白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ166

2023年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月二十九日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

深夜に物音を立てていたのでまた色鉛筆を引っ張り出して遊んでいるのだろうと思い、早朝、回収しようと床を見渡す。

 

見つけた。

 

ところがそれは取り出せないようにあらかじめ八本ほど輪ゴムで縛って文房具箱に入れておいた色鉛筆のかたまり。口でくわえたのだろうか。前足でごそごそやりながら?もしかしたら歯を輪ゴムそのものに引っかければさほど力を使うことなく簡単に取り出せることに気づいたのかもしれない。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。PJハーヴェイ。キャリアも長くなってきたがそれよりPJハーヴェイの声がそもそもノン・ジャンルなものに思える。その1。

ちなみに三十年前はこんな感じ。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて591

2023年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は四国化工機「おいしいとうふ絹」。1パックの二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食は甘エビのお造り一個。味は決して口に合わないわけではないのだが量的に一個食べられればせいぜいといったところ。ホウレンソウの胡麻和え。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「ALICE IN WONDERLAND」。


Blog21・間違い方がフランソワーズ

2023年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

今や一流の作家の仲間入りを果たしているブロック。「私」とブロックの二人は長年にわたりお互いよく見知った間柄。「私」は「自分の文章の内容を前もってブロックに話してしまう」ことがよくある。

 

一方フランソワーズは「私」の仕事の理解者。それゆえブロックのことを心よく思っていない。「私」があまりに手のうちを明かしてしまうのを見るに見かねてこういう。「ああいう手合いは、旦那さまはご警戒が足りませんが、みな《ひょうさつ屋》ですよ」。

 

「フランソワーズが不平を言ったのは、私が自分の文章の内容を前もってブロックに話してしまうときだけで、そんなことをしたらブロックに出し抜かれるのではないかと心配して、こう言った、『ああいう手合いは、旦那さまはご警戒が足りませんが、みな《ひょうさつ屋》ですよ』」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.271」岩波文庫 二〇一九年)

 

フランソワーズが口にした「《ひょうさつ屋》」という言葉。「剽窃家」の言い間違い。気の効いた話だと思ったらすぐに盗用する癖があるので油断できない。

 

だが面白いのはいかにもブロックがやりそうな剽窃ではなくフランソワーズの用いた「《ひょうさつ屋》」という言い間違いにもかかわらず「私」にそれが「剽窃家」として間違いなく通じたのはなぜかということだろう。もし仮に「私」のこともブロックのこともほとんど知らない人々がその場に居合わせたとしても、フランソワーズの言い間違いは言い間違いにもかかわらず即座に訂正されて見ず知らずの人々にも十分通じたに違いない。

 

フランソワーズが盛んに用いている前後の身振り(言葉遣い・文脈・振る舞い)に則ることさえできれば、まるで初対面の人々であっても、言い間違いは妥当する適切な言葉へ間違いなく即座に変換される。フランソワーズの身振り(言葉遣い・文脈・振る舞い)にある法則を見出すことは案外簡単。フランソワーズはしばしばやらかす独特の言い間違いを通して一つの法則を生きているといえる。