「祖母の旧友」というのはヴィルパリジ夫人。「正午にカジノの庭園でじつに不愉快な目つきで私を見つめる紳士」はシャルリュス。二人ともゲルマント家と繋がりのある人物だとは夢にも思われなかった。また「知覚には現実と精神との完全な接触を妨げる縁飾りが存在することに気づいたように、われわれと他人とのあいだには偶発事という縁飾りが介在する」と注釈めいた括弧付きの文章はカントのいう「物自体」概念の言い換え。ヴィルパリジ夫人もシャルリュスもただ単なる通りすがりの人物で済ませてしまうことは十分できた。ヴィルパリジ夫人との出会いもシャルリュスとの出会いもいずれにしても最初は切断されており繋がり一つ持たなかった。それを「私」に向けて一挙に接続させたのはゲルマントという「名」であり、その裾野の広大さを知れば知るほどゲルマントという「名」が専制君主のように振る舞っていることに思い当たる。プルーストにすればそれが滑稽に見えた。
「私にとってきわめて大きな夢想の対象であったゲルマント家の人たちでさえ、私がまずそのメンバーに近づいたとき、ひとりは私の祖母の旧友、もうひとりは正午にカジノの庭園でじつに不愉快な目つきで私を見つめる紳士というすがたであらわれた(こんなことを言うのも、私がコンブレーでの読書中、知覚には現実と精神との完全な接触を妨げる縁飾りが存在することに気づいたように、われわれと他人とのあいだには偶発事という縁飾りが介在するからである)。それゆえ私にとっては、あとからその人たちをひとつの名前へ結びつけることによりようやくはじめて、その人たちと知り合ったことが、ゲルマント家の人たちと知り合ったことになったのである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.143~144」岩波文庫 二〇一九年)
ここで「あとからその人たちをひとつの名前へ結びつけることによりようやくはじめて、その人たちと知り合ったことが、ゲルマント家の人たちと知り合ったことになった」とある。それほどゲルマントの「名」は凄かったというわけでは全然ない。逆にプルーストはゲルマントの「名」がパリ社交界で専制君主のように取り扱われている滑稽さを暴露することに面白味を感じている。没落貴族の続出と新興資本家階級の台頭。没落貴族は新興資本家階級に「名」を売って生き延び、新興資本家階級は没落貴族の「名」を買って自分たちをブランド化する。
売りと買い。日本でも明治維新前後から盛んに行われたように、華々しい縁組によって差別的出自を抹消すると同時に差別的出自を抹消するために華々しい縁組の政財界への組み込みと再編がどんどん推し進められた。しかし縁組はただ単なる買収ではなく新しい血縁の創出を伴わない限りあっけなく崩壊してしまう危機に常に晒されていたため、この種の「売買」は女性を介した人身売買の大々的横行を公認することでますます加速した。ところがいったん独占資本が形成させると遅れてきた人々の縁組はすでに強大化されていた幾つかの財閥によって阻止されるようになる。しかも財閥に入った女性たちの何人かは自分の身が売りに出されたことに違和感を持つことにはなるほど自覚的だったといえるだろうけれども、その当事者女性たちが「遊郭で売春する哀れな貧乏人の娘さんたちを救ってあげましょう」と言い出して遊郭の女性たちに手を差し伸べる一方、遊郭で売春できるほど「容姿端麗」でない膨大な貧乏世帯出身女性たちが次々と劣悪な労働現場へ送り込まれるのを見て「自業自得、努力不足」だと決めつけるばかりの意味不明な「慈善事業」を世に振りまき自分で自分に酔っていたというあまりにお粗末な無自覚ぶりを呈してはばかるところを知らなかった。
小説家プルーストは例外かもしれない。としても読んでいないとは決して言えない戦後日本言論人の中には奇怪としか言いようのない小説家がわんさといる。女性史を無視して書きまくるような言論人は確かに減ってはきた。それでもなおその種の一方的フィクションが売れ続ける日本の風土まで消え去ったわけではさらさらない。ずいぶん根深い。まだまだ罪深い。このような風土を温存すればするほど今度は救われない被害女性が開き直って加害女性の側へどんどん加担していくという転倒が起こる。欧米ではとっくの昔に実証済みだ。それでもなお日本はなぜ人から学ぼうとしないのだろう。