白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ413

2024年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月十六日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

それなんて言うの?タマ始めての香りだ。

 

ピラフだね。

 

この前に作ってたチャーハンとは違うの?

 

ちょっと違う。チャーハンも作りたてをすぐ食べると胃にしっくりくるしよく火を通しておくとお腹が温まるいいメニューだね。

 

飼い主の妻って精神的に難しい病気を患ってるからタマは時々お布団のそばに寄り添ってあげてるんだけど、その時みたいにうれしそうな顔で食べてた。

 

ピラフは滋賀県に引っ越してくる前から飼い主がよく作ってたメニューのひとつでね。妻の好物でもあるんだ。京都の長岡京市ってところの賃貸住宅に住んでたんだけどお安く仕上げる工夫を色々してた時期にまあまあのを作れるようになった。それだね。

 

独特の香りはなんなの?

 

バジルかい?

 

タマは初めて。香ばしくていい感じだなあ。

 

とはいえね、タマの食事には猫が好きないろんな成分が入ってるよ。

 

だけど人間って猫には理解できないほど大量にたくさん香りをかき集めてあれこれ料理しちゃうんだね。見た目も味も香りもお腹に入った時の感触もなんだかんだ変化がないと飽きちゃうなんてよほど贅沢っていうか不便っていうか。

 

不便、ね。そうかも知れないなあ。合理化できないし、こればっかりは。

 

でも戦時中は無理やり合理化したんでしょ?いつだったかテレビでやってたよ。

 

そうだね。人間集団というのは何年かに一度くらいおかしくなるんだ。例えばギリシア悲劇なんか見てるとそんな例がこれでもかと詰め込んである。近代になるともっとはっきりしてきた。ニーチェが皮肉ってる。

 

「今では何か戦争が勃発するやいなや、きまっていつも同時に民族の最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜びが突然に生ずる。彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる、というのも彼らは祖国への献身のうちに、やっとのことであの永いあいだ求めていた許可をーーー《自分たちの目的を回避する》許可を手に入れたと、信ずるからだ。ーーー戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」(ニーチェ「悦ばしき知識・三三八・P.358~359」ちくま学芸文庫 一九九三年)

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウール&ザ・パンツ。年末年始の大掃除は師走にまとめてじゃなく一年間通して少しずつやっていくスタイルなので十二月に入ったからといってさほど慌てる必要はない。なので多少なりともいつも世の中とずれているわけだが、そうすることでこんな音楽にもゆっくり耳を傾けて体を休める機会が持てるという利点がある。


Blog21・<書くこと>と性別溶解

2024年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

今回のラストで「思い込み」について述べている。

 

「名前にたった一つの正しい綴り字が必ず存在するという前提は、言語に対する多くの偏見に支えられている。そしてそれは『DEATH NOTE』を読んだ多くの人々にも知覚されないくらいに、密やかに大勢の心中に巣くっている思い込みなのだ」(吉岡乾「ゲは言語学のゲ(18)」『群像・1・P.512』講談社 二〇二五年)

 

「名前にたった一つの正しい綴り字が必ず存在するという前提は、言語に対する多くの偏見に支えられている」

 

直接関係なさそうでありそうな話だが吉岡乾はフィールドワークのなかでこんな経験をしたらしい。

 

「丸字と女性性との結び付けは日本という狭い国の中だけではない。面白いことに、僕が書く文字は日本語の文字に限らず、ラテン文字を書いてもキリル文字を書いてもアラビア文字を書いてもハングルを書いても丸字っぽくなるらしく、パキスタンの山奥で現地調査をしていると、僕の書くウルドゥー語(アラビア系文字)を見た地元の連中が、口を揃えて『お前は女みたいな字を書くなぁ』と言ってくる」(吉岡乾「ゲは言語学のゲ(18)」『群像・1・P.508』講談社 二〇二五年)

 

もっともネット検索すると大量に出てくる「男文字/女文字」という偏見に基づく論考とは関係ない。日本の漫画文字あるいは丸文字だけの世界かと思っていたら全然そうではなく、世界の辺境とも言えそうな土地で「僕の書くウルドゥー語(アラビア系文字)を見た地元の連中が、口を揃えて『お前は女みたいな字を書くなぁ』と言ってくる」という事態はいつどんなふうに定着したのだろうと考える。考えれば考えるほどわけがわからなくなるわけだが。

 

仕事をしていてもいなくてもワープロ原稿を用いることがほとんどの社会になってから生(なま)の文字/書体を目にすることは加速的に減った。しかしそれ以前、特に高校卒業から大学中退頃までは文字を記入する際、確実に生(なま)の文字/書体を用いていた。なぜかはわからないが職場では丸文字を目にしたからといってそれを書いたのが女性社員だとは決して限らない。書体の癖で誰が書いたかわかることのほうが断然多かった。

 

ワープロ普及以前のエピソードを思い起こすのである。個人的に文字が上手いとはとても言えないタイプだったのでどうにかしたいと常々思っていた十代半ばの高校時代、同じクラスの女子生徒数人に見せてもらったノートがなんとも美しく見えた。文字を書き込む位置の配置が大変おおらかで偏りがなく不埒なまでに整然とした丸文字で無理なく無駄なくノートされている。何度か借りて真似することにした。それ以来少しは他人が見ても読める書体の文字が書けるようになったと思っている。

 

ところがそれを見た男子生徒のひとりが「お前は女みたいな字を書くなぁ」と言うのである。とりわけて「女みたいな字」を意識したわけではなくて女子生徒らが頻繁に使っていたノートの仕方を真似したのだったが、その男子生徒には「女みたいな字」であると映ったらしい。実際のところは性別に関係なく近い友人同士で似たような文字を使い似たようなノートの取り方を共有することでひとつの小さな共同体を形成していたのだろう。仲間の標のような感覚だったのかもしれない。女子であろうと男子であろうともともと習字に自信のある生徒は鼻から堂々たる書体で何らの躊躇もなく性別も見た目にはまるでわからない文字を書き連ねていた。

 

ある程度丸文字を習得しているうちに気づいたことがある。丸文字を書いている時は男子生徒であるにもかかわらずなぜだか女子生徒であるような気がしているということに。逆に漢文の授業で「とめ、はね」などを意識的に強調する際には一休宗純にでもなったかのように気分はまるきり男子になっている。

 

再び丸文字を書き連ねているノートをたまたま覗き見た友人の男子生徒がにやりと薄ら笑いを浮かべ「なんだか女々しい」字を書くなぁと言った。そういうものかなとやや違和感を覚えたけれども違和感は「女々しい」という発語に込められた軽蔑のトーンに対する反応であり丸文字そのものを止めようとはひとつも思わなかった。後日その男子生徒に約束していたカセットテープを手渡した。オジー・オズボーン「ミスター・クロウリー」を始めから最後までギターでコピーして録音したほぼ完コピに近いもの。それを聴いた友人は翌日から丸文字で埋められたノートを見ても「女々しい」ということはなくなった。

 

しかし疑問はヘヴィ・ロックのギターソロが弾けるかどうかではなく「女々しい」ことが今や積極評価されつつある世の中の変化だろうと思える。一方に女性ばかりのヘヴィ・ロック・バンドがありそのメンバーのなかにはそれこそ一休宗純のような書体の習字をものにしている人たちがいる。その一方ひとりでアコースティック・ギターの弾き語りをそれこそ中性的な声音で盛り上げるわけでもなく盛り下げるわけでもない新しい音楽を開拓している人たちがいる。悪くないと思うのである。

 

今も思い出すのは高校時代のことでワープロが普及していなかった頃、授業中に丸文字でノートしている時にふと女子生徒へ生成変化しているような奇妙なあわいをさまよった記憶である。プルースト作品で見られるように始めてのバルベック滞在時に自転車を押しながら浜辺を歩いてくる一群の女子があたかも一塊の生命体として切れ目なく見えたのと似ているかもしれない。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1007

2024年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「debris_funk」

町工場から響いてくる作業音に近いものがある。7:17付近からはリズムを刻む打音が消える。なんだかグラインダーだけで板金加工でもやっているような音響になる。その辺りで猫はパソコン机の上にひょいと飛び乗る。飼い主の腕に頭をごん。机の端に積んである書籍類のそばであくびをひとつ。おっちんしながらじっとくつろぐ。もう一度聴かせてみる。相変わらず机の端に積んである書籍類のそばでおっちんしつつくつろいでいる。音楽を聴かせている時間は気が散ってしまわないよう人間のほうから話しかけないことにしているので猫が何を考えているのかさっぱりなのだが急に思い出したかのようにパソコン画面の端に体を擦り付け始める。何度かすりすりしながら尻尾で飼い主の頬をすりすり。間を置かずパソコンの角をかぷりかぷりと軽く甘噛み。もう一度画面をすりすりした後、さっと机から降りる。