例外的にオデット(フォルシュヴィル夫人)はほとんど変わっていない。「むしろ持ち前のカルミン酸色素、そばかすを総動員して再開花した」かのようだ。そういう見方もできるわけかと思わせる。年月を経過にもかかわらず親(オデット)と娘(ジルベルト)とがあまりに似ている場合、次のように置き換えることができる。かつてジルベルトに会おうとブーローニュの「アカシア通り」で母オデットがやってくるのを待ち伏せしたものだ。相当の年月を経てもオデットが変わっていないのなら「一八七八年の万国博覧会の化身」よりも「一八九二年のアカシア通り」とするのが「私」にとって遥かに固有である。
しかしあまりにも若い頃のままだとどう見えるだろうか。「夫人は、まさにほとんど変わっていなかったがゆえに、あまり生きている感じがしなかった。まるで防腐処理をしたバラの花のように見えた」。そんなオデットに「私」は挨拶する。ところが。「夫人はしばらく私の顔を見つめ、そこに私の名前を見出そうとしたが、それは生徒が自分の頭のなかを探せば容易に見つかるはずの解答を口頭試験官の顔に見出そうとするのとそっくりだった」。オデットにはずいぶん年老いた「私」が誰なのかわからない。というより「名前」が出てこないがゆえに誰なのか繋がらない。そこで「私が名乗ると、その呪文のような名前のおかげで、歳月がおそらく私にかぶせていたアルブトゥスかカンガルーのような外見がとり除かれたのか、すぐさま夫人は私がだれであるかを認め、あの独特の声で話しはじめた」。
「フォルシュヴィル夫人の場合は、これとは逆にまるで奇跡を見るような事態と言うべきか、若返ったと表現することさえできず、むしろ持ち前のカルミン酸色素、そばかすを総動員して再開花したと言ったほうがよかった。夫人は一八七八年の万国博覧会の化身という以上に、現代の園芸展に出品されれば、珍種としてその目玉になったであろう。もっとも私にとって夫人は『わたしは一八七八年の万国博覧会よ』と告げているよりも、むしろ『わたしは一八九二年のアカシア通りよ』と言っているように思われた。いまもなおその場所にいても不思議ではない気がした。とはいえ夫人は、まさにほとんど変わっていなかったがゆえに、あまり生きている感じがしなかった。まるで防腐処理をしたバラの花のように見えたのである。私がこんにちはと言うと、夫人はしばらく私の顔を見つめ、そこに私の名前を見出そうとしたが、それは生徒が自分の頭のなかを探せば容易に見つかるはずの解答を口頭試験官の顔に見出そうとするのとそっくりだった。私が名乗ると、その呪文のような名前のおかげで、歳月がおそらく私にかぶせていたアルブトゥスかカンガルーのような外見がとり除かれたのか、すぐさま夫人は私がだれであるかを認め、あの独特の声で話しはじめた」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.86~87」岩波文庫 二〇一九年)
あれほど近い知人であったオデットでさえすっかり変貌した「私」を識別するためには「私」の「名」を必要とした。とすればオデットにとって過去の「私」と現在の「私」との間はすぱりと切断されていたことになる。