「私」はゲルマント家のパーティー会場の一角にこれまでとは異なる見慣れない光景を見かける。「内側が揺りかごのように湾曲したその長椅子に、ひとりの若い婦人が横たわっている」という形で出現する。
「ミネルヴァに支えられた大きな姿見のかたわらに長椅子がひとつまっすぐに置かれ、内側が揺りかごのように湾曲したその長椅子に、ひとりの若い婦人が横たわっている。公爵夫人がはいってきても起きあがろうともしないこの婦人のもの憂げな姿勢は、鮮やかな赤の絹の帝政風ドレスが放つまばゆいばかりの輝きと好対照をなしていた。この赤い絹地を前にしては、いかに真っ赤なフクシアといえども色褪せたにちがいなく、真珠母色に光るその絹地にさまざまな紋章と花がはるか以前に型押しされたように見えたのは、その跡がくぼんでいたからである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.247~248」岩波文庫 二〇一九年)
ゲルマント夫人に尋ねてみたところ「サン=トゥーヴェルト夫人の甥の息子の妻」だとのこと。と同時にサン=トゥーヴェルト夫人と面識があるということをゲルマント夫人は否定する。知っているのに知らないということになる。明らかな論理的矛盾だがゲルマント夫人は若い頃から何十年もサン=トゥーヴェルト夫人と張り合っていた間柄ゆえ、このような屈折した返答が返ってくることは何の不思議もない。一方でサン=トゥーヴェルト夫人との関係は否認する。けれどもゲルマント家のサロンで人目を引いている人物について「私」が尋ねてみたところそれは「サン=トゥーヴェルト夫人の甥の息子の妻」であることは否定しない。
サン=トゥーヴェルトという「名」はこの場面で二つの機能を演じる。
(1)「ようやく私は、ついぞ名前は知らなかったがあちこちで出会ったことのある男、ずいぶん背が高くてたくましい、髪が真っ白の大男が、サン=トゥーヴェルト夫人の夫だったと悟った」。
これまであちこちで出会っていた男の名前が他ならぬサン=トゥーヴェルト。「私」は始めてそうと知った。
(2)「婦人は、身にまとうみごとな赤い絹地が自慢で、長椅子に横たわるとレカミエ夫人のような効果が出せると考えていたのだろう。本人が気づくはずもなかったが、私にとってこの婦人は、あれほど長い間隔をおいて『時』の隔たりと持続とを示してくれたサン=トゥーヴェルトという名前の新たな開花を告げてくれた」。
「『いいえ、才気のあるかただというので、私のところであなたの目にとまったのは、お話しになっているかたのご主人ですわ。でもそのかたとはつき合いがございません』。『でもあの人にはご主人はおられませんでしたが』。『あなたがそう思われたのは、ふたりが別居していたからでしょう。とにかくご主人のほうがあの人よりずっと気持のいいかたでしたわ』。ようやく私は、ついぞ名前は知らなかったがあちこちで出会ったことのある男、ずいぶん背が高くてたくましい、髪が真っ白の大男が、サン=トゥーヴェルト夫人の夫だったと悟った。この男は去年亡くなった。姪のほうは胃病のせいか、神経を病んでいるのか、静脈炎なのか、お産が近いのか、それとも出産したばかりなのか、私にはわからないが、寝そべったまま音楽を聴き、だれが来ても身動きしなかった。きっとこの婦人は、身にまとうみごとな赤い絹地が自慢で、長椅子に横たわるとレカミエ夫人のような効果が出せると考えていたのだろう。本人が気づくはずもなかったが、私にとってこの婦人は、あれほど長い間隔をおいて『時』の隔たりと持続とを示してくれたサン=トゥーヴェルトという名前の新たな開花を告げてくれた」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.249~251」岩波文庫 二〇一九年)
「私」が若い頃に知り合ったサン=トゥーヴェルト夫人。数十年の間歇、切断ののち、新しく出現した「サン=トゥーヴェルト夫人の甥の息子の妻」。両者は衣装、身振り、演出技法、価値体系もまるで違っている。長い切断、長い「隔たり」のあとで、ふいに出現した新しいサン=トゥーヴェルト夫人は、今の「私」にとって「サン=トゥーヴェルトという名前の新たな開花」として再接続され更新されることになった。サン=トゥーヴェルトという「名」は、複数の通路を経るという条件のもとに限り、今や新しい「花」へ生まれ変わったのだ。