エルネスティーヌにとってマスコミ社会面は暴力的な言語に満ちており過剰な刺激を与えてしまう。花のノートルダムの消息を知りたいわけだが過剰な刺激、社会面という過剰な演出装置は、目まいを与えるばかりで肝心のノートルダムに関する裁判の行方を焦点の合わないものに変えてしまう。
「それらの行は粗雑に見え、音の出る、どぎつい色で描かれているように見えるのだった。それは踊り子の顔の上に置かれた赤い手、緑の顔、青い瞼といったところだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.324」河出文庫)
いったん落ち着く必要がある。煽れば煽るほど読者が悦ぶという社会の中では特に。だから当時のフランスの一般大衆のあいだでは、マスコミ社会面の目に見える暴力的文体が、目に見えない社会的文法の基準になっていた。人々は、そして陪審員も、慣習化していたその種の感覚の桎梏(しっこく)のもとで容疑者に裁きを与えていた。マスコミ社会面という暴力装置から次々と繰り出される往復ビンタにも似た快感に翻弄され身を任せるほかないエルネスティーヌ。しかし読まずにいられないのも確かだ。前回引用したようにジュネは「三面記事」が与える効果を「強姦」と述べた。たいへん巧みなアナロジー(類似、類推)だといえる。だからといってエルネスティーヌが実際の「強姦」に飢えているわけではない。そういう意味ではなく、そもそも人間には暴力に「飢える力」というものが備わっていて、彼女はこの種の「飢える力」という欲望に忠実だったわけである。ところがマスコミ用語はあまりにもしばしばエルネスティーヌを鞭打った。
「津波が消えると、彼女はラジオ欄の楽曲のすべてのタイトルを読んでいたが、音楽の旋律が自分の部屋に流れ込むことをけっして黙認しなかっただろう、それほど最も軽薄なメロディーはポエジーを蝕むのである。こんな風に新聞は人を不安にさせるものだった、あたかもそれが、拷問用の柱のように血まみれで、手足をもがれた柱(コロンヌ)、三面記事の欄(コロンヌ)だけで満たされていたかのように」(ジュネ「花のノートルダム・P.324」河出文庫)
ジュネが述べているように「軽薄なメロディーはポエジーを蝕む」。なるほどそうであり疑問の余地はないのだが時系列的転倒を修正しておく必要性がある。「原因と結果の取り違え」を置き換えて読み直さなければならない。人間は自分固有の「ポエジーが蝕まれた」と気づいた瞬間、慌ててその原因を追求しに掛かり、それは「軽薄なメロディー」あるいは「メロディーの極端な軽薄さ」に違いないと事後的に認識するしか方法を知らない。是非なくあらかじめ人間の身体はそうなっているのであって、その不可避的事情を認識した上で始めて「軽薄なメロディーはポエジーを蝕む」と言うことが可能になる。可能になるやいなや人間は頑固一徹にそう思い込む。ゆえに軽薄なのは人間自身である。軽薄さと頑固さとが合体するとちょっとした僅かな差異を見出してどんどん差別へ置き換えていく。人間はその瞬間「けち臭く」なると同時により一層人間的になる。この「けち臭さ」とともに人間社会は成立し発展してきたという隠すにも隠せない歴史を作ってきた。たとえば商品の《価値》ではなく商品の《価格》について。
「《けち》。ーーー買物のとき品物が安いとわれわれのけち振りは増して来る。ーーーなぜか?小さな値段の差が、たった今けちの小さな眼を《こしらえた》からであろうか?」(ニーチェ「曙光・三〇五・P.303」ちくま学芸文庫)
価格については表示された瞬間からそう言える。だが価値については貨幣による商品交換が行われた瞬間から、信用が貫かれた瞬間から、あくまで事後的にしか研究できない。しかし大抵の場合、それでもなお「原因と結果の取り違え」は起こりうる。
「そしてわれわれが明日読むことになる裁判には、新聞はとてもつつましく十行しか与えておらず、それらの行は充分間隔があけられていて、あまりに暴力的すぎる言葉の間に空気を循環させることができるのに、これらの十行、ーーー絞首刑に処せられた者のズボンの前あきよりも、『麻のネクタイ』という言葉よりも、『陽気な人たち』という言葉よりも催眠術にかかったーーーこれらの十行は嫉妬深い老女と子供たちのすべての心臓をどきどきさせたのである。パリは眠らなかった。明日、ノートルダムが死刑を宣告されることをエルネスティーヌは期待していた」(ジュネ「花のノートルダム・P.324~325」河出文庫)
裁判過程については述べることができない。死刑に処されるのは有名なのだが裁判所でのやりとりは古典であるにもかかわらず今なお「ねたばらし」になってしまうからだ。ジュネは詩(ポエジー)を知っている。作品「花のノートルダム」はデビュー作ということもあってかわざわざクライマックスが設けられている。ジュネにとってこのクライマックスはユーモアや逆説や皮肉がたっぷり詰め込まれた詩(ポエジー)になっているため、さらに好き嫌いとか、あるいは古典嫌いの人々は知らないかもしれないし知っている必要性もない。しかし裁判所でのやりとりがクライマックスとして置かれた小説の場合、その「ねたばらし」は避けるほかない。となると、後は最後の一回でほぼ済んでしまうだろうとおもわれる。以上、長々と述べてきたが、それにしてもなおリハビリは続けていかなければならない。しかし次はどの本を手に取るか自分でもわかっていない。まるで白紙なのだ。
ーーーーー
さて、アルトー。特異な衣装の装着とその意義については前回述べた。自分で自分自身の身体を通常の生活での社会的位置から脱することである。
「私はとりわけペヨトルの司祭たちが、本来的に雄と雌であるこの儀式を行なう瞬間に、ヨーロッパ風の帽子を地面に投げすて、二つの突起を持つ鉢巻をつけるのを見た」(アルトー『タラウマラ・P.105』河出文庫)
年中行事へ封じ込められてはいるが、そのぶん充実した節目として作用する変容の経験である。目指されているのは共同体の一人一人がそれぞれ確かな「人間」として承認されることであり、そのために必要な手続きとして《獣性》の再確認が年に一度用意されているのだ。
「性愛とは数かぎりない性を産み出すことであり、そのような性はいずれも制御不可能な生成変化となる。《性愛は、男性をとらえる女性への生成変化と、人間一般をとらえる動物への生成変化を経由する》。つまり微粒子の放出である。だからといって獣性の体験が必要なわけではない。性愛に獣性の体験が顔を出すことは否定できないし、精神医学の逸話にも、この点でなかなか興味深い証言が数多く含まれている。だがそれは極度の単純さから、いずれも婉曲で、愚かしいものになりさがっている。絵葉書の老紳士のように犬の『ふりをする』ことが求められているのではない。動物と交わることが求められているわけでもない。動物への生成変化を性格づけるのは何よりもまず異種の力能だ。なぜなら、動物への生成変化は、模倣や照応の対象となる動物にその現実性を見出すのではなく、みずからの内部には、つまり突如われわれをとらえ、われわれに<なること>をうながすものに現実性を見出していくからである。動物への生成変化の現実性は、《近傍の状態》や《識別不可能性》に求められる。それが動物から引き出すものは、馴化や利用や模倣をはるかに超えた、いわくいいがたい共通性だ。つまり『野獣』である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.247~288」河出文庫)
かつてマルクスは「自然力としての労働力」といった。
「《自然》もまた労働と同じ程度に、諸使用価値の源泉である(じっさい、物象的な富はかかる諸使用価値からなりたっているではないか!)。そしてその労働はそれじたい、ひとつの自然力すなわち人間的な労働力の発現にすぎない」(マルクス「ゴータ綱領批判・P.25」岩波文庫)
アルトーはけっして政治運動家ではない。にもかかわらず共に設立した仲間たち、特にブルトンを筆頭としたシュルレアリズム運動から急速に離れていく。詩と演劇にのめり込んで行ったきり戻ってこなかった。その意味で仲間たちとの往復書簡は終生続いた一方、やっていることはだんだん異なっていった。ロートレアモンもそうなのだが、「シュルレアリズム運動」として一括りにしてしまうとわからなくなるのである。アルトーにしてもロートレアモンにしても「シュルレアリズム運動」の参加者として考えるやいなや異端者に見える。というのは言語は常に一般的なものしか出現させることはできないからだ。その証拠に「シュルレアリズム運動」という一般的な用語が発されるやいなやアプリオリででもあるかのように一挙に一括りに縛り付けてしまう暴力的拘束力を発揮する。言葉は諸力の運動から細部を切断して削ぎ落とし固定化し一般化することでコミュニケーションを可能にする必要物なのだが、ニーチェのいうようにそれは「粗雑な必要物」であって、けっして事実を現わすことはできない。事実というのは常に多様なものの流動性としてしか存在しないからである。だからマルクスのいう「自然力としての労働力」もアルトーのいう「自然の円環」としての「身振り」も現行犯で捉えることは不可能なのだ。それは個々別々な現実として生きられるほかない。その意味でマルクスの誠実さは小林秀雄を恐怖させた。必要労働と剰余労働との境界線について、それは「隠されている」、従って「わからない部分はわからない部分として残されたまま残っている」ということをマルクス自身が書いているからだ。小林秀雄自身、必死になって何度も繰り返しマルクスを読み込んだ。すると数年も経たないうちにただ単なるマルクス「主義者」よりも遥かにマルクスの理解者と化していたという笑えない笑い話が現実化するという事態が生じた。戦前の近代日本はその「拷問監禁リンチ見せしめ社会」という面ではなるほど今よりとことん無慈悲残酷な「地獄よりも地獄的」社会だったことは確かだ。日常の至るところから残忍さが自分の姿を捉えておりいつも官憲の暴力に覆われていた。ところがその「空気」はどうかという点においては今よりずっと「健康」だったと言えるかもしれない。雰囲気の読み合いは自由だったからである。目に見えていた。
「それはあたかも、彼らがこの身振りによって、磁気を帯びた極を持つ自然の円環のなかに入ることを示そうとしているかのようであった」(アルトー『タラウマラ・P.105』河出文庫)
自然はもはやなくなろうとしていた。土地の地図化は急速に進捗していたし明治の近代日本は測量器としての国家的機能を淡々とこなしていた。もっとも、当時の「淡々と」というのは「殴る蹴る殺す」という目に見える暴力とともに、であるが。問題なのは何度も言うように、日本はもとより世界中がもはや目に見えない管理社会に突入したことだ。ニーチェは何度も繰り返し読むに耐えうるものを古典として奨めているが、今や作者周辺の現状に取材してあるいは想を得て巧みに描かれた純文学系新人賞作品でさえ仕事の合間にゆっくり目を通して三、四日持てばたいしたものだというような社会になってすでに久しい。二度とない。ポーが“nevermore”(二度とない)と看破したのはいつのことだったろうか。百七十年以上経つわけだが。ペヨトルを取り上げられたタラウマラは徐々にキリスト教との折衷を果たしていく。見た目には様々な宗教者同士がやり遂げたかのように見える。しかし実際にものを言ったのはいつものように資本主義の持つ鉄の意志でありその柔軟性である。一方、タラウマラの儀式(シグリ)は年中行事としてなお存続した。ペヨトルなしで。どうしたかというとかつてタラウマラ族が実際にペヨトル抽出物を用いて演じていた身振り仕ぐさのシミュラクル(模倣、見せかけ)によってである。自分たちで自分たちの過去の遺産を反復する。今度は薬物なしで。トランス状態に至るダンスの重要性。或る種の「狂気」に没入して再び帰ってくること。アルトーはそこに自分が求めていた「獣性」と「快癒」と「脱有機体」という行為の紛れもない一致を見出す。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
BGM1
BGM2
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「それらの行は粗雑に見え、音の出る、どぎつい色で描かれているように見えるのだった。それは踊り子の顔の上に置かれた赤い手、緑の顔、青い瞼といったところだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.324」河出文庫)
いったん落ち着く必要がある。煽れば煽るほど読者が悦ぶという社会の中では特に。だから当時のフランスの一般大衆のあいだでは、マスコミ社会面の目に見える暴力的文体が、目に見えない社会的文法の基準になっていた。人々は、そして陪審員も、慣習化していたその種の感覚の桎梏(しっこく)のもとで容疑者に裁きを与えていた。マスコミ社会面という暴力装置から次々と繰り出される往復ビンタにも似た快感に翻弄され身を任せるほかないエルネスティーヌ。しかし読まずにいられないのも確かだ。前回引用したようにジュネは「三面記事」が与える効果を「強姦」と述べた。たいへん巧みなアナロジー(類似、類推)だといえる。だからといってエルネスティーヌが実際の「強姦」に飢えているわけではない。そういう意味ではなく、そもそも人間には暴力に「飢える力」というものが備わっていて、彼女はこの種の「飢える力」という欲望に忠実だったわけである。ところがマスコミ用語はあまりにもしばしばエルネスティーヌを鞭打った。
「津波が消えると、彼女はラジオ欄の楽曲のすべてのタイトルを読んでいたが、音楽の旋律が自分の部屋に流れ込むことをけっして黙認しなかっただろう、それほど最も軽薄なメロディーはポエジーを蝕むのである。こんな風に新聞は人を不安にさせるものだった、あたかもそれが、拷問用の柱のように血まみれで、手足をもがれた柱(コロンヌ)、三面記事の欄(コロンヌ)だけで満たされていたかのように」(ジュネ「花のノートルダム・P.324」河出文庫)
ジュネが述べているように「軽薄なメロディーはポエジーを蝕む」。なるほどそうであり疑問の余地はないのだが時系列的転倒を修正しておく必要性がある。「原因と結果の取り違え」を置き換えて読み直さなければならない。人間は自分固有の「ポエジーが蝕まれた」と気づいた瞬間、慌ててその原因を追求しに掛かり、それは「軽薄なメロディー」あるいは「メロディーの極端な軽薄さ」に違いないと事後的に認識するしか方法を知らない。是非なくあらかじめ人間の身体はそうなっているのであって、その不可避的事情を認識した上で始めて「軽薄なメロディーはポエジーを蝕む」と言うことが可能になる。可能になるやいなや人間は頑固一徹にそう思い込む。ゆえに軽薄なのは人間自身である。軽薄さと頑固さとが合体するとちょっとした僅かな差異を見出してどんどん差別へ置き換えていく。人間はその瞬間「けち臭く」なると同時により一層人間的になる。この「けち臭さ」とともに人間社会は成立し発展してきたという隠すにも隠せない歴史を作ってきた。たとえば商品の《価値》ではなく商品の《価格》について。
「《けち》。ーーー買物のとき品物が安いとわれわれのけち振りは増して来る。ーーーなぜか?小さな値段の差が、たった今けちの小さな眼を《こしらえた》からであろうか?」(ニーチェ「曙光・三〇五・P.303」ちくま学芸文庫)
価格については表示された瞬間からそう言える。だが価値については貨幣による商品交換が行われた瞬間から、信用が貫かれた瞬間から、あくまで事後的にしか研究できない。しかし大抵の場合、それでもなお「原因と結果の取り違え」は起こりうる。
「そしてわれわれが明日読むことになる裁判には、新聞はとてもつつましく十行しか与えておらず、それらの行は充分間隔があけられていて、あまりに暴力的すぎる言葉の間に空気を循環させることができるのに、これらの十行、ーーー絞首刑に処せられた者のズボンの前あきよりも、『麻のネクタイ』という言葉よりも、『陽気な人たち』という言葉よりも催眠術にかかったーーーこれらの十行は嫉妬深い老女と子供たちのすべての心臓をどきどきさせたのである。パリは眠らなかった。明日、ノートルダムが死刑を宣告されることをエルネスティーヌは期待していた」(ジュネ「花のノートルダム・P.324~325」河出文庫)
裁判過程については述べることができない。死刑に処されるのは有名なのだが裁判所でのやりとりは古典であるにもかかわらず今なお「ねたばらし」になってしまうからだ。ジュネは詩(ポエジー)を知っている。作品「花のノートルダム」はデビュー作ということもあってかわざわざクライマックスが設けられている。ジュネにとってこのクライマックスはユーモアや逆説や皮肉がたっぷり詰め込まれた詩(ポエジー)になっているため、さらに好き嫌いとか、あるいは古典嫌いの人々は知らないかもしれないし知っている必要性もない。しかし裁判所でのやりとりがクライマックスとして置かれた小説の場合、その「ねたばらし」は避けるほかない。となると、後は最後の一回でほぼ済んでしまうだろうとおもわれる。以上、長々と述べてきたが、それにしてもなおリハビリは続けていかなければならない。しかし次はどの本を手に取るか自分でもわかっていない。まるで白紙なのだ。
ーーーーー
さて、アルトー。特異な衣装の装着とその意義については前回述べた。自分で自分自身の身体を通常の生活での社会的位置から脱することである。
「私はとりわけペヨトルの司祭たちが、本来的に雄と雌であるこの儀式を行なう瞬間に、ヨーロッパ風の帽子を地面に投げすて、二つの突起を持つ鉢巻をつけるのを見た」(アルトー『タラウマラ・P.105』河出文庫)
年中行事へ封じ込められてはいるが、そのぶん充実した節目として作用する変容の経験である。目指されているのは共同体の一人一人がそれぞれ確かな「人間」として承認されることであり、そのために必要な手続きとして《獣性》の再確認が年に一度用意されているのだ。
「性愛とは数かぎりない性を産み出すことであり、そのような性はいずれも制御不可能な生成変化となる。《性愛は、男性をとらえる女性への生成変化と、人間一般をとらえる動物への生成変化を経由する》。つまり微粒子の放出である。だからといって獣性の体験が必要なわけではない。性愛に獣性の体験が顔を出すことは否定できないし、精神医学の逸話にも、この点でなかなか興味深い証言が数多く含まれている。だがそれは極度の単純さから、いずれも婉曲で、愚かしいものになりさがっている。絵葉書の老紳士のように犬の『ふりをする』ことが求められているのではない。動物と交わることが求められているわけでもない。動物への生成変化を性格づけるのは何よりもまず異種の力能だ。なぜなら、動物への生成変化は、模倣や照応の対象となる動物にその現実性を見出すのではなく、みずからの内部には、つまり突如われわれをとらえ、われわれに<なること>をうながすものに現実性を見出していくからである。動物への生成変化の現実性は、《近傍の状態》や《識別不可能性》に求められる。それが動物から引き出すものは、馴化や利用や模倣をはるかに超えた、いわくいいがたい共通性だ。つまり『野獣』である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.247~288」河出文庫)
かつてマルクスは「自然力としての労働力」といった。
「《自然》もまた労働と同じ程度に、諸使用価値の源泉である(じっさい、物象的な富はかかる諸使用価値からなりたっているではないか!)。そしてその労働はそれじたい、ひとつの自然力すなわち人間的な労働力の発現にすぎない」(マルクス「ゴータ綱領批判・P.25」岩波文庫)
アルトーはけっして政治運動家ではない。にもかかわらず共に設立した仲間たち、特にブルトンを筆頭としたシュルレアリズム運動から急速に離れていく。詩と演劇にのめり込んで行ったきり戻ってこなかった。その意味で仲間たちとの往復書簡は終生続いた一方、やっていることはだんだん異なっていった。ロートレアモンもそうなのだが、「シュルレアリズム運動」として一括りにしてしまうとわからなくなるのである。アルトーにしてもロートレアモンにしても「シュルレアリズム運動」の参加者として考えるやいなや異端者に見える。というのは言語は常に一般的なものしか出現させることはできないからだ。その証拠に「シュルレアリズム運動」という一般的な用語が発されるやいなやアプリオリででもあるかのように一挙に一括りに縛り付けてしまう暴力的拘束力を発揮する。言葉は諸力の運動から細部を切断して削ぎ落とし固定化し一般化することでコミュニケーションを可能にする必要物なのだが、ニーチェのいうようにそれは「粗雑な必要物」であって、けっして事実を現わすことはできない。事実というのは常に多様なものの流動性としてしか存在しないからである。だからマルクスのいう「自然力としての労働力」もアルトーのいう「自然の円環」としての「身振り」も現行犯で捉えることは不可能なのだ。それは個々別々な現実として生きられるほかない。その意味でマルクスの誠実さは小林秀雄を恐怖させた。必要労働と剰余労働との境界線について、それは「隠されている」、従って「わからない部分はわからない部分として残されたまま残っている」ということをマルクス自身が書いているからだ。小林秀雄自身、必死になって何度も繰り返しマルクスを読み込んだ。すると数年も経たないうちにただ単なるマルクス「主義者」よりも遥かにマルクスの理解者と化していたという笑えない笑い話が現実化するという事態が生じた。戦前の近代日本はその「拷問監禁リンチ見せしめ社会」という面ではなるほど今よりとことん無慈悲残酷な「地獄よりも地獄的」社会だったことは確かだ。日常の至るところから残忍さが自分の姿を捉えておりいつも官憲の暴力に覆われていた。ところがその「空気」はどうかという点においては今よりずっと「健康」だったと言えるかもしれない。雰囲気の読み合いは自由だったからである。目に見えていた。
「それはあたかも、彼らがこの身振りによって、磁気を帯びた極を持つ自然の円環のなかに入ることを示そうとしているかのようであった」(アルトー『タラウマラ・P.105』河出文庫)
自然はもはやなくなろうとしていた。土地の地図化は急速に進捗していたし明治の近代日本は測量器としての国家的機能を淡々とこなしていた。もっとも、当時の「淡々と」というのは「殴る蹴る殺す」という目に見える暴力とともに、であるが。問題なのは何度も言うように、日本はもとより世界中がもはや目に見えない管理社会に突入したことだ。ニーチェは何度も繰り返し読むに耐えうるものを古典として奨めているが、今や作者周辺の現状に取材してあるいは想を得て巧みに描かれた純文学系新人賞作品でさえ仕事の合間にゆっくり目を通して三、四日持てばたいしたものだというような社会になってすでに久しい。二度とない。ポーが“nevermore”(二度とない)と看破したのはいつのことだったろうか。百七十年以上経つわけだが。ペヨトルを取り上げられたタラウマラは徐々にキリスト教との折衷を果たしていく。見た目には様々な宗教者同士がやり遂げたかのように見える。しかし実際にものを言ったのはいつものように資本主義の持つ鉄の意志でありその柔軟性である。一方、タラウマラの儀式(シグリ)は年中行事としてなお存続した。ペヨトルなしで。どうしたかというとかつてタラウマラ族が実際にペヨトル抽出物を用いて演じていた身振り仕ぐさのシミュラクル(模倣、見せかけ)によってである。自分たちで自分たちの過去の遺産を反復する。今度は薬物なしで。トランス状態に至るダンスの重要性。或る種の「狂気」に没入して再び帰ってくること。アルトーはそこに自分が求めていた「獣性」と「快癒」と「脱有機体」という行為の紛れもない一致を見出す。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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