ゲルマント夫人の若い甥であるヴィルマンドワ侯爵。かつて「私」はある侮辱的態度をめぐってヴィルマンドワ侯爵と敵対し合っていた。今やヴィルマンドワ侯爵は「私」と敵対し合っていたこと自体まるで覚えていない。ただ単なる時間の経過がヴィルマンドワ侯爵に過去を忘却させたというわけではない。また時間の侵食作用が二人の間に横たわっていた険悪な関係をいつしか解消せしめたというわけでもない。このエピソードで語り手が強調しているのは二点。
(1)「侯爵がふたりの敵対をすっかり忘れていた」。
(2)「私の名前が侯爵に想い出させたのは、せいぜい、自分の叔母のひとりの家で私に会ったか、私の身内の誰かに会ったということぐらいだった」。
問題はヴィルマンドワ侯爵が「私」の「名」について、ゲルマント夫人の「名」を通して、「私」と再接続可能だと見込んでいることにある。
「ゲルマント夫人の若い甥であるヴィルマンドワ侯爵は、かつて私にたいして執拗に無礼な仕打ちをしてきたので、私も意趣返しに侯爵にたいして侮辱的な態度をとったため、私たちは暗黙のうちに敵同士となっていた。私がこのゲルマント大公妃邸における午後のパーティーで『時』について想いめぐらしていたとき、ある人の口添えで私に紹介されたヴィルマンドワ侯爵は、たしか私の身内の者をご存じでしたね、あなたの文章をいくつも読ませていただきました、お近づきになりたい、いや、あらためてお近づきになりたい、などと言ってきた。たしかに侯爵の場合も多くの人と同様、失敬だった男が歳をとって真面目な人間になり、もはや昔のような横柄さは影を潜めていた。他方、侯爵のつき合っている人たちのあいだで、たとえ取るに足りぬ文章についてであろうと私のことが話題になっていたのは事実である。しかし侯爵が親愛の情をこめて私に近づきになりたいと言ってきた理由のうち、それらは二次的なものにすぎなかった。主たる理由、少なくともさきの理由をもっともらしい理由たらしめた真の要因は、侯爵が私より記憶力がよくなかったせいか、あるいは当時、侯爵が私にとって小物であった以上に私が侯爵にとってまるで小物であったがゆえに、私がかつて侯爵の攻撃を気にしたほどに侯爵は私の反撃に十分な注意を払わなかったせいか、いずれにせよ侯爵がふたりの敵対をすっかり忘れていたという点にある。私の名前が侯爵に想い出させたのは、せいぜい、自分の叔母のひとりの家で私に会ったか、私の身内の誰かに会ったということぐらいだった。おまけに自分がはじめて紹介されるのか、あらためて紹介されるのか、正確な記憶がなかったので、侯爵がとり急ぎ自分の叔母のことを持ちだしたのも、叔母のところで私のことがしばしば話題になっていたのを想い出し、きっとそこで私に会ったにちがいないと考えたからだろうが、ふたりのいさかいの件は想い出さなかったのだろう。人の名前というのは多くの場合、その人についてわれわれに残されたすべてである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.122~124」岩波文庫 二〇一九年)
過去の「いさかい」を覚えていてもいなくてもこの際ぜんぜん関係なくなる。ヴィルマンドワ侯爵が過去の「いさかい」を忘れたふりをしているのかそれともまったく覚えていないのかも問題にならない。「私」とヴィルマンドワ侯爵との間を通過した何十年間の切断の後に、ヴィルマンドワ侯爵はまったくの別人として出現したということが重要なのだ。そしてこの長い切断の後の再接続にあたって唯一機能するのはただ「名前」のみであるという心細いばかりのただならぬ事情について語り手は繰り返し記憶に留めておくよう教える。
「人の名前というのは多くの場合、その人についてわれわれに残されたすべてである」。
言うまでもなく「土地の名」もまたそうだ。例えばバルベック。バルベックという土地の名が脳裡に浮上するや「私」はもう忘却の彼方に埋め尽くし抹殺し切ったはずのアルベルチーヌとそのトランス(横断的)性愛の側から死火山の復活のようなありえない逆襲に甘んじるほかなくなる。アルベルチーヌは確かに自殺だった。自殺としてしか処理しようのない死に方だった。ところがアルベルチーヌと「私」との関係をとてもよく知るアルベルチーヌの友人たちの記憶のすべてが、いやそうではない、アルベルチーヌは自殺したのではない、自殺へ追い込まれたのだと、ありとあらゆる言葉が動かぬ証言として立ち現れてくるのである。
今の日本でもまたそうだ。「名」は言葉であり言葉はいつも必ず「制度」である。国が保証する「制度」である。その国が「制度」と位置付けつつ「制度」として取り扱ってきた「名」のうち、その中でも特に社会的に重要なポストに置かれた人間とその家族らの「名」をどさくさ紛れに「制度」の例外へこっそり移動し置き換え操作し隠蔽し、あったことをなかったことにできてしまえるのだろうか。果たして本当にできるのか。仮に今なおできるとしてもしかし例外なく誰もが沈黙してくれるような時代はもうすっかり終わったというグローバル規模の構造変化の只中で、まるで向き合わないでもいられるという選択はもはやどこにも見あたらない。