白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ139

2023年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月一日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝から母を救急外来に連れて行っている間、お利口にお留守番をしてくれていた今日のタマ。帰宅後たくさん遊んでやる。

 

病院帰り、ふと夕暮れ


Blog21・文藝春秋十月号「拉致問題奪還交渉」の逆説

2023年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

まとめて読もうと思っていた記事に今日急いで目を通した。

 

(1)飯島勲「横田めぐみさん奪還交渉記録」(『文藝春秋・2023・十月号・P.94~147』文藝春秋 二〇二三年)

 

(2)石井妙子「金正恩と女たち」(『文藝春秋・2023・十月号・P.148~162』文藝春秋 二〇二三年)

 

(3)赤坂太郎「改造人事の焦点は木原と幹事長」(『文藝春秋・2023・十月号・P.202~206』文藝春秋 二〇二三年)

 

(4)加賀まりこ「私は義侠心で生きてきた」(『文藝春秋・2023・十月号・P.236~247』文藝春秋 二〇二三年)

 

(1)飯島勲の文章を見てから現在進行形の(3)赤坂太郎の文章に目を通すと現岸田政権の対北朝鮮政策はこれまでの経過を何もかも台無しにしてしまっていくようで情けない思いを禁じ得ない。だからといって飯島勲による対北交渉を実現させた小泉純一郎と安倍晋三とがどちらも正解だったとは必ずしも思えない。売名行為と時間稼ぎ感はどこまでも拭えないという意味で。また交渉内容について相手側の態度が「肯定」と「否定」との逆説的な一致を示すというヘーゲル弁証法以来の原則を抜きにしたところで行われていた点が気になった。

 

(2)石井妙子「金正恩と女たち」はテレビのワイドショー的ないわゆる「女遊び・色好み」的なアプローチとはまるで異なり、むしろ金正恩の場合、他の独裁者と比較して「女たち」へのこだわりに独特のずれが見られるのかに触れている点で新しく見えた。

 

(3)赤坂太郎「改造人事の焦点は木原と幹事長」。木原の幹事長起用について周辺問題として公安警察との親密な関係が取り沙汰されているが、木原があらゆるプレスからの圧力を押し切って来たるべき第二次世界大戦集結百周年を前にわんさと湧き起こってくる予測不可能の戦後賠償問題に対応できうる人材かどうかはわざとやらせてみれば途方もなく面白いスペクタクルになるかもしれない。日本の公安は同盟諸国の公安の団結力とは違いがある。日本以外の公安ならびに諜報活動員の中には戦時中に諜報活動員を務めていた人々の意思を継いで日本以外の自国の諜報活動員として沈黙のうちに動いているわけであり、なかには戦時中に日本軍と日本の諜報活動員に拷問・抹殺された人々の後継者がいる。表向きはなるほど日韓米軍事同盟という形態がありはする。としても日本だけが知らず知らず浮いて見えるというに近い事情がたびたび浮き彫りになるのは周知の事実。そこで木原のような安易に公安とつるんで何かただならぬ事態に手を染めたというようなことがもし事実なら、このまま知らぬ顔で出世させておき木原一人スケープゴートに仕立て上げ、他国の諜報活動従事者の獲物にしてやると同時に今の古い公安幹部を一掃し、誰が何をやったかわからないまま新しい自民党へ刷新してしまうのもまた手だろうとは思う。

 

(4)加賀まりこ「私は義侠心で生きてきた」。まあなんと懐かしい名だろう。佐藤満雄✕山岡強一「山谷」、京都・崇仁地区、「泥の河」、ジャン=リュック・ゴダール、「釜ヶ崎極道」。特に佐藤満雄✕山岡強一「山谷」にはある思い入れがある。映画監督が対立する暴力団に射殺された頃のことでともかくそのような事態が日本で起きていることを少しでも多くの人々に知ってもらいたいと大阪の釜ヶ崎や大学内で上映支援をやっていた。ところが先日のブログで述べたように大学の上級生たち数人が手前勝手に支援方針を押し付けてくるので対立した。他勢に無勢でそれ以後釜ヶ崎から離れた。ちなみのこの上級生たち数人はいきなり下級生たちに全責任を押し付けて卒業と同時に大企業に就職。彼らは学内の密室で女子学生連続強姦を繰り返しており、表向きの労働者支援と密室内でやっている性暴力と卒業後の進路とがまるで矛盾だらけの大馬鹿たちだった。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて563

2023年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は男前豆腐店「濃厚ケンちゃん」。1パックの二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日朝から尿の色が濃い。午後から発熱。六年ほど前に手術した腎臓結石の跡の痛みが再出現。これから休日診療へ。

 

今朝の音楽はマイルス・デイビス「AIREGIN」。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・崩落する「美貌」の置き換え

2023年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

何一つ手間をかけずに「美貌」を享受していた多くの婦人たち。しかし時間の作用は惜しみなく奪う。「名」が同一であるということだけが過去の一時期に限りその婦人もまた「美貌」を享受しえた一人であったことの証拠となりはするものの、しかし「名」が同一であるということが今やかえってまるで異なる別人へ変貌したということを容赦なくあばき立てる。化粧しなければ時間はその変貌をありのまま日の光のもとへ引きずり出し、化粧したらしたですればするほど時間はそれが剥がれ落ちる瞬間の驚きを虎視眈々と準備する。社交界は不意打ちに満ちている。それはさておき別の方法を思いついた婦人たちもいた。「美貌」が一つの身振りだとするならば、何一つせずいたずらに手をこまねいて死を待つよりも、「失われた声量を朗唱法で補おうとする役者のように、さまざまな表情に活路を見出」すという別の身振りによる置き換えという方法である。

 

「しかしほとんどすべての婦人は、年齢との闘いに休むことなく努力を傾け、美貌の最後の光をなんとしてもわが身にとどめるべく、夕日のように遠ざかる美貌のほうへ、鏡のように自分の顔を向けていた。何人かの婦人は、首尾よくそうするために、消えかけたえくぼの魅力や無効宣言を受けてほとんどお役御免となったお茶目な笑みなどはあきらめ、顔を平らにして白い表面を広げようとしていたが、その一方、べつの婦人たちは、美貌が決定的に消滅したことを悟り、あたかも失われた声量を朗唱法で補おうとする役者のように、さまざまな表情に活路を見出さざるをえず、不満げに口をとがらせたり、目尻に小じわを寄せたり、まなざしをうつろにしたり、ときには、言うことを聞かなくなった筋肉の失調のせいで泣いたように見える微笑みにすがるのだった」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.79」岩波文庫 二〇一九年)

 

それは例えば「不満げに口をとがらせたり、目尻に小じわを寄せたり、まなざしをうつろにしたり、ときには、言うことを聞かなくなった筋肉の失調のせいで泣いたように見える微笑みにすがる」など、多様なメニューに彩られている。ただ単なる「美貌」の上にあぐらをかいてばかりいることがもはや不可能となった時、そのとき始めて、数え切れぬほどたくさんの身振り(仕草・言葉遣い・振る舞い)がすぐそばにあらかじめ用意されていたことに気づくとともに、失われた身振り(美貌)を別の身振り(さまざまな表情・演出)で置き換えることができる可能性を知ることになる。