白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ423

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月二十六日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食後、久しぶりにコロの上で居眠っていたタマ。窓外のフェンスに雀が止まりに来たようで軽い歯音をかくかくと立てている。

 

今日は少し寒さがやわらいだねタマさん。

 

いつもの雀さんが来てたんだ。タマが外に出られないのを知ってるから目と鼻の先でも平気のへいさで囀って見せるんだ。タマも何かひとつくらいやらなきゃって思ってとりあえず歯を鳴らしてみた。

 

どうだった?

 

全然気にしてないみたいだ。からかわれてるのかな?

 

どうかな。ちなみに雀は人間の行動をよく観察してるよ。電車の最寄駅に学校帰りの高校生とかが沢山やってくる時間帯とかだとオヤツやパンの残りが貰えると思っていかにも可愛げな仕草で生徒らの周囲をうろうろして見せてるなあ。

 

で高校生さんはどうするの?

 

持ってるパンを小さくちぎって投げてやったりしてるな。人馴れし過ぎなんだこの辺の雀は。人をたらし込むにはどうしたらいいかって方法も熟知してるし。

 

へえ、どんなふうにするの?

 

高校生や中学生だからってただ単にその周囲をうろうろして回るだけじゃなくてね、ややよろよろした歩き方でいかにも無防備に口を開いて生徒らの集団に近づくのさ。十代半ばの子どもたちから見れば情が移ってしまって思わずパンの切れ端くらいやってもいいかなって気持ちになる。

 

雀さんって賢いんだね。

 

そりゃ賢い。特にこの辺りの雀はね。飼い主は高校時代だけこの近くの私学に通ってたんだけどもうその頃から伝統的にこの二、三個の駅だけで顕著に見られる高校生の気持ちの動きをよく把握してた。四十年経っても変わってないね。

 

でも飼い主がここを離れて大学に行ったり大阪で障害者介護に入ったりしてるうちに四十年が過ぎちゃったんでしょ。日本も新自由主義一色になっちゃったっていうのに雀さんたちは楽勝なのかな。

 

新自由主義ってのは出てきた瞬間からそのオルタナティヴを発生させないわけにはいかないシステムでね、動植物に限らず生身の人間に対して脳機能にも身体機能にも治療不可能な数知れないアレルギー反応を引き起こす傾向があまりにも強い。押し進めていけばいずれ地球が終わる。

 

猫や雀さんはどうなるのかな。

 

ひとまず目に付きやすいことで言うと猫や雀さんが異常な死に方をしたり原因不明の病気にかかったりするわけ。何年もかからないうちに人間の乳幼児にそっくりの傾向が発見されて始めて人間社会は恐怖するのさ。日本では水俣病が見た目にわかりやすいこともあって有名だけど、今のようにコンピュータの端末を駆使して脳科学の分野で子どもたちに黙って脳機能に常に働きかけるような現代社会ではその結果起こってくる精神的崩壊や心身の破壊ってのがさらなる問題になって国が賠償しなけりゃいけなくなるのは目に見えてる。

 

タマと窓の外に時々遊びに来てくれる雀さんたちはどうなるの?

 

それなりに考えてはいるさ飼い主としては。でもマス-コミが政財官学界の盾になって地球壊滅のシナリオを覆い隠して逆にあたかも幻想的ユートピアがやってくる!みたいに宣伝しまくってる昨今じゃ白けるばかりだね。マス-コミにせよ政財官学界の有名人にせよ自分だけは被害者にならないと信じて疑ってない。科学の顔をした宗教に過ぎん。もはやカルトの様相を呈してる。被害者にならないってことは加害者の立場を勝って出るというわけだし。

 

でも加害者でもあり被害者でもある立場の人々もいるって聞くよ。

 

ここ何年かでようやく取り上げられつつあるよね。けど実をいうとそれはもう一九七〇年代前半頃すでに精神医療の現場レベルで往々に発生してきて認識も徐々に広がりを見せてきてた問題でね、飼い主が大学在学中の八〇年代後半には大いに議論されてた。まだSNSなんてひとつもなかった頃。新自由主義って言葉も肯定的なもんじゃひとつもなくて否定的な取り扱いだったんだ。ところが新自由主義とネットの普及がセットになるやマス-コミはがらりと姿を変えた。自分たちは「勝ち組」になれると錯覚したのかも知れない。人間誰しもおっちょこちょいのところはあるからね。しかし歴史ってのはそこまで甘くない。今朝の「勝ち組」が夕方には「負け組」になるネットワークができたから。で勝っても負けてもいずれにしろ国家的巨額にのぼる賠償責任の発生は不可避ってところだ、今みたいな差別的報道を改めるどころか逆に押し進めてる限りは。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。マルコポロポロ。地球が崩壊し出すと人間社会も大抵崩壊し出しているのが通例。例えばなぜごくふつうの飲料水を手にいれるためだけなのにわざわざ値上がりするのか。身体の七割は水分から出来ているにもかかわらず。それでも多くの人間は絶滅するまでわかろうとしない。そんななかから湧き水のように出てくる音楽というものがとりわけ近代の成立とともに多岐に渡り出現するようになった。これもまたそのひとつなのだろう。


Blog21・日本マス-コミ衰亡記/時代錯誤への意志

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

世界のどこにいてもデモを見ない日はない。デモはいつどこででも行われている。この平凡な事実。

 

ネットの普及があからさまにしたことのなかでもこの大きな事実は、その事実の大きさににもかかわらず、デモはいつでもどこでも起きているというあまりにも平凡な事実だった。

 

というところまでは世界共通の平凡さだろう。ところが日本ではもっと事情が異なっていることがますます判明してきた。どういうことか。

 

日本の場合。世界各地で絶え間なく行われている種々のデモを、人々は見ていないのだった、というより、見ようとしていないのだった。ネットの普及があからさまに照らし出した、これも事実だ。

 

日本のマス-コミとなるとさらに問題は鮮明になってきた。その情報消費者に向けて、より一層犯罪の色を帯びていたという事実について。例えば多極化する世界のなかでひとつひとつのデモにはそれなりの大義というものがあるわけだが、マス-コミ情報消費者が期待しているのは特定の陣営の主張を全面的に押し出すことではない。もしそんな態度を続けていると消費者の側はすぐに愛想を尽かして他の情報元へ鞍替えしつつ大抵の場合、それも生活資金に余裕のある場合に限り、海外へ移住してしまう。

 

日本のマス-コミの欠点のひとつに今なお上げられるのが、報道の言葉について、配慮が足りなさすぎる点である。

 

星の数ほどにも多極化しもはや同盟国という言葉はあってもその繋がりの強度は増減が激しくほとんど有名無実になっている世界であるにもかかわらず、たとえば香港民主化運動デモでは若年層を褒め称える一方、また別のデモでは香港民主化運動より全体的に平穏だったというのに「一部が暴徒化」したと伝える。この時代錯誤。呆れ返る。

 

さらに「一部が暴徒化」という表現はいついかなる時にどんな用いられ方をしたとしても常に政治性を帯びないわけにはいかない。問題含みでしかあり得ない。一九八〇年代後半には報道の犯罪性が問われ続けていたわけだが、その片付けに取り掛かるにも手をこまねいてぐずぐず渋っている間に惰性的に使われつづけている。「一部が暴徒化」。

 

このところ鳴りをひそめているように見えるけれどもずっと続いているアメリカの「ブラック・ライヴズ・マター」。あの映像が世界に広がり、アメリカはちっとも変わっていない、黒人差別は日常茶飯事のままだ。そう思うほかなかった人々はネットの普及にもかかわらずアメリカは相変わらずベトナム戦争を生きているのかと落胆したのだった。その際にも日本で飛び交った情報のなかには黒人被害者の訴えに罵詈雑言を浴びせながら「一部が暴徒化」したと喚き散らす動きが見られた。

 

「暴徒」とは何か。

 

規模の大小を問わず何らかのデモに参加したことのある人間なら誰でも身におぼえがあるに違いない。巨大な政治権力が押し寄せてきて棍棒のようなものを振り上げ出し殺されそうになったのでとっさに腕で棍棒の殴打を振りはたいたとしよう。すると棍棒の殴打を振りはたいた腕の動きを捉えて「暴力を振るった」と言われる。マス-コミはいつもそうだ。とりわけ日本のマス-コミは。と当時に国家暴力の正しさを、時には感動に声を振るわせながら、称賛するのである。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1017

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「13×0step」

「Dael」、「C/Pach」、「VI Scose Poise」、「Cfern」、「Xylin Room」、「IV VV IV VV VIII」、「SURRIPERE」などを聴いて見せていた反応に近いものがある。触手が動くというか好奇心旺盛になるというか。最低音部のゴロゴロ音とグルルル音並びに金属加工を中心とする町工場から漏れ聴こえてくる音響はお約束的に好む。ただ曲の進行に連れてリズム的変容がないとこれまた飽きるのが早いため気まぐれ猫のリクエストに応える曲は案外限られてくる。「13×0step」の場合は3:30から静寂なサウンドへ一変するが低音部のゴロゴロ音は派手ではないものの小さく鳴り続けていて猫にすれば吹き荒れていた暴風がしばし静まったという感じで基本的な音環境が身の危険を感じさせるほど変質したとは受け取れないようだしそのまま何気ないテンポのなかで徐々に挿入されてくる実験的に微妙な変化を加えた様々な音も実に様々でありながら特に猫の環世界のなかで響いたとしても猫にとって著しいノイズを感じるさせるわけではなくむしろ無害に響いているように思える。