白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ143

2023年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月五日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今日も日がな一日何食わぬ顔でマイペースのタマ。食欲は変わらず順調、便通も異常なし。そろそろ手術の日が近いが大丈夫であってほしい。

 

昨日、黒猫つながりでリッチー・ブラックモアのことをふと思い出したと述べた。その後すこしぼうっと考えていたら一九八二年「I LOVE ROCK’N ROLL」の大ヒットで世界的な有名人になったジョーン・ジェットの名に思い至った。というのは「I LOVE ROCK’N ROLL」発表時のクレジットはジョーン・ジェット単独ではなくジョーン・ジェット&ブラックハーツの名で発表されているからである。

同じくジョーン・ジェット&ブラックハーツ名義で「I HATE MYSELF FOR LOVING YOU」はよりキャッチーなナンバー。これまた記録的ヒット。

 

もっとも、もろに黒いといえばブラック・サバス。しかしかつてリッチー・ブラックモアのレインボー時代、ボーカルを務めていたロニー・ジェイムズ・ディオがサバスに加入して歌った楽曲にも捨てがたい味がある。

 

さらにひたすら単純にストレス解消したい中学時代、よく聴いたのがAC/DC「BACK IN BLACK」。


Blog21・ヒコソ/金堀/山人

2023年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

中上健次が金掘部落で耳にした「ヒコソ」とは何者だろう。

 

「その夫婦が尾呂志で住んでいたという家に行ってみた。家は雨戸を閉ざしたままである。家の横にコンクリートで作った流しがあり、その上に歯ブラシ、使いかけの練り歯磨のチューブが置かれてある。流しをみる限り、十日前までは人が住んでいた気がする。廃屋の常であるが、夏草が生え茂っていた。ただ、どこの家にも植えてある草花が見あたらない。流しの端に、部落解放同盟浪速(なにわ)支部と文字の入った大きな青い表紙のメモ帳が三冊あったのを見つけた時、驚いた。風雨にさらされていたため、表紙は変色しボロボロとくずれかかっている。そこに何故そのようなものが在るのだろうと思った。それまで一度も『部落』という言葉を耳にした事もなかった尾呂志の里で、いきなり眼にした部落解放同盟浪速支部の文字は、衝撃的である。『部落』あるいは『差別』を、今ここで回路として導き入れるなら、その衝撃はつまり都と熊野、都会と田舎という問いの衝撃でもある。言葉を変えれば、共同体の事でもある。あの共同体とこの共同体、ここでは大阪・浪速と尾呂志の差異である。被差別部落なのかどうかも他所者(よそもの)の眼に分からぬ尾呂志ではなく、部落解放同盟のある大阪・浪速で、男は精神を病み、心中した。その尾呂志で聞いたのは、ヒコソという人物についてだった」(中上健次「紀州~木の国・根の国物語・尾呂志・P.133」角川文庫 一九八〇年)

 

次の記述は世界中どこにでも見られる古代国家神話成立過程と重なり合う。中上健次の場合はそれを熊野と重ね合わせるのだが矛盾はない。圧倒的軍事力だけでなく一方、医術に長けていなければただ単なる暴力支配のための装置でしかなくなる。どちらか一方ではなくどちらも同時に、でなくてはならないという両価性が要請される。

 

「背が高く、力が強いし度胸があり、医術も出来たヒコソという男である。その老婆の話を聴きながら、ヒコソなる人物が全国に偏在する和泉式部(いずみしきぶ)伝説など、伝説の構造をよくふまえている気がした。貴種(きしゅ)がただ襤褸(らんる)の身になるというのではなく、医者になるという知性があり、背が高く力が強く度胸があり腕が立つマスラヲの典型のような男として描写されているヒコソは、恋に身を焼く歌人としてタオヤメの典型である和泉式部と裏と表の関係にある。そう考えて、熊野比丘尼(びくに)と後に重なりあう和泉式部なら、ヒコソの医術、灸、ハリも、宗教や呪術(じゅじゅつ)と重なり合う事もあり得る、と思った。老婆の語った二つのヒコソの話を、呪術者と悪鬼、悪霊と読む方法はどうだろうか?つまり私はこの土地に埋ずもれ、眠りこんだ悪霊の声、マモノの声を聴こうとしていたのだった」(中上健次「紀州~木の国・根の国物語・尾呂志・P.138」角川文庫 一九八〇年)

 

「熊野集・葺き籠り」で菊雄はヒコソ神話を持つ金堀部落へ直接入ったわけではない。木川という人間を媒介者として入っている。菊雄は木川(広い意味で「山の民」)の媒介なしに金堀へ入ることはできない。その木川から金堀ならびにヒコソの話を聞かされる。ヒコソは略奪者であり開墾者でもあり医術者でもある。木川の話は面白い。そうして木川は菊雄を金堀部落の中へ導き入れる。

 

「その道から海岸沿いの国道を抜けてから菊雄はヒコソとは何の事じゃと言った。木川は最初山賊だと言った。菊雄が胸ポケットに納ったふくさを指さし、山賊があっちからもこっちからも略奪した物の一つがこれじゃの、と独りごちると、木川は違うと首を振った。いろいろな種類のヒコソがいたが金堀の者が信じているのはただ一人の雲つくほどの大男のヒコソだった。金堀という部落を開いたのも大男のヒコソだったし伯母峯(おばみね)峠に出没した山賊を平定したのもヒソコだったしその頭領となったのもヒコソだった。さらに金堀の部落に医術を持ち込み、あたりに生えた薬草をさがし出して一人根を乾かし葉を陰干しにして粉に引き薬を調合して金堀の者に売りに歩かせて山でたつきの道を開かせたのもそうだった。ヒコソ、ソウバレ、と木川は言って薬はいまでも繁華街のある市に出ていった金掘の者が民間医薬として習いうけた術を使って作り売ってやっている、と木川は言った」(中上健次「熊野集・葺き籠り」『中上健次選集9・P.251~252』小学館文庫 二〇〇〇年)

 

菊雄は金掘で暮らす女と知り合う。木川の話になる。「神かくし」という言葉がポイントだが、ある共同体と別の共同体との間に立って両者を媒介する立場にふさわしいエピソードが木川にはあると感じる。さらにこの「神かくし」という言葉は言葉自体が何かもっとほかの事情を覆い隠そうとするときにも用いられることがある。「神かくし」という言葉は、ある共同体と別の共同体との間で、表向きは「ない」とされているはずの交流が実は「ある」というような場合、この事情を幼児や女や狂人を媒介として暗に語られることがある。

 

「その女に向って木川は何で俺をこの金堀に誘ったのだろうか?と訊くと、さあと首を振り、『あんたが一番他の人間より神かくしに合いやすいと思たんと違う』と笑い、それから思い出したように笑い入って、『あのボン、昔、神かくしに合うたんよ。尾呂志(おろし)の人間や市木(いちき)の人間は子供が神かくしに合うたら何のつもりかまずこの金堀に来て、あっちもこっちもさがして廻るのに、あのボン、この金堀で遊んどって風伝峠の先まで行っとった』。『神かくしか』菊雄は女を見てつぶやいた。『尾呂志や市木の人間らがここへ捜しに来るのは理由のない事でもないんで、丁度、子供の頃、ここらあたりの若い衆が正月になると山仕事も暇になるので獅子舞に出るのが流行(はや)っとって金堀やから金が掘るほどもうかる目出度いからと言て出て門付けにことわられたら腹いせに遊んどる子供連れて来たらしい。それの他理由は知らんけど、あのボン、風伝峠の先の平谷で五つになるのにズボンに大小便たらして立っとったというんやから』女はまた笑い入った」(中上健次「熊野集・葺き籠り」『中上健次選集9・P.266~267』小学館文庫 二〇〇〇年)

 

しかし木川はすでに菊雄をこの「かくれ里」へ導き入れた。そして菊雄は金堀に住む女性と性交渉を持った。

 

「亡霊というなら菊雄にしてみれば紀伊の山奥にある金堀という部落そのものが生れて初めて眼にする亡霊だった。菊雄は女の家から二軒先の木川に誘われてこの金堀に来て結局住みつく事になったが、女と夫婦のように一緒に暮らしても、金堀が昔映画で観た忍者のかくれ里のような不思議な感じは消えなかった。女がそばに坐りくだくだと亡霊の立ち居振る舞いを言っているのを耳にしながら、女のえり首や耳元を見ていると雨に振り込められて繰り返した事を思い出す。女は菊雄をさいなみたがったし、獣類と同じだとさげすみたがった。菊雄が獣類になり切り嚙みちぎる、ひき裂くと思って襲いかかると、女は与えきれぬ施しを身を犠牲にしてつぐなうように菊雄の嬲(なぶ)るがままにした。菊雄は女と交情する度に女が極頂の果で急に一緒に金堀にやって来た男の木川に変わるようで、気をいきながら人を殺してしまったような気がして身震いした」(中上健次「熊野集・葺き籠り」『中上健次選集9・P.236~237』小学館文庫 二〇〇〇年)

 

古代大和政権に対抗しうる最大勢力だった熊野は、しばしば論じられてきたように「菊雄=神武」とすれば、鉱山を有しヒコソ(薬草)信仰のある熊野に対する神武東征神話のテキストの一つとして読めもしよう。だが日本のような圧倒的に山間部が多く平地の少ない地形のもとで、山地をも平地をも自由に行き来できる木川=「山の民」(山人、山神)の媒介というテーマはもっと注目されていいのではと思わないでもない。そして彼ら「山人」の末裔たちは今どこでどんな日常を営んでいるのかといったことも。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて567

2023年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は男前豆腐店「濃厚ケンちゃん」。1パックの二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はカラスカレイの焼いたのとポテトサラダ。ポテトサラダが続くがまずまず食べられているのでいい傾向だろう。それにしてもメニューはじわじわ限られてくる。

 

八日日曜に救急外来を訪れたが昨日の診察の際、結果的に胆管炎を起こしていたとのこと。胆道にはステントを設置して胆汁の通りをよくしたはずなのだが先日は突然濃い尿が出て発熱。そういうこともあるらしい。しかし昨日すでに尿検査の数値は回復していた。ところが今度は再び下痢再発。夜間にまとまって眠れず何度もトイレへ起きてくる。そのたびに体力消耗の様子。

 

今朝の音楽はマイルス・デイビス「MILES」。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・二重基準と「名」への密集

2023年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

現在と過去との切断可能性を意図的に上手く利用した一人にブロックがいる。ブロックは「私」にとって大変馴染み深い友人だがそのスノッブぶりは群を抜いている。ゲルマント夫人にしてすでにスノビズム満載ではあろうし、ゲルマント夫人のスノビズムが作品全体を通して常に滑稽さの見本として描かれていることは間違いない。しかし語り手はゲルマント夫人のスノビズムを読者に向けてなおかつサービス込みで思う存分パロディとして提供しているのに対しブロックには違った態度を向ける。

 

ブロックに代表される自己分裂。何に手をつけるにしても何を口にするにしてもユダヤ人中産階級に内在化された二重基準をいつも適用させることで、他の人々との間であれば一貫しているはずの論理がなぜか常に二重化されてしまうほかない面食らわせる逆説性。この逆説性がプルーストの関心をたいそう引き付けて止まなかったことに主な理由があるのかもしれない。

 

「ブロックは戦争中には『出かける』ことをやめ、かつて情けないすがたをさらしていた馴染みの集まりには通わなくなっていた。そのかわりに本を出しつづけ、私はそうした本のばかげた詭弁の虜(とりこ)にならぬよう、いまやその詭弁を破壊しようと努めていたが、その独創性のかけらもない本が、若者たちや社交界の多くの婦人に、類を見ない高度な知性の産物であり、天才の作と言っても過言ではないという印象を与えていた。要するにブロックは、昔の社交生活と新たな社交生活とのあいだに完全な断絶を設けたうえで、新たに築いた交際社会のなかに、おのが人生の名誉ある栄光の新局面を拓くために、偉大な人物として登場したのである。若者たちは、ブロックがこの歳になって社交界へデビューしたなどとはもちろん知るよしもなく、ブロックがサン=ルーとのつき合いのおかげで憶えていたごくわずかの名前を挙げて現在の名声をいくらでも過去へさかのぼらせたから、なおのことそうなった。いずれにせよブロックは、どんな時代にも上流社交界でもてはやされていた才能ある男のひとりとみなされ、ブロックが以前べつの社会で暮らしていたと考える人などいなかったのである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.105~106」岩波文庫 二〇一九年)

 

今やブロックは社交界で名声を得ている。「私」から見ればブロックの書いた本は戦前と同じく相変わらず詭弁だらけでとても読むに値しない。ところが数十年の間に戦前/戦中/戦後と切断されているのは人間たちの生涯だけでなくむしろ彼らそれぞれの価値観が戦前・戦中と戦後との間で決定的に切断されている。ブロックの著作はブロックの変化を一つも意味していないにもかかわらず、その価値はまったく転倒している。何が起こったのか。

 

(1)「その独創性のかけらもない本が、若者たちや社交界の多くの婦人に、類を見ない高度な知性の産物であり、天才の作と言っても過言ではないという印象を与えていた」。

 

(2)「ブロックは、昔の社交生活と新たな社交生活とのあいだに完全な断絶を設けたうえで、新たに築いた交際社会のなかに、おのが人生の名誉ある栄光の新局面を拓くために、偉大な人物として登場した」。

 

(3)「若者たちは、ブロックがこの歳になって社交界へデビューしたなどとはもちろん知るよしもなく、ブロックがサン=ルーとのつき合いのおかげで憶えていたごくわずかの名前を挙げて現在の名声をいくらでも過去へさかのぼらせたから、なおのことそうなった。いずれにせよブロックは、どんな時代にも上流社交界でもてはやされていた才能ある男のひとりとみなされ、ブロックが以前べつの社会で暮らしていたと考える人などいなかった」。

 

ブロックという名。それは今のところ「昔の社交生活と新たな社交生活とのあいだに完全な断絶を設けた」形において成立している。サン=ルーと付き合いがあったことからサン=ルーを通して覚えている過去の名士の名を適度につぶやいて見せるだけでブロックの名の周囲には忘れられかけていた過去の名士の名とそれにまつわるエピソードの数々が瞬時に山ほども寄せ集まり組み換えられて不断に変容する無限のバリエーションを次々と更新再更新させていく。目まぐるしく変容するを場へ絶え間なく素材を投入するのはほかでもないブロックという「名」なのだ。

 

「名」が集め「名」に集まりつつ不断に変容する光景。特にブロックではなくとも構わない。今の日本なら例えば「辺野古」や「物価高」や「歴史認識」といった様々な「名」がありとあらゆる言説を呼び寄せ組み合わせない日はない。日々反復される過酷な変容の場で、しかし人間は一体どこから何を見ていると言えるのか。言えるとすればその根拠はどこにあるのか。あるとしても今なお有効なのか。一度肯定された言葉が次の瞬間には否定されねばならないといったあまりに残酷な事態と向き合わないわけにはいかず過労が過労を呼び込むばかりで延々と引き続いていく作業。この種の残酷な戯れを演じており、ますます演じざるを得なくしているのはほかでもない日本で暮らす一人一人自身でもある。