白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー136

2020年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム
キュラフロワは犯罪を犯した不良少年らが集まる共同寝室の中で彼らに共通の掟を学んでいく。刑務所の諸規則とは違った、掟である。「象徴の変化」、「価値の変化」とある。

「教化院を生者たちの王国とは異なるひとつの王国に変えていたのは、象徴の変化、そしていくつかの場合、価値の変化だった」(ジュネ「花のノートルダム・P.246」河出文庫)

ジュネ的感性でいえば「泥棒、裏切り者、性倒錯者」としての身振り仕ぐさを今後の日常生活での作法(モラル)として身体に刻印するということだ。

「院児たちは刑務所のそれと類似した自分たちの方言をもっていたし、そこを出るときには、特別なひとつのモラル、ひとつの政治をもった」(ジュネ「花のノートルダム・P.246」河出文庫)

ジュネは「方言」と書いているがただ単に隠語だけを意味するわけではない。感化院で身に付けた身振り仕ぐさによる独特の表現はすべてその後の日常生活において既に変化をこうむった「価値=意味」として作用する。それらはジュネたちにとって他の一般市民と彼らとを分け隔てる貴重な記号となる。教化院あるいは感化院での集団生活は諸規則よりも彼ら独自の掟によって別種の「政体」を構成する。彼らは世間から疎隔された世界で二重生活を送る。そこで日々加工される彼らの身体。汚辱にまみれていくだろう彼らの身体。教化院あるいは感化院での二重生活は「美」を、汚辱まみれの「美」を、育むのだ。

「宗教と一体化したその政体は、『美』を庇護する力のそれだった」(ジュネ「花のノートルダム・P.246」河出文庫)

同じことはより一層整理整頓されて「泥棒日記」でこう描かれることになる。長文なので適度に区切って列挙しておこう。

「メトレーの少年感化院にいたときに規律をーーー感化院の諸規則ではなく、規律をーーー遵守(じゅんしゅ)したことがわたしにもたらした功力(くりき)を、わたしは後になって発見したのだった。そこにいたあいだ、わたしは一人前の懲役人(ちょうえきにん)になろうとして自分を鍛錬したのだった。大多数の少年悪党と同様、わたしは、《懲役人なるものを実現させる》多くの行動を、考えたうえではなく、自然に遂行することも可能だっただろう。そしてわたしは素朴な苦痛と喜びを知り、その生活は、誰もが表明することのできる、月並みな思想しかわたしに抱(いだ)かせなかっただろう。しかしメトレーの感化院は、わたしの性愛上の嗜好(しこう)こそ十分に満足させてくれたが、わたしの感受性を絶えず傷つけた」(ジュネ「泥棒日記・P.251」新潮文庫)

「わたしは、頭を丸坊主にされて、穢(けが)らわしい制服を看て、この卑しむべき場所に拘禁されていることの恥辱感に苛(さいな)まれていた。そして、わたしより強い、あるいはより邪悪な他の懲役人たちの軽蔑(けいべつ)を感じさせられていた。この絶望的な悲嘆に耐えぬくために、わたしが一段と屈(かが)んだ姿勢をとっているとき、わたしはなんの懸念(けねん)もせずに、一つの厳格な規律をひたすら育てあげていたのだった。この規律の構造はおそよ次のようなものだった(それ以後わたしはそれを役だたせるようになる)。すなわち、わたしに対するあらゆる非難に対して、たとえそれが不当のものであっても、心の底から、然(しか)り、と答えよう、ということである」(ジュネ「泥棒日記・P.252」新潮文庫)

「この、然りという言葉ーーーあるいはそれと同じ意味の文句ーーーを口にするやいなや、わたしは自分の心の中に、人がそうであるとしてわたしを非難したところの者になろうという欲求が起るのを感じるのだった。わたしは十六だった。読者はわたしの言うことの意味を理解されただろう、つまり、わたしの心の中にはすでに自分の潔白さの意識が宿りうるいかなる場所も残ってはいなかったのだ。わたしは自分がまさに人にそう思われたところの、卑怯者、裏切り者、泥棒、男色者であると認めた」(ジュネ「泥棒日記・P.252」新潮文庫)

「ときに人はなんの証拠もなしに罪を責められることもありうる。しかし、わたしが自分を罪ある者と認めるために、人を裏切り者とか、泥棒とか、卑怯者などとよばれる者にする行為を行なったのだと思われるかもしれないが、決してそうではなかった。わたしは少しばかり気長に自分を省みさえすれば、自分の裡(うち)にそうした名でよばれるだけの十分な理由を発見することができたのである。そして呆然(ぼうぜん)となりながら、自分が数知れぬ汚穢(おえ)から成り立っていることを知るのだった。わたしは穢らわしい者となった」(ジュネ「泥棒日記・P.252」新潮文庫)

そしてこの過程にはニーチェのいう「運命愛」を見ることができる。

「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)

受動的にでなく能動的に受け止めることでようやく次に何をするべきか、何をするべきでないか、判断可能な地平が開かれるのである。
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さて、アルトー。シグリは何をもたらすのか。意識変容をもたらす。といってしまえば身も蓋もない単なる民俗学的報告に過ぎなくなる。前に触れた(「言語化するジュネ/流動するアルトー133」)ように、タラウマラの儀式で「彼らは植物が彼らに命じることを為す」。それはどういうことかということが問題にされなくてはならない。

「私は言いたいのだ。事物の別の側への《逆転》と。あたかも恐るべき力が、別の側に存在するものにあなたを《変換する》という結果をもたらしたかのように」(アルトー『タラウマラ・P.37』河出文庫)

リグリは人間の《身体において》「逆転」し「変換する」力を与える。ただ単なる意識変容だけではないからこそフランス国家はメキシコ政府を通じてタラウマラ族の儀式規制に乗り出したわけだ。タラウマラはリグリを通して、ニーチェの言葉を用いれば「別様の感じ方」で感じる方法を知っている。その特徴は自分で自分自身の意識が拡張する経験なのだが、一般的な意味でいう「主観」とは違い「超越論的探究」というべきものだ。

「反対にタラウマラ族は一貫して、自分が考え感じ、そして生み出すことすべてにおいて、自分から発生するものと<他者>から発生するものを一貫して区別する。しかし狂人と彼との違いは、要するに彼の個人的意識がこの分割の、そして内的配分の作業において増大したということ、ペヨトルが彼をこの作業に導き、そして彼の意志を強化するということである」(アルトー『タラウマラ・P.18』河出文庫)

超越論的探究というのはヘーゲルのいう絶対精神でありマルクスのいう物質的生産力である。少数民族の儀式からその力を取り上げ禁止したのはフランスでありアメリカなのだが、その種の措置はいつもきまって禁止の逆説を発生させる。闇ルートが出現する。それは資本主義市場を通してたちまち流通するようになる。政府が取り上げた少数民族独自の超越論的探究の儀式は資本主義社会の中で「絶対精神/物質的生産力」へと変換され、むき出しになってフランスやアメリカに襲いかかる。よく知られている事例がある。たとえば第一次世界大戦後のアメリカで株価暴落した時期、社会の荒廃にともなって大量飲酒者が同時発生した。禁酒法が創設されたがその効果は逆方向に作用し、大量の隠れ酒場と隠れ飲酒者を次々に発生させ、遂に全米各地に無数のアルコール依存症者を出現させた。旧ソ連ではどうだったか。同じである。古来から少数民族のあいだでのみ伝承されてきた植物の使用を近代国家が取り上げてみたところで効果はむしろ、近代国家が資本主義的生産様式に貫かれている以上、そしてまた旧ソ連においても一国資本主義体制を取っている以上、事態は逆に悪化するし実際に悪化したのである。流通経済は一度動き始めると途中で止めることができないからだ。

「捨ててきたばかりの、あなたをそれ自身の限界の中に落ち着かせていた身体を、もはやわれわれは感じない。反対に、自らが自分自身よりも果てしないものに属していることを、はるかに幸福と感じる。なぜならわれわれは理解するのであるから」(アルトー『タラウマラ・P.37~38』河出文庫)

シグリの儀式でアルトーは「われわれは理解する」と述べる。しかし一体何が理解されたのだろうか。カスタネダはメキシコはメキシコでもまた別の場所で少数民族ヤキ・インディアンの老人のもとで修行に励む。同様の現象は特定の植物接種から得られる。ヤキ・インディアンの老人もそれを知っている。けれどもこの何度目かの訪問の場合、あえてどんな薬物も用いずに試みられている点で特に興味深い。理解されたことは次の事情である。

「コヨーテは流動体で、液状で、輝く存在だった」(カスタネダ「呪師に成る・P.338」二見書房)

ニーチェがいっているように、一般的に「存在」と呼ばれるものは数千年にわたる慣習化によって凝固し固定しステレオタイプ化されており、もはやそれが流動する流れであると捉えることはできなくなっている。ところが或る種の植物の効果は流動するものを流れそのままに捉えることを可能にする。カスタネダはコヨーテと対話する。

「わたしが岩の上に腰をおろすと、コヨーテは触れんばかりのところに立っていた。わたしは、ものも言えないほどびっくりしてしまった。それほど近くで野生のコヨーテを見たこともなく、そのとき思いついたのはそれに話しかけてみることだけだった。ーーー人間が言葉を話すようにことばを声にしているのではなく、むしろ、それが話しているという『感覚』だった。ーーーコヨーテはじっさいになにかを言っていたのだ。それは思考を中継し、コミュニケーションは文章にひじょうに似たかたちで行なわれた。わたしは『元気かい、コヨーテ君?』と言うと、それが『元気だよ、君は?』と答えるのが聞こえたような気がした。そしてコヨーテがそれをくりかえすので、とびあがてしまった。コヨーテはまるで動かなかった。わたしが急にとびあがったのに、びっくりしてもいなかった。その目は相変わらずやさしく、澄んでいた。それは腹ばいになり、首をかしげてこうきいた。『なんで怖がってるの?』わたしはそれと向かい合わせにすわった」(カスタネダ「呪師に成る・P.337~338」二見書房)

さらにラヴクラフトはSF形式を借りて猫たちとの会話を小説化した。ランドルフ・カーターはさぞかし楽しい思いを味わったに違いない。

「カーターはここにきてついに、猫だけが知り、歳をくった猫が夜に屋根の頂から跳びあがってひそかに赴くという、謎めいた領域について、年老いた村人たちが声を潜めて口にする推測も的を射ていたことを知った。いかにもこの月の暗い裏面にこそ、猫は跳びわたり、丘陵をはねまわって太古の幻影と言葉をかわすのであり、カーターは悪臭放つ行列の只中にあって、猫のありふれた親しげな鳴き声を耳にしながら、故郷の勾配急な屋根や暖かい炉辺や灯のこぼれる小さな窓に思いをはせた。猫の言葉の大半はランドルフ・カーターの知るところとなっており、この遥かな恐ろしい場所にあって、カーターはしかるべき声を発した。しかしそうするまでもなく、口を開けたときですら、わきおこる猫の声がますます高まって近づいてくるのが聞こえ、星空を背景に速やかな影が見え、小さく優美な姿をしたものがいやましに数をふやして大群となり、丘から丘へと跳びわたっていた。一族の行動合図は発せられており、不穏な行列に驚愕(きょうがく)のいとまもあたえず、密集する柔毛(にこげ)と残忍な鈎爪(かぎづめ)の大群が波をうって怒濤(どとう)のように押し寄せてきた。フルートの音色はとだえ、夜の闇に絶叫があがった。ほとんど人間に似た者たちが瀕死(ひんし)の声をあげ、猫たちが唸り、鳴き、吠えたけったが、蟇めいた生物はついにひとことも発しないまま、忌(いま)わしい菌類の繁茂する孔(あな)だらけの地面に、悪臭放つ緑色の膿漿(のうしょう)を致命的に流した。松明が消えるまで途轍もない光景がつづき、カーターはかくもおびただしい猫を見たことがなかった。黒、灰色、白の猫、黄色、縞(しま)、ぶちの猫、普通の猫、ペルシア猫、マン島猫、チベット猫、アンゴラ猫、エジプト猫、そのすべてがすさまじい闘いのなかにいて、その上にいくばくか漂っているものこそ、ブバスティスの神殿にて猫の女神を偉大ならしめる、あの深遠おかしがたい高潔さだった。屈強な猫七匹がひと組となり、人間に似た奴隷の喉、あるいは蟇じみた生物のピンク色の触角のある鼻にとびかかり、菌類の繁茂する原野に手荒くひきずり倒すや、その数おびただしい仲間がなだれをうって押し寄せて、聖戦の猛威すさまじく、狂暴な鈎爪と歯で襲いかかるのだった。カーターは負傷した奴隷から松明をつかみとっていたが、忠実な擁護者の寄せくる波にまもなく押しつぶされてしまった。そして真闇のなかに横たわったまま、闘いのどよめきと勝利者の歓声を耳にするとともに、乱闘のなかを行きかう友らのやわらかい肢(あし)を感じとった。ついに畏敬(いけい)と憔悴(しょうすい)とがカーターの目を閉ざし、また開けたときには、ただならぬ光景が目をうった。地球から見る月の十三倍はあろうかという大きさで、輝く円形の地球が昇りでて、月世界の風景に不気味な光をふりそそいでおり、うち広がる荒れた高原や鋸歯状の峰のいたるところに、猫が涯しない海のように秩序ある隊形をとってうずくまっていた。猫のつくりだす円陣は幾重にも重なり、指揮官にあたる二、三匹の猫が列を離れ、カーターを慰めるかのように顔をなめたり喉を鳴らしたりしていた。死んだ奴隷や蟇じみた生物の痕跡はほとんどなかったものの、カーターは自分と戦士たちのあいだの空間のすこし離れたところに、一本の骨を見たように思った。カーターは耳に快い猫語で指揮官たちと話し、猫たちとの昔からの交友がよく知られ、猫が大勢集まるところでしばしば話の種になっていることを知った。ウルタールを通過したときにはそんなカーターが気づかれないわけもなく、毛並つややかな老猫たちは、黒の仔猫によこしまな目をむける飢えたズーグ族を処分した後、カーターにかわいがられたことを記憶にとどめていた」(ラヴクラフト「未知なるカダスを夢に求めて」『ラヴクラフト全集6・P.196~199』創元推理文庫)
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少数民族の儀式で用いられる様々な植物の抽出物はすでに述べたように、少数民族自身が経験してきた知的蓄積によって服用量が定められている。それでも比較的若年層に多いのだが、適切な服用量を超えて摂取しオーバードーズしてしまい「シグリへの意志」ではなく一時的に単に「狂人化」してしまう事例はもちろんある。それは少数民族におけるささやかな経験の範囲を超え出た。超え出て蔓延した。資本主義的生産様式の必然的成り行きであり、一国資本主義体制を目指したスターリンのロシアにおいても同様である。この傾向は現代社会の中で爆発的に広がった実際の社会問題へ姿形を置き換えて著しく反映されている。一つは「アルコール依存症」において。

「アル中患者が《最後の一杯》と呼ぶものは何だろう。アル中患者は自分がまだ大丈夫だというところを、主観的に評価している。大丈夫とされるのは、アル中患者によって、それ以下ならまた繰り返すことができる(休息や休止として)と見なされる限界のことである。しかしこの限界を超えれば閾が現われ、アレンジメントはそこで変更を余儀なくされる。アルコールの質、いつも飲みにいく場所や時間、もっと重症であれば、自殺的なアレンジメントとか、医療を必要とする入院生活というアレンジメント。アル中患者が、最後のものについての評価を誤るとか、『もうこれで止めよう』という最後のテーマをきわめて曖昧にしか使用しないということは重要ではない。大切なのは、限界という基準の存在、飲み干す『コップ』の系列全体の値を決定する限界の一杯に対する評価が自発的になされるということだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.181~182」河出文庫)

もう一つは「恋人たち」において。

「夫婦喧嘩というアレンジメントにおいては、《最後の一言》というものがある。最初から二人のうちのおのおのが、口論を自分に有利に終わらせる最後の一言をいうため、声の大きさや重さを計っている。最後の一言は、アレンジメントの活動、または周期の終わりをしるし、これによってすべてがまた新たに繰り返されるのである。それぞれが最後の一言を基準にして、自分の言うことと、最後の一言に到達するまでに適当とされる時間を漠然と計っている。そしてこの最後の一言を超えれば、別の言葉、今度は最終の言葉が現われる。『度を超した』のだから、それは別のアレンジメント、例えば離婚というアレンジメントにわれわれを導くことになる。同じように、《最後の恋愛》というものもあるだろう。プルーストは、一つの恋愛がどのようにしてそれに固有の限界に、果てに向かうものかを示した。恋愛は固有の終末を繰り返す。次にはまた新しい恋愛があり、一つ一つの恋愛は系列をなし、いくつかの恋愛からなる一つの系列がある。しかしやはり『その向こう』、最後というものがあり、そこを越えればアレンジメントは変化し、恋愛のアレンジメントは、芸術というアレンジメントにとって代わられるーーー創作すべき<作品>というプルーストの問題」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.182~183」河出文庫)

探せばもっと大量に見出すことができる。それについてはもっと後でスピノザ哲学との関連で述べたい。
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なお、新型ウイルス問題についてさらに。日本政府は迅速な対応を実施すると公言している。戦後間もなくからは徐々に、新自由主義導入以後はおおっぴらに、一貫して先延ばしあるいは切り捨ててきた医療福祉部門で山積したまま放置されてきた諸課題について迅速な対応を取ると公言している。おそらくこの経験は今後の危機管理のための新たなひな形として、「公式」として、応用可能な現代社会の技術的公式として公式化されるだろう。ところが重大な問題は実はこのような「公式」の「公式主義化」にあることを政府はすっかり忘れている。丸山真男はいっている。

「公式は公式《主義》になることによって、それへの反発も公式《自体》の蔑視としてあらわれ、実感信仰と理論信仰とが果しない悪循環をおこす」(丸山真男「日本の思想・P.59」岩波新書)

日本の政治風土の中ではいつも「お約束」のように起こってくることなのだが二十一世紀に入って二十年が経つというのに一向に改善されていない事態でもある。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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