白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて99

2022年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

昨日の夕食前、少し歩いてきました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.11.21)

 

もうすぐ陽が落ちます。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.11.21)

 

二〇二二年十一月二十一日撮影。

 

今朝です。

 

「名称:琵琶湖”」(2022.11.22)

 

「名称:“鴨”」(2022.11.22)

 

「名称:“桜”」(2022.11.22)

 

「名称:“ミシガン”」(2022.11.22)

 

「名称:“紅葉”」(2022.11.22)

 

二〇二二年十一月二十二日撮影。

 

参考になれば幸いです。

 


Blog21・最初のバルベック滞在と二度目のバルベック滞在との間の<間歇性>としてのアルベルチーヌ

2022年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

最初のバルベック滞在。二度目のバルベック滞在。両者を比較して始めて思い知らされることになり、もはや否認不可能となっている余りにも相異なる違い(差異)についてプルーストは語る。最初と二度目。そして当然その「あいだ」が存在している。ではその間、アルベルチーヌは<どのような仕方で>出現したか。「かくも相異なるバルベックのふたつの情景のあいだには、パリにおける数年間が介在し、その歳月にはアルベルチーヌの度重なる訪問が点在していた」。

 

「かくも相異なるバルベックのふたつの情景のあいだには、パリにおける数年間が介在し、その歳月にはアルベルチーヌの度重なる訪問が点在していた」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.148」岩波文庫 二〇一六年)

 

とあるように<間歇的な仕方>で「点在していた」という点に注目しよう。「ソドムとゴモラ」篇の途中でプルーストが何の兆候も見せず引き裂くように割り込ませている長い一章。<私>の祖母の死。しかし<私>にとって祖母の死とは<本当は>何だったか。その意味が突然<私>に襲いかかり<私>がそれを受け止めることができたのはもっと後、二度目のバルベック滞在時のことだった。最初のバルベック滞在時、<私>が靴を脱ごうと身をかがめた時の思い出。祖母の思い出はその身振り(私が靴を脱ごうと身をかがめた姿勢)と重なり合っている。二度目のバルベック滞在時に<私>が見せた身振りが、祖母の死について、「死後の生存と虚無とが交錯するかくも不思議な矛盾」としての「祖母の死」を見出させるに至った。それは或る時始めて、新しく発見されなくてはいつまで経ってもわかりようのないものだ。

 

「だが私は、あの祖母の顔のひきつりや心の苦しみをもはやけっしてぬぐい去ることはできないだろう、いや、ぬぐい去ることができないのは、むしろ私の心の苦しみなのだ。というのも故人はもはやわれわれの内部にしか存在しないので、われわれが故人に食らわせた打撃をあくまでも想い出そうとすると、自分自身をたえず打ちのめす結果になるからである。この苦痛がどれほど過酷であろうと。私はそれに全力でしがみついた。この苦痛こそ、祖母の想い出から出たものであり、その想い出がまぎれもなく私のうちに現存する証拠だと感じられたからである。私が祖母を本当に想い出すことができるのは、ひとえに苦痛を通じてであると悟り、そうであれば祖母の記憶を私のうちにつなぎとめている苦痛の釘がもっと私のなかに食いこめばいいとさえ思った。私は、その苦痛をことさら優しいものにしようとも、その苦痛を美化しようとも思わなかった。遠く離れていてもその人なりの個性を失わず、こちらを憶えていて解消できぬ仲むつまじい関係にある人にたいしてするように、祖母の写真(サン=ルーが撮ってくれた私が肌身離さず持っていた写真)にことばをかけたり祈ったりして、祖母はただ不在なだけで一時的にすがたが見えないのだと想いこもうともしなかった。私がいっさいそうしなかったのは、ただ苦しみたいと願ったわけではなく、意識せぬままいきなりわが身に受けた苦痛の独自性をあるがままに尊重したいと願ったからであり、死後の生存と虚無とが交錯するかくも不思議な矛盾が私のうちにあらわれるたびに、その苦痛の特有の掟にしたがい、その苦痛をつねに甘受しつづけようと願ったからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.357~358」岩波文庫 二〇一五年)

 

祖母の思い出はその身振り(私が靴を脱ごうと身をかがめた姿勢)と間違いなく重なり合っている。にもかかわらず両者はけっして切り離せないわけではない。分かちがたく重なり合っているという形式を取っていない。むしろプルーストがその一章をいきなり割り込ませて見せたように<私>はその箇所だけを、その場に限り予告なしに取り出してきたのであって、一つの記憶というものは逆に無数の記憶の諸系列の接続なしには成立しないというわけである。プルーストが用いている「間歇的」とはそういうことだ。

 

間歇的であることを条件として<私>とアルベルチーヌとの関係を次のように語ることができる。「もろもろの時期にアルベルチーヌが私との関係でさまざまに異なる位置を占めている」点。さらに「干渉作用をおこした多様な空間の美しさ、つまりアルベルチーヌに会わずにいたすぎ去りし長い時間が感じられる」点。

 

「わが生涯のもろもろの時期にアルベルチーヌが私との関係でさまざまに異なる位置を占めているのを想いうかべると、干渉作用をおこした多様な空間の美しさ、つまりアルベルチーヌに会わずにいたすぎ去りし長い時間が感じられる」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.148」岩波文庫 二〇一六年)

 

難解に思えるのは「干渉作用をおこした多様な空間の美しさ」とある中の「多様な空間の美しさ」ではなくて、「多様な空間の美しさ」は「干渉作用」なしにあり得ないということでなくてはならない。「干渉作用」を言い換えれば「化学反応・化学合成」とでも置き換えられるだろう。水素(H)と酸素(O)との化学合成から始めて水(H2O)が生じるのであり、それなしにはどんな水(H2O)も生じてこないように。<私>とアルベルチーヌとの恋愛関係において次々と変容する「多様な空間の美しさ」は両者の相異なる平面が常に「化学反応・化学合成」していて始めて出現可能だとプルーストはいうのである。ここではそれこそがプルースト独自の発見なのだ。