黒鉄重工

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BCトランジットバス撮影【2016/3/23】

2020-03-31 21:20:03 | バス・航空機撮影記
2016年3月23日。
ビクトリアの路線バス、BCトランジットを撮影してきました。今まで散々撮影してきているので今更新しいこともないのですが、ブログに掲載するのは久々な気がするのでおさらいも兼ねて少し写真を載せておきます。

いつもどおりダウンタウンの目抜き通りで撮影しました。これは現在の主力車両Nova LFSです。


BCトランジットは、バンクーバー都市圏を除くブリティッシュコロンビア州全域に展開する公営の公共交通機関です。各町に支所があり、中でもビクトリアは最大規模を持つ支所です。
このバスはかつての主力車両NFI (New Flyer Industries) D40LFです。これは新塗装の更新工事施工車ですが、旧塗装の未更新車は廃車が進んでいます。


ビクトリア支所の大きな特徴は二階建てバスを運行している点です。二階建てバスは幹線系統や中長距離系統の路線で運用されています。
他の会社だと連節バスを投入するところですが、BCトランジットでは二階建てバスを運行しています。はっきりした理由は調べたことがないのですが、連節バスよりも省面積で座席定員が多いのが利点なんじゃないかなと。
これはAD (Alexander Dennis) Enviro 500です。


トフィーノバスという高速路線バス会社のバス。いつかも書きましたが、フォードの商用バンのキャブとシャーシにバスのボディを装荷したものです。なので継ぎ接ぎ感が感じられる車体になっています。
これはたぶんFord E450 + Champion Challengerの組み合わせだと思います。


この手のバスだとロングボディの方だと思います。重そう。
ちなみにトフィーノはバンクーバー島の太平洋側にあるリゾート地です。


二階建てバスは2種類あって、こっちはAD Trident 3です。執筆時時点で車齢20年の車も出始めているので、そろそろ置き換えが始まりそうです。


NFI D40LFの旧塗装車。廃車が進行している方。マグサイン式行先表示器や青いビニール張りの座席とか、20~30年前の時代っぽい雰囲気のバスです。


今日最大の成果は、Spirit of Mobility (SOM)のマイチェン車の撮影にようやく成功したことですね。
これもバンのシャーシとバスのボディを組み合わせたバスで、Chevrolet 4500 + Arboc SOM25D。
このマイナーチェンジ車は当時まだ数台しか導入されていないレア車です。今までと違う点は、行先表示器の形状変更、尾灯の形状変更くらいなのですがね。


尾灯は丸形でしたが、角丸形を怒り目状に配置しています。どちらも汎用品の流用なんでしょうがね。


おまけ。
ビクトリアでかつて操業していた1892年築の火力発電所の跡地を見てきました。今も建物だけ残っています。これは当時ビクトリアを走っていた路面電車の電力供給用に建設されたものです。
史跡登録されているみたいですが、使途が決まっていないので立入禁止になっています。

今日はこれでおしまい。

 
BCトランジットの路線バスについてもっと知りたい方は、弊サークルの同人誌「北アメリカの路線バス車両」をお求めいただくと便利です(宣伝)

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伊豆箱根鉄道と韮山反射炉めぐり 後編【2017/10/1】

2020-03-29 23:09:23 | 鉄道撮影記
三島から熱海駅に来ました。ついでなので、少し電車を見ていきます。


伊豆急下田からの185系200番台特急「踊り子」132号が到着。これは我孫子行のいわゆる我孫り子です。


うねうね。


直後にやってきた熱海始発のE233系3000番台快速「アクティー」。


なぜか大きく「快速」表示でした。


EF64形1009号機の貨物列車。


伊豆急行8000系普通。


211系5000番台+313系2600番台普通。


この列車は4番線到着でした。


2100系キンメ電車。初めて見た。真っ赤っかだ。


修善寺発の特急「踊り子」114号。


寄せてからもう一度撮影。


続いて伊豆急下田からの「踊り子」114号も隧道から姿を現します。


望遠が足りない・・・。


うねうね。


熱海で併結して、15両編成で東京まで走ります。今日び珍しい二階建て列車です。
E257系更新後も運行が続くのかは、今の所歯切れの悪い発表しかされていないので定かじゃありませんが・・・。


185系と211系。


8000系熱海行きが到着。


後ろはよく見ると中間車が軽量車の8004Fでした。


薄暗くなってきましたが、651系1000番台快速「伊豆クレイル」が到着。これを待っていました。


4両編成だとこの構図は厳しいか。


当時は登場から4年で廃止になるとは露知らず。今思えば「サフィール踊り子」のためのデータ取りだったような気もしますが、さてはて。


さて熱海駅へは週末パスを買いに来たわけでありますから、改札を出てきっぷを買います。切符は来週の土日で使うんですが、この切符は当日購入ができないのでわざわざ今日熱海まで出張ってきたんですね。
熱海駅も新駅舎になってからは初めて来ましたかね。以前とはすっかり別物になってしまいました。商業施設も賑わっていて、JR東日本、いつの間に伊豆方面にこんなにテコ入れしていたか。

目的は果たしたので、この後はお家に帰りましたとさ。おしまい。

伊豆箱根鉄道と韮山反射炉めぐり 中編【2017/10/1】

2020-03-28 23:30:07 | 鉄道撮影記
修善寺駅の外に出て、「踊り子」を撮影。
その前に3000系のラブライブ号が来ました。


橋を渡る185系特急「踊り子」106号。


さらに185系特急「踊り子」109号。


修善寺駅前のバスターミナルに寄ります。


新東海バスのいすゞエルガミオLR234。自転車積載ラック付きです。


新東海バスのふそうエアロミディ。


伊豆箱根バスの日野レインボーIIと新東海バスの日野リエッセ。


新東海バスの日野レインボーKR。この新型、日野といすゞの区別が無くなったので記録の時に割と困る・・・。


修善寺駅ホームに戻ります。さっきは見逃していた黒澤ルビィ。フリガナの方のルビかと思ったらどうやら違う意味らしい。


3000系に乗りにけり。


再びの伊豆長岡駅。ここの観光案内所で貸し自転車を借ります。俺が踊り子号だ。


韮山反射炉まで走ってきました。まだ幼かった頃に一度来た記憶がありますがそれ以来です。世界遺産ムーブに乗ってとてもきれいな観光地に変貌しました。


こちら韮山反射炉。溶解炉の一種で、鉄を溶解させて鉄製品を鋳造する設備です。ここで造っていたのは主に大砲。
内陸の韮山に建造したのは、海外の列強に見つけられるのを防ぐためとか何とか。兵器製造工場ですしね。
反射炉の本体と言えるのは下部の黒い石造りの炉体部で、韮山反射炉の象徴的な白いレンガの塔のようなものは煙突に過ぎませぬ。
あまりつらつらと書くこともないですから、反射炉の仕組みも説明できていないですが説明はこの辺で。


煙突の周りを覆っている鉄骨は耐震補強工事の際に後付で施工されたもので、江戸時代の稼働時には無かったです。が、これはこれで幾何学的で様になっているので鉄骨込みで絵に描かれることもしばしば。




溶解した鉄が流れ出てくる湯口と流れ出る先にある鋳台。今は砂利が敷き詰められていますが、当時は砂の鋳型があったそうな。
反射炉は全部で4基あって、全てこの鋳台に集まるように配置されています。


24ポンドカノン砲のレプリカ。当時の図面を解読して作ったちゃんとした鋳造品。


風入口。燃焼室に空気を送り込むのだ。


下から覗くと上には燃焼室で排出された灰を落とすための穴もありにけり。


砲弾型の柵柱。アナザーだったら死にそう。


江川英敏像と反射炉。なかなか良い天気の秋空でした。


伊豆長岡駅に戻りました。駅には高海千歌のポップがありました。確か主人公です。オレンジ髪なのでグフに乗りそうです。


3000系ラブライブ号で三島に戻ります。


三島駅でその場にいるバスを撮影。東海バスオレンジシャトルのいすゞエルガミオ。


今日の神奈中古。東海バスオレンジシャトルのふそうエアロミディ。
クリーム色の部分は神奈中時代の塗装を使いまわしているのが特徴。修善寺駅で見たミディとは色味が違います。ちなみに雨樋が赤いのも神奈中のまま。

撮影を終えたら東海道線で熱海駅まで向かいます。

今日はここまで。



伊豆箱根鉄道と韮山反射炉めぐり 前編【2017/10/1】

2020-03-27 22:11:59 | 鉄道撮影記
2017年10月1日。
この日の一番の目的は熱海駅まで行って、翌週使うJR東日本の「週末パス」を購入することなのですが、それだけに熱海に行くのも勿体ないので伊豆箱根鉄道に寄っていくことにしました。ついでに韮山反射炉も行ってみることにしました。
そういうわけでまずは寄り道から。東海道線で三島駅まで乗って、伊豆箱根鉄道に乗り換えます。乗るのは3000系。


ラブライブサンシャインの等身大パネルがそこかしこの駅に分散配置されている時期でした。三島駅には松浦果南。特急阿南みたいな名前。ちなみに私はアニメ未視聴勢。


伊豆長岡駅で下車。車内でぼけっと窓の外を眺めていたら改札口の隙間から何やら見えたので慌てて降りました。1日乗車券を買っていたのでこういう突発的事態にも対応可能なのじゃ。


その何やら。つまりラブライブサンシャインのラッピングバスです。しかも2台まとめて停まっていました。なんかの展示会だった模様。
これは伊豆箱根バスの日デ・スペースランナーRM+西工96MC。バンパーとホイールもラッピングに合わせて水色に塗り替えているあたり、手間がかかっていますね。


反対側。


行先表示器もこの通り。


こっちも伊豆箱根バスの日デ・スペースランナーRM+西工。


反対側。キャラの並び順は同じなのか。


伊豆箱根タクシーのトヨタ・コンフォート。これもラッピングされていました。


後ろ。PVCフィギュアを置いているのはすごみがある。ただの痛車では。


伊豆長岡駅舎もAqoursになってます。これはまだ苦情が寄せられて絵柄が変わる前のお姿。窓が8枚しか無いので1人だけ下に追いやられた果南ちゃん・・・。

見終えたら電車に乗って牧之郷駅へ。


三島方面に歩いて10分くらいのところで電車を撮影。昭和が来たで私にはおなじみの185系特急「踊り子」3号がちょうど来ました。


3000系前期型。


3000系後期型。


3000系前期型。
ちなみにここの撮影地点、当時は田んぼでしたが執筆時現在では薬局が建ってしまったので今は撮影不可能になっていると思います。


7000系。


これが目当てだ、1300系。西武鉄道のお古の電車なのですが、その西武鉄道の塗装に復刻されている編成が1本いるのですな。


牧之郷駅。出口が上下線で独立しているのか。昔は繋がっていたのかもしれんが。


イカス酒屋。


三島行の7000系。


1300系で修善寺駅へ。西武塗装の1300系と並びました。これはいいね。


185系と1300系。


185系もこの頃はまだ置き換えの話も噂の域を出ていなかったはずですが、まあ余命少ないだろうなとは思っていたので記録は進めておきます。


鉄道むすめの修善寺まきの嬢のポップ。スタンプラリーのスタンプを押しておきました。

今日はここまで。


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【1/72】ノースアメリカンFJ-3フューリー アメリカ海兵隊【ギャラリー】

2020-03-25 23:01:41 | 模型ギャラリー
キット:ソード FJ-3フューリー (SW 72108)
仕 様:アメリカ海兵隊VMF-333ファイティング・シャムロックズ

ソードモデルという東欧メーカーのプラモデルに初挑戦しました。簡単には作らせてくれないキットでしたが、そこを乗り越えて完成させると結構いいじゃん、というものが手に入るというキットでした。


海兵隊のプラモデルはこの先もそんなに作らなさそう・・・と思ったので海兵隊のデカールを選びました。見た目も派手だし。


空軍のF-86よりも尻下がりなのが特徴。組み立てが下手なわけじゃないのよ?





実機は博物館で一度見たことがあります。





以上、FJ-3フューリーでした。

【1/72】FJ-3フューリー 製作【ソードモデル】

2020-03-24 22:28:22 | 航空機模型製作記
チェコとかウクライナとかの東欧にはやけにプラモデルメーカーが林立しているんですが、ソードモデルもそのひとつです。大手メーカーが出さないような刺さる人には刺さるニッチな選出が魅力。
今回はアメリカ海軍のFJです。アメリカ空軍のF-86の艦上戦闘機版です。


簡易金型キットだそうです。ランナーの作りも雑。


部品点数は多いんだけど、合わせが大丈夫なのかな、これ。


風防は下手な日本メーカーよりも肉厚が薄くて好印象。
座席はレジン製。


デカールは良さそう。というか実際に貼ってみたらとても良い。


んじゃ作っていきます。まずはコックピットから。レジンといっても身構えずにプラと同じ様に臨めば問題無しじゃ。


胴体。位置合わせのボスや孔は無いんですか、マジですか。合わせの精度に不安が出る。


一応、機銃の孔は開けておきました。


案の定、胴体の合わせは悪いです。完成したとき見えやすい上面を基準に位置決めしていくと、下面がズレます。どういう金型作ったんだろうと。
あんまりズレているんで、私が滅多に使わないラッカーパテの出番と相成りました。大半は段差を消せましたが、一部はどうにもならなかったので諦めてしまいました。


本体塗装を終えました。
表面の凹彫刻は細くて浅いので、ベタ吹きしたあとに墨入れしたのではおそらくろくに塗料が回らんだろうと思いけり。なので先に彫刻部分に黒を吹き、次いで彫刻の周りを機体色で吹いてそれっぽい感じに。吹きすぎで黒が消えてしまった場合は墨入れして復活させましたが、やはり塗料の回りが悪い・・・。


どうでもいいですけど、F-86系のプラモデルを作るのはこれが初めてなんですよ。


主脚の収納庫はやたら組みづらい構造で、これ考えたやつはプラモデル作ったことないやつだと思いました。


デカール貼り。3種類からの選択式で、私は海兵隊のVMF-333ファイティング・シャムロックズを選択。
最初にも書きましたが、デカールはとても良いです。まず印刷がいいし透けもありません。膜の薄さもたいしたもので、段差が殆ど目立ちません。つや消しの表面にもよく馴染み、シルバリングも発生しませんでした。デカールだけくれ。
ちなみに胴体が主翼の上に隙間付きで浮いているのは、合わせがキツくてはまらないから・・・。このあとゴリゴリ削って合わせました。


そのままだと尻餅をついてしまうので機首には釣り用の重りを仕込みます。FJは前脚が長くて横から見ると機首のほうがやや上を向いているので、余計に尻餅を付きやすい構造です。なので入るだけ重りを入れました。
組立図にはそんな気の利いたことは書かれてないんですけど、これの開発者は試作品を試しに組み立ててみるとかやらないのかしらん。


仕上げにつや消しトップコートを掛けて最終組立をして完成。汚しは無し。
組み上がった物と実機の三面図を見比べる趣味はないんですが、外形は良いよね、と思います。組み立てにもっと気を使ってもらえればなー。


東欧製プラモデルはこれが初めてだったはずで、早速その洗礼を受ける形となりました。確かに簡単ではないなぁ。しかしソードのキットはどうにもならんというほど悪い出来ではないので、今後も買っていこうと思います。意外と私の嗜好に刺さるキットを出してくるんですよ。

完成品はギャラリーにて。


<使用塗料>
機体上面:LP-34ライトグレイ
機体下面:LP-35インシグニアホワイト
主翼前縁:N22ニュートラルグレー
主翼翼端:H26デイトナグリーン
エンジン、機銃パネル:N38赤鉄色
コックピット:N61明灰白色(三菱系)
主脚:N1ホワイト
 

続・ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する 後編【2016/3/22】

2020-03-22 21:56:13 | 日常記
その昔ビクトリアにいくつもあった沿岸要塞のひとつマコーリー砲台跡のあるマコーリー・ポイント公園へと来ました。見晴らしのいい司令部跡(推定)から海の方を眺めると、眼下には砲台の跡がまざまざと存在していたのです。


先日のロッドヒル要塞の方角を見る。ゴマ粒程度のフィスガード灯台が確認できるので、あそこらへんにありそうだなというのが分かりました。目視できるので、開光通信でもやり取りできそうですね。もちろん普段は電信線で通信していたんでしょうけど。


さっき通った赤レンガ小屋をもう一度通る。やけに鮮烈な赤レンガ色をしていますけど、塗り直したんだろうかね。
金髪幼女が侵入を試みていますが、ガッチリと格子扉と錠で閉められているのでそれは叶わぬ望みなのさ。


格子扉の網の目はガバガバに広いのでカメラだけにゃ~んするのは楽勝です。
写真のとおりですとしか書きようがないです。

で、砲台跡に着きました。司令部跡から見て左側の砲台です。
やはり生々しいし、コンクリートの基礎もほとんど残ったままなんじゃないかこれ。知らんけど。
ところでこういう円形の基礎が二段重ねになっていて中央に階段が付いているという構造はロッドヒル要塞には無かったですね。


巻き上げ機の腕が生えていました。しかし、その下は普通に地面でして、謎です。地下は埋められた・・・?


弾薬の仮置き場だっただろう基礎の部屋。注目は黒い扉でして、これもロッドヒル要塞では見なかった構造です。
ただし、ロッドヒル要塞では初めから扉が無かったと言われるとたぶんそうではないと思います。この扉を観察すると、扉の周りにはヒンジと繋がっている枠があるのが分かります。ロッドヒルのを見返してみると、ちょうど枠がはまりそうな一段のへこみがあるのが見て取れます。なのでロッドヒルのものは扉が枠ごと撤去されてそのまんまというところでしょう。
こっちの方が資料性が高い部分もあるというのは侮れませんな。


大砲があっただろうなという場所。ロッドヒルよりもやや小さめ。


相合い傘的な。


謎部屋。


弾薬を運ぶ通路ですね。


中央の構造物。よく見たらここは砲台じゃありません。たぶん弾薬庫ではなかろうか。


正面のコンクリート小屋の中。はあそうですか、としか書きようがない。


階段の奥に立っている灯籠みたいなやつは換気口です。その奥の扉は封鎖されています。
換気口は地下へ繋がっているはずです。ロッドヒルの知見からして弾薬を保存しておくにも地下の方が都合が良いです。この換気口といいさっきの巻き上げ機といい、地下室が必ずあるはずですが、さすがにただの公園にそこまで自由に出入りさせるのは危険と判断されたんでしょう。地下への入り口は見つけられませんでした。
恐らくはこの写真の扉が地下への入り口でしょうけど、これはどうも後から封鎖したような施工です。


最後に右側の砲台。左側の砲台と同じような構造です。


砲台のマウント部も同じですね。


謎部屋。


というところで以上。行ってみてよかったです。
おしまい。

続・ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する 前編【2016/3/22】

2020-03-20 21:45:06 | 日常記
先日までのブログ更新で、ビクトリアにあるロッドヒル要塞・フィスガード灯台国立公園を見に行ったことを書きました。
そこでちらっと触れていたんですが、この地域の沿岸要塞はロッドヒル要塞以外にも複数箇所ありました。
へー他にもあるんだと思って、グーグルマップの航空写真を使って当時の要塞の位置を示す地図と見比べながら、他に跡地が残っていないか探しました。
すると、なんとあったんですね。


マコーリー・ポイント公園という場所です。ここにマコーリー砲台 (Macaulay Point Battery) がありました。
ただこの陣地、ロッドヒル要塞にあった地図には載っていなかったんですけどね・・・。で、この航空写真を拡大してみると・・・。


うわっ!めちゃくちゃ分かりやすい形で残っている!

砲台の跡です、これ。しかも3つも。
見つけた時にこれは興奮しましたね。地図や航空写真上から何かを見つけた時の地図マニアやオブローダーはこんな気分になるのかな?


2016年3月22日。
これは行かねばなるまいと思い、チャリを走らせマコーリー・ポイント公園へ。
公園だと思って着いたところは少し外れたEsquimalt Anglers Assnという船着き場でした。


アシカが顔だけ浮かべてますね。どこにいるか分かるかな?



公園の中に進みまする。


これは砲台を囲むコンクリートの防御壁ですね~。お兄さんこの前見てきたばっかりだからすぐ分かるゾ~。


怪 し す ぎ る 。
営門だった場所ですかね。国立公園として整備されているよりもただ放置されている場所を歩くほうが楽しいですな。いやまあ、ここも普通の公園として整備されちゃいるんですが。


このレンガ積みの建物~。意外にも砲台陣地に関する説明書きは皆無だったんで、もはや何に使われていたかは定かではありませんが、まあ軍事施設ですよね。


おいおい坑門があるぞ!隧道か?
濃いな~、ここ。放置しておくの勿体なくない?


坑門の上に1895年築を表す扁額があります。要塞の構造からしてもロッドヒル要塞と同時期の建築ですね。ちなみに用途廃止は第二次世界大戦後
坑門の中は真っ暗で、これは隧道じゃなくて何かの部屋に通じているのかな?それとも隧道だけど閉塞しているとか。


いざ中へにゅるんと入ってみると、なんと左に曲がっているのです。写真だと分かりにくいのですが、この通路は奥へ向かって上り勾配になっています。


貫 通 し て い た !!
隧道と呼ぶにはいささか小さすぎるものでしたが、トンネルを抜けるとそこはどこだかわからない場所に出てしまいました。しかしこんな抜け道めいた構造物がある要塞、なんかすごい楽しいな!
上り勾配だったので、少し高いところにいるようです。どうやら。


隧道を抜けた先には小屋が建っていました。屋根にはベンチがありにけり。あそこに座ると海の眺めが良いのです。日本だったらカップルの聖地とかになってそうです。
うーむ、砲台陣地みたいな巨大な設備は撤去されずに放置というのは有り得る話ですが、こういう小さな建物も残っているものなのか。


屋根まで登れそうだったので登ってみる。
結局なんの小屋なのって話ですが、司令部と射撃指揮所というところだと思います。


屋根の抜けた部屋は草だらけです。史跡として整備するつもりはないんだろうなと。あくまで放置を決め込むか。廃墟感があってこれはこれで・・・という気もあります。


屋上のベンチのところまで登ってきました。水平線の彼方にはアメリカのオリンピック半島があります。んで、手前の陸地に目をやってみると・・・。


!!!


ぬぉお!!!


ウヒャー!!

やはり思っていた以上に生々しいほど痕跡が残っている!これはアドレナリンが滲み出てきますよ。
それでは下に降りて砲台跡を見に行きましょうか。

今日はここまで。



横田でプチアメリカ旅行 最終回【2017/9/16】

2020-03-17 22:20:41 | バス・航空機撮影記
青梅鉄道公園の続きです。
これはE10形2号機。奥羽本線板谷峠の急勾配区間で使われていた老朽化した4110形をいい加減置き換えようや、という背景から製作されたタンク機関車。車輪配置2-10-4Tのガチ勾配仕様。ただし開発時には既に板谷峠の電化が決まっていて工事も進んでいたので、最初から電化完了までの中継ぎとしての機体でした。
奥羽本線に始まり、肥薩線、北陸本線(倶利伽羅峠と米原~田村)と全国を転々としたもののどこにも定着できずに14年で廃車になるという救われない生涯でした。
それでも廃車時期が青梅鉄道公園建設時期と重なったのが効いて、ここで保存されることになったのは数少ない救済ですかね。


板谷峠の隧道内の煙害対策として、この炭庫側を前側とした運転を基本としました。運転室の機器類の配置もそれを前提にされています。煙突を運転室よりも後ろに配置すれば煤煙が物理的に降り掛かってこないじゃんという考えで、キャブフォワード式と呼ばれる方式です。
なので、本来のE10はこの写真が正面向きということになります。あんまりそんな雰囲気出していないけどね。ただし、北陸本線に転属した際に煙突側を正面にするように運転機器の配置を移動したようなので、晩年は一番上の写真が正面向きとなります。


日本のタンク機関車としては最大の大きさを持ちます。特にボイラーが太い。斜めに取り付けられた汽笛はE10の大きさを示していると言っていいでしょう。


動輪を5軸も繋げていると曲線通過時にレールに掛かる横圧が過大になってしまい軌道にゆがみ等の支障をきたすことが想定されたので、第2第3動輪にはフランジがないのも特徴です。


C11形1号機。全国の動態保存SLとしておなじみ。これも説明不要でしょう。



あくまで公園ですので、遊具区画あり。


御存知0系新幹線。昔は東北新幹線に擬態していたともっぱらの噂。まあ素人は騙せただろうけどさ。

以上で青梅鉄道公園はおしまい。


青梅駅に戻って青梅線の電車に乗ります。E233系の「ホリデー快速おくたま」号でした。東京方面まで1本で行けるからラッキーだ。


御茶ノ水駅で総武線に乗り換え。山手線からやってきたE231系500番台でした。量産型通勤電車ですからね、どの帯色に塗られても違和感がないですよ。



なんとなく丸ノ内線。当時はまだそんな話はなかったですが02系も置き換えられてしまいますからね。


秋葉原駅で降りて模型店を物色していました。ついでにゴーゴーカレーでご飯も食べてしまいます。


バスタ新宿へ移動して、ジェイアール東海バスの高速バスに乗って静岡まで帰りました。


おまけ。
途中の足柄SAで休憩。昼間までは持ってくれていた天気が悪化して雨になっていました。
恒例になっている休憩がてらのバス撮影をば。これは富士急シティバスの日デ・スペースアロー+西工02MC。


一畑バスのいすゞガーラSHD。東京~松江・出雲線「スサノオ」号です。


どこかの観光バスのヒュンダイ・ユニバース。


私めが乗っているジェイアール東海バスのふそうエアロエース。


中国バスのヒュンダイ・ユニバース。横浜~福山・広島線の「メイプルハーバー」号です。


しずてつジャストラインのいすゞガーラHD。静岡行。


オリオンバスのふそうエアロエース。東京~出雲・松江・米子線。


ズラズラズラと。
左から東急トランセ(藤枝・相良行)、南越後観光、とさでん交通(高知行ブルーメッツ号)、中国バス(メイプルハーバー号)。

以上。おしまいです。

横田でプチアメリカ旅行 その6【2017/9/16】

2020-03-16 21:09:45 | バス・航空機撮影記
青梅鉄道公園の続きです。次はこの2120形2221号機。いわゆるB6というやつです。
これは形式内の分類分けがやたら雑多で、説明を放棄するレベル。これも輸入機なんですが製造国だけでイギリス、ドイツ、アメリカの3カ国もあり、イギリスとドイツでは複数社に製造させています。納品先も官設鉄道はもとより日本鉄道や関西鉄道のような私鉄にもあります。それを半ば無理やり1形式にまとめ上げたんで、そりゃね。とりあえず、車輪配置0-6-2Tで機体規模は似たようなものってことはどれも同じだったはず。




2221号機は1905(明治38)年ノースブリティッシュ社製。
明治期のタンク機関車という先入観だと110号みたいな小型機を連想してしまいがちですが、B6は結構大きい。パッと見、鉄道省制式機のC12くらいはありそうです。
加えて力持ちでしたので、勾配区間や貨物列車では重用されていたようです。


足回りとか。


運転室。


8620形8620号機。ご存知純国産蒸気機関車の第1号です。その上トップナンバー機です。普通1号機は梅小路に保存されそうなものですが、ハチロクはここなんですね~。
活躍時期が広いので古典期ファンからSLブームファンまであらゆる世代を虜にします。


近代的ながらも古典的な佇まいを見せているのが不思議な機体ですが、ランボードの高さが低いのが古典的に見える一因に思えます。この低さはイギリス式です。以降のC50からはアメリカ機のような動輪を避けた高い位置にランボードを置くようになりました。


後ろ。


9600形9608号機。8620形とほぼ同期の純国産蒸気機関車の始祖。
8620形は旅客用でしたが9600形は貨物用でした。ボイラー直径が大きい分、ハチロクよりもやや野暮ったい感じ。


足回りとか。


後ろですね。


一気に時代が飛んでD51形452号機。ご存知デゴイチ。
説明不要でしょう(手抜き)


集煙装置が付いていますね。長大隧道内での走行時の煤煙対策はどこの国でも苦労していました。
普通の煙突だと煙が上に向かって排出されるのですが、これだと隧道の天井から跳ね返って運転室や客室が煙たくなってしまいます。それを集煙装置で煙突に蓋をして、装置の後ろ側についている排気口から逃がすように煙の流れを変えてやりました。これだけで効果が出るというんですからバカにできませんね。
煙突の蓋は運転室から開閉操作可能でした。装置の後ろから腕が伸びているのが分かりますかな。たぶん操作時にあれが作動するんだと思われ。


ED16形1号機。ここ唯一の電気機関車です。青梅線を走っていたことがゆかりの地元選手枠です。
雑多な輸入電気機関車を統一車種で置き換えようということで国産されたEF52形の中型版です。1931(昭和6)年製。
末期は1980年代まで青梅線と南武線を走る石灰石輸送の貨物列車に使われていました。50年以上も使われていたことは異例ですが、青梅線か南武線を走れる電気機関車が他にいなかったから、というところでしょうな。


台枠と台車の間の隙間が好き。


台車。大変古典的(適当)


40系クモハ40054号。旧型国電というやつ。これも雑多すぎて手に余る電車なので説明は抜きにします。それにしても、旧型国電が丸車で保存されているなんてのは滅多にないので、これもよくぞ残ってくれたと思います。


顔のパーツの多さが今時の電車にない特徴ですね。
クモハ40の前面はこの前期の切妻型と後期の半流線型があるそうな。これは前期型ですね。


鉄道模型の運転展示の時刻になりそうだったので本館へ入りました。その後、館内の展示をぶらぶら見て回りました。明治期の機関車の写真が多く飾られていましたね。ここらしい展示です。


青梅鉄道公園名物、JR特急ヘッドマークいま・むかし。
一瞥してみるとすぐ気付きますが、ついにここに飾ってあるのは全滅してしまいましたね。「サンライズ瀬戸・出雲」がギリギリどうにかという具合ですか。「はやぶさ」や「みずほ」みたいに新幹線の列車に転生したやつもありますけども。
ちなみに中央の写真のやつは、「あずさ」や「成田エクスプレス」は列車名は今も続いていますが、写真の電車は今はもういないですね。残りの奴らは車両も列車名も消えてしまいました。

というところで今日はここまで。もうちょいだけ続きます。