少年時代に苦労すればするほどその後の人生は豊かなものになるとはまったく限らない。豊かさとは何か。個々人によって考え方は異なる。だから豊かさということをどう考えるかも異なってくる、という安易な理屈だからではけっしてない。多くは一人一人がどのようにして自分で豊かさとは何であり何でないかを発見していく終わりなき作業に費やされて死を迎えるのが常だ。なぜなら、豊かさの基準というものは《ない》からである。逆に《ある》と思えるのは或るとき、或る瞬間にかぎり、不意に安堵の思いが身体のどこかをかすめて過ぎるやいなや生じてすぐに消えるそのとき《のみ》の錯覚に過ぎない。多大な苦労にまみれた少年時代をもった人々はほんのちょっとした安堵の瞬間を感じるやいなや、その瞬間、豊かな収穫、豊漁を実際に手に入れたかのように錯覚する。僅か数秒ほどもない錯覚によって自分は自分自身の人生のどこかで豊かな経験を得ることができたと思えるとしたらその人間は豊かさの意味をわざと「取り違える」ことで自分で自分自身を自己瞞着して見せたに過ぎない。少年時代に苦労を知らないまま上層階級や中産階級の相続人となった人々はそれを見てただただほくそ笑んでいるのであり、なぜ大いなる健康な笑いでなくほくそ笑みでしかないのかという理由は、それを表に出しているところを目撃され殺害されることを巧みに避けているに過ぎない。ところがキュラフロワの場合、例外的に誠実な後半生を送ることができた。というのは、汚辱にまみれた人生を能動的に引き受けたからである。するとたちまちそれは詩に変わる。苦労はこの「能動的転回」にある。それはコペルニクス転回という意味での転回であって、打ち続く苦労がそれを可能にしたわけではまったくない。ときおり例外的に生じる事例、言い換えれば通例からの逸脱による例外、というより遥かに特異的というべき次元において生じるコペルニクス的転回が生じたからである。だから少年時代の苦労が大人になって大きな肥料になったという意味では全然ない。キュラフロワのような転回はほとんど多くの場合、誰もが避けたがる次元において生じた宗教用語でいう「奇蹟」のようなものだ。
「キュラフロワは悲惨な運命をもったし、そのせいで彼の人生はあれらの秘密の行為によって構成されたのだが、それらの行為はそれぞれが本質におけるひとつの詩なのである、ちょうどバリ島の踊り子の指の微妙な動きが世界を揺り動かすことのできるひとつの記号であるように、なぜならその記号は、その多くの意味が明かし得ないものであるひとつの世界から生じているから」(ジュネ「花のノートルダム・P.346~347」河出文庫)
したがってジュネの小説は所詮「オナニスト」のマスターベーションに過ぎないと一蹴されてしまうのが常なのだ。日常生活を詩に変えて食べていくことはできない。それこそ幻想でしかない。作品前半で少しばかり記述されているようにディヴィーヌ(彼女)になってからも周囲から浴びせかけられる誹謗中傷や揶揄に対して男性特有の野太い声に帰り、それこそジュネたちの世界ではどこでも見られる「どす」の効いたごろつき特有の態度で自分が何者であるかを見せつけて周囲を震え上がらせてやることも可能だった。しかしディヴィーヌは何度も繰り返しそれをこらえてきた。キュラフロワ(彼)は二十年をかけてこの試練を自分に課すことでようやくディヴィーヌ(彼女)として変身することができたのであって、もし途中でごろつき特有のこわもてな面貌を表面化させていたとしたらキュラフロワは遂にディヴィーヌとしてパリの街路に登場し有名な同性愛者として君臨することはできなかったに違いない。タイトルはなるほど「花のノートルダム」であるけれども内実は「ディヴィーヌ記」である。本文中には何度か「ディヴィーヌ記」と題された数行が差し挟まれて出てくる。ゆえに、すべてはジュネの創作であり、ディヴィーヌは、したがってそもそもキュラフロワという少年は実は一度も存在したことがない。キュラフロワ(彼)とはジュネ自身の想像力に満ちた少年時代の別名であり同時にディヴィーヌ(彼女)はジュネ自身が大人になって梃子(てこ)でも動かぬ「泥棒、裏切り者、性倒錯者」へと華麗な変身を果たした後に創作された、もしかしたらあったかもしれないし、また実際そのように振舞うことが少なくなかったジュネの分身の記録である。だからこそ汚辱と悲惨とで矛盾だらけの前半生について、たまたま持ち合わせることになった言語的怪物的想像力あるいは創造力によるコペルニクス的転回を自分自身の日常生活において実現させ、稀に見る瞠目すべき詩(ポエジー)へと変貌させ、ただ単なる詩文ではない《生きられた》詩(ポエジー)へと転倒させることができた。その意味ではなるほど二十年のどん底生活は無駄ではなかったと言える。しかし払った代償に見合うような後半生であったとは決して言えない。釣り合っていないしそもそも釣り合わない。にもかかわらずその後半生が正当性を帯びてそびえ立つことができるのはそのような打ち続いた汚辱的否定的人生がジュネによって注意深く慎重この上なく用いられる言語の巧妙精緻を極めた倒錯的活用によって丸ごと肯定された瞬間においてのみである。
「キュラフロワはディヴィーヌになった。したがって彼は、もっぱら彼のためだけに書かれた、その鍵をもたない者には誰であれ難解なひとつの詩だった」(ジュネ「花のノートルダム・P.347」河出文庫)
そこで始めて花のノートルダムという登場人物がなぜ必要とされたのかも理解できる。キュラフロワ(彼)をディヴィーヌ(彼女)でありたいと決定づけるには是非とも最高に美しい年少の殺人者が必要だったし、ともすればついついキュラフロワ(彼)時代の怪物的幻想世界へ舞い戻ってしまっていたずらに時間を無駄にしてしまうことがしばしばだったディヴィーヌにとってノートルダムはディヴィーヌをいつもディヴィーヌたらしめておくための舞台装置として不可欠な殺人者、血も涙も持ち合わせない本物の若年殺人者として用意されたのである。
「葬儀」における《女中》ジュリエット。「ブレストの乱暴者」における《淫売屋の女将》リジアーヌ。「花のノートルダム」における《男性同性愛者の女方》ディヴィーヌ。そして「泥棒日記」における作者であり同時に《泥棒、裏切り者、性倒錯者》として書くジュネ。これら《異形者》の不意打ちによって始めてジュネの諸作品は総括される余地を与えられ、彼らによってのみ総括は果たされる。彼らはニーチェのいう《距離の感じ》を無意識の裡に受け持たされている。しかし彼らにそれを受け持たせるのは作者ではない。作者ジュネが社会の中で置かれた位置から見るかぎりで、無意識の裡に彼ら《異形者》がいつも《距離の感じ》とともに取らざるを得ない社会的布置によって総括はようやく可能になるのである。ニーチェはいう。
「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八〇・P.451」ちくま学芸文庫)
マルクス=エンゲルスもまた同じことを語っている。
「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)
ジュネ作品の総括部分、とりわけ「花のノートルダム」では総括というより「総括《者》」が問題になると述べておいたのはそういう意味だ。ところでついでながら、これらのことは二〇二〇年前半期を通過中の日本にも当てはまるに違いない、と言っておくのは必ずしも無駄ではないだろう。
ーーーーー
さて、アルトー。翻訳で「鉢巻」と訳されているのは正しい。だが「髪型」として考えたほうが理解しやすくまた一九九〇年代以降の世界では加速的に共通性を帯びてきた事情によってあえて「髪型」として述べてきた。一方でネット社会実現、他方で年中行事という形式へ封じ込まれ形骸化した古代儀式のシミュラクル(模倣、見せかけ)として考えるしかもはや方法を失った現代社会の場合には特に。次の報告は民族創世神話の例に漏れない。結局のところカオスから生じたとしか言えないのだが、カオスから生じたということは言えるからである。
「タラウマラの種族が、あるときは白あるときは赤の鉢巻をするのは、二つの対立する力の二重性を肯定するためではない、それはむしろタラウマラの種族の《内部には》自然の<雄>と<雌>が同時に存在し、彼らはこれらの合体した力から恩恵を得ているということを示している」(アルトー『タラウマラ・P.109~110』河出文庫)
アルトーのいう「自然の<雄>と<雌>が同時に存在し」、という記述。自然界の受精とは違い、人間の場合はやや事情が異なる。ただ単なる男女の性行為ではないのだ。人間の男女の性行為が言いたいのならその前に人間の目で観察済みの「蘭と雀蜂と」が果たす花粉の受精という目に見える事実だけでこと足りる。むしろそちらの側が神秘的にさえ思える。だがなぜ人間の場合は異なった記述を欲するようになったのだろうか。必要性に迫られ、いまこのときも常に迫られていなくてはならなくなったのだろうか。動植物と人間とは違うからというイデオロギーが先にあったわけではないのである。そうではなくて、どういうことかというと、ドゥルーズとガタリがスピノザにならって述べたように人間の場合、問題は「緯度と経度」になるほかないからである。人間は<ものそのもの>を認識することはできない。古代人もまたそうだった。常に流動している諸力の運動を現行犯で捕らえることはできない。古代人はそんなこともわからないほど鈍感だったと考えるとすれば現代人の側こそさらに鈍感だというほかない。むしろ古代人はいつ何が自分たちの共同体を襲来するかわからないという不安感情を抱え持っており、共同体内部には絶えず緊張感がみなぎっていた。現代の数学とは異なった測量器で絶え間なく世界の事情を測量し注視しているのが常態だった。その反復性がいつも同じかどうかが問題だった。ところが近代社会の到来は事態を劇的に変えた。タラウマラ族が近代へ編入される以前は次のように言える。
「結局彼らはみずからの頭でみずからの哲学を支えており、この哲学は二つの相反する力の作用を、ほとんど神格化された均衡において結合している」(アルトー『タラウマラ・P.110』河出文庫)
しかし「結合」は解かれた。資本主義がやって来た。かび臭い「宗教」教義では途端にやっていけなくなった。古い宗教教義は「一即多」=「多即一」で済んだ。なにごとであれ年々歳々増大減少するものは予想の範囲内で増大減少していた。その意味ではなるほど安定していたと言える。ところが資本主義化されるやいなや世界各地の村落共同体は急速に「一即多」=「多即一」の原理は考古学博物館入りを余儀なくされた。「一と多」という対立をまったく越え出て脱コード化する世界が出現したからである。何が起こったか。
「問題は一と多ではない。一と多の対立をまったく超えてしまう融合状態の多様体こそが問題なのだ。実体的属性の形相的な多様性は、このようなものとして実体の存在論的な統一を達成する。同一の実体のもとにあるあらゆる属性の、またはあらゆる種類の強度の連続体。そして同一タイプまたは同一の属性のもとにある、一定種類の強度の連続体。あらゆる実体の、強度における連続体、さらにあらゆる強度の、実体における連続体。器官なき身体の、中断のない連続体。器官なき身体、内在性、内在的な極限。麻薬中毒者、マゾヒスト、分裂病者、恋人たちなど、すべての器官なき身体はスピノザをたたえる」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.316」河出文庫)
この中でアルトーのいう「器官なき身体」についてはこれまで何度も触れてきたし前回もだめ押しのように触れておいたのでもはや説明の必要もないだろう。問題は、ドゥルーズとガタリが述べたように近代資本主義が「ロシア革命」を「消化する」ことができたのは何によってかが東西冷戦の崩壊と同時にすっかり忘れ去られてしまったことにある。近代資本主義は旧ソ連との長い対抗のあいだに学んだ。それが公理系である。ところが冷戦崩壊とともに公理系まで放棄してしまうという横着をやらかした。資本主義がやらかしたのではけっしてない。資本主義の上に立つことができたと錯覚した馬鹿丸出しの資本家という人間である。資本家の苦しみは自業自得である。幼稚な想像力を制御することができず無制限に意識を拡張した夢見心地の資本家は、自分で自分自身のことを資本のただ単なる人格化に過ぎないということをすっかり忘れ去ってしまった。そのとき資本主義は神格化完了していたがゆえに鬼と化すこともまた可能であり実際鬼あるいは悪魔と化した。結局、神と悪魔あるいは鬼は同じものを別々の立場から見た歴史的制度の一つに過ぎない。すかさず変化して見えるというだけのことだ。陰翳豊かであるとも言える。それはそれとして資本主義は、人間などという横着な隷属者の側から馬鹿にされたことを本当に忘れたりするだろうか。今なお、むしろ日増しに、鬼の形相で自己破壊を加速化させていくばかりである。資本主義が「ロシア革命」を「消化する」ことができたのは創成期の資本主義が持ち合わせていなかった社会的医療福祉部門を資本主義自身が引き受けることによってだった。もう何度も言ってきたけれども、肝心の資本主義大手メーカーからしてやる気がないのなら言っていても仕方がない。しかしそのたびにドゥルーズとガタリによる「アンチ・オイディプス」はまたしても蘇ってくるほかないのである。一九八〇年代には学生時代のうちにとっとと消化しておくべき必須の書だった。今や日本では文庫化(河出文庫)もされているので是非なく、もっと速く、もっと高速で、繰り返し読み直さなくてはいけない。とはいえ読み直すには三種の神器ともいうべきマルクス、ニーチェ、フロイト理解が最低限必要なのだが素早い生徒らは中学高校生のうちにすでに繰り返し読み終えている。少なくとも平均的高校生レベルの読解力があれば簡単な作業だ。時間はかかるがそれでも夏休みが一回あれば終えることができる程度。ところが日本という村社会では、ネット社会にもかかわらず、依然として就職への過程があれこれとわざわざ捏造され詰め込まれていて最低限度の教養習得の妨害になっている。周囲の状況が許さないという事情を日本政府自身が政財官界を上げて作り上げてしまった。百年もかかってようやく「消化する」ことに成功した「ロシア革命」だったにもかかわらず、実態はただ単に「消化しました」という小学生の作文レベルでしかなかったのであり、その成果はすでにトイレですべて脱糞して流してしまいましたという事実が今になって丸裸にされている始末なのだ。日本には今なお形を変えた切腹の伝統がありありと残っているのである。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「キュラフロワは悲惨な運命をもったし、そのせいで彼の人生はあれらの秘密の行為によって構成されたのだが、それらの行為はそれぞれが本質におけるひとつの詩なのである、ちょうどバリ島の踊り子の指の微妙な動きが世界を揺り動かすことのできるひとつの記号であるように、なぜならその記号は、その多くの意味が明かし得ないものであるひとつの世界から生じているから」(ジュネ「花のノートルダム・P.346~347」河出文庫)
したがってジュネの小説は所詮「オナニスト」のマスターベーションに過ぎないと一蹴されてしまうのが常なのだ。日常生活を詩に変えて食べていくことはできない。それこそ幻想でしかない。作品前半で少しばかり記述されているようにディヴィーヌ(彼女)になってからも周囲から浴びせかけられる誹謗中傷や揶揄に対して男性特有の野太い声に帰り、それこそジュネたちの世界ではどこでも見られる「どす」の効いたごろつき特有の態度で自分が何者であるかを見せつけて周囲を震え上がらせてやることも可能だった。しかしディヴィーヌは何度も繰り返しそれをこらえてきた。キュラフロワ(彼)は二十年をかけてこの試練を自分に課すことでようやくディヴィーヌ(彼女)として変身することができたのであって、もし途中でごろつき特有のこわもてな面貌を表面化させていたとしたらキュラフロワは遂にディヴィーヌとしてパリの街路に登場し有名な同性愛者として君臨することはできなかったに違いない。タイトルはなるほど「花のノートルダム」であるけれども内実は「ディヴィーヌ記」である。本文中には何度か「ディヴィーヌ記」と題された数行が差し挟まれて出てくる。ゆえに、すべてはジュネの創作であり、ディヴィーヌは、したがってそもそもキュラフロワという少年は実は一度も存在したことがない。キュラフロワ(彼)とはジュネ自身の想像力に満ちた少年時代の別名であり同時にディヴィーヌ(彼女)はジュネ自身が大人になって梃子(てこ)でも動かぬ「泥棒、裏切り者、性倒錯者」へと華麗な変身を果たした後に創作された、もしかしたらあったかもしれないし、また実際そのように振舞うことが少なくなかったジュネの分身の記録である。だからこそ汚辱と悲惨とで矛盾だらけの前半生について、たまたま持ち合わせることになった言語的怪物的想像力あるいは創造力によるコペルニクス的転回を自分自身の日常生活において実現させ、稀に見る瞠目すべき詩(ポエジー)へと変貌させ、ただ単なる詩文ではない《生きられた》詩(ポエジー)へと転倒させることができた。その意味ではなるほど二十年のどん底生活は無駄ではなかったと言える。しかし払った代償に見合うような後半生であったとは決して言えない。釣り合っていないしそもそも釣り合わない。にもかかわらずその後半生が正当性を帯びてそびえ立つことができるのはそのような打ち続いた汚辱的否定的人生がジュネによって注意深く慎重この上なく用いられる言語の巧妙精緻を極めた倒錯的活用によって丸ごと肯定された瞬間においてのみである。
「キュラフロワはディヴィーヌになった。したがって彼は、もっぱら彼のためだけに書かれた、その鍵をもたない者には誰であれ難解なひとつの詩だった」(ジュネ「花のノートルダム・P.347」河出文庫)
そこで始めて花のノートルダムという登場人物がなぜ必要とされたのかも理解できる。キュラフロワ(彼)をディヴィーヌ(彼女)でありたいと決定づけるには是非とも最高に美しい年少の殺人者が必要だったし、ともすればついついキュラフロワ(彼)時代の怪物的幻想世界へ舞い戻ってしまっていたずらに時間を無駄にしてしまうことがしばしばだったディヴィーヌにとってノートルダムはディヴィーヌをいつもディヴィーヌたらしめておくための舞台装置として不可欠な殺人者、血も涙も持ち合わせない本物の若年殺人者として用意されたのである。
「葬儀」における《女中》ジュリエット。「ブレストの乱暴者」における《淫売屋の女将》リジアーヌ。「花のノートルダム」における《男性同性愛者の女方》ディヴィーヌ。そして「泥棒日記」における作者であり同時に《泥棒、裏切り者、性倒錯者》として書くジュネ。これら《異形者》の不意打ちによって始めてジュネの諸作品は総括される余地を与えられ、彼らによってのみ総括は果たされる。彼らはニーチェのいう《距離の感じ》を無意識の裡に受け持たされている。しかし彼らにそれを受け持たせるのは作者ではない。作者ジュネが社会の中で置かれた位置から見るかぎりで、無意識の裡に彼ら《異形者》がいつも《距離の感じ》とともに取らざるを得ない社会的布置によって総括はようやく可能になるのである。ニーチェはいう。
「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八〇・P.451」ちくま学芸文庫)
マルクス=エンゲルスもまた同じことを語っている。
「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)
ジュネ作品の総括部分、とりわけ「花のノートルダム」では総括というより「総括《者》」が問題になると述べておいたのはそういう意味だ。ところでついでながら、これらのことは二〇二〇年前半期を通過中の日本にも当てはまるに違いない、と言っておくのは必ずしも無駄ではないだろう。
ーーーーー
さて、アルトー。翻訳で「鉢巻」と訳されているのは正しい。だが「髪型」として考えたほうが理解しやすくまた一九九〇年代以降の世界では加速的に共通性を帯びてきた事情によってあえて「髪型」として述べてきた。一方でネット社会実現、他方で年中行事という形式へ封じ込まれ形骸化した古代儀式のシミュラクル(模倣、見せかけ)として考えるしかもはや方法を失った現代社会の場合には特に。次の報告は民族創世神話の例に漏れない。結局のところカオスから生じたとしか言えないのだが、カオスから生じたということは言えるからである。
「タラウマラの種族が、あるときは白あるときは赤の鉢巻をするのは、二つの対立する力の二重性を肯定するためではない、それはむしろタラウマラの種族の《内部には》自然の<雄>と<雌>が同時に存在し、彼らはこれらの合体した力から恩恵を得ているということを示している」(アルトー『タラウマラ・P.109~110』河出文庫)
アルトーのいう「自然の<雄>と<雌>が同時に存在し」、という記述。自然界の受精とは違い、人間の場合はやや事情が異なる。ただ単なる男女の性行為ではないのだ。人間の男女の性行為が言いたいのならその前に人間の目で観察済みの「蘭と雀蜂と」が果たす花粉の受精という目に見える事実だけでこと足りる。むしろそちらの側が神秘的にさえ思える。だがなぜ人間の場合は異なった記述を欲するようになったのだろうか。必要性に迫られ、いまこのときも常に迫られていなくてはならなくなったのだろうか。動植物と人間とは違うからというイデオロギーが先にあったわけではないのである。そうではなくて、どういうことかというと、ドゥルーズとガタリがスピノザにならって述べたように人間の場合、問題は「緯度と経度」になるほかないからである。人間は<ものそのもの>を認識することはできない。古代人もまたそうだった。常に流動している諸力の運動を現行犯で捕らえることはできない。古代人はそんなこともわからないほど鈍感だったと考えるとすれば現代人の側こそさらに鈍感だというほかない。むしろ古代人はいつ何が自分たちの共同体を襲来するかわからないという不安感情を抱え持っており、共同体内部には絶えず緊張感がみなぎっていた。現代の数学とは異なった測量器で絶え間なく世界の事情を測量し注視しているのが常態だった。その反復性がいつも同じかどうかが問題だった。ところが近代社会の到来は事態を劇的に変えた。タラウマラ族が近代へ編入される以前は次のように言える。
「結局彼らはみずからの頭でみずからの哲学を支えており、この哲学は二つの相反する力の作用を、ほとんど神格化された均衡において結合している」(アルトー『タラウマラ・P.110』河出文庫)
しかし「結合」は解かれた。資本主義がやって来た。かび臭い「宗教」教義では途端にやっていけなくなった。古い宗教教義は「一即多」=「多即一」で済んだ。なにごとであれ年々歳々増大減少するものは予想の範囲内で増大減少していた。その意味ではなるほど安定していたと言える。ところが資本主義化されるやいなや世界各地の村落共同体は急速に「一即多」=「多即一」の原理は考古学博物館入りを余儀なくされた。「一と多」という対立をまったく越え出て脱コード化する世界が出現したからである。何が起こったか。
「問題は一と多ではない。一と多の対立をまったく超えてしまう融合状態の多様体こそが問題なのだ。実体的属性の形相的な多様性は、このようなものとして実体の存在論的な統一を達成する。同一の実体のもとにあるあらゆる属性の、またはあらゆる種類の強度の連続体。そして同一タイプまたは同一の属性のもとにある、一定種類の強度の連続体。あらゆる実体の、強度における連続体、さらにあらゆる強度の、実体における連続体。器官なき身体の、中断のない連続体。器官なき身体、内在性、内在的な極限。麻薬中毒者、マゾヒスト、分裂病者、恋人たちなど、すべての器官なき身体はスピノザをたたえる」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.316」河出文庫)
この中でアルトーのいう「器官なき身体」についてはこれまで何度も触れてきたし前回もだめ押しのように触れておいたのでもはや説明の必要もないだろう。問題は、ドゥルーズとガタリが述べたように近代資本主義が「ロシア革命」を「消化する」ことができたのは何によってかが東西冷戦の崩壊と同時にすっかり忘れ去られてしまったことにある。近代資本主義は旧ソ連との長い対抗のあいだに学んだ。それが公理系である。ところが冷戦崩壊とともに公理系まで放棄してしまうという横着をやらかした。資本主義がやらかしたのではけっしてない。資本主義の上に立つことができたと錯覚した馬鹿丸出しの資本家という人間である。資本家の苦しみは自業自得である。幼稚な想像力を制御することができず無制限に意識を拡張した夢見心地の資本家は、自分で自分自身のことを資本のただ単なる人格化に過ぎないということをすっかり忘れ去ってしまった。そのとき資本主義は神格化完了していたがゆえに鬼と化すこともまた可能であり実際鬼あるいは悪魔と化した。結局、神と悪魔あるいは鬼は同じものを別々の立場から見た歴史的制度の一つに過ぎない。すかさず変化して見えるというだけのことだ。陰翳豊かであるとも言える。それはそれとして資本主義は、人間などという横着な隷属者の側から馬鹿にされたことを本当に忘れたりするだろうか。今なお、むしろ日増しに、鬼の形相で自己破壊を加速化させていくばかりである。資本主義が「ロシア革命」を「消化する」ことができたのは創成期の資本主義が持ち合わせていなかった社会的医療福祉部門を資本主義自身が引き受けることによってだった。もう何度も言ってきたけれども、肝心の資本主義大手メーカーからしてやる気がないのなら言っていても仕方がない。しかしそのたびにドゥルーズとガタリによる「アンチ・オイディプス」はまたしても蘇ってくるほかないのである。一九八〇年代には学生時代のうちにとっとと消化しておくべき必須の書だった。今や日本では文庫化(河出文庫)もされているので是非なく、もっと速く、もっと高速で、繰り返し読み直さなくてはいけない。とはいえ読み直すには三種の神器ともいうべきマルクス、ニーチェ、フロイト理解が最低限必要なのだが素早い生徒らは中学高校生のうちにすでに繰り返し読み終えている。少なくとも平均的高校生レベルの読解力があれば簡単な作業だ。時間はかかるがそれでも夏休みが一回あれば終えることができる程度。ところが日本という村社会では、ネット社会にもかかわらず、依然として就職への過程があれこれとわざわざ捏造され詰め込まれていて最低限度の教養習得の妨害になっている。周囲の状況が許さないという事情を日本政府自身が政財官界を上げて作り上げてしまった。百年もかかってようやく「消化する」ことに成功した「ロシア革命」だったにもかかわらず、実態はただ単に「消化しました」という小学生の作文レベルでしかなかったのであり、その成果はすでにトイレですべて脱糞して流してしまいましたという事実が今になって丸裸にされている始末なのだ。日本には今なお形を変えた切腹の伝統がありありと残っているのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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