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モンゴルからの来訪者【2018/7/27】

2022-12-21 19:44:01 | バス・航空機撮影記
2018年7月27日。
この日は静岡空港にMIATモンゴル航空というモンゴルの航空会社の旅客機が飛来してくるという話を聞きまして、撮影に行ってきた次第です。
MIATモンゴル航空自体は成田空港などに就航しているのですが、静岡空港へ飛来するのは初めてです。旅行会社のチャーター便としてやってきたのです。たしかモンゴルで見る星空ツアーだったかなにかです。ロマンチックですね。
たぶんモンゴルからも日本へのツアー旅行が組まれているんじゃないでしょうか?


静岡にMIATモンゴル航空がやって来た感じの写真を出したいので、牧之原台地の茶畑を構図に入れてみました。富士山は、空がガスっているので見えなかったのです。
構図はあまり悪くないと思いますが、思っていたよりも高い位置を通過していったのでMIATモンゴル航空の機材だとは分からない仕上がりでした・・・。


頭を切り替えて機材のアップの写真も撮ります。ほぼ真下から見上げる構図なのでこれもどこの機材なのかわかりにくいですかね・・・。


後追い。いい感じにごチャついているのと飛行機が低いので割りと気に入っています。


MIATモンゴル航空の着陸後は静岡空港の石雲寺展望台へ陣地転換。日本人を乗せて離陸するところを抑えます。
展望台で待機していると、1機の小型機が着陸してきました。


機材は法人所有のソカタTBM-700(JA8894)でした。
この機材は生まれて初めて見る機種で、ちょっと驚きました。カナダに住んでた頃はいろいろな小型機を見てきたものですが、まだ見ぬ機種に出会えるとは。ソカタというのは、フランスの軽飛行機メーカーです。


MIATモンゴル航空の離陸準備が始まりました。
今更ですが機材はボーイングB737-800(EI-CXV)です。これは特別塗装機で、ドイツのフットボールクラブ「ボルシア・ドルトムント」のチームロゴが垂直尾翼に描かれています。なんでモンゴルのフラッグキャリアにドイツのフットボールクラブのロゴが描かれているのかは疑問です。でもラッキーと言っていいでしょうね。



滑走路へ向けてタキシングしていきます。


離陸滑走を始めました。
胴体に描かれているのはMIATモンゴル航空のロゴマークです。鳥を象ったものだと思いましたが、本当はヤギみたいです。黄色いし形がなんとなくティターンズのマークに似ているんですよね。


さようなら~。


上の写真の隅に写っているのは、誘導路を牽引車に引っ張られている海上保安庁のサーブ340B(JA953A)です。海上保安庁所有のサーブを見るのは初めてのことでした。今日は意外に収穫の多い一日でした。
これにて撤収しました。おしまい。

 
 
 

静岡空港で旅客機撮影 後編【2018/7/15】

2022-12-19 21:45:45 | バス・航空機撮影記
静岡空港での撮影の続きです。
今度着陸してきたのは中国東方航空MU2025便杭州発エアバスA320-200(B-6805)です。
なお、滑走路東端へ今からもう一度登るのは、心臓がばらばらになってしまうので行きません。


うーんこの手抜きに見える塗装。


フジドリームエアラインズJH144便福岡発エンブラエルE175(JA03FJ)も続けて着陸。朝に見た機材が静岡へ戻ってきたということです。


このピンク機も見かける回数が多いです。ちびまる子ちゃんだから静岡路線へ優先運用している?





ANA NH1262便札幌/新千歳発ボーイングB737-800(JA70AN)も続けて着陸。


JA03FJは、続いてJH133便鹿児島行として離陸していきます。


東端での撮影はリベンジしたいですね~。


今度はANA機が離陸。NH1263便沖縄行です。このANAの静岡路線は実質新千歳発静岡経由那覇行の路線なのです。逆向きもあります。
地方路線ということで直行よりも運賃が比較的安くて、搭乗率も悲しいかな低いので切符が取りやすい、という点が修行僧から評価されているとかいないとか。


中国東方航空のA320も折り返していきます。MU2090便寧波行です。中国からやって来て静岡なんて知らない土地に降ろされた旅客は、その後どこへ向かうんでしょうね。



またもや中国東方航空です。MU2019便上海発。こっちの機材はB737-800(B-5530)です。


ANA NH1264便沖縄発B737-800(JA59AN)。沖縄発新千歳行の方ですな。


山の上にある空港なのですよ。


珍しい機材が着陸してきました。パイパーPA-28チェロキー(JA4132)です。調べた感じでは個人所有の機材です。来訪目的は分かりません。


FDA JH184便出雲発E170(JA01FJ)です。これに乗って山陰地方に飛んでみたいよね、でもサンライズも捨てがたいな、とずっと迷っています。


撮影はこれで打ち止めです。一日中居てしまいましたね。


途中から合流した友人どもとさわやかに行ってげんこつハンバーグを食べましたとさ。
おしまい。


 
 
 

静岡空港で旅客機撮影 前編【2018/7/15】

2022-12-17 23:58:47 | バス・航空機撮影記
2018年7月15日。
今日も静岡空港で旅客機の撮影に行きました。経緯はもう覚えていないんですけど、途中から友人複数人も合流してきました。

朝8時に空港に到着です。しずてつジャストラインの相良渋谷線がバス停に停まっていました。牧之原市の相良営業所からJR藤枝駅を経由して藤枝岡部インターチェンジから新東名高速道路に乗って渋谷マークシティまで行く、マニアックな経路のバスです。なぜか静岡空港へ寄っていくんですね。空港の駐車場をパークアンドバスライドとして利用してもらうのを狙っているのかもしれません。
車両はふそう・エアロエース(相良867)です。このところ増えているふそうのバスです。


とりあえず空港ビル3階の展望台へ行って、フジドリームエアラインズの機材を確認します。駐機場にはこの時まだ導入されて間もないホワイトの12号機(JA12FJ)でした。
これはFDAの得意とするチャーター便で、これから稚内まで飛行します。飛行機で稚内へひとっ飛び、いいですねえ。


撮影場所を石雲寺展望台へ移して、JA12FJが離陸するところを撮影します。
白い塗装というのは旅客機の中ではごく一般的な色ですけど、様々な色を揃えているFDAの中では逆に異色と言えます。


旅客機のお尻です。


FDA JH6101便稚内行エンブラエルE175(JA12FJ)が滑走して離陸していきました。


8時過ぎですけど、ややガスっていますねえ。

撮影後は新しい撮影地を開拓するために場所を移動します。


空港のある山を降りて、牧之原側にある坂口神社を目指します。小道にある空き地と言うか駐車場に車を止めます。そこから奥は一般車通行禁止なので歩きます。
ここからはちょっとした山登りです。舗装されていますが坂の勾配がえぐくて、運動不足の自分ではソッコーで息が上がってしまいました。心臓破りの坂です、ここは。


道路をずっと進むと金網の門にぶつかってそこで行き止まりになりますが、道路の右側に階段があります。ここを登ります。
さっきの心臓破りの坂よりはマシですが、100段以上ある階段なのでここもきついです。


階段は舗装されていますがその脇から草がボーボー生えています。刈払されていません。人の通行がないんでしょうなあ・・・。


階段を登りきると山の頂上へ到達します。後ろを振り返ればそこには静岡空港の滑走路が一望できます。
ここは滑走路の東端、滑走路30です。滑走路よりを見下ろす高さに位置するので、見晴らしはいいです。
静岡空港の離着陸は、着陸時は30側から進入、離陸時も30側から離脱するのが一般的です。なのでここに位置すれば空中にいる瞬間の機材を撮影できるのです。同様の場所は滑走路の延長上にあるだいだらぼっち広場にもありますが、あそこが機材を真正面から撮影する構図になるのに対して、ここは機材の側面を撮影できます。



ここは展望台として整備されているようで、開けた場所になっていて半分腐っていますがベンチも2脚あります。ただし日陰になるような物はありません。夏場は直射日光をもろに浴びることになるので、熱中症対策は必須です。自分は夏場に数度ここで撮影したので懲りてしまい、以来は冬季限定の撮影地としています。
ちなみにこの奥にも道が続いているんですが、どこへ続くのかわからないです。行き止まり?
このように展望台として存在しているので、ここに一般人が撮影目的で立ち入ることは問題ないと思われます。


そして次の機材が離陸していきました。さっきのJH6101便で離陸向きはここでの撮影向きだと分かっています。
E175は小さいので滑走路の真ん中あたりで車輪が浮きます。


FDA JH143便福岡行E175(JA03FJ)です。なぜかレドームが白いです。噂ではレドームを破損したので代わりを一時的に装着しているとか。


結構寄って撮影できます。午前中の早い時間は逆光になります。それ以降は順光となります。


次はエアソウル・・・のはずですが!逆の向きから着陸してきましたぞ!ヒーヒー言いながらここまで来たのにこれはショックです・・・。


着陸しましたね・・・。


E175だと着陸滑走距離が短いので滑走路の中ほどで折り返してしまうこともある(=今立っているところまでやって来ないので撮影不可)んですが、A320だと滑走路をフルに使わないとならないっぽいです。


着陸中の撮影ができなかったのは残念でしたがタキシング中はゆっくりと動くので撮影できる構図は多く確保できました。


エアソウルRS714便ソウル発エアバスA321-200(HL8281)です。
撮影後は、たぶん離陸も逆向きになるからもうここにいる必要はないと考えたので離脱して石雲寺に陣地移動しました。クソ暑いし。


FDA JH142便福岡発E175(JA05FJ)が到着。


このオレンジは見る機会が多いんですよ。


エアソウル折り返しとなるRS711便ソウル行が離陸していきましたが、なんと離陸の向きがもとに戻りました・・・。あのまま滑走路東端に居続けるのが正解だったか・・・。


FDA JH173便丘珠行E175(JA05FJ)も通常向きで離陸していきました・・・。うーん今日は空振りだな。

というところで今日はここまで。


後編へ→



 
 
 

静岡鉄道の引退する電車を撮る【2018/3/18】

2020-11-18 23:34:08 | バス・航空機撮影記
2018年3月18日。
静鉄A3000形導入に伴い1000系の1003Fが廃車になりますが、昨年同様引退前にヘッドマークを付けて走るのでそれを撮影しに行きました。
撮影場所は春日町~日吉町のほぼ春日町駅のあたり。1003Fがやって来るまで何本か練習します。ここ、カメラの焦点をAFに設定していると上を走っている架空線に焦点が合ってしまい、肝心の電車がピンぼけで悲惨なことになるので焦点合わせは慎重に。私は最初は失敗で数本目のこのA3000形A3002Fでようやく成功・・・。


次にやって来たのが1003Fでした。まだ手間取っていたらやばかったね。1003Fは少し前に広告ラッピングが解除されて無塗装になりました。


ほぼ同じ場所から折返しのA3002Fを撮影。


春日町駅に停車している1005F。裾の橙帯だけの変な形態。


駅を発車したところを正面縦面で。


1003Fの折返しも撮影します。この引退ヘッドマーク、車番がそれぞれ違っているので両方向を記録しておく必要に迫られます。


電車を撮影したらJR静岡駅へ行ってバス撮影。いきなり来たのがこの例のエアロバス顔のふそうエアロスターM(浜岡2583)。どうやら当日開催されていたエスパルスの試合の観客輸送に従事していた模様。


日デスペースランナーA+西工96MC B-II(丸子382)。


日デスペースランナーJP+西工96MC B-I(唐瀬167)。


これも観客輸送のふそうエアロバス(浜岡965)。


ふそうローザ(竹千代くん)。


いすゞエルガLV290(鳥坂858)。銀バスをまともに撮影できたのはこの日が初めて・・・のはず。

今日はこれにて以上。

静岡航空資料館に行ってきた話 最終回【2018/3/7】

2020-10-19 23:12:28 | バス・航空機撮影記
エアロコマンダー680F「東風号」です。あ、これは旧交通科学博物館で見た覚えがありますよ!閉館後にどこに行ったんだろうと気になっていましたが、ここに移動していたんですね。
双発プロペラ小型ビジネス機の680F型は、500型の改良型です。ターボチャージャーと燃料噴射装置付きのライカミングIGSO-540型を搭載しています。このため従来機と比べて高速性と高高度性能に優れていましたが、機内は与圧されていなかったので、高度1万ftを超えると酸素マスクが必要だったとかで。


東風号を見たことのある方は御存知でしょうが、これは朝日新聞が所有していた取材用の社用機です。
朝日新聞は昔から航空機に関心が高いです。戦前の神風号とかは有名です。


機体は解体された状態で搬入したようです。ちゃんと展示するためには再組み立てしないとならないですが、なかなかそうもいかないようです。お金もそうですが機材も必要だとかで。どうにかして組み立てたいんだろうなというのは話していて感じました。


解体すれば車両で運べる大きさだったのはよかったですかね。


東風号のプロペラですね。


可変ピッチプロペラの機能を示すためのデモ装置のようです。旧交通科学博物館にあったようですけど、覚えていないな・・・。


ここからは分野がガラッと変わって、航空管制に関する機械です。
これは精密進入レーダー(PAR)ターミナルレーダーの監視装置で、航空保安大学校で使用されていたもの。


精密進入レーダー(PAR)の画面。方位と高度の2種類のレーダーから成っていて、飛行機の操縦士から見て滑走路が見えない時に、地上の管制官がこれを使って機体を滑走路まで誘導するものです。この時機体の操縦士は管制官の指示に一方的に従うことになります。
現代では計器着陸装置(ILS)が普及しているのでこれを使う空港は少ないんだそうな。


ふふふ、ここに座ったら「なんて事だ、もう助からないゾ♡」と言ってみたいものだ・・・。


ターミナルレーダー管制の画面。
航空機のトランスポンダーが発する機体識別、便名、距離、方位、高度、対地速度がこの画面上に表示されます。


これは飛行場の管制塔を模した実習機材です。これも航空保安大学校にあったものです。



飛行場の模型。これを挟んでこちら側には管制官役の学生、向こう側には操縦士役の学生が座って、周辺の航空機の交通整理と無線通信の実習を行うものです。


この白板はおそらく大学の実習で使われたものかな?正直良く分からん。


御存知セスナ172M (JA3767)です。もう登録抹消されているようですが、前所有者はホンダだった模様。


学生が機体構造やエンジン構造を学ぶための教材として使われています。引退した航空機の余生の送り方としてよくあるやつですね。


親の顔より見たことのある軽飛行機なので、特にまあ、、、。

というところで静岡航空資料館の見学は終了です。
小さい資料館で展示も不完全な部分がありましたが、収蔵品やそれの展示への向き合い方はしっかりしたものだと思いましたし、勉強になることもありました。
最初にも書きましたがここを訪れるのにハードルが高いのが難点ですが、それを克服できるという人は一度行ってみるといいと思います。



資料館退館後、静岡空港の東側にある「だいだらぼっち広場」へ行きました。天気はこの通りドン曇りですが、せっかく来たので飛行機を撮影していきます。


フジドリームエアラインズ(FDA)JH184便出雲発静岡行が着陸してきました。機材はエンブラエルE175 (JA09FJ; ゴールド) です。


うーん、曇り・・・。


続いてエアソウルの仁川発静岡行のエアバスA321-200 (HL8280) が着陸してきました。便名は控えていなかったので分からんちん。


静岡線にA321は過剰供給じゃないの?と思っていましたが、エアソウルはA321しか持っていないんですね。
エアソウルは仁川と日本の地方空港を結ぶ近距離国際線を主軸にしているLCCで、この頃は調子が良かったです。でもしばらくすると日韓関係がまた悪化して搭乗率も下がってしまって、採算の悪い路線はソッコーで運休・撤退していきました・・・。静岡線も当然同年9月に運休しました。弊ブログでエアソウルが出てくるのも今の所これが最後です。


ANA NH1264便那覇発静岡行のボーイングB737-800 (JA73AN)です。
静岡に来るANA便は那覇→静岡→新千歳あるいはその逆という運用で、実質的には那覇発静岡経由新千歳行あるいはその逆、という見方もできます。
那覇~新千歳を通しで乗る人はいるんだろうか?修行僧が好きそうな気がしますが・・・。

これ以降は時間が空くのでこれにて静岡空港からは撤収。


ついでに大井川鐵道へ。金谷~新金谷の間に架かる大代川橋梁で21001系を撮影しました。


ついでについでに新金谷駅の裏の公園から車両区を見ていきます。


E31形のE32号機とE33号機が並んでいました。


もうひとついでに大代側線へ行ってみると、3000系の片方だけ留置されていました。噂では倉庫に使っているとか。

側線の観察を終えたところで帰路へつきました。
おしまい。

静岡航空資料館に行ってきた話 その3【2018/3/7】

2020-10-18 21:18:28 | バス・航空機撮影記
静岡航空資料館の続き。まだエンジンの展示が続きます。
これは日本ジェットエンジンJO-1型ターボジェットエンジン。軸流圧縮式です。
第二次世界大戦に敗戦後日本の航空産業はGHQによりその一切を1952(昭和27)年に一部解除されるまで禁止されていたわけですが、その2年後に製作された研究用のジェットエンジンです。大宮富士工業という会社が通産省からの助成を受けて1953(昭和28)年に開発開始、1954(昭和29)年に完成させました。
第二次世界大戦時に製作されたネ20型につづく国産ジェットエンジンとしてはJ3型が挙げられることが多いですが、その前段階としてJO-1型があったのです。ただし出力が低いことから飛行させるまではいかず、地上で試運転することしかできなかったそうな。
日本ジェットエンジン社というのは、通産省の指導により石川島播磨、富士重工等4社が共同出資して設立した国策企業です。
その後はJ3エンジンを開発したりや通産省が国産エンジン開発の梯子を外したりするんですが、それは脱線してしまうので無し。


初めはこれを国産練習機のT-1に載せるつもりだったらしいです。
ジェットエンジンの種類もそんなに知っているわけではないのでなんともですが、この頃の日本は手癖が悪かったのでどこかの欧米製エンジンのパクリなのかな?と疑ってはしまいます。


このエンジンもよく現存しているなと思います。以前は神田の交通博物館にありました。全く覚えていないが・・・。


続いてエンジン部品の展示。これは写真にも載っていますが空冷レシプロエンジンのシリンダーです。エンジンはライカミングO-320-E2D。
右の大きいひだひだのやつがシリンダーで、左の円柱形のやつがバルブ、その手前のバネがバルブスプリングです。




これはR-2800ダブルワスプのピストン部。


ジェットエンジンのタービンに付いているタービン翼です。超高温にさらされる部分なので耐熱鋼が使用されるほか、超高速回転で遠心力も非常に強いことから強度も求められます。
冷却用の空気孔が無数に空いているのに注目です。ここに融解した火山灰が付着してエンジンが全て停止してしまった事故も起きています(ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故)


実はまだエンジンがあるがちょっと毛色が違います。なんとバルターHWK109-509A-2R型ロケットモーターです。いわゆるバルター機関。ドイツ空軍の断末魔その3、メッサーシュミットMe163戦闘機用のロケットモーターです。詳しい作動原理は各自調べておいてください(手抜き)
その物珍しさから連合国が片っ端から接収していったんですが、なぜか日本にも1基現存しています。かつては旧交通科学博物館に展示されていたものです。これはそこでも見た覚えがありますね。


リアクションモーターズXLR11-RM-5型ロケットモーターです。これは1947(昭和22)年10月、史上初めて水平飛行で音速の壁を突破した超音速野郎ベルX-1搭載のエンジンです。なんと実物です。実機に搭載していた個体なのかは謎ですが、よく日本に残っているな。
ちなみになんでロケットモーターだったかというと、プロペラでは問題外、ジェットエンジンもまだ力不足、ということで消去法的にロケットモーターが選ばれたのでした。
当時はまだ超音速時のジェットエンジンの空気取入口の衝撃波や造波抵抗問題を認識していなかったのですが、偶然にもロケットモーターを選んだことでその問題を回避してしまいました。めでたしめでたし。


プロペラです。下のプロペラほど古いです。順番に書いていくと、このとおり。なお全て実物の模様。
⑥マコーレイ式プロペラ(1950年)
⑤メタルエアスクリュー社式プロペラ(年代不明)
④ハミルトンスタンダート式プロペラ(1934年)
③リード式プロペラ(1932年)
②ルバッスール式プロペラ(1921年)
①ライト式プロペラ(1911年)

どれもプロペラ軸と翅が直結した固定ピッチプロペラです。
前々回のイスパノスイザエンジンで書いたプロペラ固定金具と合致するものも中にはあるのに注目です。
ちなみにかつての静岡県の航空産業といえば楽器製造のヤマハが製作していた航空機用プロペラがまず挙げられると思います。
1921(大正10)年、木製楽器の製造技術に着目した陸軍がプロペラ生産をヤマハに発注したのが始まりで、そのうち金属製プロペラも作るようになりました。戦後はプロペラの工作機械の技術を転用してオートバイの生産を始め、ヤマハ発動機として独立していったという、医者がF1レーサーになったみたいな話です。


こちらも上から・・・
ライト式プロペラ(1911年)
甲式3型プロペラ(1930年)
ユンカース式プロペラ(1930年)
ハーツェル式プロペラ(1950年)
YS11用可変ピッチプロペラ(1962年)

こうしてみると固定ピッチ2枚翅プロペラは飾ったときの見栄えが良いですな。


静岡空港に併設する航空博物館の構想も持っているのだそうです。興味深いことですが、やはり実現することは簡単ではないようです。


小さい部屋にはこれまた模型。これは二宮忠八(1866~1936年)が考案した飛行機の模型。曰く、ライト兄弟よりも先に飛行の原理を発見した人物です。
右のが模型のカラス型飛行器で、ゴム動力でプロペラを回して飛びます。日本で初めてプロペラ飛行を成功させたものです。
カラス型の成功を受けて次は人間が乗る玉虫型飛行器を開発しはじめました。まずはこのような縮尺模型を作成し、次いで実物大を作る予定でした。
しかし資金難とエンジン調達に苦労して開発が遅れているうちにアメリカの片田舎の自転車屋兄弟が有人飛行に成功してしまい、それを聞いた二宮は製作中の飛行機を打ち壊して、以後開発から離れたそうな。つら・・・。



ドルニエDoXですね。エンジンを12発搭載しても高度500mまでしか上昇できずしかも故障続きなので実用化出来ませんでした。


ボーイング727です。



再び展示場へ。これはロッキードT-33シューティングスターです。T-6テキサンと並ぶ御存知航空博物館の常連です。どこにでもいます。これがいないと始まらないぜ、という部分はあります。
コックピットより前が収蔵されています。これは静岡理工科大学の持ち物だそうな。いずれはコックピットの中を覗けたり座れたりするんじゃなかろうか。

カットモデルなので胴体の断面が見れるのはそれはそれで貴重。意外と複雑な形状をしているあの空気取入口の奥はこうなっているのだ。


正面から見ると意外とスマート。機首の上下方向をもっと絞っていればかっこよかったのになぁと思います。


LET L-23スーパーブラニックという全金製グライダーです。LETというのはチェコスロバキアのメーカーです。
20kg分の手荷物置き場があり、T字尾翼と軽量化のためにフラップを無くしているのが特徴なんだとか。
これは日本航空協会のもの。


コックピット。


三田式3型改1B白鴎という鋼管羽布張りグライダー。1955(昭和30)年に三田航空クラブが慶應義塾大学航空部OB会に寄贈した三田式1型の改良型だそうな。
全部で37機製作されたようで、全国の大学や飛行クラブで使われていた模様。しかし1985(昭和60)年に主翼強度不足が発覚して耐空性改善通報が通達されたことで飛行できなくなってしまいました。


横から。


飛行機の車輪ですね。飛行中は必要ない邪魔な重量物ですけど、飛行機には欠かすことの出来ない部品です。


これはボーイング707の主脚の車輪。


エアバスA320の主脚の車輪。


こっちは同前脚の車輪。

というところで今日はここまで。



静岡航空資料館に行ってきた話 その2【2018/3/7】

2020-10-09 23:37:21 | バス・航空機撮影記
牧之原市にある静岡航空資料館の続きです。前回に続きエンジン展示です。
これはライトR-3350サイクロン18です。2,200馬力、空冷星型18気筒です。これの搭載機としては御存知B-29が有名です。戦後も様々な機種に搭載されていたんですが、製造銘板によればこれのサブタイプは-57型で、この型はB-29Aに搭載されていたんだそうな。



レシプロエンジンの最高峰ですがその分気難しいエンジンで、B-29の搭載エンジンはよく燃えたんだそうな。
これもカットモデルにされています。


エンジンプラグに高圧電気を送り込む配電器、横文字でいうところのディストリビューターです。


エンジンシリンダー。後で見る日本製エンジンと比べて放熱フィンがきれいで、ここらへんの工業の基礎はさすがアメリカだなと。交換も割と楽だったようです。
シリンダーへの吸気口と排気口が分かりやすくなっているのも素晴らしいです。


あれ、スーパーチャージャーが付いているんですか。てっきりターボチャージャーだけだと思っていたので、これは知らなかった。ただ、主圧縮機はやはりターボチャージャーなのか、スーパーチャージャーは1段2速に留まっています。この頃だと本気出せば2段2速だって出来たでしょうからね。


ここは主制御器だそうな。


ようやく日本のエンジンが出てきました。中島ハ45型です。ハ45というのは陸軍での呼称で、海軍で言うところの誉エンジン。もうネジ1本まで同じ名称は使いたくなかったんだろうな。
陸軍の疾風や海軍の紫電改で採用されたエンジンで、日本では数少ない2,000馬力エンジンでありますが、離昇出力でめいいっぱいぶん回して2,000馬力なので、限りなくなんちゃって2,000馬力エンジンに近いものです。
ただ、ちゃんと設計通りに生産されて問題なく作動したとしても高性能の過給器と高オクタン価ガソリンを日本は持ち合わせていなかったのでこれでアメリカ軍の機体と渡り合えたとも思えず、どの道詰んでたと思います。


放熱フィンはアメリカのと比べるとちょっと雑な感じ。ただしこのエンジンは中島の飛行場に埋め捨てられていたのを掘り起こしたやつなのでその時の劣化は多少あるでしょう。


第二次世界大戦後の時代になりました。これはコンチネンタルO-470-11型です。空冷水平対向6気筒、210馬力です。
セスナ機みたいな軽飛行機によく載っているエンジンです。これは自衛隊のL-19連絡機用に使っていたそうな。
これは1958年に富士自動車がライセンス生産した第1号で、長年耐久試験に供されていたそうです。
この富士自動車、水平対向エンジンのことだからスバルのことだろうとずっと思っていたんですが、今回改めて調べるとぜんぜん違う会社なのでした。ややこしい・・・。
どこの会社だと思ったら、例のフジキャビンを生産していた会社でした。当然現在は消滅した会社で、最終的にコマツに吸収されたそうです。


ライカミングTIO-540-R2AD型です。ターボ付き空冷水平対向6気筒、340馬力です。搭載機種は多すぎるんで割愛しますが、富士重工が先祖返りしてアメリカのロックウェルと共同開発したモデル700(ロックウェルではFA-300)が搭載したエンジンもこれです。

このエンジンからプロペラも展示されていて、これはハーツエルHC-B3TN-5です。プロペラについては何も分からないので名前だけ書いて終わりにします。


ターボチャージャーは後部にあります。


少し下から。ベルトで繋がっているのはなんかしらの発電器でしょうかね?


エアリサーチTPE331-1-151A型。製造初年1963年のターボプロップエンジンで、ようやくガスタービンエンジンの時代へ。
タービン軸の回転を減速機を介してプロペラ軸の回転に回しています。なので、タービン軸とプロペラ軸は同軸上ではない場合が多いです。これもそう。
ジェットエンジンの仲間に入るので、だったらジェット噴流で飛べよとなるんですが、高速向き、高高度向きでない機体に載せるエンジンの場合ターボプロップの方が効率が良いのだそうな。
このエンジンの採用例としては三菱MU-2が日本では知られているかと。その他多数。


反対側。


コンチネンタルIO-470L型。空冷水平対向6気筒、260馬力です。
今見たO-470-11型と同型ですが、これは燃料噴射装置を追加した型式です(型番の"I"は燃料噴射装置付を示す)。燃料噴射装置を付けたのでキャブレターは無くなってるんじゃないかしら・・・見ただけじゃわからないですけど。でもまあ普通のO-470とは見た目が結構変わっています。


ロールスロイス・ダーウェントMk.V型です。遠心圧縮式ターボジェットエンジンです。初期のターボジェットエンジンで、ドイツに数週間の差で世界初の実用ジェット戦闘機の称号を逃したイギリスのミーティアに搭載されていたものです。
遠心圧縮式は、羽根車で取り入れた空気を遠心力で圧縮するもの。この圧縮空気を燃料と混合させて燃焼させれば高温高圧ガスとなって後方へ噴射され推進力となります。さらにガス噴射する際にタービンを回転させてそれを羽根車の回転に再利用しています。


こっちが吸気口。遠心圧縮式のカットモデルは未だ見たことがありません。どこかに置いてありませんかね。

ここまでで気づいた方もいるかもですが、遠心圧縮式はスーパーチャージャーの機構と似ている部分が多いです。初期のジェットエンジンが遠心圧縮式ばかりだったのはスーパーチャージャーの技術が応用できるというのもあったのかも。
ただし圧縮効果を高めるために羽根車の直径をデカくしなければならんという欠点があります。そうすると戦闘機の断面が大きくなってイカンのです。遠心圧縮式を胴体内に載せたF-86やMiG-15なんかは、意外と胴体が太いんです。よって性能向上には限界があり、しばらくすると軸流圧縮式に取って代わられるのでした。


その軸流圧縮式、アリソンJ35型です。アメリカ初の軸流圧縮式ターボジェットエンジンで、主にF-84、F-89、B-47に搭載されていました。特にB-47は1機に付き6発のエンジンを載せるので、B-47の大量生産もあってエンジンもやたら造られました。
遠心圧縮式よりも全長が長いですが前面面積が小さいので機体を小さく出来ます。この点が買われて遠心圧縮式に代わってジェットエンジンの主力になりました。今はターボファンエンジンが主力ですが、ここには展示されていないので今回はそこまで書きません(手抜き)

ちなみになんでこれだけガラス張りになっているかというと、軸流圧縮機の部分が動くような展示になっているからです。でもここでは動かせるような状態ではなかったです。


吸気口は左側。


これが軸流圧縮機。このやたら羽根の付いた羽根車が回転して空気を後ろに押し込めながら圧縮していきます。ただし1段の羽根車はあまり圧縮させないのでいくつもの羽根車を重ねています。J35の場合は11段です。


圧縮された空気は缶型燃焼器に送り込まれて高温高圧ガスになって後方へ噴射されます。
缶型燃焼器は複数の筒状燃焼器を輪形に配置したものです。これは遠心圧縮式でよく見られるものです。J35はアメリカ初の軸流圧縮式ということで、ここらへんの設計はまだ遠心圧縮式のものを引きずっていたように見えます。
ただ缶型燃焼器は、缶同士の間の空間が無駄になるとか製造の手間もかかるとか、欠点もありました。後年のジェットエンジンでは断面がドーナツ型のアニュラ型燃焼室を採用することが主だそうで。
こう見ていくと意外と少しずつ発見があるな。


んで、排気口からガスを噴出する前に軸流タービンで軸流圧縮機を回すエネルギーを回収します。

というところで今日はここまで。



静岡航空資料館に行ってきた話 その1【2018/3/7】

2020-10-08 23:06:48 | バス・航空機撮影記
2018年3月7日。
静岡市の南側、牧之原市内に「静岡航空資料館」という静岡県の私立大の静岡理工科大学が運営する建物があります。その存在や飛行機の機体のような派手なものは少ないですが中々濃密空間らしい・・・という噂は以前から聞いてはいました。
しかし、ここは水曜日と木曜日の昼間だけ開館し、しかも2週間前までに事前の見学申請をしないといけないということでやや敷居の高いところでした。そんなところ、見学に行けそうな日に休みが舞い込んできたので、電話で見学申請してそれが通ったので、この日に行ってきました。
建物は写真のように飾り気のない倉庫然としたもの。左側に掛けられた看板だけがそれを主張しています。この時点でちょっと期待できます。


ちなみに同じ敷地内にはフジドリームエアラインズの訓練センターの建物も入っています。エンブラエルのジェット機のフライトシミュレーターが置いてある建物です。稀に見学ツアーが開かれて一般公開されていたような気がします。


こんにちは~と中へ入るとこんな空間がありにけり。あ、いいですね。

この建物は本来静岡理工科大学の航空工学コースの実習場所なのですが、静岡県内に散らばる航空資料の散逸を危惧してそれの集約を目的に資料館を設立しています。なので、資料館と大学の実習室が同居したような空間になっています。


ひとりでふらっと見ていこうと思っていたんですが、係員の方が説明しながら回ってくれました。ありがたいなぁ。


飛行機模型ですね。これは御存知ボンバルディアQ400。


ボンバルディアCS100・・・またの名をエアバスA220。なんでこれの模型持っているんだろう。


我らがエンブラエルE170フジドリームエアラインズ。これはあれですね、タミヤの完成品ですね。


パネル展示です。やはり学校法人運営だからかよくまとまっていて飲み込みやすいなと思います。


航空博物館には必ずと言っていいほど存在する大量の飛行機模型を展示してある場所。ここにもあるのか。


展示してある模型は全部タミヤの模型でした。タミヤがここに100作品分寄贈したんだそうな。これだけの数はアメリカの下手な博物館よりも多いでしょうから大したもんです。


充実しているのがエンジンの実物の展示です。骨董品と呼べるものまであってよく集めたなと思いましたが、実は大阪弁天町の旧交通科学博物館で展示されていたものです。同館閉館後に鉄道以外の収蔵品は京都鉄道博物館には継承されずに散逸してしまいましたが、航空関連の収蔵品の一部はJR西日本から借用してここで一般公開されています。
米英の本格的な航空博物館の足元には及びませんが、日本国内であれば結構いい方なんじゃないかと思いますよ。


ドイツのマイバッハHSLu型です。水冷直6、240馬力です。製造初年1915年でツェッペリン型飛行船を始めとした飛行船用エンジンでした。


回転軸にフライホイールが付いているのが特徴だそうな。
こんなエンジンどこから持ってきたんだと思いますが、日本でもN-3型飛行船に同じエンジンが使われていたと書かれているんで、それを収蔵したのかもしれませぬ。


フランスのル・ローンC型です。これの製造年は1922年、空冷星型9気筒、80馬力です。9気筒なので正確には9C型だそうです。メーカー名のル・ローンはフランス語なので表記ゆれが激しく、エ・ローンとかル・ローヌとか色々言われています・・・。
ただの星型エンジンに見えますが、これはエンジン自体が愉快に回転してしまうロータリーエンジンです。中心軸は機体に固定してあるので逆にエンジンの方が回るのです。プロペラはエンジンに直結してるのでエンジンと一緒に回転します。ただ馬力と回転数が上がっていくと色々無理が出てきたんで1920年代のうちに廃れてしまった方式です。

このエンジンは大正時代に輸入したフランス製戦闘機から取ってきたのかなと思います。


1910年代製のベンツの水冷直6エンジンですが、型式はよく分からんらしい。日本での採用例は少ないし、第一次世界大戦時の戦利品じゃないかと考えられています。


第一次世界大戦の航空エンジンといえばこれ、というスペインのイスパノ・スイザです。水冷V8、300馬力ですが詳しい型式は不明です。1921年からは三菱でライセンス生産を始めているんですが、この個体はそのライセンス生産品です。
上のベンツエンジンと比べるとシリンダーが文字通り1本ずつの筒状ではなく、4気筒ずつ鋳造ブロックに一体化されたものになっているのが当時では先進的でした。
それと、これの推進軸にはプロペラを固定する金具が残っています。2枚の円状の金属板の間にプロペラの中心孔を挟んで周りについている棒で固定します。この時期のプロペラにはピッチ変更機能は無いので、推進軸に2枚の翅を1本にまとめたプロペラを直付けしていました。プロペラ部品はこの後出てくるのでそれはまたその時に。



プラット&ホイットニーR-1830型ツインワスプです。S1C3型、空冷星型14気筒、1,200馬力です。弊ブログでも何度か登場しているエンジンで、DC-3、TBD、F4Fなどの第二次大戦時の有名な機体に搭載されていました。


カットモデルになっているのがこれの特徴です。
エンジンの後部には空気取入口があってその先にスーパーチャージャー(機械式過給器)が付いています。空気の薄い高高度でもエンジン性能を安定化させるために過給器で空気を圧縮してエンジンに送り込むのです。圧縮方法は色々あるみたいですが、航空機エンジンに用いられたのは遠心式で、説明書きの真下にある銀色の羽根車で空気を圧縮しています。
ツインワスプのスーパーチャージャーは、1段1速式(増速比7.15:1)の単純なものです。つまり羽根車が1段で、高度によって回転数が変わる変速機が付いてない1速ということです。


前方には遊星歯車式減速機が見えるようになっています。エンジンの回転をプロペラと直結させると回転が速すぎてプロペラ先端が音速を超え却って推力が無くなることがあるので、減速機を噛ませて適正な回転数に落としてやる必要があります。同時に歯車のトルクを使って大きな力に変換させる役割もありにけり。
ここらへんはよく知らないので資料館の説明をそのまま拝借すると、ツインワスプの減速比は2:3、遊星歯車式を使うのは入力軸と出力軸を同軸上に配置できるからだそうな。


プロペラスピナー部分もカットモデルになっています。
1930年代では可変ピッチプロペラが一般化しましたので、これもそうなっています。プロペラは1翅ずつ独立していて、速度ごとに適切な迎角に調節することで効率化を図っています。

こういうエンジンのカットモデルは日本の航空博物館ではよく見られる展示でありがたいです。逆に航空機の本場アメリカやカナダではほとんど見ません。スーパーチャージャーや遊星歯車式減速機をまじまじと見たことは無かったので、これはありがたかったです。

というところで今日はここまで。



第8回水上機大撮影大会(最終回)【2016/6/24】

2020-09-29 22:13:53 | バス・航空機撮影記
2016年6月24日。
カナダを国外追放されるまであと4日。風呂敷もだいぶ畳んできましたが、最後にもう一度ビクトリアのインナーハーバーに飛来してくる水上機を撮影しに行ってきました。直前になってちょうど風向きの良い日が出てきたので、いざ出撃です。ちょっと雲が厚くて悪かったんですが、次があるかも分からんですし、ここは強行します。


とりあえず最初に来たのはハーバーエア371便DHC-3T (C-GHAG) でした。


ブラックボールフェリーのMVコーホーもポートエンジェルズへ向けて出港していきました。


何度も出入港しているところを見ていますが、ついぞ一度も乗ることがなかったぜ。


次に2210便DHC-3T(C-FHAS) が飛来。


横から。


今度は222便DHC-3T (C-GHAZ) が離水へ向けてタキシング。


223便DHC-3T (C-FRNO) が飛来。


着水直前。着水直前はほんの一瞬ですがこの高度と姿勢を維持して直後に着水します。まっすぐに着水するとダメなんだろうなと。


376便のC-FHASが離水準備です。


377便DHC-3T (C-FHAA) が飛来。


アザラシが顔を出していました。フィッシャーマンズワーフでたらふく餌を食べた帰りでしょう。


377便の続行便でDHC-3T (C-FJHA) が飛来。


後追い。いつの間にか晴れてきて、雲はまだ居座っていますが日が差すようになってきました。


飛行場へ向けてタキシング。水上タクシーと一緒に。


2230便DHC-6-100 (C-GQKN) が飛来。ハーバーエア塗装に塗り替えられた新塗装機です。


最後にDHC-6が見られてよかったですよ。


これでもう満足したので、DHC-6が通り去ったら帰りました。


さてこれで日付上ではカナダでの撮影記録はおしまいです。
この約1年半強のカナダでの生活は私の人生に益をもらたしたのか、今のところはまだ判断が分かれるところです。たぶん死ぬ直前まで分からんだろうにゃ。


見聞は広まったような気がします。航空分野と海外鉄道への関心はこの期間に一気に花開いたと言えます。
行きの時はスカスカ気味だった2つのスーツケースは、変える前はどうやっても収まらない量のプラモデルと鉄道模型でいっぱいになりました。他に何か入れてくもんあっただろ・・・とは思いますが。
結局、プラモデルの箱は蓋だけ残して捨ててしまって、蓋も1枚の厚紙に戻してカサを減らし、それでも入り切らないやつは郵便で送ってしまいました。


資料関係も全て持って帰ってきましたが、紙は重いのであっという間に飛行機に預けられる許容値を超えてしまい、課金する羽目になりました。とほほ。


約1年間、毎日の通勤と休みの日のお出かけ、それと空港のスポッター活動に付き合ってくれた自転車君とも国外追放2日前に自転車のリサイクル屋に放出してお別れしてきました。最後は変速スイッチが壊れ気味だったけど、自転車くんのおかげでできたことはかなりあったのぜ。
自転車でビクトリアを走り回って、美しい町だと思いました。坂道が多いのがちょっとアレだったけどね。


じゃあこれでさよならさよならさよなら、と風呂敷を完全に閉じたいところですが、実はYYJの撮影と今回の水上機撮影の間に最後の遠征旅行北米project5が8日間分残っています。
ところが今は東南projectの執筆中。海外旅行を2本並行で書くのは執筆カロリーが高くてしんどいので、北米P5は東南Pが完結してから書き始めます。それまでちょっと待っていてな。


第5回ビクトリア空港大撮影大会(最終回) 後編【2016/6/9】

2020-09-27 22:31:15 | バス・航空機撮影記
YYJ撮影の続きです。RWY27で撮影します。
ウェストジェット・アンコールWS3182便バンクーバー行のボンバルディアDHC-8-400 (C-FENY) が離陸。


個人所有のパイパーPA-31-325ナバホ (C-GDFR) も離陸。


さらにさらにパシフィックコースタル8P1417便プリンスジョージ行きのサーブ340A (C-GPCG) も離陸。
この機材は、2016年になってから施工された新塗装への塗り替え機です。胴体の白と紺の間にオレンジの帯が入るようになりました。一応、駐機状態での写真は撮影してありましたが、最後に飛行状態での撮影ができてよかったです。


後追い。


個人所有のセスナ210センチュリオン (N210AK) です。これ初めて見た機種です。胴体から生えている主翼の支柱が無いのが一見して分かる特徴ですかね。


これもまた見たことのない機材です。設計が古そうで、しかも水上機です。
調べてみると、ファウンドFBA-2C1ブッシュホーク (C-GZCK) でした。
ファウンド航空機 (Found Aircraft) が開発した4~5人乗りブッシュプレーンで、初飛行は1960年。ファウンドは2014年に破産して消滅しています。


ウィキペディアさんによればFBA-2自体は68機しか製造されなかったみたいで、そうならばレア機材を見かけたことになります。ラッキーでした。


エアカナダ・エクスプレスAC8075便バンクーバー発のDHC-8-300 (C-GKTA) が着陸しました。今日300型を見たのはこれが初めて。


ウェストジェットWS103便エドモントン発のボーイングB737-700 (C-GGWJ) が着陸。夕方になってきたので、ジェット旅客機が飛んでくる時間帯になりました。


ターボプロップ旅客機や個人用単発レシプロ機の方が多く飛んでくるYYJにおいて737は大型機材のように見えます。



個人所有のビーチ100キングエア (C-FAXE) です。


エアカナダ・エクスプレスAC8076便バンクーバー行のC-GKTAが離陸していきました。


続いてウェストジェットWS227便カルガリー発の737-700 (C-GWBX) が着陸。


最後のサプライズ、KFカーゴFK574便バンクーバー行のコンベアCV-580 (C-FKFZ) が離陸していきました。
KFカーゴはBC州ケロウナを拠点にする貨物航空会社で、そこの主力機材がCV-580です。民間旅客機ではもう現役の機材は無いと思いますが、貨物機ではこのように現役でいます。この個体は1954年製だそうです。還暦超えてますがな。


以前にも一度見たことがありましたが、再び空飛ぶコンベア機を見ることができるとは思わなかったです。これ、離陸する時刻は決まっているのですが毎日飛んでいるわけではないようですので。


後追い。


パシフィックコースタル8P118便バンクーバー行のビーチ1800C (C-GCPZ) も離陸。


水平尾翼の他にも安定板が胴体から伸びているんだなーってのを今見つけました。


個人所有のパイパーPA-31-350 (C-GXHK) です。



最後にウェストジェットWS524便カルガリー行のC-GGWJを撮影して終了です!

これにて何度も通い続けたビクトリア空港の撮影は終了です。
YYJは滑走路2,000mの地方空港ですが、様々な旅客機、ビジネスジェット、軽飛行機が飛来する飽きの来ない空港でした。これでお別れですがまたいつか一日中スポッターをやってみたいなぁと思います。
というところでおしまい。