二〇二四年十二月二十二日(日)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
タマさん、飼い主の布団の上にいるときね。おタマ~って声かけるだろ?そんで飼い主の顔を見上げるんだけど、時々這いつくばった姿勢でこちらを見上げると昔の時代劇で「おでえかんさま~」って感じになる。
「おでえかんさま~」?
代官に御と様を付けただけなんだけど、見てみるかい?
あ、これまた土下座してる。
なんで土下座かは前に話したよね。でも土下座させてる側もしてる側もなぜ土下座なのか、土と泥と水となのかその理由は知らない。知りもしないのに土下座させて喜んでる代官は見てて白けるんだけど土下座すれば済むかもしれないと思い込んでる側も見てて白ける。
要するに形だけ覚えれば何とかなるって両方とも信じ込んでる宗教に過ぎないってことでしょ?
うん。恐ろしく古代の宗教。身体を土に付けるのは「穢れを帯びたもの」であって逆に土に触れない場合は「浄められたもの」になってそのまますんなり「貴族である」ということになるという単純ながら怖い信仰が頭の中にこびりついてたんだな。人間は土と泥と水から始まったがゆえに土と泥と水とへ還元されるのを理由もわからず極端に恐れるわけさ。でも今の科学じゃこの逆説を解消できないという科学自身のさらなる逆説に陥ってる。
でもタマね、元々は野良だったから何となく感じるんだけど。お母さんがいるよ、どこかに。でね、お母さんの体内を通って生まれてきたんだ。そのときのぬるぬるした感触とね、土と泥と水を通り抜ける時の感触がとっても似てるって思うんだ。
そうだね。出産時には出血もする。当たり前さ。ところがそれを見た人間は女の体を恐怖すると同時にその恐怖心から逆に穢れたものとして貶めることを思いついた。自然の猛威に直面した人間がとっさに取った行動ととても似てる。あまりの恐怖に腰を抜かして同一視してしまうという錯覚を起こしたのさ。怖れるとともに穢すというふうにね。血が付いちゃいけない、土を踏んではいけない、とか全部迷信に過ぎないし迷信の暴力でしかない。それをどんなふうに科学が証明するかだけでなく解消するところまで進めていけるか。できないのならそれは科学じゃなくグローバルで一般的な大衆感覚レベルに収まり非-差別的である範囲で宗教のひとつとして承認されてもいいとは思う。カルトになっちゃだめさ。けど学術研究レベルとしてもしっかり線引き・区別できないというのなら世界から戦争規模の暴力や差別を撤廃するにはほど遠いってことだ。でもね、さしあたり問題はそこにつけ込んで莫大な利益を上げてる軍需会社が大手を振ってのし歩いてることさ。
あちゃ~。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウェンディ・アイゼンバーグ。ジャズのようでもありフォークのようでもありポスト・ロックにもポスト・パンクにも聴こえる。地平線のようでもあり水平線のようでもある。いろんな挑戦が垣間見える。