白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー147

2020年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム
獄中のミニョンは相変わらずいつも何らかの身振り仕ぐさを反復している。ミニョンに限ったことではない。人間はいつも何らかの身振り仕ぐさを知らず知らずのうちに演じてしまっているのであり、それは絶えず自分とは別の何かを模倣することにほかならず自分とは別の何かになることでもある。けれどもミニョンはそのような事情にはまるで無頓着だ。ジュネの説明が挿入される。

「夜、彼は散乱した煙草を拾い上げて、それを吸う。足を広げて、仰向けにベッドの上に横たわって、右手で、煙草の灰を落とす。左腕を頭の下にやる。それは幸福の瞬間であり、彼のポーズによって、最も深くそれであるところのものである能力、そしてあのなくてはならないものが彼の真の生によってそこに蘇らせる能力でできている」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

ミニョンが獄中で「鎖」に固定されても死んでしまわないのはなぜか。「彼の感嘆の的である人物の身振りを自在に引き受けることによって」あるいは「自分で自在にそれを創造することによって」、である。たとえばミニョンがマスコミや大衆雑誌の中で伝説化され伝えられている歴史的犯罪者の身振り仕ぐさへの憧れから、知らず知らず彼らの個々の身振り仕ぐさだけでなく物腰全体を模倣しているとしよう。そのときミニョンは獄中の奥底へ閉鎖されギロチンのもとで死んでいった歴史的犯罪者の心情をも模倣してしまっているのであり、心情の模倣は歴史的犯罪者への懐かしい郷愁(ノスタルジー)をミニョンに賦与する。ミニョンは二重化される。するとどういうわけでか耐えられない境遇に置かれているにもかかわらずその同じ境遇に耐えられるという事態が起こってくる。ジュネが利用するのは想像性ならびに創造性が出現させるこの種の力なのだ。

「ミニョンはけっして苦しまないだろう、あるいはこの同じ状況のなかにいる彼の感嘆の的である人物の身振りを自在に引き受けることによって、そして本や奇談が彼にそれを提供しないなら、自分で自在にそれを創造することによって、いつも苦境を切り抜けることができるだろう」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

ところで身振り仕ぐさのアナロジー(類似、類推)によって人間は始めて人間になる。なるほど人間は生まれてくるとき人間の胎内から生まれてくるのであらかじめ人間として生まれてくるかのように見えはする。だがそれは見た目にそう見えるというに過ぎない。もっとも、生まれてくるのはなるほど人間であるには違いない。だが人間として承認されるには一定の手続きがいる。生まれたばかりの乳幼児はそうすることで始めて人間化され人間として生まれてきたことを知り、人間という名の身体に閉じ込められたことに気づく。その過程は極めて弁証法的だ。ラカンから順次列挙する。

「鏡像段階というのは、精神分析がこの用語にあたえる全き意味で《同一化のひとつとして》理解するだけで十分です。すなわち、主体が或る像〔を自分のものとして〕引き受ける時みずからに生ずる変形ということで、ーーーそれがこの時相の作用として予定されていることは、精神分析における《イマーゴ》という古い用語の慣用によって十分に示されています。

この、自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供が、自分の鏡像をこおどりしながらそれとして引き受けるということは、《わたし》というものが原初的な形態へと急転換していくあの象徴的母体を範例的な状況のなかで明らかにするようにみえるのですが、その後になって初めて《わたし》は他者との同一化の弁証法のなかで自分を客観化したり、言語活動が《わたし》にその主体的機能を普遍性のなかでとりもどさせたりします」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126』弘文堂)

「重要な点は、この形態が《自我》という審級を、社会的に決定される以前から、単なる個人にとってはいつまでも還元できないような虚像の系列のなかへ位置づけるということであり、ーーーあるいはむしろそれは、主体が《わたし》として自分自身の現実との不調和を解消しなければならないための弁証法的総合がうまく成功していようとも、主体の生成に漸近的にしか合致しないのです」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126~127』弘文堂)

「じじつ、《イマーゴ》についていえば、そのヴェールに覆われた顔がわれわれの日常経験や象徴的有効性の半影のなかで輪郭をあらわすのを見てとるというのはわれわれの特権ですし、ーーー個人的特徴であれさらには弱点とか対象的投影であれ、要するに《自己身体のイマーゴ》が幻覚や夢のなかで呈する鏡像的配置をわれわれが信用している以上、あるいは、鏡という装置の役割を心的現実、しかも異質なそれの現われる《分身》の出現に認めている以上、鏡像は可視的世界への戸口であるようにみえます」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.127』弘文堂)

「鏡像段階の明らかにする空間的な騙取のなかに、人間の自然的現実が有機体として不十分であることの結果を認めさせますーーー。

けれども自然とのこうした関係は人間では生体内部の或る種の裂開によって、つまり生まれてから数ヶ月の違和感の徴候と共働運動の不能があわらにする<原初的不調和>によって変化させられます。

《鏡像段階》はその内的進行が不十分さから先取りへと急転するドラマなのですがーーーこのドラマは空間的同一化の罠にとらえられた主体にとってはさまざまの幻像を道具立てに使い、これら幻像はばらばらに寸断された身体像から整形外科的とでも呼びたいその全体性の形態へとつぎつぎに現われ、ーーーそしてついに自己疎外する同一性という鎧をつけるにいたり、これは精神発達の全体に硬直した構造を押しつけることになります」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.128~129』弘文堂)

この過程はマルクスによれば次のように述べられる。

「価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる(見ようによっては人間も商品と同じことである。人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、またペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的な肉体のままで、人間という種属の現象形態として認められるのである)。商品Aが、価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.102」国民文庫)

そして最先端科学の現場は何をやっているかというと、十九世紀から二十世紀前半にかけて発表されたこれらの事情を二〇二〇年の今頃になってようやく正当性のあるものとして証明しつつあるのである。ところで、一概に想像性とか創造性とか言ってみても、なるほど言葉は同じでも、その効果はミニョンとジュネとでは違っている。ジュネは自分とミニョンとの違いを述べにかかる。

「だから彼の欲望(だが彼がそれに気づいたのはあまりにも遅すぎた、そのとき彼は一歩も引けなくなっていた)は、密輸業者や、王や、曲芸師や、探検家や、奴隷商人でありたいという欲望ではなく、密輸業者のひとり、王のひとり、曲芸師のひとり、等々、すなわちーーーのようでありたいという欲望だった」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

次の文章はジュネの場合。

「最も惨めな境遇にあっても、それが彼の神々(そして、もし彼らがそうではなかったなら、そうであるようにミニョンは彼らに強制しただろう)のうちの誰かの境遇でもあったことをミニョンは思い出すことができるだろうし、彼のものである境遇は、我慢のできるどころの話ではないというまさにそのことによって、聖なるものとなるだろう」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

作品の早い時点で述べられているように、そもそも花のノートルダムは「ピロルジュに対するジュネの愛から生まれた」ことを思い出そう。

「こんな風に私は、ヴァイドマンや、ピロルジュや、ソクレイというあれらの男たちを、彼ら自身でありたいという欲望から再創造する私に似ているのだが、これらの登場人物への彼の忠実さゆえに、まさに私とは似ても似つかぬものなのだ、というのも私はずっと前から私自身であることを甘受しているからである」(ジュネ「花のノートルダム・P.307~308」河出文庫)

ジュネは「再創造する」。しかしそれはジュネがそうするように再創造《される》のであって、実際のヴァイドマン、ピロルジュ、ソクレイではない。反対にミニョンはまったく彼ら「《のようで》ありたい」という願望の忠実さによって、忠実さゆえにかえってただ単なる模倣でしかなくなる。ジュネのいう想像性あるいは創造性はむしろヴァイドマン、ピロルジュ、ソクレイらの身振り仕ぐさを反復することで、より一層完成されたヴァイドマン、ピロルジュ、ソクレイに《なる》想像性あるいは創造性であり、それは一瞬の閃光として達成される。ジュネ自身は世間から否定され世間を否定した襤褸(ぼろ)切れに過ぎない。その同じジュネはヨーロッパ全土に散乱する否定にまみれた数々の襤褸(ぼろ)切れをやさしく蒐集し言語化し思いのままパッチワークを施し肯定することで彼らを神話的次元へと再創造する。実際に彼らがどのように振る舞ったかという詳細までは知るよしもない。だがその危険な冒険に満ちていたであろう彼らの身振り仕ぐさは伝説化され大衆雑誌で何度も繰り返し反復され市民社会から恐れられ畏怖されていることでかえって彼らに《なる》ことは容易なのだ。そこで伝説から離れて距離を取り、わかりもしない忠実さを奇妙に真似ようとしてみても逆にその忠実さが乗り越えられない壁となってしまい、ミニョンをただ単なる一人の「けちな」囚人でしかないという現実へと送り返してしまう。
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さて、アルトー。欧米文化とタラウマラ族との対立へのこだわり。対立するようになったのはいつ頃のことだろうか。むしろアルトー自身、両者の違いにこだわるあまり、対立構造を強化する方向を取っていはしないだろうか。しかし差し当たりアルトーは東西文化の差異を対立という形式に還元した。アルトーが言いたいのは欧米文化だけが絶対的に正当性のある文化なのではなくタラウマラという文化もまた存在するという主張の開示ではない。とはいえ、両者は仲良く融和するべきだという安易な妥協による折衷主義を取っているわけではなおさらない。そうではなく、次元はもはや異なっており、アルトーはすでにペヨトルとして述べているのである。

「タラウマラ族とともに、われわれはまったく時代を超越した、この時代に対する挑戦である世界の中へ入っていく。しかし私は、これはこの時代にとっては不都合でも、タラウマラにとってなんら不都合ではないとあえていおう」(アルトー『タラウマラ・P.103』河出文庫)

文化人類学の普及によってタラウマラ族だけでなく世界中から少数民族に関する大量の資料が収集された。しかしデリダが述べたようにそれらはどれもヨーロッパ中心主義的見地から見られ計測されたものに過ぎないことは自明である。だから文化人類学もまた欧米中心主義に加担した罪禍を持つ。と言ってはみても、そのことでタラウマラにおけるペヨトルについて何がわかるわけでもない。植物を摂取することで、タラウマラ族の儀式における慣習ではペヨトル摂取によって、タラウマラの伝統はいったい何を保存しようとしたのか。何を保存しないよう心がけたのか。アルトーはそれを見ようとしている。逆に安易に欧米とアジア、欧米と中南米、欧米とアフリカ、といった対立を立ててみる行為はなおのこと東西対立あるいは南北対立の構造を延長させ欧米中心主義をさらに徹底化させてしまうことに気づいていない欧米文化の傲慢さの現われでしかない。何にでも「対立を見てしまう習慣」と言ってニーチェは欧米文化をからかっているが。

「《さまざまな対立を見る習慣》。ーーーふつうの不精確な観察は、対立が存在するのではなくて程度の差があるにすぎない自然の至るところに対立(例えば『温暖と寒冷』といった)を見る。この悪習は更にわれわれを誘いこんで、こんどは内的自然、つまり精神的、道徳的世界をもこうした対立にしたがって理解し、分析させるに至った。こうして、段階的推移のかわりに対立を見ると思いこむことによって、言い知れぬ多くの苦悩、傲慢、苛酷、疎隔、冷却が人間の感情のなかに入りこんできたのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・六七・P.325」ちくま学芸文庫)

ほとんど死滅した「言葉を使うなら」と断った上でアルトーは述べる。

「今日まったく廃れてしまった言葉を使うなら、タラウマラ族は自分のことを、ある原理-種族と呼び、そう感じ、そう信じているし、またそれをあらゆる仕方で証明してもいる」(アルトー『タラウマラ・P.103』河出文庫)

試しにニーチェから二箇所引いてみる。第一に。

「ローマ人やエトルリア人は、天空を、固定した数学的な線で以て切断し、このような具合に限界づけられた空間を神殿と見立てて、その中へ神を封じ込めたのだが、それと同じように、すべての民族は、このように数学的に分割された概念の天空を、自分の上にもっているのであって、今や真理の要求ということを、あらゆる概念の神は《その》領域のうちにのみ求められるものだというふうに、理解しているのである」(ニーチェ「哲学者の書・P.356~357」ちくま学芸文庫)

第二に。

「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63」ちくま学芸文庫)

両者を重ね合わせると古代諸民族の世界観が見えてこないだろうか。「タラウマラ族は自分のことを、ある原理-種族と呼び、そう感じ、そう信じているし、またそれをあらゆる仕方で証明してもいる」というアルトーの文章は、十九世紀後半にニーチェが言っていたことを、二十世紀半ばになってようやくメキシコ山岳地帯の一部をてくてく歩いて立証する試みであったと言える。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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