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大井川鉄道で日帰り温泉 後編【2018/10/16】

2025-01-26 22:35:55 | 鉄道撮影記
寸又峡温泉の公衆浴場に浸かってさっぱりしてきました。
そろそろ帰りのSL急行が出発する時間なので、今日のところは帰ります。


例の激推しバス乗り場で待ちます。至福のひととき・・・!


このやたら折れ曲がっているバスへと続く階段もまた良いものです。きっと繁忙期は観光客で行列ができるのでしょうね。
帰りもあの狭い県道を通って千頭駅へ戻ります。


千頭駅からはSL急行かわね路に乗り換えます。編成はC11形190号機+客車5両+E101号でした。


このときの190号機は期間限定で門鉄デフという特殊な形状の除煙板を装着していました。これも今日の目当てのひとつです。
門鉄デフは九州の門司鉄道管理局小倉工場で考案された除煙板の形態です。除煙板は通常機関車のランボードから直接板が取り付けられているんですが、門鉄デフは下半分をステーにすることで整備時の作業性向上を企図したものです。見た目にもかっこいいのでファンに人気のある形態です。


ステーの形状から除煙板が前に飛び出たような格好になっており、かっこいいのです。190号機は九州で働いていた機関車なので門鉄デフが付けられたのです。
さらにランボードの側面などがステンレス板で装飾されています。これは190号機がお召し列車牽引機に指定された経歴を持っているためです。


特別装飾の190号機を堪能しました。


午前に見たヒロとパーシーはなんということでしょう、囲いに覆われてしまって見えなくなってしまいました・・・。版元との契約の絡みであーなっちゃうんでしょうね。


SL急行は指定席で、適当に席を取ってもらいましたがたまたまニス塗り座席の客車に当たりました。大井川鐵道の客車の中でも古めの方なので乗れたらラッキーです。


終点の新金谷駅で降りました。この後転車台で190号機の向きを変えるのでそれを見学していきます。
普段転車台に乗っているC12形164号機を外へ引っ張り出します。自走できないので190号機が動かします。SLでも入れ替えの雑用につかせるのが大井川鐵道です。他のSL保存鉄道にはない表情を見れるので好きです。


まわるまわる~。


期間限定のお姿なので目に焼き付けておきます。


お決まりの構図でも1枚。


転回を見終えたところで今日はおしまいです。お家に帰りました。

おしまい


 
 
 

大井川鉄道で日帰り温泉 前編【2018/10/16】

2025-01-23 20:10:32 | 鉄道撮影記
2018年10月16日。
静岡県榛原郡川根本町にある寸又峡温泉へ温泉に入りに行くべく、大井川鉄道は新金谷駅におります。単純に大井川鐵道に乗りたかったのと、寸又峡温泉への狭い道路を自家用車で通り抜ける自信が無かったのです。今思うと可愛らしい理由ですね。
フリーきっぷを買って乗り場へ。E10形1号機と21001系がいました。


この16000系に乗って千頭駅まで乗ります。7200系に乗りたいと思えどなかなか当たりません。


千頭駅に着くとトーマス軍団のヒロとパーシーの周りに足場が組まれつつありました。もうこの年のトーマスフェアは終わっています。この後どうなってしまうのか、後編をお楽しみに。


寸又峡温泉へは千頭駅で路線バスに乗り換えます。この古そうな三菱ふそうエアロスターが連れて行ってくれます。エアロスターだけどトップドアで観光マスクなのよ。


一番前のかぶりつき席を取れたのでそこに座ります。観光マスクなので前がよく見えますね~。
奥泉駅まではダム工事により整備された立派な片側2車線道路を走りますが、そこから先は本格的な山道です。路線バスが通行するのが精一杯の道幅だけです。こんなところで対向車と鉢合わせしてしまったらイヤだね。


あっ!!
いわんこっちゃない・・・。


すれ違い不可能な位置での鉢合わせ、対向の乗用車が下がって譲るしかありません。こっちは路線バスなんだ。この道幅ですれ違えられるバスもすごいテクだ。


終点の一つ手前の温泉入口で下車します。ここにはかつて千頭の山に根を張るごとく線路を伸ばしていた千頭森林鉄道の車両が静態保存されています。
機関車、客車、運材車*2の計4台です。前にも見たことあったんですが、その後化粧直しされたという情報を入手したので自分でも見てきた次第。


ペンキを上塗りしただけだと思いますが、それでも見た目がきれいならほとんどの素人は騙せるのでこれでもいいのです。


公衆浴場を目指して寸又峡温泉の道路を歩いて進みます。千頭林鉄のあった時代は大間という名前の集落で、千頭林鉄の基地にもなっていました。


さっき乗ってきたバスが折り返して戻ってきました。バス停で帰りの登山客を拾うようです。なかなか風情があると思います。紅葉にはまだ早いですね。


二宮尊徳像が建っているということは、この辺に学校がある/あったということです。


ニノさんの像のある場所は旧大間小学校の敷地です。1886(明治19)年千頭学校の分校として創立し、1965(昭和40)年奥泉小学校と統合されて廃止されています。今は温泉のイベント広場になっているようです。
青い建物が当時の校舎だったものです。廃校になって50年以上経っているとは思えぬ外観をしています。まあ外観は改修されているように見えますけど。玄関がオフセットされていますが、後者の向かって左半分は解体されたようにも見えます。実際のところどうなのかは調べればわかるかもしれませんが今回は割愛(手抜き)



集落の奥の方、終点のバス停まで来ました。うおー、バス停にお土産屋さんが入っている!これはエモい。


いやー、これいいですよ。高低差のある地形が良い。簡単に行ってしまえば旅情です。温泉地のバス停としては100点満点です。


なんと切符売り場もある!しかも有人窓口付き(現役)!
お土産屋に販売を委託しているのでしょう。ただのお土産屋ではなくちゃんと交通機関としての役目も果たしておられます。その隣ではソフトクリームやかき氷を売っているんだから商魂たくましい。バスの待ち時間にはぴったりです。


路線図と運賃表。列車乗り換えで金谷や井川までのきっぷも窓口で買えます。
ここまでフリーきっぷで来てしまったことを少し後悔。せっかくなら窓口で買ってみたかった!


出発するエアロスターを見送ります。いい眺めだ~。
当時はほぼ通年ここまでバスが乗り入れていたんですが、執筆時現在は押し寄せた観光客が狭い道路を歩くようになってバスの通行に支障が起きているので、冬の閑散期を除いて機関車が保存してある手前の温泉入口までしか来ません。
このバス停もお土産屋としては営業していますが、ぜひバス停として使っている冬にここを訪ねて乗り降りをしてほしいものです。


さて温泉です。掘っ立て小屋のような公衆浴場ですが泉質は本物です。露天風呂しかないです。

というところで今日はここまで。




 
 
 

日帰り伊豆半島の根本観光 後編【2018/9/17】

2023-06-28 21:54:31 | 鉄道撮影記
路線バスに乗って静岡県沼津市にある旧沼津御用邸記念公園へ来ました。初めて来ました。
ここはその名の通り皇族の静養先として建てられた建物です。1893(明治26)年に当時は皇太子だった大正天皇のために造営されました。静岡県平野部は御存知の通り冬でも比較的温暖な気候であることから、皇太子(当時)は特に冬場に利用することが多かったそうな。
本邸の建築以降も増改築を繰り返していきました。しかし太平洋戦争での連合国の空襲で本邸は焼失してしまいました。
大正天皇崩御後も今の上皇陛下を始めとした他の皇族も沼津にご静養することがありました。上皇陛下は御用邸の目の前に広がる駿河湾で水泳するのが好きだったそうな。


1969(昭和44)年に沼津御用邸が廃止されると敷地は沼津市に移管されました。移管された翌年、沼津御用邸記念公園として一般公開が始まり今に至ります。


それでは御用邸の中を見せてもらいましょう。上がったのは西付属邸という1905(明治38)年に本邸に隣接する海軍大将の別荘を買い上げた建物です。その後も増築が何度か行われたため複雑な間取りとなっています。本邸焼失後は西付属邸が本邸の役割を持つようになりました。
一見すると質素そうに見えましたが、部材は高級そうな物が使われていそうです。また、床には赤絨毯が敷かれていてそれとなく豪華です。


女官応接という部屋。文字通り女官が使った応接間です。


なんとなく江戸時代の屋敷のような雰囲気も感じますが、当時物の扇風機やストーブが残されているので、ちょっと困惑しますね。


これは昭和天皇が学習院時代に乗っていた自転車の複製だそうな。三輪車じゃないかい。万が一にも転倒しないようにするための配慮?


調理室です。当時物の道具が残っています。天窓で明かりを取っているのがおしゃれ。


まだ残暑厳しい9月に来ましたが、こういう建物は案外涼しい、少なくとも暑苦しくはないんですよね。風通しが良いからでしょうかねえ。


供進所です。皇族の食事の盛り付け、配膳をする部屋です。
昭和天皇はうどんそば好きとか長寿の秘訣は毎朝落花生と銀杏を3粒ずつ食べるとかいうプチ情報も教えてくれました。


御食堂です。皇族が食事を取られる部屋です。
元々は畳敷きの部屋だったでしょうけど、絨毯を敷いて机と椅子を使って食事していたんですね。格式もあるでしょうが年を取るとしゃがんで床に座って食べることも難しくなりますからね。


謁見所です。ご静養中の来客がここで皇族と面会するわけです。
来客の椅子は左側で2脚あります。皇族用の椅子は右側に1脚あります。皇族用の椅子の方が遠目から見ても格上です。


三角形になっているミニ中庭。増築されてんなあと感じる部分です。


御座所です。皇族の居住部屋で、御座所、御寝室、御着替所から成っています。ここは御座所なので、要は居間です。


外廊下が二重になっているのがなんとも特別感があります。外側の廊下は一般人の廊下で内側は皇族用の廊下でしょうね。
部屋が外廊下で囲まれているところも、昔ながらの日本家屋の間取りで素晴らしいです。


御玉突所です。つまりビリヤード部屋ってことね。ここだけ完全に洋式チック。


御便所です。ぼっとん便所と洋式便器が仲良く同居している・・・。でも洋式便器からトイレットペーパー遠くないっすか?さすがの皇族もこれは不便だったでしょう。


御料浴室です。浴槽は無く、掛け湯だけだそうな。万が一にも溺れないようにする配慮?


西付属邸の見学は終えて、外に出ました。このあたりは砂浜でクロマツ林が広がっています。


ちょっと歩いてみます。駿河湾の海岸近くまでいけます。砂浜とは鉄条網で仕切られていて、外に出ることはできません。
御用邸の方角からは駿河湾を挟んで富士山も望むことができます。御用邸に選ばれるだけあって景勝地としても優れているんですね~。


静養に使う宮殿としてはやはり質素に見えます。でもこのくらいのほうが夏は涼しげな気もするので、過ごしやすかったんじゃないかな、と。


沼津御用邸記念公園はもっと広いんですが、今日のところは西付属邸の周りだけ見て帰ることにします。
御用邸停留所から伊豆箱根バス日デスペースランナーRM+富士8E (#237) 沼78沼津駅に乗って沼津駅へ。


沼津駅に入場します。レアな313系2350番台 (W2) がいましたよ~。


東海道線に乗っておうちに帰りましたとさ。おしまい。



 
 
 

日帰り伊豆半島の根本観光 中編【2018/9/17】

2023-06-27 21:44:38 | 鉄道撮影記
伊豆箱根鉄道修善寺駅に着きました。
3000系の一般塗装(3504F)と軌道線復刻塗装(3501F)が並んでいました。


ここまで運んできてくれた185系特急「踊り子」。


前回来た時も感じましたが、修善寺駅はいつの間に建て替えられていてきれいになっていました。
改札前の通路には蒸気機関車の置物が置かれています。ラブライブ!のコンサート「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR」 で使用された大道具とのこと。由緒ある物なのです。一定期間置かれていましたが、執筆時時点では撤去されています。


知らない鉄道むすめですね、と思ったらこの人は温泉むすめの修善寺透子でした。温泉むすめのパネルと邂逅するのはこの時が初めてとなるのです。


駅前に停まっている路線バス観察です。


伊豆箱根バス日野・レインボーHR (#259)。前照灯ケースが上下逆に付いていると思いますけど、詳細不明。


伊豆箱根バス日野・レインボーII (#248) 修10修善寺温泉(右)。


新東海バスいすゞ・エルガミオLR234 (#954) C33虹の郷。自転車ラック付きです。


壮観です。


新東海バス日野・レインボーRJ (#783) C52昭和の森。


タクシーです。左から伊豆箱根タクシートヨタ・JPNタクシー(白タクじゃないよ)、寺山自動車トヨタ・クラウンコンフォート、伊豆箱根タクシートヨタ・ヴェルファイアです。3台とも上級車っぽい見た目です。


修善寺駅で昼ごはんを食べます。駅構内の売店あるいは駅前の店舗で販売している「武士のあじ寿司」という駅弁です。
あじ寿司弁当は沼津駅や小田原駅のものが知名度が高いですが、品質の高さで言えばこれが一番だと思っています。大量生産はしていないようなので遅い時間に行くと売り切れていることもあります。今回は無事購入することができてよかったです。


アジは近海物を酢じめしたものです。締め方が軽いので弁当なのにまるで刺し身のような食感を得られます。なので弁当としては足が速いと思います。買ったらすぐ食べてしまいましょう。アジとシャリの間には松崎の桜の葉漬が挟まっていて、わさびももちろん地場産です。
駅前の店舗で購入すると店内飲食できます。涼しい店内で落ち着いて食べることができました。この弁当はおすすめなので、近くに行ったら立ち寄ってみてください。


修善寺から駿豆線に乗って三島方面へ戻ります。乗るのはどうやら7000系(7502F)です。


ホーム上にある洗面台もいまや貴重なアイテムです。


伊豆長岡駅で下車しました。駅前のバス留置場にはラブライブ!のバスが停まっていました。伊豆箱根バス日デ・スペースランナーRM+西工96MC B-I (#260)。ホイールを広告に合わせて水色に塗ってあるのがポイントですね。


駅舎は窓に貼られていたAqoursの絵がアレだナニだと言われて差し替えられた後の撮影です。


伊豆長岡駅からは伊豆箱根バスに乗り換えます。日デ・スペースランナーRM+富士8E (#145) 沼72沼津駅です。これに乗ると乗換無しで沼津駅へ直行できるのです。


この系統は途中伊豆長岡温泉を経由します。伊豆長岡駅と温泉街の間は歩いていくにはちょっと離れているんで、バスで行くのが最適です。温泉街には「温泉駅」という自動車駅も立地するのが興味深いです。
温泉街周辺の道路は路線バスが通るには十分な広さとは言えない道幅が続き、運転手の腕の見せ所です。


長岡温泉を抜けると狩野川放水路に沿って走り、沼津市の江浦湾へ出ます。そこからは海沿いで車窓の良い国道414号線を北上します。


御用邸停留所で下車します。旧沼津御用邸記念公園まで歩いていって、ここを見学していきます。

というところで今日はここまで。


後編へ→


 
 
 

日帰り伊豆半島の根本観光 前編【2018/9/17】

2023-06-19 23:09:00 | 鉄道撮影記
2018年9月17日。
なんとなく沼津や修善寺の方で休みを過ごしたく思い、電車で出かけてきました。
静岡駅ホームには東京方面への移動でおなじみの373系(F6)「ホームライナー沼津」2号が発車直前です。沼津方面へ行くのでこれに乗るのもありですが、今回はパスします。


普通列車で沼津駅まで来ました。ここで一旦下車します。


沼津駅から路線バスに乗り換えます。伊豆箱根バスふそう・エアロミディ(#2514)沼13沼津港循環に乗って沼津港へ行きます。


沼津市の観光地、沼津港へ来ました。実は今まで行ったことがなかったのです。写真の船は観光船「ちどり」です。


沼津港のランドマーク、大型水門「びゅうお」です。大地震が起きた時に発生する津波から港内を保護するための災害対策施設です。平時は水門の上に建てられている展望台から沼津市を眺めることのできる施設です。



本体の水門です。孔が多数空いていますが、水抜き用でしょうか。



港にいる鳥類といえばかもめが定番ですが、いるのは鳩ばかりでした。


沼津港に来たはいいものの今はまだ9時台で観光施設は開いていません。ここは観光地化されているのでこういう中途半端な時間に来るとちょっと困ってしまいます。
次に行きたいところもありますし、観光地巡りはまた今度にしましょうか。


行きの時と同じエアロミディに乗って沼津駅へ戻ります。よく見たらこのバスは神奈中古でした。


沼津駅から東海道線で三島駅まで移動し、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換えます。


3000系(3506F)「HAPPY PARTY TRAIN」が停車していました。ラブライブ!サンシャイン!!の電車ですね。こちら側の車体側面は一通り撮影記録しておきました。


駿豆線の大場駅で降りました。このあたりの撮影地で電車の撮影をします。
移動中に185系0番台(C1)特急「踊り子」3号修善寺行を目撃しました。185系も引退の足音が聞こえてきた時期なので、見かけたら記録です。


3000系(3503F)三島行。


7000系(7502F)修善寺行。この頃からか前面が金色に塗られて側面の青帯も色が暗くなりました。なにかあったんでしたっけ。


5000系(3504F)修善寺行。


3000系(3501F)三島行。今日の目当てのひとつです。通常と異なる緑とクリームの2色に塗られています。これは、1963(昭和38)年2月まで運行されていた伊豆箱根鉄道の軌道線(三島~沼津)に塗られていた塗装を復刻したものです。色と塗り方から案の定江ノ電みたいだと言われています。


1300系(2201F)三島行。西武鉄道の中古電車で、西武線時代の塗装を復刻した「イエローパラダイストレイン」の名前で運行しています。


3000系(3504F)修善寺行。


3000系(3506F)「HAPPY PARTY TRAIN」三島行。めぼしい電車は一通り撮影できましたので、これで撤収します。


大場駅へ移動中に撮影した7000系(7502F)三島行。


修善寺方面へ移動しますが、ちょうどやってきたのが特急「踊り子」9号なのでした。185系0番台(C3)です。
せっかくなので乗ってしまいましょう。特急列車ですが駿豆線内は特急料金不要で、実質的な快速列車となっています。この扱いも後の185系撤退で無くなってしまいましたが。


終点の修善寺駅まで乗ったので、下車前に車内の写真を撮影しておきます。


修善寺駅に到着したところで今日はここまで。



静鉄電車まつり2018へ行く【2018/9/16】

2023-06-18 21:58:49 | 鉄道撮影記
2018年9月16日。
この日は午前中に用事がありましたが午後は暇なので、静岡鉄道の長沼駅併設の長沼工場で9月15日~16日に開催された「静鉄電車まつり」へ行ってきました。


1000系1011Fのちびまる子ちゃん列車です。今日はちょっと装いが違いますがそれは後ほど。


いつも通りの人だかりです。


乗車体験車両はちびまる子ちゃん列車でした。「さくらももこさん ありがとう 寄せ書きコーナー」という立て看板に注目。この日のひと月ほど前にちびまる子ちゃんの原作者さくらももこ氏が亡くなりました。これは静鉄からの追悼行事のひとつなのです。
ちびまる子ちゃん列車を運行していることもそうですし、原作やTVアニメにも当時の静鉄電車がカットインしていますので、縁があったわけです。


また、前面に掲出されているヘッドマークが、9月15日~10月14日の期間限定でさくらももこ氏を追悼する物に交換されました。


正面からです。電車に遺影を乗せて追悼されるというと五島慶太を思い浮かべました。


退役した1003Fが連結位置を変えて留置されていました。


1008Fです。これも次の全般検査までに退役・・・と思いきやもう一度検査を通して2023年になっても現役に留まっています。1000系の他社譲渡に伴って退役計画に変更があった影響だと予想していますが、真相は分かりません。


車庫の建屋です。これも2023年になって知った情報ですが、建屋は元々旧海軍の藤枝航空基地(現・航空自衛隊静浜基地)から移築してきた物ということです。知らなかったなぁ。


電車まつりは1時間くらいで回りきったので撤収。ついでなので電車の撮影に興じます。
1000系1007F。300系復刻塗装です。


1000系1012F。午後の紅茶です。上田電鉄みたいで好きなやつです。


1000系1009F。同年に静岡市で公演のあった劇団四季のオペラ座の怪人の広告です。


1000系1005F。裾のオレンジ帯だけ残された中途半端な形態です。


静岡駅へ移動しました。今度はしずてつジャストラインの路線バスを撮影します。
いすゞ・エルガLV290(鳥坂859)#60-1南沼上団地。銀バス塗装です。


いすゞ・エルガLV234系(小鹿783)#20登呂コープタウン。


日野・セレガ(相良760)#101相良営業所。


いすゞ・エルガミオLR290(唐瀬890)#76唐瀬営業所。銀バス塗装です。


いすゞ・エルガLV290(唐瀬918)#77唐瀬営業所。新通常塗装です。


いすゞ・キュービック+富士・7E(鳥坂2469)#61瀬名新田。旧塗装です。


日デ・スペースランナーUA+西工・96MC B-II(丸子382)#136きゅうのお(久能尾)。


日野・ブリーリボンシティ(小鹿368)#70県立総合病院。


ふそう・エアロスターMP38(鳥坂844)新静岡BT。


ふそう・ローザ(丸子29・家康公)駿府浪漫バス。

というところで今日はここまで。



 
 
 

ぶらり帝都散歩 最終回【2018/9/1~2】

2023-06-10 21:56:11 | 鉄道撮影記
所沢航空発祥記念館の続きです。
これはニューポール81E2という複葉機のレプリカです。1915(大正4)年に初飛行した同社の12型という戦闘機を非武装にして複座型にした物が81E2型です。
1919(大正8)年にフランスからの航空教育団が来日して日本陸軍に飛行機の操縦を教育する際に持ち込んだ機材です。日本でも甲式一型練習機としてライセンス生産されました。それが払い下げられたのか分かりませんが埼玉県の民間飛行士岩田正夫が愛機としていました。しかし、1926(大正15)年に機体を着陸させる時に破損させてしまいました。再起不能だったのか、そのまま慈光寺という場所に寄贈して保管されていました。70年後当館へ収蔵されることになりますが保管中に腐食してしまい、機体の骨組みの一部が残るだけです。


そんなわけで、レプリカを使って復元されることになりました。機体の原型は一部だけですし、他の81E2型の現存機は存在せず、これの原型になった12型もカナダに1機が残るのみです。復元に際した考証は大変苦労されたことと思います。





この飛行機の胴体だけがガラスケースに収まっている物は、中島九一式戦闘機二型です。戦前の日本の航空機開発は外国機の模倣から始まり、ライセンス生産を通して技術のノウハウを蓄え、外国から招いた技師の指導を仰ぐ中で国産機の開発と生産へ向けて自立していくわけですが、九一式戦闘機は外国の模倣から国産化への過渡期に開発された戦闘機です。

この収蔵品の特徴として、機体は不完全な状態ながらあえて復元せずに現状のまま展示されています。塗装、機体番号、工法、材料など当時を示す情報はもちろんのこと、これを製作した人や実際に使用した人たちの痕跡が多く残されているためです。
いたずらに復元するよりもこちらの方が資料的価値は断然高いのです。ましてや九一式戦闘機の現存機はこれだけなのです。現状で保存するのは当然の帰結と言えるでしょう。良い判断をされたと思います。



胴体はアルミ合金の応力外皮構造ですが、垂直尾翼は鋼板の骨格に羽布張りです。劣化が進んでいるのでかえって材料の違いがわかりやすくなっています。
劣化していると言っても長年倉庫内で保管されていたので年月の割には状態は極めて良好です。さっきのニューポールとは結果に開きがありますが、そこはやはり木製と金属製の差なんでしょうか。


何かしらの部品です。これも状態良いですよね。


二階の展示を見物しましたが、見るべきものは少なく感じたのでぶら下がっている飛行機をもう一度眺めることにします。館内の展示物は色々な意味で古くなってきていて、これを更新することが当館リニューアルの理由の一つになっています。

写真はパイパーL-21スーパーカブです。


HU-1Bです。これの型式は後にUH-1となるんですが、当館では初期に呼ばれていたHU-1で紹介されています。


T-34メンターです。


陸上自衛隊の固定翼機は珍しいです。まだ陸上自衛隊でも固定翼機を使っていた時代の機体ということだと思います。しらんけど。


入り口にぶら下げられていた会式一号機のレプリカです。会式一号というのは略称で、正式名は「臨時軍用気球研究会式一号機 」です。あるいは「徳川式」とも呼ばれていました。
1910(明治43)年日本で初めて飛行したフランス製のアンリ・ファルマンを模倣して設計されました。ただし独自の改良が加えられています。1911(明治44)年に徳川好敏大尉が所沢飛行場格納庫内で設計して製造した飛行機です。同年10月13日に徳川大尉の操縦で所沢飛行場で初飛行しました。


これの原型になったアンリ・ファルマンは、航空機史上初めて主翼に補助翼を装備した航空機として知られています。この操縦方式は以降の航空機の標準となり当然現代でも採用され続けているのです。

というところで所沢航空発祥記念館は以上です。前回来たときよりも飛行機の知識が増えていたので、当時よりも楽しめて回ることができました。またリニューアル工事が完了したら訪ねるかも知れません。


航空公園駅へ戻ります。途中で見かけた所沢市のマンホール蓋。会式一号とゆるキャラ「トコろん」と市の木イチョウが印刷されています。


航空公園駅で昼ごはんと食べたら、午後は所沢市電気鉄道(現在は閉業)に集合してNゲージ運転会に参加してきました。今回のお出かけ一番の目的です。
運転会の様子は省略しますが、北米型縛りの運転会で今まで集めてきた模型を存分に走らせることができました。


運転会を終えたら帰りのこともあるので直帰しました。
品川駅の新幹線乗り換え待ちで立ち食いの魚がし鮨で夕飯を食べていました。ここも今は閉業してしまい残念でした。

というところでおしまいです。


 
 
 

ぶらり帝都散歩 その7【2018/9/1~2】

2023-06-06 22:43:51 | 鉄道撮影記
所沢航空発祥記念館の続きです。
ここに前回訪れたのは5年以上も前のことだと思いますが、その間に新しく加わった展示物もありました。それが、中島キ27九七式戦闘機の原寸大模型です。
九七戦は日本陸軍で運用されていた軽戦闘機です。2015(平成27)年制作のテレビドラマ「妻と飛んだ特攻兵」で使用された大道具です。2016(平成28)年に当館で展示が始まりました。
日本陸軍は1935(昭和10)年に中島、三菱、川崎の3社に陸軍初となる全金製単葉低翼の戦闘機の競争試作を指示しました。
中島はこれより前の九五式戦闘機で前作キ11を開発していましたが、これは保守的な設計だったため競合の川崎の前に敗れてしまいました。その反動か今回のキ27では技術的特徴を多く持った機体に仕上がっています。軽量化のために主翼を左右一体にしてさらに胴体前部とも一体構造にしたことは最たるものとされています。これは以降の中島製戦闘機に踏襲されただけでなく三菱にも波及して、日本製戦闘機の標準的な構造となっていったのです。そうして1937(昭和12)年に晴れて制式採用されたのです。


格闘戦に秀でた戦闘機であり、特に旋回性能はぴかいちだったと言われています。パイロットからの評価も高かったようです。出来が良すぎたゆえに戦闘機の戦術が格闘戦から一撃離脱戦法へ変化していったのに対応が遅れたとも言われとりますが。


主翼は前縁が直線になっているのが特徴です。これは翼端失速を防ぐためです。一応、前進翼の一種だそうです。この構造は一式戦闘機以降の中島製戦闘機にも踏襲されることになります。


大道具なので資料的価値は無いですが、雰囲気は伝わってきますね。汚れ方や塗装ハゲなんかはプラモデルを作るときの参考になりますし(それっぽく映える見せ方をするという点ではプラモデルも大道具も同じでしょう)。



名戦闘機でありましょうがいまいち知名度と人気のない機体です。模型でもこういうのがあるとありがたいですなあ。


ここからはまたエンジンシリーズです。
これは三菱の火星エンジン。空冷14気筒の1500馬力級です。一式陸上攻撃機などに使われた大型機用のエンジンです。これは厚木基地の土中に埋まっていたのを掘り起こしたんだそうな。


ロールスロイスRB.41ニーンです。遠心式ターボジェットです。ジェットエンジンとしては極初期型のやつです。
イギリスではホーカー・シーホークやデ・ハビランド・バンパイアなんかに、アメリカではJ42という名前でライセンス生産されてグラマンF9Fに搭載されていました。
ちなみにソ連でも同型のVK-1が生産されていましたが、これはニーンのデッドコピー版です。当時イギリスでは労働党が政権でした。名前の通りこれは共産主義寄りの政党なのですが、それがニーンを「軍事転用しない」という約束でソ連に売却したのです。ソ連がそんな条件守るわけがないので、ソッコーでコピーされてMiG-15に搭載されたのです。



ロールスロイスRB.53ダートMk.543-10です。これは遠心式ターボプロップエンジンです。なのでこれはプロペラ機用のエンジンなわけです。世界初の実用ターボプロップエンジンにして、多数の機体に搭載された高い実績を持つエンジンなのです。
改めて見ると、ターボプロップだけど遠心式なのか、これ。さすがイギリスだな。


さてさらに今日は特別展示がされていました。前々回くらいにエアロバティック飛行士の室屋義秀氏がこの日講演することに触れました。それは当時行われていた企画展に関連するものでした。そしてその企画展の展示のひとつが、室屋氏が搭乗する「エクストラEA-300S (JA11DB)」の実機なのです。


軽スポーツ機を間近で見る機会もあまりないので興味深い展示です。ちなみにエクストラというのは社名ですが、これはドイツのエクストラさんという人の苗字から取られたものです。


曲技飛行用として設計されているので、ストイックな機体外観だと思います。


脚は固定式です。軽量化を求めるなら収納式よりも軽くできるのです。構造も楽ですしね。それにしても華奢な脚だなと思います。スパッツは履いていない機体も見かけるので、オプションなんでしょうかね。


機体表面はつるつるです。曰く、外板は炭素繊維だそうです。「義」の字を象った尾翼がかっこいいです。


後ろから。水平尾翼の右側にだけ小さいタブが付いていますが、これは反トルク対策でしょうね。


風防は一体型でスマートですなあ。視界が良さそうです。


ここからは通常展示に戻って、天井からぶら下がっている飛行機を見ます。
これはパイパーL-21スーパーカブです。軽飛行機のベストセラーです。軍用機としても練習機や連絡機として各国で用いられた時代もありました。これは陸上自衛隊で使用された個体です。


ベルHU-1B (UH-1B) ヒューイです。アメリカ軍がベトナム戦争でよく使っていたヘリコプターと同じ機種です。陸上自衛隊が現在でも改良型を使っていますねー。


ビーチクラフトT-34メンターです。これも初等練習機です。自衛隊に納品された機体はすべてアメリカ製だと思っていましたが、ほとんどは富士重工でライセンス生産されたものだったとは知らなんだ。これの後継機富士T-3がT-34のそっくりさんなのにも納得と言いますか。


ヒューズOH-6Jです。UH-1が中型ヘリコプターの傑作なら、小型ヘリの傑作はこれです。これは川崎の社有機でしょうかね。


スチンソンL-5です。第二次世界大戦時代に米軍で使われた連絡機です。日本でも自衛隊の前身、保安隊時代に使用された練習機兼連絡機です。カブといいL-5といいこういう地味めな連絡機が日本でも残っているの、意外です。


というところで今日はここまで。

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ぶらり帝都散歩 その6【2018/9/1~2】

2023-05-25 23:32:57 | 鉄道撮影記
所沢航空発祥記念館の続きです。
これはシコルスキーH-19です。1949年初飛行の初期のヘリコプターとして軍民問わず成功を収めた機体です。
自衛隊でも輸送と救難用で66機配備されていました。ここの個体は陸上自衛隊の物ですね。


ボンネットに空冷星型エンジンが斜めに収まっていて、そこから操縦室の際を貫く形でプロペラシャフトが伸びていて、回転翼まで繋がっています。重心が下がったり貨物室を広く取れたりと合理的な設計で、それでいてなかなか豪快です。
エンジンの収まっているボンネットの蓋はたまに開けられた状態で展示されている時もあります。


貨物室です。胴体に広いドンガラをつける設計はH-19が初めてだった、ような記憶です。


人が横になれるくらいの広さは有りにけり。


ローター部です。


後ろですねー。


バートルV-44です。1959(昭和24)年に陸上自衛隊が研究目的で2機購入したうちの1機です。同年に東海地方を襲った伊勢湾台風で災害救助に活躍したと言われています。
これは回転翼を2つ備えた大型ヘリコプターです。回転翼が2つある分機体を大型化できるわけですね。でも回転翼をぶん回しているエンジンは1発です。


後部回転翼。軸は意外とか細いのだ。


背中に伸びているプロペラシャフトが網越しに見えます。


この穴はなんでしょうね。元からこうなっています。


セスナT310Qです。軽飛行機の代名詞になっているセスナですけど、これはちょっと大きいです。セスナだって双発機くらい作ります。
組まれた鉄骨の中で浮いた状態っていうなんだか変わった展示のされかたをしています。


エンジンはコンチネンタルTSIO-520-BB。6気筒水平対向のレシプロです。排気量8500ccでターボ付き、285馬力あります。T310Qはこれを2発搭載しています。


機首のアクセスパネルが開けられた状態になっています。が、何が入っているのかよく分からなかったです・・・。


右翼は胴体から分解された状態で展示されています。エンジンも降ろされていますね。


ここからはエンジンの写真が続きますよ。これはゼネラルエレクトリックCT58-IHI-110-1。軸流式ターボシャフトエンジンです。ボーイング・バートルKV-107に搭載されていた物です。
型番にIHIと書かれている通り、石川島播磨でライセンス生産された個体です。このエンジンは川崎でライセンス生産されたKV-107に載っていました。


ライカミングT53-L-11-A。軸流・遠心式ターボシャフトエンジンです。
軸流式5段と遠心式1段を組み合わせたハイブリッドエンジンですな。遠心式から軸流式への過渡期に開発された時代らしいエンジンと言えましょう。
ベルUH-1などに使われていたヘリコプター用のエンジンです。この個体は川崎重工でライセンス生産された物です。

ライト1820-103。またの名をライト・サイクロン9。空冷星型9気筒、1段2速スーパーチャージャー付きです。
1930年代~1950年代にかけて生産されたロングセラー商品です。ボーイングB-17やダグラスDC-3に採用されているエンジンとして知られています。この103型はヘリコプター用の調整がされた物で、V-44が搭載していました。


空冷エンジンはこの空冷フィンがね、いいんですよ。


石川島播磨J3-IHI-7B。日本で初めて独自開発と国内生産を成し遂げた純国産の軸流ターボジェットエンジンなのです。
富士T-1練習機に搭載されました。


コンチネンタルTSIO-520-BB。これはセスナの主翼から降ろされていたほうです。

というところで今日はここまで。


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ぶらり帝都散歩 その5【2018/9/1~2】

2023-05-22 21:05:26 | 鉄道撮影記
2018年9月2日。
池袋で一泊過ごした翌朝。今回の東京行きの主題は、埼玉県所沢市で催されたNゲージの運転会でありますから、そっちの方へ行くわけでございます。
運転会は午後からなので午前中は好きに動けます。なお天気は雨。
所沢の方へ行くんですが、その前にJR駒込駅で山手線の撮影を何本かこなしました。E231系500番台が置き換えされている最中でしたから、一応程度に記録しておきました(トウ532)。


駒込駅で折り返して池袋駅に戻ってきました。これは埼京線のE233系7000番台(ハエ123)。


山手線の新型車E235系。まだ珍しい頃で、まともに見たのもこの時が初めてでした。戸袋に貼られた東京オリンピックの広告もなんだか時代ですなあ。


池袋駅で西武池袋線に乗り換えます。メーテルの顔をした電車が止まっていました(20000系20158F)。なんといいますかこれが自分めがけて走ってくるのを思い浮かべるとこわいわね。


ピンボケしてしまいましたが9000系のライオンズ電車の急行にのりますよー。


西武線の首都、所沢で新宿線に乗り換え。2000系でした。


航空公園駅で下車します。なおここが運転会会場最寄り駅となっております。
いすゞ・エルガ(A0-487)。


駅前の名物、ANKのYS-11です。
雨の日に航空公園駅で降りたら行くところはひとつで、所沢航空発祥記念館に行くわけでございます。


はい着きました、所沢航空発祥記念館です。入館してから知ったのですが、この日はエアロバティックパイロット室屋義秀氏が講演をするんだそうな。それなら聞いてみたいと思いましたが、事前申込制だったのでだめでした。一応、館内で本人とすれ違うところに出くわしましたけど・・・。


入館する前に屋外に静態保存されているカーチスC-46Aコマンドーを見ましょうか。
自衛隊に供与されたのは全部D型じゃなかったかしら、と思ったら中古のA型を追加で供与されていて、これがその1機のようです。自衛隊のC-46には「天馬」という愛称が付いていたようですが、他の機種同様に影が薄く誰にも覚えられていないと思います。当然私も知りませんでしたし・・・。


プロペラが長いのね、という。
C-46は本国アメリカでは影が薄いのか保存されているのを見た記憶がないんです。何でも置いてありそうなピマですらいないのです。ところが日本では割と全国に分散して保存されているので、実は本国に優るC-46天国なんじゃないかと思っています。


胴体は与圧構造を考慮したいわゆるダブルバブル構造なわけです。おかげで第二次世界大戦時の飛行機にしては未来的な形状をしています。でも与圧機能は無かったらしいっす。


こういう尾輪式で扉が側面に付いている輸送機は荷役が面倒なので、冷戦期にはC-130を代表するような形状に取って代わられることになります。


そいでは入館。2023年に持ち上がった話ですが、館内展示の一新を行う事業が計画されています。それに伴い展示機入れ替えも検討されています。入ってくる飛行機があれば追い出される飛行機もあるわけです。追い出し組の処遇は今はなんともわからないです。今この記事を読んで気になった方はお早めの訪問をご検討くださいまし。


最初に対面するのは航空博物館の常連、ノースアメリカンT-6Gテキサンです。アメリカ製の練習機で、航空自衛隊発足時にアメリカから供与された物です。
弊ブログでは何度も何度も登場しているので今更細かい説明はしませんが、これを見ると安心しますね。親の顔よりも見た飛行機。


親近感の湧く短い足。主脚や脚庫まで全部黄色に塗られている飛行機も珍しい気もします。


横から。


尾翼の動翼部はスケルトンになっていて、内部の骨格やタブを動かす鉄線の構造がわかります。


垂直尾翼の動翼部。骨格には肉抜き穴がありにけり。肉抜きして軽量化していたのはなにもゼロ戦だけじゃないのよ、ということか。


エンジンとプロペラスピナー。


エンジンキャブレターへの空気取入口です。口に網が付けられているんですねえ。


というところで今日はここまで。


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