白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて74

2022年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

雨。でも烏の啼き声が聞こえてきます。

 

「名称:“山並み”」(2022.11.1)

「行く我にとどまる汝(なれ)に秋二つ」(正岡子規)

 

「名称:“ナンテン”」(2022.11.1)

「稲妻(いなづま)や思ふもいふもまぎるるも」(其角)

 

またもや軒下に戻ってきた蛙。寒くないのでしょうか。

 

「名称:“アマガエル”」(2022.11.1)

「ゆふさりてランプともせばひと時は心静(こころしず)まりて何もせず居り」(斎藤茂吉)

 

先日いつもと違う散歩コースを歩いていたら近くの川の周囲にも新しい住宅地ができていました。

 

「名称:“東南寺川(とうなんじがわ)”」(2022.10.31)

「なきがらや秋風かよふ鼻の穴」(飯田蛇笏)

 

付近の旧地名「廓ノ坊(ろうのぼう)」。坂本城があった頃の付属施設の跡地ではと言われています。

 

「名称:“廓ノ坊(ろうのぼう)2号橋(にごうきょう)プレート”」(2022.10.31)

「古暦(ふるごよみ)水はくらきを流れけり」(久保田万太郎)

 

「名称:“廓ノ坊(ろうのぼう)児童遊園地”」(2022.10.31)

「何の木と見えて雨ふる今宵哉」(鬼貫)

 

また「浄戒口」(じょうかいぐち)という旧地名があります。坂本城があった頃。城の施設とその外との境界線が引かれていたので「浄戒口」=「城界口」と呼ばれたのではという説が郷土史資料からうかがえます。

 

「名称:“浄戒口橋(じょうかいぐちばし)プレート”」(2022.10.31)

「丘うねり暮れ靡(なび)くかな夕焼の雲の下には街(まち)の灯(ひ)見ゆれ」(島木赤彦)

 

川はさらに琵琶湖へ向かって下っていきます。

 

「名称:“東南寺川(とうなんじがわ)”」(2022.10.31)

「舟炙(あぶ)るとま屋(や)の秋の夕(ゆうべ)哉」(嵐雪)

 

二〇二二年十月三十一日~十一月一日撮影。

 

参考になれば幸いです。

 


Blog21・遮断不可能な<未知なる断片>とアルベルチーヌ

2022年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

少し後で「嫉妬を鎮める二種類の奇癖」という言葉が出てくる。そして<私>はその両方ともを持ち合わせている、とプルーストはいう。長々しい説明が続くわけだが、二種類というのは(1)<完璧な監視>による対象の捕獲がもたらす沈静化と、(2)まるで<未知なものは全然知ることができない>という状況の中へわざと身を置く<無知>による沈静化との二つである。まず<完璧な監視>に必要な理路整然たる論理性について。

 

「ところが人間の生涯にも諸民族の生涯にも(ということは私の生涯にもいつの日か)自分のうちに警視総監、炯眼(けいがん)の外交官、警察庁長官を必要とする時期がやって来るもので、これらの人たちは、東西南北に広がる空間に潜んでいる可能性をあれやこれやと想いえがくのではなく、正しく推論して、こう考える。『ドイツがそう公言するのは、それとはべつのこれこれをやりたいからだ。漠然としたべつのことではなく、明確にこれこれをやりたいからで、それはすでに始まっているかもしれない』。『あの人間が逃げだした先は、<a>でも<b>でも<d>でもなく、<c>であって、それゆえわれわれが探索しなければならない地点は、云々』」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.52~53」岩波文庫 二〇一六年)

 

だが差し当たり<私>はそのような論理的推理には自信がないと認めざるを得ない。というのは「私は自分の代わりに他の人たちが監視役を引き受けてくれるので安心していられる状態に慣れてしまい、その手の能力を麻痺させ、衰退させ、消滅させてしまった」からである。怠惰な常識の中で安穏としているうちに本来的な<感性>を失いかけてしまっていた。

 

「残念ながらこの種の能力は、私のなかでさほど発達していないうえ、私は自分の代わりに他の人たちが監視役を引き受けてくれるので安心していられる状態に慣れてしまい、その手の能力を麻痺させ、衰退させ、消滅させてしまった」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.53」岩波文庫 二〇一六年)

 

また、アルベルチーヌの監視役としてアンドレが<私>の機能を代行できるのは、アンドレと<私>との置き換えがいつでも可能になっているからでなくてはならない。しかしこの場合、前提としてアンドレにせよ<私>にせよ、両者とも同等のものへ加工・変造されていなくてはならない。この条件はどのようにして達成されたか。ニーチェから。

 

「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)

 

画家エルスチールや音楽家ヴァントゥイユが身につけていたのは、この「風習の道徳と社会の緊衣」から自分を解き放つ方法である。そうして始めてこれまで誰一人見えなかったし聴こえなかった未知のものを絵画あるいは音楽へ<翻訳>し可視化することが可能になる。それらは新しく<見出された>のである。

 

次に<私>は(2)の<無知>について語る。けれども「外部の生活を遮断しても、遺憾なことに内部の道からなんらかの事件がやって来る」のは避けがたい。「私がひとりで考えごとをしている最中にふと遭遇した偶然のせいで、ときには私に現実の小さな断片が提供されることがある」。<小さな断片>。ふとした拍子に垣間見た何らかの光景でいい。不意打ち的な思いつきでもいい。極めてありふれた<断片>であってもまるで構わない。問題なのは、取るに足らないような<小さな断片>が或る一つの記号として別の記号を呼び寄せ呼びあつめずにはおかないという現実である。すると「もうそれだけでその未知なるものが苦痛になるのだ」。

 

「現実とは、畢竟(ひっきょう)、未知なるものへの発端にすぎず、その未知なるものへ至る道をわれわれはさほど先まで進むことはできないのだ。いっそなにも知らず、できるだけ考えないようにして、いかに些細なことでも具体的事実を嫉妬に提供しないよう賢明なのである。とはいえ外部の生活を遮断しても、遺憾なことに内部の道からなんらかの事件がやって来ることもある。アルベルチーヌと散策をしなくても、私がひとりで考えごとをしている最中にふと遭遇した偶然のせいで、ときには私に現実の小さな断片が提供されることがある。そうした断片がまるで磁石のように少量の未知なるものを引き寄せると、もうそれだけでその未知なるものが苦痛になるのだ」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.53~54」岩波文庫 二〇一六年)

 

とはいえプルーストは複雑怪奇でへんてこなことを言っているわけではまるでない。むしろ逆に余りにもありふれたこと、それこそ人間社会の中で無数に見られ、あちこちにごろごろ転がっていて当り前すぎる事態が、なぜ「苦痛」であると同時にますます延々引き延ばされてばかりいくのか不可解なのでは、と問うているのである。