白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ410

2024年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月十三日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昨日さあ、今年の漢字ってタマ見たよ。「金」て書いてあった。意味わかんないけど。

 

「金」ね、実質は「貨幣」というのが正しい。

 

そうなの?ますますわかんないや。あ、「金」でいえば飼い主が毎月買ってくる雑誌に金原ひとみって人の小説が載ってるの見たよ。タイトルだけだけど。

 

うん。せっかく読んだんでブログに感想をひとつ書いた。多分多くの読者や評論家ならね、モラ男から離婚なり逃走しようとする女性が何をどう考えて幾つもの作戦を練り上げてみたとしてもことごとく女性の側が不利な状況をたどってしまいともすれば「反社的」な位置へ陥ってしまうほかない逆説に焦点を当てるだろうと思ったんで、飼い主はドゥルーズ&ガタリを引っ張り出して「変容/変身」を焦点にしたんだ。

 

タマの飼い主、なんでいつもそうなの?

 

そうって?

 

たくさんの有名な評論家さんたちが考えるのと同じことを言ってたらもっと気楽に生きれてたかも知れない。

 

違うんだな。違和感ありありの評論家と同じことを言ったりしたらますます体を壊すだけだよ。もっと正直なのがいいね。飼い主はなんの変哲もない男のひとりに過ぎないんだけど昨今ようやくこれまで「いる」のに「いない」ことにされてきた人々が市民権を獲得できるような流れが出てきて良かったとおもってる。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウール&ザ・パンツ。年末年始の大掃除は師走にまとめてじゃなく一年間通して少しずつやっていくスタイルなので十二月に入ったからといってさほど慌てる必要はない。なので多少なりともいつも世の中とずれているわけだが、そうすることでこんな音楽にもゆっくり耳を傾けて体を休める機会が持てるという利点がある。


Blog21・モラハラ国家のなかで倫理的でいることの虚しさ

2024年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

ジュネはいう。

 

「アントワープに行き着く前に、わたしはヒットラー治下のドイツを通ってきたのだった。そこには数ヶ月とどまっていた。わたしはポーランドからブレスラウを経て、徒歩でベルリンに着いた。わたしはできれば盗みがしたかった。しかしある不思議な力がわたしを抑制していたのだ。当時、ドイツはヨーロッパ全体に恐怖の念を起させていた。この国は、特にわたしにとって、残酷の象徴となっていた。それはすでに法の外(アウトロー)の存在だったのだ。ウンター・デン・リンデンでさえ、わたしは、盗賊の堡塁(ほるい)の中を歩いているような気がした。最も謹直なベルリン市民の脳髄の中にも、詐佯(いつわり)の、憎悪(ぞうお)の、害心の、残忍さの、邪望の、稀有(けう)な宝が満ちているように思われた。わたしは、その全体が非合法の存在たる宣告を受けていたこの国民の中で自分がひとり自由な人間であることに心の動揺を覚えた。わたしも結局はよそのようにこの国でも何度か盗みをしたにはちがいないが、しかしその場合、一種の間の悪さを感じたのだった。なぜなら、この盗みという活動を指揮運転するもの、そしてこの活動の結果生ずるものをーーーこの特殊な倫理的態度が、この場合、公共的美徳としてうち建てられてーーーこの国民全体が体得し、それを他の諸国民に差向けていたからである。

 

『これは泥棒の国なのだ』と、わたしは心の中で感じた。『ここで盗みをしても、おれはなんら特異な、そしておれをよりよく実現させることのできる、行為を遂行することにはならない、ーーーおれはその平常の秩序に従っているだけなのだ。おれはそれを破壊しない。おれは悪をなさず、何ものをも乱さない。世の非難を惹(ひ)き起こすことは不可能だ。おれは空(あだ)に盗みをするのだ』

 

わたしには、掟(おきて)を司(つかさど)る神々が憤怒せず、ただ唖然(あぜん)としているように思われた。わたしは恥ずかしかった。わたしはなんとしても、現行の道徳の掟が信仰の的になっているような、その掟の上に生活が築かれているような国へ戻りたいと念じたのだった。わたしはベルリンでの生活の方法として売淫(ばいいん)を選んだ。それは数日のあいだわたしをいっぱいに満たしてくれたが、その後は倦(うと)ましくなった」(ジュネ「泥棒日記・P.174~175」新潮文庫 一九六八年)

 

これは何も「ヒットラー治下のドイツ」に限った話ではまるでなく今の日本がそうであり今のイスラエルのなかで半時代的イスラエルを生きようとしている人々にも当てはまるに違いない。

 

ついでに言うとジュネの場合世の中の「モラル」(道徳)と自分自身の「エチカ」(倫理)との違いを混同することは決してない。「エチカ」(倫理)に忠実であろうとするジュネの態度はいつも「モラル」(道徳)たらんとする国家と衝突するほかない。究極の泥棒、裏切り者、密告者、倒錯者等々であろうとするジュネは、だから帝国主義的侵略国家のなかにいると常にどこか居心地が悪く、腰の座りも落ち着きをなくし、国境から国境へ頻繁に出入りを繰り返すしかなくなってくる。

 

ジュネは殺人しない。殺人者はその華々しさゆえ往々にして神格化されてしまうからである。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1004

2024年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「ilanders」

パソコン机の下の棚でゆっくりお座り。のそのそ出てきたと思ったら飼い主の椅子の横でおとなしくおっちんしながら音の鳴るパソコン画面を時々見上げる。また何か新しい関心を見つけたようなのでボリュームを上げてみると今度はおもむろに椅子の後ろへ回り込み床でごろんと横になってお腹を見せてくつろぐ。終わり頃には机の上に飛び乗り今昔物語や文芸誌が積み上げてあるすぐそばで置き物のような風貌を見せてじっとしている。5:32分はいかにも短いようなのでもう一度繰り返す。置き物のような風情でエアコンの温風に和んでいる。電子音楽に対する余裕も出てきたらしい。