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北米project 4 ~Is the order a warbird? その86【2016/03/04~10】

2019-04-30 23:39:57 | 海外旅行記
2016年3月8日(火)9時25分
 アリゾナ州フェニックス バレーメトロ セントラルステーション
モーテルの料金に含まれている安朝食のシリアルとコーヒーを食べたら5日目の開始です。

昨日までの4日間、博物館で飛行機を見ていてばっかの日々でしたが5日目にも慣ればいい加減飽きてくるだろうなと思っていたんで、今日は飛行機からは離れます。
その代りにすることはこの時期フェニックスで行われているメジャーリーグの「スプリングトレーニング」の観戦です。球団が開幕前に行う練習ですな。プロ野球が2月頃に沖縄で春キャンプをやるのと同じようなものです。
メジャーではフェニックスとフロリダ州マイアミの2箇所でやっています。概ね西海岸側の球団がフェニックスに来るみたいです。
スプリングトレーニングでは各球団同士で練習試合も行われます。カクタスリーグ(サボテン)といいます。非公式とは言えメジャーの試合を見れるとあって、ツーソンのついでにちょっと行ってみようと思ったのですね。

モーテルから歩いてセントラルステーションというところに行きます。ここはフェニックスの公共交通機関バレーメトロ(Valley Metro)のバスターミナルです。あとはバレーメトロのLRT、バレーメトロレール(Valley Metro Rail)の電停もあります(Van Buren/Central AveおよびVan Buren/1st Ave)。
ここから電車とバスを乗り継いで球場まで行きますが、その前にここで少しの間バレーメトロの路面電車と路線バスを撮影します。

まずはそこの券売機で切符を買います。
1日乗車券というのがあるので、それを買います。バレーメトロは1乗車2ドルの均一運賃でありながら1日乗車券はたった4ドルで買うことが出来ます。2回乗るだけで元が取れるのは強いです。


これがバレーメトロレールの電車(#133)。あんまりかっこよくないかな・・・。例によって型式名は無しですが、100番台の番号なので100形とでもしておきます。
製造は近畿車輛でして、言われてみるとシアトルのLRTセントラルリンクの電車と似ています。車両構造も3車体連接3台車で同じです。


これがバレーメトロの路線バス。緑と紫がイメージカラーですが、塗装はバスによりマチマチ。
バスの車種はいくつもありますが、これはNABI(North American Bus Industories)の40-LFW LNG(#6296)。中でもこれは1989年初年製造の第1世代。LNGというのは液化天然ガスのことで、LNG燃料車ということですね。
40-LFWはバレーメトロが初めて導入した車種でしたが、第1世代は引退が進んでいてこの#6296は記事を書くまでの間に廃車になってしまいました。
1980年代末は北米でノンステップの低床バスの導入が始まった時期でありますが、初期車の導入からそろそろ30年という時期にあり徐々に置き換えが進んでいるようです(アメリカの路線バスは公営なので置き換え時期が早いのだ)。初期のノンステ車を普通に見られるのもあと数年というところかもしれません。


車種が分かりませんでしたがどっかの社有の二階建てバス。


バレーメトロのNFI C40LFR(#5105)。カナダのNew Flyer IndustriesのLFR系列のひとつ。CはCNG(圧縮天然ガス)燃料車です。


NFI D40LF(#6536)。LF系列は初期のノンステ車ですが製造期間が1989~2010年と長いです。これも2007年製と見た目の割に新しいです。
ところで屋根に何も乗っていないけど、非冷房車じゃないだろうね・・・?


NABI 40-LFW LNG(#6296)。乗降口側はこんな感じ。これも執筆時現在は廃車済み。


100形(#101+#126)。トップナンバーを見れました。
LRVは早朝夜間を除いて2編成連結して運転しているようです。平日ラッシュ時はさらに繋いで3編成で運転するらしい。


連結器はバンパーみたいな覆いの裏に収納されていて、覆いを開けると連結器が出てくる仕組み。見た目が良い上に、自動車や歩行者との接触時に出っ張った連結器による損傷や怪我を防ぐ意味でも有用なのだと思います。


ちなみに乗り場には世界各地の鉄道路線図を抽象化したモニュメントがあります。
フェニックスで東京の路線図を見たところでどうしようもないので実用的には何の意味もない飾りです。


で、世界屈指の鉄道路線密集地帯である東京の路線図もありました。
が、さっぱり要領が掴めない。まあるい緑の山手線しか分からないじゃないか。真ん中通る中央線すら無いじゃん。


でも図を90度傾けてみるとなんだか中央線っぽいものが見えてきます。
なんだかこうしてみるとそれっぽい路線図に見えてきますね。


そこからテキトーに路線を当てはめていくとこんな感じになるんじゃないかな。異論は認める。
ちょっと苦しい部分はあるけど、東西南北は合ってるんじゃないかな?

つーか、山手線を記号にしているだけであとは割といい加減なんだと思います。
でも環状線とその内側に通るS字の路線、環状線の左下からやたら外側に伸びてる路線ってだけでなるほど東京だと見当がつくもんですから、意外と特徴は捉えられているんじゃないでしょうか。


こっちはロンドンの路線図。これも左に90度傾けてみるとなんだかそれっぽく見えます。
東京の路線図はJR、私鉄、地下鉄が入り混じってカオスでしたがロンドンはどうも地下鉄の路線図だけを参考にしているみたいなので路線特定の難易度が数段下がってそうです。

他にはサンクトペテルブルクのもありましたが、これは川の地形まで描かれていたので東京よりも難易度が一桁は下だろうという内容でした。東京が難しすぎなんですねぇ。


そいでは球場へ向けて出発(#130+#124)。


球場最寄り駅へ向けて一直線に行こうと思いましたが、車窓を眺めていたらカブースを見つけたのでその次の駅で下車。Mill Ave/3rd St電停で降りました。
電停はこのように簡易的で現代的な造りになっています。


道路を渡った先にカブースが見えます。バレーメトロレールの線路は曲線になっていて、なんだか電車を撮るのに良さそう。


カブースを見つけました。4~5台くらい置いてあります。
が、博物館や資料館ではなく、ここはメキシコ料理を出すレストランなのでした。これだと入りにくいしそもそも開いてないしだったので、とっとと引き上げました。


電停に戻ると鳥が止まっていました。そりゃいるんでしょうけど、砂漠にもこういう小鳥がいるもんなんですね。


次に乗る電車が来ました(#107+#126)。目論見通り、アウトカーブからのいい角度で電車の写真を撮れました。


Sycamore/Main St電停で下車して、そこからバスに乗り換えます。
電停前のバス停から#96系統Mesa Riverview行きに乗ります。バスはNFI C40LFR(#6598)。バレーメトロでは自転車も載せられるのだ。フェニックスはひたすら平らな地形だから自転車移動が楽そうでいいな。

脱線しますが、バレーメトロの路線バスの路線は変わった形態をしています。LRTのバレーメトロレールを基幹路線、その各電停から路線バスが数系統ずつ出ているという形態です。路線バスがダウンタウンのバスセンターに集中して乗り入れるというよくある形態ではないのですね。
路線バスも東西南北に伸びる道路を網目状に網羅しています。電車とバス、あるいはバスとバスとの乗り継ぎを考慮した運用になっていて興味深いものになっています。
ていうか、路線図を見れば変わった路線網なのが分かると思うんで、見て。
碁盤の目状の都市でないと展開しづらい路線図だと思いますが、京都市あたりでは使えそうな気がしますがどうなんでしょうね?

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その85【2016/03/04~10】

2019-04-29 23:11:55 | 海外旅行記
2016年3月7日(月)15時22分
 アリゾナ州ツーソン グレイハウンドバスステーション
ピマ航空宇宙博物館をぼろぼろになりながらもやっつけて、タクシーでバスターミナルまでやってきました。
タクシーを降りるときに支払いで少し揉めたような気がしましたが、もうあんまり覚えていませんね・・・。

さてツーソンとはもうおさらばでして、この後は現代アメリカの幌馬車、高速バスの「グレイハウンド」に乗って次の街フェニックスを目指します。
ですが時間にはだいぶ余裕を見たので、バスの発車時刻までまだ1時間以上あります。
バスターミナルで待っているのももったいないので、少しだけ散歩をしましょうか。というか、ツーソンにはLRTが走っているのでそれを撮りに行きましょう。


バスターミナルのすぐ横がLRTの線路なのです。アクセスが便利。


ツーソンを走っているLRTはサンリンク(Sun Link)という名前です。2014年に3.9miles (6.3km)が開通したまだ新しい路線です。
乗車はしなかったのでどんな路線なのか詳しくは分かりませぬが、路線距離的に市内電車的な路線なのでしょう。


車両は3車体連接2台車式のLRVです。ユナイテッドストリートカー社(2005~2015年)製の200形というモデルを導入しています。100形の改良型で、空調装置を強力なものにしてるんだとか。アリゾナだからね、クソ暑いからね。
ちなみにユナイテッドストリートカーの車両は、元を辿るとチェコのシュコダ社のT10形のライセンス生産品です。なのでなんだかシアトルで見覚えのあるような形をしています。


メタリックブルーの塗装がかっこいいですね。涼し気な塗装なのはクソ暑いから?
ちなみにアメリカのLRTあるあるの、車両形式は決められていないやつです。車番は100番代が振られているので、便宜上100形とでもしときますかね。
何本か路面電車を撮ったところでここは撤収。


もう少し遠くへ歩いていって、今度は路線バスを撮影。
ツーソンの公共交通はサントラン(Sun Tran)という公営交通が運営しています。路線バスを主体に、今見たサンリンクも運営しています。
バスはギリング製のものが主力になっています。すべての車が天然ガスやバイオディーゼルを燃料にしていることが自慢。
これはGilling Low Floor CNG 40'(#3235)。ギリングの現行車種で、40ft長、ノンステップの天然ガス車ですね。40ft=12.19mなので、日本の大型路線バスよりもやや大きいくらいです。


スクールバスもやってきました。Blue Bird TC/2000です。所有はツーソン統一学区(Tucson Unified School District)。
アメリカのスクールバスというと、ボンネットの突き出たものを想像しますが、路線バスのような箱型のバスも存在します。スクールバスは車体の違いによりA~D形に区分されますが、箱型車体のスクールバスはD形に区分されます。乗車定員が多いので意外とそこら中で見かける主力区分になっています。
ブルーバードには元々オールアメリカンというD形の車種を製造していましたが、オールアメリカンの陳腐化や競合車種との価格への対抗からTC/2000が1988年に開発されました。2003年に生産終了し、オールアメリカンに統合されましたが。
これ以上は脱線してしまうのでここまで。


Gilling Low Floor '40(#3103)。これはディーゼルエンジン車ですが、上記の通りバイオディーゼルを燃料にしています。
それにしてもこの塗装、弧の向きが逆ですがそれ以外は佐川急便そっくりですね。


ツーソンの町並みを少し。
高層ビルが数本建っているし路線バスは結構な頻度で来るしLRTも走っているし、そこそこ都会ですね。


ぶらついている間に時間になったので、グレイハウンドのバスターミナルへ戻ります。
ちなみにこれを書いている現在、グレイハウンドバスターミナルは現在はここより北側に移転していて今はありません。今はトレイルウェイズ交通という別の高速バスが持っているようですがよく分かりません(丸投げ)

まず待合室に入る前に改札があり、そこで検札と手荷物検査があります。テロ対策なのか、そこらへんは日本よりも厳しいんだね。
で、待合室のベンチで呼ばれるまで待ちます。ちなみに建物内にはトイレとか簡単な売店がありにけり。
で、呼ばれたら写真に写っている競走馬の発馬機みたいな改札に並んで再度検札(改札するのは5本の通路のうちひとつだけ)。表に停まっているバスに乗り込みます。


表にバスが停まってました。いつものように乗車するバスの写真を撮っていたらそこにいるお姉さんに強い語気で注意されてしまう。普通は撮影禁止ってわけじゃないんですけど、人によってはこういう事に遭遇しますね。これでビビってしまい、以降車内ではあまり写真を撮りませんでした。

バスはMCI D4505(#86356)。MCI(モーターコーチ)はグレイハウンドのバス製造部門です。昔存在していた西日本車体工業みたいなものです。今はカナダのバスメーカーに買収されてしまったんですけど、ブランド名は維持しています。なので、グレイハウンドとMCI製バスの組み合わせは鉄板なのです。

乗る便はツーソン16:45発フェニックス行きのGLI9496便。始発便です。ツーソン発のバスには今回の始発便の他によその町からここを経由して停車する途中停車便もありますが、それだと遅延していそうなので時刻どおりに動く始発便を選んだわけ。
終点のフェニックスには19:10到着予定。約110miles(177km)、2時間半のバス旅です。ちょうどよい。

なお驚くべきは乗車賃でして、たったの$10しか取りません。え、こんなに安くていいの?大丈夫?と初めは疑いました。
比較として、私がよく乗る静岡駅~バスタ新宿を結ぶ「渋谷・新宿ライナー」という高速バスがありますが、これが約180kmを3時間で結びます。今回の9496便と同じですね。これの普通運賃が3,000円弱、割引運賃でも2,300円くらいなので、グレイハウンドは安すぎだしどうやって儲けてるんだ?と思いますわな。
あんまり安いんでちょっとビビっています。無事に着けるのかしら・・・?


座席は自由席。乗客は10人位だったので余裕でした。
運転席はアクリル板で防護されていて、ちょっとした暴漢くらいだったら大丈夫そうだけど気休めだよなぁ。
車内にはコンセントとフリーWi-Fiが備わっているので、もう快適なことといったらないですね。
ただトイレからの匂いがキツく、そこにションベンの匂いを消すための消臭剤の匂いが混ざってあれはもうダメでした。$10だとこうなるのか・・・。


発車するとバスはひたすらインターステート10号線に沿って北西へ向かって走ります。
基本的に砂漠、時々町という風景ばかり広がります。時にユニオンパシフィックの貨物列車とすれ違います。ここらへんは元々サザンパシフィックの縄張りだったはずだけどユニオンパシフィックに吸収されてしまいました。

つーかあれだな、砂漠をひた走る光景、西部劇の幌馬車みたいでいいな。グレイハウンド、まさに現代の幌馬車であるぞ。
〽ワゴン・マスター 急げよ幌馬車~


2016年3月4日(月)19時10分
 アリゾナ州フェニックス グレイハウンドバスステーション
なんと!定時で着いたぞ!始発便作戦大成功!
乗る前はヒヤヒヤしましたがなかなかおもしろかったですね(喉元過ぎればなんとやら


グレイハウンドのバス停から歩いてバレーメトロ鉄道の24th St/Washington電停まで。そこから路面電車に乗ってVan Buren/Central Ave電停まで。


モーテルの最寄り駅ということで降りましたが、ちょうどここは路面電車とバスターミナルの接続点なのでした。
明日の朝ちょっと寄ってみましょう。


本日の宿、アメリカズ ベスト バリュー イン。
まさにモーテルという雰囲気が漂っていて素晴らしい。元グリーンベレーと元コマンドー(あとルームサービス)がいそう。


古めかしい建物とは裏腹に部屋は意外ときれいでした。
隣の部屋とは繋がっておらず、ケンカをして扉を突き破ったらベッドに居る真っ裸のカップルが驚くとかそういう展開は起きそうもない。


部屋に荷物を置いてから夕飯を食べに出かけます。今日も昼飯を食べる余裕がなかったので朝飯以来のご飯です。昼飯抜きもこれで4日目だゾ!
モーテルから一番近かったから、という理由でマクドナルドにしました。毎日疲れてるけど今日はもう疲れたもんでね。日本で食べるのと変わらんねぇ。


4日目はこれにて終了。
明日は休憩がてら、この時期のフェニックスならではのスプリングトレーニングを見に行きます。
ということで今日はここまで。



【1/24】トヨタ NCP160V プロボックス【ギャラリー】

2019-04-26 22:44:27 | 模型ギャラリー

キット:アオシマ ザ・モデルカー#65 トヨタ NCP160V プロボックス 2014
仕 様:NCP160Vプロボックス シルバーマイカメタリック

商用バンのプロボックスを作りました。
キットは数年前に発売されたものですが、意外と作りにくかったです。



商用車っぽい色ということでシルバーで塗りました。
前に作ったハイエースに比べたらそれっぽい色味が出たんじゃないかと思います。



後輪は金属製のバネがあって、それで後輪軸が上下にビヨンビヨンとするわけですが、調整をサボったので少し尻上がりになってしまいました。







フロントとリアのバンパーは、塗装せずに黒の成形色のまま。トップコートも掛けていません。
普通だったらプラスチックっぽさが出て減点ですが、プロボックスの場合はバンパーは樹脂がむき出しなので、むしろこの方が自然体。



ランナー配置的には前期型も作れそうな構成なのですが、私は現行型の方が好きなんで。



以上トヨタプロボックスでした。

【1/24】トヨタ プロボックス 製作【アオシマ】

2019-04-25 22:45:42 | スケール模型製作記

いきなり製作中の写真からスタートですが、アオシマのプロボックスを作りました。こういう働く車は好きなので絶妙な選定ですね。
シャーシは真っ白なんですが、特に塗装せずにそのまま組み立ててしまいます。完成したら見えなくなるし。



ただし車輪周りは黒で塗装しておきます。



後輪軸は実車さながらの機構があって見かけは実感的なんですが、めちゃくちゃ組み立てづらいです。手があと4本は要るかなって感じ。



数十分格闘してどうにか組み立て終えます。ぜえぜえ・・・。
あんまり動かすと接着が取れてしまいそうなんであんまり触らないようにします。



内装はフロアがないんで、シャーシの裏側がフロアになります。
ここも限りなく見えなくなるところなので、いい加減に塗ります。



塗装した内装部品を組み付けます。
座席は位置決めするようなガイドが何もないので慎重に接着しような。



外装は社用車らしいシルバーで。
余っていたタミヤのシルバーリーフを塗ったらいい感じになりました。



スミイレしてデカールを貼ってクリアコートして研ぎ出しします。



最後に各部品を組み付けていけば完成。



社用車っぽいかんじで満足です。


続きはギャラリーにて。

北方project ~Welcome to Hokkaido. 最終回【2017/5/3~7】

2019-04-22 22:37:03 | 旅行・イベント記
2017年5月5日(金)17時24分
 北海道苫小牧市 苫小牧西港フェリーターミナル
苫小牧駅からバスに乗ってやってきたのがこちら。フェリーターミナルです。
言わずもがな、これからフェリーに乗ります。


夕暮れの苫小牧港。
貨物船にトレーラー。港湾ですなぁ。


船体に描かれた太陽の絵。はい、さんふらわあですね。
商船三井フェリー「さんふらわあさっぽろ」に乗り込んで北海道を去ります。行きは飛行機だったけど帰りは船旅というのがオシャレ。次の日には大洗に着きます。


出港。
バイバイ北海道。次は2019年1月くらいに道東に行くよ。





フェリー飯を食べます。美味いかというとまあその・・・という感じなのが。でも食べ放題なので好きなだけ食えるぞ。


〽あの頃の僕らはまだ~

さんふらわあさっぽろと言えば劇場版ガルパンに登場した船としてアンドロメダ星雲の果てまで知られた存在ですが、2017年での引退が予告されていたので普通にサヨナラ乗船になりました(その後同年10月に引退しました)
なので船内を色々探検していました。

5月5日はこれにて終了。さっぽろで一泊。
ちなみに個室は満室でしたんで、大部屋で雑魚寝でした。


2017年5月6日(土)
 福島県相馬市沖 さんふらわあさっぽろ船内
おはようベネット、今朝は冷えるな、えぇ?
朝飯を食べます。


外に出ると、あーあー濃霧だよもう。


外があんななんで、船内映画館でジュラシックワールドを見てました。
俺は結構好きだよ、この映画。


2017年5月6日(土)13時39分
 茨城県大洗町 大洗港
大洗へ着きました。下船です。外へ出てみると温度が高いし湿度も高い。どうしようもない。北海道はやはり涼しかったのだ。
奥に停泊しているのはさっぽろではなく、「さんふらわあふらの」。新造船の方です。ふらのはさっぽろよりもひと足早く代替わりしました。確かこの直後にデビューしました。


こっちは「さんふらわだいせつ」。苫小牧~大洗航路は夕方便と深夜便の2往復があり、便ごとに船の運用が分けられています。
だいせつともう1隻「しれとこ」は深夜便担当で、私達の乗ってきたさっぽろとふらのは夕方便担当なのです。


下船後は大洗を少し観光。まいわい市場(仮)にあるガルパンギャラリーをば。
劇場版にも出ていたショッピングモールで営業していましたが、施設の運営会社とゴタゴタがあって掘っ立て小屋に一時移転していた時期でした。


歩いて鹿島臨海鉄道大洗駅まで来ました。
ここは変わらんね。


ホームに上がると新型車の8000形が止まっていました。
前面はNDCシリーズ、側面は関東鉄道のなんか変わったやつ。


乗るのはこちら。6000形の水戸行きです。


水戸駅からはJR常磐線に乗り換え。特急「ときわ」82号で上野まで。
車両はE657系ですが、なんかいつの間にボンネットに鉄板(?)が貼り付けられてたんですね。踏切事故でなんかあったんだろうねぇ。


上野駅に着きました。
ついでなんで、伝説の上野駅13番線ホームの様変わりした様子を見に行きました。


荷物の積み下ろしをしていたホームも今は昔。


この日は静岡に帰らずに相模原の旧IORI工房事務所に転がり込んで一泊。
一人でマリカーをしてキノピオハイウェイのミラーで遊んでました。このコース何回やってもマジキチだよね。
(通常では道路を走る車と同じ方向を走るのだがミラーではプレイヤーが逆走するのだ)


2017年5月7日(日)9時17分
 東京都江東区 東京ビッグサイト
ゴールデンウィーク最終日はなんかビッグサイトへ。


そうです、例大祭です。ZBSで売り子をやってました。
例大祭が終わった後は静岡へ帰りました。

といったところで北方Pおしまいです。
以上。

北方project ~Welcome to Hokkaido. その19【2017/5/3~7】

2019-04-21 21:21:16 | 旅行・イベント記
2017年5月5日(金)13時30分
 北海道芦別市 北海道大観音

一行はカナディアンワールドを出国し、国道452号線を南下します。10分くらい車を走らせていると背の高い観音像が見えてきたので、少し寄り道することに。
「北海道大観音」という1989年に建立された最近の観音様。カナディアンワールド公園同様、炭鉱の閉山で斜陽化する芦別市が観光開発の一環としてぶち建てたもの。観音を中心に据えた仏教テーマパーク「北の京芦別」の建設をもくろんでいたらしい。あっちではカナダを建国したかと思ったら、こっちでは仏教都市をぶち上げて、なんつーか、まあ。
当然ながらカナディアンワールドと同じ運命を辿り、北海道に残されたバブル期の遺産のひとつとして一部のB級観光地マニアの間で人気を博していましたが、北の京芦別はカナディアンワールドよりも早い2013年に力尽きてしまいました。今はこの北海道大観音だけ宗教団体に引き継がれています。

時間はなかったので、外から観音様を拝むだけとなりました。
はい撤収。滞在時間5分。

芦別市街地では、まだだったお昼をセイコーマートで食べました。
セイコーマートは町に行けばそこら中にあるもんではない(町に2~3箇所)、ホットシェフが無い店舗もある等、新たな知見を得られました。


芦別市街からも452号線をただ南下します。程よい山道で、山陰にはまだ雪が残っているゾ。


同年同月同日14時58分
 北海道夕張市 シューパロ湖東岸

1時間くらい走り続けていると、夕張には欠かせないシューパロ湖が左側に見えてきました。ちょうどちょっとした駐車場があったので一瞬だけ寄ることに。
眼前に広がるのがシューパロ湖ですが、数年前までは普通の夕張川でした。2015年に完成したシューパロダムによりシューパロ湖の水域が拡大し、この地域も沈んで湖になりました。
なおシューパロダムが竣工する前にあった旧シューパロ湖も大夕張ダムが造り出したダム湖です。大夕張ダムと旧シューパロ湖はシューパロダムによって水没してしまったという、なんだかスケールのデカい話です。


遠くに見えるのはたぶん夕張岳。


大夕張ダム建設時に沈んでしまったと思われる鹿島東小学校。

はい撤収。滞在時間5分。


同年同月同日15時7分
 北海道夕張市 旧南大夕張駅

夕張のイチオシ観光スポット(当ブログ調べ)である旧南大夕張駅に来ました。三菱石炭鉱業が運営していた運炭鉄道ですが、地元民の足にもなっていました。1911年開通、1987年廃線。
廃止後は三菱大夕張鉄道保存会が車両の保存や地域交流なんかの活動を行っています。
旧南大夕張駅のホームであるここには6台もの車両が保存されていて、見応えのある施設であります。


プラットホームだってちゃんと残っています。雰囲気満点。


ちょっと足場が悪いですが編成写真のような構図も取れます。
先頭の黒い車両は機関車ではなくてラッセル式除雪車のキ1形。国鉄のキ100形の同型車ですが、大夕張鉄道用に新造したものです。


スハニ6。国鉄の客車とはどこか微妙に異なるスタイル。
荷物と座席の合造車ですね。小さい扉の向こうにあるのが荷物室です。


荷物室は活動実績の紹介とかが展示されていました。


客室はこう。ナイス旧型客車という雰囲気。
他の客車は閉まっていました。イベントのときに行こうな。


ぐるっと一番うしろまで回り込みまして、セキ1+セキ2。石炭ホッパー車です。
同形状同形式にまとめられているんで分かりにくいですが出自が異なっています。
手前のセキ1は1911(明治44)年製のチョー古い車。オテセ9500として新造されてから色々転々して旭川電気軌道から大夕張鉄道へ。奥のセキ2は1934(昭和9)年製。これも旭川電気軌道からやってきたやつ。
大夕張鉄道が運んでいた石炭ホッパー車は国鉄から乗り入れてきたものがほぼ全てだったので、この自社の石炭ホッパー車は自社内で消費する分を運ぶのに使ってたんだとかで。


三菱ふそうMAR470。1967年式の路線バスです。扉が前側1箇所のいわゆるワンロマというやつ。
また古いものが残っていますが、動態保存されています。ナンバーが無いので道路は走れないかもですが。大夕張鉄道で使っていたものだそうな。


続いて客車の方をば。ナハフ1。1937(昭和11)年日本車輌製。1形式1両のいわゆるワンオフです。
鉄道省のスハ32系っぽい見た目の客車ですが自社発注車なので微妙に違うらしい。
特徴的なのは車内で、実は車端部がロングシートのセミクロスシート車なのです。さらに片側の端は車掌室に改造されてその分客室が食われています。


台車はTR23ですね。


オハ1。1906(明治36)年鉄道局新橋工場製。古典鉄道クラスタの間ではおなじみの新橋工場で造られた客車の生き残りがこんなところに・・・。まあ後述しますが原型は留めてないんですけども。
初めは寝台車のオネ7として造られた後、荷物車のスニ19952、座席車のオハフ8857の順に改造され、1952(昭和37)年に大夕張鉄道にやってきます。
購入後はすぐに車体更新されて、国鉄オハ60系と同等の車体を手に入れます。ただし台枠より下はそのまんまなので、本来のオハ60系には無い台枠のトラス棒が残っています。


台車はTR11。


最後はスハニ6。1912(明治45)年鉄道院大宮工場製。
経歴のすごいやつで、まずオロシ9216食堂車として新製され、荷物座席合造車スハニ19114、1951(昭和26)年に美唄鉄道に譲渡されてスハフ6座席車に、1954(昭和29)年に車体更新を受けて鋼体化改造された際に荷物室を設置してスハニ6へ。1967(昭和42)年に大夕張鉄道に転属してここへやってきました。
ちなみに大夕張鉄道にやって来た後に荷物室は位置を反対側に移していまして、窓に名残が残っています。手前側がもともとあった荷物室で、一番手前の窓の下に一条の線が出っ張っているのに注目してください。あれは荷物扉の靴摺りの名残で、あそこに荷物扉があったんだと思います。




幾多もの改造を受けているので原型は無いのですが、やはり台枠から下はある程度残っていまして、トラス棒と3軸台車が残っています。
特筆すべきは3軸台車のTR70です。国内の3軸台車の現存例は貴重です。オロシ9216時代からずっと流用され続けてきたんで、すなわち明治時代の台車です。
荷物扉の跡もこの向きだと靴摺りとか溶接痕とか分かりやすいと思います。

一通り見たところで撤収します。滞在時間10分。10分で見て回れるようなところじゃないけど、時間が押しまくっているのだ。


同年同月同日17時3分
 北海道苫小牧市 JR苫小牧駅前
大夕張鉄道から452号線を南下しきったところで北海道横断道に乗って苫小牧駅前のレンタカー屋で車を返却します。苫小牧駅前にも保存車があるのですが、泣く泣く諦めました。次回への宿題。
そいで、苫小牧駅前からこちらの道南バス(エアロスター)に乗り換えて表示されているフェリーターミナルとやらへ向かいます。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その84【2016/03/04~10】

2019-04-17 23:17:55 | 海外旅行記
長く続いたピマ航空宇宙博物館編も今回で最終回です。


ボーイングB-29スーパーフォートレス(1日ぶり2機目・466機目)
日本と因縁のある戦略爆撃機です。
この機体は第330爆撃航空群所属で、32回の出撃を行い日本をコテンパンにしました。
戦争終結後は防空レーダーの機能テストのための的として1959年まで飛んでいたそうな。


カーチスC-46Dコマンドー(1940年・467機目)
意外にも今回見るのは初めての輸送機。でも航空自衛隊でも運用されていて保存機も各地にあるので、馴染みはある機体です。
中国戦線での対日線のための物資輸送のためにインドと中国の間の山脈を跨いで飛ぶ「ハンプ越え」の輸送任務が有名なやつです。が、C-47と比べると地味です。C-47より搭載量は倍くらいもっているんですが、事故が多い機体でしたので評判が良くなかったのかも。


バルティーBT-13バリアント(1日ぶり4機目・467機目)
痩せたテキサンの名前で私に親しまれる中等練習機です。
WWIとWWIIの戦間期に見られたこの青い胴体と黄色い主翼の塗装は好きですね。特別塗装機や要人輸送機などを除けば派手な塗装の軍用機というのはこの1930年代までで最後ですね。


ノースアメリカンAT-6Bテキサン(1日ぶり5機目・468機目)
T-33と並ぶ世界の航空博物館の常連。BT-13と違ってこっちは実戦的な銀色。ただし金属地剥き出しではなくて、上からクリアコートを掛けていますね。
その手前の黄色い巡航ミサイルみたいなのはよく分かりません。


ダグラスA-26Bインベーダー(40分ぶり3機目・469機目)
アメリカ陸軍の双発攻撃機ですね。見た目の割に潰しが効いたのか、WWIIはもちろん、改修を重ねて朝鮮戦争とベトナム戦争まで経験している長寿機となりました。
A-26と言えば機首に参ったかとばかりにたくさん装備した12.7mm機銃なんですが、それはB型特有の装備らしいですね。このC型は精密爆撃が出来るようになっている型式です。爆撃機みたいに機首が風防になっていて、そこに例のノルデン爆撃照準器が積んでありました。


A-26の脇に置いてあるレンジャーL-440エンジン。A-26とは特に関係ないんですけどもね。
一部が透けているので中身を見ることが出来るのですが、私はとっとと次へ進んでしまいました・・・。


ノースアメリカンBT-14Aイェール(1936年・470機目)
なんだまたT-6かと思ったら、BT-14Aという別物の機体でした。ていうか初めて見ましたかね。
BT-9という中等練習機を発展させた機体です。BT-9の天蓋無し剥き出しコックピット、鋼管羽布張りから、BT-14では天蓋付きコックピット、全金属製機体になりました。ほぼ別物の機体じゃないか。
これが後のノースアメリカンの屋台骨になるT-6になるわけです。

この機体の塗装は蛇の目なのでイギリスかと思いますが、本当はカナダ空軍だそうです。この頃の蛇の目は見分けがつかないね。
ちなみに天井からドイツのシュトルヒ観測機がぶら下がっているのが見えますが、慌てたんで完全に撮るのを忘れてましたね。はい再履修~。


フィゼラーV-1飛行爆弾(2日ぶり3機目・471機目)
ドイツの断末魔1号。パルスジェットエンジンで飛行して決められた距離を飛んだ後地面に落ちて爆発して攻撃するやつ。当時としては高速で撃墜するにも厄介だったそうなんで、連合軍も専用の高速戦闘機が開発されるとかしてました。
アメリカ軍が接収したもののおこぼれがそこら中の博物館に展示されているのですが、これは発射レール付きで展示されているところが珍しいです。
実際のレールはもうちょい長い距離があるんですが、概ねこんな感じだそうな。


コンソリデーテッドB-24Jリベレーター(1939年・472機目)
カバの愛称で私に親しまれるアメリカ陸軍の四発重爆撃機です。B-17と並ぶWWIIのアメリカを代表する戦略爆撃機ですが、初めて見る機体ですな。
戦間期に開発されたB-17よりも4年遅く初飛行した機体のため、B-17と比べると新世代の機体であり、B-17よりも航続距離や爆弾搭載量等の性能で上回っていました。事故が多くて被弾したらすぐ落ちるという欠点があったらしく現場ではB-17が好まれていたようで、B-17を置き換えるまでには至らなかったそうな。

B-24といえばバカみたいな生産数で、この四発重爆を4年間で19,000機以上拵えました。これはアメリカ軍史上最多生産された軍用機でござい。
開発元のコンソリデーテッドを始め4社5工場で生産されたのですが、中でも自動車メーカーのフォードの生産数は異常で、フォードの1工場だけで全体の4割以上の数を造りやがりました。ありえんやろ。
この頃は異業種でも飛行機を生産するメーカーがいくつかありまして、フォードもそのひとつでした。フォードの場合、以前は旅客機の生産をしていた時期があったし、ヘンリー・フォードも大量生産バカでしたし、いろいろ適していたんでしょう。
ちなみにフォードはB-24以外にもジープを28万台、M4中戦車のエンジンを16000台を並行して造っていたんで、開いた口も塞がらんというもの。
アメリカの物量、というかフォードの大量生産能力を見せつけられる1機となっています。

ただしこの機体は本家コンソリデーテッド製の機体だそうな。
アメリカ軍で運用されて、戦後はイギリスへ譲渡され(アメリカに持って帰るのが面倒だったんじゃないか?)、さらにインド空軍へ放り投げられます。
インドでは1960年代末まで運用され、その後アメリカに里帰りしたんだそうな。インド空軍への敬意を込めて、この機体の右舷はインド空軍のマーキングになっています。気づかずに素通りしてしまったのだけれど。


ホーカー ハリケーンMk.II(1935年・473機目)
スピットファイアのパチもんみたいな飛行機。鋼管羽布張りなので後に出てくるスピットファイアに比べると一世代前の飛行機です。
なんだかレプリカっぽいんですが、一応複数の機体をニコイチして復元したんだそうな。ということはほとんどレプリカみたいなもんかね。
大部分はオンタリオ湖に墜落したカナダ製のハリケーンから復元したんだそうな。だったらカナダ製のMK.X系列になるんじゃないかって思いますけどね。


セスナUC-78Bボブキャット(2日ぶり2機目・474機目)
ボブキャットとかグラマンっぽい名前でいながら実はセスナ製の飛行機という紛らわしさ。
元は民間機だったものをアメリカ陸軍が連絡機や軽輸送機として使いだしたもの。軍では木造の機体からバンブーボンバーと呼んでたとかで。竹・・・?


ダグラスC-47スカイトレイン(1時間10分ぶり5機目・475機目)
ダグラスの旅客機DC-3の軍用型でござい。あとはもう説明不要でしょ(手抜き)


フェアチャイルドPT-19Aコーネル(1日ぶり2機目・476機目)
アメリカ陸軍の初等練習機です。鋼管羽布張りの胴体に木製の主翼という旧世代の造りの練習機だったんですが、WWIIの突入により1941年に大量生産され、3600機くらい造られました。
空冷エンジン機なんですが、今見たばかりの直列エンジンL-440を採用しているので液冷エンジン機のようなスマートなお姿になっています。


フェアチャイルドPT-26コーネル(10秒ぶり3機目・477機目)
PT-19の仕様変更機で、カナダ空軍向けレンドリース仕様です。寒冷地であるカナダ向けの仕様変更が施されていて、天蓋付きの密閉型コックピットが分かりやすいです。
機体の左舷の外板が取られているので、鋼管羽布張りの内部構造がよくわかりにけり。
機体の脇には羽布張りの製造工程の様子が展示されていました。羽布は布にドープという塗料を何回も塗り重ねて縫い目を潰し張りを持たせて作る布です。ここでは全部で9工程かかっています。結構手間だったのね。

これにて別館の見学は終了。ちらほら見逃した機体はありましたが、上々ですかね。


LTV A-7EコルセアII(30分ぶり4機目・478機目)
落ち葉拾いします。といっても1機だけですが。
アメリカ海軍の艦上攻撃機でござい。E型は空軍が採用したD型の海軍仕様です。灰色の迷彩塗装なので若々しく見えます。湾岸戦争時の塗装なんだそうな。湾岸戦争に参戦していたのか。


はい、ピマで見てきた飛行機は以上です。
終わってみればここだけで200機以上の機体をみたことになります。なんとまあ膨大な数の飛行機であった、という言葉しか出ませぬ。
今まで見てきた航空博物館では、急ぎ足ながらもどうにか一通り見れたな、という感じでしたが、ピマでは完全に敗北でした。時間を見誤ってしまいました。
出来ることなら今度は2日間掛けて再訪したい博物館であります。ただ他にも見たい博物館はあるので、だいぶ後回しになるんだろうなと思います。その時には収蔵機がまたたくさん増えていそうです。
みんなもここに行くときは十分な余裕を持って対決しような!

さて、博物館の入り口のロータリーまで戻ります。ここまで来るのにタクシーに乗ってきたので帰りもタクシーになるわけですが、博物館で捕まえるのは困難だと思っていたので行きのタクシーに乗っているときに帰りも乗せるよう頼んでいたのでした。
で、約束の時間までにロータリーに戻ってきたわけですが、タクシーは10分位遅れて来やがりました。うーんアメリカ。あと10分見学時間があったら・・・。
そんなこんなでピマを離脱してツーソンの町へと赴くのでした。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その83【2016/03/04~10】

2019-04-12 22:31:13 | 海外旅行記
グラマンF-11Aタイガー(2日ぶり2機目・452機目)
アメリカ海軍の地味な艦上戦闘機。これも就役したと思ったら4年でF-8に取って代わられて最終的に10年くらいで退役してしまったはず。この頃の艦上戦闘機って10年で代替わりしてしまう、代謝の激しいジャンルだったのだなぁ。
2線級に格落ちした後は、訓練機になったりここの機体のように海軍の曲技飛行隊のブルーエンジェルスに使われたりしとりました。


マクドネルF2H-2Pバンシー(1947年・453機目)
F9Fっぽいけど違う機体で、このF2Hの方が早くに就役しました。
カナダ海軍にも輸出されとりまして、私にとってはそっちの方が馴染み深い機体です。

これは写真偵察型の2P型と書かれてますが、カメラの窓がないし機種に機関銃が付いてるし、本当は戦闘機型の2型なんじゃないの?と思いますが、不明ということにしておきます(無責任)


ボーイングB-17Gフライングフォートレス(1日ぶり3機目・454機目)
なんか第390爆撃航空群記念館(390th Memorial Museum)という建物があったので、時間がねぇ!と思いながらも入ってみます。すると中にはB-17がドカンと置かれていました。B-17専用の建物かよ・・・。やっぱり米国においてB-17は、機体性能から見てもその戦歴から見ても、数あるWWII期の軍用機の中でも特別な存在なのだなと思いますよ。

第390爆撃航空群は、第8空軍麾下の爆撃機飛行隊で、第568~第570の4つの飛行隊を指揮していました。
ヨーロッパ戦線に駆り出され、301回の出撃でドイツの飛行機工場、橋梁、製油所など、重要目標や産業のハブなどを徹底的に潰してきたんだそうな。

ここのB-17Gは当然第390爆撃航空群の塗装に塗られているわけですが、当時所属していた機体が保存されているということも考えにくく、どこか別の所の機体を塗り替えた可能性もありにけり。・・・これも不明ってことで(適当)
航空群の記念館なので、機体以外にも様々な資料が展示されているのですが、時間がないのでパスしました。すまんの・・・。


ノースアメリカンRA-5Cビジランティ(1958年・455機目)
アメリカ海軍の超音速艦上攻撃機。高速機を得意とするノースアメリカンらしく、最高でマッハ2を出すことが出来ます。
デカい機体なのですがよく空母で運用できたな・・・。こんなにデカくて超音速飛行できるということは、つまるところ核攻撃機なわけです。ただし爆撃機のような爆弾倉は無く、機体尾部に付けた核爆弾を入れたポッドを目標上空で切り離します。つまりケツから核爆弾を落として自分は超音速でずらかるという攻撃の仕方なのでした。
ところが、実戦配備される頃にはソ連が打ち上げた人工衛星スプートニクによるスプートニク・ショックが起きていました。これの影響はあらゆる方面へ波及していったんですが、軍事面でいうとこれすなわちソ連が核弾頭を積んだ大陸間弾道ミサイルでアメリカを攻撃できることを意味しました。
そうなると従来の各爆撃機でわざわざソ連本土まで赴いて核爆撃する手法は一気に時代遅れになってしまいました。アメリカが爆撃機でえっちらおっちら核爆弾を運んでいる間、ソ連はICBMであっという間にアメリカを攻撃できるのですから。しかもICBMの迎撃は極めて難しいと言われてますし。

そんなわけで、軍用機には稀によくある「生まれたときには時代遅れ」にこれもなってしまいました。単能機ですので他の用途の使い道があまりなく、結局直線番長を活かした偵察機として生きる道を見出すことに。
これもRナンバーですので偵察型です。写真偵察機によくある機首に備えられたカメラではなく、胴体下面にカメラや電子偵察機器を収めたカヌー型の出っ張りを追加で取り付けました。


ダグラスF3D-2Tスカイナイト(1948年・456機目)
これもアメリカ海軍の制式艦上戦闘機なんですけどドマイナーなやつですね。私は当然知りませんでした。
レーダー搭載の全天候型戦闘機で、時期が時期なのでレーダー操作要員を同乗させた複座型です。ただし同時期の空軍機と違って横並びの座席です。
F3D-2T(TF-10B)は、電子戦の訓練をするための練習機です。


さてここにきて私は気付きました。ここには中島の隼が保存されているはずなのにまだ見れていないぞと。
屋外に置いているということはなさそうだけど、さっきまでいた館内にもいなかったな。
館内、館内・・・あっ。そういえばスルーしてたけど他にも建物があったなと。あ、やばい、と思って館内地図を開いてみると、まだ見てない別館が3棟もあるじゃないですか!隼はここだ!
しかし時間がありません。屋外展示をギリギリどうにか見ることだけは出来るという時間配分でしたので、そこに加えて館内展示が置い寄せてくると完全にタイムオーバーです。
どうするか・・・。


無理やり全部見る!
こうなったら力づくです。パワープレイです。足早にまずは隼のいる格納庫に行きます。1機にかけられる時間はもはや10秒もありません。砂漠にあるピマはこれっきり2度と行かないなとはじめは思っていましたが、ここにきてそうもいかないなここも再履修だなと思い始めてきました。

つーわけでまずこいつがイースタンFM-2ワイルドキャット(2日ぶり2機目・457機目)
グラマンのF4Fをゼネラルモーターズの子会社のイースタンが製造したものですね。
外板が汚れていることに注目です。こういう機体はたまに見られるものなのですが、この場合、単に放置されて汚れているだけの場合と原型を高い状態で留めている場合の2択であることが多いです。で、今回の場合は後者であるようなのです。
つまりこのFM、機体は勿論のこと、その塗装まで大戦時のオリジナルを保っている、極めて資料性の高い個体であるということです。
アメリカは航空機の保存が盛んな国であることは違いないですが、動態保存機や1970年代辺りまでのレストア機を始め、外観や機体構造を弄り倒されてしまって資料性を損なってしまっている機体があります。塗装だって再塗装されている機体が多いわけです。塗装までオリジナルだとしたら、アメリカにおいてもかなり貴重な個体となるはずです、このFM。ちょっと感動です。ほぼ素通りしてしまったのが悔やまれます、ホント。
なんでこんな極上の資料が下手にレストアされず今まで残っているかというと、そのヒントは五大湖のひとつミシガン湖にありにけり。この機体、ミシガン湖に墜落したものを引き揚げられた機体なのです。

ここまで来たら脱線するしかないのでしますが、なんでミシガン湖にFMが墜落するのかというと、そこがアメリカ海軍の飛行練習場だったからで、訓練中に誤って墜落してしまったからですね。
WWII中、海軍は空母艦載機のパイロット養成のためにミシガン湖に練習用空母USSウルバリンとUSSセーブルを持ち込んでそこで訓練を行っていました。え、湖で空母を浮かせるんですか?とにわかに信じられないですが、ミシガン湖はクソデカいんで空母を浮かせるくらい訳ないんですね。湖は運河を介して外海に繋がっていますし持ち込むのも造作も無いことでした。
なんでミシガン湖で訓練してたかといえば、Uボートの魚雷も爆撃機の爆弾も心配する必要が無かったからですね。贅沢な訓練をなされていたんですね、とは思います。

で、空母への離着艦の訓練機としてFM(F4F)が使われていたのです。乗るのは初心者の訓練生が空母への離着艦という難しい操縦をするわけですから、それはもう何機も湖に墜落(不時着水)していたそうな。
墜落した機体は回収されず放置されていたそうですが(贅沢だな・・・)、この個体はそういう湖に墜落した機体を引き揚げてきたのです。湖というのがミソで、比較的浅瀬、低い水温、そして何より淡水であることが機体の保護に寄与しました。この個体は2000年代に引き揚げられたそうですが、65年水の中に浸かっていたとは思えん状態だというのは実物を見れば一目瞭然です。
この個体以外にも複数が引き揚げられているようで、中でもシカゴオヘア空港内に展示されているF4Fが有名です。

さて機体の観察に戻りますが、機首だけ塗装がきれいになっています。これは機首部だけは損傷していたんで部品を新造して格好を良くした、というところでしょう。他に一部のパネル、主脚、経年劣化してしまった羽布張りの動翼部も作り直されていますね。
逆にそれ以外の胴体や主翼は原型のままと思われます。現存率高っいすね・・・。よほどきれいな着水をしたんでしょうか?他に、引き揚げられた複数の機体から部品を寄せ集めたニコイチ機の可能性もありますが、そこらへんは不明ということにしておきます。

いいものを見れました(一瞬だったけど)。F4F好きは一見の価値ありかと。


ベルP-39Nエアラコブラ(1日ぶり4機目・458機目)
ミッドシップエンジン戦闘機。色々とアレな戦闘機ですがロマンがあるし私は好きです。


中島キ43-II一式戦闘機隼II型(1942年・459機目)
キ43、一式戦闘機、隼II型、オスカーと、4種類も名前のあるややこしい戦闘機。いましたね。
WWIIを通じて日本陸軍の主力戦闘機だった機体。どこぞの海軍航空隊と違って後継機の開発は出来てたんだけど、数が揃わなかったもので・・・。
I型の改良型で、プロペラ枚数の増加、主翼長さの短縮、光像式照準器搭載などのマイナーチェンジがなされた型式です。

零戦と紫電改に次いで保存機に恵まれている日本機ではありますが、なんで隼がこんなところに、と思ってしまいますが、枢軸国側の極東のヘッポコ島国の代表として展示されているのかもしれませぬ。
今までにシアトルのボーイングフィールドでIII型を、同じくシアトルのエバレットでI型の保存機を見ていますので、これで隼の全型式を拝んだことになります。やったぜ。


ベルP-63Eキングコブラ(2日ぶり2機目・460機目)
色々アレで問題作だったP-39をなぜかパワーアップして再登場させたやつ。実は形状が似ているだけでP-39とは別物の機体。
試作機で付けていた排気タービンを量産型では外してしまったため高高度性能がだめになってしまったP-39の反省から、P-63では2段2速式過給器を付けて高高度性能を改善しました。
それでもP-47やP-51には敵わんかったので、結局生産分の殆どをソ連ヘレンドリースして対地攻撃機として使いました。ほぼソ連専用機。


ノースアメリカンP-51Dムスタング(2日ぶり3機目・461機目)
御存知最優秀戦闘機。単一の能力(航続距離とか旋回性能とか)だとP-51よりも上の機体はいますが、あらゆる性能において平均以上の能力を出すアベレージヒッターである点がミソです。


チャンス・ヴォートF4U-4コルセア(2日ぶり3機目・462機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機ですね。今回は意外と見る回数が少ないです。ほとんど低翼配置みたいな格好してますが中翼配置らしいよ?
逆ガル翼なのが特徴的な機体。フラップがちょうど主翼の反っている部分にあるので、フラップが片側3枚に分割されているところに注目。贅沢だねぇ。


エンジン直径とほぼ同じ太さの絞り込まれた胴体。これとアメリカ海軍のデブことF6Fは同じエンジンを使っているのだよ、と言われてもにわかに信じられませぬ。
胴体を細くすることで空気抵抗を低減できますが、代償として胴体が前後に長くなってしまったので、コックピットから前がめちゃ長くなってしまい、着陸時姿勢では前方視界なんで絶対見せないぞという機体になりました。ちょっとばかし設計士の意見ばかり通して、パイロットのことを軽視していたのではとは思います。

4型はエンジンを初期型の1型よりも強力なライトR2800-42Wに換装した型。生産が始まったのは大戦末期だったのでWWII中に活躍した機体は少なさそうですが、大戦後も生産されていたので、朝鮮戦争でも使われていました。

この機体は1945年8月に生産された機体、ということでもうアメリカの勝ちは決まっていたか既にもう勝っていた時期です。配備先も訓練部隊でした。
1956年に退役して個人に渡った後、1979年に博物館入りしました。


ミコヤン・グレビッチMiG-15bis(4時間ぶり6機目・463機目)
ここらへんは朝鮮戦争エリアっぽいです。
御存知ミグ戦闘機。bis型は初期型から改良されたやつですね。
朝鮮戦争なので北朝鮮のマーキングが描かれています。


ノースアメリカンF-86Eセイバー(20分ぶり6機目・464機目)
朝鮮戦争の有名な機体。「こりゃたまらん!!」とばかりに鏡面仕上げになっていますが、実際のところはここまできれいじゃなかったはず。
水平尾翼が一枚板になって丸ごと可動するようになった全遊動水平安定板を初めて採用したのがE型でござい。あとは前縁スラットもE型までの特徴でござい。


ダグラスA-24Bバンシー(1940年・465機目)
胴体だけの飛行機。アメリカ陸軍の急降下攻撃機ですが、こいつは元を辿るとアメリカ海軍の艦上急降下爆撃機SBDドーントレスの陸軍版です。
なにせ当時の陸軍航空隊は爆撃機至上主義でしたんで、地上部隊を支援できるような航空機はひとつも持っていませんでした。航空隊も陸軍の一部なのに・・・。そんなわけで急遽海軍のSBDを導入したわけでした。

しかしA-24はウスノロであり敵戦闘機にとって的でしかありませんでした。そんな専用の地上攻撃機を用意するよりも戦闘機に対地攻撃能力を持たせたほうがお得なのではと考え始め、それが形になったのがA-36(後のP-51)とかP-47とかなんです。
そんなわけなんで、A-24はそんなに活躍できないまま消えていきました。南無。

この機体は由緒正しいA-24で、退役後に主翼を取っ払われて映画撮影の小道具に使われたのだそうな。


というところで今日はここまで。
次回で長い長いピマ航空宇宙博物館編も完結です。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その82【2016/03/04~10】

2019-04-08 23:57:43 | 海外旅行記
ピマ航空宇宙博物館編も終盤に差し掛かりました。
ようやく終りが見えてきましたよん。


ボーイング787-8(2009年・437機目)
さっきからチラチラと写り込んでいたANAの文字が目についていた人もいたかもしれませんが、正体はこれ、ボーイングの新鋭旅客機787-8の試作2号機(ZA002/N787EX)です。
787の試作機は全部で5~6機くらい造られたんですがそのうち2号機は全日空の塗装なのが特徴です。これは全日空が787のローンチカスタマーだったからで、それに対するボーイングからの計らいですね。
ANA塗装ですが所有はボーイングでして、ボーイングで試験に使われた後、2015年にピマに寄贈されました。なので当時はまだ寄贈されたてのホヤホヤ。機体もまだピカピカなのですよ。なお博物館までは自力で飛行してやってきました。
まあ、まさかアリゾナの砂漠で全日空塗装の旅客機を見ることになるとは思わなかったよ。

ちなみに私が訪れた後には、みんな大好きダグラスDC-10の初号機とボーイング777の初号機が自力飛行でピマに寄贈されに来ています。大型旅客機の一大博物館としても頭角を現しています。DC-10は見に行きたいですね...。


ロールスロイスのトレントエンジン。博物館の展示機にしては珍しくエンジンが外されないまま展示されています。
2018年はこれのせいで全日空の787は大変な目に遇いました。
日航と比べても全日空は機材面で貧乏くじを引いてばかりです。かわいそう。


ロッキードC-121コンステレーション(2日ぶり2機目・438機目)
遠くにあるけど面倒だから望遠で撮影を済ませた。
ロッキードの代表作L-049コンステレーションの軍用輸送型です。
アイゼンハワー元大統領の専用機として使われていたコニーで、それは2機ありました。そのうちの片方「コロンバイン号」が保存されています。


シコルスキーVH-34Cチョクトー(1日ぶり2機目・439機目)
S-55を大きくしたようなカバみたいなヘリコプターです。
これはVナンバーが付いているのでVIP輸送用のヘリコプターです。特に大統領を載せていたということで、つまりアメリカ大統領搭乗機であるアーミーワンなのです。空軍の機体に大統領が乗るとエアフォースワンになりますが、それの陸軍版です。
ただしヘリコプター輸送は現在は海兵隊の管理になっているので、今はアーミーワンが使われることはないです。ちなみに海兵隊だとマーリンワンですね。


ダグラスC-9BスカイトレインII(1965年・440機目)
みんな大好きDC-9-30の軍用版です。B型は海軍と海兵隊が使っていた人員輸送機です。C-9の数字の9は、DC-9とわざと合わせたんじゃないかなぁという気もしますが果たして・・・?
DC-9は小型旅客機で、胴体後部にエンジン2発を付けている姿が特徴。バカ売れしすぎてしまったためダグラスを黒字倒産させてしまう引き金になってます。
マクドネルと合併してマクドネル・ダグラスになった後は改良型をMD-80と改名して製造していました。で、マクドネル・ダグラスも後にボーイングに吸収されてしまったのですが、MD-80は今度は717に改名して少しの間生産が続いていました。今はもう生産してませぬ。


ダグラスVC-118Aリフトマスター(1947年・441機目)
DC-6旅客機の軍用版です。DC-6はDC-4の発展型で、エンジン換装、胴体延長や予圧客室装備なんかの改良を施した機体です。日航でも使っておりました。
C-118は貨客両用の輸送機でしたが、この個体はVナンバーのVIP輸送機、大統領を乗せるためのいわゆるエアフォースワンというやつです。大統領専用機としては最後のプロペラ機で、これの後継機はボーイング707ベースのVC-137になりました。


ボーイング737-300(1967年・442機目)
そこら中の空港で見ることのできる小型ジェット旅客機のベストセラーです。半世紀以上に渡って生産されているので初期型と現行型とでパッと見の見た目以外は別物と言えるくらい設計が変わっています。初期型、クラシック、ネクストジェネレーション(NG)、MAXの四世代ですな。いま大変なことになっているのがMAXです。
ここに保存されている300型はクラシックと呼ばれる第2世代です。垂直尾翼の付根の前方への延長、高バイパス比ターボファンエンジン、風防上の天窓が識別点。300型を基準にして、胴体延長型の400型、短胴型の500型がありにけり。数字の多さが胴体の長さではないのでややこしい。

この個体は見ての通り中国南方航空で使用されていた機材です。漢字の書体をもうちょいどうにかできなかったのかと思います。
これももちろん自力飛来組。


ボーイングVC-137Bストラトライナー(1957年・443機目)
ボーイング707旅客機を原型にしたVIP輸送用の人員輸送機です。707でこの塗装だとエアフォースワンが有名ですが、大統領専用機はC型なので、このB型はあくまで要人を乗せる任務に留まっています。


ホーカー・シドレーTAV-8Aハリアー(2日ぶり2機目・444機目)
イギリスが開発した垂直離着陸のできる戦闘機です。これはその複座練習機です。
独特な飛行特性を持つ機体ですので、複座練習機は欠かせないのです。もともと小型の戦闘機ですので、複座にするとかなり窮屈に感じますが。
アメリカでも海兵隊が採用していました。初めは空軍や海軍も興味津々だったんですが、性能がちょっと中途半端だったんですかね・・・?


ホーカー・シドレー AV-8Cハリアー(10秒ぶり3機目・445機目)
これもハリアー。C型はA型の改良型です。B型が抜けていますが、これは見た目は似ているけど新しく再設計された別機体のハリアーIIに割り当てられています。しかし、B型の開発が思うように進まなかったので、B型完成までのツナギとしてC型が開発されたという少し複雑な経緯が有りにけり。


ミコヤン・グレビッチ MiG-23MLD(1日ぶり2機目・446機目)
ミグ戦闘機の可変翼のやつ。前作のMiG-21よりも潰しが効かないので輸出面ではイマイチだったため、ちょっとマイナーな機体に。

MLD型というのは、ML型の改良型。ML型というのは、M型を軽量化して機動性を高めた機種です。ML型はMiG-23の中でも後期型に属するので、MLD型は後期型の後期型という位置づけになります。
フラップの枚数とか垂直尾翼の長さとか、外観上の違いも見られるのですが、そこまで確認している暇はありませんでした。


マクドネルF-3Bデーモン(1951年・447機目)
マクドネルの開発したアメリカ海軍向けの艦上戦闘機です。F-4ファントムIIの前作であり、全体的にはF-4のやせっぽっちという印象を受けます。でもF-4よりもかっこいいと思うぞ。
1962年の命名規則統一前はF3Hという型番でした。愛称のデーモン(Demon)は日本では表記揺れが激しく、日本語読みのデーモン、英語読みのディーマン、意味不明のデモンなど多岐にわたります。デモンは、デーモンだと通りが悪いからムリヤリ読み方を変えたんだと思います。DHC-6ツインオッターの時も、オッターが落ちたを連想させるという意味不明な論理でもってツインオターに捻じ曲げられましたし。たまにそういうことするやついるんだよなぁ。

アメリカ海軍でしか採用されなかったし15年足らずで退役してしまったので日本ではマイナーな機体なんですが、ニッチなファンは確実にいるぞ、という機体です。やっぱりF-4よりもかっこいいし。


パナビア トーネードIDS(1974年・448機目)
イギリス、西ドイツ、イタリアで共同開発したヨーロッパの戦闘機。私にとっては名前はしっているけどそれ以上のことは正直・・・ですね。でも見た目は中々かっこいいですね。
ちっこい機体なんですが、当時流行りだった可変翼を採用してます。IDSは西ドイツ空軍が使っていた攻撃型です。


ダグラスF-6Aスカイレイ(1951年・449機目)
旧名F4D。アメリカ海軍用の艦上戦闘機で、珍しい無尾翼デルタ機です。主翼は面積が広く、そこから空のエイことスカイレイの名前が付きました。
就役期間は10年ほどだったので知名度は低いんですが、タミヤのプラモデルをちらちら見かけることがあるので、形と名前だけは知ってるよという感じ。


ノースアメリカンFJ-4Bフューリー(2日ぶり2機目・450機目)
F-86のパチもんみたいな戦闘機ですが、アメリカ海軍向けF-86ことFJ-3を改良したものです。ただ改良と言っても胴体から主翼まで全部再設計されているので実質まっさらな新型機です。なのに3型から4型へのサブタイプの変更だけでお茶を濁しています。
一番分かりやすい識別点は天蓋がバブル型からレイザーバック型に変わったところでしょうかね。F-86の利点だった後方視界の良さを殺すことになったわけですが、それでよかったのかしら?


ゼネラルダイナミクスF-111Eアートバーグ(1日ぶり2機目・451機目)
アメリカの空の将来をに一手に引き受けるべく空軍と海軍のどっちでも使えるように開発された戦闘機。でもダメでした。
戦闘爆撃機としては優秀だけど、お前もともと普通の戦闘機として生まれたんだよな?と突っ込みたくもなるやつ。どんな戦闘機だったのかは昨日見たときに書いたし、まあいいでしょ(手抜き)
F-111は戦闘機としてはダメだったんで、爆撃機とか電子戦機とかに転職してどうにか存在意義を保っていたんですが、ここに保存されているのは純粋な戦闘機型です。

というところで今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その18【2017/5/3~7】

2019-04-04 22:04:29 | 旅行・イベント記
カナディアンワールド編の最終回。前回に続き園内の建物を見ていきます。
こちらはオーウェルスクールという建物。普通の家だし、何やってるかも分かりませんでした。


家が3軒くらい密集している集落みたいなところ。
ここはひと気がありました。工芸品の製造販売をしているような感じでした。


一周して入り口に戻ってきました。これがケンジントン駅というメインゲートですね。今はみんな自家用車かレンタカーで来るでしょうから、ここを潜る人いないんじゃないかなぁ。
なんというか、解体するお金も無いのかもしれませぬ。


石岡剛の美術館。写真をよく見てみると営業中でした。数少ない生きている建物だった・・・。
石岡剛は芦別市出身の洋画家です。ホームページもありますが、昔ながらの作りになっていて感動しました。


さて園内の道路を1周し終えたんですが、まだ目玉である赤毛のアンのお家を見ていません。
適当なところに車を置いて、歩いて探します。それっぽいところはすぐに見つかりました。


ひと気はないのに確かに管理されている土地。芝生だってきれいに刈り揃えられています。


昔はここから絵葉書とかを投函できたんだろうな~と思う郵便局(閉局済み)。
赤毛のアンの作者が通っていた郵便局を再現したものです。


リンド夫人の家。
リンド夫人は作中に出てくる登場人物なんでこれは架空の建物ですね。最盛期にはリンド夫人の作る手作り料理が食べれたとかなんとか。


ダイアナのお家。アンの親友です。


中は人形の館になっています。赤毛のアンの人形劇をやっているのだ。
カナディアンワールドの主題にもなってる赤毛のアンですけども、日本でだけやけに人気になった作品です。赤毛のアンの聖地巡礼に来るのは日本人ばっかりだという噂も有りにけり。
世界名作劇場の影響が大きいのかな?と思います。1979年放映なのでさすがに現代では下火になってますが。
一方本国のカナダでは言うほど知名度がないなというのが私の印象です。物理的に最果てのビクトリアでの印象ですが...。


そいでたどり着きました、アンの家ことグリーンゲイブルス。グリーンゲイブルスというのは赤毛のアンの原題 (Green Gables; 緑の切妻屋根) です。
これもプリンスエドワード島にある家を再現したものです。これも中には入れるので行ってみましょう。


中は空調が効いていて快適~。
ゴーストタウンと化したカナディアンワールドにも意地があるのか、ここの室内はとてもきれいに手入れされていました。現役を張っています。


原作未読勢なのでふ~ん以上の感想が出ないのがアレなんですが、向こうの様式の建物としてはいい線いってるんじゃないでしょうか。


調度品もいい味出してますね。
閉園後も解体されずにどこか移築されてくれれば・・・と思ってしまいます。


作者のモンゴメリの写真。


マシューの部屋。FGOにそんな名前のがいたよね。
東横インのシングルくらいの広さです。


アンの部屋です。ベッドが小さいのが気になるけどやはり東横インサイズ。
この部屋はかなり再現度が高いそうですよ。


一通りカナディアンワールドを堪能しましたのでこれにて撤収。
これはジャパリバスベルトレイン。園内を周回する乗り物だったというところでしょう。

最初にも書きましたがカナディアンワールドは2019年度をもって閉園する予定でいるので、行くなら今年が最後のチャンスです。開園時期は例年は4月~10月です。もっとも今シーズン開園してくれればいいんですけど・・・。

そいでは、再び移動を始めます。