Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

Dr.KAZUの雑記帳から 2月21日きょうはなんの日

2015-03-09 06:12:50 | きょうはなんの日

Dr.KAZUの雑記帳から 2月21日きょうはなんの日

     1180年 平清盛の孫にあたる高倉天皇の第一皇子・言仁親王が3歳で践祚(せんそ)して
     81代天皇・安徳天皇になりました
     皇位の象徴である三種の神器を受け継ぐことを践祚 皇位につくことを天下に布告することを即位と言います 現行の皇室典範では天皇が崩御の後 即位の礼を行うと定める

安徳天皇は 3歳でした
安徳天皇(治承2年11月12日―寿永4年3月24日)は 第81代天皇
生後間もなく立太子 治承4年(1180年)2月21日に践祚 4月22日に数え年3歳(満1歳4ヵ
月)で即位するが 幼年のため実権はなく政治は平清盛が取り仕切った

安徳天皇の最期について語られているなかから 
平家物語より
安徳天皇は 最期を覚悟して神霊と宝剣を身に着けた祖母の二位尼(平時子)に抱き上げられると
『 尼ぜ わたしをどこへ連れて行こうとするのか 』と問いかける
二位尼は涙をおさえて『 君は前世の修行によって天子としてお生まれになりましたが 悪縁に引かれ
御運はもはや尽きてしまわれました この世は辛く厭わしいところですから 極楽浄土という結構な
ところにお連れ申すのです 』と言い聞かせる
安徳天皇は小さな手を合わせ 東を向いて伊勢神宮を遥拝し 続いて西を向いて念仏を唱え 二位尼は
『 波の下にも都がございます 』と慰め 安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた
安徳天皇は 歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月)で崩御した

壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る「赤間神宮(あかまじんぐう)」は
山口県下関にある神社です
江戸時代までは安徳天皇御影堂といい 仏式に祀られていたのであるが明治の神仏分離によって阿弥陀
寺は廃され神社となった
平家一門の墓がある
また『耳なし芳一』の舞台でもある