白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ416

2024年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月十九日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

タマさん、今朝は小さな座布団を見つけて引っ張り出してきてお利口に座ってたね。

 

えへん。ぬいぐるみでたくさん遊んだ後に思い出したんだ。部屋の隅っこの籐椅子の下に体重計があってその上に何か載っけてあったのを何日か前に見つけて一度座ってみたら気持ちよかった。すぐ忘れたんだけど今朝は居間で遊び回ってるときにたまたま籐椅子の下に潜り込んでね、そこで、あっ、て思い出して口に咥えて居間の入り口の脇に持ってきた。そのまま香箱座りしたら心地よいんだ。

 

生地が違うんだな多分。ふつうの座布団には座らないよねタマ。

 

小型のクッションを用意してくれてたみたいなんだけど全然座ってないな。クッションの紐をくちゃくちゃ噛んで遊んだくらい。ときどき蹴飛ばしたりもするな。座布団に見えないんだ。

 

今朝お利口に座ってた生地はフェルトって言うのさ。一般的な座布団は木綿だけど。

 

タマはフェルトが好き。小型だと持ち運びに便利だし。木綿はなんていうか大げさな感じでいかにも人間様って感じで違うんだなぁ。

 

そりゃお前さん、始めから飼い猫のために座布団が出来たわけじゃないよ。座布団にも歴史ってのがある。

 

あるの?

 

原型は平安時代の筵(むしろ)なんだけど今みたいな形ができたのは中世だね。一般化したのは江戸時代。

 

小型もそうなの?

 

小型にも歴史的な共通点があるよ。例えば木魚とか大黒さんとか勾玉とかの座布団ね。

 

勾玉、、、あ、タマわかった。儀礼とか作法とか尊厳とかってことを考えたんだ、きっと。

 

よくわかったね。で大金持ちの商取引とかだとさ、何かの間違いで平謝りに謝らなきゃなんないってことになると謝る側が座布団から降りてさらに土間があれば土間まで降りてさらにさらに庭があれば庭まで降りて出資者の面前で額に何度も泥をこすりつけて謝んないと許してもらえないこともある。大口顧客の大金とメンツとに泥を塗ってしまうと塗った側がその泥を引き受けるってことになる。

 

へぇ。でも大口顧客って言う場合の問題はお金のことだよね。それも大金。そんなに大事なことなのにその辺にいくらでもある泥を額にどろどろ塗りつけて引き受ける形にしただけで肝心の巨額取引の責任は出資者から別のところへ移しちゃうことが出来るの?

 

出来るのさ、それが。不思議だろ。

 

むぅ、猫にはとても理解できないや。でもさ何で土下座って、土とか泥までへりくだらなきゃなんないのかな。

 

土下座やらせたりやらされたりしてる人々がどこまで意識的なのかわからないけどまあ、実をいうとヒューマニズムとはほど遠い世界的規模の人類学史的課題だね。世界のどこへ行ってみても民族建国神話ってのがあるだろ、日本だと古事記とか日本書紀が圧倒的に有名だけどもっとマイナーな風土記ってのもちゃんと見ないといけない。でもどの民族建国神話を見ても途轍もなく深い共通点がある。特に日本を含む東南アジア一帯に残る建国神話ってのは。そのどれを見てもほぼすべて土と泥と水とが交わり合うところから始まってるのさ。

 

どういうこと?

 

土と泥と水は商取引の終わりどころか逆に人類史の始まりってわけ。近いところまで接近した日本の作家に大江健三郎と中上健次とがいた。津島佑子もなかなかやるだけやった。暴力と向き合うことと書き手自身もそれなしでは生きていけない暴力性は今この時も繰り返し生じてやまないという「いろは」の「い」を直視できるかってことだね。今では韓国のハン・ガンとかが果敢に挑戦してる。それを押さえた上でね、ポスト大江やポスト中上と言いうる小説家として新しい書き手、二十代から三十代半ばくらいの作家がそれぞれの課題に取り組もうとしてる姿勢を大切にしてあげなきゃいけないと思ってるわけさ。

 

タマの頭ではまだ早いような、気の遠くなるような。

 

いやいや、地球には人間に先立って動植物が先住してたってことですでに猫たちが繰り広げる人間世界のパロディは完成してる。それがわかってりゃ後は生身の人間同士でどう「落とし前」をつけるかってことでいいんだ。タマは寝たい時に寝てりゃあいい。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウール&ザ・パンツ。年末年始の大掃除は師走にまとめてじゃなく一年間通して少しずつやっていくスタイルなので十二月に入ったからといってさほど慌てる必要はない。なので多少なりともいつも世の中とずれているわけだが、そうすることでこんな音楽にもゆっくり耳を傾けて体を休める機会が持てるという利点がある。


Blog21・接客/外交/漬物石としての日本政府

2024年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

家電、例えば洗濯機とか冷蔵庫くらいの買い物になると店員と話し合いながら商品を選ぶことになる。

 

「これ二個下さい」

 

「承りました」

 

と二秒くらいで済むようなケースは多分ないと思われる。

 

「商談には多少へらへらしたほうがいいお客さんと、真顔で情報だけ伝えたほうがいいお客さんがいる。仕掛けた顔が相手にはむしろ不誠実に映るとわかって真面目な接客に切り替える、というのは身に覚えがあるのでへんに申し訳ない気持ちになる」(くどうれいん「日々是目分量(53)」『群像・1・P.556』講談社 二〇二五年)

 

そんなふうに接客作法としてくどうれいんは二つのパターンを上げている。

 

個人的に鬱っぽい立場としては断然後者の側の客として振る舞うのが常だ。余計なおしゃべりに付き合わされるのは気が重いし色いろ演じたりしていると店員の側も客の側もどのみち途中から本題に着地しないといけなくなりその肝心の時に急いだり慌てたりして計算のやり直しや細かい注意事項の確認を忘れてしまったりするのはみっともなくて後で思い出した時に恥ずかしくなるのが嫌だということもある。

 

そんなわけで大型家電に限らず小型でも家電製品でなくても、たまに行く店の場合、以前に訪れた時の店員の特徴をよく覚えておいて次に行った際に買い物を済ませて店を出る直前にその店員の髪型が変わっていたら髪型について、あるいは季節がわりに鼻風邪を連発して困っていたのを覚えていれば治ったみたいで良かったですね、何かいいお薬でも見つかりましたかと聞き出してそれを話題にして簡略に挨拶だけ済ませるというのがいつものスタイルである。

 

周囲から見ればやや愛想がないお客に映るかもしれないが、用事を済ませて店を出る直前、髪型、服装、体調などについて最後にほんのちょっとラフな感じで話題に乗せると店を出たあと客としても鬱っぽくならないのだが性格的なものかもしれない。

 

このところ増えたと感じるのは極力プライバシーに踏み込まないよう心がけないといけない業態あるいはその社員スタッフの態度だろうとおもう。何をするにもいつも億劫かつ面倒な客としてはすっきりしていて好感が持てる。顔色まで接客中ずっと変わらない比較的若い社員だと安心する。で、手続きを済ませて店を出る時に「いやあ、とても落ち着いた接客でバランスがいいですね」とひと声かけると少し照れたようなもじもじした身振りを見せて「いえいえそんな、まだまだです」とまんざらでもない表情を見せてくれる。接点の持ち方と切り離し方が上手い接客というのは後から思い出した時にこちらが接客する側に回った際にも大変参考になるようにおもう。

 

また昨今は少しずつではあってもようやく障害者雇用がちらほら見られるようになってきた。接点の取り方、なかでも最初が難しい。ぎくしゃくしてしまうことがある。しかしそんなときにも「コツ」がある。客の態度によるところが大きい。大学在学中から障害者との付き合いがふつうにあると単純な話、こんなふうに接したらいいと身に付いているわけだが今の日本では社会の側が追いついていない。というのは言い方を換えると客の側があまりに世間知らずだということを意味する。海外ではもう何年も前から研修済みの社員がいくらもいるにもかかわらず日本は遅すぎる。海外と比較しなくても比較以前の時代、二〇世紀の頃からずいぶん消極的だった。今やそのツケはあまりにも大きい。グローバルサウス諸国がどんどん腕を磨いている間に日本は世界からはぐれて独りよがりの逸路に迷い込んでしまった。音楽と同じことが言えるかもしれない。

 

「ひたすら安全牌ばかり取ってきた日本の歌謡界がとうとう追い抜かれる日はもうそこまで迫ってきている予感がする。実際に一日分追い抜かれたと気づいて慌てて挽回することにしたとしよう。でも他国のアーティストもみんな一日分やるわけで一度開いた距離がさらに開くことはあっても近づくことはない」

 

アメリカや中国といった超大国ならいつでもそこそこ素早く態度をひらりと取り換えることができる。ところが日本のような頑なで融通の効かない世界の孤島のようになりつつあるちっぽけな国では政府がもっとしっかりしなくては大衆レベルでどれだけ多くの人材が頑張ってみても報われないのである。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1010

2024年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「e0」

音楽ON。猫はいったんパソコン机の上に飛び乗る。お気に入りのぬいぐるみ投げてやると机の上からぬいぐるみ目指して軽快に追いかける。テクノを聴きながらだからかはわからないものの居間でテレビを付けている時とはまったく違い、ぬいぐるみやギターのピックを追いかけて遊ぶ時にポップな感じの余裕を見せるは確か。居間や廊下だと急に本気で走り出して時々テーブルの脚や洗面所の角で体を無駄にぶつけたりするのだがある程度深めのエコーが常にかかっている電子音響下の場合は同じように飼い主といっしょに居ても安心感が異なるようだ。玩具としてギターのピックをもう一度試してみたところ、前に何の変哲もないフェンダーやマーチンよりヒストリーのややガラスの破片っぽい音に素早く反応してよく遊ぶのがわかっていたので、フェンダーとヒストリーの中間くらいでヒストリーほど硬い音ではないがフェンダーほどどこにでも転がっているありふれたセルロイド素材よりウルテム素材のヒストリーに近いガラスの破片っぽい音で転がるジムダンロップのポリアセタール素材のピックを試してみるとこれまた素早い反応を示してよろこぶことがわかった。なお遊びへの関心が高まると音楽は後景に退くとしてもなお「e0」では最低音部のベースにこれといったパターンは見られずそのぶんリズムが人為的にまとまり過ぎていないのが好印象かも。一貫して鳴っている金属音は音程が単調ではなく13:14分くらいから猫のお気に入り金属音とベースになる最低音のグルルル音だけになる。すると再びパソコン机の上に飛び乗って書籍類の上におっちんしてゆっくり休む。