白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ163

2023年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十月二十六日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昨日から一日一度の耳掃除。病院で教わった通りにしようと思うもののなかなか手際よくとはいかない。今日も就寝前に掃除の予定。とはいえ就寝した後にまた起きてくる。なにせ飼い主が不眠なので夜中に読書を始めるとタマも起きる。そして色鉛筆やぬいぐるみを飼い主の足元に持ってきてさりげなく「遊んで」と。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。スローソン・マローン1。elekingのインタビュー記事を見ると「ライヴは大好き」と言っていて、どんなライヴを思い描いているかというと「パフォーマンス・アートに近い」と。身体としてのジャズに意識的であるように感じるところはある。今後もっと紆余曲折してほしい気がしなくもないが。その2。

 

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて588

2023年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は京とうふ藤野「鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食は秋刀魚の塩焼き。塩気が多いと食べられないので薄味のものを探してきたら食べられた。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「SOME OTHER TIME」。


Blog21・横断的交差点としてのサン=ルー嬢

2023年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

ジルベルトとサン=ルーとの間にできた娘サン=ルー嬢。ただ単に二人の「間」にというだけでいいのだろうか。サン=ルーをめぐって多種多様な複数の線が走っていると同時にジルベルトをめぐって多種多様な複数の線が走っている。そしてそれらは幾重にも重なり合い横断し合いながらこれまで流通してきた。とすれば「私」にとってサン=ルー嬢は「まるで異なる地点からやって来たさまざまな道が集まる《放射状》の交差点のようなものではないか?」と思えてくる。

 

(1)「一方の道は、娘の母親とシャンゼリゼを通して、私をスワンへ、コンブレーですごした夜へ、メゼグリーズのほうへと導いてくれる」。

 

(2)「もう一方の道は、娘の父親を通じて、陽光のふりそそぐ海辺で私がその父親に会ったことが想いうかぶバルベックの午後へと導いてくれる」。

 

(3)「このふたつの道と交差する横道も、すでに何本も想いうかぶ」。

 

「私にとって、サン=ルー嬢へと収斂する道、サン=ルー嬢から放射状に広がる道は、数多くある。なによりもまずサン=ルー嬢へと収斂するのは、私があれほど何度も散歩したり夢見たりしたふたつの大きな『方向』ーーー父親のロベール・ド・サン=ルーを通じてゲルマントのほうと、母親のジルベルトを通じてメゼグリーズのほうとも呼ばれる『スワン家のほう』ーーーである。一方の道は、娘の母親とシャンゼリゼを通して、私をスワンへ、コンブレーですごした夜へ、メゼグリーズのほうへと導いてくれる。もう一方の道は、娘の父親を通じて、陽光のふりそそぐ海辺で私がその父親に会ったことが想いうかぶバルベックの午後へと導いてくれる。このふたつの道と交差する横道も、すでに何本も想いうかぶ」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.260~261」岩波文庫 二〇一九年)

 

リゾームという便利な言葉がまだどこにもなかった頃、プルーストは作品の中で作品を通して作品に語らせている。リゾームについて、トランス(横断的)について。