白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ144

2023年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月六日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今日は飼い主自身の診察でタマはお留守番。午後に帰宅。それから近くのスーパーへ買い物へ。買い物ついでに「群像」(十一月号)購入。高橋源一郎の新連載が始まった。これから何を書くのか、冷やかし半分というわけでは決してないが目を通しておきたい気持ちはある。

 

七月号に載った中村文則「列」についてインタビューあり。「掏摸(すり)」(河出文庫)の冒頭でデュルケム「自殺論」からの引用があるが中村文則自身が実際にデュルケムに取り組んだのは執筆当時が初めてだったらしい。ちっとも知らなかった。その上で改めて「列」に目を通したいとおもう。個人的には十年前の「教団X」(集英社文庫)も面白いと思ったわけだが「列」が原始宗教と高度テクノロジーのこれからという点で新地平のパイオニアへの足がかりになり得ているかどうか、今後を占う上で重要だろう。

 

さて。黒猫繋がりはまだ繋がる。とはいえブラックという言葉はハードロックとかヘヴィメタルでも実はあまり使われない。どちらかといえばダークとかブラッディー、ナイトメアといったイメージ重視の世界。そこで今日は一九七〇年代から洋楽を聴いてきた人々の中でもあまり知られていない隠れ名曲を上げておこう。クイーンから。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて568

2023年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は幸伸「やすらぐごまどうふ」。1パックを椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属のたれみそを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はシャケの切り身。それはそれとして便通の回数が増える。通常の便と軟便とが交互にあるようで結局トイレが増えて睡眠不足ぎみ。

 

今朝の音楽はマイルス・デイビス「STRAIGHT,NO CHASER」。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・「人の名前」とありえない逆襲

2023年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

ゲルマント夫人の若い甥であるヴィルマンドワ侯爵。かつて「私」はある侮辱的態度をめぐってヴィルマンドワ侯爵と敵対し合っていた。今やヴィルマンドワ侯爵は「私」と敵対し合っていたこと自体まるで覚えていない。ただ単なる時間の経過がヴィルマンドワ侯爵に過去を忘却させたというわけではない。また時間の侵食作用が二人の間に横たわっていた険悪な関係をいつしか解消せしめたというわけでもない。このエピソードで語り手が強調しているのは二点。

 

(1)「侯爵がふたりの敵対をすっかり忘れていた」。

 

(2)「私の名前が侯爵に想い出させたのは、せいぜい、自分の叔母のひとりの家で私に会ったか、私の身内の誰かに会ったということぐらいだった」。

 

問題はヴィルマンドワ侯爵が「私」の「名」について、ゲルマント夫人の「名」を通して、「私」と再接続可能だと見込んでいることにある。

 

「ゲルマント夫人の若い甥であるヴィルマンドワ侯爵は、かつて私にたいして執拗に無礼な仕打ちをしてきたので、私も意趣返しに侯爵にたいして侮辱的な態度をとったため、私たちは暗黙のうちに敵同士となっていた。私がこのゲルマント大公妃邸における午後のパーティーで『時』について想いめぐらしていたとき、ある人の口添えで私に紹介されたヴィルマンドワ侯爵は、たしか私の身内の者をご存じでしたね、あなたの文章をいくつも読ませていただきました、お近づきになりたい、いや、あらためてお近づきになりたい、などと言ってきた。たしかに侯爵の場合も多くの人と同様、失敬だった男が歳をとって真面目な人間になり、もはや昔のような横柄さは影を潜めていた。他方、侯爵のつき合っている人たちのあいだで、たとえ取るに足りぬ文章についてであろうと私のことが話題になっていたのは事実である。しかし侯爵が親愛の情をこめて私に近づきになりたいと言ってきた理由のうち、それらは二次的なものにすぎなかった。主たる理由、少なくともさきの理由をもっともらしい理由たらしめた真の要因は、侯爵が私より記憶力がよくなかったせいか、あるいは当時、侯爵が私にとって小物であった以上に私が侯爵にとってまるで小物であったがゆえに、私がかつて侯爵の攻撃を気にしたほどに侯爵は私の反撃に十分な注意を払わなかったせいか、いずれにせよ侯爵がふたりの敵対をすっかり忘れていたという点にある。私の名前が侯爵に想い出させたのは、せいぜい、自分の叔母のひとりの家で私に会ったか、私の身内の誰かに会ったということぐらいだった。おまけに自分がはじめて紹介されるのか、あらためて紹介されるのか、正確な記憶がなかったので、侯爵がとり急ぎ自分の叔母のことを持ちだしたのも、叔母のところで私のことがしばしば話題になっていたのを想い出し、きっとそこで私に会ったにちがいないと考えたからだろうが、ふたりのいさかいの件は想い出さなかったのだろう。人の名前というのは多くの場合、その人についてわれわれに残されたすべてである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.122~124」岩波文庫 二〇一九年)

 

過去の「いさかい」を覚えていてもいなくてもこの際ぜんぜん関係なくなる。ヴィルマンドワ侯爵が過去の「いさかい」を忘れたふりをしているのかそれともまったく覚えていないのかも問題にならない。「私」とヴィルマンドワ侯爵との間を通過した何十年間の切断の後に、ヴィルマンドワ侯爵はまったくの別人として出現したということが重要なのだ。そしてこの長い切断の後の再接続にあたって唯一機能するのはただ「名前」のみであるという心細いばかりのただならぬ事情について語り手は繰り返し記憶に留めておくよう教える。

 

「人の名前というのは多くの場合、その人についてわれわれに残されたすべてである」。

 

言うまでもなく「土地の名」もまたそうだ。例えばバルベック。バルベックという土地の名が脳裡に浮上するや「私」はもう忘却の彼方に埋め尽くし抹殺し切ったはずのアルベルチーヌとそのトランス(横断的)性愛の側から死火山の復活のようなありえない逆襲に甘んじるほかなくなる。アルベルチーヌは確かに自殺だった。自殺としてしか処理しようのない死に方だった。ところがアルベルチーヌと「私」との関係をとてもよく知るアルベルチーヌの友人たちの記憶のすべてが、いやそうではない、アルベルチーヌは自殺したのではない、自殺へ追い込まれたのだと、ありとあらゆる言葉が動かぬ証言として立ち現れてくるのである。

 

今の日本でもまたそうだ。「名」は言葉であり言葉はいつも必ず「制度」である。国が保証する「制度」である。その国が「制度」と位置付けつつ「制度」として取り扱ってきた「名」のうち、その中でも特に社会的に重要なポストに置かれた人間とその家族らの「名」をどさくさ紛れに「制度」の例外へこっそり移動し置き換え操作し隠蔽し、あったことをなかったことにできてしまえるのだろうか。果たして本当にできるのか。仮に今なおできるとしてもしかし例外なく誰もが沈黙してくれるような時代はもうすっかり終わったというグローバル規模の構造変化の只中で、まるで向き合わないでもいられるという選択はもはやどこにも見あたらない。