白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ140

2023年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月二日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今年生まれのタマにすれば身近に広がる風景はどれも初めてのものばかり。なかでも風が秋へ変化したことにはなぜかとても関心があるようで午後十時頃になると網戸を通り過ぎる夜風の向こうの風景にじっと見入っている。しかし昼間はどんな景色なのか。家猫なので飼い主がカメラに撮ってきて見せてやる。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて564

2023年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は男前豆腐店「濃厚ケンちゃん」。1パックの二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はソウハチカレイの焼いたのの半身。発熱が治らないためバファリンを使いながら。末期癌なので仕方がないとはいえ。

 

今朝の音楽はマイルス・デイビス「TUNE UP/WHEN LIGHTS ARE LOW」。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・「私」が誰かわからないオデットのための「名」

2023年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

例外的にオデット(フォルシュヴィル夫人)はほとんど変わっていない。「むしろ持ち前のカルミン酸色素、そばかすを総動員して再開花した」かのようだ。そういう見方もできるわけかと思わせる。年月を経過にもかかわらず親(オデット)と娘(ジルベルト)とがあまりに似ている場合、次のように置き換えることができる。かつてジルベルトに会おうとブーローニュの「アカシア通り」で母オデットがやってくるのを待ち伏せしたものだ。相当の年月を経てもオデットが変わっていないのなら「一八七八年の万国博覧会の化身」よりも「一八九二年のアカシア通り」とするのが「私」にとって遥かに固有である。

 

しかしあまりにも若い頃のままだとどう見えるだろうか。「夫人は、まさにほとんど変わっていなかったがゆえに、あまり生きている感じがしなかった。まるで防腐処理をしたバラの花のように見えた」。そんなオデットに「私」は挨拶する。ところが。「夫人はしばらく私の顔を見つめ、そこに私の名前を見出そうとしたが、それは生徒が自分の頭のなかを探せば容易に見つかるはずの解答を口頭試験官の顔に見出そうとするのとそっくりだった」。オデットにはずいぶん年老いた「私」が誰なのかわからない。というより「名前」が出てこないがゆえに誰なのか繋がらない。そこで「私が名乗ると、その呪文のような名前のおかげで、歳月がおそらく私にかぶせていたアルブトゥスかカンガルーのような外見がとり除かれたのか、すぐさま夫人は私がだれであるかを認め、あの独特の声で話しはじめた」。

 

「フォルシュヴィル夫人の場合は、これとは逆にまるで奇跡を見るような事態と言うべきか、若返ったと表現することさえできず、むしろ持ち前のカルミン酸色素、そばかすを総動員して再開花したと言ったほうがよかった。夫人は一八七八年の万国博覧会の化身という以上に、現代の園芸展に出品されれば、珍種としてその目玉になったであろう。もっとも私にとって夫人は『わたしは一八七八年の万国博覧会よ』と告げているよりも、むしろ『わたしは一八九二年のアカシア通りよ』と言っているように思われた。いまもなおその場所にいても不思議ではない気がした。とはいえ夫人は、まさにほとんど変わっていなかったがゆえに、あまり生きている感じがしなかった。まるで防腐処理をしたバラの花のように見えたのである。私がこんにちはと言うと、夫人はしばらく私の顔を見つめ、そこに私の名前を見出そうとしたが、それは生徒が自分の頭のなかを探せば容易に見つかるはずの解答を口頭試験官の顔に見出そうとするのとそっくりだった。私が名乗ると、その呪文のような名前のおかげで、歳月がおそらく私にかぶせていたアルブトゥスかカンガルーのような外見がとり除かれたのか、すぐさま夫人は私がだれであるかを認め、あの独特の声で話しはじめた」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.86~87」岩波文庫 二〇一九年)

 

あれほど近い知人であったオデットでさえすっかり変貌した「私」を識別するためには「私」の「名」を必要とした。とすればオデットにとって過去の「私」と現在の「私」との間はすぱりと切断されていたことになる。