白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ420

2024年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月二十三日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

飼い主いつものアレルギーみたい。

 

空気が乾燥してるから気をつけないと。基礎疾患に喘息があるから特にね。この一週間ほどは鼻水・鼻炎がひどい。長引いてるんで薬出してもらわないと心配なんだけど一般の内科だとお金がかかるからね。

 

お金はかかるんじゃないの、ふつう?

 

慢性うつ病で仕事がないだろ?で飼い主の場合は精神疾患を患っているとはいえ重度の統合失調症者の場合とは違って他の診療科にかかるとお金がかかるのさ。薬代も馬鹿にならない。だから一般のドラッグストアで体に合う薬を見つけて買ってなんとかそれで凌いでるんだけど昨日でその薬も使い切ってしまった。今日のうちに買いに行ければ良かったんだけど体の調子がよくなくて行けなかったのさ。

 

明日にするの?

 

仕方ないね。日本の社会保障制度ときたら先進諸国のなかじゃ世界最悪レベルだし。

 

飼い主は時々言ってるけど。

 

あのねタマさん。飼い主だけが言っててもマス-コミとSNSが束になってデマばかり垂れ流してきたんだぜ。さらにデマの垂れ流しで食ってきた大型政治政党が二個も三個もある。いたずらに政治を混乱させてうれしがってる連中は命がいらないんだろうけど飼い主はそんな見え見えの馬鹿騒ぎに巻き込まれて死ぬつもりはひとつもないからね、ちゃらんぽらんな目立ちたがり屋とはやってることが全然ちがうのさ。

 

今日は我慢するの?

 

そうだね。我慢ばかりしてきたんだけど。まだまだ我慢しなけりゃいけなくなってきそうでもある。政治の世界に馬鹿をのさばらせると飼い主のような立場の人間だけでなくふとした拍子に日本全土の底が抜けるってところまで十分痛い目に遭わないとまたしても理解しようとしない人々が圧倒的多数派を占める世界が出来上がったってこと。出来上がってしまうと今後は逆方向へ転倒するわけだけど政府は何をどうすればいいのかほとんどわかってないのさ。新自由主義導入で瓦礫化した国土国政をひとつひとつ修理していくところから手を付けるしかない。近道なんてどこにもないよ。

 

野良さんだって一日一歩ずつしか回復しないみたいだ。

 

野良さんは動物だし動物なら動物が生きていくのに必要な環境ってのが本能的にわかる。でも多くの人間はその深淵をじっくり覗き込む度胸も勇気も時間もお金も常に不足してるってのに、驚くべきことにそれがなぜか快適らしいんではたから見てて困ったもんさ。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウェンディ・アイゼンバーグ。ジャズのようでもありフォークのようでもありポスト・ロックにもポスト・パンクにも聴こえる。地平線のようでもあり水平線のようでもある。いろんな挑戦が垣間見える。


Blog21・ヘーゲル弁証法の可能性と二、三の失敗

2024年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ポスト・トゥルースの時代にヘーゲル弁証法の価値を見直そうとする動きが出てくるのは当然だろう。ちなみに今なお世界三大難書のひとつに上げられるヘーゲル「精神現象学」。他の二冊はカント「純粋理性批判」、ハイデガー「存在と時間」。

 

とはいうものの実を言うと、どれも世界中でやかましく言われているほど難しくも何ともない。むしろ難しくしているのはいわゆる「超入門!ハイデガー『存在と時間』」、「1からわかる!目から鱗のヘーゲル『精神現象学』」、「この一冊!決定版カント『純粋理性批判』」といった入門書の類に消費者が群がる構造にある。

 

難解思想の暴風雨が吹き荒れたポストモダン全盛期の日本。まだ二〇代だった頃の浅田彰が言っていた。「早く読め!」。何をか。マルクス「資本論」を。

 

これにはれっきとした理由が幾つかある。いきなりヘーゲル「精神現象学」を手に取っても何一つわからないのは当たり前である。それよりヘーゲル「精神現象学」の中核をなすばかりでなくヘーゲルの他のどの著作(大論理学、精神哲学、歴史哲学講義など)を見てもまんま同じくステレオタイプのごとく取り出せる独特の弁証法のパターンを最も高度なレベルで用い、かおかつ最も身近な日常生活に欠かせない商品を論じた「資本論」の最初に出てくる「価値形態論」こそヘーゲル「精神現象学」、とりわけその弁証法を読者の側が自分のものにするための最短距離だという宣言にほかならなかったことに一体何人の読者が気づいていただろうか。

 

ヘーゲルより先にマルクス「資本論」の最初に出てくる商品の章のなかの「価値形態論」を何度か読む。余裕があれば二十五回くらいがいいだろう。わかってきたと思ったらヘーゲル「精神現象学」の「自己意識」の章をこれまた二十五回くらい読む。マルクス-ヘーゲル、ヘーゲル-マルクス、ちょっとした隙間時間を作ってはこれを何度も繰り返す癖を身に付けておくと他の難書と言われるカント「純粋理性批判」、ハイデガー「存在と時間」は何一つ怖くない。

 

なお途中の著作から失敗を犯した有名人に丸山眞男とマックス・ヴェーバーとを上げることができる。彼らは二人ともマルクスに憧れつつ大いにヘーゲル弁証法に取り組んだ。そこでヘーゲルが用いている単純なパターンをどの著作にもあてはめてしまった。丸山眞男なら明治近代以降の日本軍部の解剖はとても立派な仕上がりになっているわけだが、近代以前、江戸時代にまでヘーゲル弁証法を持ち込んで読解しようとした。ヘーゲル弁証法が通用するのはもちろんヘーゲルが実際に見たヨーロッパ資本主義勃興期の沸騰的運動状態においてである。そんな近代以後になって始めて有効性を発揮し得るヘーゲル弁証法を近代以前の近世江戸期の読解にまで持ち込んでもどこかおかしな理論に陥り失敗してしまうのは考えるまでもない。

 

マックス・ヴェーバーの場合は厳しすぎるキリスト教が逆に資本主義を結果的に謳歌するプロテスタントを産んだという逆説を弄することになった。とすれば資本主義が今や手に追えないグローバル新自由主義の世界支配という狂乱的事態を出現させることになれば逆にグローバル資本主義の世界支配の狂乱状態を厳格に取り締まり世界を安定多数へ転倒させる動きが大規模に出現してくるというのがヘーゲルに忠実な論理である。ところが今の世界はまったくそうはならない。ヘーゲル弁証法が妥当する事態と必ずしも妥当しない事態とを冷静沈着に区別する立場が必要なのはもはや言うまでもないだろう。

 

付け加えておくと、かなり入り組んだ社会的な諸問題の解決へ取り掛かるに当たって今なおラカン理論が有効な場合がありはする。しかしいきなりラカンを読んでも「これでわかった!ラカン入門」を読んでもいずれにしろめちゃめちゃわかりにくい。ラカンは基本的にヘーゲルの産物なのでありヘーゲル「精神現象学」に取り組まないことには始まらないし、フロイトを論じているのでフロイトを先に読むのがふつうに思えるわけだが実はそうではない。ヘーゲル「精神現象学」を通過してその後でフロイトの諸論文と対照させながら読んでいくのが最短距離である。

 

以上、ポストモダン辺りで今だにぐずぐずしていては天然資源に恵まれていない日本が頭脳を駆使してコンピュータだけでなくコンピュータ以上のものを発見しつつ生き残っていくためには、とにかくへんてこな流通出版業界の流れに読者が唯々諾々と付き従っているだけではもはや世界随一の劣等国家へあれよと転落してしまうのは目に見えているといえよう。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1014

2024年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「tt1pd」

9:53付近まで。傷みの激しい木造の廃屋に暴風が吹きつけるような日に耳にしがちなギシギシ音がしつこく反復される。予想してはいたがそれが猫にはなかなか気に入ったようでパソコン机の下の棚におとなしくおっちんして聴いている。いったん息抜きのようにやや静寂なパートで曲は落ち着きを見せるが13:33付近から今度は中小の町工場で見習い板金工がグラインダーで金属加工しているような音が鳴り渡ると猫は机の上に飛び移り置き物そっくりの風貌で太古の宇宙で猫だけが聴いていた途方もない音響に耳を傾けつつあるかのように神妙にお座りしている。