黒鉄重工

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【1/72】三菱G4M1一式陸上攻撃機一一型【ギャラリー】

2018-02-26 22:27:00 | 模型ギャラリー

■キット:ハセガワ 1/72シリーズNo.34 1式陸攻
■仕 様:日本海軍第761航空隊
[製作記]



前。
カナダに居た時によく入り浸っていた模型屋で手に入れた大変古い(1969年製?)ハセガワのキットです。なぜかこういう古典キットがよく揃っている店でした。
現在はハセガワのリニューアル版やタミヤからもキットが発売されているので、わざわざこれを作るのは物好きといったところでしょう。それでも、1/72の一一型は現状これしか存在しない・・・はずです。



正面。
1/72なので全長27cm、全幅35cmと大柄なキットなのです。撮影にも一苦労。
特に改造等は行わず素組みで仕上げました。



横。
部品は少ないし細かい部分は甘いけど、形状把握は結構良いよなぁと思います。



買ってから寝かせている間に心境が変わって「日本の爆撃機なんて別に・・・」と思っていましたが、完成させてみると「やだカッコイイ・・・///」と手のひら返し。作ってみるもんですね。



モールドは今や絶滅してしまった凸リベット表現になっているんですよ。
表面処理に気を遣いますが(合せ目消しくらいしかできない)、ウェザリングを掛けることで力強い印象になります。これも結構好きです。

爆撃機と言えば窓枠の多さに辟易してしまうんですが、塗装がうまく決まると報われますね。次もしっかりとマスキングしようね。
風防と胴体の嵌合は以外なほど良く、ちょっとびっくりしました。






部隊章は2種類ありましたが、何かと目にする龍部隊を選択。
実は龍部隊だと胴体側面の日の丸は矩形でなく円形なんですが、矩形のほうがカッコイイのでそうしました。















以上、一式陸上攻撃機でした。

【1/72】一式陸上攻撃機 製作【ハセガワ】

2018-02-25 20:16:22 | 航空機模型製作記

ハセガワの一式陸攻こと1/72一式陸上攻撃機を作ります。
同社の一式陸攻にも色々あるんですが、中でも今回は一一型・・・つまり1969年発売の旧キットです。50年前ですよ、あーた。ハセガワのロゴマークを見るに初回ロットじゃないかなぁと思います。
これ、カナダの模型屋で見つけて買ったやつでして、よくこんな骨董品が今まで誰にも買われず作られず生きながらえていたなと思い買った記憶です。そんな化石キットをよりによって私によって組み立てられるわけです。



組立図の表紙。1/72航空機の一覧が掲載されていますが時は60年代末、時代を感じるという他ありません。なにせF-14もF-15もいないんですもの・・・。
シリーズの第1弾がMiG-21というのも妙な選択だと思うんですが、当時は結構人気があったんでしょうか?
数年前にリニューアルされるまで現役だった二式大艇もこの頃の登場です。



ランナーを見てきましょう。
部品構成は大雑把で、最小限の部品しか入っていませぬ。なので組み立てには時間がかからないかと。ただし嵌合は現代の基準で見ると手放しで良いとはいえないのでそこをちゃんと修正しようとするとドえらい時間がかかりますね。それでもいい線いっているとは思います。



主翼は片側表裏2品構成。なおモールドは凸リベット仕上げになっていて、ここにも時代を感じますね。
凸リベットはオーバースケール感が否めないのですが力強い印象でして、これはこれでアリです。ただし合せ目消しで気を使うことになるのは良くないかな・・・。
成形色は濃緑色です。



小部品。
大きめの部品でも平気で1点ゲートにしやがるんでゲートが変形して部品に傷がついたり部品が取れてたりとこれはあまり良くないです。まあそういう時代だったんでしょう。



デカール。
日の丸、垂直尾翼の部隊番号、主翼前縁の識別帯だけと非常に簡素。注意書きなんて知るかという潔い内容です。
ただし既に腐って使えない雰囲気ムンムンですから、これをどうにかするのか・・・と言った具合。ここは前に思いついたある手で切り抜けましょう(後述



仮組みで士の字にしましょう。大昔のキットですが、形状把握は良いよねぇというところ。
1/72の双発爆撃機なので組み立てると結構大きいんですよ。これ完成させた後置き場所に困るやつだ。それでも超大味でないのは凸リベットのおかげか。
なお、大昔のキットであること、現在は実質リニューアル版の二二/二四型が発売されていることを鑑みて、ふつーに素組みで仕上げます。下手に弄らず素材の持ち味を楽しむのだ。
出来の良いキットでは「弄るところ無いから素組にしよ」と言い、古いキットでは「素材を味わいたいから素組にしよ」と言い、手をかけて作るキットはあるんかいな?と聞かれると、たぶん無い。



当時としては大型の高級キットでしたでしょうから、搭乗員の人形も3体分付属しています。
みんな同じ姿勢で少し左を向いているのが意味不明です。右手もテキトーな表現になっていて・・・。今だったら2~3点に分割するんでしょうけど。
それでも顔の表情は彫りが細かく深く、中々好印象でした。まあ筆塗りしちゃったんでせっかくのモールドを埋めてしまったんですけど。



人形を操縦席に乗せます。3人共よそ見をしながら操縦するっていう変な状態です。
風防が広いので意外と中がよく見えるのですが、操縦席はチョー簡素です。



機首の窓をマスキングゾルで覆います。
この窓の部品は胴体の内側からはめるやつで胴体は塗装前に接着する必要があるので、塗装後に後ハメというのが出来ないわけですね。



爆撃機の辛いところ、風防枠の塗装。。。
爆撃機は窓が大きくて窓枠も多いのでキツイです。しかも機首や尾部は曲面ガラスなのでマスキングも地獄です。
今回は縦の枠、横の枠の塗装と2段階に分けて塗装しました。手間は2倍3倍かかりますが、1度にやるよりも失敗が少ない方法です。
縁をテープでマスキングして、残りはマスキングゾルを塗ります。曲面ではゾルのほうが確実ですね。



塗装後。うまくいきましたね。本当は窓ガラスの角はRがあるんですけど、そこは気にしない。
透明度は結構高いなという印象。



胴体を接着して合せ目消しした状態。胴体は左右モナカです。合せ目消しはカッターで鉋掛けしたりヤスリ掛けしたりするんですが、この時リベットを削ってしまわないよう気を遣うのが大変であります。



塗装します。
濃緑色と灰白色、それと防眩の黒ですが機体が大きくて色の境界も直線的なので塗り分けは楽ちんでした。デカいのでマスキングテープをたくさん使いましたがね・・・。



基本塗装後の姿を見て、さすがに大味かなと感じたのでウェザリングします。
まず白を加えて明るくした濃緑色を機体に軽く吹いて退色表現します。その後ホコリ汚れをエナメル塗料でウォッシングします。
あとはエンジン排気のスス汚れも塗りましたがこれはうまく行かなかったかなと・・・。



さてデカール貼りですが、上記の通りデカールは腐って使えないと思われたので代替手段を考えました。
タミヤのマスキングシートにレーザーカッターで日の丸と尾翼の部隊章を刻み込んでマスキングシートとしました。
作り方としては、まずデカールをパソコンにスキャンして、それを2D CADソフト上に展開して、それをなぞるように線を描画します。
その線の通りレーザーカッターで刻むようにしてやり、特製マスキングシートの出来上がりです。ちゃんとシートだけ切れていて、台紙は切れていませぬ。
レーザーカットはIORI工房に依頼しました。



使い方。まず使いたいシートを余白を残して切り抜きます。



貼りたいところに貼ります。文字の部分は実は全周が切り抜かれてはおらず、プラモデルで言うところの「ゲート」を数カ所設けています。なので台紙から剥がしても切り抜いた文字だけ台紙に残らず全部剥がれてくれるのです。



貼付け後ゲートをカッターで切って文字の部分を剥がします。



塗ります。



日の丸は赤も使いますゆえ、もう1段階。
白の部分のシートを貼り付けます。レーザーカットで出来た隙間のマスキングを忘れずに。そしたら赤を塗ります。



結果ですが、あんまうまく行きませんでした・・・。
テープを剥がした時に塗膜も一緒に攫ったこと、塗料がはみ出たこと。前者は乾燥が不十分だった(?)、後者は凸リベットだから密着が不十分でそこから漏れ出したのが原因ですね、これ。凸モールドには相性が悪いのだ、という知見を得ただけでもヨシとしよう。

こういう国籍章をデカールではなくマスキングと塗装で仕上げる人がいるんですが、精度が求められる技ですので腕に覚えのある人しか出来ません。日の丸はなんとかできるかもしれませんが、アメリカ軍の星マークは超人技の域でしょう。
でも、レーザーカット済みシートなら難易度を数段下げることができるはずです。
また別の題材で再挑戦してみますか。



あとはトップコートを吹いて、組み立てて完成です。
古いキットでしたが、大まかな素性は良いと思えるキットでした。昔のキットも味わいがあって良いものなのですね。
失敗した部分もありましたが、次回改善できたらと思います。

<使用塗料>
■機体緑色:Mr.カラー C124暗緑色(三菱系)
■機体灰白色:アクリジョン N61明灰白色(三菱系)
■主翼前縁黄帯:水性ホビーカラー H4イエロー
■主脚:アクリジョン N8シルバー
■タイヤ:アクリジョン N77タイヤブラック
■機首防眩塗装:アクリジョン N2ブラック
■日の丸白:アクリジョン N1白
■日の丸赤:アクリジョン N3赤

完成写真はギャラリーにて。

紅葉を求めて川根路へ 後編【2016/11/23】

2018-02-24 22:11:00 | 鉄道撮影記

SL急行撮影後は千頭駅に戻ります。帰りは音戯の郷側を歩いていきます。駐車場の植木が良く紅葉していてきれいです。
少し前までは留置線の端に使わなくなった電車の廃車体が放置されていたんですが、全部解体撤去されてしまったのでスッキリとしました。



限りなく存在を消されている14系。なんでか千頭駅に留置されていました。
2017年中に運用開始をするはずでしたが、2018年になってしまいました。音沙汰も聞こえないし、どうなってるんだ?



井川線の踏切を渡ろうとしたところ、上り列車が接近してきたので撮影。
急に来たので準備も何も無かったんですが、ここの踏切は意外と構図が決めにくいですね。



再びホームに入場すると、第3橋梁で撮影した1003レは既に折り返しの準備を終えていました。



3本めのSLは急行「かわね路」1号(101レ)は撮影せずに千頭駅を去ります。101レを待つと既に千頭に着いたSLの折り返し列車2本を撮影できなくなるからです。
金谷行きの電車は21001系。これに乗って下泉駅で下車します。



駅前の県道を金谷方面に歩いていくと線路の真上に位置取れるのでそこからSL急行を撮影します。線路沿いの木も紅葉していたので、今回の趣旨ともばっちりです。電線でちょっと窮屈だが仕方あるまいて。
しばらくして「かわね路」12号(1002レ)が下泉駅を通過します。牽引機は行きで乗車したC11形190号機です。



広角でも撮影して鉄橋を渡るところを抑えます。カメラを傾ける必要はなかったかも・・・。



次のかわね路14号(1004レ)も下泉駅で撮影します。1004レ通過までの間に普通電車が来ないんですね・・・。
周りを歩き回ってみましたがいい場所が見つからないので、結局駅のホームから望遠で正面を狙うことにしました。隧道から出てきたところを撮影できます。



1004レはC11形227号機の牽引。客車は7両で補機にE10形1号機が付きます。



ローアングルで撮ったので中々迫力が出ましたかしら?



その後に来る普通電車で再度南下します。電車は16000系です。
今度は塩郷駅で下車します。



塩郷の吊り橋を渡って大井川の対岸から遠景を撮ることに。
背景の山が紅葉で真っ赤だったらよかったんですけど、一面杉林・・・。
3本めのSL急行はかわね路2号(102レ)で、牽引機はC10形8号機。客車はトーマス7両と補機にE10形2号機。
鉄道オタクからはあまり歓迎されていないオレンジ色の客車ですが、今回は緑の背景の中で程よく目立ってくれますのでいい方向に作用してくれました。ぶどう色だったらこうはいかないでしょう。欲を言えば煙がもっと欲しかったかな。



吊橋と一緒に。一応編成全体も入りました。



線路側の岸へ戻ってきました。塩郷の吊り橋の先って行ったこと無いんですけど、集落があるそうなのでまた機会を見つけて探索してみたいですね。



102レの後の次の普通電車まで、また待たされるわけですが塩郷駅には娯楽がないのでぼけーっとする他ありません。
待ち続けてやっと来た電車は7200系でした。おお、これで2回目の乗車かな?ただし新金谷まですやすやと寝てしまったので乗り心地はあまり堪能できませんでした。



新金谷駅に着いた頃にはもう真っ暗。この駅こんなに暗かったっけ?

これで今日の行程は終了です。お疲れ様でした。

紅葉を求めて川根路へ 前編【2016/11/23】

2018-02-23 23:54:28 | 鉄道撮影記

2016年11月23日。
無性に大井川鐵道のSL列車に乗りたくなったので、大鉄博士のいぶき君を任意同行させて乗りに行くことに。
SLは片道だけ乗って、帰りは撮影に専念することに。季節柄、せっかくなので紅葉と絡めてみようという段取りも取りました。

まずは東海道線で金谷駅まで。21001系に乗り換えてひとつ先の新金谷駅まで乗ります。



新金谷駅で一旦下車。SLに乗れる状態になるまでしばらく電車を眺めています。
これは7200系。どうにも中の人達は使いづらいらしく、意外と短命に終わってしまうのではと最近は思っています。好きな電車なので長生きしてほしいものですが。



SL急行「かわね路」11号(1001レ)の改札が始まりましたので入場。
牽引機はC11形190号機。何度見ても動くSLはいいなぁと思います。かわね路に乗る時はだいたいこれかC10形になることが多いような。
客車は3両だけととても好ましい長さ。



乗るのはスハフ43-2です。
大鉄の旧型客車の中でも少数派の客車です。特急用三等車として造られたので他の一般型旧型客車とは色々な箇所が異なっています。塗装は青に白帯で、乗降扉は片側1箇所、窓も小型の物が隙間なく並んでいます。後で出てきますが座席も独特なものになっています。
今まで何回もかわね路には乗ってきましたがスハフ43には一度も乗ったことがありませんでした。中々乗る日とその日の客車の編成が合わなかったんですね。ところが、ここ数日はスハフ43が連結されて運行される日が続いているので、上手く行けばこれに乗れるんじゃないかと画策。
かわね路に乗るには急行券が必要になりますが、それを発券してもらう時にいぶき君がこの客車に乗れるように手配してくれました。感謝。いざ念願のスハフ43へ。



旧型客車の座席と言えばボックスシートですが、スハフ43は特急用ということで回転式座席で設計されています。
ただし大鉄で運用される時は、座席の回転は封印されていてボックスシートの形態で固定されています。これは知らなかったので少し残念・・・。
座り心地ですが、まず2人掛けると狭いなという印象がまず来ます。ちょっと窮屈ですね。やはり昔の客車ということか。あと意外と座席が薄くてふかふかというわけでもなかったと記憶しています。
次からは普通のボックスシートの客車でいいや・・・と思ったのが、この客車の座席の総評といったところでしょう。



元東急の7200系と国鉄の旧型客車の組み合わせ。こういう混沌とした並びが成立するのが大鉄の良いところであります。



7200系が千頭へ向けて出発していきました。この電車は急行なので途中数駅に停まるだけです。
7200系は元を辿れば東京の通勤電車なので、座席はロングシートです。これに1時間揺られるのは辛いと考える乗客は多いそうな。ローカル線の普通列車にロングシートは悪である、という思想が染み付いている鉄道オタクはもとより、トーマスに乗りに来た家族連れなんかもそう思っているらしいそうで。特に混雑して立ち客が出るとそうなるらしい。
ただ私の経験上、大鉄の車両ですし詰めになるほど混雑した時に一番キツい電車は近鉄16000系ですね。この電車は座席指定の特急用に設計されているので、立ち乗りは想定されていません。よって立ち乗り客が掴まれる場所が無いので、これにすし詰めにされるとえらく体力が減ります。でも本数が無いので次に来る電車に乗ればいいやという手も使えず、こればかりは。



乗車中はぼけ~っと過ごします。蒸気機関車のすぐ後ろの客車なので蒸気暖房の効きも良いのです。



千頭駅に着きました。
井川線乗り場を見てみると、やけに長い列車が停まっていました。秋は紅葉観光の需要のために客車をドカドカ増結しています。
この列車は特に多くて、客車の間に機関車をもう1機連結して中間補機にしています。それと、イベントや多客時にしか出てこない旧型のスハフ4も連結されていますね。



窒息プレイに処されている某機関車。大人の事情で夏以外は顔面を隠されています。ひでぇことしやがる。



入換前のかわね路。



7200系。当時の東急の電車にしては前面の形状が凝っていたと思いますし、好きです。



片運転台だったのを両運転台に改造してできた第2の運転台。工事費を抑えるために平らな妻面に運転機器を付けただけという具合なんですが、これはこれで8000系っぽいのでこっちはこっちで好き。
2両とも両運転台なので連結面にも運転台があるわけですが、パンタグラフから発生するススや汚れで窓から前が見えないくらいたいへん汚くなっていました。執筆時点では単行運転を始めたようなのでそういうことも無くなったと思います。



入換を終えた190号機。



駅の外から歩いて10分で行ける第三橋梁の川岸から「かわね路」13号(1003レ)を撮影。牽引機はC56形44号機で、客車はぶどう色で揃えられた綺麗な編成でした。
紅葉の季節ということでこの時期はSL急行も2~3本運行されます。この日は最大の3本運転されました。

以前は閑散期以外の土休日はいつも2本以上のSL急行を走らせている印象のあった大鐵ですが、経営母体が変わって以降は2本以上の日が結構減った感触があります。桜の花見、GW、夏休み、紅葉の時期くらいでしょうか。
SLと客車の走行距離を減らすことで延命を図るという方針のようなので、むやみに走らせるのはやめたんだと思います。そういうわけなので効率的な撮影を試みる場合、日程を確認する必要があるかと。

今日はここまで。


後編へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その33【2016/03/04~10】

2018-02-21 21:53:57 | 海外旅行記

2016年3月5日(土)13時50分
カリフォルニア州チノ プレーンズ・オブ・フェーム ポンド格納庫

B-17を見終えて館内に戻ってきました。ここからはポンド格納庫に収蔵されている機体を見ていきましょう。



カルヴァーPQ-14カデット(111機目)
1942年から導入されたアメリカ陸軍の無人標的機です。海軍でも使われていて、そこではTD2Cと呼ばれていたそうな。
無人標的機と言っても色々ありますが、これは対空砲の訓練に使われるやつです。コックピットもありますがあれは移動用に使われるやつで、訓練時は無線操縦で飛行します。
対空砲訓練の標的ということで、撃墜されるために生まれた飛行機でございます。対空砲が命中したら撃墜されてオサラバとなりますので、使い捨て飛行機です。贅沢な使い方するもんだよな。
2,043機が製造されたのですが、ほとんどが”撃墜”されていますので、現存機は実は貴重な存在なのです。



ボーイング・ステアマンPT-17ケイデット(1934年・112機目)
アメリカ陸軍/海軍の初等練習機。PT-17は陸軍呼称で、海軍ではN2Sでした。なおボーイング・ステアマンの社内呼称はモデル75。
複葉だったり固定脚だったりで古めかしい見た目ですが、第二次世界大戦でも練習機として使われていた模様。
以外にもチーム1万機軍団の一員で、10,620機が造られたそうな。
これはたぶん戦間期の塗装だと思うんですけど、この頃のアメリカ軍機の塗装って戦争する気あんのか?という派手さですね。



ベルP-39Nエアラコブラ(3時間ぶり2機目・通算113機目)
プロペラ軸上に大口径砲を載せるためにミッドシップエンジン配置になった飛行機。
P-39は高高度性能が低くて使い物にならずだいたい全部ソ連に押し付ける結果になったんですが、最初に造られた試作機では排気タービンを搭載して高高度でもバッチリなつもりでした。
ところが量産型ではなんでか排気タービンを外されてしまいました。なんでや。で、搭載エンジンは高高度性能のダメさに定評のある例のアリソンV-1710でしたので、使えたもんではありませんでした。

N型はソ連にレンドリースするための型式だそうですが、ソ連が借りた機体を律儀に返すとは思えないため、これはソ連に渡らずアメリカで一生を過ごした機体でしょうね。
なお手前に写っている液冷エンジンはV-1710ではなく、パッカード・マーリンです。
P-39もマーリンエンジンに換装すればP-51みたいに性能が上がったんでしょうけど、思えばなんでしなかったんでしょうね?そんな余裕なかったのかな?



ダグラスAD-4Nスカイレイダー(1945年・114機目)
アメリカ海軍が開発した艦上攻撃機です。第二次世界大戦中に開発が始まって大戦中に初飛行もしましたが、実用化前に終戦。それで気が抜けて配備開始は1946年までずれ込みます。
今時急降下爆撃機と雷撃機を別々に用意するなんて遅れてな~い?統合しようぜ!というところから開発が始まりまして、設計士のエド・ハイネマンが短期間で機体の設計を仕上げたことは有名な話ですね。
ぐう有能な機体だったようで、朝鮮戦争やベトナム戦争で大活躍だったよう。

とにかくデカいなという印象で、実際レシプロ単座機としては最大級だそうな。搭載量は3tもあるようで、これは確か双発爆撃機の一式陸攻よりも多かったはずでし。
いやほんとね、日本が烈風を配備しようが竹槍対空砲を実用化させようが、それを上回る性能のアメリカ軍機が大挙して押し寄せてくるんですよ。3tの爆弾積んだ艦上攻撃機にジェット戦闘機にB-29よりも遥かに巨大な戦略爆撃機を相手にせにゃならんかったのですよ。



エンジンカウルと胴体の太さが異なっているところが好きです。
操縦席の天蓋は結構小さいのですね。パイロットは身体を胴体に埋め込んで頭だけ飛び出てるという形でしょうか。窮屈そう・・・。抵抗になる天蓋を出来るだけ露出させたくなかったという設計だったのかしら?



展示機の爆弾・ロケット弾は偽物ですが、マジで殺す気だという量の爆弾を抱えているのが分かりますな?



尾部も胴体が絞られずに寸胴です。ここら辺は洗練さが感じられず芋っぽいですが、これもまた良し。ADは結構好きなんですよ。
なお胴体側面のアメリカ軍マークの右横に小さい扉があるのに注目です。なんだあれ?と思いましたが、あそこから人が乗るんだそうです。
というのもこの4N型は夜間攻撃/電子妨害型の型式だそうで、そのためのレーダー士官および電子戦士官が搭乗する空間なんでしょうね。4N型は3人乗りで、操縦席は単座ですから、ここに2人乗るわけですか。
くっそ狭そうだし、機体バランスも崩れそうなもんなんですけど、まあどうにかなってたんでしょうね。



パイパーL-4グラスホッパー(カブ)(4時間ぶり2機目・通算115機目)
ヤンクスでも見たテイラーJ-2カブの軍用機版です。ここまでに社名や愛称が変わってます。
また、民間機のカブと比べると機内が後方へ拡大しているのがわかると思います。
連絡機(Liaison)を意味するL系列の機体です。L系列の中では有名な機体だそうですが、なにぶん連絡機自体が地味なので私はよく知りませんでした。



スチンソンL-5Gセンチネル(3時間ぶり2機目・通算116機目)
ヤンクスでも見たやつ。
パッと見どころかよく見てもL-4とそっくりで見分けがつかないですな・・・。
脚の形状で見分けがつきますかね?L-5は主脚が細い棒状で、L-4は板状の主脚を持っています。



エンジンも展示されとります。これはプラット&ホイットニーR-985ワスプジュニア
同社のR-1340ワスプの低出力型で、出力485馬力。採用機はバルティBT-13バリアント練習機、グラマンG-21グース飛行艇、デ・ハビランド・カナダDHC-2ビーバー水上機などなど。低出力だけあって速度を必要としない飛行機ばかりです。
1929~1953年までに合計約4万発が造られたので大ヒットですね。



ライカミング50馬力水平対向エンジン
飛行機の空冷エンジンでよく見られる気筒を放射状に配置した星型エンジンではなく、自動車でよく見られる水平対向エンジンです。
上記のL-4、L-5やいわゆるセスナ機のような軽飛行機は水平対向エンジンを搭載する傾向が多いです。



パッカードV-1650マーリン
イギリスの至宝、ロールス・ロイス マーリンエンジンをアメリカのパッカード社がライセンス生産した、いわゆるパッカード・マーリンです。パッカードは高級車メーカーのパッカードですな。
スピットファイア、ランカスター、P-51ムスタングなど名だたる機体に搭載されたエンジンです。
マーリンはエンジンの素性の良さもさることながら、過給器が優秀でして、これの改良を続けていったことで大戦を通じて第一線を張ったたといえます。ただこれには過給器は付いていませんでした。

といったところで今日はここまで。


その34へ→

ビクトリアの専用線跡の遺構を探る 中編【2016/02/01】

2018-02-19 22:12:02 | 日常記

バンクーバー島の南端、サーニッチ半島を走っていた3社の鉄道路線、そのうちのひとつカナディアンノーザンパシフィック鉄道(CNoP)の廃線跡約10kmの探索の続きです。
CNoPの廃線跡はロックサイド・トレイルという遊歩道に転用されているので、走りやすいです。再開発されている分遺構は撤去されていると思われますが、それでもそこかしこに面影を感じることが出来ます。



中編ではゴージ・ロード・イーストを潜ってから商業施設アップタウンの横を過ぎた辺りまでのこの区間を紹介します。立体交差の連続で、アンダーパスの形状や遊歩道の曲線具合に鉄道の遺構を感じることのできる区間です。



ゴージ・ロード・イーストを潜ってから広がる景色。
ここから数百m間は掘割区間になっていて、路盤の周りは高台の住宅地になっています。また、右手には線路に並走するように小川が流れています。



シシリア渓谷広場 Cecelia Ravine Playground に出ました。
少し開けたところにある公園で、広場、鉄棒、家庭菜園、BMXの練習場などがあります。憩いの場として使われていますね。
当時の映像では特に鉄道施設ではなかったようです。



地図ではここになります。



トレイルから高台に上がれる脇道が左右にあります。この脇道は鉄道時代からあったいわゆる勝手踏切だったのかもしれません。
上から見るとこうです。



高台に上がってみるとスクールバスがいたので撮影。ちょうどここにサードウェーブ社のスクールバスの車庫があるのです。中には入れないので路駐してあるやつだけ撮影。
車両はジラルディン・ミニバス社のA型スクールバスMB-IIです。シャーシはシボレー3500(初代)です。



シシリア渓谷広場を抜けるとすぐにバーンサイド・ロード・イースト Burnside Rd. E の下を潜ります。この絶妙な曲線と橋の形状が鉄道くさいんですね。
実はこの道路はブリティッシュコロンビア電鉄(BCER)の路線でした(併用軌道だったと思われる)。路面電車区間でしたので比較的後年まで鉄道が残っていた区間となります。なのでCNoPとBCERが長期間立体交差していたという形でした。今はBCトランジットの路線バスが走っています。



左カーブを描きながらトルミー・レーン Tormie Ln.と交差します。
こういう交差の仕方は道路同士ではあまり行われず、片方は昔鉄道で交差部分は踏切だった、というのは見る人が見れば分かります。今回の場合は今立っている道路(遊歩道)のほうが鉄道なわけです。



さらにダップリン・ロード Dupplin Rd. と交差します。ここにもガーデンシティ交通のスクールバス車庫があります。
右側の丸目の古いスクールバスが気になる・・・。



ちょうど下校時間に合わせた出庫の様子を捉えられました。車両はICバスのC型スクールバスCEシリーズです。



アーダージャー・ロード Ardersier Rd.と交差します。
ここから約200m、道路が少しだけ右にズレているんですが、当時の映像では直線だったので遊歩道化の際にずらされたんだと思います。



ボルスキン・ロード Boleskine Rd. の下をくぐります。
何度も見ているように、ただの遊歩道のアンダーパスにしては造りが立派で上を交差する道路との高さも高いのが鉄道車両が通行していたことを示唆しています。これ単体では鉄道遺構と断言するのは難しいですが、他の要素と結び合わせることでつながっていくのです。



この先はトランスカナダハイウェイを渡ります。ここは鉄道時代は踏切で交差していましたが、遊歩道化に際し遊歩道側に陸橋が建てられ立体交差しています。その際にあたりの地形は均されたようで、踏切のような遺構は見当たりませんでした。



右手には「アップタウン」があります。ウォルマートを始め、電機屋、衣服店、飲食店、図書館などが軒を連ねるビクトリアの大型商業施設です。
イオンモールみたいに巨大な箱に店舗を全て収めてしまうのではなく、中規模の建物を何棟か建てています。建物同士の間には道路や歩道、駐車場もあって、さながら小さな町のようになっています。グーグルストリートビューで探検してみるとよろしいかと。土地の使い方がゆったりしていて北米らしいというか。



このあたりどす。



陸橋を渡ると分岐点が出てきます。ここから右に曲がるとロックサイド・トレイル(シドニー方面)、左に曲がるとギャロッピンググース・トレイル(スーク方面)です。今回は右に曲がります。
分岐点がデルタ線になっているのが少し鉄道っぽいですね。ただしこんなに小さな三角形ではないので、新しく造成されたものでしょう。そもそもデルタ線になっているのは自転車での走行を念頭に置かれたものだと思います。



じゃあ実際のデルタ線はどうだったのだろうかと、ちょっと推測してみましょう。おおむね地図上で示した赤線のような配線ではないかと思われます。
スーク-シドニー(黄-青)は鉄道時代の線形をそのまま踏襲していると見ていいでしょう。
残りの2線、ビクトリア-シドニー(緑-青)、ビクトリア-スーク(緑-黄)は地形が変わって線形が失われているのですが、ここで三角形の内側にあるRecyclistas Bike Shopという自転車屋が手がかりとなります。
地図を拡大してもらうと分かりますが、これの敷地の外縁は曲線を描いているのがわかります。さっきの道路の交差でも似たようなことを書きましたが、こういう中途半端な曲線を描いた土地ってのは普通見られないものです。特に左側の駐車場の左端なんて三角形の角になっていて、こんな土地の使い方しません。これの場合鉄道の線路がすぐ隣を走っていたということを示唆しています。
この敷地の曲線に沿って線路があったと仮定してデルタ線をつなげると上記地図のようになるわけですね。




線の書かれてない地図も見てみましょう。妙な敷地の形をしているのが分かるかと。



デルタ線を右に曲がってキャリー・ロード Carey Rd. を潜ります。
線路のあったところだけ橋桁に切り欠きがあるところに注目して下さい。結構背が高かったのだな、と。



再び掘割を進みます。上を通る水道管(?)が目を引きますね。



奥にも水道管の柱が立っていますが、こちらの管は既にありませんでした。



州道17号線を潜ります。この17号線の立体交差は後年に整備されたのか、他の立体交差よりも造りが簡単に見えます。



ダーウィン・アベニュー Darwin Ave. と交差。
この先にスワン湖があるのでそこへ行く人のための公共駐車場があります。あとは駐輪場と簡単な自転車整備道具のある公共の点検場があります。



ここらへん。

今日はここまで。


後編へ→

【1/144】ASW-G-11 ガンダムグシオン【ギャラリー】

2018-02-18 23:23:10 | 模型ギャラリー

■キット:バンダイ HGIBOガンダムグシオン
■仕 様:オリジナル
[製作記はこちら]



前。
どっしりとした体つきからドイツ戦車をイメージして迷彩塗装をやってみました。フリーハンド塗装でまだ要練習ですが、まあまあ上手く出来たかなと。



横。
ずんぐりした体型が結構好きな機体です。個性が強烈です。



後ろ。



上半身。
機体表面にはウォッシングもしましたがあくまで控えめに。



下半身。



グシオンハンマーと滑空砲を装備。
ハンマーは大型衝角とバーニアを追加して取り付けて凶悪化させました。ケレン味が出てよろし。



滑空砲はバルバトスが装備していたやつを使用しました。あの滑空砲は汎用品でしょうからバルバトス以外が使っていても問題ないじゃろ。
手持ちでは保持できないのでサブアームで支えるようにしました。ロボットっぽくてこれもお気に入り。



ハンマーは両手持ちできるんですね~。



つよいぞ。









滑空砲を展開。



ガション。



長物武器は迫力あって良いですね。



サブマシンガン。これは消耗品だから迷彩に塗らないんだという細かいこだわり。



滑空砲は手で保持しないでも撃てるよ、でも精度は落ちるよね、という写真。もちろん背面撃ちもできるのだ。
サブアーム武器のこういうところが好きなんです。



以上、ガンダムグシオンでした。

【HGIBO】ガンダムグシオン 製作【バンダイ】

2018-02-17 21:07:13 | ガンプラ(アナザー)製作記

機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズより、ガンダムグシオンを作ります。
こういうデブ体型のモビルスーツってご無沙汰な気がして新鮮だったのと、ちょっと改造して作ったろうという考えが浮かんだので買いました。



胴体のキャノン砲はピンバイスで開口部を深く彫ってやります。上が加工したやつです。



肩の装甲は分割2点のはめ殺しなので、肩にはめる丸ピンを短くします。その後装甲を接着して一体化した後、最後の組み立てで肩に組み込みます。いわゆる後ハメ加工です。
ピンを短くしてあるので装甲をちょっとひねって無理やりはめます。ピン長さは、はめた後も簡単に抜けない長さを保つことが肝要です。短すぎると保持力も低下しますしね。



足裏は派手に肉抜きされているので、パテを使って埋めてやります。



スネの裏のスラスターノズルも後ハメ加工します。一見無加工でも後ハメできそうですが、ノズルの底が干渉してしまうので片側を斜めに削ります。
こうすると滑り込ませるようにはめることが出来ます。



仮組み、現物合わせで検証して微調整を忘れずに・・・。



閑話休題。
グシオンはなんだか餅つきさせると良さそうだなって。



さてここからはふざけた改造をしますよ。まず主武装のグシオンハンマーを強化します。既に迫力十分ですがさらに凶悪化させます。
コトブキヤの「MW-08 ランス・ダブルブレード」のランスの先端部をハンマーに付けようという考えですね。頭が悪い。



まあこんな感じになります。寸法は無加工でもギリギリ大丈夫でした。
反対側にはコトブキヤ「P-122 バーニアノズルIV」の一番大きいものを装着。推進力も増やそうぜという頭が悪い考え。
・・・元ネタはリリカルなのはのヴィータ隊長ですね、ええ。



ノズルの内側にはそれっぽいと思ってコーンを付けました。バンダイ「ビルダーズパーツHD MSスパイク」使用です。



頭にはなんとなくツノをつけました。バンダイの「ビルダーズパーツHD ノンスケール MSブレード01」を使用。



射撃がもっと性能高いと良いよねと思ってバンダイ「MSオプションセット1」からバルバトス用の滑空砲を持たせることにしました。しかし腕の太いグシオンでは抱えて保持することが出来ませんでした。
そういえばバルバトスではサブアームに支持させて装備していたので、グシオンでもサブアームを持たせることにしました。使うのはコトブキヤ「フレキシブルアームA」です。



フレキシブルアームの穴と滑空砲のピンは共に3φなので無加工で接続できます。
こういう拡張部品の取り付けには3φにするのが暗黙の了解として各メーカーに浸透しているので、他社間の部品でも簡単に融通できるのは良いことですね。



サブアームの機体側の接続は背中にします。元々はグシオンハンマーを固定するところです。
ハンマー固定用のポリキャップはサブアームのピンと形状が異なるので、サブアームに付属する関節を組み込んで対応しました。



問題なく取り付け出来ました。長物を背負うのはロマンありますね。



展開も問題なく。中々カッコイイじゃなイカ。



ハンマーはケレン味を出しましたが、機体塗装は地味めに行きます。第二次世界大戦時のナチスドイツの戦車迷彩に塗りますぞ。
まずは全身をサンドブラウンで塗ります。



その後は2色目、3色目を塗ります。迷彩にも色々ありますが、サンドブラウン地に茶色と緑の線を描いたやつにします。たぶん名前があるんでしょうけど、私には分かりませぬ。
まずは面相筆で塗る箇所の当たりをつけます。塗りはテキトーなハンドフリーです。



そしたらエアブラシの細吹きで本塗装。滑空砲も迷彩塗装にするのがミソ。
かなりノズルを近づけて吹いたのでくっきりとした線になりました。たまに吹き過ぎでダレてしまった箇所もあり、これは練習する他無いなと。



ハンマーは銀の上にスモーク、先端のスパイクは金の上にクリアイエローを塗装。コテコテにしてやりました。



ノズルのコーンは銀+クリアレッドで。



デカールとクリコートを施して完成。
デカールはふんどしのブルワーズのマーキングと肩の「16」の数字だけ。色が混ざり合っているのでコーションマークを貼ってもあまり目立たいから貼らなくてもよかろうとの判断です。
16の数字はドイツっぽい書体が在庫のデカールには無かったので、積んでいたタミヤの1/100MiG-19から拝借しました。

色々なバランスが偏っている機体に仕上がりました。ハンマーは重心が偏ったのでグラグラです。それでも結構いいじゃん。遊び倒したぞという感じがして満足です。



<使用塗料>
■機体:Mr.カラー C39ダークイエロー
■機体迷彩:水性ホビーカラー H36ダークグリーン
■機体迷彩:水性ホビーカラー H47レッドブラウン
■関節:水性ホビーカラー H68 RLM74グレーグリーン
■バーニアノズル:アクリジョン N18黒鉄色
■ハンマー:アクリジョン N8シルバー→N95スモークグレー
■ハンマースパイク:水性ホビーカラー H9ゴールド→アクリジョン N91クリアイエロー
■ノズル部コーン:アクリジョン N8シルバー→N90クリアレッド
■サブマシンガン:水性ホビーカラー H83軍艦色2

今回使った色多いな・・・。

完成品はギャラリーにて。

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! 速報版

2018-02-14 23:50:30 | 日常記
2018年2月9日~13日、シンガポールへ行ってきました。
カナダを国外追放されてから1年半、そろそろ海外に行きたくなってきたなぁというのがきっかけでした。
行き先はシンガポールにすぐに決まりました。ちょうどこの時期、シンガポールエアショーという航空・防衛産業の見本市が行われるのです。ちょうど2年前にこれを知り、次回開催時に行ってみたいなぁと狙っていたわけです。



2月9日。
出発は成田空港から。やっぱり遠いのよね。
乗った飛行機はスクートというシンガポールのLCCです。LCCですがビジネスクラスに乗って快適移動・・・のはずでしたが、機材到着遅れにより3時間もの遅延。いきなり躓きました。
機材はボーイング787です。LCCらしい派手な塗装をしています。

シンガポール行きですが途中台北に寄港します。不便と思うか気分転換になるかは人それぞれでしょうが、私は楽しめました(毎回これだと嫌気がさすでしょうが)。かつてのアンカレッジ空港経由というのはこういう感じだったのかなぁと思ってました。

で、シンガポール・チャンギ空港に着陸したのが0時過ぎ、空港を出れたのが1時ごろ。結局3時間遅れは大して回復できず。
電車でホテルまで行くつもりでしたが終電過ぎているので、タクシーでホテルまで直行することに。トホホ。
明日の行動を決めて2時半就寝。初日から辛い。



2月10日。
ホテルの近くにホーカーズという飲食施設があるのでそこで朝飯にします。
ローカルフード種類が豊富なのでどれにするか迷います。味は申し分なく、値段も格安ですので、滞在中の食事はほとんどをこういうホーカーズで食べました。



この日の予定は、まずエアショーのチケットを受取り、その後シンガポール動物園へ行く行程です。
その途中で何箇所か寄り道します。ひとつめはマレー鉄道の廃線跡。2011年にシンガポール内のマレー鉄道は廃線になって線路も剥がされてしまいましたが、一部は遺構が残されています。
ここにはトラス鉄橋と駅舎が残っています。



ふたつめは旧フォード工場。
自動車工場が保存されているわけではなく、第二次世界大戦中、日本軍がシンガポールへ侵攻した際、イギリス軍と日本軍とで降伏の交渉が行われた場所です。
フォード工場という名前ですが、戦争記念館であり工場の面影はありません。実際に交渉に使われた机が残っているのが印象的なところです。



そしてシンガポール動物園へ。海外まで来て動物園というのも・・・と最初は抵抗ありましたが、まあ行ってよかったですね。展示内容は充実しています。
特に、開放展示という柵や網を極力排した展示をしているので、これらに邪魔されること無く撮影ができるのは大きな魅力です。
目玉のひとつがホワイトタイガーですが、目の前で毛づくろいするという最高の状態でした。ホワイトタイガーに限らずここの動物はなんだかサービスがいいなぁという印象でした(それでも閉園間際になるともう入りたいと室内への扉の前をうろついていましたが



また、猿が多く生息する東南アジアという立地上、霊長類が多く飼育されているという特徴があります。ここと張り合えるのは日本モンキーセンターあたりじゃないでしょうか。
写真はテングザルですが、やけに表情豊かでしたね。



夕方まで動物園を堪能し、日が沈んでからはナイトサファリへ。
自動車に乗って夜間の動物を観察できるのです。



街頭が少しあるだけで、本当に真っ暗。当然フラッシュ撮影禁止なので撮影向きじゃありません。
なので写真にするとああなんかいるね、という感じに。



自動車に乗って移動しながら見る以外に遊歩道を歩いて見て回る動物もおります。こっちは接近して満足するまで写真撮れますゆえ。
それにしてもサーバルちゃんがいるとは知らず。姿勢がいいな。

1日中歩き回るわ、ホテルに帰ったの0時だわでクタクタ。すぐに寝ました。



2月11日。
お待ちかねのエアショーだ!楽しむぞ!
指定された電車の駅からシャトルバスに乗って会場まで移動するんですが、驚くほどシャトルバス待機列の流れが滑らかで、待機列が停まることは殆どなかったかと。
バス乗り場と会場は数十分かかるくらい離れていますから、どんだけの台数を動員してるんだと。よくそんだけの台数動員する金あるなと。

会場では地上展示機を物色。
ホスト国のシンガポール空軍の展示がやはり多いです。F-15SG(F-15E相当)とかF-16D Block52+とか初めて見る機体多し。ああもう来てよかった。



アメリカ空軍のF-22AとF-35B。米軍の2大ステルス戦闘機が集結しているという垂涎モノの光景が!
前回F-22が来ていたので今年も来るかなと踏んでいたのですがF-35まで来るとは!ああもう来てよかった。



他にもオーストラリア空軍も展示。新しいP-8。



日本から参戦(といえるのかビミョーですが)のホンダジェットもいました。



飛行展示もやるのだ。
シンガポール空軍は曲技飛行体を持たないのですが、インドネシア空軍のジュピターが曲技飛行を披露。うーん、技術は高いけどまだ上には上がいるかな、という感じでした。



シンガポール空軍のF-15とF-16。F-15は空軍創立50周年の特別塗装でした。ああもう来てよかった。

この日も1日中歩き回ってしかもかなり日に焼けてしまい真っ赤になりました。日焼け止めを持ってこなかったのは大失敗でしたね・・・。
昨日まで2日連続で夜中まで動いていたので今日はもう疲労困憊。ホテルに直帰して近場でご飯を食べてすぐに寝てしまいました。



2月12日。シンガポール最終日です。
昨日まで忙しく動き回ったので、今日はもうあまり考えず街ブラしようと心に決めました。
まずはリトルインディアへ。インド人街ですね。ここだけ開発から取り残されたような古い町並みが広がっていて非常に味わい深かったです。
有名な寺院があったそうですが考え無しで動いていたので見逃しました。トホホ。



次、アラブ人街。
大きいモスクがすぐ目に入ったのでここは外さずに見学。なぜかISO9001を取得してるんですけど、なんなんでしょうかね?



次、ダウンタウン。
今まで行ったところはのんびりした町ばかりでしたが、ダウンタウンは辺りの空気というか時間の流れが早く感じました。スーツ姿の人間が多く、ここは経済の最前線なのだなと強く感じました。
対岸にはビルの上にお船が乗っかったマリーナベイサンズホテルが構えています。泊まってみたいンゴねぇ。



必修課題のマーライオンも無事履修。直前まで修理中で足場が建てられてたみたいで・・・。運が良かったね。



日が沈んだらマリーナベイサンズホテルのお船まで上って、シンガポールの夜景を堪能。きれいなもんですぞ。

夜景を見終えたら全ての行程終了。チャンギ空港へ向かって日本へ帰ります。



2月13日。
成田に降り立ったのは11時くらい。どっか軽く1箇所くらいは寄れそうだなぁと思い、前日くらいにツイッターで密かに話題になっていた浅草凌雲閣の基礎の遺構が発見された現場へ行ってみました。
特徴的な八角形の土台の一部が顔を覗かせているのが分かります。基礎に使われたレンガも出土しました。
なお執筆時現在は見学は不可能になっているようです。

この後はお家へ帰って終了です。


というわけでシンガポール旅行でした。
例によってみんなが忘れた頃に書き出しますので、はい。すみませんねホント。

初めての岐阜基地航空祭へ 最終回【2016/10/30】

2018-02-08 23:07:33 | 旅行・イベント記

航空祭の余韻もほどほどに養老鉄道に乗ります。
まずは揖斐行きの電車に乗ります。列車が出発するとすぐに桑名方面への線路と別れて北へ進路を取ります。



約25分で終点の揖斐駅に到着。
ホームが1本だけという淋しげのある駅です。昔は側線があっただろうな、という空間があります。
途中2本くらいの電車とすれ違いましたが、その中に復刻塗装車がいましたのでどこか線路沿いでそれの撮影を試みようと思います。



駅から1箇所目の踏切の近くの側道から撮影。高い柵も立っていないのでゆるゆると撮影できました。
まずはここまで乗ってきた電車の折り返しの大垣行きを撮影。そつなく決まりました。



後追い。



次の電車が来るまで辺りを探索してみます。
揖斐駅はバスターミナルが設置されていて、ここに名阪近鉄バスの営業所もあります。特に珍しいバスはいなさそう。



駅前の道路は国道417号線です。同道路の岐阜/福井県境は酷道として有名だそうですが、ここは昔の街道を匂わせる趣がします。



国道を北に進んで駅前まで戻ってきました。
結構広々としていますね。自家用車の一時駐車場もあって送り迎えにも良さそう。
なお揖斐の中心地は線路の終点のさらに向こう、揖斐川を渡った先にあるのでちょっと不便。バスへの乗り換えが要りますかね。揖斐へ直接乗り付けていた名鉄揖斐線というのが昔ありましたが・・・。



駅舎は昔からの木造駅舎です。典型的な鉄道駅舎という感じですね。久々に見た気がしますがいいものです。
手前の赤い屋根の部分は増築でもしたのかしらん?



バス乗り場。旅行代理店もあってそこそこの規模。



駅の室内はいかにも地方の有人駅という感じの設計。電車に乗りに来てるという感じが高まる。



次の電車の時間になったのでさっきの踏切のところで待機。
電車は定刻で通過していきましたが、既に辺りは暗くなっていたのでどうにも・・・。というか通常塗装じゃん、これ。思惑が外れた。



消化不良感ありますが、揖斐駅から引き返します。
まあ、ここからバスに乗り換えて旧谷汲駅へ行けることが分かったので、それを収穫に次回の参考にします。



大垣へ戻ってきました。
もう日没過ぎていて、時間もやや押している状況。正直な所、ここでJRに乗り換えて名古屋へ直行したかったのですが乗り放題切符を買った手前、このままでは大損してしまうので桑名まで乗り通すことに。
揖斐から桑名まで直通する電車は無いので、大垣で乗り換え。乗り換え電車も普通の塗装でした。結局復刻塗装は見られませんでしたね。これは次回の宿題。養老鉄道では車両更新の話が進んでいるそうなので、それが本格化する前に再訪する必要がありますね。



70分ほどで終点桑名駅に到着。一応乗り通しましたが、乗った感じがしなかったのでやはり再訪しましょう。
桑名駅からは近鉄に乗り換え。養老鉄道は以前は近鉄の路線だったので、近鉄とは改札無しで乗り換えできます。



近鉄特急が上下からやってきました。そういえば新塗装はまだ見たことないし、旧塗装もちゃんと撮らなくちゃな。



急行名古屋行きに乗って近鉄名古屋まで行きます。



名古屋駅の地下街で必修課題矢場とんの味噌カツ定食を食べます。今日はこれを食べにきたようなものだ。



少々早めに食べて新幹線ホームへ。最終ひかりで静岡に帰ったのでした。

おしまい