錬金術への意志。中世ヨーロッパに限った話ではいささかもない。奥泉光は江戸時代の日本で大規模に拡張した奇怪な技術習得への飽くなき執念について、そのように「人々が信じる素地があった」と書く。
「つまり前田賢永は『斎木堂閑話』で描くような事柄が、実際にあったかどうかは措(お)いて、そのようであったと人々が信じる素地があったと述べるわけである」(奥泉光「江戸の錬金術師」『群像・1・P.15』講談社 二〇二五年)
「人々が信じる素地」というのは大衆が割り切ることができず信じたがっているという意味で脳内を占領して憚らない「信仰」であり「宗教」の場でもあったと言えるだろう。そしてそれは「科学」という言葉に取って代わる。
「時代を超え国を超え、人なる者が夢幻の神秘を求める存在であり続ける以上、宇宙の秘蹟を掌中に開示する錬金術、これを求めることを我々はやめられない。唖然とする仕方で常識を覆し、机の小筐を開けるようにして世界の謎を解き明かしてしまう神秘の技術への憧憬から人は逃れることはついにできない。それはいついかなる時代の精神にも、たとえば近代の科学信仰の背後にも潜んでいるのだ」(奥泉光「江戸の錬金術師」『群像・1・P.26』講談社 二〇二五年)
科学もまた「宗教」に過ぎないとニーチェは言った。二箇所引こう。
(1)「現今、科学上の労作が厳格に取り運ばれており、また満足してその労作に携わっている人々が存在するということは、科学が全体として今や一つの目標を、一つの意志を、一つの理想を、一つの大きな信仰に対する熱情をもっているということの証拠には決してなら《ない》。前に言ったように、実際はむしろその反対なのである。科学が禁欲主義的理想の最も新しい現象形式でない場合ーーーもっとももこれは極めて稀有な特別の場合であって、このために全体的批判に変更を来たすというようなことは到底ありえないがーーーには、科学は今日あらゆる不平・不信・悔恨・《自己蔑視》・良心の疚(やま)しさの隠れ場所である。ーーーそれは無理想そのものの《不安》であり、大きな愛の《欠如》に基づく苦しみであり、《強いられた》満足に対する不満である。おお、今日では科学は何とすべてを蔽い隠していることか!何と多くのものを少なくとも蔽い隠さ《なくてはならない》ことか!われわれの有する最も優秀な学者たちの手腕、彼らの無分別な勉強、彼らの日夜湯気を立てている頭脳、彼らの仕事に対する卓越した技倆そのものーーーこれらすべてのものの本来の意味が彼ら自身に目隠しをさせてしまうことにあるといった場合が何と多いことか!自己麻酔の手段としての科学ーーー《諸君はそれを知っているか》(ニーチェ「道徳の系譜・P.189~190」岩波文庫)
(2)「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫 一九九四年)
人々が科学しようとする態度の善悪を問うているわけではまるでなく、近代の成立とともに錬金術という言葉が笑いものとなるにつれて「科学」と名を変えはしたが、それもまた「信仰」であり「宗教」である点ではひとつも変わっていないとする。人間は「科学」と名を置き換えた、そのじつ「錬金術」への意志を決して捨て去ることができない。
「わかった」とはどういうことか。妖異といい怪奇というも「わかる」とはどういうことをいうのか。
「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる」
さらに、
「新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」
怪異や妖異を「人々が信じる素地」、割り切ることができず信じたがる素地、それはいつどこにでもある。その素地の中を無我夢中で取り掛からねば気が済まない「《強いられた》満足に対する不満」に没入する科学者は幾らでも出てくる。錬金術の代名詞グノーシス派。その場所に集い、あるいは孤独のうちにますます意味不明になっていく研究に没頭した幾多の人々。いわゆる「花のお江戸」を賑わしたのはそういう人々の繋がり合いだった。そういう人々の離合集散なしに「花のお江戸」はあり得なかった。
それぞれの時代をそれぞれの時代たらしめている構造に対する「不平・不信・悔恨・《自己蔑視》・良心の疚(やま)しさ」なしに近代以降の「科学信仰」も含め「花のお江戸」を大いに盛り上げた怪異や妖異はないに違いない。
その繋がりで思うのは柳田國男の言葉である。
「山人が尋常一様の妖怪の類でない証拠としてまず諸君の注意を乞いたいのは、この物が小さな島にはおらぬという点である。もし我々の想像の産物でありとすれば、人の行く処には必ず追随すべきはずであるが、実際の遭遇談は旧日本の三箇の大島の、しかもおよそ定まった十数箇所の山地にのみ伝えられているのである。要約して言えば山男のおりそうな処にばかり山男はいる」(柳田國男「山人外伝史料」『柳田国男全集4・P.392~393』ちくま文庫)
どうして「ここ」というところに限ってそのような話が出現するのか。例えば今なお記憶に新しい3.11東日本大震災後で事故を起こした原発周辺で何か怪奇現象のようなものに遭遇したとか、亡き子供が迷子になって泣いている声を聞いたとかいった話の出現。
怪異や妖異を「人々が信じる素地」、割り切ることができず信じたがる素地。それをカルト的なまでに追求しなければ気が済まない科学信仰/宗教。この種の技術や発見への我を忘れた没入が後を絶たないのはなぜだろう。大震災クラスの破局がいつどこで勃発しても今や誰一人驚かない世界の中で人々は怪異や妖異を求めて漁り歩き研究に没入し科学と宗教とを混同することをやめようとしない。怪異や妖異を「人々が信じる素地」、割り切ることができず信じたがる素地、自己カルト化への無意識。根底には常にある種の「疚(やま)しさ」が垣間見られる。人間は地球を我がものとしながら同時に宇宙までも開発しようとする。すればするほど人間身体の暗い奥底から繰り返し湧き起こってくる強迫神経症的不安の増殖。その不気味さ。
おそらく錬金術的なものは、この二〇年で大きく変容したメディア工学をも含めて、これからもずっと行われていくのだろう。付け加えていえば、昨今流行りの「メディア工学」のような政治戦略もそのグローバルかつ大規模で人知を超えていきそうな大げさぶりにもかかわらず単純な話、ありふれた「宗教」にほかならない。
ところでなぜこの種の試みはいつもお約束のように宗教へ転倒し、転倒しつつもなお多少なりとも同時代人の耳目を集めてしまうのか。落雷に打たれて超人と化す変身願望。当時のもうひとつの流行「化け猫・からくり」。もっとも江戸時代後期から幕末にかけては「からくり」に満ちている。「神」あるいは王権がふたつに分裂していたことを人々が不意に思い出した頃でもある。そして政情不安定期には必ず出てくる「化け猫」騒動。