今日はお茶のお稽古・・・堺筋本町近くへ
車で・・・40分!
御堂筋を本町辺りまで・・・
日本の道百選の一つ・・・1970年大阪万博を機に南行き一方通行になりました。
えんどうには887本の銀杏が植えられています。
銀杏並木は御堂筋の代名詞になってますよね。
これは南御堂
御堂筋の名は沿道沿いにある北御堂、南御堂に由来するとか。
その御堂筋を通りながら思い出しました。
この地は 松尾芭蕉 の終焉の地であったことを・・・
蕪村の描いた芭蕉
難波近く「旅籠 花屋仁左衛門」方で客死
石碑が建っています。
これは辞世の句が刻まれた「句碑」南御堂の境内にあるとか。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る・・・たびにやんで ゆめは かれのを かけまわる
結句の部分・・・かけめぐる・・・と読ませた解説もあるようですが、
廻る・・・の字は「まわる」と読むのですから・・・「かけまわる」が正しいと思う私です
芭蕉の残したもっとも有名な紀行文「おくのほそ道」
・・・・月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり・・・・
人生を旅にたとえ・・・敬愛する「西行」と同じく、自らも旅の途中で亡くなった「芭蕉」
その俳句は「蕉風」と呼ばれ、俳句を一つの文学にまで高めた・・・世界に誇る人物・・・
余計な解説はいらない・・・皆様よくご存じ!
敬愛する人物の一人・・・御堂筋を通りながらふっと胸をよぎった・・・水無月七日でした。
皆様ご訪問有り難うございました・・・・
車で・・・40分!
御堂筋を本町辺りまで・・・
日本の道百選の一つ・・・1970年大阪万博を機に南行き一方通行になりました。
えんどうには887本の銀杏が植えられています。
銀杏並木は御堂筋の代名詞になってますよね。
これは南御堂
御堂筋の名は沿道沿いにある北御堂、南御堂に由来するとか。
その御堂筋を通りながら思い出しました。
この地は 松尾芭蕉 の終焉の地であったことを・・・
蕪村の描いた芭蕉
難波近く「旅籠 花屋仁左衛門」方で客死
石碑が建っています。
これは辞世の句が刻まれた「句碑」南御堂の境内にあるとか。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る・・・たびにやんで ゆめは かれのを かけまわる
結句の部分・・・かけめぐる・・・と読ませた解説もあるようですが、
廻る・・・の字は「まわる」と読むのですから・・・「かけまわる」が正しいと思う私です
芭蕉の残したもっとも有名な紀行文「おくのほそ道」
・・・・月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり・・・・
人生を旅にたとえ・・・敬愛する「西行」と同じく、自らも旅の途中で亡くなった「芭蕉」
その俳句は「蕉風」と呼ばれ、俳句を一つの文学にまで高めた・・・世界に誇る人物・・・
余計な解説はいらない・・・皆様よくご存じ!
敬愛する人物の一人・・・御堂筋を通りながらふっと胸をよぎった・・・水無月七日でした。
皆様ご訪問有り難うございました・・・・
彼の墓の隣に埋葬して欲しいとの遺言だったそうです。
これはけっこう有名な話よ~~!
しかし「なんちゅう」俳句やねん^-^
上沼恵美子さん・・・大阪ラプソディー
オーヤンフィフィ・・・雨の御堂筋・・・♪!
そうなんですよ・・・芭蕉終焉の地・・・なんですよ。
大津のすぐ先の膳所に、義仲寺ってちっこい所が在り
「此処に墓を・・・」との遺言だったとか
「ふ~ん!」と、言いつつバチ当たりなじじぃは
散策に励んでおりやしたど!
一句!
「えっ 此処がっ!おっ 此処も!
じぃさん迷いが多かった!」
初めて知りました
私なんか 御堂筋と言えば歌謡曲の歌詞しか
浮かびません(*^_^*)
廻る・・・これはまわる
廻・・・・これでめぐる
つまり送りがながあるかないかで読み方が違うようです。
先日のTV・・・御堂筋ガイドさんは
・・・まわる・・・とお読み上げ。
実は。。。私もず~~っと「めぐる」だとおもっていたのです。
まあ!雰囲気的には・・めぐる・・・ですよねえ!
マ、芭蕉さん・・ルビを.振った訳じゃないので
わたしは子供の頃、秘密基地を持ってましたよ・・・(笑)
深川にあった庵に「芭蕉」の木を植えてあったので
それから・・・芭蕉と号したようですね。
門人の曾良は奥州への旅にも同行してますよね。
最期をみとったのも曾良だったんですね!
勉強になりました・・・!
アハハ!
まあ!そう言う事にしておきませんか!
私は仕事柄・・・なんですよ!
かけめぐるだと思ってました。
芭蕉の臨終を看取ったのは、確か弟子の曽良??だと記憶してます。
若かりし頃、私も庵を建てたいと思ってました(笑)
たくさん覚えていても
忘れるスピードのほうが速くて
覚えていたのか
忘れているのか
でも人は忘れるから生きていける
と言う言葉もあるよね