黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
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北米project 5 ~How do you like Canada? その60【2016/6/15~22】

2025-01-20 23:20:15 | 海外旅行記
路線バスに乗って場所を移して、リドー運河の8連閘門のところから6kmくらい上流にきました。ここにも9番目と10番目の閘門があります。この閘門を抜けて少し遡上すると、人工の運河は一旦途切れて、天然のリドー川に合流します。



閘門扉はさっき見たのと同じですね。ここの扉はその上を歩けるようになっています。ちょうど渡っている人が写っていますね。私も渡りました。


巻き上げ機でチェーンを巻いて扉を開閉します。


中々の流量です。ちょっと氾濫寸前でおっかないくらいです。


閘室です。今は水位が下がっている状態です。さっき見た船はここまでは来ていないんでしょうか。


ここまで来た目的は実は運河じゃなくて鉄道です。ここにはOトレイン (O-Train) という旅客鉄道が走っているのです。ここはカールトン駅 (Carleton) です。
線路際で待っていると、赤い気動車がやってきました。ライトレールと言うにはやや大柄な車体です。このOトレインは貨物線を転用して運営している路線なのです。なので車両もヘビーレールサイズです。


カールトン駅に入線する気動車。車両はアルストム製のコラディア・リント41 (Alstom Coradia LINT 41)。全長41mの2車体連接式低床車体ディーゼル気動車です。肩が広いのが好印象ですね。これはC9編成で、全部でC4~C9の6編成がありにけり。


反対側からもC4編成が来ました。Oトレインは単線で、カールトン駅は列車交換可能な駅なのでちょうどここですれ違いするんですね。
ちなみに撮り鉄しているワイに気づいたのか、運転手がノリノリでダブルサムズアップ👍️👍️をしてくれました。たまにこういう主張の強い運転手さんがいるんですよね。
これに乗ってベイビュー駅 (Bayview) へ移動します。


ベイビューを折り返し出発するC4編成の後追い。まあヨーロッパ的気動車ですわな。


OCトランスポの路線バスとの立体交差。


もう1本待って到着する列車も撮影します。C9編成でした。2本で回しているようで。ちなみに列車は12分間隔です。
これを見終えたら今日の行動は終了して、黒鉄重工オタワ前線駐屯地(監獄ホステル)へと戻ることにします。
ベイビューは路線バスとの乗換駅なので、適当に最初にやってきたバスに乗ってダウンタウンへ戻りました。余談ですが執筆現在ではライトレールが新規開業していて、今はバスじゃなくてそれに乗り換えて移動できます。


監獄ホステルの様子をお届けしましょう。寝室もとい独房のある廊下はこんな感じ。みっちり詰め込まれていて、レオパレスよりも密度が高いです。
それでも基本的に相部屋住まいとなるユースホステルにおいて個室主体ですので、プライバシーやセキュリティ上は有利です。そういう点で実は気に入っているホステルです。


鉄格子の扉にはテキトーに鉄板が貼られています。一応プライバシー配慮なんでしょうか。上か下から覗き放題なんですけどね。


廊下。レンガむき出しの薄暗いアーチ屋根とか、雰囲気出てます。


共用スペースです。ホステルとして必要なものは揃っていて、普通に快適です。ホステルに泊まれる人は全然楽しめるでしょう。話の種に泊まってみるのはアリですね。


もう20時前ですが、ようやく夕ご飯です。こんな時間でもまだ明るいのが夏のカナダです。
ホステルの近くにあるハイランダーパブで一杯引っ掛けようという趣向です。パブだとぼっちでも比較的入りやすいんですよ。


ぐえーうまい!カナダではペールエールやIPAを飲みましょう!おいしいです。


食べ物はこの、豚スペアリブセット。甘い味付けのソースは正直ビールに合うとは思えませんが、カナダ人はこういうのが好きなんだろうね。付け合せが丸のとうもろこし1本という雑さもむしろ好きです。

いい感じに酔っ払ったら4日目は終了です。歩き回ったので疲れたー。明日の予定も目白押しなので、夜ふかしせずに独房で眠りにつきました。
5日目へ続く。


その61へ→



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その59【2016/6/15~22】

2025-01-19 21:30:31 | 海外旅行記
オタワのリドー運河に来ています。ここには運河とオタワ川との高低差を解消するための8連閘門があります。リドー運河の閘門をもう少しよく見てみましょう。
閘門というのは高低差のある水位を船が移動するための設備です。水位の異なる閘門の上流下流の間にあって、その中で水位を変化できるようになっています。水上エレベーターのような感じです。つまりはパナマ運河と同じ方式なんですね。


閘門の前後にある扉が閘門扉です。上から見た時に上流側が山形となる形の門扉をしています。こうすると上流側からの水圧で門が自動的に閉じるようになるからですね。閘門扉は大人4人がかりで人力で開閉します。
門扉の間にある船が待機する場所は閘室と言います。


この穴の下に給排水装置があります。これで船が上流へ移動したい時は閘室へ上流から水を満たし、下流へ移動したい時は下流へ排水するようにしています。門扉を開けて給排水するのは色々大変なのでやりません。


なんとタイミングの良いことに、船が運河を上流へ向けて通過してきました。閘門の動きをその目で見る絶好の機会です。
いまちょうど4段目の閘門に入ったところです。いま管理事務所の職員がチェーンを回して門扉を閉めているところです。


下流側の扉が閉められていきます。3段目の閘門と水位が同じなのが分かりますね。こうしないと船は進めないわけです。一番奥に見える水面が低地のオタワ川の水面ですが、高低差があるのが分かりますね。1段あたりの高低差はだいたい3mくらいですかねえ。


下流側の扉が閉まると、上流側の給排水装置から水が供給されて閘室の水位が上昇します。


みるみるうちに水位が上がります。上の写真と見比べてくださいね。


閘門を管理する職員です。なんと短パン。もちろん制服です。


閘室の水位が上流側と同じになるまで満たされたら、上流側の扉を開けます。この通り人力ですね。


船が前進します。一連の作業時間は約10分です。8連あるので、前部通過するのに80分くらいかかる計算ですね。高低差を攻略するのは大変なのだ。


扉を通過します。
ちなみに、パナマ運河のパナマックス同様、リドー運河にもリドーマックスが設定されています。長さ 27.4m (89ft 11in)、幅 7.9m (25ft 11in)、高さ 6.7m (22ft)、喫水 1.5m (4ft 11in)です。


また同じことの繰り返し。給排水装置から給水されます。


個人のボートっぽいですね。まあ金持ちっすわ。


護岸に付いている水汚れの痕を見ると、普通に門から溢れて流れている、しかも結構な流量で、というのが分かりますね。増水した時はそうなることもあるってことでしょうか。


いい景色だなー。古都という趣だ。
奥の趣のある城のような建物はフェアモントホテルのシャトーローリエです。

というところで今日はここまで。

北米project 5 ~How do you like Canada? その58【2016/6/15~22】

2025-01-08 22:29:40 | 海外旅行記
2016年6月19日(日)15時17分
オンタリオ州オタワ カナダ航空宇宙博物館
半日過ごしたカナダ航空宇宙博物館から撤収します。
ここへ行くときは近くのバス停から歩きましたが、帰りは博物館の目の前から出発するバスに乗ります。
OCトランスポの#129系統に乗ってブレア (Blair) まで行きます。車両はNFI インベロ (#4295) です。


ブレアは路線バスのジャンクションになっていて、ここで#12系統に乗り換えます。横断歩道じゃないところを横切ったら怒られてしまいました・・・。
車両はNFI インベロ (D40i) です。NFIが2002年~2007年に製造していた低床路線バスです。張り出した3次元曲面風防と「ベルーガ」と呼ばれる前部が膨らんだ屋根のラインが特徴です。あんまり売れなかったのでインベロの生産ラインは早々に閉じてしまい、別の車種に移行しています。


後ろはこんな感じ。窓が小さいしエンジン排気管が屋根から突き出ているのが特徴的。
こっちのバスの空調装置は車両最後部に床置きする事が多かったですが、屋根前部に配置したので定員が増えたんだと。


リドー運河近くのバス停で下車します。ここはどうやら路線バスの系統が集まるメインストリートのようなので、少しOCトランスポのバス撮影をしましょうか。
これはNFI D60LFR (#6625) #98系統Tunney's Pasture。低床連接バスです。


これもD60LFR (#6661) #85 Bayshorf。


Invro (D40i) (#4263) #5 Billings Bridge。現地ではベルーガと呼ばれていますけど、自分から見ると昔のレインボーを思い出させるスタイリングだと思います。


AD Enviro500 (#8122) #1 South Keys。
BCトランジットでも二階建て路線バスのEnviro500です。ただしBCトランジットの車体よりも車高を下げて車長を延長した低車高長尺型です。さらにOCトランスポの車両は2015年マイナーチェンジ後のタイプです。外観としては前面意匠に変更がかけられているので、分かりやすいですね。


NFI D60LF (#6355) #95X Tunney's Pasture。


Orion VII NG HEV (07.501) (#5063) #86B Baseline。中型バスです。2020年までに全て廃車になっています。


観光用の水陸両用バスもいました。


オタワの目抜き通り、スパークス・ストリートです。自動車進入禁止の歩行者専用モールとなっています。この交差点の角に建っている建物いいよね~。


カナダの国会議事堂です。国の政治の顔だけあって美しい建物です。ここには明日ご挨拶に伺います。


STO (Société de transport de l'Outaouais) のNova LFS (#1103) #59 Rivermead。これは旧塗装車ですかね。


リドー運河につきました。カナダ航空宇宙博物館だけで一日終えることも考えていましたが、ちょっと早く上がることができたのでプランBとして考えていたリドー運河を見に行くことに。国会議事堂の隣りにあります。



リドー運河はオタワ(オタワ川)とキングストン(オンタリオ湖)を結ぶ全長202kmの運河です。1926年に着工してから僅か6年で完成を果たしています。その秘密は、運河の大部分が天然の河川や湖を利用して建設されたからです。人工の部分は19kmくらいと言われています。
リドー運河のハイライトは、オタワ川と接続する位置にある閘門(ロック)です。オタワ川とそこから延びる運河との高低差は24mあるので、その高低差を解消するために階段状の閘門が8連もあります。


リドー運河は元々軍事施設として建設されたものです。目的は、モントリオールとキングストンとの物流経路確保のためです。1812年に起きた米英戦争では、イギリス植民地のカナダ(旧アッパー・カナダ)もアメリカとの交戦国に入っていました。カナダとアメリカでの戦争ではオンタリオ湖周辺の領土の奪い合いが起きていました。といっても実態はインディアン同士の代理戦争だったわけで、さすが米英汚い。
元々無意味な戦争だったし、ナポレオンとも対峙して国力使いまくりのイギリスとそもそも国としての自立が弱く国力の低いアメリカの両国とも疲弊してしまったので、1814年に戦争は終結しました。その時に交わされた条約により北米大陸北東部の国境が確定しました。キングストン~モントリオールのセントローレンス川の国境はぐちゃぐちゃになっていますが、そういう歴史的経緯があるんです。
前置きが長くなりましたが、そういう武力衝突がもう次はないともいえないので、それへの備えとしてリドー運河は建設されたのです。
どういう事態を想定していたかというと、カナダの大拠点モントリオールとアメリカと対峙する最前線の軍事基地キングストンは、平時はセントローレンス川で行き交いますが、向こう岸はアメリカです。船舶が攻撃されたり川を封鎖されてしまうこともあり得るので、するとキングストンはたちまち干上がってしまいます。そこで、モントリオールからオタワ川を遡上してオタワからリドー運河を通りキングストンへ至る迂回経路を建設したのです。
結局、米英戦争以降米加の軍事衝突は発生しなかったので、リドー運河が本来の目的で使用されることはついぞありませんでした。いまは観光用の船舶が通るのと、冬場のスケートリンクとして使っています。


冬場は運河が凍結してしまうのでスケートリンクになるそうです。運河には信号機も横断歩道もないので通勤経路の近道として人気があるんだそうな・・・。


あれが閘門の管理事務所ですね。観光案内所も兼ねています。

というところで今日はここまで。


その59へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その57【2016/6/15~22】

2025-01-05 17:47:58 | 海外旅行記
アブロ・カナダCF-105アローMk.2 (Avro Canada CF-105 Arrow Mk.2) です。1958年初飛行。
マニアが開発中止を惜しんだ悲運の飛行機というのはどの時代どの国にもあるかと思います。アメリカのXB-70、イギリスのTSR-II、日本なら烈風とかですね。そしてカナダにもそんな幻の戦闘機、CF-105アローがあります。1953年から対ソ連爆撃機迎撃用のCF-100の後継機として開発が始まり、1958年に初飛行を果たしました。試作機レベルでは完成に漕ぎ着けたものの、政治的なゴタゴタによって開発計画は凍結されてしまい機体も焼却処分される悲劇的な結末を迎えました。
CF-100初飛行して数年もすると戦闘機の超音速化は必須の流れになっていました。CF-100は早晩陳腐化すると見て、1953年に後継機の開発が始まったのです。CF-105の要求性能のひとつはその超音速飛行でして、当時流行していた無尾翼デルタ翼を高翼配置で採用しています。エリアルールはどうも考慮されていないっぽくて、どうやら力尽くでマッハ2まで飛ぶつもりだったみたいです。マジか。
力尽くで飛ぶためのエンジンは、オレンダ・イロコイを搭載する予定で進めていましたが、試作機の段階ではアメリカのJ75で代用しています。飛行にはアナログコンピュータ式のフライ・バイ・ワイヤ制御を実用化しています。フライ・バイ・ワイヤを実用化した初めての航空機としても知られています。
ソ連の爆撃機を撃ち落とすための兵装はもはや機関銃やロケット弾ではなく、AIM-7スパロー4発を胴体の兵器倉へ格納する方式でした。試作機の段階では増槽も付いていないので、見た目はクリーンでさっぱりとした美しいものになっています。その代わりバカみたいにデカい機体になっていて、全長24m、全幅15mという大きさに膨れ上がってしまいました。これはアメリカのバカデカ戦闘機F-111に匹敵するものです。なのでF-111同様戦闘機と言ってもソ連爆撃機絶対殺すマンの直線番長で、制空戦闘はそうでもなかったんじゃないかなと思います。そしてこの白亜の巨体は当然調達費として跳ね返ってくるのです・・・。


1959年2月20日、カナダ政府はアロー計画の中止を発表しました。主な要因は開発コストの高騰と代替兵器の台頭です。CF-105を1機調達するのに800万カナダドルかかるのです。なお数年後に調達したCF-104は190万カナダドルなので、いくら両者の性能が違うと言っても躊躇する値段でしょう。ここまで湯水のように使った開発費だってありますし開発費はまだまだ膨れ上がるのです。
もうひとつの代替兵器は、CIM-10Bボマークで事足りるよねと気づいたからです。また、1957年には例のスプートニク・ショックが起きました。もはやこれからの核爆撃は爆撃機でちんたら運ぶものではなくて、迎撃不可能な大陸間弾道ミサイルで直接攻撃する段階に移行しました。そうするともう対爆撃機戦闘しかできないCF-105いらないですね、となるんです。
開発を凍結した政府は次に開発に関わる資料を全て焼却するように命じました。製造ラインも器具も文書も破壊し尽くされました。試作機5機も解体されてしまいました。なのでCF-105はカナダ国防の期待を一身に受けたにもかかわらず完全体の現存機が存在しません。開発人員も解雇されてしまい、職にあぶれた技術者は散逸しアメリカに渡ったとかなんとか。
ここまで徹底的な処分は、計画の痕跡をこの世から消し去ってしまいたいぐらいのものを感じさせます。しかし政府の思惑とは裏腹に資料は断片的に隠匿されて、その後も書籍、映画、舞台、絵画などでCF-105の物語は語り継がれているのです。これこそ悲運の戦闘機というものです。


そういうわけでCF-105は部品単位ばらばらになりながらカナダ各地で現存するのみです。この機首セクションは部品単体としては最大の物で、防衛・民間環境医学研究所の圧力室として使おうとしたけど使わず、博物館へ寄贈したものということです。博物館には他にイロコイエンジン、J75エンジン、着陸脚、翼端部品などを所蔵しています。一部は非公開です。


マクドネル・ダグラスCF-18Bホーネット (McDonell Douglas CF-18B Hornet) です。1978年初飛行。
ついにこの博物館で最後の飛行機です。見ての通り、アメリカ海軍のF/A-18のカナダ版です。今も主力戦闘機として現役にいます。カナダ公式の型式番号はCF-188なんですが、みんな無視してCF-18と呼んでいます。
本土(とアメリカ)防空用のCF-101、欧州NATO任務用のCF-104とCF-5の戦闘機3機種を全て置き換えるために1982年から6年間で単座のA型98機、複座のB型40機を導入しました。実は一部の機体が湾岸戦争に派兵していて、実戦経験済みです。
この頃のアメリカ製輸出戦闘機といえばF-16で、F/A-18はスイスやオーストラリアなど少数派でした。それでも当時のF-16が持っていない視程外戦闘能力を有していたのと双発エンジンで故障時の冗長性が高く、辺境での飛行に適していたことからF/A-18が勝ち残りました。


機首下面に描かれているフォルスキャノピー(欺瞞天蓋)です。本物の風防の真裏に描かれています。空戦時に機体の上下を相手に錯覚させる効果を狙っています。一瞬ですが意外と騙されるらしく、空戦時はとっさの判断遅れが命取りになりかねないので、わりと有効みたいです。
写真左上、白い円形の物は探照灯です。夜間飛行時に怪しい飛行機(主にソ連の爆撃機)を認めたら探照灯で相手を照らすのです。アメリカ軍機との違いのひとつです。

ほぼアメリカ海軍と同じ仕様で造られているので、カナダでは不要な空母カタパルト射出用の前脚になっています。
ちなみにF/A-18には、海外輸出用にと艦載機用の装備を取っ払った陸上基地運用型F-18Lも計画されていました。その販売権は、F/A-18の原型YF-17を設計したノースロップが持っていました。そもそもF/A-18もノースロップがやる気でしたが、艦載機開発経験のあるマクドネル・ダグラスに取られてしまった格好です。艦載型はマクドネル・ダグラス、陸上型はノースロップという棲み分けがされるはずでした・・・。
ところがマクドネル・ダグラスがF/A-18をそのまま輸出しようと営業を始めました。機体を輸入して買う方としては、まだ姿のないF-18Lよりもアメリカ海軍お墨付きのF/A-18の方が魅力なので、カナダを含めてみんなそっちを買ってしまったのでした。さすがマクドネル・ダグラス、汚い。


空中給油プローブです。


この個体は1982年10月7日に最初に納品されたCF-18です。機種転換訓練部隊の第410飛行隊「クーガー」に引き渡されて、高等練習機として使用されました。機体の維持費が高く付くようになったという理由で2001年に博物館入りしています。予算の削減によるもの?かは分かりませんでした。
CF-18は2025年時点でも主力戦闘機に居続けていて、機齢はだいたい40年前後。いい加減引退したいものですが、つい数年前までは後継機すら決まらない状況でした。カナダはF-35の国際共同開発に初めから参加していて、当然それを後継機として導入するつもりでした。
しかし2012年に会計検査院がF-35選定経緯に結論ありきと指摘して当時政権を持っていた保守党は導入決定を一旦保留しました。2015年には保守党が下野して自由党に政権交代しました。するとF-35導入は自由党が公約にしていたこともあって白紙撤回されてしまいました。2020年代前半までには決めたいよね、とされていましたがその間にも老朽化は進みます。カナダのギークの間では結構いじられてたみたいですよ。日本のファントム爺さんみたいなものかな。
自由党は本命が決まるまでの中継ぎとしてF/A-18E/Fスーパーホーネットを少数投入しようとしましたが、これは色々あって頓挫(割愛)。中継ぎはオーストラリア空軍からFA宣言した中古のF/A-18を呼び寄せることにしました。なりふりかまっていられませんね、これは。
結局、2023年にF-35A 88機を後継機とすることに決まりました。10年越しに元の鞘に収まった形です。なにやってたんだ。


LERXフェンスにはクーガーの絵がありにけり。アメリカ軍機でもそうですが、ここは機体や部隊の個性を出すのによく使われる箇所です。
LERXフェンスは、LERXから発生する渦の流れが垂直尾翼に激突して破壊されるのを防ぐために応急的に取り付けた板です。渦がフェンスに当たって散ることで垂直尾翼はノーダメになるんです。フェンスなんてただの重しにしかならないので、これは開発側の設計ミスですね・・・。


主翼です。F-5の後継機なのだというのをよく感じる部分です。


何らかのドローンです。正体不明。



2本ある垂直尾翼は外側に傾いています。なぜなのかは何かで読んだ気がしますが思い出せませぬ。YF-17の時からこうなのですから、空母の天井に当たるからとかステルス性のためとかではないはずです。


これも何らかのドローンです。たぶんCU-161シュペルワーという偵察用のやつです。


エンジンはF404ターボファン双発です。ここらへんもF-5の系譜が感じられますがな。


そんな形でよく折れないな、っていう主脚です。


垂直尾翼に飛行隊番号とクーガーの絵があります。とても小さいのでプラモデルでは地味になりがち。


現役のCF-18は2030年代前半に退役予定です。まだ10年近くあるのかよ、という気はします。それまで耐えるんだ、ぼくらのCF-18!
でもF-35になると毎年派手なペイントと曲技飛行で楽しませてくれているCF-18デモチームはどうなるんでしょうね。
なおCF-18はなんとか引導を渡すのに目処が立ちましたが、スノーバーズに使っているCT-114はまだ後継機が決まっていないようです。すでに骨董品の動態保存飛行みたいなことをやっていて、2030年までは使うつもりみたいですが、後継機を決めるならこの1~2年が最後だと思います。どうなるんでしょうね、ほんと。


これにて、カナダ航空宇宙博物館の常設展は全部見終えました!長かった・・・ほんとう。
収蔵量はカナダ随一だと思いますしかつ体系的にまとめられているので、カナダ航空史を学ぶにはいい施設だと思います。しかも館内がきれい。
WWII時代まではイギリス系の機体が多いのも注目です。国境を越えてアメリカの博物館に行くとイギリス機はほとんど見られません。北米大陸にいながらイギリス機を多く堪能できるのがカナダの航空博物館の醍醐味のひとつでしょう。蛇の目好きはカナダに行くべき。

実は、この常設展の他にも秘密の格納庫ツアーがあって、そこに入るとマニア度の高い機体が色々詰め込まれているという噂でした。しかし当時は格納庫が工事中でツアーもやってないヨと言われてしまい、涙で枕を濡らす日々でした。今は再開しているか知りませんが、行ってみたいものです。

というわけでおすすめ観光地です。行くべし。


4時間ぶっ通しで館内を歩き回ったので流石に疲れました。当時ですら疲れたんだから今再訪したら半分で音を上げるでしょうね。博物館訪問は体力勝負で、れっきとしたエクストリームスポーツなんですよ。
博物館内にあるカフェでまだ食べていなかった昼ご飯を食べます。もう午後3時前だし、マカロニサラダでいいや、安いし。それでも足りないエネルギーはルートビアで体内に溶かし込みます。MUGはA&Wの次に好きです。

というところで今日はここまで。

その58へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その56【2016/6/15~22】

2024-12-12 22:19:37 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。引き続きジェット戦闘機の間です。
これは、マクドネルCF-101Bブードゥー (McDonell CF-101B Voodoo) です。
アメリカ空軍のスカポンタン軍団センチュリーシリーズの一角をカナダ空軍が輸入したものです。計画凍結したCF-105の代替機として導入されましたが、あらゆる面でCF-105の性能に劣っています。
せめてF-106かF-102が欲しいところですが、こいつらはSAGEというNORADでが運用していた迎撃用の地上コンピューター装置との運用がセットでした。そいで、SAGEはカナダの辺境やアラスカには配備されていないので、F-102とF-106はアメリカ本土専用機なのでした。その割にF-102ベトナムに行っていたのはなんで・・・。それで、SAGEの穴を埋めるために配備されたのがF-101Bなのでした。


カナダ空軍には5個飛行隊に配備されて、NORADの一部として運用されました。この個体は1959年製で、アメリカ空軍に配備されました。1971年にカナダ空軍へ払い下げられて、1984年まで運用されました。ちなみにカナダ空軍のCF-101は全部アメリカのお古なのだそうな。


ミサイルベイです。何度か説明していますがこれは回転式で片面2発のAIM-4を両面に搭載できます。


空気取入口です。ここの形状はF2Hの面影があり、マクドネルっぽさを出しています。次作のF-4では形状が大きく変わることになりますが。


主翼は小さめで翼面荷重が高そう。T字尾翼の欠陥もあって機動性は悪く、直線番長だったそうな。対爆撃機用の迎撃機にしか使えんわけです。


ピアッジョ・ベスパ150(VBB2T) (Piaggio Vespa 150 (VBB2T))です。1964年式。イタリアの有名な原付で、今でも製造が続いている長寿モデルです。


カナディアCT-114の首がありました。実機の操縦席に座ることのできる一角のようです。


CT-114は並列複座の練習機です。椅子は狭いですが機内は意外とゆったりしています。足が伸ばせます。操縦装置はアナログ。


これはMiG-21MFの首です。特徴的な空気取入口周りがないのでなんの飛行機なのか一見分からないですが・・・。
機首で取り入れた空気はコックピットの脇を通ってエンジンへ吸い込まれていきますので、コックピットの外側と機体街版の内側はガランドウになっています。


そういう構造なので、コックピットはとにかく狭い!前後にも左右にも狭い!膝が計器盤にぶつかる!ソ連機は人権がないなぁと思いました。冷戦時代の機体らしく、計器とスイッチだらけです。


最後にCF-18Bです。


コックピットはCT-114未満、MiG-21以上のゆったりさ。ところで急激な起動をするのに背もたれが貧相じゃないか?スポーツカーだってバケットシートで操縦者を包み込むのに。知らんけど。


次はこれ、カナディアCF-5Aフリーダムファイター (Canadair CF-5A Freedom Fighter) です。1959年初飛行。
ノースロップF-5戦闘機をカナディアでライセンス生産したものです。カナダ空軍での公式の型番はCF-116なのですが、誰もそれで呼んではくれません(悲)
ソ連がミグ戦闘機を東側諸国や第三世界にばら撒いていた時、西側盟主たるアメリカには同盟国にばら撒ける手頃な戦闘機がありませんでした。アメリカ軍の制式戦闘機ではデカいわ高いわ核爆撃しかできないわで、特に貧乏国家には身の丈に合わないものでした。そこで出てきたのがノースロップが自社開発したN-156Fで、アメリカはこれをF-5として採用してばら撒くことにしました。
カナダ空軍も自国用にこれをライセンス生産しました。その時に独自に改良を施しています。まずエンジンはオレンダエンジンで製造したオリジナルよりも高出力のものを搭載。これに合わせて胴体後部側面にルーバー式の補助空気取入口を追加しています。次に前脚を延長して離陸時3度の迎え角をつけるようにして滑走距離を短縮しました。他には空中給油機能の追加などですね。


F-5好きなんですよねえ。
CF-5はカナダ空軍の他にオランダ空軍向けにも生産しています。カナダのCF-5は退役後に一部がベネズエラに売却されています。
カナダのCF-5はヨーロッパのNATO任務用に配備されるはずでしたが色々あって取りやめになりました。でも機体は造ってしまったので、一旦内地に配備していざって時にはヨーロッパへ行けるようにするという運用らしいです。何度かヨーロッパへ出張に行っているみたいですね。
他には空戦演習でソ連機の仮想敵を演じたりCF-18の機種転換訓練で使われたり、色々こなせたようです。


尾部のカバーを外せばエンジンが簡単に取り出せる構造なのが好きです。


CF-5の兵装はF-5と同じそうですけど、武装している写真が見つからないのでよく分からないです。ところがここの個体はロケットランチャー(蓋付き)を装備していました。これは助かりますね。


みんなだいすきLERXです。


この個体は1970年製。カナダ空軍に納品されましたが、なんと1979年まで塩漬けにされました。どうして。
その後は国内の基地を転々としながら1997年までアグレッサー役を務めました。機体はソ連っぽいアグレッサー塗装のままです。


ロッキードCF-104Aスターファイター (Locleed CF-104A Starfighter) です。1954年初飛行。
アメリカ空軍のスカポンタン軍団センチュリーシリーズの一角F-104のカナダ版です。お大臣アメリカ様専用機が多いセンチュリーシリーズの中にあって多く輸出された機種で、主に日本、ドイツ、イタリアといった第二次世界大戦の敗戦国に輸出されました。
カナダ空軍でもF-86Fに代わるNATO軍の戦闘機として単座のCF-104Aと複座のCF-104Dを装備していました。NATOと性能を合わせる意味もあって、CF-104Aは各爆撃機型のF-104G相当の機体でした。カナダのCF-104は内地の訓練部隊の物を除いてヨーロッパに配備されて、NATOの一員として任務をこなしていました。
なお、ヨーロッパのF-104にありがちなこととして事故の多さがあり、カナダのCF-104においても37名のパイロットが事故で殉職しています。


この個体は1957年ロッキード製ですが、ほとんどのCF-104Aはカナディアでライセンス生産されています(ただしCF-104Dはロッキード製)。この個体は1959年までアメリカ空軍で使用された後、ライセンス生産用のモデル機としてカナダに渡ったようです。
カナディアではカナダ向けのCF-104Aを200機、さらにNATO向けのCF-104Gを140機製造しました。


ツルピカの機体です。

というところで今日はここまで。


その57へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その55【2016/6/15~22】

2024-12-08 21:10:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。次の機体は、アブロカナダCF-100Mk.5Dカナック (Avro Canada CF-100 Mk.5D Canuck) です。1950年初飛行。
カナダが独自開発した唯一の戦闘機です。戦闘機と言っても実態は対爆撃機用の迎撃戦闘機で、空戦はおそらく苦手です。
これの開発経緯は米ソ冷戦まで遡らないとならないんですが、つまりはソ連の爆撃機がアメリカまで飛んでいくとしたら北極圏を経由した北米大陸侵攻経路が最短です。そしてその経路上にはカナダが横たわっているため、アメリカ防衛のためにはカナダを盾に・・・もとい防人として頑張ってもらわななりません。カナダにとっちゃそんなの知らんよという事情でしょうけど、間違って自国に核爆弾を落とされてもたまりませんし、NATOやらNORADやらのしがらみもありましょう。
とはいえバカ広い国土を持つカナダに防空基地をいくつも建設するのは限度があります。しかも極寒で辺境の北部にです。その穴埋めのために開発されたのがCF-100なのです。冷戦期の前線戦闘機ということもあってか692機とまあまあ造られました。そのうち50機程度がベルギーに輸出されただけで、あとは全部カナダ空軍で運用されたということです。


そういう経緯で開発された戦闘機なので、分類的には火器管制装置とレーダーを積んで機関砲やロケット弾で武装した複座の迎撃戦闘機です。アメリカのF-86D、F-89、F-94に近いですかね。
アメリカ製迎撃戦闘機との最大の違いはエンジンの数でしょう。CF-100は双発です。これによりマッチョなパワー系戦闘機となって上昇性能は高かったそうです。あとは意外と脚が長い。
公式名称は「カナック」ですがこれはほとんど定着せず、「クラック」とか「リードスレッド」とか呼ばれとりました。前者は降着装置を引き込む時になる作動音、後者はクソ重い操縦桿が由来です。


エンジンは胴体の真横にドカンと配置。特になにか工夫があるわけでもなさそうな。ちょっとイギリス機っぽさもありますかね。
主翼は直線翼で、翼端に燃料タンク(チップタンク)を配置しています。これもこの時代のトレンドです。


エンジンも自国開発のオレンダ11を搭載しています。エンジンも自国製なのは強いですね。


長いおみ足。胴体下にロケット弾ポッドなり機関銃ポッドなりを搭載するので、それの整備性を考慮した設計なのだと思います。


ガンポッドです。これでソ連の爆撃機を撃ち抜きます。12.7mm機銃が8丁もついています。数撃ちゃ当たるの精神です。でも機銃だとあんまり効かなさそうだネ、という話になってMk.4からはロケット弾も選択可能になりました。


CF-100は今までも博物館で何機か見ていますが、どれもロケット弾装備のMk.5だったので、ガンポッドは初めて見ました。ちょっとうれしい。弾倉のケースが物々しいのよ。


物々しい。


ピトー管はここにあります。


この個体は1958年製のMk.5です。高高度性能向上のために翼端が1.8m延長されてます。オンタリオ州ノースベイ基地の第414飛行隊に配備されました。
迎撃機としての任務が解かれると、1972年に電子戦の練習機に改造されました。この時型番がMk.5Dになっています。1979年に退役して、そのままこの博物館まで自力で飛んできました。


水平尾翼は垂直尾翼の中ほどに刺さっています。中々独特。CF-100は超音速機ではないですけども、全遊動水平板ではないのは意外。たぶん主翼の後流の影響を受けないから問題ないんだと思いますけども。


尾部のアップ。


エンジン排気口。やっぱり目立つ工夫は読み取れないかなあ、しらんけど。


胴体下にはエアブレーキ。短距離着陸性能は辺境の基地には欠かせないということでしょうか。


プラット&ホイットニーJ75-P-3軸流ターボジェットエンジンです。CF-100の後継機、CF-105試作機の搭載エンジンでした。他にはアメリカのF-105、F-106、U-2で採用されました。


こっちは、オレンダPS13イロコイ軸流ターボジェットエンジンです。CF-105の本命のエンジンとして、機体と共に開発されていたものです。軽量化のために一部にチタンを使用していて、エンジン界隈では先進的だったそうな。ただし希少な金属だったので原価に跳ね返ってしまうわけですが。
CF-105計画の凍結されると、イロコイの開発計画も道連れに中止に追い込まれてしまったのでした・・・。悲運のエンジンです。

ボーイングCIM-10Bボマーク (Boeing CIM-10B Bomark) です。1959年初飛行。
ソ連爆撃機対策の対空ミサイルです。金食い虫の迎撃戦闘機を作るよりもお手軽だということで、CF-105計画を中止に追い込んだ要因のひとつです。
地上の発射機から垂直に打ち上げられて、ソ連爆撃機を撃ち落とします。発射は2段階あって、1段目は胴体についているロケットエンジンで加速します。初期型は液体ロケット燃料でしたけど、このB型からは固形燃料に変わったので、発射時の即応性が良くなりました。超音速まで速度が上がったら、胴体からぶら下がっている2発のラムジェットエンジンで2段目の加速をします。


対空ミサイルのはずですが、ラウンデルが描かれています。胴体には機番、垂直尾翼にはフィンフラッシュも描かれています。これじゃまるで戦闘機です。
というかアメリカ空軍はこれを無人戦闘機として扱って宣伝していました。型式番号だってF-99です。まるで戦闘機みたいな呼び方ですね。カナダ空軍もこれに乗っかったような感じでしょうか。ただアメリカ空軍もいくらなんでも戦闘機呼ばわりは無理だったみたいで、後に通常弾頭型をIM-99、核弾頭型をCIM-10と変えました。
個人的にはこのF-99呼ばわりは、初の超音速ジェット戦闘機スーパーセイバーの型番をキリ良くF-100と振りたいために、ミサイルに強引に名付けたと考えています。ちなみにF-98も欠番となっていたんですが、これにはファルコンミサイルに当初振られていました。これ、戦闘機に搭載する空対空ミサイルなので、ボマークよりも無理筋ですよね。ファルコンは結局何度も型番を変えられて最終的にAIM-4に落ち着きました。


まるで戦闘機みたいな尾部・・・。ところでこれ、型番がCIM-10Bということは、核弾頭搭載型だったということでしょうか。カナダが核兵器を持つとなると国内世論は荒れそうですが。たぶん、あくまでアメリカからの貸与品だよなどと言って躱していたと思いますが。ヨーロッパ配備の戦闘機搭載用の戦術核でもそんな感じだったみたいですし。ここらへんのアメリカへの従属性の話は風呂敷広げると大変そうなのでここまでにしておきます・・・(手抜き)。

というところで今日はここまで。


北米project 5 ~How do you like Canada? その54【2016/6/15~22】

2024-11-22 23:24:25 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。最後の区画、ジェット機の間へ入ります。この博物館もいよいよ大詰めです。主に第二次世界大戦後のカナダ空軍のジェット戦闘機を展示している場所です。時代が近いだけあって馴染みのある顔も多いです。


デ・ハビランドDH.100バンパイアMk.3 (De Havilland DH.100 Vampire Mk.3) です。1943年初飛行。
イギリス生まれの初期のジェット機のひとつです。第二次世界大戦中に初飛行しましたが戦中の実戦配備はされませんでしたが、戦後はイギリスを始め15カ国で運用されました。カナダにも初めてのジェット機として導入されました。カナダ空軍の戦闘機ではイギリス製はこれが最後となり、以降はアメリカ製あるいは自国製の機体になります。
この個体は1948年製で、ケベック州の第1戦闘運用訓練部隊 (No.1 FOTU) で運用を始め、最後は1956年までバンクーバー市の第442飛行隊にいました。退役後は保管されていましたが1964年に博物館入りしました。
カナダの博物館だと割と見れますけど、隣のアメリカだとそこそこ珍しいやつです。


バンパイアのジェットエンジン、デ・ハビランド・ゴブリン2です。
遠心圧縮式なので全長はそんなにないんですよねー。排気口の短さを活かすために考えられたのがバンパイアのあの変わった外形になるわけです。


空気取り入れ口は2つに分かれているんですね。


カナディアT-33AN (CT-133) シルバースターMk.3 (Canadair T-33AN Silver Star Mk.3) です。1948年初飛行(TP-80Cとして)。
いつもの博物館の常連です。ロッキードが開発したジェット練習機ですが、カナダではカナディアがライセンス生産していました。カナディア製ではエンジンにロールスロイス・ニーンを搭載していて、元のアリソンエンジンよりも強力になっています。全部で656機製造され、カナダ以外にもボリビア、フランス、ギリシャ、トルコ、ポルトガル向けに輸出しています。


この個体は1957年製で、カナダ空軍の訓練部隊で運用されました。1961年2月に朱色に塗り替えられて、単機で曲技飛行をする「レッドナイト」となりました。1964年に博物館入りしています。カナダ空軍最後のCT-133は2002年退役なので、ずいぶん早い引退でした。
機体は「レッドナイト」の塗装のまま収蔵されています。機首のマークもそのまま残っています。


尾翼です。
胴体の国籍章は楓の葉が小さめですね。


主翼端の燃料タンク。内側は防眩用につや消し黒で塗られています。塗分範囲はこんな感じです。


なぜか二輪車の展示がところどころにありました。
これはアリエル社のスクエア・フォア4G Mk.I (Ariel Square Four 4G Mk.I) です。1949年イギリス製です。1000cc4気筒エンジンなんですが、シリンダーが田の字の箱型に並んでいるのでスクエアという名前になっているんだそうな。
それって後ろのシリンダーは冷却できないんじゃないんすか、と思ったらやっぱりそういう傾向だったみたいです。現代では見かけないわけですね。



巨大な遠心装置です。コンクリートの円形擁壁の中には人間が入れるだけの大きさのゴンドラがあって、それに人間を乗せてぐるぐると回すわけです。これは拷問装置ではなくて、今で言うところの戦闘機パイロット用の耐Gスーツの原型を開発するための実験装置です。
1930年代後半、トロント大学医学部のウィルバー・R・フランクス博士は、戦闘機が急激な機動を取るとパイロットの下半身に血流が偏ってブラックアウトや失神することを突き止めました。加速度(G)というやつです。そんで、周りを水で囲んだ試験管は高速で遠心機にかけても破損しないことも突き止めました。遠心力が相殺されるからです。
この試験管を人間に置き換えれば戦闘機で大きな機動を取ってもパイロットを高加速度から保護できるんじゃね?と考えて開発されたのが初期の耐Gスーツです。水を満たしたスーツの圧力で下半身に逆圧を与えて血流が集まるのを防ぐのです。フランクス自らがそれを着用して実際の練習機でその効果を実証し、1941年に実用化を果たしました。


ゴンドラの現物です。乗るのを考えただけで目が回る・・・。
なお、画期的だった水を使った耐Gスーツはものの数年で空気式のスーツに淘汰されてしまいました。戦闘機の行動範囲が気温の低い高高度へ移行していくと、熱伝導性が高くかつ氷点下で凍結してしまう水ではパイロットの体温をみるみる奪ってしまうのでアカンわけです。あとは装着するとすげー重いのも問題でした。
数年度にアメリカ軍が開発した空気膨張式の耐Gスーツが登場するとそれが一般化しました。


今度は四輪車です。オールズモビル・スーパー88デラックスセダン (Oldsmobile Super 88 Deluxe Sedan) ですぞ。1956年GMカナダ製。
この時代のオールズモビル乗用車のベースモデルで、スーパー88はその上位グレードという位置づけ、だそうな。


F-86セイバーとMiG-15という朝鮮戦争永遠の好敵手の並びです。ただここの機体はよく見るとびみょーに違うものが置いてあります。


カナディア・セイバーMk.6 (Canadair Sabre Mk.6) です。1947年初飛行。
いわゆるノースアメリカンF-86セイバーです。1950年~1958年にはカナディアでもライセンス生産していました。
かつてのカナダ空軍の主力戦闘機でした。今まではイギリス製戦闘機を導入してきましたが、NATO加盟国の責務を果たすためにセイバーを選択したとされています。1950年代初頭のNATOでは(アメリカを除いて)カナダ空軍のセイバー以外には後退翼を持った戦闘機はおらず、無敵状態だったそうな。
カナダのセイバーはカナディアで生産されました。初期型のMk.2は本家F-86と同じ仕様でしたが、Mk.5とMk.6では自国開発したアブロ・カナダ製オレンダエンジンを搭載しました。本家のゼネラル・エレクトリックJ47の上位互換であり、さらにMk.6では前縁スラットを復活させたため機動性も良く、セイバーの中でも最強でした。


パイロットのコヨーテ(仮名)がよっこらせとコックピットに乗り込もうとしている様子。


この個体は1955年製。カナダ空軍納品後にNATO最前線の西ドイツの第444飛行隊に配備、西ヨーロッパ防衛を務めました。1961年にカナダへ帰国、1964年に博物館入りしました。塗装は第444飛行隊のコブラマークが残されています。


WSK Lim-2 (MiG-15bis) です。1948年初飛行。
こちらもご存知、ミグ戦闘機です。厳密に言うとポーランドのWSKというメーカーで生産されたLim-2という機種ですが、基本的にMiG-15と同じとくくっていいでしょう。ソ連製だけで1万2千機、Lim-2みたいなライセンス生産機もいれると1万8千機以上造ったベストセラー機でした。ジェット戦闘機としては最多生産数を誇ります。
朝鮮戦争で自称北朝鮮軍の機体が華々しくデビューしたのが有名です。この時操縦していたのは自称北朝鮮人でしたが、機体もパイロットもソ連から派兵されたものだというのは、アメリカも認める公然の秘密でした。アメリカ対ソ連の構図になって朝鮮戦争が第三次大戦に膨れちゃうのを避けるためでした。
というところまで書いて、いま2024年になって宇露戦争で北朝鮮がロシアに派兵しているのはこの時の構図を反転させたみたいじゃないか...という気づきを得ました。まあ偶然の事象なんでしょうけども。
このように西側諸国の鼻っ柱を折ったジェット戦闘機なわけですが、その肝心のエンジンは実はイギリスのロールスロイス・ニーンのコピーでした。うっかり労働党がニーンエンジンをソ連へ売却してしまったからですね。間抜けです。


エンジンを中心に飛ぶために必要な部品を最低限付けただけみたいな贅肉のない機体をしています。おかげでプラモデルを作るときにはオモリを入れる空間が少なくて苦労させられるわけですが(プラモだと重心が後ろ側になり尻餅をつくので機首側におもりを仕込んでバランスを取るのだ)。
この個体は1954年製で、初期不良を克服したbis型です。ポーランド空軍で使用されて、退役後はポーランド人コレクターが所有しました。1998年に博物館とこのコレクターとの物々交換により当個体を入手しました。
ポーランドからの移送時は、変に機体を溶断したりなどせずカナダ空軍のC-130輸送機2機を使って空輸してきたんだとか。


燃料タンク付きなのもうれしいです。


武装は、右舷に対爆撃機用の37mm砲1門、左舷に23mm機銃2門です。


ビンセント・HRD シリーズBラパイド (Vincent-HRD Series B Rapide) という二輪車。1950年製のビンテージバイクです。
どういう二輪なのかよく知りませんが、すげーバイクなんだよ!という記事をよく見ますね。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その53【2016/6/15~22】

2024-11-18 06:54:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の回転翼機コーナーの続きです。
これは、ブリティッシュ・エアロスペースAV-8Aハリアー (British Aerospace AV-8A Harrier) です。1960年初飛行。
ご存知、世界で初めて実用化された垂直離着陸できる固定翼機です。ヘリコプターも垂直離着陸できますが、あれは回転翼機なのでそもそも土俵が違います。
ハリアーが積んでいるペガサスエンジンというのがキモで、ジェット噴流の排気口が左右に分かれていて、しかも口を下に向けたり後ろに向けたりできます。最初は下に向けることで垂直に離陸していって、徐々に排気口を後ろへ向けていくことで前進して飛んでいくのです。ちょっと危なっかしいがそれがハリアー独特の発進法でね、上がっちまえばどうって事無い!自転車だってそうだろう?一度乗ったらコツは一生忘れねえモンだ!
ハリアーの開発史はそれはもういろいろな実験機を経てのものですが、ここで書くと1回分潰してしまうのでそれはまたいつか(手抜き)。


ハリアーはイギリスが開発した機体ですが、アメリカ海兵隊も目をつけて採用していました。今は退役済みですけどね。滑走路を必要としないハリアーは敵地へ一番槍で突撃する海兵隊の性に合っていたのです。
この個体は1973年にアメリカ海兵隊に配備された機体です。AV-8Aはイギリスで言うとハリアーGR.3相当の機種です。VMA-231、513、および542で運用され、沖縄に配備されていた時期もあったそうな。ここではVMA-231エース・オブ・スペーズの形態で展示されています。たぶん海兵隊からの貸与で展示されているんだと思います。


ちなみにハリアーの噴射口は前後2箇所ずつありにけり。後ろ2箇所はジェット噴流を出しますが、前の方は燃焼前の圧縮空気を出します。4箇所でバランス取るわけです。
主脚は中心線上に2本あります。こういうのを自転車配置というそうな。これだと機体が左右どっちかに傾いて転んでしまうので、主翼の端に補助輪が付いています。もちろん飛行時は収納できるようになっていますよ。


なおペガサスエンジンの出力は9,750kg、一方ハリアーの最大離陸重量は11,000kgです。垂直離陸の場合運動エネルギーがゼロ状態で機体を浮かせないといけないのでエンジン出力以上の重さでは浮きません。最低離陸重量だと8トンくらいらしいので空荷なら垂直離陸も可能なんですが、爆弾をちょっとしか積めない攻撃機なんて税金の無駄です。なので実際の運用では爆弾搭載時は通常離陸するんだそうな。一応他の機種に比べれば短距離で離陸できちゃうらしい。
こういう面で見ると、ジェット攻撃機の割に小型のハリアーはギリギリの重量計算で設計されているんだなというのがわかります。


CL-84-1ダイナバートの後ろ。水平尾翼と垂直安定板も可変式です。主翼の角度と連動して水平尾翼も可動するようです。


尾部には小さい回転翼が二重に付いています。たぶん二重反転式。尾部の浮力を担保するものだと思います。これ、動力はどうなってるんでしょうね。


後部カーゴハッチは天井が低いので使いにくそうです。


別方向からの尾翼。


CH-113ラブラドールの後部カーゴハッチ。


機内はこんな感じです。


S-55の胴体後部はキュッと絞り込まれた形状が可愛らしいのです。


CH-135ツインヒューイの尾部。


カナディアCL600チャレンジャー (Canadair CL600 Challenger) です。1978年初飛行。
ビジネスジェット製造を手掛けるリアジェット社のリアスター600の構想をもとに再設計した機体です。ビジネスジェットとしては初めてのワイドボディ機で、この胴体は後にリージョナルジェットのCRJに発展します。
この個体は先行量産型の3号機で、1979年製造と初飛行をしました。その後もテスト機として使用されて、チャレンジャー601型、604型のテストベッドになりました。その間にエンジン交換とウィングレット追加されています。1986年にはカナディアがボンバルディアに買収されますが計画は継続されます。2004年にはフライ・バイ・ワイヤ制御の蓄積を得るためにその制御に改造されています。



胴体はCRJのそれと同じですね~。いや、こっちが先なんですけどね。


エンジンはゼネラル・エレクトリックのCF34-3Aターボファンです。


胴体には大きくACTの文字。Active Control Technologyの頭文字で、たぶんフライ・バイ・ワイヤ制御改造の時に付けられたのかなと。


機首です。


ウィングレットです。なんとなく後付け感がありますね。






メーデー民のアイドル、ラムたん!
ラムエア・タービンという緊急用風力発電器の羽根車です。飛行中にエンジン停止して電源喪失した際、これが機外に展開します。飛行中なので羽根車が回転して風力発電器となり、機体に必要最低限ですが電源を供給するのです。いざという時の隠しナイフのようなものです。


試験機特有のクソデカピトー管。


左舷のエンジンはナセルが外されていました。

というところで今日はここまで。


その54へ→



北米project 5 ~How do you like Canada? その52【2016/6/15~22】

2024-10-28 06:51:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。
次は回転翼機のコーナーです。おなじみの物からここでしか見れないような物まで、色々揃っています。


ベルCH-135ツインヒューイ (Bell CH-135 Twin Huey) です。1956年初飛行(XH-40として)。
UH-1イロコイのエンジンを双発化した機体です。胴体も大型化しています。
アメリカ軍でも採用されていますが、最初に開発したのはカナダ空軍向けの物です。1971年からカナダ空軍へ50機納品されました。


アメリカ製の機体ですがエンジンはカナダ製のPT6を載せています。双発機ですが回転翼は1つだけなので、2発のエンジンの出力をひとつにまとめて回転翼へ伝達しています。
この個体は1971年製。カナダ空軍で運用されて1997年退役です。50機いたCH-135の中で一番飛行時間の長い機体だったそうな。


シャア専用ザクのようなツノはワイヤーカッターです。低空飛行するヘリコプターでは電線と接触して墜落する事故が無視できないので、これで電線を切断してしまうのです。UH-135は上下2本装備されていて豪華。


パイアセッキHUP-3レトリバー (Piasecki HUP-3 Retriever) です。1949年初飛行です。
アメリカ海軍の要求で、空母上で運用できる救難救助と一般輸送に使える双発ヘリコプターとして開発されたのが始まりです。回転翼は折り畳めるように設計されています。
空母で運用できる大きさには制限があるので、アメリカ陸軍は導入したものの小ささに不満があってすぐに海軍に押し付けてしまいました。そのうちの3機がカナダ海軍に移管されて、北極巡視船HMCSラブラドールに配備されました。北極海の氷の状態観察、水路の測量や科学調査などの任務についていました。


カナダ海軍機なのでNAVYの文字がでかでかと。塗装もツートングレーのいわゆるペンギン塗装(カナダ版)です。
この個体は1954年製で、アメリカ陸軍向けでしたがすぐにカナダ海軍へ押し付けられたようです。1964年に退役して1965年に博物館が購入しました。


シコルスキーS-55/HO4S-3 (Siokorsky S-55/HO4S-3) です。1949年初飛行。
1950~1960年代の西側ヘリコプターといえばこれという機体です。ヘリコプターの有用性を実証した機体として、画期的な存在です。
ヘリコプターとしては珍しくコックピットが高い位置にありボンネットもあります。ボンネットには星型エンジンが収まっていて、それを躱すためにコックピットを上へ逃がしたのです。さらに、エンジンと回転翼をつなぐプロペラシャフトがコックピット内を貫通している豪快な配置をしています。
この個体は1955年製。カナダ海軍で1970年まで務めました。8回の救助活動で人間32名と動物4匹を救い出しています。


ボーイング・バートルCH-113ラブラドール (Boeing Vertol CH-113 Labrador) です。1958年初飛行。
CH-46シーナイトあるいはV-107のほうが名前の通りが良い、タンデム回転翼の救難救助/輸送用ヘリコプターです。アメリカ海兵隊と海軍をはじめ様々な国で運用され、カナダでも空軍と陸軍でも1963年~2004年まで運用されました。
CH-113では、救難救助用に側面に大型扉と救助ホイスト、懸架フックを装備しています。
この個体は1963年製。カナダのCH-113の中で最初に受領した機体であり、また最後に退役した機体でした。CH-113全機退役を記念して軍が博物館へ寄贈しています。


カナダ空軍の救難救助機は、濃いめの黄色に稲妻型の紅白ストライプが非常にかっこいいのです。右側面から生えているのがホイストです。


救助員のジョンソン(仮名)と要救助者を運び出す担架です。

後ろにも出入り口がありにけり。オレンジの脚庫は着水時の浮きにもなります。着水できるんです、これ。



ベルHTL-6 (47G) (Bell HTL-6/47G) です。1945年初飛行。
ヘリコプターとしては初期も初期。1946年初めて民間機として登録されて、初めて民間商用飛行を行った機種です。ベルはもちろん他社でもライセンス生産されて、その数は6400機以上にもおよびました。アメリカ軍の仕事から干されて死にかけていたベルはこれで息を吹き返し、ヘリコプターを俺の生きる道と決めたのでした。
視界が良すぎて逆に不安になりそうな特徴的な泡型の風防は、実は厳格な形状が決められていません。一定程度膨らめばそれでヨシ!みたいな感じらしく、同じ形状の風防は2つと無いのかもしれません。実際、風防により飛行特性がわずかですが変わってしまうことがあったそうな。
この個体は1955年ベル製。カナダ海軍に納品されて、練習機や艦隊の雑務に就いていました。HMCSラブラドールに配属されていた時期もあり。1966年に当館へ寄贈されています。


回転翼に拠らない垂直離着陸機が並んでいます。特に右の機体に注目ですね。
左がハリアー、右がダイナバートです。


カナディアCL-84-1ダイナバート (Canadair CL-84-1 Dynavert) です。1965年初飛行。
カナディアが実験用に製作した双発機で、垂直離着陸と短距離離着陸(V/STOL)を実証するための機体です。エンジンと主翼の角度を水平状態から90度まで起こすことのできるティルトウィング機構を備えています。要はアメリカのオスプレイみたいなものですが、あれはエンジンだけ可動して主翼は固定という違いがあります。



エンジンはライカミングT53ターボプロップです。
まず1号機が製作されて、1965年の初飛行時は通常の水平飛行でした。まあ当然。翌年に垂直離陸からの水平飛行転換に成功しています。意外とできる子なんですよ。試作1号機は最後は試験中に墜落しましたが機体設計上の問題でないこととパイロットは脱出して無事だったので開発は続行されました。
エンジン強化と胴体延長を図ったCL-84-1型が3機製作されました。この個体は3号機で1969年製です。ただし飛行したのはその3年後でした。試験は順調に進んでアメリカ海軍の空母への離着艦も行われました。
それでも、これを売り込む市場が見つからず、最後は1974年に計画中止という結末でした。早すぎたんでしょうかね。この3号機は計画終了から約10年後に当館へ寄贈されました。



主翼は油圧で角度を変える方式のようです。


車輪はこんな感じ。


機体が小さいんですよね。プロペラ直径は普通のターボプロップ機相当しか無いので、垂直離着陸時は結構頑張らないといけなかったのではないでしょうか。主翼の揚力が使えず、エンジン出力だけで機体を持ち上げないといけないですから。この点オスプレイはアホみたいに大きいローターを備えて揚力を確保しようとしています。
これだと機体は相応に小さくしないといけないですね。大きさの割には双発機であることとティルトウィング機構で機体価格が同規模のヘリコプターやターボプロップ機と比べて高くなることは避けられなかったと思います。

というところで今日はここまで。


その53へ→



北米project 5 ~How do you like Canada? その51【2016/6/15~22】

2024-10-23 06:37:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。今度はカナダ空軍の練習機のコーナーです。
ロッククリフというのはカナダ空軍のロッククリフ基地のことです。オンタリオ州オタワにある空軍基地でしたが今は民間のロッククリフ飛行場になっています。また、今いるカナダ航空宇宙博物館が隣接しているところでもあります。この博物館も当たり前のように飛行場の隣に建っているのです。

第二次世界大戦時はイギリス連邦航空訓練計画 (BCATP) による空軍パイロット養成基地のひとつとして運用されていました。
BCATPはイギリスを初めとした連邦各国のパイロット養成をカナダ国内で実施するというものです。カナダは第二次世界大戦の後背地で敵弾の心配が無いので訓練に適しているわけです。カナダはコレに係る費用のほとんどを負担する代わりに、パイロット養成がカナダの主要な戦争貢献になるという言質をイギリスから引き出しました。
これによってカナダは戦争への関与と自国民を戦場へ送り出す人数を最小限に留められたと言われています。スピットファイアのプラモデルを見てみるとカナダ空軍のマーキングの収録が少ないんですが、これのおかげというのもあるでしょうかね。


フリート・モデル16BフィンチII (Fleet 16B Finch II) です。1928年初飛行(コンソリデーテッド14Mとして)。
元々はコンソリデーテッドが設計製造していた2座の複葉練習機をフリート社がライセンス生産したもの。エンジン、着陸装置、操縦翼面の違いによって型式が分けられていますが、モデル10を改良したものがモデル16フィンチ(鳥の名前)で、モデル16内でもいくつかのサブタイプがあります。
BCATPでの初等訓練でタガーモスとともに用いられ、寒冷地のカナダに適した密閉式風防を備えています。この手の練習機にしては数が多い400機が生産されました。ただし長足の進歩を遂げていた当時の航空機の流れにより、1943年以降は単葉機のフェアチャイルド・コーネルに徐々に置き換えられていくことになります。
この個体は、1940年フリート製、カナダ空軍に納品されて1943年まで飛行訓練に使用されました。1947年にアメリカ人の個人に買い取られて民間機として飛びました。1964年にカナダ人が買い戻して1966年に博物館へ寄贈しています。1970年には復元飛行もしたんだそうな。



航空偵察用のカメラです。フェアチャイルドK-3型という機種です。
これは飛行艇に付けられていました。BCATPでは航空カメラの撮影訓練もやっていたんでしょう。


ノースアメリカン・ハーバードMk.II (North American Harvard Mk.II) です。1940年初飛行(AT-6として)。
ご存知、ノースアメリカンの練習機T-6テキサンのカナダ版です。もう説明不要ですよね(手抜き)。BCATPでは高等練習機として使われました。
カナダにおいては現地でライセンス生産された機体も相当数あります。本家ノースアメリカンではB-25やP-51の生産で手一杯だったからです。カナダのノールダイン社では、イギリスとカナダ向けに約2,800機のハーバードMk.IIがライセンス生産されました。Mk.IIは、AT-6相当の機体です。
ちなみに、戦時中の金属不足を見越して胴体後部を木製にした設計が進められていましたが、幸いそういう事態は起きなかったのでボツになっています。また、雪上で離着陸できるようスキー板を履いた設計もありましたが、着陸脚を頑丈なものに交換しないといけないのでこれもボツになりました。これは今まで知らなかった豆知識でした。


ハーバードの外観の特徴として長く延びた排気管があります。それとMk.IIというか戦時中のテキサンの特徴としては窓枠の多い風防が挙げられますね。
カナディアン・カー&ファウンドリー社では、戦後になってT-6G相当のハーバードMk.IVを約550機ライセンス生産しています。Mk.IVは窓枠の少ない風防が特徴です。


この個体は1940年ノースアメリカン製。カナダ空軍に納品されてからは1962年まで飛行訓練に使用されました。1964年に博物館へ寄贈されています。ここの飛行機の中ではあまり移動の少ない機体ですわね。


行き場がなさそうにすみっこで佇んでいるアブロ・ランカスターの機首です。たぶんレプリカなんでしょうけど、別にどっちでもいいですよね。
説明書きによれば、ランカスターの機首だけでも5人の乗組員が必要なんだと書いてあります。その5人とは操縦手、航法士、機関士、爆撃手(兼前部機銃手)、通信士なのであります。あとは省略されたけど中央と尾部の各機銃手2人もいます。
爆撃機を飛ばすのにもそれぞれ分野の異なる人員がこんなにいるので、人件費の係るコストの高い兵器なのだということです。撃墜された時の損耗も大きいですね。


アブロ・アンソンMk.IV (Avro Anson Mk.V) です。1935年初飛行。
イギリス初の単葉・引込脚装備の双発機です。輸送、偵察、訓練、爆撃などだいたい何でもこなしていた「忠実なアニー」です。カナダ空軍ではBCATPの一環で多発機の練習機として多数が運用されました。
初めはMk.IIがカナダ内の複数社で約1,800機ライセンス生産されました。Mk.IIの胴体は鋼管羽布張りだったんですが、これを木製合板に改良した「ビダール・アンソン」ことMk.Vが1943年に初飛行しました。羽布張りから合板に変わったおかげで、寒冷地のカナダ特有の冷たい風によって体を冷やされることがなくなりました。このMk.Vもマクドナルド・ブラザーズ社とカナディアン・カー&ファウンドリー社により約1,000機がライセンス生産されました。
戦後は余剰機が民間へ放出されました。カナダ北部の磁気調査では合板胴体のアンソンは重宝されたんだそうです。


この個体は1945年マクドナル・ブラザーズ製です。マクドナルでは748機生産したんだそうな。カナダ空軍に納品されて、1954年まで輸送任務などで運用されました。1964年まで保管された後、博物館へ寄贈されています。


リンク・トレーナーという飛行訓練装置、すなわちフライトシミュレーターです。デパート屋上の遊具みたいな格好をしていますが、大真面目のフライトシミュレーターです。
1929年にアメリカ人発明家のエドウィン・リンクが考案しました。だからリンク・トレーナーです。これが出現したことで実機で飛行するよりも前の段階で地上にいながら飛行操縦のいろはを学べるようになったのです。
コックピットは当時の練習機と同じ操縦装置が配置されていて、それを動かすと空気圧によって機体が傾くのです。あとは、動翼も操縦したとおりに動きます。これは訓練生がどういう操縦をしているか教官が目で見て確認できるための機能でしょう。
ちなみにフライトシミュレーターには蓋がついています。蓋を閉じて真っ暗な中で装置を動かすことで、計器飛行の訓練ができるんだと思われ。
50万人以上のパイロットがこれを使って育てられたとされています。カナダでもBCATPで導入されました。


フェアチャイルド・PT-26BコーネルMk.III (Fairchild PT-26B Cornell Mk.III) です。1942年初飛行。
フィンチとタイガーモスに代わる初等練習機です。複葉練習機を単葉にしたような見た目ですかね。主翼桁はなんと木製だそうな。金属製と比べると耐久性が悪くて毎年検査がいるので民間市場では不人気だったとかで。
元々はアメリカ軍の複葉練習機置き換え用の機体ですが、カナダでもフリートが約1,600機ライセンス生産しました。


PT-26は、PT-19のカナダ版という感じ。フィンチと同じで、寒冷地対策の密閉式風防が追加装備されています。初期型はPT-26AコーネルMk.IIで、マイナーチェンジ版がPT-26BコーネルMk.IIIです。
この個体は1942年フリート製。カナダ空軍に納品されて、1944年まで初等訓練に用いられました。その後は1962年まで長期保管されていて、最後は博物館へ寄贈されています。


デ・ハビランドDH.82タイガーモス (De Havilland DH.82 Tiger Moth) です。1931年初飛行。
ご存知イギリスの有名な複葉練習機です。DH.60ジプシーモスの軍用型です。
カナダにもやってきて、寒冷地対策の密閉式風防付きのDH.82Aと頑丈なブレーキと降着装置を付けたDH.82Cが生産されました。
カナダ生産分には、アメリカ製メナスコエンジン搭載機もあり、メナスコモスと呼ばれていたそうな。

これから機体に乗り込む訓練生と教官のちょっとした小芝居が展開されています。


この機体の経歴については、よく分からなかったです。


BCATP練習機軍団はこれで以上です。

というところで今日はここまで。


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