屍体を喰らう愛欲というエピソードは特に珍しくはない。上田秋成「青頭巾」は創作だが究極的死屍愛を描きながら同時にただ単なる死屍愛が狂気へ変化したと見なされるポイントとこの愛欲に終止符を打ったのが村にたまたま立ち寄った「他者」(旅の僧)である点に特徴がある。
下野国のある寺院での出来事。その寺の住職は「何某(なにがし)殿の猶子(ゆうじ)」=「しかるべき方の甥御様(おいごさま)」。最初から貴族筋である。さらに学問修行に秀で徳が高く村の尊敬を一身に集めていた。この住職が鬼になった。高貴な出身と鬼への変化。ある種のステレオタイプだがそれほど単純ではなく物語の中に幾つかの断層が見られる。
住職は灌頂の戒師を務めてほしいと依頼を受け、「越(こし)の國」(今の新潟県、石川県、富山県、福井県あたり)へ出かける。下野からひとまず外部へ出る。そして「越(こし)の國」(外部)で一人の「十二、三歳なる童兒(わらは)」(美童)と出会い連れ立って下野(内部)へ回帰してくる。この移動の過程で住職は利子を得て戻ってきたことになる。屍体を喰らうところまで行く愛欲は外部で生じた。言い換えれば、屍体を喰らうところまで行く愛欲は外部流通中に生産された。だが死屍愛そのものは珍しくない。外部で獲得した愛欲対象「十二、三歳なる童兒(わらは)」(美童)への接し方の変化に諸段階があり、それぞれ形態が異なる点でこの種の愛欲もまた複数性だという事情に注意を向けたい。
「今の阿闍梨(あじゃり)は何某(なにがし)殿の猶子(ゆうじ)にて、ことに篤学修行の聞えめでたく、此國の人は香燭(かうしょく)をはこびて歸依(きえ)したてまつる。。我(が)荘(いへ)にもしばしば詣(で)給ふて、いともうらなく仕(つか)へしが、去年(こぞ)の春にてありける。越(こし)の國へ水丁(くはんでう)の戒師(かいし)にむかへられ給ひて、百日あまり逗(とど)まり給ふが、他(かの)國より十二、三歳なる童兒(わらは)を倶(ぐ)してかへり給ひ、起臥(おきふし)の扶(たすけ)とせらる。かの童兒(わらは)が容(かたち)の秀麗(みやびやか)なるをふかく愛(めで)させたまうて、年来(としごろ)の事どももいつとなく怠(をこた)りがちに見え給ふ。さるに茲年(ことし)四月(うづき)の比、かの童兒(わらは)かりそめの病に臥(ふし)けるが、日を経(へ)ておもくなやみけるを痛(いた)みかなしませ給ふて、國府(こうふ)の典藥(てんやく)のおもだたしきまで迎(むか)へ給へども、其しるしもなく終(つひ)にむなしくなりぬ。ふところの壁をうばはれ、あまりに嘆(なげ)かせたまふままに、火に焼(やき)、土に葬(はうむ)る事をもせで、臉(かほ)に臉をもたせ、手に手をとりくみて日を經(へ)給ふが、終(つひ)に心神(こころ)みだれ、生(いき)てありし日に違(たが)はず戯(たはふ)れつつも、其肉の腐(くさ)り爛(ただる)るを吝(をし)みて、肉を吸(すひ)骨(ほね)を嘗(なめ)て、はた喫(くら)ひつくしぬ。寺中の人々、『院主(じゅ)こそ鬼になりつれ給ひつれ』と、連忙(あはたたしく)迯(にげ)さりぬるのちは、夜々(よなよな)里に下りて人を驚殺(おど)し、或は墓(はか)をあばきて腥々(なまなま)しき屍(かばね)を喫(くら)ふありさま、実(まこと)に鬼といふものは昔物がたりには聞(き)もしつれど、現(うつつ)にかくなり給ふを見て侍れ」(日本古典文学体系「青頭巾」『上田秋成集・雨月物語・P.123~124』岩波書店 一九五九年)
類稀なる美しさに恵まれた童兒(わらは)を身近に置き深く寵愛し仏道修行も怠りがちになる住職。しかし童兒(わらは)は病気を患い死んでしまう。死ねば遺体は火葬して土に葬るのが通例。ところが住職は荼毘にふすことも土に葬ることもせず、「臉(かほ)に臉をもたせ」(死体の顔に自分の顔をこすりつけ)、「手に手をとりくみて」(死体の手を自分の手と組み合わせ)、数日をすごした。やがて「心神(こころ)みだれ、生(いき)てありし日に違(たが)はず戯(たはふ)れつつも、其肉の腐(くさ)り爛(ただる)るを吝(をし)みて、肉を吸(すひ)骨(ほね)を嘗(なめ)て、はた喫(くら)ひつくしぬ」。美童が生きていた時と同じように死体と戯れ合い、死体の肉が腐乱していくのを惜しみ、肉を喰らい骨をしゃぶり、とうとう死体をすっかり食べきってしまった。ここで文章は「「心神(こころ)みだれ」=「狂気に陥り」とある。住職の狂人化は死体と戯れ合い始めた瞬間を境界線として始まったと見なされている。
もっとも、死屍愛だけというなら他にもエピソードがある。有名なのは大江定基(参川入道)の話。
「参川入道、いまだ俗にありけるをり、もとの妻(め)をば去りつつ、わかくかたちよき女に思(おもひ)つきて、それを妻(め)にて三川へゐてくだりけるほどに、その女ひさしくわづらひて、よかりけるかたちもおとろへて、うせにけるを、かなしさのあまりに、とかくもせで、よるもひるもかたらひふして、口をすひたりけるに、あさましき香の口より出(いで)たりけるにぞ、うとむ心いできて、なくなくはふりてける」(「宇治拾遺物語・巻第四・七・P.113」角川文庫 一九六〇年)
だが上田秋成「青頭巾」は愛欲の中に諸段階を設けてその複数性に踏み込んでいる。愛憐ゆえの嘆き。さらに美童の屍体と戯れ遊び始めることで狂気への境界線設定。そして死屍食。
寺院にいた他の僧侶たちは住職を見限ってみんな逃げ出してしまう。さらに住職は夜ごと村に下りてきて村の墓をあばき「腥々(なまなま)しき屍(かばね)を喫(くら)ふ」(死んで間もない屍肉を喰らう)ようになった。村人らはその姿を「鬼」と見た。ここで同時に行われなければならない二つの操作。
(1)美童から腐乱屍体への変化。
(2)高貴な出身の僧侶から鬼への変化。
一方的な愛欲に治癒というものはない。別の価値体系への向け変えが有効である。そこでたまたま村を通りかかった旅の僧が外部から到来した「他者」として出現し、鬼化した住職を形態変化させる役割を果たす。結果的に残されたのは旅の僧が住職にかぶせた青頭巾と住職の骨だけだったとはいえ。欲望を引き起こすのは肉だとされる仏教観は別として、外部で開花した住職の果てしない愛欲に終止符を打ったのがこれまた外部からやってきた旅の僧だというところにも注目したい。内部だけではどんな欲望も変化しない。外部へ移動するとともに変化し開花する欲望がこれまでの住職から鬼へと加工=再生産された。そして鬼へと生産された住職を骨へと回帰させたのもまた外部から移動してきた旅の僧=異人である点が重要だろうとおもわれる。
なお「青頭巾」を見ると日本の古典の他の幻想・ホラーものとは違い、狂気への境界線設定が意識的に明確化されているようである。上田秋成の特徴と言っていいような欲望論の一端かもしれない。けれども「青頭巾」で美童の屍体と戯れ遊び始めた住職の描写は、その前に「終(つひ)に心神(こころ)みだれ」とあり、さらにその後に「其肉の腐(くさ)り爛(ただる)るを吝(をし)みて、肉を吸(すひ)骨(ほね)を嘗(なめ)て、はた喫(くら)ひつくしぬ」とあるように、わざわざ特定してもしなくても構わない境界線設定だという点が気にかかりはしないだろうか。幻覚幻聴の出現抜きでそのまま死屍愛食へ進めてみても物語に差し障りは生じない。
というのは突然登場してきた旅の僧の言葉通り、死屍愛食は「そもそも」愛欲の極限の形だからである。恐怖する村人たちを納得させたのはその言葉であって、納得した側の村人たちにしてみれば「そもそも」論が披露された時点ですでに「鬼」への恐怖は半ば消滅したも同然で、物語も鬼化した住職が本当に村内から消え失せてくれるかどうかに話の重心が移っている。例えば「源氏物語」などでは「ものの怪ワールド」とでも言いうる箇所が幾らでも出てくるが、かといって「狂気/非狂気」の境界線はあいまいであり、ものの怪出現の理由もさほど奇怪でない。死屍愛食の場面も出てこない。ところが上田秋成作品は狂気への境界線がとても明瞭で描かれるシーンも猟奇的なほど深い欲望が取り扱われている。欲望というものは深ければ深いほど猟奇性を帯びるといえる。言い換えれば、究極的ホラーは限りなく芸術に近づく。