白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ141

2023年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月三日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

カロリーメイトの内袋はプラスチックだがカサコソ音がして光の反射も銀紙のように見えるのかとてもお気に入り。嬉々としてドリブルして遊ぶ。しかし一度水洗いしただけでは甘い風味を落としきれないためアリが上がってくる恐れがあるのであえなく分別。今日はもうずいぶん秋の日和。ふらふらと窓辺に飛んできた虫をじっと眺めている。


Blog21・全体主義的性暴力依存とその反復

2023年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ケアの思想。という言葉は日本でも加速的に広がりつつあるものの内容について誰がどれほど知っているというのだろう。極めて疑問というほかない。ケアという言葉。なぜか今日の日本では言葉が内容を超えている。超え過ぎてしまうと何が起こるか。言葉が内容を覆い隠してしまい言葉の空転が始まる。

 

まだ治癒していないケースがある。数人のグループ単位で同様の症状を繰り返す難治例というべきだろうか。しかし典型例でもある。とりわけ日本では。典型例が難治例なのはどうしてか。具体例を上げてみよう。

 

一九八四年。大学入学の二年前。学生グループの一つで政治的には学内最大勢力だった赤軍派(大菩薩峠派)の残党系学生らが三里塚闘争に参加した最後の年。なぜ最後になったのか。現地では集会後に恒例のデモがあるわけだが、デモの最中、赤軍派系学生デモ隊と中核派系学生デモ隊とが接触。赤軍派系学生デモに突き飛ばされた形になった中核派系デモ隊の一人がデモの流れから孤立、すかさず間に入った警察に逮捕される事態が生じた。この接触が赤軍派系学生による意図的なものなのかそれとも偶然なのかははっきりしない。結果的に中核は赤軍に抗議。この集会を最後に赤軍派系学生は三里塚闘争から離脱した。しかし問題は中核派系デモ隊の一人を突き飛ばして逮捕させる形のデモを行った赤軍派系学生のデモ指揮者の行動様式。この学生はふだんから学内の密室で女子学生に対する性暴力を何度も繰り返していた。

 

一九八六年。大学入学。上級生ら複数の学生から二年前の出来事をつぶさに聞いた。そのなかで性暴力常習者であることも聞き及んだ。「やってしまえばいくらでもこちらの言いなりになる」という信念の持ち主だということも浮上してきた。京都大や大阪大など同じ学生有志の間でも問題にされてはいたが、その学生は獄中から出てきた赤軍派(大菩薩峠派)旗揚組らの信用が厚いためまともに取り上げられないという事情が分厚い壁になっていた。

 

さらにこれまで縷々述べてきたように、個人的にはデジタル化の流れの中で報道に重心を移動していく重要性を感じていたことと、何から何まで上級生の「言いなり」になる必要はないと思っていたこともあり、活動方針をめぐって赤軍派(大菩薩峠派)の残党系学生と対立。後継者になれという圧力を断った。すると彼らはこれまで取り組んできた障害者介護、釜ヶ崎日雇労働者支援、様々な差別問題その他すべての社会活動に関与することは一切許さないと通告してきた。そんな権限がどこにあるのだろうか。特に学外で暮らす地域の自立障害者介護というのはきっちり日程を組んでおくのはもとより介護者の側が忘れていたでは済まされない事故がしばしば起こる。なぜ一私学の学生グループの上級生数人の方針だけで地域で暮らす自立障害者の日常生活が脅かされなくてはならないのか。筋違いもはなはだしい。なので赤軍派(大菩薩峠派)の残党系学生の圧力・妨害は無視して障害者介護は大学を中退するまでずっと続けていた。

 

これまで通りの方針のもとで後継者にならなければ「バールで頭をぶち抜かれたやつがおる」とか「中核と革マルとの十年戦争知っとるやろ」とか「他党派や右翼暴力集団から死刑宣告されとるやつは一杯おるんやぞ」という言葉の圧力。しかし世間は広い。大阪市生野区や門真市の障害者(児)介護の世界だけでもものすごく広い。赤軍派(大菩薩峠派)の残党系学生だけで世の中回っているわけでは全然ない。しかしこれらの言葉の暴力をぶつけてきたのは一九八四年の三里塚闘争で中核派デモ隊と謎の接触を演じて結果的に中核派一名を逮捕へ追い込んだ性暴力常習学生ではない。八十四年の問題デモ指揮者はすでに大学を卒業している。これらの恫喝発言は八十七年末頃の出来事。卒業した性暴力常習学生の後を継いで赤軍派残党グループ組織部長になった学生。これまた密室内性暴力常習者。支援してくれる数少ない大学教授らの前でだけは「優等生」を気取るが大学関係者の見ていないところではやりたい放題。金遣いもたいへん荒い。今となってはわからないが使途不明金ならいくらでも出てくるようなありさまだった。

 

脅迫を受けたとはいっても障害者介護は続けていたのだが、ある日鬱状態に陥り留年しながら大学に通っていた。そのころ偶然、学部は異なるが同学年の女子学生の一人が担当する新聞づくりを手伝った。やり方一つ教わらないまま手をこまねいて右往左往しているのを見るに見かねて、取材、原稿書き、校正などほとんどすべて仕上げた。するとそれを見ていた赤軍派残党グループのうちの元女子学生が、新聞づくりを助けた女子学生を呼んで言った。「あの人と付き合っているとあなたの評価が下がる」。

 

こういうことだ。中核派系デモ隊の一人を突き飛ばして逮捕させる形のデモを行った赤軍派系学生のデモ指揮者は性暴力常習者でもある。その後継者もまた性暴力常習者になった。さらに上層部の出してくる運動方針を言われるがまま相続しないという理由でこちらを一方的に社会活動、障害者介護、労働運動支援の場から叩き出そうとした。後日談として、好き放題に叩き出していた連中はバブル崩壊と同時に自分達の職場で一斉解雇を始め、とうとう自分たちの側が追い出されるはめになった。

 

こうもいえる。問題は反復なのだと。

 

(1)中核派系デモ隊の一人を突き飛ばして逮捕させる形のデモを行った赤軍派系学生のデモ指揮者は性暴力常習者でもある。

 

(2)その後継者もまた性暴力常習者になった。さらに上層部の出してくる運動方針を言われるがまま相続しないという理由でこちらを一方的に社会活動、障害者介護、労働運動支援の場から叩き出していた。

 

(3)さらにその下の学年になると、自分たちの仲間内にいる学生が、一度自分たちの活動方針から離脱して別の活動を行なっている人間と友人になったり何らかの付き合いを持てばその時点で「評価が下がる」とするおおっぴらなソ連型スターリニズム。

 

現在少しずつクローズアップされつつあるケアの観点からいえば、「家庭内暴力」、「ネグレクト」、「性暴力依存・性暴力信仰」、「被害者の加害者化」、「PTSD患者の無限増殖」など、アメリカ精神医学会の基準に則っていえば、これらの病的症状は「家族問題」として反復されがちなケースだ。

 

なお、赤軍が中核を突き飛ばした形になった件について。中核派の側を支持するとかしないとかはまるで問題でない。個人的には今も昔もそもそも中核派とは関わりがない。かつて大阪市立大学エレベーター設置運動を展開したのはどの政治セクトにも所属しない障害者学生当事者とその支援者らであり、同時期の中核派はそれを一つも支援していない。

 

さらに問題は打ち重なっている。赤軍派(大菩薩峠派)が獄中にいる頃、逮捕をまぬがれた赤軍派の一部が「よど号ハイジャック事件」を起こした。公安は当然マークしていただろうし一九八四年三里塚で赤軍派残党学生が中核派デモ隊に横槍を入れた現場も直接間接を問わず見ていたはずである。だが逮捕されたのは中核派の側であり赤軍派(よど号ハイジャックグループ)には堂々と世界各国を渡り歩かせている。中核派系委員長だったKは獄中十六年。一方彼らのデモ隊に横槍を入れた赤軍派系デモ指揮者で性暴力常習学生は今や大阪で親から譲られた不動産業者を継いで悠々自適。なぜだろう。公安の体質についてはどうか。文春がすっぱ抜いた木原問題と公安との間に漂う性暴力の臭いたっぷりの不可解ぶり。断ち切れるものならできる限り速いうちに断ち切るのがいいとおもう。でなくては無関係の人々までどんどん巻き込まれていくのがもう眼に見えるようだ。

 

日本で難治例が典型例をも兼ねるケースがはなはだ多いのはどうしてか。ロシアを含めたアジアや南米のような旧植民地に多いのも特色。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて565

2023年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は男前豆腐店「濃厚ケンちゃん」。1パックの二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はタラのあんかけ。三切れほど。熱はとりあえず平熱に戻ったが食欲不振の改善は見られない。

 

今朝の音楽はマイルス・デイビス「DR.JEKYLL」。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・だれが語るのか?

2023年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ヴェルデュラン夫人はゲルマント大公と結婚し今やゲルマント大公妃となっていた。では「ゲルマント大公妃」という「称号あるいは名前」とは何なのか。語り手はこう述べる。

 

「かくして称号と名前とは同一であるから、なおもゲルマント大公妃なる人は現存するが、その人は私をあれほど魅了した人とはなんの関係もなく、いまや亡き人は、称号と名前を盗まれてもどうするすべもない死者であることは、私にとって、その城館をはじめエドヴィージュ大公女が所有していたものをことごとくほかの女が享受しているのを見ることと同じくらい辛いことだった。名前の継承は、すべての継承と同じで、またすべての所有権の簒奪と同じで、悲しいものである。かくしてつねに、つぎからつぎへと途絶えることなく新たなゲルマント大公妃が、いや、より正確に言えば、千年以上にわたり、その時代ごとに、つぎからつぎへと相異なる女性によって演じられるただひとりのゲルマント大公妃があらわれ、この大公妃は死を知らず、移り変わるもの、われわれの心を傷つけるものなどには関心を示さないだろう。同じひとつの名前が、つぎつぎと崩壊してゆく女たちを、大昔からつねに変わらぬ平静さで覆い尽くすからである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.98~99」岩波文庫 二〇一九年)

 

これまで何度か引用してきた。しかしこのパーティーで「ゲルマント大公妃」の位置を占めているのはほかならぬヴェルデュラン夫人だということについて述べるのはこれが最初だ。長々と振り返ってみて読者はどう思うだろうか。スワンが生きていた頃、まだまだ小さな新興資本家階級の一サロンの主催者に過ぎながったヴェルデュラン夫人が今や大貴族ゲルマントとトランス(横断的)縁組を果たした。新興資本家階級のサロンに出入りするコタールやフォルシュヴィルという滑稽千万な知識人を粘り強くサロンに招待することを欠かさずやれることはやってきた。少なくともヴェルデュラン夫人にはその自負がある。しかし今日のパーティーで夫人が手にしている地位はこれまでの夫人の絶えざる奮闘努力の積み重ねとは似て非なる事情から到来したものだ。「ゲルマント大公妃」の位置にヴェルデュラン夫人が収まっている時間。それはヴェルデュラン夫人の個人的な立ち振る舞いの質量に関係なく「ゲルマント大公妃」という名が呼び寄せ組み合わせた一時的なモザイクに過ぎない。

 

さらに「ゲルマント大公妃」というものが「名」でしかない以上、これほど心細いものもまたとないと言わねばならない。フーコーはいう。

 

「ニーチェにとって問題は、善と悪がそれじたい何であるかではなく、自身を指示するため《アガトス》、他者を指示するため《デイロス》と言うとき、だれが指示されているか、というよりはむしろ、《だれが語っているのか》、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説(ディスクール)を《する》者、より深い意味において、言葉(パロール)を《保持する》者のなかにおいてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーーー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。ーーーマラルメは、言説(ディスクール)がそれ自体で綴られていくような<書物>の純粋な儀式のなかに、執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、おのれ固有の言語(ランガージュ)から自分自身をたえず抹殺しつづけたのである」(フーコー「言葉と物・第九章・P.324~325」新潮社 一九七四年)

 

中上健次もまた次のようにいっている。

 

「確かに私は狭い町の路地を中心にした土建屋の関係の真中に位置し、ソレが、私に言葉では強い事を言ってもダダをこねてもみたくなるような権力の位置だという事も分かる。私が、物語を書こうとする者ではなく、身内の誰もがそうしたように土方になり、一本立して請負師になっていれば、賢く色におぼれる事なく酒に負けもしなければ一族を統合してそこいらの企業に負けぬくらいの組織をつくるに容易な位置にある。だがその幻想の権力は私にあるのではなく私の位置にあるだけだ」(中上健次「熊野集・妖霊星」『中上健次選集9・P.141』小学館文庫 二〇〇〇年)

 

モザイクは絶え間なく様相を変えていくだろう。