イスラエルとハマスとの戦闘報道がにわかにテレビ画面を覆い尽くそうとしている。ところがもう少し視野を広げてみて「中東紛争」全般に関し、世界でも特に日本のマス-コミの場合、考えてみないといけないことがある。
二〇〇〇年から二〇二三年現在だけに限ってみた場合、日本の武器輸出では三菱重工、IHI、NECなどの企業名がまあまあ有名ではある。ところが中東紛争が始まったのは一体いつのことだろうか。第二次世界大戦終結後二年ほどですでに火を噴いた。さらに大戦終結後五年ほど経った一九五〇年以降一九八〇年代いっぱいを通して、世界有数の武器供給国家として名を馳せてきた国はどこか。ほかでもない日本だ。
しかし試しに直接軍事的武器として生産されたものを除いてみるとしよう。すると表向き「民需品」の形を取りながら紛争地帯へ輸出し、紛争当事国へ輸入されるやいなや「民需品」のはずがたちまち軍事的武器として簡単に改造可能な商品が幾らも見つかる。そうした「子供だまし」でしかない軍需類似品を六十年以上もの長きも渡って世界中で売りさばいてきた世界有数の技術立国はどこか。これまた日本だ。この手の商売にどっぷり浸かり込み依存さえしてきた日本とその「高度経済成長」の正体。バブルの終焉と長引く不況。さらに世界の政治的軍事的勢力地図が大きな転換点にある今日、日本の実質的存在価値はみるみる失われつつある。政府の焦りは丸見えだ。
しかしこれらのことは東西冷戦研究の専門家でなくとも今の四〇代から九〇代の人間なら少なくない人々が知っている紛れもない事実である。知らない人々がいるとしたら今回のイスラエルとハマスとの戦闘を堂々と報道している日本のマス-コミがそれこそ真っ先に六十年以上に渡る武器供給国家としての日本の立場を問いにふすべきであり、その上でなぜ今この報道なのかを改めて問うのが筋というものだ。しかしできないだろう。できない理由?あまりにもしらじらしい。
思うわけだがイスラエルにもハマスにも支援しようとは思わないし思えない。むしろ「またか」とこれまで以上にうんざりするばかりである。火に油ばかり注ぎたがる日本。しかしなぜそうするのだろう。
話は変わるようで変わらない。あえて言っておけば、例えば清志郎や坂本龍一が生きていた頃はこんな歌がたくさんあった。当たり前にあった。そして諸外国、特にイギリスやアメリカでは今なお伝統的に受け継がれている。