白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ148

2023年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月十日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

手術跡保護のためのカラーにようやく慣れてきた様子のタマ。カラーを付けたまま食事のカリカリをばくばく食べて水もぐいぐい飲む。遊び時間になると構ってくれと飼い主の足元にすり寄ってきてふくらはぎに飛びついたりする。好みの玩具はぬいぐるみなのだがもっと好きなのは以前と変わらずなぜかシリンジ。床に転がしてやると走り回りドリブルして遊び飽きない。ジャンプにも躊躇がない。もっともタマにすればカラーは「これ何?」とか「人間のやることはわからないよ」なのだろう。だから万が一、手術跡がぱっくり開いてしまわないようにとわざわざカラーで保護しているのだが。

 

黒猫繋がりの楽曲はまだ繋がる。ブルー・マーダーでギターを務めたジョン・サイクスはそもそもTYGERS OF PANTANG(タイガーズ・オブ・パンタン)加入で一九八一年にメジャーデビュー。タイガーズは「TYGERS」でトラのこと。猫科。TYGERS OF PANTANG(タイガーズ・オブ・パンタン)というバンド名自体いささか変わっているがマイケル・ムアコックのSF小説由来。初期アルバムでは「BLACKJACK」という楽曲で力演を見せるもその頃はまだ力任せのところが玉に瑕。


Blog21・パレスチナ問題の短絡化問題

2023年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

イスラエルとハマスとの戦闘が続いている。午前中の報道を見ていたら、ガザ地区において「在留邦人に被害情報なし」と日本政府は発表した。パレスチナ問題について「邦人」と「被害」とを短絡的に結びつけて問題を単純化することで逆に問題を複雑化させてしまう行為はまるで筋違いだという歴史を踏まえないと何の発表なのかさっぱりなのでは?

 

ここ数年の低迷続きはしばらく置くとしてもなお、少なくとも戦後六十年以上という長期間に渡ってパレスチナ紛争へほいほい武器を投入してきた先進諸国の中で、常に世界有数の武器供給国として振る舞ってきたし今なお供給し続けているのはほかでもない日本。「軍需品」のみならず簡単に軍需品へ改造可能な表向き「民需品」を含めせっせと大量に紛争地域へ売りさばいて大量殺戮に加担してきた。「被害者」は数知れず。

 

日本政府がテロ非難声明を出すことはできる。ところが日本はパレスチナでのテロの応酬について、軍事物資が足りなくなればいつでも供給に応じられるような戦闘の舞台装置を懇切丁寧に整えてきた大国の一角。「邦人」という言葉と「被害」という言葉とをいとも安易かつ短絡的に繋ぎ合わせ、誤解だらけのまま不用意に用いるべき問題ではまったくない。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて572

2023年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は四国化工機「にがり充てん」。1パックの三分の二を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はシャケの焼いたのを二口ほど。ホウレンソウの胡麻和え。痛み止めなしでは食事ができなくなりつつある。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はキャノンボール・アダレイ「ONE FOR DADDY-O」。


Blog21・アルベルチーヌだけの海が

2023年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

祖母の死という現実に「私」が不意に襲われた瞬間、「私」は祖母の死と始めて直面した。実際の祖母の死の年月日から「私」が祖母の死の側から襲われた時間との間には一年ほどの隔たりがあった。過去と現在との間にはいつどんな形で表面化するか誰にもわからない深淵が横たわっている。個人史というものはいつも間歇的なものだ。両者の間には確実に切断がある。切断なしに再接続できるわけなどどこにもない。そして再接続はいつも同一だとはまるで限っていない。再接続、再々接続、再々々接続と試みれば試みるほど「オリジナル」という観念はかえって遠ざかっていくばかりである。語り手は述べる。「つぎつぎと昔へさかのぼるにつれて、同じひとりの人物のさまざまなイメージが、ついにはきわめて長期にわたる間隔によって切り離され、相異なるわが自我によって保存され、それぞれ異なる意味を備えてしまった結果、私はそれらのイメージとかかわった過去の流れを俯瞰しているつもりのときは、そのイメージを見落としもし、それらがかつて私の親しかったイメージと同じものであるとは考えもしなかった」。

 

「つぎつぎと昔へさかのぼるにつれて、同じひとりの人物のさまざまなイメージが、ついにはきわめて長期にわたる間隔によって切り離され、相異なるわが自我によって保存され、それぞれ異なる意味を備えてしまった結果、私はそれらのイメージとかかわった過去の流れを俯瞰しているつもりのときは、そのイメージを見落としもし、それらがかつて私の親しかったイメージと同じものであるとは考えもしなかったし、まるでその語源へ結びつけるように、それらが私にとって持っていた元来の意味へ結びつけるには、注意力のひらめきという偶然が必要であった。スワン嬢は、バラ色のサンザシの生け垣の向こうから私にまなざしを投げかけたが、そのまなざしが欲望を意味していたことはそもそもあとから振りかえって判明したことだ。コンブレーのうわさではスワン夫人の愛人とされていた男が、同じ生け垣の背後から険しい目つきで私を見つめていたが、その目つきの意味もそのとき私が思っていたようなものではなかったし、そのうえ当人自身があれからずいぶん変わったので、私はバルベックのカジノのそばでポスターに見入っていた紳士がその人であるとは気づきもせず、その紳士のことを十年に一度は想い出して『なんとあれはシャルリュス氏だったのだ、すでにあのとき、不思議なことに!』と思う始末だった」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.133~134」岩波文庫 二〇一九年)

 

さらに思い出そう。

 

「われわれが自然なり、社会なり、恋愛なり、いや芸術なりをも、このうえなく無私無欲に観賞するときでさえ、あらゆる印象にはふたつの方向が存在し、片方は対象のなかに収められているが、もう片方はわれわれ自身のなかに伸びていて、後者こそ、われわれが知ることのできる唯一の部分である」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.481~482」岩波文庫 二〇一八年)

 

ゆえにこう言える。

 

「スワン嬢は、バラ色のサンザシの生け垣の向こうから私にまなざしを投げかけたが、そのまなざしが欲望を意味していたことはそもそもあとから振りかえって判明したことだ」。

 

スワンはシャルリュスが男性同性愛者だと知っていたので妻オデットが出かける際にシャルリュスが同行することに違和感一つ抱いていなかった。むしろ正しい判断だった。ところがシャルリュスの性的嗜好をまったく知らないコンブレーの他の住民たちはオデットとシャルリュスとが一緒に出かけるのを目にしてオデットの夫であるスワンは一体何を考えているのか大層いぶかしげにあらぬ噂話に耽り込んで貴重な時間を無駄にしていた。

 

しかしコンブレーでの罪深い井戸端的噂話などという馬鹿げて無益な時間の浪費に身を入れるつもりのない「私」はシャルリュスの目に「狂人」と「スパイ」とに共通する目の光を見た。「狂人」と「スパイ」という言葉はどこか物々しい。言うまでもなく頭がおかしいという意味では全然なく、広く世界中で流通している凡庸かつ退屈な言葉でいえば「諜報活動員」の眼差しを差し示している。シャルリュスはただ単に男性同性愛者として自分にふさわしい相手を探し回っていたに過ぎないわけだがその眼差しは「諜報活動員」のそれと等価なレベルに達していたというまでのことだ。熱心さという意味でいえば、その眼差しはある種の威圧感さえ帯びつつぎょろぎょろと生きもののように活発に動き回る、と言える。「私」は過去と切り離された現在において、そんなシャルリュスを思い出す時、次のように、シャルリュスを思い出すというより遥かに記憶というものの間歇性について考えている。

 

「コンブレーのうわさではスワン夫人の愛人とされていた男が、同じ生け垣の背後から険しい目つきで私を見つめていたが、その目つきの意味もそのとき私が思っていたようなものではなかったし、そのうえ当人自身があれからずいぶん変わったので、私はバルベックのカジノのそばでポスターに見入っていた紳士がその人であるとは気づきもせず、その紳士のことを十年に一度は想い出して『なんとあれはシャルリュス氏だったのだ、すでにあのとき、不思議なことに!』と思う始末だった」。

 

いずれにせよこの箇所で確実に区別しておくべき事情が二つある。

 

(1)スワン嬢(ジルベルト)とシャルリュスとは「バラ色のサンザシの生け垣」を媒介して「私」の記憶と接続する。

 

(2)アルベルチーヌは「バルベックの浜辺」を媒介して「私」の記憶と接続する。

 

「そのとき突如として私は、正真正銘のジルベルトとは、正真正銘のアルベルチーヌとは、前者はバラ色のカンザシの垣根の前で、後者は浜辺で、それぞれ最初に出会った瞬間、そのまなざしのなかに心の内を明かした女がそうだったのかもしれないと想い至った」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一八年)

 

(1)と(2)との違いは果てしなく大きい。朦朧としていてその先はてんで見えない。ところが両者はどこまで行っても決して交わることがないに違いないということを焦点化してみると、その点に限りなぜか手に取るようにわかってしまい、時として虚無感とも無力感ともつかない絶望が腹の底から再び湧き出てくる。もっとも作品ではコンブレーとゲルマントとは久しい以前から複雑に入り組んだトランス(横断的)流通をのびのび形成していたわけだが、それゆえなおさら今の日本の中で生きていることで、マーク・フィッシャーのいう「再帰的無力感」に繰り返し襲われない日はますますなくなるのである。