大江健三郎「水死」。ウナイコは建礼門院に憑依する「物の怪」の「ヨリマシ」を演じる。「ヨリマシ」はもう一人、大黄(ダイオウ、ギシギシ)がそうだ。ただ大黄の場合は変則的であり、変則的だからおかしいのではなく、むしろこの変則性に注目したいと思う。
長江先生に憑依している「《物の怪》の『よりまし』を自分《から》古義人さん《へ》」という手続きであればきわめて順当に見えるのだが、そうではなく「長江先生に憑いておった《物の怪》が、いまは《わし》を新しい『よりまし』にしておるのを知りました」と大黄はいう。
「古義人さんが起きて来られたら、いうてください。短艇が出て行くのを隠れて見ておる《わし》は、先生の跡継ぎの古義人さんが付いて行かれると考えておった。跡継ぎが一緒に大水で死んではオシマイやないか、と思われるやも知らんが、先生は古義人さんに手伝わせてーーーここが肝要なところなのやーーー『赤革のトランク』の浮袋装置を作っておかれた。川筋の子供は水泳が達者やから、《つかまる》浮袋装置の『赤革のトランク』があれば、溺れ死ぬ心配はないのや。先生御自身は、死なれる気やが、そのあと自分に憑いておった《物の怪》が古義人さんに移動して、古義人さんを本物の跡継ぎにすると考えておられたのやろう。あの大水に親子で短艇に乗り込んで出て行かれたのは、《物の怪》の『よりまし』を自分《から》古義人さん《へ》取り替えてもらうための儀式やったと、いまの《わし》は思うよ。しかし、古義人さんは、短艇に乗り込む段にやりそこのうて(自分の意思で拒否して、であったかも知らん)大水のなかへ出て行かず、コギーの幻が父親と一緒に行くのを見送っておられたのやったーーー《わし》はさっきピストルを撃った時、片腕者やが狙いはあやまたず、長江先生に憑いておった《物の怪》が、いまは《わし》を新しい『よりまし』にしておるのを知りました。《わし》は、もうずっと遅れてしもうたけれども附いて行きますよ、長江先生の一番弟子は、やっぱりギシギシですが!」(大江健三郎「水死・P.523~524」講談社文庫 二〇一二年)
この手続きは古代すでに見られた。折口信夫はまずそれを「漂著石(ヨリイシ)」信仰の中に、続いて「天皇霊」信仰の中に、見ている。
「私の度々の旅行に、一番綿密なる研究をした地方は壱岐である。其処には対馬や隠岐などの様により石の信仰が存して居るのである。流れ寄った石を或時祠に祀ったところが、どんどん大きくなって遂に祠を突き破ったと言う話とか、石を拾って帰ったら家に著く迄に急に大きくなったなどと言う話は、諸国に数限りなく散在する。古代人はそうした石成長の信仰を有して居たが、之は既に二三繰り返した如くたましい成長の信仰と結ばれて居るものである。壱岐には不思議な巫女が居るが、彼等は其神事を行うに当って、此漂著石(ヨリイシ)を利用する。之は石にたましいが宿ると考える為に他ならぬのである。
記紀に天子様の御身体の事をば、すめみまのみことと申し上げて居る。すめは神聖を表す尊称であり、みまは本来肉体を称する詞であって、従ってすめみまのみことはたましいの入るべき天子様の御身体である。たましいの容れ物が、恐れ多い事であるがすめみまのみことに他ならない。
日本紀の敏達天皇の条に、天皇霊(スメラミコトノミタマ)と言う言葉が見えて居るが、此天皇霊とは天子様としての威力の根元の威霊、即、外来魂そのものであって、《まなあ》がすめみまの命である所の御身体に這入って、天子様はえらいお方となられるのである。この天子になられるに必要な外来魂なる天皇霊は、いつ(みいつ・稜威)と称するたましいである。
すめみまの命には生死があるけれども、此肉体を充す所のたましい(天皇霊)は終始一貫して不変であり、且つ唯一である。従って譬い肉体は変り異なることがあっても、此天皇霊が這入れば全く同一な天子様となられるのであって、此天皇霊を持って居られる御方の事を日の神子(ミコ)と申し、此日の神の子とならるべき御方の事をば日つぎのみこと申し上げる。故に天子様御一代には此日つぎのみこは幾人もお在りなされるのである。
日つぎのみこの地位に在られる御方から天皇になられる御生命は、事実上時の流れと同様継続して居るのであるけれども、形式上一定の期間、一旦藻抜けのからにならなければならないのである。すると其間に、天皇霊が其肉体の中に這入り来ると信じた。そしてこれが完全に密着すると、そのものは俄然新しい威力が備わり、神聖なる天皇の御資格を得られるのである。そのたましいは恐らく前述のいつであろう。大嘗祭に、此いつが天子の御身体に憑依するのである」(折口信夫「剣と玉」『折口信夫天皇論集・P.162~164』講談社文芸文庫 二〇一一年)
話は変わるようだが、ちなみに「源氏物語」を開くと「物の怪」がしょっちゅう出てくる。「今昔物語」では「物の怪」系の項目をわざわざ類別して集めてある。しかも読んでいて面白いものが少なくない。そして近代になって「物の怪」は消えたように見えはする。もっとも、かつてのような姿形ではありえないだろう。ところが姿形を置き換えた上で、戦後民主主義なら戦後民主主義空間の中で、そっくりな事態が世界中で演じられていない日はないといっていいように思えるのはなぜだろう。