二〇二四年十二月二十六日(木)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食後、久しぶりにコロの上で居眠っていたタマ。窓外のフェンスに雀が止まりに来たようで軽い歯音をかくかくと立てている。
今日は少し寒さがやわらいだねタマさん。
いつもの雀さんが来てたんだ。タマが外に出られないのを知ってるから目と鼻の先でも平気のへいさで囀って見せるんだ。タマも何かひとつくらいやらなきゃって思ってとりあえず歯を鳴らしてみた。
どうだった?
全然気にしてないみたいだ。からかわれてるのかな?
どうかな。ちなみに雀は人間の行動をよく観察してるよ。電車の最寄駅に学校帰りの高校生とかが沢山やってくる時間帯とかだとオヤツやパンの残りが貰えると思っていかにも可愛げな仕草で生徒らの周囲をうろうろして見せてるなあ。
で高校生さんはどうするの?
持ってるパンを小さくちぎって投げてやったりしてるな。人馴れし過ぎなんだこの辺の雀は。人をたらし込むにはどうしたらいいかって方法も熟知してるし。
へえ、どんなふうにするの?
高校生や中学生だからってただ単にその周囲をうろうろして回るだけじゃなくてね、ややよろよろした歩き方でいかにも無防備に口を開いて生徒らの集団に近づくのさ。十代半ばの子どもたちから見れば情が移ってしまって思わずパンの切れ端くらいやってもいいかなって気持ちになる。
雀さんって賢いんだね。
そりゃ賢い。特にこの辺りの雀はね。飼い主は高校時代だけこの近くの私学に通ってたんだけどもうその頃から伝統的にこの二、三個の駅だけで顕著に見られる高校生の気持ちの動きをよく把握してた。四十年経っても変わってないね。
でも飼い主がここを離れて大学に行ったり大阪で障害者介護に入ったりしてるうちに四十年が過ぎちゃったんでしょ。日本も新自由主義一色になっちゃったっていうのに雀さんたちは楽勝なのかな。
新自由主義ってのは出てきた瞬間からそのオルタナティヴを発生させないわけにはいかないシステムでね、動植物に限らず生身の人間に対して脳機能にも身体機能にも治療不可能な数知れないアレルギー反応を引き起こす傾向があまりにも強い。押し進めていけばいずれ地球が終わる。
猫や雀さんはどうなるのかな。
ひとまず目に付きやすいことで言うと猫や雀さんが異常な死に方をしたり原因不明の病気にかかったりするわけ。何年もかからないうちに人間の乳幼児にそっくりの傾向が発見されて始めて人間社会は恐怖するのさ。日本では水俣病が見た目にわかりやすいこともあって有名だけど、今のようにコンピュータの端末を駆使して脳科学の分野で子どもたちに黙って脳機能に常に働きかけるような現代社会ではその結果起こってくる精神的崩壊や心身の破壊ってのがさらなる問題になって国が賠償しなけりゃいけなくなるのは目に見えてる。
タマと窓の外に時々遊びに来てくれる雀さんたちはどうなるの?
それなりに考えてはいるさ飼い主としては。でもマス-コミが政財官学界の盾になって地球壊滅のシナリオを覆い隠して逆にあたかも幻想的ユートピアがやってくる!みたいに宣伝しまくってる昨今じゃ白けるばかりだね。マス-コミにせよ政財官学界の有名人にせよ自分だけは被害者にならないと信じて疑ってない。科学の顔をした宗教に過ぎん。もはやカルトの様相を呈してる。被害者にならないってことは加害者の立場を勝って出るというわけだし。
でも加害者でもあり被害者でもある立場の人々もいるって聞くよ。
ここ何年かでようやく取り上げられつつあるよね。けど実をいうとそれはもう一九七〇年代前半頃すでに精神医療の現場レベルで往々に発生してきて認識も徐々に広がりを見せてきてた問題でね、飼い主が大学在学中の八〇年代後半には大いに議論されてた。まだSNSなんてひとつもなかった頃。新自由主義って言葉も肯定的なもんじゃひとつもなくて否定的な取り扱いだったんだ。ところが新自由主義とネットの普及がセットになるやマス-コミはがらりと姿を変えた。自分たちは「勝ち組」になれると錯覚したのかも知れない。人間誰しもおっちょこちょいのところはあるからね。しかし歴史ってのはそこまで甘くない。今朝の「勝ち組」が夕方には「負け組」になるネットワークができたから。で勝っても負けてもいずれにしろ国家的巨額にのぼる賠償責任の発生は不可避ってところだ、今みたいな差別的報道を改めるどころか逆に押し進めてる限りは。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。マルコポロポロ。地球が崩壊し出すと人間社会も大抵崩壊し出しているのが通例。例えばなぜごくふつうの飲料水を手にいれるためだけなのにわざわざ値上がりするのか。身体の七割は水分から出来ているにもかかわらず。それでも多くの人間は絶滅するまでわかろうとしない。そんななかから湧き水のように出てくる音楽というものがとりわけ近代の成立とともに多岐に渡り出現するようになった。これもまたそのひとつなのだろう。