白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ402

2024年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月五日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

飼い主さあ、この前ハッシュタグがどうしてこうしたって言ってたじゃん。

 

加速主義とアメリカ第一主義の話だったかな。

 

タマね、猫だからかも知れないんだけど加速主義がどんなのかなんて今でもちんぷんかんぷんなんだ。

 

わからなくたっていいよ。全然問題ない。

 

いいの?

 

うん。むしろ飼い主から見れば猫の気まぐれこそ新しい未来を世界へ向けて垣間見せてくれている気がするのさ。新自由主義の行き詰まりはほぼ決定的だし。

 

タマ時々思うんだ。猫は気まぐれで手に負えないって人もいれば逆にそれが可愛いって人もいるようなんだけど、タマみたいに一日の半分以上寝てばっかりでしかもいつどこで寝てるのか、夜中に起きた時は何をしてるかわかんない生き方でいいのかなって。

 

あはは、いいんだそれで。気にかけることなんてこれっぽっちもない。たとえば猫を飼ってる人ならよく知ってることだけど一緒に遊んでる時にさ、とてとてと洗面所へ入って行くのかと思っていたら突然階段をのぼり出したりするじゃん。予想不可能って言うとステレオタイプなんだけどもう少し専門的にいうと「偶然性の必然性」って言い方がある。

 

むむ、、、

 

メイヤスーって思想家がこんなふうに言い出した。

 

「私は存在それ自体の非存在を考えられないし、結果として、また同じく、否定的事実のみの偶然性を考えることもできないのだ。偶然性は(絶対的なものとして)思考可能であり、また、存在と非存在の二つの領野が存続しないことは思考不可能であるからして、存在しないこともありうるしかじかの存在者と、存在することもありうるしかじかの非存在者がつねにどちらもあることが必要なのだと言わねばならない。ゆえに解決は次のように言える。《無ではなく何かが存在することは必然的である、なぜなら、他のものでない何かが存在することは必然的に偶然的だからである》。存在者の偶然性の必然性は、偶然的存在者の必然的存在を強制するのである」(カンタン・メイヤスー「有限性の後で・P.128~129」人文書院 二〇一六年)

 

ますますさっぱりだよ。

 

専門的には思弁的実在論って言うのさ。でも大事なのはね、マーク・フィッシャーがいろいろ論じ始めたのはブログからなんだけどメイヤスーの思弁的実在論もまたブログを書き込むことから始めたってことさ。資本主義はどこかに誰か絶対的権力者がいるようなシステムじゃなくてあくまでもネットワークであってね、それを独占的に構築した資本に対するオルタナティヴを停滞させることなく常に運動状態へ活性化させ揺さぶりをかけ続けるに際して、資本がわざわざ構築してくれたネットワークの内部でやってみるのが最も手っ取り早いとも言える。

 

そういうもんですか。

 

今のところはね。

 

どのカンタンさんかわかんないんだけどカンタン・メイヤスーで思い出した。たぶん初代タマさんが生きてた頃に買った本でしょ?新型コロナ流行前に。

 

そうだけど。どうかした?

 

カンタンて言うわりには全然簡単じゃないやって飼い主の妻がぼやいてるのタマ聞いた。ここ数日ちょこちょこ始めてる年末大掃除の途中に。

 

そういう駄洒落は覚えなくていいよ。やるとしたらいわゆるオヤジギャグを超えるものを捻り出してこなきゃ。ただ単なるオヤジギャグ批判なら誰にでもできるけど、じゃあ「てめえがやれよ〜」って言い返されたらどうする。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ジャブー。いわゆるブリストル・サウンド。といってもジャブーの音楽自体が色々変化してきたことからもわかるようにその要素はエレクトロニカ、エクスペリメンタル、オルタナティヴ・ヒップホップ、レゲエ、ダブなど解像度を上げていくときりがなく分解されうる。そういう聴き方よりも今作は今作のポップでいいのではと思える。

今日はもうひとつ。ティルザ。ひたすら安全牌ばかり取ってきた日本の歌謡界がとうとう追い抜かれる日はもうそこまで迫ってきている予感がする。実際に一日分追い抜かれたと気づいて慌てて挽回することにしたとしよう。でも他国のアーティストもみんな一日分やるわけで一度開いた距離がさらに開くことはあっても近づくことはない。


Blog21・新自由主義はなぜ嗤い転げていられるか?、「反資本主義ほどよく売れるものはない」から

2024年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ポピュラー文化の中でしばしば見かける「反資本主義」的なメッセージは逆にどんどんお金を生んでくれる。新自由主義の側から全然頼んでいないにもかかわらずありがたい存在だという逆説。

 

「『資本主義リアリズム』のなかでとり扱ったポピュラー文化について、政治的可能性がまったくないと言っているのではありません。私が指摘したのは、映画のメッセージのレヴェルでの反資本主義は《それ自体で》、資本の超覇権(ヘゲモニー)に何の打撃も与えないという事実です。反資本主義、あるいは少なくとも反企業主義とは、ハリウッド映画のなかではすっかり定番となっています。例えば『アバター』のような映画をみれば、よくわかることでしょう。『反資本主義ほどよく売れるものはない』ということは、資本にまつわる客観的なアイロニーとも言えます。あるいはさらに厳しい言い方をするなら、『後期資本主義の文化《そのもの》は、反資本主義である』、ということです」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.90」ele-king books 二〇二四年)

 

今の日本もまさにその通りだというほかない。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて996

2024年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「IV VV IV VV VIII」

猫好みの音が連発される。パソコン机の上へひょいと乗ってきて三〇秒ほど横になる。何を思ったのかパソコンの側面にかぷりを噛み付く。比較的薄型だというだけではなくなぜこのような音がここから出てくるのか、かなり興味を掻き立てられるようだ。噛めばわかるというものでもないと思うのだが4:51分と曲が短過ぎて残念。