乗っているのでしょう、窓は塞がれています。
観光用バスなどを中心に、後部窓が無いバスというのはこっちでは珍しくありません。まあ確かに必要性は薄いわな。



バスも頻繁にやってくるので撮影。
D40LF (8114 新塗装) #39系統。



D40LF (8095 旧塗装) 回送。昼過ぎからはバリ順で撮れるのでご満悦。



AD Enviro 500H (9527) #4系統。ありゃ、ハイブリッド車じゃないですか。これ、1台しかいないので貴重ですよ。
会えるかどうかは運任せだったので、ようやく見れたかという感じ。やったぜ。



ハイブリッド車なのでこれにもバッテリーが追加搭載されているわけですが、2階建てバスゆえもうこれ以上屋根に積む訳にはいきません。
じゃあどこにあるかというと、1階の客室後部の空間を食ってバッテリーを載せています。車体のHybrid poweredの文字の下にアクセスパネルがあるのが分かると思います。あそこは本来客室ですが、そこを使っているのですな。
なので通常のディーゼル車よりも定員が少ないのですが、これも地球環境のためなのだ。



LFS (9434) #16系統。
屋根にエアロパーツのような覆いが付いている車両。これも1台だけの希少種。
屋根に覆いをつけて屋根まで一体感を持った流線型に見せるという手法は近年のカナダのバスの流行りであり、よく見られるものです。
ただLFSの覆いはちょっと迫力に欠けますね。NFIのXcelsiorシリーズの覆いは好きです。



Enviro 500 (9530) #76系統。#76系統というのに注目でして、これは行楽用の系統です。
金曜日の午後にUVICからスワーツベイ行きの便が、日曜日の夜にスワーツベイからUVIC行きの便がそれぞれ数便走るものです。スワーツベイからはバンクーバーやソルトスプリング島などへ向かうフェリーと接続しています。
つまり週末そこへ遊びに行く大学生を運ぶための系統なのです。乗車待ちの人たちがみんな大きいバックパックやスーツケースを持っているのが分かると思います。



出発。なかなか良い乗車率でした。
LEDの照度が弱いのが残念・・・。

ここら辺で撤退。
結構収穫があったので満足して撤退できました。



帰りにチャリをこいでいるとハンディダートが。ありゃりゃ、あれはSOM28Dの最新ロットじゃないですか。



後追い。急に現れたのでちゃんと構えることが出来ずほぼ撃沈。
従来型との違いは方向幕の形状、灯具の形状変更などマイナーチェンジ程度のものです。とはいえネタの少ない地域ですのでLFSでもそうでしたがこういう細かいのに反応してしまうわけです。

そんな感じで今日はここまで。

朝練でBCトランジット撮影【2015/10/06】

2017-10-24 20:14:30 | バス・航空機撮影記

2015年10月6日。
弊ブログでたまに出てくるBCトランジットの長距離通勤系統の#66,#99系統ですが、撮影するのはいつも夕方の帰宅便だけで、朝に郊外からビクトリアへ向かう出勤便はまだ撮影していませんでした。
というのも、当時の仕事のシフトが夕方~深夜だったので朝起きるのがクソネミでだるかったんですね。とはいえいつまでもこの調子じゃいかんとどうにか体を叩き起こして朝のダウンタウンへ向かったのでした。



日本と同じで平日朝は昼間や土休日には見られない系統が走ってくるのでお得です。
これはNova LFS (9386) #32系統。通常はビクトリアの北を数時間に1本の頻度で走るローカル系統ですが、平日通勤時間帯はダウンタウンまで直通して乗り入れます。



FLS (9440) #27X系統。#27系統は終日走っていますが、急行運転する#27Xは通勤時間帯だけ。



目当てが来ました。LFS Suburban (9295) #66系統ビクトリア行きです。ビクトリア方面へ向かうバスの行先表示はDowntownなのかVictoriaなのか気になっていましたが後者でしたか。
#66系統「ダンカンコミューター」はダンカン Duncan からやってくる平日のみ走るダンカンからビクトリアへの通勤用の長距離系統です。
5:30~6:30までの間に4便あり、全線の乗車時間は70~80分間ほど。朝はダンカン→ビクトリア、夕方はビクトリア→ダンカンのそれぞれ片道運転です。逆向きは無し。することのない車両は昼間の間昼寝しています。贅沢な運用だなと思います。
車両は専用のLFS Suburbanという扉が前方1箇所しか無い長距離用のバスを使っています。車内も座席がハイバックシートで長時間乗車に配慮されています。
1回ダンカンまで乗ってやろうかと思いましたが、帰りの手段がやはり無いのでしぶしぶ諦めたことが。
余談ですがダンカン行き(帰宅)の最終バスは17:15発でありまして「圧倒的定時退勤の舞・・・!」と愕然とした思いが。ちなみに初便は15:45。こいつらの労働スタイルどうなってんだ?



LFS (9481) #70系統。フェリー乗り場のあるスワーツベイからダウンタウンまでを急行運転で結ぶ中距離系統。
#70は急行運転するので少し前までは#70Xと急行系統を示すXが付いていたのですが、2015年9月ダイヤ改正で全便急行運転しかしない系統からはXが外されました。
原則各停運転で一部のみ急行運転する系統については引き続きXが付きます。上記の#27Xのように。
急行運転するならXを付けといたほうが分かりやすいんじゃないかと私は思いますが。



AD Enviro 500 (9511) #61X系統。
#61系統も通勤時間帯は急行運転があります。
#61自体もダウンタウンへ直通する便は一部だけで、大半は途中のランフォードで#50系統に化けてからダウンタウンへ向かいます。化け系統なのですよ普段のコイツは。



AD Dart SLF + Plaxton Pointer 2 (9067) #25A系統。
てコルウッド・エクスチェンジ行きというのがミソです。アドミラルス・ウォーク行きが通常のところ、延長してここまで行く便は少ないのですよ。まあこれを読んでいる人ほとんど何が良いんだか分からないと思いますけど。ちなみに執筆時点ではここまで行く便は廃止されてしまったようですね。

Dart SLFは全長35ftの中型バスです。運用に入る系統は限られていて、#25,#3など少数(大型車での運行もあり)。ただどちらもダウンタウンに来るので待っていれば見れます。



NFI D40LF (9819 新塗装) #22系統。



アイランドリンク・バスのFord Transit。フォード トランジットは本来軽貨物用のバンですが、ミニバスみたいな使い方もできます。
この車の場合、屋根の高いハイルーフ型なんでしょうけど、高さがハイエースの比じゃないのでやや異形に見えますな。



LFS (9390) #15系統。
これも元は#15X系統でしたが全便急行運転なので先述のダイヤ改正でXが外されました。



D40LF (8114 新塗装) #71系統。行先表示器の周りが黒塗りされていない通称、白坊主(黒鉄重工コードネーム
#71も通勤時間帯のみの系統なのでこれも見たかったやつです。



ガーデンシティ交通のBlue Bird Conventional。スクールバスですね。
スクールバスにはA~D型までの規格があるんですが、これの場合ボンネット式の大型車体なのでC型となります。最もよく見かける型でしょう。

スクールバスはバスの車体装荷メーカーが自動車メーカーが生産するシャーシの供給を受けて、そこにスクールバス用のボディを載せるという方式が普通です。
Conventionalの場合1960年代~2006年までの長い間生産されたスクールバスでして、その間に何度もシャーシが変わっています。フォード、ダッジ、シボレー、インターナショナルなど・・・。
これの場合だと、インターナショナル3800型のシャーシを使っているので、1989~2004年製の車両だと思われます。



トフィーノバスのMCI 102-D3 (T21)。
トフィーノはバンクーバー島にあるリゾート地でして、太平洋の荒波がサーファーに人気です。とはいえ海沿いの町ながら結構"奥地"にある場所で、ビクトリアからバスで行くと320kmを6時間かけて乗り通します。なかなかキツイぞこれ。



LFS (9431)。バスの走る様子が表示器に映されていました。ここでもこういうのがあるのね。たぶん回送なのだと思いますが。



さらにWelcome Aboard(ご乗車ありがとうございます)の表示を出すLFS (9335)まで。
どういう基準で出しているのか分からず。案外運転手の気分だったりするのかも。



DE40LF (9101 新塗装) #6B系統。
系統番号のBは運行経路の種類。#6,#6A,#6Bの3種類ありまする。
DE40LFは行先表示が2段表示になってます。通常は行先と経由地を交互表示。



クルーズビクトリアのMCI D4500CT。観光バスです。



通りがかったモーターホーム。日本語で言うところのキャンピングカー。
モーターホームにも色々ありますが、これはA級という規格。バスをベースにした大型の車両で、内装も豪華。とにかく広いので家にいるのと同じような生活ができるとかで。
アメリカ的と言えますがやはりお値段が張るのでお大臣様専用車です、ええ。



目当てのバス、LFS Suburban (9291) #99系統ショウニガンレイク・コミューター。これも通勤用長距離系統でショウニガンレイクから発着しています。他は#66系統と同様の運行です。



Enviro 500 (9042) #70系統。でも消えたはずのXが付いていました。まだ表示器の更新が終わっていなかったのかな?

朝練はこのくらいにして撤退。安飯を出してくれる食堂で朝飯にしました。どこだか忘れたので調べたらFresko Fine Foodsという店でした。地元民しか行かなさそうな店でした。
トーストと目玉焼きとコーヒーで5ドルしなかったかなと。値段相応といった感じで、それなりに良かったです。内容はともかくこの値段で食べられるというのはどこの店にでもあるわけではないのでありがたいです。朝飯を外で食べることがなかったので、その後また食べに行くことはなかったんですけどもね・・・。

今回はこれでおしまい。

【1/100】EB-06グレイズ(アリアンロッド艦隊所属機)【ギャラリー】

2017-10-22 19:45:57 | 模型ギャラリー

■キット:バンダイ 1/100グレイズ一般機/指揮官機
■仕 様:アリアンロッド艦隊所属機
※製作記はありません



機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズよりグレイズを作りました。
このMSは地域ごとに塗装が異なるのですが、今回はアリアンロッド艦隊のエメラルドグリーンで塗りました。劇中ではやられ役なんですけれどもね。
1/100のガンプラは久々な気がしますが、部品分割が細かくて部品も大きめなので塗りやすくていいですね。場所を取りますが、それでも飛行機や車よりも省スペース。



横。
バックパックは地上用と宇宙用からの選択式ですが、アリアンロッドなので宇宙用をば。



後ろ。
製作中の写真は記録してあるんですが、なんだか見せるところもないので今回も製作記は無しです。最近こんなのばっかだな。



上半身。
ギャラルホルンのマークは鉄則として、その下のCBは母艦の略号という設定。元は余っていたガンダム00のデカール・・・。
左肩の機体番号も鉄則。901はグレイズの語呂合わせですが、902の方がより完璧でしたね、これ。
その横の円状のマークは部隊章の設定ですが、これも余った飛行機のデカールから拝借してきました。見ただけじゃバレへんバレへん。







下半身。
膝の装甲が少し出っ張っているのがちと気に入らないなぁと思いました。ツライチのほうがかっこよくないか?
まあ直す気もなかったんですけど。







頭部装甲内の球状センサー。正直、手抜いた(反省







ライフルは好きな形状ですけど、ちょっと遊びづらいかな・・・?















地上用バックパックも装着。



















以上、グレイズでした。

SLフェスタとポプサミをハシゴする 後編【2016/10/22】

2017-10-19 22:06:05 | 鉄道撮影記

掛川城でのポプサミから再び大井川鐵道のSLフェスタへ移動。
千頭からのSL急行が到着する頃を見計らって移動してきたので、ちょうどC10形8号機の「かわね路」14号が入換作業を行っている最中でした。
写真だけだと新金谷を出発して金谷駅まで行っているようにも見えますが実際は客車を転線させるために分岐器の外側まで列車を押し出している格好です。
SLフェスタということもあってこの日は展望車のスイテ82形も連結されていたようです。



個人的に今回の目玉として注目していた井川線の体験乗車。前編でも話したとおり山奥からわざわざ客車と機関車を下ろしてきて、新金谷駅から分岐する大代側線で百m前後を往復するというものです。
旅客列車の営業運転では使われない大代側線の上を堂々と乗ることができるという点でも注目です。まあ今回は乗らなかったんですけれども。



井川線と近鉄とSLが一緒に写っている光景。なんだこれ。ごった煮が過ぎているぞ。



さて陸橋を降りてみます。もう時間も遅いし客もいないしで今日の運転は終了かな・・・と思いましたが、あと1便だけ走ったら終了とのこと。乗るか撮るか二者択一で悩みましたが、撮ることに。いぶき君は乗りました。



ゆっくりとした速度で大代側線を進みます。機関車はDD20形6号機聖号と客車+制御客車という最小編成。



折り返しは踏切を渡る所を撮影。
大代側線はめったに使われない線路なのでこの踏切も開かずの踏切ならぬ閉まらずの踏切なのですが、その割には良い設備を持った遮断器でしてそのギャップが好きなのであります。大代側線名物と言えます。
ただでさえ踏切が閉まらないのにそこをあろうことか井川線が走っているというのが良いのです。



井川線に満足したので新金谷駅へ戻ります。駅舎から見て線路の向こう側つまり今我々がいる側というのは公園になっているのでそこから車両区の様子が見放題になっています。
そこにいぶき501号機がいたのですが、なんだかいつもと様子が違う。
・・・よく見たら車体の裾に白帯が塗られている上に雪かきも付いていますね。これ、前職の大阪セメント伊吹工場時代の形態じゃないですか。朝見た時は気が付かなかったな。
これはサプライズだったようで、いぶき君はそれはもう大喜びでした。なおSLフェスタの2日間だけのお姿でした。



客車を入れ換えするE10形2号機。
世が世なら工場の専用線から再就職した電気機関車と、独自色に塗り替えられた国鉄払下げの旧型客車で組まれたような地方私鉄の客車列車ですねぇ。
短編成の電車/気動車とコンパクト化された線路の地上設備が相まってこういうゴチャッとした入換作業も珍しいものになったんじゃないでしょうか。分岐器を何本も渡って列車をうねうねさせる姿はついつい時間を忘れて見入ってしまいます。



その後到着した「かわね路」2号のC11形190号機の転車台回転を見物。



見るもん見たので帰ります。金谷までは7200系でした。これに当たるとちょっとうれしくなる。



なお臨時列車だったので方向幕が「臨時」でした。特にオチなし。

以上です。おしまい。

SLフェスタとポプサミをハシゴする 中編【2016/10/22】

2017-10-17 23:52:49 | 鉄道撮影記

大井川鐵道のSLフェスタはSLの居ない昼間は暇になってしまいますのでその間一時離脱して、同日掛川市で催されているかけがわポップカルチャーサミット(通称ポプサミ)というのに来てみました。アニメ系のイベントですね。
なんでまた掛川でって感じはしますが。

会場は掛川城の敷地内でして、掛川駅から行くとお城までの駅前通りを通ることになります。その道路がなんだか痛々しいですねぇ。
イベントの一環で痛車を飾っているのですね。



トヨタ セラにボーカロイドのGUMIのラッピング。
セラは1990年代に販売された車で、従来高級車にしか付いていなかったガルウィングドアを量産車に実装したのが特徴です。
窓ガラスの面積がやたら広く天井にまで届いているので、夏になったら温まっちゃっていいですねぇ~。きっと蒸し焼きだ。
ラッピングは全身に貼られていて、気合は今回の中で一番だったんじゃないでしょうか?



ホンダ エブリィの諏訪姫。
諏訪姫はいいぞ。



ダイハツ コペンのエイラーニャ。エイラーニャもいいぞ。
コペンは一度乗りましたがクッソ狭かった印象しかないです。運転してみたら感じも変わるんでしょうかね?



スバル インプレッサのバルクホルン。
青い車体に金ホイールのインプがやはり落ち着きます。



トヨタ プリウスのガルパン。

他にも色々ありましたが痛車はこんな感じでした。

この後は三の丸広場で行われる三木眞一郎さんと吉岡亜衣加さんのトークショーを見物。
三木さんは「ああ本物だぁ、イケメンやなぁ」という風に勝手に感動しとりました。吉岡さんは最初誰だか分からんかったのですが、薄桜鬼の主題歌を歌った人だと聞いて思い出す。
薄桜鬼はたまたまテレビを点けてた時にやってたアニメを何話か見た程度でしたので、2人の接点が薄桜鬼だったこともあってその話題の時はついていけず。ただ分かる人たちからは歓声が聞こえてきました。



別にも会場があるとかで、大日本報徳社の大講堂に来ました。ここでもトークショー会場になるんだそうな。
でもこれ、ただの建物じゃないというか明治時代の雰囲気がします。基本的に日本建築なんですが、2階なんかは洋風の意匠が取り入れられていますね。
調べたら1903(明治36)年竣工だそうで、やはりただ者じゃないなと。ここはまた機会を見つけてゆっくり見て回りたいです。



ら、来夢先輩じゃないですか!でも横にあるバイクはホンダ・・・。カワサキは手元になかったんだろうな。
ばくおん!のトークショーがこの後行われるとのことだったので、それに合わせたやつでしょう。
ばくおん!トークショーは魅力なので、後で聞きに行くことにしました。



トークショーまでの間、掛川城を見てみることに。ここに来ること自体随分とご無沙汰でしたからね。
まずは二の丸御殿から。
御殿の建物は意外と現存例が少なく、掛川城の他には二条城、高知城、川越城の4箇所のみ。極めて貴重な例と言っていいです。
掛川城の二の丸御殿は地震で倒壊した御殿を1861(文久元)年に再建したものです。



三の間。
城主と家老に用のある場合に通される部屋。だいたい用事はこの部屋で済ませるそうな。
壁に掛けられている着物は打ち掛けです。



建物の造りは書院造です。現代まで続く和風建築の基本です。



謎の天井。
たぶん裏にニンジャが隠れている。



畳張りで庭付きの側が城主などが過ごす表側だとすると、御殿の裏側は家臣などが過ごすところです。
ここは勝手口でしょうかね。
床は板張りで窓も少ないので部屋は暗く、ずいぶんと差別化されているのだなという印象でした。



家臣側の区画には資料なども展示されています。
これは車長持という収納用の木箱。名前通り車輪が付いていて、転がして移動することが出来ます。キャスター付き収納箱の先祖ですかね。
便利だったわけですが、1657(明暦3)年に江戸で発生した明暦の大火で、みんなが一斉に車長持を転がしながら避難したため路上が車長持で溢れて避難が妨害される事態になりました。ちなみにこの明暦の大火は史上最悪の火災のひとつで、少なくとも3万人が焼死してしまったと言われています。
この車長持が被害拡大の一因になったことから、以降江戸、京都、大阪といった大都市では車長持の製造や使用が禁止になりました。
その後普及した長持が、竿を通してから担いで運ぶ形のものでして、この時の竿が後のタンスの数え方の由来になったというのは有名な話。
一方、地方では引き続き使用できたのでこのように残っているわけですね。



大目付の部屋。
大名を監察して謀反を起こさないか見張ってる仕事。

二の丸御殿はこんなところです。



十露盤堀。形がそろばんに似ているからというのが由来だそうな。本当のところは分かっていないのが実情。



当時の掛川城はこんな感じでした(適当



天守閣へ討ち入りします。
天守閣は1854(安政元)年の地震で倒壊して以来再建されていなかったのですが、老婆の1億円の寄付がきっかけで再建の動きが始まり1994(平成6)年に竣工。
復元天守では初めて木造での復元がされました。ただしこの復元は設計が似ているとされる高知城の天守をもとに推測によってなされた部分が大きいという点には注意。



中は博物館チックにされておらず、ちゃんと天守閣になっています。



最上階。
ちっちゃいんですが、まあ身の丈にあった大きさなんじゃないかな。



掛川駅の方向を見る。

二の丸と天守を見たらいい感じに時間が潰せたので大講堂に戻ってばくおん!トークショーを聞きに。
ゲストは佐倉羽音役の上田麗奈さんでした。
最後まで話を聞き終えたら、再び新金谷駅のSLのフェスタ会場へ戻ります。


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SLフェスタとポップフェスタをハシゴする 前編【2016/10/22】

2017-10-16 20:44:41 | 鉄道撮影記

2016年10月22日。
秋の大井川鐵道の恒例行事「SLフェスタ in 新金谷」がやってきました。この年は目新しい内容が目についたので行ってみることにしました。
さらにこの日は、近所の掛川市でも「かけがわポップカルチャーサミット」というアニメ系のイベントをやっていたので、途中金谷を抜けだしてこっちにも行くことにしました。

さて静岡駅から電車に乗るわけですが、反対のホームに373系の「ホームライナー」が停車していましたので撮影。
何の気なしに撮ったものでしたが、半年後の翌年3月のダイヤ改正でヘッドマークが文字だけから絵柄入りに変更されましたので、今となっては過去の姿の記録に。
ただ、この文字のヘッドマークは字の大きさがものすごく小さくて見づらく、もうちょいマシにならんのかと前から感じていたことだったので、この度の変更は良かったのだと思います。



金谷駅で大井川鐡道に乗り換え。ここで前回サイコロで見事に騙されたことで知られるいぶき君と合流。
21001系に乗って新金谷駅まで。



SLフェスタは春と秋の年2回行われますが、春は千頭駅、秋は新金谷駅で開催するのが今後通例となっていくのだそうです。千頭駅の川根本町と新金谷駅の島田市の両沿線自治体への配慮も含まれているのでしょう。
今回の目玉は蒸気機関車3機が1列に横並びするという演出。出庫から客車と連結し列車を組成する間の僅かな時間を使っての演出ですので、混むわ混むわ。



千頭駅での横並びの時と違って線路には入れないので、柵の外からの撮影となります。まあ仕方ないなと思います。逆光になるのも仕方ないです。
並んだ機関車は左から順にC11形190号機、C11形227号機、C10形8号機となっています。
2016年は大井川鐵道でSL列車を運行し始めて40周年でして、それを記念したヘッドマークが装着されています。これらは確かフェスタ終了後オークションにかけられたはず。
よくそんなに長いこと続いているなと驚くと同時に、今後も末永く続いてまた驚かせてほしいなと思います。



ケツの方は人気がなく比較的がらがらでした。



227号機のナンバープレートは、この時だけ青に塗られたものが装着されていました。
ナンバープレートの色は他にも赤とか緑とかあって、機関車の状態の良さによって色が決まっていたり(良い順から赤→緑→黒だったそうな)各地の管内に点在する機関区ごとに色を分けて所属が分かりやすいようにしたり・・・という決め事があったのだそうです。
今回の227号機の青がどういう意味だったのかはちょっと覚えていませんが・・・。



転車台のヌシC12形164号機はぼっちでした。かなしい。
ところが、これを動態保存化するという動きがいつだかに報道されましたね。既存の機関車の負担を減らすためというのが目的のひとつだった覚えですが、そのために在来の機関車の運用を減らすのではなくて新しい機関車を投入してそれにいくらか肩代わりさせよう、という考えができるのがここの強みだと思いますよ。



SLの検修庫を見学。こちらは有料となっております。
検修庫に入る前に電車の車庫を見られるんですが、そこにいたのが電気機関車の3並びでした。蒸気機関車に対抗しているのか知りませんが、これはこれでたまらない並びでした。
左からE31形、いぶき500形、E10形です。



車庫の奥には井川線のcワフ4が置かれていました。
今回のSLフェスタでは井川線の車両が新金谷から分岐する大代側線で往復数百mの体験運転を行っています。

そのためにわざわざ千頭の山奥から降りてきたわけですが、井川線の車両は千頭から先の大井川本線は走られないため本線の電気機関車に引っ張ってもらってここまでやって来ました。
ところが井川線と本線の車両とでは連結器の高さと大きさが異なるので連結できませぬ。そこでこのcワフ4の出番です。
cワフ4は普段は井川線用の連結器を付けていますが本線用の連結器を取り付けるアタッチメントが付いていて、今回のような場合の時にそれを使って本線用連結器を装着し、両者の車両をつなぐ架け橋となっているのです。



蒸気機関車4機の内3機は外に出ているので検修庫にいるSLは自ずと限られてくるのですが・・・。

・・・なんだか見ちゃマズいものを見せられたような気がしますぞ。いいのか、これ。
肝心の"お面"はさすがにどこか見えないところに置かれているようですが。



227号機が戻ってきました。出番が来るまで一旦休憩ですかね。



SL運転40周年ということは227号機がここで運転を始めてからも40周年ということです。



スタンプラリーが開催されていて、会場各所にあるスタンプを全部集めるとくじが引けるというやつです。これもやってみようということになり、そうなると自ずと各展示物を巡ることになります。
これは保線で使う高所作業車ですね。



阪急観光バスの日野セレガHD2台(左右)といすゞガーラSHD1台(中央)。SL乗車の団体さんが乗ってきたんでせう。
SHDはHDよりも全高が高いのだ・・・というのが分かりますね。



次にホームへ入るとC10形8号機によるかわね路13号が待機していました。もうすぐ発車ですね。



そんなことを余所目に我々は側線に停まっている見慣れない列車を見ます。E31形E34号電気機関車と14系客車です。
EL急行はいずれこんな編成になっているのだろうなぁと少し期待を抱きますが、一体いつになるんだろうなぁ・・・と。

E31形は搬入された2010年から数えてもはや10年は熟成されるのだろうと見込んでいましたが、ところが2017年に入ってから唐突に運転開始へ向けた整備を始めて、同年10月からついに7年越しのデビューを飾りました。やっと過ぎて感慨も枯れ果てた感じですが、いざ見てみるとやっぱり嬉しい(見に行った



一方、現状梯子を外された格好になっている14系クン。
2016年に搬入してからすぐに整備に入りましたが、4両中3両の整備が上がったところで音沙汰がなくなってしまいました。2017年夏頃に運転開始すると案内されていましたが、いつの間にか誰も話さなくなり有耶無耶にされていますね、この話。
14系整備中に何か大きな問題が発生して進捗が止まったのか、E31形を急遽運転にこぎつけなければならない必要に迫られたのか・・・というところでしょうが、真相は今のところ分かりませぬね。

せっかく綺麗にお色直ししたのに、この時から1年以上寝かされることになるとは・・・という感じです、今見返すと。



まだ整備を受けていない14系。この14系はJR北海道の急行「はまなす」で使用されていたものを譲り受けたものなんですが、はまなすは確かにこんなぼろぼろの雰囲気だったなと少し懐かしくなりました。



かわね路が発車後は上りの16000系に乗って金谷駅へ。
JRに乗り換えて掛川駅まで乗り、かけがわポップカルチャーサミットへと出向きます。

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北米project 4 ~Is the order a warbird? その26【2016/03/04~10】

2017-10-14 20:52:25 | 海外旅行記

2016年3月5日(土)11時20分
カリフォルニア州チノ ヤンクス航空博物館 レストアハンガー

ヤンクス航空博物館にある3棟の格納庫のひとつスターファイターハンガーの内半分をやっつけました。スターファイターハンガーから繋がる第3の格納庫がレストアハンガーです。
ここは文字通り蒐集した航空機の復元作業を行っている区画です。修復中の航空機が所狭しと何機も並んでいます。なんちゅう空間だ・・・と。



復元中のグラマンTBF-1アベンジャー(69機目)。
アメリカ海軍の雷撃/爆撃機です。詳しいことは今回は割愛。
TBFにはグラマン製の他にゼネラルモーターズでライセンス生産された機体もあって、それはTBMという型式番号が与えられています。現存機はほとんどがGM製のTBMなので、グラマン製TBFというのは貴重なわけです。
復元にあたってどの程度原型を維持するのかというのはよく分からないのですが(この日は復元は休みのようだったので話も聞けなかったですね)、このTBFの場合外板はほとんど作り直されてるんじゃないかな?
エンジンカウルの一部はネイビーブルーの色をしていて、ここはもしかしするとオリジナルの部品かもしれません。



セスナUC-78ボブキャット(1939年・70機目) キャットだからグラマンだろうと思ったら実はセスナ製だったでござる。
セスナの初期のヒット作で、初めての客席5席の民間双発機だったそうな。セスナでの呼称はT-50。
軍も目をつけて、アメリカ陸軍が練習機としてAT-17の型式で採用。爆撃機用の練習機でしょうね。その後どうやら連絡や輸送にも使えそうだと気づいてUC-78としても採用されました。
骨組みに金属と木材を混用しているのが特徴の機体です。主翼に至ってはどうも全木製です。ちょっと設計が古いかなと思わんでもないです。こういう機体なので外板はもちろん羽布張りです。

この機体は1943年10月11日にアメリカ陸軍に納品されましたが、なんでか翌日にアメリカ海軍に転属してしまいます。型式も海軍式にJRCに改名します。1945年10月に退役して、1991年にヤンクスが購入したとか。そして今復元中というわけですかね。機体の収集後も修復してきれいになるまでにはかなりの順番待ちがあるようです。



ノースウェスタンGC-4A(1942年・71機目)
前前前回くらいに文字だけで説明した使い捨て輸送グライダー。C-47などの輸送機に曳航されていました。
これもまだまだ復元途中という感じ。



外に出てみます。あらゆる飛行機が置かれています。あるものは完全体だったりまたあるものは一部だけだったり。宝の山、でしょうねぇ。
翌日訪れる鉄道博物館でも感じたことですが、アメリカ人にはこれは価値のあるものだと思ったら、ちゃんと整備されていない機体でも蒐集してしまう癖があるようです。そしてまだぼろぼろの状態でも意外とすんなり見せてくれます。
ここら辺は「物さえ残っていれば、あとは何とでもなる」という考えがあるように思えます。後から価値が出てきても物が無くては意味が無いので、こうしてひたすら蒐集してくれる人たちというのはありがたいです。



あんまり奥まで入れない雰囲気だったので出入り口周辺でウロウロ。



セスナT-37ツイート(1954年・72機目)
ジェット練習機です。これでも初等練習機なのじゃ。
胴体だけ2機分置いてありました。主翼や尾翼はごっそり欠けているんですが、どっかに発生品があるだろうなという謎の安心感があります。



シコルスキーHH-3Fペリカン(1961年・73機目)
SH-3シーキングの派生型でアメリカ沿岸警備隊仕様の機体でごわす。これもローター周りの部品が外されている状態。
これら格納庫のそばに置かれているということはそのうち復元の順番が回ってくるということでしょうか?



ロッキードEC-121Tワーニングスター(1949年・74機目)
これは復元待ちではなくてちゃんとした展示機。ただしデカすぎて格納庫に収まらんので外に置かれているのかと。
スーパーコンステレーションかな?と思ったらちょっと違うやつだった・・・。
ロッキードの40人乗り旅客機L-1049スーパーコンステレーションを原型とした早期警戒機です。胴体の上下に巨大なレーダーを搭載していました。特に上部のレーダーは現在のようなレドームではなくラクダのコブのように機体に直付けされていたので中々異様です。
ただし上部レーダーはこのT型のように後期型では撤去されています。
下部レーダーは機体の重心点に大型のものが取り付けられています。写真だとちょうど影が出来ているところ。



シーキングとシコルスキーS-55(75・76機目)



グラマンHU-16アルバトロス(1947年・77機目)
前々回くらいに見たアメリカ海軍のグラマンJRFグースの後継機として開発された飛行艇です。主任務は海上に不時着した飛行機パイロットの救出です。なので外洋でも着水できる能力を持っています。主脚の構造がなんだか独特なだと思います。エンジンの下からアームが伸びています。
なかなか使えたようで、米海軍の他にも空軍や沿岸警備隊でも運用、また輸出もされています。日本でも海上自衛隊や研究目的で新明和工業にも輸出されとります。
これはもうほとんど復元を終えたという感じで、これから展示・公開へ向かうのだと思います。ただ置き場所が既に無いよな・・・。



再び格納庫内。
カーチスP-40Eウォーホーク(78機目)がいました。P-40は常設展示されているはずなのに見かけなかったので変だなと思っていたんですが、ここでばらされているとは。
注目は機首が分解されているところで、特にP-40名物のクソデカい顎の中が見えます。あの顎の内側には空気取入口のフィルターがあり、そこには3本の空気取入口が通っているのだというのが分かります。



主翼。手前の無地のやつはF6Fのやつだそうです(そうメモ書きしてある
奥のプライマー塗布済みのやつは分かりましぇん。



チャンスボートF4U-4コルセア(1940年・79機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機。最初は使えない子扱いされて主力の座をグラマンの性悪女に奪われたけど、その後改良を重ねてそのポジションを奪還した苦労人。
大出力エンジンの馬力を活かしたいからプロペラは長めにして、空気抵抗も減らしたいから胴体は細めにしていったら最終的にこうなったって感じのやつ。

エンジンとコックピットの間の空間がやたら長いのが気になります。ここに過給器やら何やらを詰め込んでいます。F6Fあたりだと胴体が太い分前後の長さを圧縮できるんでしょうけど、胴体を絞ったF4Uだとこんだけの長さになったということでしょうか。



F6Fの胴体。ちゃんとリベットを打っているのだというのが分かります。



使い捨てグライダーGC-4A。
あまり大きくないなという印象で、こりゃジープを収めるのがやっとというところです。
どこから貨物を出し入れするんだろうと思ったんですが、機首の部分がガバチョと開きます(リンク先参照)。ボーイング747の貨物機とかC-5輸送機なんかと似たような感じです。
骨組みは金属と木材の混合で、外板は羽布張り。空気抵抗なんか知ったこっちゃないという四角い胴体で、割り切っていますねぇという感想。
胴体側面の木の枠は、右の台形のやつは窓で左の五角形の枠は扉です。これの機内には兵員輸送用の長椅子が置かれていますが、座布団などは見当たらないです。



尾部。まさに鋼管骨組み。
一方で形状が複雑になる尾翼は木材の削りだし(?)でちゃんと使い分けがされているのかな?と。



カーチスSB2C-3ヘルダイバー(80機目)。これ初めて見るやつだ。
アメリカ海軍の急降下爆撃で、SBDドーントレスの後継機。でもクソ野郎と呼ばれる程度の性能だったそうな。



エンジンマウント部。

とまあレストアハンガーはこんなところでした。
これだけの修繕体制が整っているのには驚かされるばかりでした。というか、戦後70年経ってもまだレストアする当時の機体が残っているもんなんですね。

次回からまたスターファイターハンガーに戻ります。


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