白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ150

2023年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月十二日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

一日に二度は遊んでやらないと実につまらなさそうにしているタマ。少なくとも夜更けと早朝には必ず相手をしてやるよう心がけている。さらに人間の就寝時間もだいたいわかってきたようで眠くなると人間用にひいた布団の上でのびのび体を伸ばして先に居眠っていることもままある。飼い主の布団はタマの布団でもあると思っているらしい。

 

黒猫繋がりの楽曲はまだ繋がる。昨日はビートルズだったがビートルズを出せばこれも出さないわけにはいかない。


Blog21(ささやかな読書)・変容する「いかに書くか」

2023年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

「井戸川射子「無形(5)」(『群像・2023・11・P.245~252』講談社 二〇二三年)

 

これといって何が起こるわけでもない。起こることと言えば今の日本のどこへ行っても常に起こっていて多かれ少なかれ誰もが日常的に見聞きしていることばかり。愚にもつかないサプライズなどというものとはまったく無縁の場所で描かれている。この流れは七月号に載った連載第一回目から一貫した態度だ。日頃から読書に慣れ親しんだ高校生レベルなら容易にわかるに違いない。

 

小説を書く場合「何を書くか」ではなく「いかに書くか」という点でかつて村上春樹は日本文学を塗り替えた。そんな村上春樹とはまったく異なる地平で井戸川射子は「いかに書くか」というこだわりを間違いなく持つ。もっとも両者を同じ天秤に乗せて比較するものではないというわかったようなプロの文芸批評家はいくらでもいるだろうし、井戸川射子が用いる語彙はこれ以上ないというくらい地味なものばかりだ。そこでもし井戸川射子の側に立つことができる批評家が日本にいるとすれば、村上春樹作品はただ単なるアメリカの、二流とまではさすがに言えないものの、そこそこ名の通ったハードボイルド作家が気まぐれに純文学に手を出してみたらたまたま大当たりしたに過ぎないと見ることは十分に可能だろう。

 

今のところ連載は五回目なのだが舞台はそもそも「団地」。日本のどこをどう探してみてもあと数年もすれば消えてなくなる。そこでピリオドが打たれるだろうことは予想が付くにせよ、読者としては、余計なサプライズらしきものが見あたらず、むしろ「地味」な語彙ばかりで埋め尽くされていきそうな連載がなぜか心地よいと感じる。グローバル規模で世界の均質化が加速するなかで「いかに書くか」という意味が転換点を迎えていることに大変意識的な書き手なのではという印象があり、その意味ではなるほど心地よい。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて574

2023年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は京とうふ藤野「鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はカラスカレイの煮物。下痢と便秘を何度も繰り返す感じでまとまった睡眠が取れない。なので全身倦怠感は余計に増してくる。一日中疲れているためベッドで横になってラジオを流している。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「WHAT ARE YOU DOING THE REST OF YOUR LIFE」。


Blog21・転倒する「枠組み」

2023年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

始めは「神秘的」に見えていた錚々たる人々も知り合えば知り合うほど色褪せ限りなく灰色に見えてくる。時間の作用は残酷なものだ。近づきがたいと思われたゲルマント公爵夫人とその華々しい人間関係ももはや「ありきたり」でしかない。「私」の認識に先駆けてスワンは社交界で花形とされる人々がどれほどつまらない人間か、馬鹿馬鹿しさのあまり次のようなサロンの中で疲れきっていた。

 

「ところが心の豊かさは、社交界の無為のなかでは使いようがなく、ときにはけ口を求めてあふれ出し、はかないがゆえにそれだけ不安げな真情の吐露となる。ゲルマント夫人の口から出るとそれは、愛情と受けとられかねないものになるのであった。もっとも夫人は、そんな真情を溢れさせるとき、心底から愛情を感じていた。そのときの夫人は、男であれ女であれいっしょにいる友人にたいして、けっして官能的なものではなく音楽がある種の人びとに与えるのにも似た一種の陶酔をおぼえていたのである。夫人は、胴衣から花やメダイヨンをとりはずし、その夜もっといっしょにいたいと思う相手にそれを与えることもあるが、そのように引き延ばしたところで、空しいおしゃべり以外にゆき着くものはなく、そこでは神経の快楽や一時的な昂奮からはなにも生じないのを感じると、はじめて訪れた春の暖かさがけだるくもの悲しい印象を残すだけなのにも似て、憂鬱になるのだ。相手をする友人のほうは、この貴婦人たちが口にした約束、かつて耳にしたどんな約束よりも陶然とさせられる約束をあまり真に受けてはならない。こうした貴婦人たちは、このいっときをきわめて心地よく感じたので、並の女性なら持ちえない心遣いと気品をこめてこのいっときを優雅な真情でほろりとさせる傑作に仕立てあげるのであるが、べつのいっときが来たら、もはや自分から与えるものなどなにひとつ残っていない。貴婦人たちの愛情は、それを表明させる昂奮が冷めたあとにまで生き残ることはない。そして相手が聞きたいと願うことをことごとく察知し、それを相手に言ってやるのに駆使された鋭い才気は、数日後には、同じように鋭く相手の滑稽な言動をとらえ、それを種にべつの客人をおもしろがらせ、こんどはその相手といとも短い『楽興の時』を満喫することになるのだ」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.446~447」岩波文庫 二〇一四年)

 

今上げた箇所は第三篇「ゲルマントのほう」にある。そこで「スーヴレ夫人」という貴婦人が出てきた。「私」がかつてゲルマント夫人に近づこうとしてその橋渡しを願い出た夫人である。といっても遠い過去のことだ。「私」にとってスーヴレ夫人はもはや何ものでもないに等しい。二人の間にはただ単なる「そっけないただの社交上の関係」しか見出すことができない。かつては違っていた。二人の関係は「最初のうちはもっと穏やかな快い微笑みをたたえていて、その微笑みがじつに優しく示されたのは、海辺の充実した午後のさなかや、パリの春、馬車の音がけたたましく、埃が舞いあがり、ゆらめく夕日が水のようにふり注ぐ充実した午後の終わりのさなかであった」。

 

そこで語り手は過去と現在との違いについて感傷的に述べるわけではまるでなく、きわめて重要な事情に言及する。「かりにスーヴレ夫人をこのような枠組みから切り離してしまえば、その建つ場所ゆえにすばらしいものになっているが、それ自体はさほど美しくもないさまざまな歴史的建造物ーーーたとえばサルーテ教会ーーーと同じく、夫人には大した価値がなくなったかもしれない」。

 

「ときにはこうした人がただひとつのイメージとしてあらわれるのではなく、以前に知り合ったときとはまるで様変わりしている場合もあった。何年ものあいだ私にとってベルゴットは穏やかな神々しい老人であったし、スワンの灰色の帽子や、その妻の紫色のコートや、ゲルマント公爵夫人をサロンのなかにまでとり巻いていた神秘的な一族の名前などを目の当たりにすると、まぼろしを見たかのように自分が金縛りに遭うのを感じた。ほとんど伝説のような起源、魅力的な神話のごとき人間関係は、そのあとありきたりのものになったとはいえ、彗星のきらめく尾の発する輝きにも似た光を放ちながら、過去という大空のなかにのび広がっていた。そして私のスーヴレ夫人との関係のように、神秘のうちにはじまったわけではなく、いまやそっけないただの社交上の関係ではあっても、最初のうちはもっと穏やかな快い微笑みをたたえていて、その微笑みがじつに優しく示されたのは、海辺の充実した午後のさなかや、パリの春、馬車の音がけたたましく、埃が舞いあがり、ゆらめく夕日が水のようにふり注ぐ充実した午後の終わりのさなかであった。かりにスーヴレ夫人をこのような枠組みから切り離してしまえば、その建つ場所ゆえにすばらしいものになっているが、それ自体はさほど美しくもないさまざまな歴史的建造物ーーーたとえばサルーテ教会ーーーと同じく、夫人には大した価値がなくなったかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.140」岩波文庫 二〇一九年)

 

ある時期に限ってのみ有効性を持つ「枠組み」というものがある。その中で語られる限り、スーヴレ夫人との関係は「穏やかな快い微笑み」、「海辺の充実した午後のさなか」、「パリの春」、「ゆらめく夕日が水のようにふり注ぐ充実した午後の終わりのさなか」といった、ちょっとばかり気の効いた優雅な言葉の数々を寄せ集める。ところが語り手が教えるのは「スーヴレ夫人をこのような枠組みから切り離してしま」うことは意図も簡単だということだけではない。語り手が同時に告げているのは「切り離してしまえば」また別の価値体系(枠組み)に属する無数の言葉がスーヴレ夫人目がけて殺到しないわけにはいかないという事情である。


Blog21・マス-コミが抱える時限爆弾

2023年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

ベンヤミンは言っている。

 

「死刑の意味は、違法を罰することではなく、新たな法を確定することなのだ。というのも、生死を左右する暴力を振るえば、ほかのどんな法を執行するよりも以上に、法そのものは強化されるのだから。しかし同時に、まさにその点においてこそ、繊細な感受性にはとくに、法における何か腐ったものが感じとられる」(ベンヤミン「暴力批判論・P.43」岩波文庫 一九九四年)

 

「法における何か腐ったもの」。なるほどそうだ。しかし今の日本では「法」のみならず、あるいは「法」と手に手を携えている「何か腐ったもの」が大手を振ってまかり通っていない光景を見ない日はない。

 

言うまでもなく「マス-コミ」という名の「何か腐ったものが感じとられる」と。

 

杜撰この上ないプライバシー保護体制ゆえ性暴力被害者らが名乗り出られないのをいいことに、性暴力加害者らの側の言い分を信じて疑わない驚くべき短絡を必死で正当化しようとするマス-コミの呆れ返った開き直り。何十年もかけて身近なレベルからこつこつ取り組んできた在日韓国朝鮮人との絶えざる交流を土足で踏みにじるごときマス-コミ。ますます腐りきっていくマス-コミに自浄作用を求めることはもはやほとんど不可能に見える。むしろ今や積極的に日本政府の盾になってやっている哀れさ。

 

とすれば在日韓国朝鮮人を含む性暴力被害者らはどのような方法を模索するだろうか。戦時中の日本軍による「従軍慰安婦」問題がまだ片付いたとは言えないだけでなく、戦後、一九八〇年代後半の大学キャンパスで横行していた学生らによる「性暴力支配」をどう総括するのか。なぜマス-コミは三十年以上の長期にわたり赤軍派(大菩薩峠派)残党学生らの性暴力をこれほど執拗に「なかったこと」にしてやるのか。赤軍派(よど号ハイジャック派)残党学生らと拉致問題の関係をうやむやに葬ってしまおうとするのか。「朝日」も「毎日」も。頭の悪い学生の言うことを信じて騙されたというならその過程を公に総括するだけでも、たとえ半分くらいでしかないとしても、済まされることは幾らでもあるというのに、なぜそうしないのか。