黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
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【2016年】今年一年を振り返る【旅行編】

2016-12-31 23:02:31 | 日常記
2016年も今日で終わり。
なんだか今年はあまり年の瀬感を感じられなかったんですけどね。


【2015年】

ところで去年の年末ではその年の5月のことまでしか書いていなかったのですが、今年はろくすっぽ書いておらず日本帰国以降の6~7月をちょろっと書いた以外は基本的に2015年のことしか書いていません。
なにやっとんねんという感じですが、だいたい北米P3が長引いたせいですね。11日間の旅行を7ヶ月間もかけて書いている時点でお察し。それだけ中身の濃い旅行だったわけですが、うんまあ、反省しています。
振り返るものがほとんど無いのでなのでコレ書く必要ないんじゃないかと迷いましたが、てきとーに書いておきます。



1月
カナダで迎えた2回目の1月。
公園で野鳥の写真を撮影した以外は特に動きなし。寒いと動きも鈍る。



2月
1月に続き近所をうろうろしていただけの月。
写真は、バンクーバー島の一番東はどんな感じだろうと思ってチャリで行ってみました・・・というもの。なんだか金持ちが住んでそうな地区でした。



3月
ロサンゼルス郊外(とアリゾナ)でひたすら航空機を見ただけの旅行こと北米project 4を敢行。1月2月で動きがなかったのは旅行資金を溜め込むためという側面もあったのです。
米軍機を中心に様々な機体、例のあの機体、一度は見てみたかった機体などを一度に見ることが出来てとても満足でした。ただしまあそれでも、米空軍博物館とスミソニアンは行ってみたいと思うので、またそのうちアメリカへは訪問したいものです。



4月
ビクトリアの観光シーズン再開となり、クルーズ船も頻繁に寄港するようになりました。去年よりも多くの船を見られました。本当にほぼ毎日来るんですよね、これ。



5月
前から目をつけていたバンクーバーの南にあるフレーザーバレー保存鉄道を訪問。
電車を数台保存していて、うち1台は動態保存されています。乗車できる日もあります。小さな団体でしたが、保存維持に掛ける熱意は大きかったです。どこ行っても熱心にやっていますよね。



6月
カナダ滞在最後の月、ということで総決算的な旅行、北米project 5を観光。初のカナダ東部への進出になりました。
博物館見学と観光地周遊をバランス良く混ぜ込めた旅行だったと思います。3都市を巡ったのですが、各都市もう1日ずつ滞在したかったなと思いました。
そしてこの月の末に日本へ強制送還されてしまいました。カナダ本当にいいところだった・・・。絶対にまた行きますぞ。



7月
着々と計画が進行していた翌月敢行のサイコロの旅4の打ち合わせも兼ねて大井川鐵道でジェームズを撮っていました。ジェームズを撮ったのはこれが初めてだったのでした。



8月
ZBSの共同でサイコロの旅4を敢行。今回はいぶき君を巻き込むためにまんまと騙してやりました。彼は人がいいのでコロッと騙されてくれました。
そのうち連載始めます。



9月
近所をうろうろしていただけの月。
バスとか飛行機とか見ていました。この復刻銀バスは清水に配置されているだけあってコレ以降まだ撮れていません。



10月
静浜、浜松、岐阜の航空祭に行った月でした。
カメラのレンズが飛行展示を撮るには性能不足なのは明らかだったので、そっちはついでにして地上展示機をメインに据えました。
今まで収集した自衛隊機写真のアップデートが目的だったんですが、X-2をはじめ初めて見た機体も多かったので上々な結果でした。望遠レンズを手に入れれば別ですが、来年も行くかは微妙ですかね。行くなら米軍基地ですかね。



11月
蒸気機関車に乗りたくなったので、大井川鐵道のSL急行に乗車。帰りは撮影に興じました。
紅葉はまだ早かった・・・。



12月
箱根登山鉄道の電車が復刻塗装になっている電車を撮影に。来年2月までの運行なので人が混む前に今のうちに済ませておきました。ついでに大雄山線の復刻塗装も撮りました。
撮影をひと通り終えたら箱根観光もしようと思ってましたが、時間配分をミスって全く出来ませんでした・・・とほほ。

以上です。



恒例、今年の経県値。16都府県となりました。前年比+3でした。
まあこんなもんよ。

帰国してからというもの遠征らしい遠征をしていないですから(サイコロはさておき)、来年はどこかドカンと行きたいですな。
海外はまあどうでしょうねぇ・・・と言う感じです。行く機会は虎視眈々と狙っていますけどね。


それでは良いお年を。
そして来年の黒鉄重工にもご期待下さい。

【2016年】今年一年を振り返る【模型編】

2016-12-30 22:18:02 | 模型記
2016年も残りわずか。
今年作ってきた模型がどんなだったのか振り返りましょう。

【2015年】



1作目:1/144 バンダイ HGティエレン宇宙指揮官型(地球連邦軍機)
去年に引き続きカナダでの生活中に作っていました。
マイナーな機体にマイナーな塗装。劇場版の劇中にカメオ出演的に一瞬だけ映っていた旧型機が印象に残っていたので作りました。



2作目:1/700 ピットロード 海上自衛隊護衛艦「あけぼの」
「あたご」と共にカナダへ訪問歴のある護衛艦ということで作りました。日本への輸送中に破損してしまったので、人前に出せる状態ではないのが悲しい・・・。



3作目:1/72 エアフィックス イギリス空軍スーパーマリン スピットファイアMk I
船とガンプラばかりの製作で飽きが出てきていたので、飛行機でも作るかとスピットファイアに手を出す。
やたらと派生型が多いので全種類作りたくなってきますが、まあムリだろうなぁと思います。Mk I, II, V, IX, XIV, 24ぐらいは揃えたいもの。



4作目:1/700 ヤマシタホビー 日本海軍駆逐艦「吹雪」
カナダで作った最後のプラモデルです。
ZBSからのテロ攻撃で着弾した模型でした。出来の良さに満足。今では綾波と響が積んであります。



5作目:1/144 バンダイ HGガンダムアストレイブルーフレーム・セカンドL
日本帰国後最初の作品。
アストレイは部分塗装が多いので塗るのが大変ですな。まだレッドとゴールド天もありますがまたいずれ。



6作目:1/60 マイクロエース 居酒屋みすてぃあ
建物とその情景モデルとして製作。
色々と電飾やネタなんかを入れたりして好きなように作ることが出来ました。



7作目:1/700 タミヤWL 日本海軍軽巡洋艦「五十鈴」
積みプラ消化月間その1。
ふっつーに作りました。



8作目:1/72 フジミ 日本海軍 愛知九九式艦上爆撃機二二型
部品取りにされていたキットを製作。取っていった部品は爆弾だけだったので、機体を作る分には問題なかったのです。
これもふつーにやりました。



9作目:1/300 ピットロード(F-TOYS) 海上自衛隊 新明和PS-1 & US-2
まだ撮影していないので製作終わった時の完成写真ですが・・・。
11月についにエアブラシを導入しましたので、その慣らし運転にと積まれていたこれが目についたのでこの機会に作ることに。
エアブラシは全く初めてというわけでは無かったので、以前の感覚を取り戻すには十分でした。手入れが面倒ですけどやはり塗装が楽ですね。
いずれこちらも記事にします。

以上、9作品です。

製作数は前年比+4作です。
まあまあなペースだと思います。やっぱりこのくらいの数をこなすのが限界ですかね・・・。溜まってるブログの執筆もあるしね。

この1年で飛行機のキットをしこたま買ってしまったので、来年は飛行機をたくさん作りたいと思います。
エアブラシの技能も上げていきたいですね。
では今年はこんなところで。
明日は旅行編です。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. 最終回 【2015/07/08~18】

2016-12-25 23:04:09 | 海外旅行記

2015年7月18日(土)14時12分
アルバータ州カルガリー・ダウンタウン 9Ave SW and 1 St SW

最終日のメインイベント、ヘリテージパークを退園して、カルガリーのダウンタウンへとやってきました。
昨日は車で通り過ぎただけなので、降り立つのは初めて。ちなみにレンタカーは近くのコインパーキングに駐めてきています。
滞在時間は1時間も無いので、もう見たいものだけ見ていきます。最初に来たのはここ、カナディアンパシフィックの看板が立っている所です。ここはカナディアンパシフィックのカルガリー駅の駅前です。
もっとも定期列車はゼロで、夏季にロッキーマウンテニア鉄道がたまに来るのと、事前予約しないと運行しないロイヤルカナディアンパシフィック号くらいなもので、大変寂しい駅です。
カルガリーの北約300km先にはエドモントンというアルバータ州の首都があるわけですし、その2点間を結ぶ中距離列車でも走らせればと思うんですが、まあ新幹線でも敷かないと他の交通に勝てないんでしょうねぇ・・・。かなし。



で、そこに鎮座しているのがカナディアンパシフィックA1e形29号機関車なのです。1887年にモントリオールにあるCPの自社工場その名も「新工場 New shop」で当初は390号機として造られたそうな。
軸配置は4-4-0の典型的なアメリカン機。その割にはなんだか垢抜けた見た目です。その原因は恐らくこれのクソ長い寿命で、なんと1960年11月まで現役を張っていたそうです。70歳超えです。70年の間に外装はかなり変化しているはずです・・・。
なお1960年というのは、もはや現役の蒸気機関車の時代はおしまいという時期ですから、CPの蒸気機関車時代の大半を過ごしてきたわけです。
引退後はカナダ鉄道歴史協会に引き取られてなんやかんやあってここに静態保存されています。



私含めみなさんには縁のない話ですが超豪華クルーズ列車「ロイヤルカナディアンパシフィック号」のロビーがあるのがここです。
小じんまりとしていますが、外から覗いた分にはヤバい空気を出していたゾ。



カルガリータワー。なんで人類はこう塔を建てたがるのかを論じているとキリがないのでしませんが。
カナディアンパシフィックの領地(?)にカルガリータワーならばカナディアンナショナルの領地(?)にも塔が建っていて、こっちはそのまんまCNタワーと呼んでいます。スカイツリーを東武ツリーって言うようなもんですから、もうちょっとひねってもよかったんじゃねえのとは思います。
登る時間なんて無かったので遠くから見るだけにしておしまいです。



辺り一面高層ビル・・・。これは都会だな。東京とはまた違う整然としたものを感じます。
ただ一通がやけに多くて、車で周るのには不便しそうな街です。



カルガリートランジットのバス。Chevrolet 4500 + Arboc SOF (Spirit of Freedom)です。小型のコミュニティバスですね。
BCトランジットでもおなじみのシボレー4500シャーシで、カタウェイボディもArboc SOM (Spirit of Mobility)とよく似た姉妹車です。SOFはSOMの廉価版という位置づけだそうですが、あまり違いは分からんです。



ダウンタウンでのメインイベント、C-トレイン撮影です。
カルガリーのダウンタウンと郊外を結ぶLRTです。開業は1981年で、エドモントンのLRTと共に北米LRTの草分け的存在です。利用は好調で、LRTの優等生と認識されているそうな。
現在は2路線が運行中で、ダウンタウン内ではこの2路線が同じ線路を走るので、効率よく撮影できます。



電車がやってきました。2001~2007年に導入されたSD160形電車の前期型です。1編成2両で構成され、利用状況に応じて増結していきます。日中は3編成6両で運行するのが通例のようです。いわゆるLRVではないですが、プラットホームを造ってバリアフリーにしています。
ちなみにこれの広告はマツダでした。トヨタ、日産の次に見かける日本車がマツダかホンダって感じですね。上位2社と比べるとその頻度はグッと下がりますが。



こちらは2010~2012年に導入されたSD160形の後期型です。フロントデザインが変更されてよりヨーロッパ風の電車になっています。
SD160形とその前身であるSD100形はシーメンスが北米向けに開発したLRT車両なので、投入されているのはアメリカとカナダのみです。カルガリーの他にエドモントンやサンディエゴなどで見かけることが出来ます。



NFI D40LF。銀と赤の塗装なのでそこはかとなく東急バス感を感じます。



SD160前期型。C-トレインにはもう一形式、U2形という開業時からの古い電車が走っているのですが、結局見られませんでした。レールバスみたいな見た目が可愛いんですけどね。
C-トレインは基本的に専用軌道を走りますが、ダウンタウン内では併用軌道です。ただ、併用軌道と言っても一般車両の乗り入れは禁止されているようで、実質的には道路を一本LRT(と路線バス)専用に再整備したというところでしょう。
一般車両乗り入れ禁止は思い切ったことをしたなと思います。



D40LFの旧塗装。まあ、あまりかっこいい塗装ではないですな。
ちなみにこの通りはバスはあまり通らなかったです。路線バスのダウンタウン内での運行経路は1本の大きな幹線道路に多くの系統を集中させる方式(日本だとこの場合が多い)と複数の道路に系統を分散させる方式があるんですが、カルガリーは後者だったようで。
また、郊外の路線バスの系統はC-トレインの郊外駅を起終点にしていてダウンタウンへ直通しないものが少なからずあるようなので、ダウンタウンにはあまり現れない・・・と言う事情もあるようです。おかげで効率的な撮影とは行きませんでした。



時間切れになったので駐車場に戻ります。
駐車場はCPの線路の上にある立駐でした。貨物列車でも通らないものかと少し期待しましたが、ダメでした。ダウンタウンを徘徊している時に遠くから列車の通る音は聞こえてるな~ってのが何回かあったんですが(この時は撮影するポジションにいないので未撮影)、つくづく旅行後半は列車に嫌われましたね。



15時頃にダウンタウンを離れて、16時前にはレンタカーを返却してカルガリー空港のチェックインカウンターへ。とうとうビクトリアへ変える時が来たのです。るるー(悲)
乗る飛行機はウェストジェットというところ。カルガリー~ビクトリアを直通しているのでラクです。エアカナダはバンクーバー乗り継ぎになるので・・・。
機内預けの手荷物が1つあったので預けようとしたんですが、預け料金25ドル取られました・・・。な、なんでや!?と思ったんですが、そういう決まりなので仕方ないです。

ウェストジェットはLCC系の会社なので、最初はLCCでよく見かけるチケット自体は低価格だけど預け料金なんかで利益を出すビジネスモデルか・・・と思ったんですが、どうもそうでないようで。
カナダとアメリカの国内線および両国間の国際線のエコノミークラスではだいたいどこの航空会社でも預け荷物が1個目から有料となっているようです。LCCは当然、エアカナダやアメリカン航空のような大手のレガシーキャリアもそうなっています。リージョナル航空会社までは把握してないです。
まあなんともセコいことするなぁと思います。とはいえ他の交通機関もないですし、足元見られた格好になってます。うーんセコい。
みんなも預け荷物の数は減らしていくように気をつけような。



搭乗ゲートに向かいます。
カルガリー空港はウェストジェットのハブ空港ということもあって、ターミナルの一角は完全にウェストジェットのものになっています。他のキャリアが全く見えないぞ。
ウェストジェットの機材はほとんどがボーイング737で構成されています。創業にあたってはサウスウェストを手本にしたそうですから、機材の統一はそこに倣ったのだと思います。接客サービスもそこに似ているらしい。



ウィングレットが上下についたシミタールウィングレット装備の737。新し目の機材ですね。
そういえばまだ昼飯を食べていなかったので、ここで軽く済ませておきました。もう16時回ってるんだけどね・・・。



搭乗時刻になりやした。WS227便ビクトリア行きです。機材はB737-800(C-FAWJ)。もしかしたら初の737搭乗かもしれないです。



機内。まあこんなもんよ。
LCCですが背面モニターが付いていて有能。ただしイヤホンは有料なので買うか持参しよう。ドリンクも有料。そこら辺はLCCです。



はい離陸。シミタールウィングレットの機材なのね。
珍しく窓側・・・というか通路側がもう埋まってたのだ。チェックイン時まで座席は決まっていないので、ウェブチェックインが始まる24時間前から椅子取りゲームなのです。ちょうどその頃はホテルに向かって運転していたはずなんで、まあムリだわな。



せっかくなので景色を楽しみます。ちょうど雲のない所を飛んでいるので地上の景色がよく見えます。
ここはカナディアンロッキーかな?氷河が見えますね。すでに少し懐かしくなっております。



一気に飛んでバンクーバーの郊外。



バンクーバーとビクトリアの間のガルフ諸島。ここの景色は本当に美しくてうっとりします。ここからの景色はとても好きです。



はい着陸。帰ってきたぞー。
1時間位乗っていましたが、時差があるので時計の上では30分しか時間が経っていないことになります。時差マジックすごいな。というかそれ以上に、飛行機で1時間で行ける距離をのんびり11日間かけて巡ってきたというのに、ある種の壮大さを感じます。



降りました。
LCCですが特に不便もなく良いフライトでした。ただ以降使う機会がなかったので搭乗はこれっきりになっていますが・・・。マイル貯められないからね・・・。
この後はBCトランジットのバスに乗り換えてお家へ帰りました。


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はい、これで11日間に渡って旅してきた北米P3もようやくおしまいです。
本当に色々な場所を回りましたが、どこもカナダの広大で懐の深い自然と歴史を味わえました。ここでしか出来ない体験も幾つもしました。いつかまた行ってみたいと思いました。生涯忘れられない旅行になったのは違いありません。
北米P3を連載し始めたのが5月24日ですから、実に7ヶ月間、1年の半分以上をこれの執筆に費やしたということで、ええー、長引いたなぁと。途中何度かやめちまいたくなりましたが、そうなると後の連載にも進めないのでそこは頑張りました。褒めてくれ。
いくつかの場所は弊ブログが初めて日本語で書いたと言っていい箇所がいくつかあるので、そこはちょっと胸を張ってもいいと思いますぞ。特に鉄道とか軍事とか。もっと褒めろ。

カナダの出来事はまだ1年分のストックがあって(実に17ヶ月遅れ!)まだ当面の間は書き続けることになりますが(白目)、ひとまずこれはここでおしまいです。次の連載開始は年明けになるだろうから、なんだかちょうどいいな。


おしまい

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その53 【2015/07/08~18】

2016-12-18 20:12:42 | 海外旅行記

ヘリテージパーク編7回目ですが、今日が最後です。5回くらいで終わるつもりだったのにね。早く終わらせたいのでサクッと行きますよ。



ソープ家住宅 Thorpe house
カルガリーの製材所の労働者、ソープさんが建てたお家。フォークビクトリア朝の設計だとか。子供は8人も作ったということで家は何度か増築しています。



だいたい園内を見回ってみてまだ少し時間があるのと、建物の内部にどこも入らないというのはまずいだろうと思ったので、ここに討ち入りすることに。
めちゃくちゃいい感じの家やん。



部屋も沢山あるぞ。
うーん、書くことがない。



前々々回くらいに見たウェインライトホテルの中にも入ります。明治村で言えば帝国ホテルに位置する建物。
ちょうどいいしお昼でもと思ったんですが、しっかりと腰を据えて食べる店だった上に混んでいたのでヤメに。バッファローやシカの首が立派ですね。



2階の広間。



2階は客室になっています。廊下が狭いような気がします。



部屋はこんな感じで、いい感じの部屋ですね。高そう。



他の部屋はこう。格好からして金持ちだもんね。



外に出るとまた蒸気機関車が停まっていたので撮影。



砂岩の家 Sandstone house
カルガリーで1886年に起きた大火事の後、木造家屋は燃えやすくてアカンということで、そこら辺から調達できる耐火素材として砂岩が選ばれて家の素材に使われました。主に銀行、住宅、学校、裁判所などが砂岩に置き換えられました。
これはレプリカで、ジェームズ・マクラウド大佐の家を再現したとのこと。
カナダのことだからどーせレプリカと言わず当時から残っているオリジナルの建物が10軒くらいありそう。



もう時間なので、まだ見ていない建物を見ながら退園します。
さっきのモデルTTに再会。特に目的もなくぶらぶら走っているんでしょうか。



王子住宅 Prince house
ピーター・アンソニー王子のお家。
アンソニー王子は1890年にカナディアンロッキーからカルガリーへ流れるボウ川にダムと水力発電所を建設、それで発電した電力で製粉工場、食肉工場、穀物エレベーター、醸造所と手広くやっていたようです。
家は1894年築で、1967年に移築されてきました。3階建ってだけでヤバいもの、やんごとなき家だったんだろうなぁ。見ておくべきだったか。



退園しました。
そして出口の横にはカルガリー市営鉄道 Calgary municipal railwayの路面電車14号が停まっています。いわゆる市電です。
カルガリー市の人工増大に伴いダウンタウンと郊外を結ぶ交通機関が必要となったことから1909年に開業しました。最盛期には80台の車両が在籍していましたが、1950年に廃止になりました。ちなみにその30年後の1981年にLRTのCトレインが開業しています。
14号はカルガリー市電の最末期に運行されていた車両で、オリジナルですが復元車といっていい感じだそうです。



発車するまでの間に順光で撮影できる所に移動して撮影。
いいっすねぇ。



後追い。



なぜかある交換設備。
なんだかレプリカがもう1台あるんだそうで。
線路の距離は1km弱程度あるらしくて、体験乗車するには十分な距離だと思います。乗ってみたかった・・・。



はいこれで最後です。ヘリテージパークに面する道路14th Streetにあるカナディアンパシフィック鉄道(CP)のT1c形5931号機です。
車軸配置は2-10-4(1E2)セルカーク。セルカーク機はカナダでの呼び方で、アメリカだとテキサス機って呼びます。また、セルカークはこのT1形のみだったので、セルカーク=CPのT1形と認識されているようです。
T1a形、T1b形、T1c形の3形式が存在し、それぞれ1929年(20機)、1938年(10機)、1949年(6機)に5900~5935号機が製造されました。製造期間がだいぶ離れているので、T1aとT1cでは外観が全く異なります。気になったら調べてみてちょ。
以前見たロイヤルハドソンと似た流線型の外観をしていますが、こちらは動輪が5軸あることから分かるように、牽引力に重きを置いた設計がされています。どうもこの時期に製造された機関車は同じような流線型の外観に設計されているようで。
主にカナディアンロッキーを通るカルガリー~レベルストーク間の山岳路線での重貨物列車や重旅客列車の先頭に立って活躍していました。山男なのです。もちろんスパイラルトンネルも通りました。
しかしながら、T1c形が製造された1949年は既にディーゼル機関車が台頭し始めてきた時期でした。実際、このT1c形がCP最後の新製蒸気機関車になったのでした。
強力な牽引力を持つディーゼル機関車は1950年代初頭には山岳路線に投入され、置き換えられたセルカークはカルガリー東部のプレーリーが広がる平坦線へ転属して過ごしました。当初の区間での活躍は意外なほど短かったのです。
そして1959年までには全車引退しました。36両の内この5931号機と5935号機が保存されて現在も残っています。5935号機はモントリオールの鉄道博物館に保存されています。



そんな一生をカルガリーで過ごした縁のある機体なのですが、状態は全体的には良好ながらも細かく見ていくとところどころ劣化している部分もあり。ご覧の通り柵に囲まれているので取り付くことは出来ないです。
道路沿いに置かれてはいますが、すぐ横に駐車場はなくちょっと立ち寄りづらい感じではあります。もっとヘリテージパークの近くにおいてやればと思いますが・・・。前は観光案内所の隣にあったそうですが、そっちのほうが人目についていたよかったのかも。
見捨てられているわけでも無いと思いますので、今後もその雄姿を見続けられることを願っています。


これで今日最大のイベントは終了です。
ヘリテージパークを軽く見ましたが、この年代の建築物、鉄道や文化に興味のある人にはたまらない施設であると思います。そういう人たちは滞在時間を丸1日取ることをおすすめします。

そして次回で最終回です。


最終回へ→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その52 【2015/07/08~18】

2016-12-12 22:40:37 | 海外旅行記

ヘリテージパーク編6回目。
ハドソン湾会社の砦を出てまた園内を歩いていくと、建物が数軒並ぶ所に来ました。
ここら辺はどうでもいい建物群と見ていたのでさらっと流し見しただけです・・・。



ドリュー・サルーン Drew's saloon
じゃがいもくらいしか連想するもののない土地で有名なアイダホ州に住んでいた退役軍人ヘンリー・ドリューがアルバータ州に移住した1886年にこの建物を建てました。



I.G.ベーカー商店 I.G. Baker & Co. Store
正面は立派ですけど、横を見てみるとなんだかボロっちいという看板建築みたいな建物です。こっちにもこういうものがあったんだな。
段々解説も雑になってきてますね。



線路なう。
前回出てきたワイことデルタ線の終端ですね。長さ的には機関車と客車2両が入る長さなんですが、実用的には機関車の方向転換くらいが限界なのかも。



デルタ線の”辺”の部分から本線へ合流して少し先の部分にまたがって側線があります。本来は機回し線なのかもしれませんが、当時は貨車が留置されていました。
長物車が3両。身元は不明。
荷台には枕木や台車が載っていました。



蒸気機関車の炭水車と家畜車というナゾい組み合わせ。



ノーザンアルバータ鉄道NAR20006家畜車。1912年アメリカン・カー&ファウンドリー製。
NARは1929~1981年まで存在していた会社で、現在はカナディアンナショナルとカナディアンパシフィックの両方が所有しています。
家畜車というのは読んで字の如く、牛や豚など家畜を輸送するための貨車です。家畜以外にも色々運んでいたらしいです。
まだ冷蔵庫や冷凍庫がない時代、生産地と消費地は距離が離れている場合が多く、牧場で家畜をしてから消費地へ出荷していては鮮度を保てませんでした。そのため消費地の近くでしなければならず、生産地から消費地まで家畜を運ぶ必要があることからこの貨車が造られてきたわけです。
とはいえ生きた家畜を乗り降りさせるのは手間でありますから、冷凍・冷蔵技術が普及して精肉に加工してから出荷しても鮮度を保てるようになるとソッコーで姿を消してきました。当然現代では使われていない種類の貨車と思います。馬運車も今は自動車ばかりでしょうし。
見た目は有蓋車で、実際に設計は有蓋車の流用であることが多いそうですが、通気のため外板がすのこ張りになっているのが特徴です。
日本では1台も残っていない種類の貨車なので興味深いですね。まあ家畜同然の扱いを受けている乗客を運んでいる通勤電車は東京に行けばゴマンと走ってますが・・・。

鉄道が絡んでくると急に書く量が増えますね・・・。



カナディアンパシフィックCP415722炭水車、テンダーですね。1907年リッチモンド・ロコモーティブ&マシン・ワークス(ペンシルバニア州)製。
元々はCPのD10d形蒸気機関車(4-6-0)613号機の炭水車として製造。以降の経歴はよく分かりませんが、炭水車だけ残された模様。恐らくはウォーターテンダーとして使われていたのだと思われます。水だけを積んだ蒸気機関車用の給水車ですな。
停車駅の少ない特急列車なんかだと駅と駅の間で給水のためだけに停車しなければならないなんてことも出てきます。速さが売りの特急でんなことちんたらとやってられないので、給水停車しなくて済むように水槽車を連結して航続距離を伸ばしているのです。
日本の特急「燕」でも所要時間短縮のための東京~名古屋ノンストップ運転のために専用の水槽車を製造した(そしてソッコーで用途廃止された)事例がありますが、それと全く同じ思想です。
ちなみに石炭車というのは存在しないようです。石炭は水よりも容積に対して減りが少ないんでしょうな。例えば大井川鐵道のSLだと、石炭は補給無しで往復できますが、水は片道で半分以上消費してしまうので終点で給水する必要がある・・・といった話もあります。
ウォーターテンダーは専用の車両が製造された例もありますが、蒸気機関車で使われていた炭水車を流用した例もこの車両のようにあります。
ちなみに車番の下に書かれているService、これは保線・保守業務を行う部門です。操重車や除雪車を持っているのも確かここの部門です。



給水塔(左) Railway water towerと給砂塔(右) Railway sand house
給水塔は1902~1972年までCPがアルバータ州ドラムヘラーで使用していたもの。現役の給水塔で、毎朝蒸気機関車に給水しています。あのCP2023号機は水を3,000gal (=11,356L)搭載できるのですが、一日中走ると1,700gal (=6,435L)消費するんだそうな。
給砂塔は1920年代~1960年代ごろまでCPがカルガリーのヤードで使用していたものです。砂は何に使うかというと、レールの踏面に撒いて車輪の粘着力を上げるのに使います。急勾配とか雨や氷で滑りやすい時とかは摩擦が低くなって機関車の牽引力が落ちてしまいます。そういった時に砂を撒いて摩擦を上げて牽引力を取り戻すのです。
園内の線路は平坦線かつ客車も短いので砂を使う場面はまず無いはず。なのでこの建物も現役かというと微妙。動かそうと思えば動かせるんでしょうけど、きっと。



何がとは言わないがすげぇデカい!!!



牧歌的背景のお陰でクッソ画になっているフォード・モデルTT。
バカどころかアホとボケを付けてもいいくらいの量を造ったモデルTのトラック版。こういうのも平気で走っているということで。
モデルTは今でも30万台が残っているらしくて、新品の部品が今でも供給されているっていう環境の良さもあって、ビンテージカー入門にはちょうどいいのかもしれません。



馬車小屋。
よく分からない(やる気ない

今日はここまで。長かったヘリテージパークも次回で最後です。


その53へ→

【ギャラリー】日本海軍 愛知 九九式艦上爆撃機二二型【1/72】

2016-12-11 22:28:09 | 模型ギャラリー

■使用キット:フジミ1/72Fシリーズ 愛知九九式艦上爆撃機22型
■仕様:横須賀海軍航空隊

前に作った特攻仕様の零戦を作る際に必要だった爆弾の提供元になったフジミの九九艦爆。爆弾だけ引剥がしてあとはほったらかし温泉だったのですが、たまたま目についたので作ってみました。
ただの消化試合みたいな感じになったので特に製作過程の見せ場もなく、今回も製作記は無しです。



キットの出来としては、古い設計ということを加味しても可もなく不可もなしって感じでした。胴体の分割の仕方がなんだか特殊でしたが、11型との兼ね合いですかね?



で、完成品の出来としては、やる気の無さを感じるものに・・・。
チョロハゲを少ししましたが、横須賀海軍航空隊といえば内地の部隊だったんだし、きれいな機体でも良かったじゃん・・・とか思いました。



特徴的な楕円翼。
楕円翼と言えばスピットファイア君ですが、ちょうど前に組んだMk Iがあったので比べてみました。九九艦爆の方が面積が大きくて翼も厚いです。まあ爆撃機と戦闘機なんだし当然。












以上、九九式艦上爆撃機二二型でした。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その51 【2015/07/08~18】

2016-12-06 23:53:40 | 海外旅行記

ヘリテージパーク編5回目です。
牧場のようなところへ来ました。なんだかあらゆる設備が整っていて、園内だけで自給自足出来るんじゃないかって思いますね。



豚。食べられる奴や。
西洋人は家畜を隅から隅まで食べるという習慣はないイメージですが、カナダだと中国系あたりに耳とか足とか頭とかの需要がありそうで、無駄なく食べていそうです。



牛。これも食べられる奴。
園内でとかするんでしょうかね・・・?気持ちよさそうに昼寝している横で考えるもんじゃないですが。



アヒル。もちろん食べられる奴。
家畜ばっかだな。そら牧場だからな。



ラガン駅 Laggan station
線路が分岐していますが、右に分岐するのは本線で、左に分岐するのはデルタ線への側線です。デルタ線の先は行き止まりになっているので方向転換に使われるわけですね。
デルタ線の終端は機関車はもちろん客車2両分くらいまでなら入りそうな長さを持っています。列車の編成ごと方向転換できるというわけです。
カナダ・アメリカではデルタ線が今でもバリバリ使われていて、長距離列車の方向転換に使われます。もちろん客車ごと方向転換をします。なのでどっちの方向の列車でも荷物車が一番前に、展望車が一番後ろに連結されるわけです。さすがに便数の多い短距離の通勤列車だと煩雑になるのか制御客車を連結して方向転換を省いている場合が多いです。
ちなみにデルタ線というのは日本限定で通じる言葉で、英語圏だとWye(ワイ)と言います。気をつけような。



デルタ線の脇の道を歩いていたらインディアンの居留地みたいなところにたどり着いたぞ。残念ながらインディアンには会えませんでしたが。
北米大陸開拓とインディアンは切っても切れない関係なのでいない方がおかしいくらいですね。何かと対立していた野蛮なアメリカ人とそこのインディアンと違って、カナダのインディアンは仲良く共存していました。まあビジネスライクな共存だったと思うんですが。



絶対物騒だゾ、っていう砦が見えてきました。ゲリラのアジトみたいでかなりヤバそう。



こういうところには必ず警備兵がいるもんですが、何故かいなかったのですんなり入れました。ガバガバすぎんよ。
営門にはハドソン湾会社 Hudson's Bay Companyの文字が。Hudson's Bayといえば、ショッピングモールによくあるオサレな衣料品店じゃないですか。ブラックマンデーの時に1回行ったことあるよ。ずいぶんと怪しげな事業をやっていたんだな。



塀の中はこんな感じで、マジで映画に出てくるゲリラのアジトって雰囲気がしてヤバイ。絶対まっとうな商売してないよこれ。



室内は簡素ながらもどことなくおしゃれな感じがしなくもなく。ここは談話室なのかな?



別の建物に入るぞ。



あっヤバい(察し)
毛皮が並べられています。これってアレか、毛皮商か。となるとここは毛皮貿易の拠点か。なるほどね。

欧州人の北米大陸開拓と毛皮貿易もまた切っても切れない関係でして、経済面ではもちろん社会的政治的にも重要なものでした。かなり大きな力を持っていました。なにせ戦争の火種になるくらいです。
カナダ(当時はイギリスの植民地でしたが)、そこで毛皮交易をしていたのがさっき出てきたハドソン湾会社でして、先住民から買ったビーバーの毛皮を本国イギリスへえっさほっさ運んで利益を出していました。1670年にチャールズ2世、ルパーツ皇子ほか十数名の投資家により設立されたクッソ歴史のある株式会社でして、いわゆる勅許会社というもの。王室から特別な許可状をもらってその地域での貿易や生産を独占できるというやつです。ご存知東インド会社も勅許会社のひとつです。利権とか王室との癒着とかヤバそうだなあ(小並感)って感じです。
その目的は当時フランスがはびこっていたカナダ地域の毛皮交易の市場を奪い取ってフランスをけちょんけちょんにするため。当初の目的通り1763年のパリ条約でシオシオのパーにされたフランスはカナダから撤退し、その交易範囲は留まる所を知らず。最初の交易地域はハドソン湾周辺だったのがカナダ西部にまで広がっていきました。





ハドソン湾会社が先住民と取引していた毛皮の中で特に重宝されていたのがビーバーでした。
当時のヨーロッパではビーバーの毛皮から作ったフェルト帽が大流行。貴族のステータスになっていた高級品でした。ヨーロッパのビーバーは既に乱獲されまくっていて種の存亡の危機で「ビーバー獲りすぎて絶滅しそうンゴ」でしたが、その時カナダを探検していたヨーロッパ人が「こっちにはビーバーたくさんおるやんけ!」と北米原産のビーバーを見つけてしまい、以降カナダのビーバーは乱獲されまくってしまいましたとさ。完全にとばっちりなんだよなぁ・・・。

ちなみにこの建物、カナダではこれを砦と呼んでいますが、この砦は1835年に建てられたロッキーマウンテン・ハウスを復元したものとなっています。この砦の中に所長、貿易商長、それと合わせて30人の貿易商、労働者、事務員、通訳者、見習いが働いていました。



ビーバーの哀れなお姿・・・。
これはまだ下処理前の状態で、この後裁断して保護毛という上側の毛皮を抜き取ります。そうすると下毛が見えてきて、これがフェルト帽などの生地に使われます。
1930年代にカナダのビーバーは絶滅寸前にまで追い込まれましたが、今では保護活動のかいあってだいぶ数が回復してきたみたいです。昔はひどい目に合わせましたが、現在はカナダの歴史上重要な動物として大切に扱われているみたいです。



ビーバーの開き。
ちなみにその後のハドソン湾会社ですが、1870年にハドソン湾周辺のルパートランドをカナダ政府に返還、毛皮交易事業から撤退し、以降は小売業に移行して現在に至っています。現在まで存続している会社としては世界最古とも言われているようで。



外に出ると畑が。大麻とかそういうのじゃなかろうな・・・?

ハドソン湾会社については所々書き忘れているところがありそうですが、中々書くのが大変なのでとりあえずここまでで。あとは自分で調べてくれ・・・。


その52へ→

【ギャラリー】軽巡洋艦「五十鈴」【1/700】

2016-12-04 22:51:27 | 模型ギャラリー

■キット:1/700ウォーターライン(タミヤ) 軽巡洋艦五十鈴
■仕様:1944年時(防空巡洋艦)



何かの時に買ったと思われる(覚えていない)五十鈴を作ってみました。製作中の写真はろくすっぽ忘れていたので製作記は無しです。
軽巡洋艦は昔に作った「天龍」「龍田」以来だったと思います。
小さくて数の揃え甲斐がある駆逐艦や迫力のある重巡と較べて軽巡はその中間といった感じで中途半端だったりどれも似たような姿だったりなイメージがあって中々手が出ない艦種であります。
そんな中でも五十鈴は防空艦に改装された経歴を持っているのでいいかなって思ったんですが、ううむ・・・。微妙な違いだな。



横から。いつも通り張り線をしています。それ以外は特に工作せずに素組みといういつもの組み方です。











3基の12.7cm連装高角砲が特徴ですね。電探も付いています。



他にも対空装備マシマシ。



以上、軽巡洋艦「五十鈴」でした。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その50 【2015/07/08~1】

2016-12-01 20:53:25 | 海外旅行記

2015年7月18日(土)12時22分
アルバータ州カルガリー 遺産公園歴史村レイルウェイストリート

引き続きヘリテージパーク編。今回からは鉄道以外の展示物も見ていきます。
滞在時間が残り1時間ほどなので全部を見ることはもちろん、建物の中身を見ることもほとんど不可能です。本当に惜しいことで、カルガリーのもう一泊してここを一日中満喫すればよかったと思っています。既に蒸気船に乗るのは諦めていますからね・・・。
鉄道の工場から建物が並ぶ村の中心地へとやってきたのですが、いい感じの西部劇みたいな町並みが広がっていてとても良いです。19世紀のカルガリーの町並みということですかね?



よさげの建物がゴロゴロしています。が、私は建築系については何も知らないので、あまり突っ込んだ説明はできないです。
この交差点の角に立っているベージュと緑の建物はフリーメーソンのロッジホール Masonic Lodge Hallです。
フリーメーソンというのはなんだか良く分からない秘密結社のような組織で、世界を裏から操ってるとかそういう迷信じみた噂も流れているよく分からない組織です。
表の姿はトレーダーズ銀行の支店なのですが、2階がどうも件の組織のホールなんだそうな。中を見ていないのでよく分かりませんが・・・。本当に惜しいことで。



ちなみにその奥に続くて建物は法律事務所とか歯医者とかそういうのがあります。意外と文明的。



バルカンアイスクリーム店 Vulcan Ice Cream Parlour
1930年代までにはカナダではアイスクリームが普及していて若者を中心に絶大な人気はあったとか。夏のアイスクリーム屋はそりゃもう儲かって仕方がなくてウハハって状態だったそうな。
そんな1910年代のアイスクリーム屋を移築してきました・・・と思いきや、本当は雑貨屋、後に電話交換所兼郵便局だった建物でアイスクリーム屋ではなかったそうです。カナダって保存には熱心ですけれど、経歴と関係ない仕様にすり替えて保存しているというのが珍しくないような気が最近してきましたので、そこは用心して見ていったほうがいいかもしれません。
一応この建物はちゃんと1910年代に建てられたもので、カルガリー近郊のバルカンというところに実際にあったものです。



右の緑の建物はクレアズホーム雑貨店 Claresholm General Store
「クレアズホーム」というのは英語にしては変な綴りだなと思ったんですが、ノルウェー移民によって形成された村だそうです。なのでノルウェー語なんですかね。
1905年築で、1964年にここへ移築されてきたそうな。
左の茶色い建物はグレッドヒル薬局 Gledhill's Drug Store
開拓時代だと医者も獣医もいない原っぱだけの町というのもあったわけでして、そんな中で彼らの役割を果たしたのが薬剤師でした。人間だけでなく動物相手の処方もする必要があったとか。
サスカチュワン州サスカトゥーンの南にあるダンダンという町で1908年築。1972年に寄贈されました。



ウェインライトホテル Wainwright Hotel
ダウンタウンの中でも目立つ建物。アルバータ州ウェインライトに1908年建てられたホテル。中々上等なホテルだったそうです。
1909年には増築して全室に電話を設置しましたが、1929年8月の火事で周辺のビジネス街共々焼失。なのでこの建物は1968年に建てられたレプリカです。
これの内部については後でやります。



アルバータベーカリー Alberta Bakery
デンマークからの移民ハンセンが1912年に建築。1階は店舗、2階は住居というスタイルです。
たぶん中ではパンを売っているんだと思います。さっきのアイスクリーム屋もそうでしょう。



蒸気機関車がやって来たのでついでに撮影。



後追い。乗ってみたかったなぁ。



クラブカフェ Club Cafe
一見普通のカフェですが、実は中国系のカフェというやつ。カナダ西部、特にバンクーバーあたりなんかは現在も公共の案内に中国語が書かれているくらい今も昔も中国系カナダ人が生活しているんですが、そうなると中華料理屋も多いんですね。
大衆的な中華料理屋はビュッフェスタイルで保温大皿に盛られた料理を好きに取っていく方式です。日本の中華料理とはかなり毛色が違っていて、ジンジャービーフのようにカナダ人向けの味付けにローカライズされていますが、日本人が食べてもいけるものも多いです。一度試してみるのもいいですよ。
そんな20世紀前半の中華料理屋を伝聞を元に復元した店ということだそうです。



ションツ穀物エレベーター Shonts Grain Elevator
20世紀カナダの情景的な建物といえばコレという感じに捉えられているのが穀物エレベーターです。アメリカ型鉄道模型のレイアウトにも欠かせないストラクチャーのひとつですね。
1900年までの当時のカナダ西部には450棟ものエレベーターがあったと言われていて、これにより労働者の肉体的負担は劇的に軽減されました。
このエレベーターはカルガリーから北東に400km行ったところにあるションツにてウィニペグのセキュリティエレベーター社が1909年に建てたものです。



これの横にある動力室にまずは潜入です。なんだかゴウンゴウン動いています(手抜き



穀物エレベーターにも潜入します。
例によって動態保存されている建物でして、実際に穀物を上げたり下げたりする実演が行われています。しゅごい・・・。



貯蔵庫から落とされてきた穀物がトレーラーに積まれていきます。



逆にトレーラーから下ろす時は地下に向けて下ろします。ここからベルトコンベアのエレベーターで上っていって貯蔵庫へと仕舞われるのです。
この一連の動きは中々感動しますぞ。



ガン乳製品納屋 Gunn's Dairy Barn
1911年にスコットランドから移民してきたジョン・ガンが1929年に現在のカルガリー空港の東に建てた納屋。
1978年に彼の娘がこの納屋と移築のための5万ドルを寄付しています。太っ腹や。今は乳製品系の体験に使われているとか。



また蒸気機関車が走ってきたので撮影。いい感じに撮ってみました。

今日はここまで。


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