Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

Dr.KAZUの雑記帳から 3月3日きょうはなんの日

2015-03-15 07:01:29 | きょうはなんの日

Dr.KAZUの雑記帳から 3月3日きょうはなんの日

1924年3月3日 トルコで1400年続いたカリフ制を廃止  
オスマン王家のカリフをイスタンブルから追放して 西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建設した

アジア西端の街トルコへ

トルコは 親日的である ということはよく知られた事実である
果たして本当にそうなのか そうだとすればそれを実感することができるのであろうか
旅立つ前にもっとも気になることであった

その物語は “エルトゥールル号遭難事件”に始まる
1890年(明治23年)9月16日夜半 オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で遭難 500名以上もの犠牲者を出した事件で 懸命に救助したうえ傷の癒えた人々を日本政府がトルコまで軍艦で送った事実が語り継がれております

近年では 1985年のイラン・イラク戦争でイラクのフセイン大統領は突如 イラン上空の航空機に対する40時間後の無差別攻撃を宣言したのである 各国は在住の自国民を自国の旅客機や軍用機で救出したのですが 在留邦人215名は取り残されてしまった このとき救援機派遣を了承してそれを実行した駐イラン大使が『エルトゥールル号の恩返しになります!』と語った報道は記憶に新しいのです

トルコでは今でも 3人にひとりはエルトゥールル号のことについては知っているそうです

藤原正彦氏の著書の一文「アジア西端の街へ」に 軍事博物館の職員から伝聞した記載がありますが転載します
『 私達は近代になりロシアをはじめ欧州を相手に何度となく戦い領土を次々に削られました 日本は世界制覇を狙う欧米を相手に一歩も引かず ロシアを負かし アメリカ相手には勝ち目のない戦争を果敢に戦いました そして今は欧米に負けない技術・経済大国です トルコ人の多くは尊敬と共感と憧れの念で日本を見ていると思います トルコばかりか 20世紀になって欧米に散々な目に遭わされてきた他のイスラム諸国の人々も恐らく同じはずです 』
そうだとすれば嬉しい限りである
近頃は 国父アタチュルクの功績が少しずつ消えて行っているような気もするのだが

旅人にはすこぶる気持ちの良いトルコでしたが
8日間同行してくれた現地ガイドの“あいちゃん”が 何度も『 トルコ人は アジア人です! 』と繰り返し言っていたのがいつまでも耳に残っております