白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ164

2023年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月二十七日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

いたずら好きで遊び好き。ところが爪切りの際、初代タマとはまるで違う大声で悲鳴を上げる。気をつけてちゃっちゃと切り終えているのだが。ご近所さんに人聞きがよくない。爪切りが済むともう何事もなかったかのように素知らぬ顔でうろうろ。これももしかしたら一種のいたずらなのだろうか。とすると猫かぶり芸もかなり身に付いてきたのかもしれない。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。言葉になる前にびびっと感じたことを音にする。溶岩が溶岩のままの状態で溢れ流れていく。フリー・ジャズにはその力がある。発露と自己探求とが同時に行われるので単なる混沌と間違われやすいけれども、自分のやっていることが自分に対する批評にもなるという作業に打ち込む態度を買うわけで。ファンとしては。ただ、体質的にフリーは受け付けられないという人も一定数いるので無理をしてまで聴くのは逆効果かもしれない。といってもフリー・ジャズをやりたいという若い人々がいつもどこからか出現してくるのは希望に思える。その2。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて589

2023年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は四国化工機「おいしいとうふ絹」。1パックの二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はシシャモの焼いたのを三尾。ナスのすまし汁。田楽とかも用意したが味がきつくて無理のよう。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「ELSA」。


Blog21・原曲とアドリヴ

2023年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道ではもう雪が降った。ありがちな話はいくらでもある。例えば手元に届いた原曲のイメージが雪景色を思わせる。そこへいきなりアドリヴを入れてほしいと言われたとしよう。どんな「SNOWMAN」ができるだろう。

 

原曲。

 

「SNOWMAN」。

 

奇を衒わずましてやわざとらしいサプライズ一つ入れないで聴かせるというのはかえってこんなに難しい。ワン・パターンの多いリッチーだがセンスはいいのだった。


Blog21・「ペルシャ風」という言葉の重層性

2023年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

「私」がバルベックへ出かけたくなったの理由の一つにスワンから聞かされた「ペルシャふうの教会」があるという話があった。

 

「というのもサン=ルーと知り合ったこの現実のバルベックへ私がどうしても出かけたくなったのは、大部分は、スワンが私にさまざまな教会のこと、なかでもペルシャふうの教会のことを話してくれたからである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.261」岩波文庫 二〇一九年)

 

実際に行って見てみると「私」が想像していた「ペルシャ風」とは違っている。ところが画家エルスチールからすると「私」が落胆するには及ばないという。エルスチールはいう。

 

「『とんでもない』とエルスチールは私に答えた、『むしろ大いに当たっている面があります。いくつかの部分は、まるでオリエント風です。柱頭の彫刻には、きわめて正確にペルシャの主題を再現しているものがありますから、オリエントの伝統が存続していたというだけでは充分な説明にはなりません。きっと彫刻家は、船乗りたちが持ち帰った小箱でも模写したのでしょう』」。

 

さらに。

 

「実際、あとでエルスチールが見せてくれた柱頭の彫刻には、たがいにむさぼり合うシナ風ともいえる龍が描かれていた」。

 

「私はエルスチールに、ほとんどペルシャ風の建物があるものと期待していたことが、おそらく失望の一因になったのだろうと言った。『とんでもない』とエルスチールは私に答えた、『むしろ大いに当たっている面があります。いくつかの部分は、まるでオリエント風です。柱頭の彫刻には、きわめて正確にペルシャの主題を再現しているものがありますから、オリエントの伝統が存続していたというだけでは充分な説明にはなりません。きっと彫刻家は、船乗りたちが持ち帰った小箱でも模写したのでしょう』。実際、あとでエルスチールが見せてくれた柱頭の彫刻には、たがいにむさぼり合うシナ風ともいえる龍が描かれていた。バルベックでは、『ほとんどペルシャ風の教会』ということばが示唆していたものとは似ても似つかぬ建物の全体に気をとられ彫刻のこんな小さな部分など見過ごしていたのだろう」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.434」岩波文庫 二〇一二年)

 

「私」が思い込んでいる「ペルシャ風」というのはきわめて単純化されたステレオタイプに過ぎない。逆にエルスチールが案内してくれた「ペルシャ風教会」について語られる言葉は「ペルシャ風」、「オリエント風」、「シナ風」とすでに重層的だ。ただ単に「ペルシャ風」という一言だけではとても語ることができないし「ペルシャ風」という言葉を持ち出すとすればその時すでに他の様々な意匠を含む複数性として語られるほかなくなっている。

 

初回のバルベック滞在時、ちょっとした建築物一つ取ってみても世界中から寄せ集められた多種多様な文物のモザイクに遭遇することができた。世界の加速化はすでに始まっていた。小さな見落としが問題なのではなく「ペルシャ風」という言葉がもはや気の遠くなるほど多様な重層性を獲得していた。