元娼婦のラシェルは今や大女優として活躍している。付き合いの長いゲルマント夫人はラシェルをずっと友人としてきたし今なおそうだ。ところが「新たな世代の人びと」はそれを見て「ゲルマント公爵夫人は、名前こそ立派だが、正真正銘の一流であったことなど一度もなく、粋筋の二流どころだろう、という結論をくだした」。勘違いもはなはだしい。けれども勘違いだけだとも言うわけにはいかない。というのもこれは前に述べたようにただ単なる世代論や世代間ギャップとは全然関係がないからである。そうではなく、まるで異なる二つの価値体系が一つの場所で交雑し合うことから必然的に生じてくる一つの二重写しが垣間見せる滑稽なのだ。そこにあるのはほとんどギャグというほかない場面の連続であって、さらにそれらすべては言葉の不断の寄せ集めと無限の組み合わせとから成る飽くなき増殖と廃墟との反復をこれまでとは比較不可能な大規模な次元で開始する。
言語という記号は「制度」である。ところが「神の死」以後、どんな「制度」も絶対普遍ではもはやあり得ない。そこで「制度」は更新されずにはいないわけだが、新しい「制度」へ移動するに当たってどんな「制度」も多かれ少なかれ暴力を伴わない移動更新は不可能になっていた。移動、更新、再更新。それを他の言葉へ置き換えてみたとしても、そこに暴力の刻印が残されていないものは一つもない。言い換えれば「近代」とは新しい形の暴力が世界の歴史を推し進める位置を獲得し世界を覆い尽くしたことをあからさまに語って止まない一つの言葉でもある。
「ゲルマント公爵夫人は、ゲルマント氏から文句を言われるのを怖れて、自分ではすばらしいと思っていたバルティやミスタンゲットのことではなおも躊躇していたが、ラシェルのことは断固として友人あつかいした。新たな世代の人びとはそれを見て、ゲルマント公爵夫人は、名前こそ立派だが、正真正銘の一流であったことなど一度もなく、粋筋の二流どころだろう、という結論をくだした。もちろんゲルマント夫人は、何人かの君主との親交をふたりの貴婦人と張り合っていたから、その君主たちを午餐に招待する労を惜しんではいなかった。しかし、君主たちはたまにしか来ないし、その知り合いもつまらぬ輩である一方で、公爵夫人のほうは、昔ながらの社交儀礼を重んじるゲルマント家の旧弊から抜け出せず(というのも公爵夫人は育ちのいい人たちに《うんざりして》いながら、育ちのよさに固執していたからである)、招待状などに『陛下からゲルマント公爵夫人へのご下命により、かたじけなくも』などという文言を記させていた。それでこの手の常套句を知らない新たな階層の者たちは、公爵夫人の地位はそれほど低いのだと想いこんだ」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.184」岩波文庫 二〇一九年)
ほとんどギャグに等しい光景の連発。ゲルマント夫人は「昔ながらの社交儀礼を重んじるゲルマント家の旧弊から抜け出せず(というのも公爵夫人は育ちのいい人たちに《うんざりして》いながら、育ちのよさに固執していたからである)、招待状などに『陛下からゲルマント公爵夫人へのご下命により、かたじけなくも』などという文言を記させていた」。それを見た新しい価値体系に属する人々は嘲笑う。「公爵夫人の地位はそれほど低いのだと想いこんだ」というふうに。古い価値体系と新しい価値体系との違いは必ず言語体系の違いを伴う。フランス語という呼び名は同じでも古い価値体系に沿って用いられた場合、それは笑うべきものとしてしか流通しない。
新しい価値体系に属する人々はゲルマント夫人が用いるステレオタイプ(紋切型)を見て笑わずにはいられない。ところが新しい価値体系に属する人々が用いる生活様式もまたすべてステレオタイプ(紋切型)化されて始めて常識となるのであって、やがて古くなり通用しなくなることはわかりきっている。第二次世界大戦後は実際に古くなり、前後して登場してきたさらに新しい価値体系に属する人々によって嘲笑われることとなった。